<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>
<language>ja</language>
<title>Qetic - 時代に口髭を生やすニュースメディア”けてぃっく”</title>
<atom:link href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/</link>
<description>ニュースメディア Qetic（けてぃっく）では、音楽、映画、芸能、アート、ファッション、グルメ、アプリ、コラム、アニメなど、最新トレンドから今ネットで話題のゴシップまであらゆるエンタメ・カルチャー情報をお届けします。</description>
<channel>
	<lastBuildDate>Tue, 28 Apr 2026 09:26:14 +0900</lastBuildDate>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.7.4</generator>
	<atom:link rel='hub' href='https://qetic.jp/?pushpress=hub'/>
<atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.appspot.com"/><atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.superfeedr.com"/><atom:link rel="hub" href="https://websubhub.com/hub"/>	<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ugnoodle/458227/</guid>
		<title>ブルース原理主義者の冒険──UG Noodle、ロング・インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ugnoodle/458227/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ugnoodle/458227/#respond</comments>
		<pubDate>Fri, 19 Jan 2024 11:00:54 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=458227</guid>
<![CDATA[<summary><p>989年生まれの神戸在住のミュージシャン／マルチ・プレーヤー、UG Noodle。この稀有な音楽家はこれまで、『The Indian Waltz』（13年）、『ポリュフェモス』（20年）、『Beautiful Dreamers』（22年）という3枚の魅惑的なソロ・アルバムを発表。3枚の作品のうち後者2作が、名古屋のストリートのヒップホップ・レーベル〈RCSLUM RECORDINGS〉からリリースされている。1万字をこえるロング・インタヴューはUG Noodleの音楽遍歴の話から始まる。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1920" height="1280" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2024/01/18164041/interview240118-ugnoodle-5-1920x1280.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="UG Noodle" decoding="async" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<u><a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">good friends, hard times</a></u>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。</p>

<p>第8回目にご紹介するのは神戸在住のシンガーソングライター／軽音楽研究家、<strong>UG Noodle</strong>。名古屋の名門レーベル〈RCSLUM RECORDINGS〉からリリースされた3枚目のソロアルバム『Beautiful Dreamers』の配信がスタートしているので、是非ご一聴を。
（Qetic編集部）</p>
</div>


<div class="separator"></div>


<div class="text-box left fade-up">
<p><blockquote>　『ブラック・ミュージック』のなかには、音楽批評というものは、それが扱う“音楽”と同様激情に憑かれているように見えるものなのだという要求が、書くことの規則のようなものとして示されていた。これを書いている者もやはり、まだ若く影響を受けやすいときにバラカの格調高い詩の呪文に圧倒され、その後の職業が決定された物書きのひとりに数えられる。</blockquote>
<p class="quotecredit">「追悼：アミリ・バラカ　1934-2014」
『フライボーイ2──ブラック・ミュージック文化論集』
（グレッグ・テイト著／山本昭宏、ほか訳／ele-king books）所収</p>

<p><strong>UG Noodle</strong>は音楽を作り奏でることと、音楽とその歴史を叙述する激情に同時に憑かれた男であると言えよう。両者は彼のなかで切っても切り離せないものだ。私はこの取材を通して、その創造的な結びつきが、1989年生まれの神戸在住のミュージシャン／マルチ・プレーヤーのいまを突き動かしている事実を知り、感銘を受けた。</p>

<p>この稀有な音楽家はこれまで、『<strong>The Indian Waltz</strong>』（13年）、『<strong>ポリュフェモス</strong>』（20年）、『<strong>Beautiful Dreamers</strong>』（22年）という3枚の魅惑的なソロ・アルバムを発表している。構成要素は、ソウル・ミュージック、カリプソやボサノヴァ、ルーツ・レゲエやラヴァーズ・ロック、スカ、ファンク、インディ・ロック、ヒップホップ、AORあるいは歌謡曲などと多岐にわたる。こう羅列してしまうと、小器用で折衷的なベッドルーム・ミュージックのように思われるかもしれない。が、じつは違う。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><figure><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2024/01/18163122/interview240118-ugnoodle-2.jpg" alt="UG Noodle" width="1280" height="1279" class="alignnone size-full wp-image-458240" /><figcaption><strong>UG Noodle</strong>『<strong>Beautiful Dreamers</strong>』
<a href="https://lnk.to/UGNoodle_BD" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><strong><u>配信リンク</u></strong></a></figcaption>
</figure></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>基地の町である山口県岩国に生まれ、バンドでの華々しい活躍を夢見て大都会・大阪に居を移し、数年後に失意のなか地元に戻り、そして新たな志をもって神戸にやって来た移動の過程において、こうした音楽はUG Noodleの血肉となっていった。故にチャーミングなサウンドとは裏腹に、特に彼のヴォーカルに顕著にあらわれた“ブルース”は灰汁が強く、色濃い。</p>

<p>変わってゆく同じもの（The Changing Same）──アフリカ系アメリカ人の偉大な詩人／作家、アミリ・バラカ（リロイ・ジョーンズ）が『ブラック・ミュージック』という著作のなかで黒人音楽の核心を捉えたあまりにも有名なコンセプト。つまり、アフリカ系アメリカ人のピープルの民族意識、宗教性／世俗性、（奴隷としての）記憶、ブルース衝動（インパルス）、愛、エモーションは、ブルース、ゴスペル、R&B、ジャズ、ファンクと音楽形式が変化しようとも、歌や演奏、サウンドやリリックに表出する。だから、変わってゆく同じものであるテクノやヒップホップもある、という気高く壮大な思想だ。</p>

<p>この話をすることに躊躇いがないわけではない。というのも、“激動の60年代”を背景に、1966年のアメリカにおいて、黒人の作家が燃えたぎる民族意識をもって提唱した思想を、自分の理屈づけのために都合よく濫用して平気でいられるほど私は無邪気ではない。が、そうした異文化／民族のコンセプトに敬意を払いつつ、新たなアイディアを花開かせることはできる。事実、UG Noodleの音楽にはそれがある。彼は、自身の感覚や経験、感情、すでにあるとされている日本の地域性や自身の肉体性のみを自明視せず、歴史を知的に捉えかえし、固有でありながら普遍的な“変わってゆく同じブルース”を深い地層のなかから採掘し、再構成しようと試みている。端的にいえば、彼がルーツに誠実に向き合った音楽は素晴らしく、西洋化された日本という国でいかに生きるかという一筋縄ではいかない問いともつながっている。私がUG Noodleという音楽家に興味をひかれ、可能性を感じる最大の理由だ。</p>

<p>それはまた自分がヒップホップを通して考えてきたことでもあり、3枚の作品のうち後者2作が、名古屋のストリートのヒップホップ・レーベル〈<strong>RCSLUM RECORDINGS</strong>〉から出ていることも多くを示唆している。</p>

<p>そして私は昨年（2023年）の夏、UG Noodleの“神戸カリプソ”の美しいギターの調べとリズムに誘われ、神戸を訪れた――そんな風に言えれば格好も付くのだが、実際はUG Noodleからトーク・イベントの出演をオファーされて新幹線で向かった。インタヴューの後半でも触れられる元町にある「楽園レコード」での「軽音楽の夕べ」に参加するためだ。そのときに初めて会って、彼の行きつけのハンバーガー屋「WANTO BURGER」で話を聞き、さらにその後のメールでのやり取りをまとめた。1万字をこえるロング・インタヴューはUG Noodleの音楽遍歴の話から始まる。</p>
</div>

<h2 class="fade-up">INTERVIEW：UG Noodle</h2>

<div class="img-box fade-up"><figure><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2024/01/18163126/interview240118-ugnoodle-3.jpg" alt="UG Noodle" width="1280" height="2276" class="alignnone size-full wp-image-458241" /><figcaption><strong>UG Noodle</strong></figcaption>
</figure></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──まずUG Noodleというミュージシャンの音楽遍歴から語ってもらえますか。</strong></p>

<p>10歳ぐらいでギターを始めました。父親が弾くから家にあったんです。ギターを弾くようになると音楽の聴き方も凝ってくるじゃないですか。最初はB'zが好きだったけど、それからエアロスミスやレッド・ツェッペリンにハマって。地元の図書館にはそういうロックの他に、セックス・ピストルズやトゥパックとかのCDも置いてあって、中学の頃まではそこでCDを借りて聴いたりしていました。そのうちロックを中心に体系的に聴くようになってブルースまで辿り着く。そして、ロバート・ジョンソンから枝分かれしていった音楽をさらに聴いていくと。</p>

<p><strong>──それは早熟ですね。</strong></p>

<p>だから、僕はブルース原理主義者やと思うんです。それにこだわって音楽をずっと聴いてきたし、だからロックもヒップホップもその他の音楽もシームレスに聴ける。</p>

<p><strong>──音楽を自分でやり始めたのは？</strong></p>

<p>ギターを始めた頃はまわりにプレイヤーがいなかったから、2台のマイク付きラジカセを使って原始的な多重録音をやっていました。一方におもちゃのキーボードでドラムやベースの音を録音し、それをバックで流しながらギターを弾いたり歌ったりしてもう一方のラジカセに吹き込むことで音を重ねていく、というような方法を発明したわけです。世代ではないですが、母の影響で尾崎豊にもハマり、比較的マイナーな曲ですが“坂の下に見えたあの街に”という歌を録った記憶があります。中学から高校にかけては学校の先輩たちと当時の青春パンクみたいなことをやっていました。僕はそんな聴いてなかったけど、銀杏BOYZみたいな感じです。わりと自分がどこに行っても音楽に詳しいから、「これを聴け、あれを聴け」って周りの友だちに言う側だったんですけど、そのバンドのメンバーが広島のクラブクアトロに銀杏BOYZを観に行ったとき、前座で出てきたKing Brothersっていう西宮のバンドにめちゃめちゃ衝撃を受けて、つられて自分の嗜好もそれに影響されてちょっと変わってしまった。King Brothersはザ・ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンに影響を受けたスタイルが基調ですが、当時出した『BLUES』（04年）はガレージ・パンクの金字塔です。そうやって銀杏BOYZが好きな友だちをとおして、King Brothersに出会う、みたいなこともありました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>King Brothers</strong>『<strong>BLUES</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/0STRf2OiDeP5UJvthAdv2e?utm_source=generator" width="100%" height="352" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture" loading="lazy"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──いまの音楽性とはだいぶ異なる感じではありますね。</strong></p>

<p>そうですね。高校の頃はまた、楽器屋さんにバンドのメンバー募集を出したり、インターネットで募集したりし始めて。そうしたら、オンラインの募集に反応してきたのが社会人のドラマーだったんです。昔のハード・ロックやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかを募集の呼びかけに書いていたから、向こうもこっちが高校生だとは思っていなくて。ともあれ、バンドを始めることになった。で、ドラマーの人に「借りている場所があるから」と連れていかれたのが、「Blue River Studio（ブルー・リバー・スタジオ）」という音楽スタジオだった。町のパン屋さんが個人的に借りていたビルの屋上のテナントにレコーディング・ブースとミキシング・ルームを手作りした場所で、地元のいろんなバンドが毎月1万円を払って決めた曜日に入れるシステムだった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Blue River Radio</strong>／<strong>ブルリバラジオ</strong></p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/episode/7rI6dtnCvqG2SIrDAnq9Ni?utm_source=generator" width="100%" height="352" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture" loading="lazy"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──カンパ制みたいな感じだ。</strong></p>

<p>そうそう。このスタジオが決定的でしたね。パン屋の人が親切でレコーディングやミキシングのやり方の基本を教えてくれた。「基本は教えるから、その後は自分で頑張って」と。もうそれからは入り浸りましたね。空いているときはずっとスタジオにいたし、交友関係もだいぶ広がって。次第に先の高校生バンドでもバイト代を出し合って「ブルリバ」を借り、そこで知り合った先輩たちに触発されてオリジナル曲を作るようになります。最終的にはすべて自分たちの楽曲でライヴをやっていました。メンバーそれぞれが自分の曲や断片的なアイディアを持ち寄り、僕がバックの演奏を組み立てて、ヴォーカルに歌詞とメロディを考えてもらうというやり方でしたね。まわりには高校生のコピーバンドがたくさんいましたから、彼や彼女らと差をつけるためにも「オリジナルでなければ意味がない」という意識が、「ブルリバ」通いの自分らまわりには過激なまでにありました。</p>

<p><strong>──「ブルリバ」にはどんなバンドが出入りしていたんですか？</strong></p>

<p>The Little Elephant（以下、リトエレ）っていうオーセンティック・スカのバンドを通じてスカと出会えたこともラッキーでした。リトエレは親しいというより、憧れのバンドですね。畏れ多いというか。スカは自分のリズム感覚を作り上げていくうえでとても重要な音楽だった。いまダンス・ミュージックが好きなのもこの頃からスカのビートを聴いていたからだと思う。リトエレのように仕事や家庭を持つ社会人のバンドは、毎週平日の夜遅くに集合してリハや録音に打ち込み、年に数回は各地のパーティへ出ていく。今にしてみると、そうした先輩たちの身振りや音楽との付き合い方を見ていたという経験が、音楽そのものと同じくらい僕の音楽遍歴において重大な経験だったようにも思います。というのも、国民的規模で流行するスタイルを地方で実践すると、現実に馴染まないというか、痛々しい結果に終わっちゃうことってよくありますよね。「ブルリバ」に集まるバンドマンや音楽には、そういう不自然な政治性や違和感がそんなになかった。逆に極端な政治性があったりはするわけですが、それも含めて、価値判断のスケールを形成する過程で重要な空間でした。</p>

<p><strong>──なるほど。</strong></p>

<p>そういえば、先日つくば市の「Club OctBaSS」にUG Noodle楽団として訪れたときに妙な懐かしさを感じたのですが、それは「ブルリバ」に似た自治の気風があったからじゃないかな、と。知り合ったのはごく最近ですが、同じ岩国出身のCHIYORIさんもいて、不思議な時空間でしたね。ともあれ、音楽との付き合い方に関しては、自分の現在地と生活に大きな関わりがあるはずで、そういう感覚を培ってくれたのが「ブルリバ」、そして当時あった「Club SQUAD（旧Rock Bar 666）」でした。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>THE LITTLE ELEPHANT LIVE@NOON＋CAFE 2016/09/18</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/-vgrsWmw1Kk?si=Dp2Za-zX5qI8oDnD" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──もちろんUGくんみずからが切り拓いたわけだけど、10代の頃からかなり恵まれた環境に身を置いていたというか、それはいろいろ揉まれるでしょうし、自然とセンスも磨かれますよね。</strong></p>

<p>オーセンティック・スカのバンドもいるし、ニューヨーク・ハードコアのバンドもいるし、僕らみたいにザ・フーのようなルーツ的なヴィンテージ・ミュージックとしてのブリティッシュ・ロックをやるバンドもいて。スタジオに行くようになってからは、録音して、CD-Rにみんなで手分けして焼いて同級生とかに売りまくって、イベントも自分たちで主催していました。いま振り返ると、地元の岩国がめちゃめちゃ重要だったとは思います。やっぱり基地（米海兵隊岩国航空基地）の町だから、戦後に基地のそばにできた日本人のクラブとかが残っているんです。ライヴハウスの文化も独特なものがあって、米兵やアメリカ人も多い。高校生の頃にイベントを主催してライヴをやると、お客さんのうち20人ぐらいが米兵みたいなときもけっこうあって。高校生が6割、あとの4割がアメリカ人みたいな。もちろん、地元の先輩とかもいるわけですけど。比率で言うと、そういうことになっていた。</p>

<p><strong>──それはまた鍛えられそうな環境だ。</strong></p>

<p>僕らのバンドもまあまあ人気で（笑）、ライヴの翌日に町でいきなり「昨日のライヴ、めっちゃ良かった！」とかアメリカ人に話しかけられるようになって。高校卒業の時期に、スタジオのパン屋さんが「市民文化会館を借りて高校生のイベントをやったら面白いんじゃない？」って提案してくれて、実際にやったら300人近くも集まって。</p>

<p><strong>──それはすごい。基地の町という話が出ましたけど、記憶にある出来事とかはありますか？</strong></p>

<p>こどもの日に基地が解放されて全国から人が集まって、飛行機ショーがあったり、ビッグ・バンドのライヴがあったり。でも、そんなに面白い経験があったわけでもなくて。広島が近いのでとうぜん平和教育があって、僕はわりとそういう教育に強烈に食らっていました。ジョン・レノンのスタイルにも影響を受けて、自分がやる音楽の必然性みたいなものを追求していたから、「平和とは何か？」と言いたがるロック・ミュージシャンみたいな感じもありましたね（笑）。加えてライヴハウス界隈にはスキンヘッズもいるし、「何を信じたらええんじゃ！」という状態でした。通っていた中学校から100メートル先が米軍基地だったから、2011年に911（アメリカ同時多発テロ事件）が起きたときには基地の警戒レベルが最大になって、基地のフェンスに近づいたら銃を向けられるという噂もあった。それが事実かどうかはともかく、そういう言説にリアルに晒されるのが基地の町で生きるということでもあるので。</p>

<p><strong>──僕が岩国で思い出すのは、ヒップホップ・グループのHIGH5です。『#MAJI超』（12年）は日本のヒップホップの隠れた名盤だと思うんです。その頃活動していました。知ってます？</strong>

<p>ああ！　フライヤーで見て名前は知っていました。自分の上の世代にはヒップホップのコミュニティがあったみたいなんですが、ぜんぜん接点はなくて。でも、もしかしたら「SQUAD」のキャッシャーのバイトとかしてたかも。何せ「IWAAKLYN（イワックリン）」というコンセプトだけは強烈に覚えています。</p>

<p><strong>──地域性をユーモラスに打ち出していましたよね。</strong></p>

<p>自分はMTVを観たり、友だちが教えてくれるエミネム、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグを聴いたりして、個人的に中学の頃にヒップホップにハマりましたね。インターネットでいろいろ音楽をゲットしてCDに焼けることに気づいて、それを人に自慢していたら、当時付き合いのあった不良の友だちが基地のアメリカ人から「この曲を手配しろ」っていう曲のリストを渡されて、それが回ってきて（笑）。アシャンティとかジャ・ルールとか。「これがいまイケてるヒップホップなんだな」って思いながら聴いていましたね。知識とともにそういう経験もあった。</p>

<p><strong>──いい経験だ。高校卒業後はどうしたんですか？</strong></p>

<p>「ブルリバ」とは関係ないんですが、一時期いっしょに音楽をやっていた先輩が先に大阪に住んでいたので、そこに行こうと。当時は音楽で華々しく食べていきたいと考えていたし、進学校でもなかったし、周りに大学生もいなかったので、大学に行くという選択肢はなかったですね。まだ漠然と、とりあえず都会に出なければダメだろうと思っていた。それで大阪のスタジオでバイトをしながらインディ・ロックみたいなバンドをやっていた。そのバイト先の先輩が僕と同じくshe luv itのメンバーで、彼のことは実は「ギャングだったあの頃」（『ポリュフェモス』収録）という歌のなかにも織り込んであるんですが、その人を介して杉生くん（CE$）と知り合った。she luv itに出会うまでは、生粋のライヴハウス・キッズだったけど、杉生くんと知り合ってからクラブにも行くようになったし、音楽の聴き方が大きく変わりました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>▼<strong>関連記事</strong>
<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ces-feature/323071/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u><strong>できる限り音楽は肯定したい──CE$、ロング・インタヴュー</strong></u></a></p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──それでshe luv itにも参加すると。UGくんはCE$くんがマネージャーを務めるtofubeatsの曲に客演で参加もしていますね。</strong></p>

<p>はい。she luv itってメンバーがたくさんいて実態がよく掴めないじゃないですか。「それでいいんだ！」って思いましたね。sumahama?（神戸の塩屋に集まったミュージシャンで結成された「インドアポップ共同体」）をはじめたときも、なんとなくshe luv itの組織論みたいなのを参考にしていたかも。「バンド」って言うと「絆」とか、窮屈な規範を呼び込んでしまうところがありますが、she luv itは「ポッセ」ですよね。それは後年に「ベ平連」や小田実の流動的な組織論に触れたときにも同じようなことを思いました。すこし脱線してしまいましたが、ただ音楽でなんとかしたいと考えて4年間ぐらい大阪でインディ・ロックをやったけど、行き詰まっちゃって。お客を呼べなくてノルマを払わされるライヴハウスのシステムもイヤだったし、シンプルに負担だし、辟易していた。だいたいアメリカ村にいたんですけど、わざわざそこに馴染む必要もないかと思い始めて、2010年の暮れ、22歳の頃にいちど岩国に、というか「ブルリバ」に戻ろうと決意するんです。その後も杉生くんとは連絡取り合って、いまに至りますけどね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>tofubeats - 恋とミサイル feat. UG Noodle</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/r6kj6mSJgR8?si=e-K2HCx62i_0m8k2" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そして、それからいよいよUG Noodleというソロ・ミュージシャンとしての活動が始まるわけですね。</strong></p>

<p>大阪時代にパーマをかけてたんでバイト先で「ラーメン」というあだ名を付けられて、Noodleならアジアっぽいし、ゴリラズのギタリストとも同じ名前だし、いいなと思って名乗るようになりました。これは後付けですが、”noodle”という単語には「頭脳」とか「（ギターで）さりげないフレーズを即興で弾く」とか、いろんな意味があって面白いんです。ラーメンは豚骨が好きです。また話が逸れましたが、大阪時代は自分のパソコンを持っていなかったんですけれども、地元に帰る直前に手に入れて、とにかくスタジオに籠って制作していましたね。曲を書いて、演奏して、録音を重ねて、ひとり10役ぐらいやっていた。いまはDAW上で打ち込んで済ませていますが、ドラムまで叩いていましたから。そうやって、ファースト・アルバム『The Indian Waltz』（13年）を完成させた。だから、ファーストは地元の岩国で作っていて、『Beautiful Dreamers』（22年）にも地元で録音したものがけっこうある。“神戸カリプソ”とかそうですね。あれは神戸に引っ越す前に書いているので。</p>

<p><strong>──当時『The Indian Waltz』はレコード屋さんのコメントか、レーベル側の公式インフォかはわからないのですが、渋谷系みたいにも書かれていました。だけど僕は、坂本慎太郎がゆらゆら帝国を解散したあとに出したソロ作品に通じる密室感があると思って。『幻とのつきあい方』（11年）ですね。</strong></p>

<p>「ブルリバ」で音楽を作り始めた頃に、まさに坂本慎太郎が最初のそのソロ・アルバムを出して。実際、坂本慎太郎の作品は自分にとって大きかったんですけど、そのまま影響を受けてやったらただのパクリになってしまうから、そのエッセンスだけを抽出して自分のスタイルに反映するということを常に考えながら聴いていました。ゆらゆら帝国は聴かず嫌いをしていたけど、『幻とのつきあい方』に入っている“君はそう決めた”という曲は、サウンドやリズムはもちろんのこと、歌詞が突き刺さりましたね。大阪で挫折して、頭もおかしくなってて、大阪駅のトイレのゴミ箱に電話を捨てて逃げるように帰ってきた自分にとっては、救われるような聴取体験でした（笑）。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>UG Noodle</strong>『<strong>The Indian Waltz</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/1fwCPbOQzuT6rIcaHfc3s2?utm_source=generator" width="100%" height="352" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture" loading="lazy"></iframe>

<p><strong>君はそう決めた（You Just Decided）／坂本慎太郎（zelone records official）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/t08i_cWdcbM?si=KwxO6PViR4Kt-9Qz" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そこまでの経験があったとは……！</strong></p>

<p>地元ではスーパーの惣菜工場とかで派遣のバイトをして、本当に嫌な目にあったりしていたし、東日本大震災と原発事故もあったし。そんなときにラジオから流れてきたキリンジによるピチカート・ファイヴのカヴァー“陽の当たる大通り”（02年）も、本当に死ぬほど聴きました。『Beautiful Dreamers』の制作には大阪で知り合って以来いまもいっしょに音楽をやっているTakashi Kusudaがサブ・プロデューサー的な役割を果たしていますが、彼から教えてもらったニック・ドレイクやヴァシュティ・バニヤン、チェット・ベイカー、そしてキース・ジャレットの『Melody at Night, with You』（98年）とか、内省的で優しい音楽に目覚めた時期でもありました。彼の影響を受けて初めての海外旅行でインドに行ったりもして。あとは、ひとりで制作するようになったこの時期に初めてはっぴいえんどを聴いたり。</p>

<p><strong>──『Beautiful Dreamers』に入っているチャーミングなリズムボックスが印象的な“アメリカは遠いから”では、インド旅行について歌ってますよね。</strong></p>

<p>細野晴臣の『HOSONOVA』（11年）もよく聴いていましたね。大阪に行ってファンクを聴くようになって音楽のグルーヴにこだわり出したのも重要で。あと、自分のヴォーカルのピッチ補正はある程度しかしないので、耳ざわりがいい歌ではないと思うんです。無理やりトリートメントしてしまうと、肝心の部分が全部なくなってしまうから、たとえばちょっと音程が外れている部分も残している。グルーヴや歌い方の「クセ」へのこだわりは、高校生の頃から好きで聴いていたファレル・ウィリアムスやN.E.R.Dも影響しているのかもしれない。イントロのクセで「ファレルか！」てなりますもんね。ですが、それこそブルース原理主義者たる所以といいますか。だって、DAWでピッチ補正されたブルースなんて聞いたことないですから。もちろん、最新のテクノロジーを採り入れてジャンルをアップデートしていくことが音楽全般において重要な仕事だということは認識しています。でも、その過程で失われてしまうもの――たとえばプレイヤーにとっては「一過性の呼吸」、リスナーにとっては「寛容な耳」とでも言いましょうか――そういうものを取り戻したいという気持ちはあります。そうしたなかで、また先ほど挙げた内省的な音楽からの影響も踏まえて、声やノイズやグルーヴを含めた「クセ」とか「質感」とか「訛り」のようなものこそが、何よりも音楽家のアイデンティティであり、オリジナリティでもあると確信するようになりました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>細野晴臣</strong>『<strong>HOSONOVA</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/6KnwcBSlk9m1Q5T2GZTOWW?utm_source=generator" width="100%" height="352" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture" loading="lazy"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そう、ヴォーカルに特に顕著ですけど、UG Noodleの音楽はミキシングが面白いですよね。そこまで岩国で音楽制作に打ち込んでいたのに、どうして神戸に？</strong></p>

<p>昔から海外の音楽の歌詞を写したりして英語を習得していって、英語だけはめちゃくちゃ得意だったから、それを仕事に活かせないかと考えて大学に行こうと。それで探していたら、夜間部で大卒と教職免許が取れて、しかも社会人向けの特別入試枠がある公立大学があると知り、これは「渡りに舟」だと。そんなわけで、2014年、24歳の頃に大学に入りました。同じように疲労に満ちた惨憺たる表情を浮かべて、しかし目だけは妙にギラついている社会人たちが夜な夜な集まってきて、授業が終わったらよりいっそう目をギラつかせて帰っていく、という感じでした。</p>

<p><strong>──専門は何でしたか？</strong></p>

<p>いわゆる英米文学ですね。ゼミの先生はアメリカ人で、ビート文学の研究者でした。アメリカのカウンター・カルチャーについてのゼミだったので、ブラック・アーツ・ムーヴメント（アフリカ系アメリカ人の詩人／作家／活動家のアミリ・バラカが牽引し、60年代中盤から70年代中盤まで展開された芸術運動）をテーマに卒業論文を書くことに決めました。音楽と文学の交差に興味があったので、W・E・B・デュボイスからアミリ・バラカ、ザ・ラスト・ポエッツに至る反レイシズムと大衆芸術運動の歴史を自分なりに解釈し、英語で書きました。</p>

<p><strong>──それはとても興味深い。それこそちょっと前に邦訳が出たグレッグ・テイトの著作『フライボーイ2』に所収された「追悼：アミリ・バラカ」でブラック・アーツ・ムーヴメントについて詳述されています。そして、いまは博士課程にいると？</strong></p>

<p>そうですね。博論執筆のために在学期間を延長している状態です。ざっくりと言えば、アミリ・バラカがやった仕事のひとつは、白人の視点から書かれたジャズの歴史をアフリカ系アメリカ人の大衆音楽史として書き直すべく、奴隷制とそこから生まれたブルースへと再接続する作業だった。改名前のリロイ・ジョーンズという名前で書かれた有名な『ブルース・ピープル』（63年）のことです。その仕事は、論理的客観性や歴史学の体系といった西洋アカデミズムの土俵の上で、レイシズムに与しうるジャズの言説に対して戦闘的な態度で抗っていく活動であったように思います。音楽について語るという行為が人種差別的な国家権力に結びついていく過程と、コミュニティに根差した主体的な言語やサウンド、芸術による表現を通じてこれに対抗する文化運動――そうした一連の歴史と力学に興味がある。</p>
</div>


<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Amiri Baraka - Dope</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/qJ89lZDBDR4?si=LrUj4AnGPMLtMcFD" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──グレッグ・テイトは、「“音楽”が“闘争”となるにいたった歴史と、そのことがもつ社会・文化・政治的な意味を理解しようと望む者にとって、リロイ・ジョーンズ名義で書かれた『ブルース・ピープル』（1963）が基本文献なのは間違いない」と書いています。そうしたアミリ・バラカの偉大な仕事をある意味では引き継ごうとしながら、UGくんがいま取り組んでいる研究はなんでしょう？</strong></p>

<p>翻って、現代日本の主流なポピュラー音楽の動向を俯瞰していると、ときどき第二次世界大戦中の体制をいまだどこかに引きずっているように感じることがあります。まだここではっきりと言うことはできませんが、そのことについて自分の問題意識から批判的に捉え直してみる価値はあるように感じています。それでいま、淡谷のり子が歌った「別れのブルース」（37年）を起点にして、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦中の総力戦体制下におけるポピュラー音楽とナショナリズムの関係、その戦後社会への連続性と断絶といったことを中心に研究しています。</p>

<p><strong>──それは重要な仕事ですね。そのように研究者として研究することと、ミュージシャンとして音楽を作ることは本人のなかでどうつながっているのかについても聞きたいです。</strong></p>

<p>研究活動と、みんなで音楽を作ったりレコードを漁ったりパーティを開いて遊んだりする音楽実践は、フィールドが違うだけで本質的に共通する部分がいくつかあると感じています。たとえば、神戸や尼崎にそうした音楽が聴かれていたダンスホールが過去に存在した史実を知ることで、現代に生きる自分が街で行われるパーティに行くときの空間のとらえ方も変わる。街の表情が見えてくる、といった感じです。いまは無きかつての元町高架下商店街、通称「モトコー」で欲しいレコードを探していると、土や泥にまみれたレコードを見ることが何度かありました。同じような汚れ方をしているものをよく見るのでレコード屋のひとに聞いてみると、どうも阪神淡路大震災のときに被災したコレクターの方の遺品なんじゃないか、ということなんです。これは研究ではないのであくまで憶測、というか伝聞ですが、そういうことは十分にあり得ますよね。音楽を求めて歩き、思いがけず、自分の知らない街の埋もれた記憶に触れた時に感じる、現実の質感。そういう歴史の手ざわり、それも有名人ではなくて、自分のようにかつてこの道を通った普通の人の存在の痕跡を求めてのことなのかもしれません。生きていたら仲間になれたかもしれない人だって大勢いたでしょうし。だから、研究のための史料を市内で探すこともよくあります。なんと言ってもモダン国際都市ですからね、神戸は。街で遊ぶことが、近現代の日本文化史ついて研究するための手がかりを探す作業も兼ねている、というか。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2024/01/18163130/interview240118-ugnoodle-4.jpg" alt="UG Noodle" width="1280" height="2276" class="alignnone size-full wp-image-458242" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──それこそ昨夜、神戸から元町の方まで歩いて案内してもらいました。</strong></p>

<p>なんでしょうね、資料にあたって前後の歴史的文脈を整理しているなかで生まれてくる仮説もあれば、研究に行き詰まってクラブに行き、夢中になって踊ったり、友だちとしゃべっているあいだに思考が論理的なレベルで整理されることもある。そのうち、資料に当たるということは、クラブで誰かに会って話をするのとあんまり変わらないんじゃないかと思えるようになりました。その成果がいま自分のいる現場に少しでも貢献するようなものであればいいなという願望はありますが、研究活動ではアカデミック・ディシプリンに即した厳密さ・緻密さを心がけています。とはいえ、ひとつのアルバムを構築していく上でも、特にミキシングの段階ではセルフ・ディシプリンに即した厳密さ・緻密さが要求される過程はあり、そうなるとこのふたつの作業には、巨視的に見れば同じような局面があるわけです。「理屈と膏薬は何処へでも付く」と言われそうですが、ともあれ研究活動と音楽実践は、いずれも現時点での問題意識から出発して街あるいは言説空間の中を歩き、さまざまなアイディアを取り込み、新味をひねり出していく行為であるという点で共通しています。取り止めのない話になってしまいましたが、音楽活動と研究活動のいずれも、自分が現在地において創造的な未来を構想するために欠くことのできない重要な作業であると考えています。</p>

<p><strong>──いい話だし、すごくよくわかりますね、言いたいこと。</strong></p>

<p>だから今回のような「歌謡曲と第二次リズム〈永久〉革命」というトーク・セッションとDJのパーティを同時にやるイベント（「軽音楽の夕べ」）を企画していますし、それは表現の次元においてもそうです。というのも、バンドをやっていた頃は何を歌っていいのか悩んでいて、音のリズムの方ばかり考えて、日本語じゃなく英語のフロウでもたせていたんです。日本語の詩では内容をもたせられなかった。初めてのソロ作品『The Indian Waltz』で作詞にこだわり始めて、ようやく思い通りに日本語の詩を書けるようになってきて。その頃から本も読むようになった。</p>
</div>


<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2024/01/18163118/interview240118-ugnoodle-1.jpg" alt="UG Noodle" width="1280" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-458239" /></div>


<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──セカンド『ポリュフェモス』（20年）の10分をこえるラストの曲は、前半が日本語、後半は英語と歌い分けていますね。</strong></p>

<p>あれには「ブルリバ」で聞こえていた岩国駅前交差点の信号の音が入ってますね（笑）。神戸に引っ越して来てから、トッド・ラングレンやニッキー・ホプキンスといった70年代に名作を残したとされているシンガー・ソングライターを一生懸命聴くようになって。セカンド以降は、そういう音楽を意識しているし、自然と反映されてはいると思いますね。10代の頃は山崎まさよしや斉藤和義も好きでしたし。あとなにより、神戸に来てからレコード屋で働いていたんですけど、そこで知り合ったJAH SOCKや火男といったDJの人らに教えてもらった和モノが、自分がこの街にいて、日本語でどんな詩を書いて、どんな歌を歌うべきかについて大きな示唆を与えてくれた。特に火男のMIXCD『ばらソースMIX』が衝撃的に良かった。歌謡曲の言葉、詩がすごく良くて、信じられない物語を滲ませている。あのMIXを聴いたことも、日本語にこだわって歌うことにハマったきっかけですね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>UG Noodle</strong>『<strong>ポリュフェモス</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/2XNDzeE8tE5hF0QBvjkbmO?utm_source=generator" width="100%" height="352" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture" loading="lazy"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──この約10年でほぼひとりで濃密なソロ・アルバムを3枚作ったわけですよね。</strong></p>

<p>いやあ、ひとりの制作は時間がかかり過ぎるし、宅録は頭がおかしくなるからもうやりたくない（笑）。正直、ブライアン・ウィルソンを乗り越えたいぐらいの気概も持ってやっていましたけど、ひとまずいいかなと。日常生活と折り合いがつかなくなってしまうので。いまはUG Noodle楽団というバンドでライヴをしていますね。みなさん演奏力があるので、コード進行を書いて渡してこんな感じでと伝えれば、できる人たちですし。ジャズ・スタンダードをやるような気軽さで自分の曲を演奏して、歌いたい。その場で集まって、気取った演奏をして、お客さんをひとりでも爆笑させて解散する。いまはそういう音楽との付き合い方が生活への負担が少ないし、楽しいですね。結局、どこにいても行き着くところは同じだということです。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>UG Noodle and his band "Yume no Koibito（My Platonic Sweetheart）" Feb. 26th, 2023</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/BAacDeIbv7Q?si=mU1Ff2PLuXn5ZtzX" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box right fade-up">
<p>取材・文／<a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>二木信</u></a>
編集／船津晃一朗</p>
</div>


<div class="profile">
<h3 class="profile-title">INFORMATION</h3>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2024/01/18163122/interview240118-ugnoodle-2.jpg" alt="UG Noodle" width="1280" height="1279" class="alignnone size-full wp-image-458240" /></div>

<p class="text">UG Noodle
Title：BEAUTIFUL DREAMERS
Label：RCSLUM
Release：2022.12.24</p>

<p class="text">1. Bong Stuck（Prod. Takashi Kusuda）
2. Stop Speaking（Prod. Takashi Kusuda）
3. Beautiful Dreamers
4. Quarantine
5. 出口のない朝
6. アメリカは遠いから
7. あの頃メリー・ジェーンと
8. 神戸カリプソ
9. Night Cruising（Prod. Takashi Kusuda）
10. Good Fellows
11. The Night Is Still Young
12. Heaven?
13. Beautiful Dreamers（Reprise）
</p>

<p class="text">CREDIT：
Vocals：UG Noodle
Instruments：UG Noodle except #1, #2, #9 by Takashi Kusuda, #6 by UG Noodle and Takashi Kusuda
Recording：UG Noodle except #1, #2, #6, #9 by UG Noodle and Takashi Kusuda
Mixing：UG Noodle
Mastering：Takanome</p>

<a href="https://lnk.to/UGNoodle_BD" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">配信リンク</a><a href="https://linktr.ee/iamugnoodle" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">UG Noodle</a>

</div>

<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">good friends, hard times</a>
<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/substore/454632/</guid>
		<title>小さくユニークなヴェニューから広がるコミュニティ──〈SUB store〉について</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/substore/454632/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/substore/454632/#respond</comments>
		<pubDate>Fri, 08 Dec 2023 12:00:14 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=454632</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「good friends, hard times」。第7回目にご紹介するのは東京・高円寺にあるヴェニュー「SUB store」。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1761" height="1174" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123331/column231203-substore-9.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="SUB store" decoding="async" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<u><a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">good friends, hard times</a></u>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。</p>

<p>第7回目にご紹介するのは東京・高円寺にあるヴェニュー「<strong>SUB store</strong>」。（Qetic編集部）</p>
</div>


<div class="separator"></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>東京・高円寺にある「<a href="https://substore.jimdofree.com/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u><strong>SUB store</strong></u></a>」という一風変わったヴェニューを紹介したい。場所は高円寺北口の中通り商店街の餃子の王将を左に曲がり路地を数十メートルほど歩いて左手のビルの２階。インドネシア料理屋、コーヒーやお酒も楽しめて、週末を中心にライヴやDJを中心としたパーティも行われている。店内を見渡すと、私物の音楽本やミュージシャンの自伝、ジェイムズ・ブラウンのフィギュア、マルコム・Xの演説を用いたエレクトロの名曲“NO SELL OUT”のステッカー、ガールズのサイン入りのファースト『アルバム』やビヨーク『ユートピア』のレコード・ジャケットも飾られている。DJやお店の常連客のレコードの委託販売も行っていて、アフリカ音楽を始めとするワールド・ミュージックやパンク、シティ・ポップなどジャンルも幅広い。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03122446/column231203-substore-11.jpg" alt="SUB store" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-457354" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>お店を切り盛りするのはインドネシア出身のアンディと久実さん夫妻。そもそも「SUB store」はどのようにできたのだろうか。ロックやパンク、ハードコアやスケートが大好きだったアンディは東京各地のライヴ・ハウスやレコード屋を渡り歩くなかで、音楽やサブカルチャーが根付く高円寺の魅力に引かれて、2014年に当地への引っ越しを決意する。高円寺にまったく縁のなかった久実さんは「アンディにこの町の面白さを教えてもらいましたね」と語る。そして引っ越し後にお店をやろうと思い立ち、ふたりで仕事を辞め、2016年3月に「SUB store」をオープン。</p>
</div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03122609/column231203-substore-3.jpg" alt="SUB store" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-457356" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03122603/column231203-substore-2.jpg" alt="SUB store" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-457355" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>中野、阿佐ヶ谷、下北沢でも物件を探したというが、最終的に高円寺に決めた理由は何だったのか。「高円寺の小さい駅のサイズも良かったし、雨でも駅から濡れないで歩いて来られる高架下に近い物件が見つかったのもありますね。あと家賃が安かった。最初は隣がヤクザの事務所でしたけど、まあ大丈夫でしたよ（笑）」とアンディ。</p>

<p>店名は、アメリカのシアトルのインディ・レーベル〈SUB POP〉に由来。レーベルの大ファンだったアンディと彼の弟が名前を決めた。お店のロゴもオマージュだ。「だけど、ロゴのフォントもデザインも違うからコピーじゃなくてインスパイアですね」と元々グラフィック・デザイナーが本職の彼は言う。〈SUB POP〉のTwitterアカウントに「大ファンなのでインスパイアされた」という旨のDMを送ったところアンサーが返ってきたという。「ぜんぜん怒られることもなくて。むしろTwitterでフォロー・バックしてくれてちょっと応援してくれている感じですね」と久実さん。</p>

<p>small、unique、bookという頭文字から成る「SUB」にはお店のコンセプトが込められている。「お店は小さくて、ユニークでありたくて、しかも本が大好きだからです」とアンディが簡潔に説明してくる。HPには次のように記してある。「幅広い年齢の方々がサブストアで新しいアイデアや文化に出会ったり、お互いに情報交換することで世界のアートや音楽、文化の新しい面に触れていただければ嬉しいと思います」。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03122707/column231203-substore-5-1.jpg" alt="SUB store" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-457358" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>じつは高円寺の店舗は4号店。2014年にアンディが出資、彼がレコードやCD、音楽グッズのバイヤーの役割を担い、弟夫婦がジャカルタに1号店を設立した。翌2015年初頭にバンドゥンに2号店、同年の後半にバリに3号店を開き、さらに2019年にはジョグジャカルタに5号店をオープンした。もちろん現地にはそれぞれビジネス・パートナーがいる。現在は、バリ、高円寺、ジョグジャカルタが開業中で、バンドゥンのお店も再開する予定だ。</p>

<p>当初、高円寺の「SUB store」では絵や作品の展示会などは念頭にあったものの、ライヴやDJのパーティまでは想定しておらず、いまあるDJ機材や大きなスピーカーもなかった。久実さんは最初、コーヒーがメインのお店と考えていたそうで、料理のメニューも最初は3種類程度だった。本格的に料理を提供したり、お酒を作ったりする飲食業そのものが初めてのふたりは手探りでお店の営業を模索してきた。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03122750/column231203-substore-7.jpg" alt="SUB store" width="1779" height="1186" class="alignnone size-full wp-image-457359" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「お客さんからインドネシア料理をもっと増やしたほうがいいよとアドバイスをもらってちょっとずつ頑張って増やして行ったり。DJイヴェントをやるようになったのもお客さんが勧めてくれたからですね。お店が盛り上がるよって」（久実）。</p>

<p>「最初にDJイヴェントをやってくれたのは大槻洋治さんという方です。アフリカン・ミュージックのレコードのコレクターで、ワールド・ミュージックのパーティをやってくれました」（アンディ）。</p>
</div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123621/column231203-substore-12.jpg" alt="SUB store" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-457368" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123617/column231203-substore-13.jpg" alt="SUB store" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-457367" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123453/column231203-substore-14.jpg" alt="SUB store" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-457366" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><figure><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123449/column231203-substore-15.jpg" alt="SUB store" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-457365" /><figcaption>※記事の筆者、二木信</figcaption>
</figure></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>大槻さんは西アフリカのマリで学んだアフリカン・スタイルのギターを弾くミュージシャンで、Youzy名義で主に60、70年代の西アフリカのレアなレコード等をプレイする。店内では大槻さん所有のレコードも売られている。</p>

<p>「だから、お客さんに助けられながら営業してきた感じです。そう、のでぃさんもオープン当初に来店してくれたひとりです」（久実）</p>

<p>のでぃとは、高円寺を拠点に活動する、知る人ぞ知るサイケデリック・ロック・バンド「ねたのよい」のヴォーカル／ギターで、サイケデリック・ロックを地で行く風貌とヒッピー・ファッションからいちど会ったら忘れられない高円寺アンダーグラウンドの重要人物だ。</p>

<p>ある日アンディがオープン時間の昼12時ぐらいに、イサーン音楽／モーラムをかけながら階段を掃除していると、ワインを瓶でラッパ飲みしながらタバコを喫って店の前に佇んでいるタトゥーの目立つ男がいた。それが、のでぃだった。</p>

<p>「私が恐る恐る『Nice to meet you…』と話しかけると、『良い音楽かけてるね。俺もタイの音楽が大好きだから明日レコードを持って店に来るよ』と言われて。でも、タンクトップですごいタトゥーも見えているし最初は怖いじゃないですか。隣はヤクザの事務所だし、タトゥーの人は来るし、『高円寺はプロブレムだらけだ！』って思いましたね（笑）」とアンディが冗談めかして言う。</p>

<p>翌日、実際にのでぃが大量に持って来たタイの音楽の7インチはすべてオリジナル盤の貴重なレコードだったという。そうして意気投合したふたりはRADIO SAWADEE（ラジオ・サワディ）というDJユニットを組むに至る。そして、2021年に立ち上げた「SUB store」の音楽レーベル部門〈SUB Records〉の第一弾としてリリースしたのが、ねたのよいのファースト・アルバム『月桃荘』（06年）のLP盤だった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>ねたのよい（NETANOYOI）- 月桃荘</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/_Dl4HiOHcvU?si=WUrQVZKcxZaolNFO" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>こうした「SUB store」の交流のネットワークは高円寺ローカル、東京、日本、インドネシアだけに限定されない。</p>

<p>「フェスや大きなライヴで来日した海外アーティストから、うちのお店ぐらいの狭い場所でファンと近い距離でインティメイト・ライヴ（親密なライヴ）をやりたいという連絡がいっぱい来るようになって。英語が通じるのも大きかったでしょうし、サブカルチャーが根付いた高円寺というネーム・ヴァリューが世界に広がっているのを感じました」（久実）。</p>

<p>これまでに、アメリカのロック・バンド、!!!（Chk Chk Chk）の元メンバーのアラン・ウィルソンがYolo Biafra名義でDJしたほか、UKのジャズ・ファンクのグループ、インコグニートのリード・ギタリスト、フランシスコ・サレス、あるいはフィンランドのシンセ・ポップを奏でるヤーコ・エイノ・カレヴィというアーティストなどがライヴを行っている。ちなみに、ビョークが2022年に発表したアルバム『フォソーラ』への参加で注目を集め、今年9月の来日ツアーも話題となったインドネシアのエレクトロニック・ミュージックのユニット、ガバ・モーダス・オペランディは、アンディの友人でもある。「彼らが急に有名になってびっくりした。すごいね」と笑う。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Gabber Modus Operandi（LIVE）｜HÖR - Jun 20／2023</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/IHmiXQsb_yY?si=pHB-zzCZW-zJZZI6" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「SUB store」のお店の雰囲気は開放的で、久実さんとアンディはとてもフレンドリーで、音楽やアートのジャンルも幅広く、そのネットワークも豊かだ。しかしとうぜん、「何でもあり」というスタンスで営業しているわけではない。そこには理念がある。</p>

<p>「大事にしているのは金儲けだけのためのビジネスはやらないことです。資本主義はやっぱり嫌いだから」と久実さんがきっぱりと言う。「例えば、うちで展示をやる場合は1週間5千円か8千円という安めの値段に設定していますけど、良い作品であることは前提です。たとえば、台湾や中国の友達もいるし、中国と台湾の国同士の対立の問題で友だちが困っていればできる限りのサポートはしたい。自分たちだけ良ければ良いというビジネスはしたくないですね。社会にもちゃんと貢献できるソーシャル・エンタープライズをやっていきたい」。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123144/column231203-substore-16.jpg" alt="SUB store" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-457360" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>アンディが付け加える。「レコードもできるだけ安く売りたい。高くても2千円台、できれば千円か七百円ぐらいで売るのが理想。それでは利益がなかなか生まれないけれど、その方がお客さんも私もレコードもハッピーですよね。物を高く売るより、お店を通してコミュニティを作ることの方が大事です」</p>

<p>ライターやタレントとしても活躍するマシュー・チョジックが高円寺のカルチャーとこの土地のフッド感覚とノスタルジックな魅力を紹介する動画で水先案内人になっているのがアンディだ。また、『バンドやめようぜ! ──あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記』（ele-king books）の著者、イアン・F・マーティンも〈SUB store〉をたまに訪れるという。そのイアンは2019年9月におこなわれた高円寺の再開発反対のサウンド・デモのレポート（<a href="https://www.ele-king.net/columns/007332/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>https://www.ele-king.net/columns/007332/</u></a>）を書き残している。そして、店内には2022年5月の同様のアクションを報じた『THE JAPAN TIMES』の切り抜きが貼られている。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123250/column231203-substore-8.jpg" alt="SUB store" width="1761" height="1174" class="alignnone size-full wp-image-457361" /></div>


<div class="text-box fade-up">
<p><strong>NHK World - Koenji：A Nostalgic Neighborhood.</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/JYQv6n-Y_g8?si=g99GGnTTbdDvuFAP" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" allowfullscreen></iframe></div>
</div>


<div class="text-box left fade-up">
<p>高円寺北口にある庚申通りには、「SUB store」と縁の深い、ポスト・パンクやポスト・ロック、実験音楽や電子音楽、中国のアンダーグラウンドの作品などを置くレコード店〈<a href="https://uptown-records.com/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>UPTOWN RECORDS</u></a>〉がある。2011年にサンフランシスコ出身のサッコ（SACCO）と上海出身のソフィア（Sophia）が上海にオープン、2020年に高円寺に新店舗ができた。当初はふたりで来日して開店する予定だったが、中国がコロナでロックダウン（都市封鎖）したためにソフィアが出国できず、サッコは見知らぬ土地にひとりで来日してお店を始めた。〈UPTOWN RECORDS〉はレコードを売るだけでなく、「SUB store」同様にお酒を提供したりDJのパーティも開いたりするため、コロナでとうぜん営業も打撃を受けた。そこで、不慣れな環境で苦労していたサッコをさまざまな面からフォローしたのが「SUB store」のふたりだった。</p>

<p>「コロナで外に出られないことで私は高円寺の人たちとより仲良くなれた気がしますね。お互い助け合わないといけなかったし、それで仲が深まった感じがします。高円寺はちょっと村っぽいというか、助け合いで成り立っている町だと思う。もちろんいろんな人たちがいますけど、自分たちの周りはそうですね。やりたいことをやっていれば、必ずそれを好きな人とつながっていくし、そこから何かが広がっていく。自分にとってはそういう町です」（久実）</p>

<p>「SUB store」という一風変わったヴェニューは、音楽／文化的に一見マニアックなように見えて、じつは敷居が低く、入りやすい。それは、何をおいても、できるかぎりフォローし合いながら生きていくというごく真っ当な生活者意識がナチュラルに漂っているからだろう。いちど足を踏み入れたら予測不能な展開必至だ。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123351/column231203-substore-1.jpg" alt="SUB store" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-457364" /></div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123327/column231203-substore-6.jpg" alt="SUB store" width="1779" height="1186" class="alignnone size-full wp-image-457362" /></div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2023/12/03123331/column231203-substore-9.jpg" alt="SUB store" width="1761" height="1174" class="alignnone size-full wp-image-457363" /></div>


<div class="text-box right fade-up">
<p>取材・文／<u><a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank">二木信</a></u>
編集・撮影／船津晃一朗</p>
</div>


<div class="profile">
<h3 class="profile-title">INFORMATION</h3>

<p class="name">SUB store</p>
<p class="text">〒 166-0002 東京都杉並区高円寺北3-1-12宮應北ビル2階
OPENING HOURS
WED - SUN from 5PM - 11PM
Monday & Tuesday is Holiday</p>

<a href="https://substore.jimdofree.com/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">HP</a><a href="https://www.instagram.com/substore.tokyo/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">SUB store Instagram</a><a href="https://www.facebook.com/substore.tokyo01" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">SUB store Facebook</a>

</div>


<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">good friends, hard times</a>



<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/baba/431798/</guid>
		<title>ルードボーイ・サイエンティスト──BABA（THINK TANK／BLACK MOB ADDICT）、ロング・インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/baba/431798/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/baba/431798/#respond</comments>
		<pubDate>Mon, 06 Jun 2022 10:00:52 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=431798</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライター・二木信による連載「good friends, hard times」第6回目に登場するのは、THINK TANKや〈BLACK SMOKER RECORDS〉、SKUNK HEADS、DOOOMBOYSでの活躍、DJ／ビートメイカー名義のBLUE BERRYとしても知られ、インディ・レーベル〈BLACK MOB ADDICT〉を主宰するBABA。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1440" height="960" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05222841/interveiw220606-baba-2-1440x960.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="BABA BLUE BERRY" decoding="async" srcset="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05222841/interveiw220606-baba-2-1440x960.jpg 1440w, https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05222841/interveiw220606-baba-2.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1440px) 100vw, 1440px" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<u><a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">good friends, hard times</a></u>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。</p>

<p>第6回目に登場するのは、THINK TANK、〈BLACK SMOKER RECORDS〉、SKUNK HEADS、DOOO
MBOYSでの活躍で知られ、インディ・レーベル〈BLACK MOB ADDICT〉を主宰する<strong>BABA</strong>。</p>
</div>

<div class="separator"></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「彼らルードボーイには、吐き出してしまいたいありとあらゆるフラストレーションがあった。仕事をする・世間とうまくやっていく・学校へいくという責任から生じる自制心は一切ない。ルードボーイにあるのは、ストリート・ヴァイオレンスの規制を塗り替えるような、大胆不敵な荒々しさだった」――レゲエとジャマイカの歴史を多角的かつ情熱的に描いた名著 『ベース・カルチャー　レゲエ～ジャマイカン・ミュージック』（高橋瑞穂訳／シンコーミュージック）のなかで、著者のロイド・ブラッドリーは書いている。</p>

<p>元々1960年代のジャマイカに発生したと言われるルードボーイという現象や定義はとうぜん重層的だ。そこで念のために断っておくと、私は、ルードボーイの不条理な暴力を闇雲に肯定したいわけではない。私の最大の関心は、秩序から逸脱したルードボーイの“大胆不敵な荒々しさ”がいかにして芸術表現を生み出すポジティヴなエネルギーに変換されるのか、またその底なしのエネルギーが生み出す手に負えない芸術にある。別の言い方をすれば、ルードボーイ性を有した“音楽の科学者”に興味があった。だからこそ今回の主役は<strong>BABA</strong>である。</p>

<p>1976年生まれのラッパー、BABAは、ヒップホップ・グループ＝THINK TANKのメンバーとして知られ、現在は〈BLACK MOB ADDICT〉というインディ・レーベルを運営している。そしてそのレーベルから、2004年に発表したソロ・アルバム『NO CREDIT』以来、18年ぶりにソロ名義のラップ・ミュージックを発表する。『Collector’s Edition Vol.1』と名付けられた4曲入りの7インチは──ラガ・ヒップホップという形容は正確ではないかもしれないが──ヒップホップとレゲエの豪胆な融合であることは間違いない。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>BABA a.k.a. "BB"SHOT - Collector’s Edition Vol.1【7inch】</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/xhpYNJGxu_A" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>だが実のところ、7インチのリリースが決まる前にすでにBABAに取材を申し込み、インタヴューをしていた。取材の動機がもうひとつあった。それは、7インチのビートもすべて制作した、BABAのDJ／ビートメイカー名義であるBLUE BERRYが2020年9月から2022年2月の約1年半のあいだに発表した6枚のミックス作品の音楽性が多彩で興味をひかれたからだった。1990年代のヒップホップ・クラシックを用いた音響実験に始まり、アフロビーツ／アフロフュージョン、ゴムに焦点を絞ったもの、クレズマーやジャズからパンキー・レゲエへと展開するサウンドトラック風、またはアブストラクト・ヒップホップやブリストル、イルビエントへと深く潜り込むミックスなど、自身の手札を惜しみなく出していた。</p>

<p>1990年代中盤から本格的にキャリアをスタートしたラッパー／DJ／ビートメイカーが、これまでどのような軌跡をたどり、何を考えて精力的に音楽を続けているのかを訊きたくなるには十分に刺激的だった。THINK TANK、SKUNK HEADS、DOOOMBOYSの話もしてくれたし、NYでの経験や現地のラッパーたちとの交流のエピソードも貴重だ。THINK TANKの他のメンバー同様に謎多き人物であるが、できる限り自らをベールに包んで己の道を歩み続きてきた事実は、誰しもがSNSで性急に自己を晒していく時代に示唆に富むものではないだろうか。そんなBABAが横浜でおおいに語ってくれた。話は少年時代から始まる。</p>
</div>


<h2 class="fade-up">INTERVIEW：BABA
（THINK TANK／BLACK MOB ADDICT）</h2>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05222845/interveiw220606-baba-10.jpg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-431811" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──BABAさんはどんな少年だったんですか？</strong></p>

<p>バスケ少年だったんだけど、中3ぐらいのころに同級生が学校の廊下でスケボーでいきなりジャンプしたのを見て、「それ、ヤベェじゃん」って、俺もすぐにスケボーを始めて。そいつはその技を俺に見せたくてこっそり練習していたんだよな。それからはスケボーで学校に通うようになって、俺もこっそりその技を練習したけれど、簡単にできなかった。高校は1年で辞めた。すげぇ頭に来ることがあって、教室と職員室をブワ～ッ！　とめちゃくちゃにして「もう辞めたるわ！！」って学校を飛び出した。それからは町でずっとスケボーをしていた。大会に出るぐらいのめり込んでいたよ。</p>

<p><strong>──BABAさんが中3か高1の頃は、1992年ぐらいですよね。音楽はどうでしたか？</strong></p>

<p>当時は、日本で音楽って言ったらヴィジュアル系のバンドが大流行の時代だよ。俺はそのヴィジュアル系が音楽もファッションも気に入らなくて仕方なかったわけ。若かったし、音楽についても見た目で判断していたから。そんな俺に、ある日、スケボーの仲間が『ジュース』（1992）のVHSを持ってきたんだ。あの映画には食らった。Qが手袋してスクラッチするシーンがヤベェじゃん。あれでスクラッチを初めて知ったし、「タンテ（ターンテーブル）って何？　レコードって何？」ってすげえ興味がわいて。その後、『ワイルド・スタイル』（1983）や、アイス・Tが出ていた『ニュー・ジャック・シティ』（1991）とか、そういう映画をいろいろ観たけれど、俺にとって『ジュース』を超える映画はなかった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>DJ Q（Juice）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/-cw90OkeI0I" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──あの映画には自分もかなり影響を受けました。それですぐにDJを始めると。</strong></p>

<p>いや、まず情報がないからさ。先輩の家にもタンテがあったんだけど、アームが自動式のものだったから、「ちげえなあ」と。映画で使われていたTechnicsじゃなかった。でも、あるとき地元近くの大和にあった「ドルフィン」っていう古着屋さんに行ったら、Technicsのターンテーブルがあったんだよ。「『ジュース』で観たやつといっしょじゃねえか！」って興奮したね。それで、そこの店主のアンザイさんにDJミキサーやタンテをはじめ、いろんなことを教えてもらって自分でも勉強した。だから、アンザイさんは俺の先生。DJを始めるといろいろわかってくるじゃん。『ジュース』のDJのシーンの音と手の動きが実は一致していないとか。そんな感じでスケーターだった俺はギンギンのバトルDJになった。</p>

<p><strong>──ちなみに高校を辞めてからはどんな生活を？</strong></p>

<p>19歳ぐらいのころに、金もぜんぜんねえのにNYに無理やり3ヵ月ぐらい滞在した経験はデカかった。ツレが家出同然でNYに行くというから俺も追っかけたんだけど、あまりに金がねえからタンテ2台とDJミキサーも売って旅費にしたぐらいだから。飛行機に乗るのもNYに行くのもそれが初めてでいろいろ大変だった。直行便に乗るとチケットの値段が高いからソウル経由で行ったんだけど、ソウルの空港で3、4時間も待たされてわけがわからなくて怖くてひたすら空港の同じ場所で待ったり、NYに着けば着いたで水を頼んだつもりが値段の高い謎のビールを押し売りされて仕方なく飲む羽目になったり。ビール一杯で心臓ドクドクしちゃってさ。</p>

<p><strong>──それでも無事にNYにはたどり着けたと。</strong></p>

<p>向こうで顔がボコボコのヤツが近づいてきて時計を売りつけられそうにもなった。怖いじゃん、そんなの。なんで顔がボコボコなのかって言うと、時計を盗んで失敗したときに店のヤツにぶん殴られているから。だから、そのときは盗むのに成功した時計を持っていたということ。そういういろんな洗礼を受けたのは忘れもしねえ。そうした洗礼を受けて自力で飯を食うための方法をいろいろ学んだ。「こういうやり方をすれば飯を食えるのか」っていうのをNYのストリートで教えられたね。でも最初は、俺らは若くて怖いものなしだったから、NYに行って「『ジュース』しちゃおうぜ！」ぐらいのノリと感覚だった。町で遊んだり、タギングしたりしてやろうと。俺が初めてNYに行ったときはフュージーズ（The Fugees）がセカンド『The Score』（1996年2月13日）を出した直後の全盛期で、フュージーズのライヴはすごかった。バウンティ・キラー（Bounty Killer）がゲストで登場した時点で木造のクラブの建物がミシミシってきしみ出して、これ、スタジアムの床が抜ける衝撃映像みたいな大惨事に巻き込まれるじゃんってめちゃくちゃ怖かったし、いきなり「吸うか？」ってジョイントは回ってくるし、NYのヤツらの感情の高ぶりは桁が違った。</p>

<p><strong>──若いころにそういう強烈な体験をしたというのがやはりデカかったんですね。</strong></p>

<p>NYはその後も服の買い付けとかで行くようになるけど、いろいろあった。マイク・ジェロニモ（Mic Geronimo）のライヴを観たときなんて場がとんでもない大混乱になってさ。人があまりにパンパンに入り過ぎてみんなが騒ぐもんだからレコードの針が飛んじゃうの。それに対してブーイングした客に向かってマイク・ジェロニモがアカペラでフリースタイルし始めたんだけど、その矢先にステージ袖からキャッシュ・マネー・クリック（CASH MONEY CLICK）のヤツらがバーッと出てきて、客の顔面をバッコ～ン！　って蹴り上げたわけよ。それでもう一瞬にして大乱闘でオマワリが来てライヴが中止になっちゃった。そのとき俺と相棒はでっかいスピーカーの上に乗ってライヴを観ていて、クラブがハチャメチャなことになっているからすぐには下に降りられなくて。</p>

<p><strong>──それはヤバい……。</strong></p>

<p>それでだいぶ人が捌けてから下に降りると、そのときDJをしていたトニー・タッチ（Tony Touch）がいて。当時、ヤツは日本が好きだったから、「お前ら日本人だろ！」って声をかけてきて、「この俺のプロモ盤を聴け！」って新曲をその場でかけてくれた。</p>

<p>しかもそのマイク・ジェロニモのライヴの帰りに、今度は地下鉄でキャミロ（DJ Camilo）と会って。1994、1995年ぐらいにミックステープがめちゃ売れていたヒップホップのDJ。なんで話したのかは忘れたけど、「俺、キャミロだよ」って言われて、「マジかよ！？」と。で、そのときに、キャミロはレコーダーを持っていて、俺らに「日本語で話してくれよ」って言うの。何か吹き込んだからそこからさらにキャミロのミックスを追って聴いたけど、一切使われてなかったな（笑）。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Webisode 16 TONY TOUCH + MIC GERANIMO JAPAN 1996</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/Wf6EwIA85wQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──ははは。</strong></p>

<p>俺が日本で売るためにゲットするテープの他に、NYで手に入れた人に知られたくないテープとかもあって、キャミロのテープはそういう価値を感じるものだった。それと道を歩いているとナズ（NAS）を見かけたこともあった。すぐに「Are You NAS？」って話しかけたよ。すると、「YES！」って言うんだけど、向こうも「俺のこと知ってんのかよ？」っていう驚きの表情をしていた。知っているも何も、「『イルマティック』だろ。超カッケーよ！」って伝えると、向こうも「マジかよ！？」って感じで。そのときに俺の友達が8、9万円ぐらいするティンバランドのスウェードの革ジャンに、「『イルマティック』って書いてくれないか？」と頼むと、「こんな高い服に書いていいのかよ？」って言いながら、でかでかと「NAS」って書いてくれたな。『イルマティック』じゃねえのかと（笑）。</p>

<p><strong>──なははは。</strong></p>

<p>だから、1990年代のそれぐらいの時期は、アメリカのヤツらよりも日本人の一部のヒップホップ好きの方がNYのアンダーグラウンドのラッパーの良さに気づくのが早かった。それで2、3日いると、毎日会うようになって顔見知りにもなるわけ。当時の日本のヒップホップのヤツらとNYのヤツらはそういう距離感でもあった。俺はブランド・ヌビアン（BRAND NUBIAN）が大好きだったから、サダト・Ｘ（SADAT X）に会おうとしたら会えたし、ブルックリンに買い付けに行けば、ショーン・P（Sean P）も普通にいる。そういう感じだった。</p>

<p><strong>──90年代の日本のヒップホップ・メディアの東海岸ヒップホップへの傾倒の背景とそういう関係性は無縁ではないように思えますね。</strong></p>

<p>話を戻すと、最初のNYから帰国してもとうぜん金はぜんぜんなかった。そんな状態で空港から千葉の友達の家に直行すると、そいつがあるラジオ番組でDJバトルの大会が開催されて、しかも優勝すると賞金10万円とDJミキサーがもらえると教えてくれた。「これは絶対行ける気がする！　俺、やるわ！」ってすぐに出場を決めた。たしか千葉パルコにあるスタジオに行ったと思う。しかも生放送。持ち時間はひとり5分か10分で、みんな時間内に終わらせていたけど、俺はわざと終わらせなかった。最初はPAさんが「もう終わりだよ」と窓を叩いて伝えてきたけど、それも無視してコスりまくっていたら急に音を止められて。そんなんだから優勝はできなかったけどね。</p>

<p><strong>──さきほど「自力で飯を食うための方法」をNYで学んだと話されていましたけど、それはどういうことですか？</strong></p>

<p>NYで買ってきたミックステープやラッパーのブートのテープをダビングして路上で売れば稼げるぞ、これで食っていけると思った。それで、NHKの前の代々木公園の並木道に月曜だか水曜に、“ジュニア待ち”の女の子がすげえ並ぶからまずはこの子たちに売ろうと考えた。そのころヨーヨーが流行っていたから、「この最新のヨーヨーやってみない？」って女の子を捕まえて興味を示したら、「このテープも買わない？　2本買ったら1本オマケで付けるよ」と。まずは誰であれ止めなきゃ買ってくんねえじゃん。そこまでしてもシカトするヤツもいるし、それが屈辱でね。でも、売らねえと帰るためのバス代がない。だから、食うために必死だった。それと当時は渋谷のBボーイやヘッズを道端で捕まえてレコードやカセット、MTVを録画したヴィデオテープとかも売っていた。道で何でも売れた時代だった。</p>

<p><strong>──そういう商売が成立した時代だったんですね。</strong></p>

<p>でもすげえ嫌われていたと思う。だって、渋谷のレコ屋で売っているアメリカのDJのミックステープのカセットを買って市販のテープにダビングして道端で売ったりもしていたから。レコ屋のテープはジャケが白で、俺はビッグカメラとかで買ったジャケに線の入ったテープだったけど、向こうは1000円でこっちは800円だから売れるわけ。いまだったら超怒られるよね。しかも、それを宇田川のレコ屋が密集するCISCOの坂の階段で売っていたから。最初は明治通りの道端に布をひいて、折り畳みのテーブルを出して、ラジカセを鳴らして商売していたけど、明らかに怪しい不良のヤツにオラつかれて。俺の周りをウロウロして何かを壊しそうな雰囲気を出してきてさ。あとで人に聞いたら、やっぱりその場所のそっち系の人だったから、場所を宇田川町に移した。いまはわからないけど、当時はCISCOの坂の階段のあたりは私有地で、しかもそこの地主の女の人がめちゃ優しくて、「私の土地だから何やっても大丈夫。ゴミだけは捨てて行かないでね」って言ってくれて、「マ～ジっすか！　めっちゃキレイにして帰りますよ！」と。その他の道端でもやっていたよ。横浜のビブレ、町田のパルコ、元町なんかでもやった。いまみたいになんでも無料じゃないから、いろんなところで商売が成り立っていたけど、CDのDJミックスが出始めてからおかしくなって変わったね。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05225039/interveiw220606-baba-6.jpg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-431815" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──その一方で、先ほどもNYでの買い付けの話が出ましたけど、BABAさんは「CLIP13」と「GROPE IN THE DARK」（1996年OPEN）で働いていたんですよね（※「CLIP13」と「GROPE IN THE DARK」は共に渋谷に店舗を構えていたセレクト・ショップ）。</strong></p>

<p>そう。CLIP13の前身のお店「CAL」はもともと平塚にあって、まだヒップホップの店がほとんどないころだから目立った。1994年に渋谷に移転して名前が「CLIP13」となってから俺もそこで働くようになって、店主のCALさんにNYの買い付けに連れて行ってもらったり、東京のクラブにもいっしょに遊び行ってもらったりしていた。俺のラッパーとしてのキャリアもそこからスタートしている。CALさんに声をかけられて、『THE BEST OF JAPANESE HIPHOP VOL.3』（1995）ってコンピに収録されたCALさんのグループ、MICROTACSの曲でラップしているから。曲名は、“暗黒 HIP HOP 国家”。すげえタイトルだな（笑）。</p>

<p><strong>──すごいですね（笑）。</strong></p>

<p>そうやってラップしたり、遊んだりするなかで、K（K-BOMB）やJUBEくん、NAOちゃん（現・NOX）とも出会って、THINK TANKにつながっていく。NAOちゃんはたしか俺のあとに、「CLIP13」で働いていたね。</p>

<p><strong>──JUBEさんとの出会いはおぼえていますか？</strong></p>

<p>おぼえてるね。Shot Shell Clickは当時メンバーが大勢いて、町田の「FLAVA」でもパーティをやっていた。そこにYOU THE ROCK☆やTwiGyを呼ぶと、タバコの火も付かないほど人がパンパンに入って。それぐらいの勢いがあったから、たしかNaked ArtzのMILIが都内の人間とつながって俺らも都内に行くようになったんだと思う。それで下北沢の「SLITS」に行ったんだけど、当時の俺は若かったのもあるし、常に戦闘モードの態度だったから知らない人から話しかけられることがまったくなくてさ。いま思えばそんなヤツに誰も話しかけないよな。だけど、そんな俺にやたら話しかけてくる、身長のデカい変なヤツがいた。それがJUBEだった。これを載せたらJUBEくんは怒るかもしれないけれど、第一印象はピタピタのジャージにパンタロンを穿いていたから「なんだ、こいつは？」って感じだった（笑）。でも、すげえ話しかけてくるし、面白いからすぐ仲良くなった。</p>

<p><strong>──JUBEさんのその第一印象、なんとなく想像できますね。</strong></p>

<p>で、「SLITS」から新宿の「OTO」にハシゴしたり、それから甲州街道沿いにあった、〈FLOWER RECORD〉っていうレーベルの人らがやっていたクラブに行ったり。金はねえけど、クラブにはなんとか入れたからとにかく毎日ぐらいの勢いで遊んでいて、行くとDJブースにたいていマイクが置いてあった。DJも「ウザくならない感じでパーティを盛り上げてよ」というノリでインストを流す。だから、「SLITS」でもJUBEくんとマイクを持ったと思うし、そういうサイドMCで鍛えられた。でもハシゴして常にマイクを掴んでライヴしなきゃいけなかったから、朝方とかつらかったよ。だからマイクジャックと言ってもワルノリで喧嘩になっちゃうようなものではなかった。「気分はU・ロイ」みたいな感じ。ラバダブだよね。サイドMCをやっているとDJのプレイの展開も読めるようになるし、どんどん上手くなっていくのが楽しかった。スケボーに近いものがあったね。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05225317/interveiw220606-baba-9.jpg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-431816" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──1996年のNaked Artz“Skip 2 The Roots”の12インチのB面の“Shot Shell”という曲にBABAさん、NAOさん、JUBEさんが参加しています。さらに、1997年にはDJ SAS さんらが立ち上げた〈Undaprop Wreckordz〉の第一弾としてJUBE + BABA名義の“独毒”の12インチが出ています。この時点でラップのスタイルは確立されています。翌1998年には、NAOさんとのStill Nap（Shot Shell Click所属）名義の“火に油”の12インチが出ています。最初、JUBEさんのラップの印象はどうでしたか？</p>

<p>すげえ韻を踏む上手いラッパーでクールだなって感じた。一方の俺はレゲエも好きだったからフロウを付けてそこにスキルも混ぜたくて、そういうスタイルでやっていた。“独毒”のアナログのB面の、カポーン＆ノリエガ（Capone-N-Noreaga）の“THUG PARADICE”と同じネタ（“RHYTHM HERITAGE"THEME FROM S.W.A.T."”）を2枚使いしているリミックスのガヤにKも参加している。“独毒”はひとりが立つとパンパンぐらいの超狭い録音ブースに3人いっしょに入って録音したな。</p>

<p><strong>──そうした複数の曲を経て、THINK TANKにつながっていくんですよね。</strong></p>

<p>THINK TANKのきっかけはKだね。1996年にバスタ・ライムス（Busta Rhymes）が「YELLOW」でライヴをすることがあった。もう時効だからいいだろうけど、別のライヴで来日していたバスタをダマで呼んでシークレットでライヴをやっていた。で、その企画に関わっていた人らに、バスタのライヴの前座にShot Shell Clickのメンバーだった俺ら（BABA、JUBE、YAZI、NOX）を出してやると。「バスタに会えるのか！？　もちろんやるよ！」ってなるじゃん。</p>

<p><strong>──2017年にRed Bull Japanのサイトにも掲載された「<u><a href="https://daily.redbullmusicacademy.com/2017/05/black-smoker-records" rel="noopener noreferrer" target="_blank">黒煙の世界へようこそ　今年活動20周年を迎えた、東京の最狂集団BLACK SMOKERに迫る（The Unorthodox Output of Black Smoker ／ Celebrating 20 years of one of Tokyo’s most indispensable and cutting-edge collectives By Yuko Asanuma on May 17, 2017）</a></u>」という記事に拠れば、オーガナイズド・コンフュージョン（Organized Konfusion）、ビッグ・L（Big L）、ショウビズ ＆ AG（Show Biz & AG）などの来日公演の前座も務めたそうですね。</strong></p>

<p>当時の「YELLOW」はステージ裏が楽屋になっていたから、そこでバスタのライヴの熱気を感じていた。そんなとき、Kに「THINK TANKっていうのをいっしょにやらねえか？」と言われたのをおぼえているな。それからKが「GROPE」にもちょくちょく来るようになって。俺はShot Shell Clickの一員だったけど、音楽的に違う方向性を目指したくなり始めていたからKの誘いに乗って、俺、K、JUBEくん、NAOちゃんで“四望”という曲を作ってアナログをリリースしたのがTHINK TANK名義の最初だね。</p>

<p><strong>──1997年ですね。やはりこの曲からもレゲエが強く感じられますね。</strong></p>

<p>そうだね。MINIDONっていう面白い男がその曲にフィーチャリングで参加して、「俺らに何をやっても敵わな～い　な～い　なななな～い♪」っていう歌詞をあのフロウ歌っているしね。あれ、スタジオでその場で思いついて録音していた。MINIDONとはいっしょに何回かライヴもやった。あの曲をRECするために何回かスタジオに一緒に入ったし、何より忘れもできねえ出来事がある。そのころいろいろ忙しくて寝ないで東京のスタジオでレコーディングして車で第三京浜から帰っていたから、保土ヶ谷の料金所が近づくと、「やっと着いたわあ」っていう感じでさ。それで財布を取ろうとしたときに一瞬油断したんだろうね。ド～ン！　と前の2トン・トラックに突っ込んじゃって、車がぐちゃぐちゃになっちゃった。向こうは2トンだから、運転手の人も「兄ちゃん大丈夫？　こっちはこれぐらいだったらいいよ」って感じで。俺、そのとき衝突の衝撃で運転席からぶっ飛んでフロントガラスを頭で割ったからね（笑）。人ってけっこう飛ぶんだなあって思ったよ。そんな状態で何とか運転して家まで帰ったなんてこともあった。そんなときに作ったのが“四望”だった。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05232452/interveiw220606-baba-8.jpg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-431819" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──公式のHPに掲載されていたグループの結成日である1997年7月7日は、DEV LARGE（＝D.L）さんがオーガナイザーを務めたとされる＜JACK THE RAPPER＞というイベントの日ですね。場所は「六本木ヴェルファーレ」でSHAKKAZOMBIEやSOUL SCREAMらがメイン・アクトとして出演していました。</strong></p>

<p>それが、俺、K、JUBEくん、NAOちゃん、YAZIの5人のTHINK TANKのオリジナル・メンバーのはじめてのライヴ。このイベントに合わせて“四望”を作った気がするし、それ以外はそれぞれの曲を組み合わせてライヴをした。ちょっとショーっぽくやろうぜっていうことで、全員軍パンを穿いてファッションも揃えて同じ振りもした。たしか映像が残っているよ（笑）。俺らはザコみたいな扱いだったけど、それでばっちり盛り上げた。実際本当に反応が良くて、それ以降「ヴェルファーレ」はタダで入れてくれるようになったから。でも、それで嫌われもしたよね。だって、主役の人らの前に出て全力で盛り上げに行くわけだから。そう、そのときにILLMARIACHI としてライヴしに来ていたTOKONA-Xとも会って話した。「お互い嫌われてるね」って。それ以前にもTOKONAとは面識はあったから。</p>

<p><strong>──その後、2001年にTHINK TANKとして『Think Talk Pt.3』という8曲入りのEPをリリースします。特に10分近くある“Think Talk Pt.3-Legalize It RMX-”は既存のヒップホップの枠におさまらないもので、その後の〈BLACK SMOKER〉やTHINK TANKの実験的な方向性の始まりだと思うのですが、なぜああいう楽曲を作ることになったんですか？</strong></p>

<p>溜まり場になっていたYAZIの家が大きかった。6畳と2畳ぐらいの狭い部屋だったけど、下が蕎麦屋だったから音をいくら出してもいい環境で、そこにK、JUBEくん、NAOちゃん、俺、YAZI、そしてYAZIの膨大なレコードでしょ。みんな体がでけえからもうパンパン。そんな部屋で各自がヘッドフォンを付けて目の前に置いたマイクに向かって話すと、自分の声がいつもと違って聴こえるから、ケラケラ笑いながらぶっ飛んだり、勝手に人に電話したり切ったりして遊んでいた。そしたら、YAZIがその会話を黙って録音していて、俺らに聴かせてきた。「これはおもしれえじゃん」ってなるよね。それにエフェクトをかけたり、ビートを乗せたりしたのが、あの曲の原型になった。</p>

<p><strong>──そういうことだったんですか。すでにプロデュースのクレジットにCuatro Cienagasとあります。K-BOMBさんとの初期の交流はどんな感じでしたか？</strong></p>

<p>Kは当時めちゃめちゃ変わったヤツだった。本当に酷いもんで、人がライヴしていようが、フリースタイルしていようが、マイクをマイクケーブルからスポッと抜くんだ。「またやりやがった」って（笑）。迷惑野郎だよね。それぐらい変わったヤツだった。一方で俺も若くて常に戦闘モードだったから衝突もするよ。あるとき、麻布にあったお高い感じのクラブに遊びに行くと、KがDJブースの上でフリースタイルしていて。しかも、そこで俺の文句を言って勝手にフリースタイルを終わらせたの。それはこっちも「てめえ！　ゼッテーぶっ飛ばす！」ってなるじゃん。いま考えると、若いころのすぐ手を出すモードは危ない。そこにNAOちゃんがいて「待てよ」と止めてくれたけど、Kと大喧嘩になって「もうお前とはいっしょにやらねえから」ってなった。理由は些細なことだよ。Kは東京の人間で、当時の東京は余所者に対してガッと来る風潮があった。俺は横浜でいっしょにいるヤツらも厚木とか平塚とか海の方から東京に遊びに行っていたから。そういうのもわかるけど、こっちだって遊び行って文句言われたら気分は良くないよね。</p>

<p><strong>──THINK TANKのメンバーは当初はライバル関係だったり、仲が悪かったときもある、という話はこれまでのインタヴューでも語られてきましたが、そういう出来事もあったんですね。</strong></p>

<p>で、そういうKと溝ができている時期に俺はJUBEくんやNAOちゃんと曲を作っていたけど、また別に、走っている派手なビートでも曲が作りたかった。そこでYAZIと一緒に作っている曲があって、「超いい曲ができた！」っていう感触があった。大喧嘩したとはいえ、俺らのたまり場はYAZIの家に変わりはないから、Kも出入りする。だから、YAZIに「絶対、他のヤツには聴かせるなよ」と念を押したんだけど、Kがそれをたまたま聴いたのかもしれない。それであいつも「いい曲じゃねえか」ってなったんだろうな。さらにそのタイミングで、当時〈アルファ・エンタープライズ〉にいた茂呂（尚浩）さん（A&R）がスタジオ代を出してくれるという話になって、本格的な録音ができるようになった。そうして最初に録音したのが“Eat One”（『Think Talk Pt.3』収録）だった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>DJ BAKU</strong>『<strong>BLACK RECORDER BOX</strong>』</p>
<iframe style="border: 0; width: 350px; height: 470px;" src="https://bandcamp.com/EmbeddedPlayer/album=2764818937/size=large/bgcol=ffffff/linkcol=0687f5/tracklist=false/transparent=true/" seamless><a href="https://blacksmokerrecords.bandcamp.com/album/black-recorder-box">BLACK RECORDER BOX by DJ BAKU</a></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──めっちゃいい話な上に重要なエピソードですね。さらに2002年のフル・アルバム『BLACK SMOKER』も〈アルファ・エンタープライズ〉の協力を得ていますね。</strong></p>

<p>『BLACK SMOKER』を作ったときは、1年近く本当に毎日スタジオに入っていたけど、予算のことなんてたいして考えていなかった。だけど、あとから聞いたら実はスタジオ代に毎日10万円ぐらいかかっていたらしい。そこのスタジオの海鮮丼の弁当がまた激ウマでそれだけ食いにスタジオに行ったりしていたから。それはもう茂呂さんのおかげ。それで、あのアルバムを作ることができた。でもあのアルバムが評価されたのは、2、3年ぐらい経ってからだった気がする。</p>

<p><strong>──あと、やはりYAZIさんの存在がTHINK TANKのサウンドにとってひとつの要でもある、ということですね。</strong></p>

<p>THINK TANKの曲は次から次にネタやブレイクが変わるから、ライヴのDJをやるYAZIは大変だったと思う。レコードを次々に替えなくちゃいけないから、酷いときはレコードを3枚も重ねていたもん。そのアナログは4小節しか使わないからすぐ変えろ、そこからこっちのレコードを2枚使いしろとか俺らから指示出されてエディット的なライヴをアナログでやっていた。「一体どうやってんの？」っていろんなDJがYAZIの手元を見に来ていた。CDJやパソコンでできる時代じゃないから。データになれば自由度は増すよ。でもレコードの音はいいし、レコードでやる面白さがあった。</p>

<p><strong>──『BLACK SMOKER』と同じ年にBABAさんは自身のDJ／ビートメイカー名義のBLUE BERRYとして初のミックステープ『Overdoze』（2011年にリマスタリングを施しCDで再発）を出します。</strong></p>

<p>あのミックスを作るのは超大変だったよ。そのころは実家に住んでいて家が線路脇でうるさ過ぎてまともに音楽が聴けなかったから。マスターはコンポでMDに録音しているんだけど、片耳はコンポにヘッドフォンを差して中から聴いて、もう片耳で外の音を聴いてミックスして作った。あの最初のオレンジ色のミックステープ『Overdoze』は4000本ぐらい売れたね。</p>

<p><strong>──そんなに売れたんですね。BABAさんはDJもやりますし、ライヴでも大きなミキサー卓を持ち込んでみずからエフェクトをかけてダブをしていたときもありました。</strong></p>

<p>俺、実はすげえ器用なんだよ。だから、〈BLACK SMOKER〉のFlash PlayerのHPも俺が作っていたしね。</p>

<p><strong>──それは知らなかったです……。あのページがFlash Playerのサポートが終了して見られなくなってしまったのが残念過ぎます。</strong></p>

<p>あのページを作る前からデザインでもオリジナリティを出したかったから、WINDOWSを買って超勉強していじりまくっていたし、Illustratorにもハマっていたけど、HPを作るのは初めてで手探りだった。いまみたいにフォーマットが決まっていないから一から勉強して作らなきゃいけなかった。超頑張ったよ。1ページずつ戻したいけど、一気に戻っちまうのはどうすればいいんだとか、これを動かせるのかとか、声もつけられるっぽいなとか、できたものをいざネットにアップするにはどうしたらいいんだよとか、そういう時代だから。あのページのデザインは軍艦島をベースにして、しかも骸骨が動いてサイトに入って行くようになっていたでしょ。HPを見るヤツが簡単に入れないように軍艦島のマンションの一室を一瞬だけ光らせて、そこを見つけないと入れないようにしたし、プロフィールの目がパチパチするのも俺が書いた。ファミコンのゲームを作る感覚だよね。Kのコラージュや絵はそのころからすげえ上手くてカッコ良かったから、Kに描いてもらったバッズくんを使ったり、しゃべってもらったのを録音したり、いろいろ工夫したよ。練馬の俺の家がたまり場になっていた時期に複合機なんかも買って自分たちの手で何でも作るようになっていった。Kは＜EL NINO＞（〈BLACKSMOKER〉が主催するイベント）のフライヤーとかも作っていたしね。</p>

<p><strong>──これまでの話を聞いていると、ヒップホップという芸術や文化への向き合い方の一貫性が伝わってきて、BABAさんのファースト・ソロ・アルバム『NO CREDIT』（2004）がレゲエ、ジャズ、ラップ、サウンド・コラージュが混然一体となった実験的な作品になったことがより理解できる気がします。</strong></p>

<p>いまよりも時間があったし、音に関してはMPC2000でサンプリングにはかなりこだわって作った一枚だよ。いまもたまにあのアルバムを曲の順番を変えて聴き直すんだけど、いまだに発見がある。あのころはレコードをめちゃめちゃ買っていたし、特に下北沢の「Disc Shop Zero」にはかなり通った。</p>
</div>


<div class="text-box fade-up">
<p><strong>BABA</strong>『<strong>NO CREDIT</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/1LsiQvRWx4BE8mfDrnRvFG?utm_source=generator&theme=0" width="100%" height="380" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><p><strong>──おお、そうだったんですか！！</strong></p>

<p><u><a href="http://www.ele-king.net/news/rip/007420/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">飯島さん</a></u>の存在は大きい。寡黙だからか、最初は冷たい感じの印象を受けて実際あんまり会話をしたこともなかったけど、行くと俺のことをおぼえていてくれて、旧譜だけじゃなく、たまに新品の封まで空けて「これいいよ」って聴かせてくれた。そうやって出してくれた音楽が、俺がまさに探していた音だったことがよくあった。俺が試聴するレコードから俺が好きなものを飯島さんはわかっていたんだろうね。だから、「Zero」の記憶はすごく残っているし、虜になった。一時期、俺の買うレコードの8割ぐらいは「Zero」だったし、『DUB ZOMBIE』（ミックスCD／2008）もあそこで買ったレコードをけっこう使って作った。「Zero」を通してオーディオ・アクティブを初めて知って、「日本にもこういう音楽をやる人らがいるんだな」と思ったし。</p>

<p><strong>──そして2010年には、まさにBABAさん流のダブのバンド、SKUNK HEADSのファースト『ANTI HERO』を出しています。</strong></p>

<p>KとJUBEくんでTHE LEFTYをやり始めた時期に、俺はSKNUK HEADSを始めた。THE LEFTYが始まって、「何？　俺は除いて2人でやるのかよ」とは正直思ったけど、だったら俺も普通のヒップホップをやってもしょうがねえから、ヤバいヤツらを招集して攻撃的なダブをやってやるよって。そういう気持ちだった。SKUNK HEADSを始める前に、ひとつひとつのパラ・データにエフェクトをかけられるデカいミキサーをライヴに持ち込んでひとりでダブ・ミキシングをしていたけど、曲によってヴォリュームなんて違うから設定が大変だし、たまに飲み過ぎた状態でライヴをやるとバランスを間違っていじって音が出てねえとかもあったし、ビールをこぼして機材をぶっ壊したときもあるし、それでバンドでやりたいと考えたのもある。ただそこでありきたりなダブじゃなくて、UKのダブにつながるような、俺なりの攻撃的なダブをやりたかった。俺の他にギターとドラムがいて、最初はダブ専門のヤツがリバーブをかけながらディレイをシュワーッとかけてくれてもいた。スタジオに集まってライヴをして作品のリリースまで行ったあとに、『EAR TO THE GROUND TOKYO』という海外のコンピにもそのアルバムの1曲を提供したことがあった。</p>
</div>


<div class="text-box fade-up">
<p><strong>SKUNK HEADS</strong>『<strong>ANTI HERO</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/3M830xVA36dXRO3PBhryht?utm_source=generator&theme=0" width="100%" height="380" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture"></iframe>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>SKUNK HEADS</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/UOZWvrOKqi8" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──〈BLACK SMOKER〉、JUBEさんやK-BOMBさんもそれぞれ既存のヒップホップの枠におさまらないベクトルに進んでいくわけですが、BABAさんも、そのふたりやNOXさん、いまはテクノのDJをしているYAZIさんと同様に独自の道を進んで来ています。SKNUK HEADSのあとには、ドラマーのMUROCHINさんとDOOOMBOYSを始めています。</strong></p>

<p>それは、2010年にDJ BAKU HYBRID DHARMA BAND（DJ BAKU、YOUHEI、BABA、MUROCHIN、JIN、KAORU）に誘われたのがきっかけだね。その年にバンドでアルバム（『D.E.F』）を出して、〈KAIKOO POP WAVE〉をはじめ全国をライヴして回ってスタジオにもけっこう頻繁に入った。そこで俺が歌ってエフェクトもやって、BAKUちゃんがコスって、MUROCHINさんが叩く。それで気が合ってさ。SKUNK HEADSの活動がいちどタンマになったのもあって、MUROCHINさんと「サシでやらねえか」という話になった。ドラムと打ち込みのふたりは見た目も様になってカッコいいじゃん。それもあったし、俺はMUROCHINさんのシンバルのシャンシャン叩いてくる感じが気に入ったのよ。かっこいいなって。</p>

<p><strong>──MUROCHINさんとやるようになって音楽への意識で何か変わったことはありますか？</strong></p>

<p>俺はベースラインだったり、全体の雰囲気から掴んだりしていたけど、MUROCHINさんはドラム・パターンから聴く。その音楽の聴き方を知ると、同じ音楽もまた違って聴こえてきた。それが面白かったね。DOOOMBOYSは、2011年に秋田に3日間ライヴしに行ったのがはじまり。俺はベースの単音とBPMも勝手な感じのワンショットのループを持って行った。ベース・アンプも繋いでローを出していたから、役割はベースとヴォーカルだね。そういうライヴを録音していったら予想以上に良くて。だけど、そのインプロのやり方は手元が超忙しいわけ。しかもラップもする。すると、どれかは絶対忘れる。だからちゃんと曲を作ろうと。で、曲をやるならばチーム名を考えようぜと。そしたら、朝の5時半か6時ぐらいにいきなりMUROCHINさんから「DOOOMBOYSはどう？」って連絡があって決まった。そのころはノイジーなドラムにハマっていた時期で、2013年のデス・グリップス（DEATH GRIPS）の初来日にも行ったよ。ライヴで曲をどうやって繋いでいくのかを参考にするために行ったけど、遊び過ぎて最後の10分ぐらいしか観られなくて何の参考にもならなかった（笑）。でも、デス・グリップス、BO NINGENのヴォーカルがやっているDEVIL MAN、オーディオ・アクティブ、そしてDOOOMBOYSでイベントなんかやったらゼッテーおもしれえじゃんと。そんなアイディアを思いつくようになった時期でもある。</p>

<p><strong>──DOOOMBOYSには『ALPHA & OMEGA』（2018）という2枚組のセカンド・アルバムがありますけど、ここに元ゆらゆら帝国のベーシストの亀川千代さんが参加しているのが驚きでした。</strong></p>

<p>MUROCHINさんの顔の広さって言ったらすごいからね。それに俺とMUROCHINさんは常にベースは求めていた。俺のMPCのベースに、もっと動きのある生のベースが欲しかった。それで亀さんとライヴをやることになったけど、俺はゆらゆら帝国をあまり聴いたことがなかったから、亀さんのベースも知らなくて。ともかくそれで、俺、MUROCHIN、亀さんの3人でやることになった。場所はどこだっけな？　バンド界隈の聖地と言われているようなライヴハウスだったよ（※二木注　2017年、「U.F.O.CLUB」にて行われた〈発狂天国vol.75〉）。そこで、ノイズの世界のすごい人ら（※二木注　INCAPACITANTSのこと。その他の出演はオシリペンペンズ、GROUNDCOVER、DJ発狂チカ）と対バンした。ノイズの人って硬いイメージがあるでしょ。でも、彼らはぜんぜんそんなことがなくて、楽屋でもフレンドリーでやりやすかった。とにかく亀さんはヤベーよ。というか、インプロの世界の人はヤバい。「せーの！」で始めて、「もうライヴが終わっていますよ」となっても弾き続ける。それで、DOOOMBOYSの『ALPHA & OMEGA』でも亀さんにベースを弾いてもらった。しかも、数曲での参加だったけど、録音時間は3時間以上だったからね（<u><a href="http://ghz.tokyo/babadooomboys_alpha-omega/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">BABAによる『ALPHA & OMEGA』の曲解説</a></u>）。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>DOOOMBOYS</strong>『<strong>ALPHA & OMEGA</strong>』</p>
<iframe style="border-radius:12px" src="https://open.spotify.com/embed/album/1KYPI5BJm7J5tebSXn3xL5?utm_source=generator&theme=0" width="100%" height="380" frameBorder="0" allowfullscreen="" allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture"></iframe>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>DOOOMBOYS feat 亀川千代 LIVE @ UFO CLUB 2017:11:26</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/QnKElIdUgEk" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そんなに弾かれたんですね。それをBUNさん（FUMITAKE TAMURA）がリミックスしたのが2枚目ですね。</strong></p>

<p>貯めていたDOOOMBOYSのライヴのギャラをすべてぶっこんでレコーディングした。それで音は集まってきて、最初はミックスも自分でやっていたけどめちゃくちゃ大変で。甘く見ていたね。それで、BUNくんに頼むしかねえと。BUNくんだったらなんとかカタチにしてくれるはずだって、そのときゲットしていたスタジオに呼んで。DOOOMBOYSはバンドの音だからギンギンじゃん。それでBUNくんのリミックスも欲しくなって2枚組になった。BUNくんのビートには隙間があってラッパーにとってはスキルを見せることができるんだけど、あの人は仮に16小節のヴァースをふたつ録音してもまったく使ってくれないときがある。リミックスとなれば、ヴァースをミュートしてまったく使わず、フックだけ編集して使うみたいなこともする。でも、あの作品ではだいぶ俺のラップを残してくれた。しかも元のラップを編集してつなぎ合わせてまったく違う韻を踏ませるんだよ。それがカッケーの。「そっちのヴァージョンをおぼえてライヴでやるわ」って（笑）。</p>

<p><strong>──さすがBUNさんですね。今回BABAさんに会って聞きたかったことのひとつは、なぜここまでオルタナティヴな道を突き進んで音楽を作り続けているのかということです。いわゆる王道のヒップホップだけやる選択肢もあったはずですよね。一時期は、THINK TANKのメンバーが集まってインプロでライヴをする時期もありました。そこに伊東篤宏さんや山川冬樹さんが参加するときもあった。例えば2014年10月の＜EL NINO＞のKILLER-BONG、BABA、JUBE、CHI3-CHEE、DJ YAZIのライヴはいまだに自分の記憶に深く刻み込まれています。8年も前のライヴですけど、BABAさんのいまの活動も、ああした試みの延長線上にあると思いますし、音楽への向き合い方は一貫していると感じます。</strong></p>

<p>ああいうライヴに決め事は何もなかったね。俺とKは手元でMPCを触ったりエフェクトかけたり、JUBEくんはシンバル叩いたりして、その上で歌うわけだ。マ～ジでやっている俺らがトブからね。とんでもない目をしているよ。だから、ライヴはだいたい真っ暗にしている。グループ内でどっちが強いのか、という勝負を人前でやっているようなもんだ。どうしてTHINK TANKがあんなとんでもないライヴをするようになったか？　それには明確な理由がある。若いころからいろんなヒップホップのライヴを観てきて、ある時期からイベントが“文化祭”に思えてきたからなんだ。もちろん上手いヤツらは上手いよ。いまの若いヤツらもラップは上手いじゃん。でも決まりきったヒップホップのインストの上で決まりきったノリでラップしているのを観て、あるときから「カラオケっすか？」って思うようになった。そういう決まりきったことをやりたくなかったんだよ、俺らは。だから、ライヴをやる場所やイベントも選んだし、オファーも超断った。しかも、オファーを断ったイベントにマイクジャックしに行ったりもしたからそうとう嫌われたよね。イヤなヤツらだよな。そんなことしていたから一時期はライヴをやる場所もなくなっていったけど、そういうことをするのには俺らなりの理由があったんだよ。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<blockquote><p>沈黙と孤独　振り払うネオン　街角の雑踏　
病む街から脱走　無意味な戦争　聞くだけでもしんどい　
BPMを刻む振動　唱える魔法　
現状はどうあろうともこの場だけは平和と平等　愛にあふれ気分上々
大地に根を張るタフでラフでダブでラウドなサウンド　
いまここでかき鳴らす</p></blockquote>
<p class="quotecredit">DOOOMBOYS“Bring Me Down”</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05225707/interveiw220606-baba-4-1.jpg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-431817" /></div>

<div class="text-box right fade-up">
<p>取材・文／<u><a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank">二木信</a></u>
写真／<u><a href="https://www.instagram.com/lil_k_5g/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Lil-K</a></u>
取材協力／<u><a href="https://luscafe.owst.jp/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Lu's CAFE</a></u></p>
</div>


<div class="profile">
<h3 class="profile-title">INFORMATION</h3>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05222841/interveiw220606-baba-2.jpg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-431810" /></div>

<p class="name">BABA a.k.a. "BB"SHOT</p>
<p class="text">光届かぬ東京最深部の熱水噴出孔 "Black Smoker"。その原点にして中核 "THINK TANK" オリジナルメンバー。別プロジェクト"SKUNKHEADS"、"DOOOMBOYS（BABA&MUROCHIN）"、別名義"BLUEBERRY"。MC／DJ／トラックメイカ—、そして文筆家の顔も併せ持っており活動は多岐に渡る。ソロ名義の"BABA"は、2004年リリース唯一のソロアルバム「NO CREDIT」のみとなっている。そして2022年、いよいよ"BABA a.k.a. "BB"SHOT"が動き出す。</p>

<a href="https://www.instagram.com/bbeeeeeee/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">BABA Instagram</a>

<div class="separator"></div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05232145/interveiw220606-baba-10.jpeg" alt="BABA BLUE BERRY" width="1920" height="1787" class="alignnone size-full wp-image-431818" /></div>

<p class="name">Collector’s Edition Vol.1</p>
<p class="text">BABA a.k.a. "BB"SHOT
BLACK MOB ADDICT｜BMAREC-001
7インチ【限定生産盤】</p>

<p class="text">大変だ！　真実がイカサマと手を組んだぞ！　ヤバい言葉は禁止だとよ。生々とした生の言葉を使えないようにしたんだ。ヤバいものには蓋をしろってさ。チーチアンドチョンや電磁波クラブみたいなユーモアが通用しなくなっちまったんだ。やれやれだぜ。ずっーと待ち焦がれてた俺だけの基地が出来たんだ。自由と混沌が入り交わる音や声をRECできる。スモーキーな煙も一緒に。そこで出来上がったのがこの7インチさ。BLUE BERRYが音を作りBBがリリックを書く。昔からのやり方さ。これはcollector’s Edition Vol.1。今まさに次も準備中だ。そして、ジャケを描いてくれたのがCHUDO（Tadaomi Shibuya + KAREZMAD）、分かるだろ？　すぐにはイカせないぜ。これはまだ現在進行形だ。楽しんでくれ。（text by BABA a.k.a. "BB"SHOT）</p>

<a href="https://www.black-mob-addict.com/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">BLACK MOB ADDICT</a>

<div class="separator"></div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2022/06/05224139/interveiw220606-baba-5.jpg" alt="" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-431814" /></div>

<p class="name">ルーズカフェ Lu's CAFE</p>
<p class="text">神奈川県横浜市西区楠町18－6－1Ｆ
JR横浜駅西口より徒歩12分／浅間下交差点から徒歩10秒</p>

<a href="https://luscafe.owst.jp/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">Lu's CAFE</a>
<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">good friends, hard times</a>

</div>

<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/hokuto-211008/410892/</guid>
		<title>BACK TO THE SOUL BROTHA──hokuto、インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/hokuto-211008/410892/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/hokuto-211008/410892/#respond</comments>
		<pubDate>Fri, 08 Oct 2021 09:00:06 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=410892</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライターの二木信による連載「good friends, hard times」。第5回目に登場するのは、セカンド・アルバム『plums』も話題なビートメイカー／プロデューサー／A&#038;Rのhokuto。『plums』には唾奇やR-指定（Creepy Nuts）、CHICO CARLITO、WILYWNKA（変態紳士クラブ）、VIGORMAN（変態紳士クラブ）、仙人掌らが参加した。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1440" height="960" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/29123255/interview-hokuto-1440x960.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="hokuto" decoding="async" srcset="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/29123255/interview-hokuto-1440x960.jpg 1440w, https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/29123255/interview-hokuto.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1440px) 100vw, 1440px" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>good friends, hard times</u></a>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。</p>

<p>第5回目に登場するのは、ビートメイカー／プロデューサー／A&Rの<strong>hokuto</strong>。</p>
</div>


<div class="separator"></div>


<div class="text-box left fade-up">
<p>僕がhokutoと出会ったのは、いまから約8年前だと記憶している。hokutoは大学を出たばかりで、自分はちょっとした人生の転機を迎えていた。彼との出会いは僕に、自分がライターとしてかかわってきた同世代あるいは上の世代の国内のヒップホップを聴いてきた次世代のアーティストの存在を強烈に意識させた。10代のころから日本語ラップのレコードやCDを買い集め、それらにまつわるメディアの情報や記事を隈なくフォローしてきたhokutoの知識と熱意にはおおいに刺激を受けたし、僕の書くものや見解への忌憚なき意見をずいぶんもらったものである。内気に見えて遠慮なくズバズバ切り込んでくる、そういう男なのだ。何を隠そう、小林勝行や、hokutoの盟友である唾奇のラッパーとしての魅力を最初に教えてくれたのも彼だった。</p>

<p>そんな1991年生まれのビートメイカー／プロデューサー、hokutoがセカンド・アルバム『plums』を完成させた。2016年のファースト『AMATEUR RHYTHM』以来、じつに約5年ぶりの作品だ。この5年、hokutoは精力的に活動してきた。A&Rとして唾奇の『道-TAO-』をはじめ仲間たちのCDやレコードの製作をサポートし、唾奇のライヴDJとして全国を回り、ビートメイカーとしてSKY-HI、般若、BES、漢 a.k.a GAMIらにビートを提供した。前の世代が“インディペンデント”という旗印を掲げてやっていたことを、彼と仲間たちが気負わずにこなしているのが僕の目には新鮮に映った。</p>
</div>


<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07201912/interview211008-hokuto-plums.jpeg" alt="hokuto" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-412318" /><p>hokuto</p></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>いま華々しく活躍する数多くのラッパーが参加した話題の『plums』をすでに聴いた人は多いだろう。そんな作品を読み解くヒントを僕なりに一つ挙げるとすれば、hokutoのTwitterのヘッダー画像の写真だ。そこでソファに寝っ転がり足を放り出しながら彼が読んでいるのは、ビートメイカーらの制作部屋、ベッドルームを紹介する『BACK TO THE LAB』という写真集。ジャスト・ブレイズ、フライング・ロータス、J・ディラ、ダイヤモンド・D、エル・P、あるいはアルケミスト（エミネムのDJでもある）らが登場する。サンプラーやさまざまな楽器、レコードを眺めているだけでうっとりするのだが、ビート・メイクという創作行為が日々の生活の中に息づく様子を生々しく伝えているのが素晴らしい。いわば、hokutoも大好きであろう、ビートメイカーが目隠ししてサンプリングするレコードを選び、その場でビートを制作していく人気ショート・ドキュメンタリー『RHYTHM ROULETTE』のスピンオフといった趣の写真集だ。</p>

<p>そして、『plums』の背景のひとつもそうしたベッドルームである。ビートの様式は主にブーン・バップと定義できるが、重要なのは、サンプリングの魔法に魅せられた音楽好きの内気な少年が大人になり、その魔法を存分に操りビートを創造したことだ。そこにシンセサイザーでのアレンジも加えた。CDのクレジット欄には、MPC LIVE、MPC 2500、MASCHINE＋、FL Studioといった制作に使用した機材やソフトが記された。ラッパーの豪華さに目を奪われがちになるかもしれないが、どこかの誰かが会議室で決めたコラボではない。hokutoがみずからプロデュースを手掛けた。小雨の降るある晩、最新作とこれまでの歩みについての話を聞くために下北沢で待ち合わせた。</p>
</div>

<h2 class="fade-up">INTERVIEW：hokuto</h2>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07203903/interview211008-hokuto-plums-1.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1896" class="alignnone size-full wp-image-412319" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──まず、セカンド・アルバムを作り終えての感想はどうですか？</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　マジでこの作品を出せてホッとしています。リリースできないんじゃないかと思う局面が何度もあったので。正直、ファースト・アルバム『AMATEUR RHYTHM』（2016年12月14日リリース）は自分の未熟さもあって音楽的に納得できないままリリースした面もあったんです。だけど、今回は現時点でのやりたいこと、できることを全部出せました。</p>

<p><strong>──1曲目“plums”ではある大スターの女性のアルバムという形式へのこだわりについての語りを大胆に挿入しています。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　アルバムについてのこだわりはめちゃめちゃあります。アルバムを聴いて育って来た世代だから、いまでもシングルが出て最終的にアルバムになるという流れが理想だと考えています。もちろん5分のMVを観るのさえ難しい若い人も増えてきた時代だから、ワン・ヴァース、ワン・フックの2分ぐらいで終わるラップが流行り続けているのもわかります。ただやっぱり「7、8曲でアルバムです」というのはいまだにしっくりこない。少なくとも僕はそのカタチでは伝えたいことを伝えきれないから、今回の作品のように15曲で50分近くあるフル・アルバムをどの曲をどこに配置するかを考えながら作った。そういう作り方を先人達の作品を聴いて学んできたので。KREVAさんの『心臓』（2009）にしろ、ケンドリック・ラマー（Kendrick Lamar）の『good kid, m.A.A.d city』（2012）にしろ、昨日聴いたカニエ・ウェスト（Kanye West）の『Donda』（2021）はさすがに長過ぎるけど、あれもそうですね。アルバム1枚を通してしか伝えられないことは間違いなくあると思います。</p>

<p><strong>──いまケンドリックやカニエの名前が出ましたけど、アルバムのCDを買うと付いてくる特典のCDが、USヒップホップをみずからリミックスした作品集になっているのがすごく面白くて。カーディ・B（Cardi B）やフューチャー（Future）らの大ヒット曲がある一方で、MFドゥーム（MF Doom）とウエストサイド・ガン（Westside Gunn）の曲、またアルケミスト（The Alchemist）がビートを作った曲もあるでしょう。思い出したけど、エヴィデンス（Evidence）が昨年出した『UNLEARNING VOL. 1』のLPとUSBまで買っていましたよね。hokutoくんのこうしたヘヴィ・リスナーとしての一面やリミックスとかの遊び心が、今回のアルバムの魅力に直結しているなと感じます。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　エヴィデンスに関して言えば、高校1年ぐらいのときにダイレイテッド・ピープルズ（Dilated Peoples）の“Back Again”のMVをMTVで観てその存在を知るんです。</p>

<p><strong>──あの曲のビートはアルケミストのプロデュースですし、彼はそのMVにも登場しますね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　エヴィデンスのラップが特徴的で耳に入ったのもあるし、ファッションや佇まいが自分にしっくり来て。当時聴いていたディプセット（Dipset）のサグい感じとはまた異なる悪ガキ感があって、そこにすごく影響を受けました。エヴィデンスもアルケミストも白Tに短パン穿いているだけなのにめっちゃかっこいいじゃないですか。そこが刺さった。“Back Again”が収録されている『20/20』（2006年）ってアルバムを地元の藤沢のタワレコに即行で買いに行った記憶があります。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Dilated Peoples - Back Again</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/d-YYAYfYUjA" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<p><strong>The Alchemist & Prodigy In the Studio Making Hold You Down</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/m2NBLy--seQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──『plums』は基本的に明るめのテクスチャーの楽曲が多いけれど、さらに一貫しているのはどっしりとしたビートを鳴らしていることですね。そこが重要だと思います。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　僕が日本で影響を受けたビートメイカーを3人挙げると、BACHLOGICさん、Maki The Magicさん、DEV LARGEさんです。海外だと先に挙げたアルケミストの他に、ジャスト・ブレイズ（Just Blaze）とカニエ・ウェストです。そういうビートメイカーの人たちが作ってきたビートを聴いて学んだ、自分なりのヒップホップ・マナーは絶対守りたいし譲れないところです。</p>

<p><strong>──今回のサウンド・プロダクションのメロディアスという点は、KREVAからの影響も感じます。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　それはあります。小学5、6年生ぐらいの時だったと思うんですけど、「COUNT DOWN TV」で、KICK（KICK THE CAN CREW）の“マルシェ”（2002年／KICK THE CAN CREWはこの曲で第53回NHK紅白歌合戦に出場）のスタジオライヴを観たのがヒップホップの原体験です。最初は、「この面白い曲、何？！」って感じで笑いながら観ていたんですけど、いっしょに観ていた兄貴がKICKを聴き始めた影響もあって自分も聴くようになった。そこからRIP SLYMEの“FUNKASTIC”や“楽園ベイベー”、“ONE”も聴いて（『TOKYO CLASSIC』収録／2002年）。小学生のころから勉強もスポーツもできない子供だったから「音楽が詳しいヤツが一番偉い！」っていうマインドで生きていました（笑）。だから、BUMP（BUMP OF CHICKEN）とか日本のロックも聴いていたし、とにかく音楽だった。それが、KICKやRIPを聴いて一気にヒップホップに傾倒して、アウトキャスト（Outkast）やエミネム（Eminem）、50セント（50 Cent）も聴くようになって。</p>

<p><strong>──小5、6年でそういう音楽を聴くのはけっこう早熟ですね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　4つ上の兄と7つ上の姉が音楽好きで、家でずっと音楽が鳴っている環境だったし、小学校のときは、家がまあまあ貧乏だったんで、毎日カセットウォークマンで音楽聴きながら登校するような子供でした。</p>
</div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/08101901/interview211008-hokuto-plums-10.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-412329" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07221711/interview211008-hokuto-plums-9.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-412327" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──ちなみに最初からビートメイカーになりたかったんですか？</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　いや、最初はA&R（Artist＆Repertoire）になりたかったんです。</p>

<p><strong>──A&Rに？　それは初耳です。何がきっかけで？</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　小学生ぐらいから漠然と「音楽が好き」という気持ちだけで生きていこうとは考えていて。で、あるとき、「スぺシャ（SPACE SHOWER TV）」の番組に出演していたBEAT CRUSADERSのヒダカトオル（日高央）さんが「音楽の仕事に就くにはどうすればいいか？」みたいな視聴者からの質問に、「A&Rという仕事がある」と答えていたんです。ヒダカさん自身、（LD&K Records）というインディ・レーベルで働きながらバンドを続けて、のちにバンド一本で食えるようになったからと。それで「俺もA&Rになりたい」って思って音楽をひたすら聴いていました。</p>

<p><strong>──では、ビート・メイクはいつからですか？</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　高校の友だちにバンドマンが多くて、自分もギターやピアノをやってみるんですけどぜんぜんダメで。ただ、中学時代に、リンキン・パーク（Linkin Park）とジェイ・Z（JAY-Z）の”Numb/Encore”のライヴ映像（MTV Ultimate Mash Ups - Collision Course 2004）でMPCが使われているのを観ていたから、サンプラーの存在は知っていたんです。だから最初は、いろんな音が出せる楽器として捉えて。その後、「スペシャ」の、たしか「Black File」だったと思うんですけど、KREVAさんがMPCを使ってビート・メイクしていたんです。そこでMPCで音楽が作れるのを知る。当時、ピート・ロック（Pete Rock）やケヴ・ブラウン（Kev Brown）がMPCを使っているYouTubeの映像もあったけど、和訳がないから意味がわからなくて。KREVAさんがビート・メイクについて解説してくれたのは大きかった。</p>

<p><strong>──KREVAはライヴでもビート・メイクのやり方をファンに教えるパフォーマンスをしてきました。そういうKREVAの意志がhokutoくんに伝わったということでもありますね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　さらにYouTubeでエイラブミュージック（AraabMuzik）がMPCを超高速で叩いている動画を発見するんです。MPCをこんな高速で叩ける人を当時の日本では知らなかったから、「自分はこれをやろう！」と。だけど、エイラブミュージックが使っていたMPC 2500は当時15万円以上もしたから、さすがに高校生の自分には簡単に手が出る値段ではなく、買えずに月日が経ってしまって。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>araabMUZIK Warm up at bar</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/-kqA5n_VDzc" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──MPCを音楽制作のための機材だけでなく、演奏するための楽器としても捉えていたのが面白いですね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　だから、決定的だったのが、その場でビート・メイクしていく過程を見せるMPCの大会＜GOLDFINGER'S KITCHEN＞でした。高校を卒業して18、19歳ぐらいのときに観に行って。で、その年（2009年）に優勝したのがPUNPEEさんだった。もうPUNPEEさんのビート・メイクにそうとうトバされて、その帰り道に当時の貯金全額を使ってネットでMPC 2500を買いました。そのMPC 2500だけで作ったのがファーストの『AMATEUR RHYTHM』でした。</p>

<p><strong>──hokutoくんはその数年後、2012年3月に吉祥寺であったMPCの大会「PAD PAD BATTLE」で優勝していますね。今年の＜FUJI ROCK FESTIVAL '21＞では、STUTSがバンド編成のなかでMPCを叩いて存在感を出していた。hokutoくんがそれを観て興奮するツイートしていたなと。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　STUTSさんがマジで凄すぎて逆にやる気出ました。10年前ぐらいはMPCを叩いている人って日本にはあまりいなかったと思うんです。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>STUTS - 夜を使いはたして feat. PUNPEE（FUJI ROCK 21）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/vEKh13h2Eqw" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<p><strong>STUTS - Changes feat. JJJ（FUJI ROCK 21）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/H48aTtN3RsQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──たしかに、名前が挙げられるのは数人でした。そのころ、2010年初頭は孔雀というグループにも参加していましたね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　孔雀として東京のBankRollやYabasta（両者ともKANDYTOWNの前身グループ）のイベントに出演したりしていました。『plums』にも参加してもらっているラッパーのMUDがレギュラー出演していた、KIKUMARUさん（KANDYTOWN）主催のイベントです。自分はグループでビート・メイクとMPCを担当していて。ただ、クラブやライヴハウスの雰囲気にどうしてもなじめなくて。もちろん、好きなアーティストのライヴは観に行きますけど、自分はそんな社交的な人間じゃないですし、パーティで人と会っていきなり仲良くなるとか無理なんです。同世代のナードなヒップホップ好きもいなかったですし、孤独でした。根が陰キャなんですよ。</p>

<p><strong>──陰キャって（笑）。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　いやいや、でも、いまでこそだいぶ雰囲気は変わりましたけど、2010年初頭の東京のヒップホップのクラブのパーティでは、ナードはかなり肩身が狭かったんですよ。</p>

<p><strong>──10年前はそんな感じだったかぁ。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　そうでしたよ。そういう意味ではいまは間口が広がって本当にいい時代になったと思いますよ。しかも、そのころ、元々ずっとA&Rになりたかったから大学卒業のタイミングでレコード会社の面接を受けたんですけど全部落ちて。さらに眼鏡屋の仕事も最終選考まで行って落ちて……。人生的にはかなり焦っていて、自分は社会不適合者でまともに働けないヤツなんだなと卑屈になっていた時期ですね。それでも音楽関係の仕事がしたくてレコ屋でバイトをはじめる。レコ屋にいれば、数字も含めていろいろ見えてくるから勉強にもなると考えて。</p>

<p><strong>──俺がhokutoくんと出会うのも2013年ころですね。たしかに思い出してみると、当時は元気なさそうな顔をしているときもけっこうありましたね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　当時はプライベートで悲惨なことが起こりすぎていろいろどん底でした。そのころは音楽活動の面でも辛い思い出の方が多いですね。</p>

<p><strong>──だけど、ライヴやヒップホップの現場での良い出会いはあったでしょう。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　梅田サイファーのみんなとの出会いが大きいです。2012年だと思いますけど、孔雀のライヴで大阪に遠征するんです。イベントは、ACEさんとHIDEさんのSound Luckが主催している＜ADRENALINE（アドレナリン）＞の大阪編でAMAZING HOOD STARとTINY TITANBOXの合同イベントでした。名前を挙げたらキリがないんですけど、梅田サイファーやまだ14、5歳でラップをはじめたばかりのWILYWNKAとか当時若手で頑張っていた人らがみんな出ていた。実はその前からTwitterでは梅田サイファーの人らと絡んではいて。僕がTwitterで「ホラー映画が好き」とか「『ほんとにあった! 呪いのビデオ』が好き」とかつぶやくと、梅田サイファーのメンバーから反応があって（笑）。大阪初日から梅田サイファーのメンバーが10人ぐらい集まって朝まで遊んでくれて翌日も大阪を案内してくれた。R（R-指定）くんやKOPERUくんが、「一二三屋」の場所を教えてくれたり。ライヴに行ってそんなあたたかく迎えられたのなんて初めてで、いまでもめちゃ感謝しています。お互いナードなヒップホップ好きとして仲良くなれたんでしょうね。梅田サイファーには助けられましたし、ずっと切磋琢磨してきた仲間です。で、同じぐらいの時期、22歳のタイミングで孔雀を脱退して一人でやることにしたんです。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>hokuto『plums』</strong></p>
<iframe src="https://open.spotify.com/embed/album/6zbP3u4NNOHqCRbOIsybPq" width="100%" height="380" frameBorder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<blockquote>俺も地元からまくりたけりゃ誇りとのぞみが必要
たむろしてた梅田の歩道橋　特別だぜ土曜日はいつも
10年前hokutoのビート　下手くそなラップにピュアな鼓動
消しカスが化けたピラミッド　シャーペン一本で今此処</blockquote>
<p class="quotecredit">R-指定──“Shooting Star feat. CHICO CARLITO & R-指定”
（hokuto『plums』収録／2021年）</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──“Shooting Star feat. CHICO CARLITO & R-指定”はまさにそういう青春時代から成功までの道のりを歌う曲です。hokutoくんやR-指定が大きな影響を受けたであろうSEEDAの名曲“花と雨”で象徴的な単語として出てくる「彼岸花」を使ったり、「ラインを引くなら空」「フィルターギリまでこの身焦がす」というドラッグにまつわる隠語の応用にも彼のスタンスが如実に出ていますね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　だから、“Shooting Star”のRくんのリリック聴いたときは感動しました。知り合った当時、松永さん（DJ 松永）はすでにけっこう仕事があったんです。それで松永さんがいないあいだ、松永さんの家でRくんと2人で一日中『呪いのビデオ』を観たり、日本語ラップの話をしたりしていましたから（笑）。コンビニでカップラーメンを買うか、オニギリを買うかを迷う、経済状況もそれぐらいのレベルだった。</p>

<p><strong>──それはリアルな同志だ。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　だからRくんにはファーストにも参加してほしかったんですけど、いろいろタイミングもあって楽曲で参加してもらうことができなくて、クレジットなしのシャウトを“Introduction”でしてもらいました。それもあって今回は絶対やりたかったけど、今度はCreepy Nutsのアルバムの制作のタイミングと被ってしまって。だから最初はCHICOのヴァースだけの曲だったんです。それが、〆切の3日前ぐらいに急にRくんから電話が来て、「少し早めにレコーディングが終わったからヴァース書いていい？」と。それで3日で書いてくれて実現したんです。</p>

<p><strong>──CHICO CARLITOといえば、hokutoくんがビートを制作した“Ryukyu Style”（2020年）は、今後彼の代表曲になるんじゃないでしょうか。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　ただ、CHICOはいろいろあってここ数年は調子が良くなかったと思うんです。そのCHICOが久々に気合いを入れて作ったのが“Ryukyu Style”だと思います。でも実はあの曲は、WILYWNKAが客演した“Kid's Dream“（『plums』2曲目）の前に入れる予定のビートで、それをCHICOにどうしても自分名義の曲で使いたいと頼まれて。アルバムの流れを考えて制作しているので譲るかどうかはめちゃ迷いましたね。でも結果、譲ってよかったです。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Ryukyu Style／CHICO CARLITO（Produced by hokuto）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/AWMOKTBwS6Y" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──ちなみに、“Ryukyu Style”の冒頭や今回収録の数曲のあたまでも「SOUL BROTHA」というプロデューサー・タグが使われています。hokutoくんのインディペンデント・レーベル名でもある。これは何が由来ですか？　ピート・ロックが「SOUL BROTHER」とよく使うけれど。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　それはまさにRくんや梅田のみんなと遊ぶようになったのがきっかけで。2012、13年ぐらいに彼らに出会ってから、「わあ～！　心の友よ～！」とかみんなで言い合っていたんです、ジャイアン風に（笑）。それが途中から「Oh～！ Soul Brother～!」と英語になって。俺らのスラングじゃないですけど、当時みんなでふざけてそう呼び合っていた。たぶんいま誰も使っていないですけど（笑）。スタティック・セレクター（Statik Selektah）にしろエイラブミュージックにしろ、プロデューサー・タグを入れるじゃないですか。あれをやりたかったし、ファーストを出すときにレーベル名が必要だったので。ただ、調べてみると、たしかにピート・ロックが「SOUL BROTHER」を名乗っていたから、スペルを変えて「SOUL BROTHA」になった。</p>

<p><strong>──ここまでの話を聞いていると、『AMATEUR RHYTHM』のリリースから着実にステップアップしてセカンドにたどり着いた感じがしますね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　そんなことないですよ～！　25歳までにソロ・アルバムを出して生活の足しになるほどの儲けがでないのであれば、ビート作りはやめようぐらいの覚悟でした。だけど、ファースト出したときのCDの枚数が悲惨で、実数350枚だった。すでにCDが売れる時代ではなくなっていたけれど、CD以外の儲けの選択肢が当時はわからなくて。これはもう絶望的だなって。そんなときに友達からデジタル配信、ダウンロード、サブスクリプションという方法があると教えてもらって。それがいまみんな使ってるTuneCoreってサイトなんですけど。その後デジタルで再生回数が伸びて3ヶ月ぐらいで制作費が全部ペイできた。そこから全部プラスになっていまに至ります。だから、僕がファースト出した2016年ぐらいが日本のインディのアーティストが配信やサブスクで稼げるシステムが浸透していった時代だと思います。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07211131/interview211008-hokuto-plums-4.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1560" class="alignnone size-full wp-image-412322" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──『AMATEUR RHYTHM』はやはり大きかったわけですね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　実際、ファーストのあとにビート制作のオファーも増えましたから。ただ、サブスクの再生で収入は増えていくけれど、MPCだけの制作方法には限界を感じていて、果たして今後ビートメイカーとしてやっていけるかはものすごく不安で。</p>

<p><strong>──そういう不安があったとは知らなかった。それでも唾奇を中心とした沖縄勢と活動を共にしていきますよね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　唾奇くんの存在はRくんから聞いてはいたんですよ。「同い年でようやくヤバいラッパーが出てきたぞ」と。だから、当然気になっていました。まだファーストを出す前の2015年ぐらい、名古屋で〈Pitch Odd Mansion〉が主催する＜ラルコネ＞というイベントに僕はKOPERUくんのバックDJとして出演していて。その打ち上げの居酒屋で話したんです。でもまあ当然いきなり仲良くなったりはしなくて（笑）。翌年出すファースト・アルバムのために、そうやって各地にライヴに行ったときに出会ってヤバいと感じたラッパーにオファーしていたんです。でも、無視されたり断られたり散々だったんです。「ああ、俺ってぜんぜん認められてないんだなあ」ってヘコんで。そんななか、唾奇くんだけは快く引き受けてくれた。</p>

<p><strong>──いい話だ。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　唾奇くんは、自分とは生きてきた環境も性格もまったく違うし、同じ学校に通っていたらたぶんイジメられていたと思うんです（笑）。音楽がなければ出会わない、そういうラッパーと組んで曲を作れるのがうれしくて。なんですけど、ビートを送っても一向に唾奇くんからラップが返ってこなくて。「これは発売延期だな……」と諦めかけていた矢先、入稿2日前に音源データが届いたんです。聴いた瞬間に衝撃を受けました。あんなヤバいヴァースが返ってきた経験ははじめてでした。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>hokuto - Cheep Sunday feat. 唾奇</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/3rkF24Lqc-4" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<blockquote>ラップしてなけりゃカス（いや、違うな）
ラップしてるカス I'm OK</blockquote>
<p class="quotecredit">唾奇──“Cheep Sunday feat. 唾奇”
（hokuto『AMATEUR RHYTHM』収録／2016年）</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──みんなも感じていることでしょうけど、唾奇を最初に何曲か聴いたとき、メロウなムードのなか、愛とか夢とか、“キレイゴト”だけじゃなく、“ゲス”な面を包み隠さず晒すことがすごく新鮮で。「俺の不幸で踊ってくれ！」ってあるライヴのMCで言っていたのも鮮明におぼえている。hokutoくんが考える、唾奇やR-指定の個性は？</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　まず自分はKICKやRIP、m-floから日本のヒップホップを聴くようになってじょじょに『CONCRETE GREEN』（SEEDAとDJ ISSO監修による日本のヒップホップのミックス形式のコンピレーション・シリーズ。第一弾は2006年）に参加している人たちの作品を聴くようになったんです。ポップなラップと自分が絶対体験できないアブナイ経験をしているスリリングなラップ、そういうメジャーとアンダーグラウンドの2択だった。で、存在としてそういう両極端のあいだにいたのが、KEN（KEN THE 390）さんやサ上（サイプレス上野）さん、COMA-CHIさんたちだったのかなと思う。2008、9年ぐらい、高校生のころに、そういう両極端の日本のラップを聴いていたんです。その構図って長いこと変わらなかったと思うんです。</p>

<p><strong>──なるほど。二極化していましたね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　そんななか、唾奇くんは不良ではないけれど、ちょっとドキッとするような悪いことも歌う。しかも、誰しも人生で経験する出来事や思い当たる節のある心境について歌うのが上手いと思うんです。聴く人がそういうリリックに共感したり、惹かれたりしているのは、いっしょに全国をツアーしていろんな場所でのライヴをともにしてわかってきました。自分はビートメイカーなので絶対ビートから聴いちゃうんですけど、唾奇くんの曲は言葉が最初に入ってきますね。</p>

<p><strong>──唾奇のライヴではフックだけじゃなくて、ヴァースで合唱が起きるし、男性と女性半々ぐらいのオーディエンスがけっこうどぎついラインをいっしょに歌うじゃないですか。あの光景は驚きだった。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　ビートメイカーとしてどうしていこうかと考えている時期に唾奇×Sweet Williamの『Jasmine』（2017年）のツアーが終わった唾奇くんから「これからやるツアーをいっしょに回ってほしい」と依頼されたのが転機になりました。それまで東京のライヴのバックDJとかはやっていたけれど、全国はいっしょに回っていなかった。そうして、いっしょにツアーに回っているときに作ったのが“Alright”（2018年）だった。で、あの曲を出たあたりからまたビートのオファーが来るようになって。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>APPLEBUM - “GUERRILLA LIVE” - 唾奇 × Sweet William × HIKARU ARATA【WONK】</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/W9btmyI23pA" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<p><strong>Reebok CLASSIC x 唾奇【Alright】</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/yMdBtvR0NJA" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──その“Alright”は、今回の作品に収録するにあたりアレンジを変えているし、その唾奇と仙人掌の共作“Imposter”もサブスク、配信ヴァージョンにはCDヴァージョンになかったスクラッチが後半に入っている。最初に話したリミックス集もそうですけど、CDを手に取った人にしか味わえない仕掛けがあったり、こういうところが凝っているなと。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　“Alright”のあともビートをずっと唾奇くんには送り続けていたけれど、バッチリハマらなくて。今回のアルバムはほぼすべてメロディアスな楽曲で統一していますけど、唯一“Imposter”だけちがう。それは、唾奇くんが「俺とメロディアスなのまた作ってもしょうがないっしょ」と。だから、ハードなビートを作って。で、「このビートだったら、仙人掌さん以外やりたいラッパーは思い浮かばない」って唾奇くんから言われて、仙人掌さんに声をかけたんです。快く受けてくれたので、ビートを送ろうとしたら、唾奇くんに「俺がラップを入れたビートを送って欲しい」って言われたんですよ。</p>

<p><strong>──そうやって振られたら仙人掌も気合い入ったでしょうね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　それで仙人掌さんも練って気合い入れてやってくれた。仙人掌さんのヴァースが来てからフックも作りましたし。仙人掌さんのヴァースのあたまの「NipseyとJayみたいな2 to ya head」ってラップを聴いた瞬間に唾奇くんといっしょにブチ上がりました！</p>

<p><strong>──映像には残っていないけれど、仙人掌と唾奇は、唾奇が沖縄で主催する＜HITO-BASHIRA ROMANTIC＞で共演して同じステージでその日限りのコラボをしていましたよね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　＜HITO-BASHIRA ROMANTIC＞でvividboooyとも知り合って今回参加してもらっていますしね。ここ数年、唾奇くんとツアーをいっしょに回るなかでいちばん印象に残っているのは、大阪の三角公園でのライヴ。あそこの2階にお店があって、そこから三角公園に向けてライヴをしたんですけど、三角公園の横って交番じゃないですか。警察も観ているんですよ。そこで、“道 -TAO-”の《また夏には×××が咲く》というラインをみんなが大合唱していたのは面白かったですね（笑）。だから、生き方がラップに出ているラッパーですよね。中学か高校のときに唾奇くんの音楽を聴いたら僕でさえ「ラップやろう！」ってなったと思う。それぐらい自分にとってベストなラッパー像だった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>唾奇 presents "HITO-BASHIRA ROMANTIC" 2020.2.22 Digest</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/m5YdMmy4Sjc" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──R-指定についてはどうですか？</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　みんなの共通認識だと思いますけど、KICKやRHYMESTERの韻を受け継いで、圧倒的なのが同世代ではRくんだと思います。Rくんとは、日本語ラップ・ヘッズ同士として日本語ラップについて1日中語り合う仲からはじまっているので、10年前ぐらい、僕がビートを作ってデモ制作しているとき、RくんにはけっこうラップをRECしてもらっていたんです。当時から抜群に上手かったです。ただ、リリックの内容に本当にフィールしたのはファーストの『セカンド・オピニオン』（2014）を聴いたときですね。自分と同じこと考えているし、境遇も似ているなと。ラップからそういうものが見えてくるようになった。ちょっと貧乏で、運動もできない、勉強もできない、だけど、ヒップホップだけある。そういうところにいまだに惹かれますね。</p>

<p><strong>──そんな日本語ラップ・ヘッズのhokutoくんが高校時代に熱心に聴いていたアンダーグラウンドなラップ・アーティストからもビートを依頼されていく過程を見ていて感慨深かったです。漢 a.k.a GAMIの“新宿ストリートドリーム”もhokutoくんのビートです。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　それと、2018年にBESさんに“Rhyme Train”と“what’s up feat. 仙人掌”（『Convection』）でビートを使ってもらったのはめちゃめちゃ大きかったです。だって、漢さんもBESさんも、仙人掌さんも、自分が高校のころに聴いてマジで憧れていたラッパーの人たちだったから。般若さんの“車に乗り込み”（2020年）や日高（光啓）さん（SKY-HI）の“me time”（2021年）もでかかった。“me time”は少し前に作った曲でギターは山岸竜之介さんに弾いてもらいました。初めてサンプリングを使わないで作った曲なんですよ。エレピもベースも自分の弾きで作って。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>BES - What's Up feat. 仙人掌（Track by hokuto）（BLACK FILE exclusive MV "NEIGHBORHOOD"）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/aZfJ08glkOU" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──サンプリングという手法、表現方法には並々ならぬこだわりがありますよね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　それはあります。セカンド・アルバムをカタチにできるかもしれないと思えたのは、“Echo feat. peko & テークエム”を作れたときでした。この曲を発表できないのであれば、アルバムもカタチにできない、それぐらいメインにしようと考えていた曲です。で、この曲では、フュージョン・バンドのカシオペアのドラマー、神保彰（ジンボ・アキラ）さんの“WIND YOUR CLOCK”（2010）という曲をサンプリングしているんです。ピッチを2ぐらい上げているだけで、最初のスクラッチふくめてほぼ“まんま使い”。これまでサンプリングという手法をメインにビートを作ってきた人間として、オフィシャルでサンプリングした曲をリリースしたくて。それで、サンプリングの申請を出して、時間はかかったんですが許諾が取れたんですよ！自主レーベルで一人で活動してる自分がサンプリングの許諾を取れたのは嬉しかったですね。で、許可が取れた2020年6月から制作の追い込みをかけました。</p>

<p><strong>──いまの話を聞いても思うけれど、今回の作品の作り方も、ビートメイカーにとどまらず、プロデューサーとして、A&Rとしての視点がある。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　自分のアルバムを作る前に、今回の作品にも参加してくれたTOCCHIくんのEP『Swings』（2019）をA&Rとして手掛けたのが大きかったです。2019年の最初ぐらいにTOCCHIくんに出会って、すごい才能だと感じて、どうやって世のなかに売り出していくかを考えていたんです。そして、作品作りからその後のツアーまでぜんぶ自分の方で組んで成功できた。それがあったから、唾奇くんやHANGさんをA&Rとして見ていきたいとさらに思えるようになりました。でも、めちゃ大変でした（笑）。6曲のためにいったい何ヵ月延びるんだよ！　って。唾奇くんは「すぐやる！」と言いつつギリギリまでリリック書かないし、HANGさんもアートワークを担当するのがはじめてで時間もかかってしまって。それで、僕は神奈川に住んでいるんですけど、沖縄まで行って、TOCCHIくんの家に唾奇くんを閉じ込めて作らせました。それぐらいしないと作品が出ないと思ったから。</p>
</div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07210858/interview211008-hokuto-plums-3.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-412321" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07210855/interview211008-hokuto-plums-2.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-412320" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──A&Rの鑑だ（笑）。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　何よりも自分が仲間の作品を聴きたいし、ちゃんと世に出したいんですよ。だからできていることです。僕のA&Rとしての仕事はそういうケツ叩きですね。あと、いまは海外のビートメイカーのビートをサンクラ（SoundCloud）とかでめっちゃ集めたりしていますね。いち早くヤバいビートを見つけたいので。クオリティの高いビートは50～100万はかかりますね。また、唾奇くんがこのラッパーとやりたいと言うならば連絡するし。別に僕、そんなに表に出たい人間じゃないんですよ。フロントマンじゃない。裏方が大好きなんです。それも大きいかもしれないですね。あと、CDとアナログをこの日までに作るとか、配信の準備とかですよね。</p>

<p><strong>──そう、だから、hokutoくんや唾奇は、CDやアナログを制作してしかも実際に確実に買うファンがいるのがすごいなと。実際、配信では数字が伸びていたり、メディア露出も激しかったりするけれど、フィジカルが動かないアーティストもたくさんいますから。フィジカルの大切さはかなり意識していますよね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　レコ屋で働いている人間がデジタル配信で稼いているのは矛盾ではないか？と悩んだ時期もありました。やっぱりモノを作るのって大事だと思うんです。CDやレコードといったモノを買ってきた世代で、いまだに日本語ラップでも、海外のヒップホップのレコードでも好きなアーティストのモノが出たら買いますし、そこは途切れさせたらいけないと思っています。配信やサブスクがあるし、たいして需要がないし利益やビジネスにならないからフィジカルは必要ないという意見をたまに目にしますけど、そういう話じゃないと思う。作ることや、そこに共感した人が買うことで成立することに意味があると思う。</p>
</div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07212123/interview211008-hokuto-plums-5.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-412323" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07212126/interview211008-hokuto-plums-6.jpg" alt="hokuto" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-412324" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──それは重要な考え方ですね。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　でも、いざ、唾奇くんやHANGさんをA&Rの立場で支えていこう、やっていこうと考えていた矢先、そのタイミングでコロナになっちゃったんです。それでフェスもふくめてライヴが2、30本も飛んでしまって。</p>

<p><strong>──ひえー、そんなに飛んだのか……</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　それで一気にやることがなくなってしまって。それで家に引き籠ってビートを作り始めたらわりと良い感じのビートができるようになっていった。そのときできたのが初めてPCのFL STUDIOというソフトを使って作った“Good Time”だった。ビートを作ると、TOCCHIくんに送って聴いてもらったりするんですけど、まあまあの出来のビートだと「まあ、良いね～」ぐらいの反応で、「この曲でやりたい！」って絶対言わないんです。唾奇くんもHANGさんもそこは当然シビア。そんなTOCCHIくんが「この曲はやりたい！」って言ってくれてさらにアルバム制作が前進しました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>hokuto - Good Time feat. TOCCHI & HANG</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/fTszqeEDVRk" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──今日の話を聞いて『plums』が、ここ数年hokutoくんと仲間たちが育ててきた関係やシーンが土壌にあるのがすごくよくわかりました。</strong></p>

<p><strong>hokuto</strong>　ぶっちゃけすべて唾奇くんのおかげなんですよ。ひとりでイベントに出るとこなんてなかった僕が急に毎月7、8本もライヴすることになったのも唾奇くんのライヴDJをやることになってからですし、クラブの楽しさも教えてもらった。今回参加してもらった18scott、NF Zessho、MuKuRo、WILYWNKA、VIGORMANもそうしたライヴのときに紹介してもらっていますから。本当にこの人のおかげで音楽でメシが食えるようになったんですよ、だから人生を捧げようと思いましたね。まったく社交的ではなかったひねくれた性格を直してくれたのも沖縄勢です（笑）。性格まで変えられました。ずっとヒップホップのファンなんです。永遠のヘッズなので。別に不良だから憧れるとかじゃなくて、ヒップホップの身なりや佇まい、ファッションからも影響受けてきたんで、そういう“ヤンチャ”感は大事だし、それはこれからも大切にしてきたいですね。とにかく音楽が好きって気持ちだけでやってきたし、これからもそうだと思いますね。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07212921/interview211008-hokuto-plums-7.jpg" alt="hokuto" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-412325" /></div>

<div class="text-box right fade-up">
<p>取材・文／<a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>二木信</u></a>
写真／<a href="https://twitter.com/sachikomsms" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>齊藤幸子</u></a>
取材協力／<a href="https://www.instagram.com/drblackakahiroki/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>萩原広輝</u></a>（<a href="https://www.instagram.com/arena_1111/?hl=ja" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><u>ARENA下北沢</u></a>）</p>
</div>

<div class="profile">
<h3 class="profile-title">INFORMATION</h3>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/10/07213221/interview211008-hokuto-plums-8.jpeg" alt="hokuto" width="1280" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-412326" /></div>

<p class="name">『plums』</p>

<p class="text">hokuto
2021.09.29（水）
Label：SOUL BROTHA
CD／DIGITAL
Price：2,500YEN＋TAX（CD）</p>

<p class="text"><strong>Tracklist</strong>
1. plums
2. Kid’s Dream feat. WILYWNKA
3. Echo feat. peko & テークエム
4. Good Time feat. TOCCHI & HANG
5. 最新 feat. WATT a.k.a. ヨッテルブッテル
6. Babe feat. 18scott
7. Alright feat. 唾奇（New ver.）
8. FWC off -Interlude-
9. Imposter feat. 唾奇 & 仙人掌
10. I Think About Music feat. VIGORMAN & vividboooy
11. Shooting Star feat. CHICO CARLITO & R-指定
12. Last Song For… feat. SNEEEZE
13. Storybook feat. MUD & MuKuRo
14. Blue Note Step
15. UNDERRATED feat. NF Zessho</p>

<p class="text">CD初回店頭購入特典
hokutoによる「SOUL BROTHA Remix EP」のCD（プレス盤）
※ご注意ください：特典付与店舗に関しましては各位店頭で事前に御確認ください、無くなり次第終了致します。</p>

<a href="https://ultravybe.lnk.to/plums" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">ここから聴く</a><a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">good friends, hard times</a>
</div>

<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/hosoda-hideo-jam/396091/</guid>
		<title>Last Night DJs Changed My Life──細田日出夫 a.k.a. JAM、ロング・インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/hosoda-hideo-jam/396091/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/hosoda-hideo-jam/396091/#respond</comments>
		<pubDate>Sat, 15 May 2021 09:00:30 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=396091</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライターの二木信による連載「good friends, hard times」。第4回目に登場するのは、雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー（bmr）』の連載をまとめた単著『Chasin’ The 80s Classics』を上梓、レコードメーカー、A&#038;R、ライター、コンパイラー、DJとして活躍する細田日出夫 a.k.a. JAM。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1440" height="960" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09170653/column210510-hosoda-hideo-jam-25-1440x960.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" decoding="async" srcset="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09170653/column210510-hosoda-hideo-jam-25-1440x960.jpg 1440w, https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09170653/column210510-hosoda-hideo-jam-25.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1440px) 100vw, 1440px" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<strong>good friends, hard times</strong>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。

第4回目に登場するのは、<strong>細田日出夫 a.k.a. JAM</strong>。</p>
</div>

<div class="separator"></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>今回の主役、JAMこと細田日出夫は、1961年生まれのレコードメーカー、A&R、ライター、コンパイラー、DJである。ここではリスペクトを込めて「JAMさん」と記すことにする。レコード置き場もある都内の自宅にうかがうと、天井まで届くレコード・ラックにはびっしりとレコードが収納され、玄関にもレコードが立てかけられている。〈サルソウル（SALSOUL）〉の12インチの青い背が並ぶブロックを見て記憶がよみがえる。

いまから約17、8年前ぐらいだろうか。記憶が正しければ、その夜、JAMさんは〈サルソウル〉オンリーのセットだったはずだ。何よりヒップホップ的に〈サルソウル〉をかけるスタイルが衝撃だった。リズムとビートのキープを怠らず、時に鋭いカットインを駆使し、あの〈サルソウル〉の音楽から溢れ出す多幸感を永遠に持続させるかのようなプレイに完璧に打ちのめされた。それまで〈サルソウル〉をまともに聴いてこなかった若造は、この日を境に、このレーベルの音楽にもっと真剣に向き合おうと決心したのだった。</p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09143235/column210510-hosoda-hideo-jam-12.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396125" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>一方、JAMさんはライターとして旺盛な執筆活動を展開してきた。50年代末のソウルから90年代初頭のラップまでのアメリカのブラック・ミュージックを紹介するディスク・ガイド『U.S. Black Disc Guide』（鈴木啓志 編／ブルース・インターアクションズ／1991年）には、氏と共に、松尾潔、佐々木士郎（宇多丸）、坂間大介（Mummy-D）らも寄稿している。さらに、2017年には、雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー（bmr）』において14年間つづけた連載をまとめた単著『Chasin’ The 80s Classics』（SPACE SHOWER BOOKs）を上梓している。

そして、その本のイントロダクション「Intro Breaks」で、アメリカのブラック・ミュージックの真髄について氏はこう書く。「ブラック・ミュージックは80年代に限らず、いつの時代も『プロデューサーズ・ミュージック』である。プロデューサーが時代の流れを決め、プロデューサーが時代の流れを変える」

JAMさんはA&Rが本職であるから、厳密にはプロデューサーではない。しかし、プロデューサー的視点を有したDJ、ライター、選曲家として、日本に主にアメリカのブラック・ミュージックを紹介する重要な役割を果たしてきたことは間違いない。ディスコと「モータウン・ファミリー」とDJカルチャー、日本のヒップホップの黎明期、またこれまでA&Rとして手掛けてきたヒップホップ／ソウル／R&Bの作品やDJミックスについておおいに語ってもらった。この約2万字のロング・インタヴューは、そうしたJAMさんの貴重な経験、そこで得られた知識を多くの人びとと共有するためにお送りする。</p>
</div>

<h2 class="fade-up">INTERVIEW：細田日出夫 a.k.a. JAM</h2>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09130359/column210510-hosoda-hideo-jam-9.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396122" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──まず、現在のお仕事から教えてもらえますか？</strong>

<strong>細田</strong>　いまは2019年にできた〈CONNEXTONE（コネクストーン）〉という社内レーベルのA&Rをやっています。2015年に立ち上がった〈CONNECTONE〉という邦楽レーベルとビクター洋楽部が統合してできたビクターの中でも新鮮なレーベルです。ただ、俺は元々洋楽畑の人間なんですよ。1996年にビクターの洋楽部に入って、その後、〈plusGROUND（プラスグラウンド）〉という洋楽志向の邦楽ヒップホップとR&Bの専門レーベルを立ち上げた。そのレーベルが2020年で設立11周年になるのかな。そのレーベルを抱えたまま、〈CONNEXTONE〉で仕事をしていますね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong><em>氏はA&Rとして、〈plusGROUND〉でこれまで様々なアーティストと関わってきている。DJ PMX、DJ KAORI、餓鬼レンジャー、Full Of Harmony、DOBERMAN INC、Cherry Brown（Lil’Yukichi）、N.C.B.B.、また今年4月に『Funky 4 You _ EP』をリリースしたG.RINA。さらに、〈CONNECTONE〉には最新アルバム『Wonderland』を出したばかりのlyrical schoolが所属している。</em></strong></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>G.RINA／close2u（2021REMIX）【with Kzyboost】</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/1yeFRuntIDQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>lyrical school／TIME MACHINE（Full Length Music Video）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/0b9OQfimGXI" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そのように、日本のヒップホップ／R&Bの作品やアーティストを手掛けてきたJAMさんが、最初に、音楽、特にアメリカのブラック・ミュージックに魅せられたきっかけは何だったのでしょうか？</strong>

<strong>細田</strong>　いちばん最初にアメリカのブラック・ミュージックの歌に感動したのは、中学の頃に観たコカ・コーラのCMですね。そのCMではスタイリスティックス（The Stylistics）が“Coming Home”というコマーシャル・ソングを歌っていたんだけど、中学生の俺はその歌声を聴いて最初女の人の声だと思ったわけ。ところが、その歌声が、ファルセットという男性歌手の裏声だとわかったとき、「これはこの世のものじゃない」ぐらいの、ものすごい衝撃を受けた。それが、歌に対するファースト・インパクトですね。

それと、歌じゃないけど、サミー・デイヴィス・ジュニア（Sammy Davis Jr）も衝撃でしたね。彼がボトルを指輪で叩いてリズムを取ったり、スキャットしたりするサントリーのコマーシャルがあったんだけど、それを観たとき、これは自分みたいな凡人では到底ありえない感覚で、マネできないって強く感じて。そういうのが原体験にはある。子どもの頃に、そうした歌や身体表現を通して、ブラック・ミュージックの重要なエッセンスに影響を受けたのは経験として大きいです。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>1975 - "Coca-Cola - Coming Home" The Stylistics - Japan, 60 seconds.</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/bZyptkwncg0" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>Suntory Whisky, 'Sammy Davis Jr</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/yyN-aHtAVzs" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>


<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そして、JAMさんが東京で中学・高校を過ごされていた頃は、ちょうど第一次・第二次ディスコ・ブームと言われる時代ですね。ディスコ・ブームに火を付けたとされる映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本で公開されたのが1978年です。</strong>

<strong>細田</strong>　高校1年（1977年）の頃、先輩に連れられて新宿の歌舞伎町にあった「アップルハウス」に行ったのがディスコ初体験ですね。いやあ面白くて、すぐにハマっていろんなディスコに行くようになって。ディスコに通うようになって何が大きかったというと、ソウル、ファンク、ディスコをごっちゃ混ぜに聴くようになったことなんですよ。さらに、「BLACK SHEEP」（註：新宿、渋谷、上野に店舗があった）というディスコでは、バンドの生演奏を体感できた。

ただ、ディスコに通うようになったとは言うけど、俺が遊び始めた頃のディスコは高校生が気軽に行ける場所ばかりじゃなくて、敷居が高いお店がほとんどだったんです。当時のディスコは、お酒を飲んで、ボトルもキープして音楽を楽しむ、そういう大人の遊び場だったから。たとえば、新宿にあった「GET」（註：日本においてディスコ／ソウルのダンスやステップを数多く発明したダンサー、ニック岡井が店長を務めた）は、本当の遊び人が行くディスコだったし、何よりもディスコに行くためには踊りをおぼえなくてはいけないからね。だからまずは、新宿の「Tomorrow U.S.A.」といったデカ箱に行くわけです。「Tomorrow U.S.A.」は、ディスコが大衆化することで流行った場所で、比較的安く入れた。

記憶が正しければ、月曜と水曜がすごく安くて、どちらかの曜日が水割り飲み放題、フライドポテトが食べ放題だったかな。そういう場所で音楽とダンスを頑張って勉強して、基本の踊りを覚えたら「GET」とかに行って最新の踊りを研究する。そして、隙あらば、六本木や赤坂のディスコにくり出して行くというサイクルでしたね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>ディスコと一口に言っても、その種類も遊び方も様々だったことは想像に難くない。たとえば、JAMさんが初めて訪れる数年前、「アップルハウス」は、ドラマ『傷だらけの天使』（1974～1975年、第16話「愛の情熱に別れの接吻を」）の劇中において、どこかいかがわしい雰囲気を漂わせる都会の夜の遊び場の舞台装置として使われている。要は、“ナンパな遊び場”として表象されている。</em></strong>

<strong><em>しかしそれと同時に、そこには、ソウル、ファンクといった音楽を熱心に探求する踊り場としてディスコを捉えたハード・リスナー／ダンサーも当然いたわけだ。そんなJAMさんは、ディスコ以外の、ソウルやファンクがかかる場所にもくり出していく。</em></strong></p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　渋谷に「プリンス」というDJ（ロック）喫茶があったんです。センター街を入って、2つ目の角を右に行った左側に。そこは日替わりでDJが変わるんだけど、木曜が本間トミーさん、土曜は渡辺実さん（註：日本のMTVの初代VJ／キャスター）がDJしていて、渡辺さんのDJのときのテーマ・ソングがタワー・オブ・パワー（Tower of Power）の“You’re Still A Young Man”だったりと、かかるのはほぼソウル／ファンクだったんですね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Tower Of Power - You're Still a Young Man</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/xDDpq2UH9lE" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>それでそこに通い詰めるんだけど、俺があまりにいつもいるもんだから、渡辺実さんに声をかけられてね。「そんなに好きだったらビクターで『モータウン・ファミリー』というファンクラブをやっているから、そこのスタッフとしておいでよ」と。それで、〈モータウン〉のファンクラブのスタッフになるわけです。それが高校2、3年生の頃かな。

当時、ビクター音産（ビクター音楽産業株式会社）の洋楽部が入っていた原宿の表参道沿いのピアザビル（註：キディ・ランドの前に位置するビル）の4階がアジトで。そこで〈モータウン〉を取り仕切っていた但馬要（たじま・かなめ）さんの下で、いろんな情報や音源を聴かせてもらい、会報誌を書いて会員の人たちに送る仕事を始める。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>当時、日本における〈モータウン〉の発売元はビクターだった。そして、日本のディスコのパイオニアのひとりである、イラストレーター／ダンサー／DJの江守藹（えもり・あい）の著作『黒く踊れ！ストリートダンサーズ列伝』（銀河出版、2008年）には、ザ・コモドアーズ（The Commodores）の日本デビューとなる“THE BUMP”（1974年）のシングル盤のイラストを江守に依頼したのが、当時、〈モータウン〉のレーベル・マネージャーを務めていた但馬要であった、という記述がある。ちなみに、この1948年生まれの偉大な先達が著したこの書物は、日本におけるブラック・ミュージック受容の変遷、またディスコの歴史を知る上で、必読の名著である。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>The Commodores - The Bump</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/NK2eGiQQD0A" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　それで、そこのスタッフの人たちといっしょにライヴを観に行ったりもしましたね。印象に残っているライヴを一つ挙げると、大学に入ってからだと思うけど、デニース・ラサル（Denise LaSalle）の「赤坂MUGEN（ムゲン）」での来日公演。彼女の夫は、ラッパーのスーパー・ウルフ（Super Wolf）。“I’m So Hot”ネタの“Super Wolf can do it”（1980年）を〈シュガーヒル・レコード〉（1979年設立）からリリースしてる。

そのとき2人で来日していたから、デニース・ラセルが原曲を、そしてスーパー・ウルフがラップ・ヴァージョンをやる、という稀有なステージを観る機会に恵まれたのは良い思い出です。そう、だから、ちょうど〈シュガーヒル・レコード〉が立ち上がったばかりの頃で、ヒップホップのレコードも買い始めた時期でもあるね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Denise LaSalle - I'm So Hot</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/uiN9jxcoftc" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>Superwolf Can Do It（Original Release）</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/qSh_qpzvK-g" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>1979、80年の時点でヒップホップ／ラップのレコードを買い始めていた、というエピソードはとても興味深い。そのことについては後述するとして、そんな音楽漬けの10代を過ごした少年も大学に入学することになる。</strong>

<strong>細田</strong>　そんな風に高校生の頃から、ディスコ、ファンク、ソウルにどっぷりだったから、遊びの周囲には必ず音楽があったし、大学にそういうサークルがあれば入りたかったけど、入学した法政大学にはそういうサークルがなかった。

それでもやっぱり好きだから、当時早稲田大学近くの、グラウンド坂下にあったソウル・ファンが集まる「キャプテン」というソウル・スナック／喫茶にもよく通っていて。そこで、偶然サークル・ノートを発見するわけです。そこに書いてあったのが、「ソウル研究会ギャラクシー（GALAXY）」というサークル名だった。それが、ギャラクシーとの出会いですよ。ソウル・ファンの聖地とされる場所で、ソウル研究会と銘打ったサークルのノートがある、と。

もうこれは俺が求めていた運命的なものに違いないということで、そのノートに「こういうサークルこそを望んでいた」と熱いラヴレターを書いたんです（笑）。そしたら、たしか家に電話がかかってきたと思うけれど、初代の部長の大迫（一輝）さんから「次の例会はいつだからおいでよ」と誘われて。それが大学入学の年だから1980年だね。それから現在までつづくギャラクシーとの付き合いが始まる。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>ギャラクシーとは、1978年に設立された早稲田大学を拠点とするインターカレッジ・サークル。おそらく、RHYMESTERを輩出した音楽サークルとして最も知られているのではないだろうか。当初はソウル・ミュージックに特化していたものの、時代と共に、ファンク、ディスコ、そしてヒップホップ／R&B、あるいはハウスをも対象とした音楽同好会へと変化していった。わたしが氏と出会ったのも、00年代初頭にギャラクシーに在籍していた縁からである。</strong></em></p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09132437/column210510-hosoda-hideo-jam-10.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396123" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　ギャラクシーの活動の一方で、高校のときに面倒を見てくれていた、『モータウン・ファミリー』の但馬さんに「ビクターでバイトをやらないか？」と誘われる。で、俺と、白鳥（庸一）くんっていう俺のあとのギャラクシーの5代目の部長とアルバイトを始めて。そこで何をしていたかと言うと、本多慧さん（註：“和製ディスコ”のヒット曲を数多く生み出したプロデューサーとして知られるハッスル本多）の元でディスコのプロモーターをやらせて頂いたんです。

毎日15時ぐらいに出社して、ディスコでかけてもらうためのサンプル盤のアナログを取りに行く。それがそれなりに重い荷物になるの。で、そうしたサンプル盤を持ってまずは新宿や渋谷のディスコに行く。そうした新宿や渋谷のディスコでDJがかけてくれると、当時はトークがあるから、「このレコードはいつ発売のこういう曲です」ってMCをしてくれる。それがすごいプロモーションになるし、そのトークがないとレコードは売れないんですよ。だから、自分が担当している曲をかけてもらうために必死に頑張る。

だけど、ポリドールやソニーといった大きな会社の百戦錬磨のプロモーターの人たちが凌ぎを削っている現場ですよ。俺なんてまだまだ若造で、そういう人たちに揉まれながら自分が担当している曲がかかるまで粘るわけです。アルバイトとはいえプロモーターだからDJのブースに行けるので、DJがわきを見ている間に、ターンテーブルに乗っているレコードをさっと乗せ換えたりしてね（笑）。もう必死だからそういうこともやりましたよ。

<strong>──すごいエピソードですね（笑）。たとえば、どういう曲を担当していたのでしょうか？</strong>

<strong>細田</strong>　ビクターは、自分がアルバイトを始める前からディスコが強かったけど、当時のいちばんの目玉は、自分がプロモーターを始める頃にはすでにヒット記録中だったんですが、ボーイズ・タウン・ギャング（Boys Town Gang）の“君の瞳に恋してる（原題：Can't Take My Eyes Off You）”（1982年）でした。“君の瞳に恋してる”なんて日本でもいまや誰もが知っている定番のヒット曲でしょう。だけど、最初はそんなことはなかったんですよ。ディスコのヒットは時間がかかるし、ピークタイムにDJの人たちに何度も何度もかけてもらうことで時間をかけて浸透してヒットの規模がでかくなっていくものだから。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>この、フランキー・ヴァリ（Frankie Valli）が1967年に発表した“Can't Take My Eyes Off You”をボーイズ・タウン・ギャングがディスコ・カヴァーしたヴァージョンは、国内のオリコン洋楽シングルチャートで1982年12月6日付から3週連続1位を獲得するヒットを記録した。JAMさんが記憶を頼りに当時のディスコ・プロモーター時代の狂騒の日々について振り返ると、手元に何の資料も置かず、空で、いまや多くの人が知るヒット曲、またはディスコの店名やDJの名前が次から次に飛び出してくる。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Frankie Valli and the Four Seasons - Can't Take My Eyes Off You（Live）</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/DYwQy_9JPtQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>Boys Town Gang - Can't Take My Eyes Off You</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/i0iD4KzoIqk" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　他には、シルヴェスター（Sylvester）の“Do Ya Wanna Funk”（1982年）、〈モータウン〉だとちょうどリック・ジェームス（Rick James）のアルバム『Cold Blooded』とメリー・ジェーン・ガールズ（Mary Jane Girls）の『Candy Man』（1983年）がリリースされた頃ですね。

リック・ジェームスとメリー・ジェーン・ガールズは、来日プロモーションとかはままならないので、代々木にあったダンス・スタジオ「ファンキージャム」に協力してもらって女性の生徒さんたちに和製メリー・ジェーン・ガールズを組んでもらい“Boys”を、無論口パクでしたけど、パフォーマンスしてもらったり、「LA・SCALA（ラ・スカラ）」のDJのモンチ田中さんにリック・ジェームスの曲だけを使って（おそらく日本では初めての）スクラッチ・ミックス・ショーなんかもやって頂いて11PM（註：1965年から1990年まで続いた日本のテレビの“深夜番組”の先駆けとなった番組）に取材に入ってもらったりしました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Rick James - Cold Blooded</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/DSaqyM6L3C4" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>Mary Jane Girls - Boys</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/SuJu1gXisHo" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>また、当時はビクターがヴァージンの日本での発売元だったから、ヒューマン・リーグ（The Human League）の“愛の残り火（原題：Don’t You Want Me）”（1982年）とか、カルチャー・クラブ（Culture Club）の“君は完璧さ（原題：Do You Really Want To Hurt Me）”（1982年）と“カーマは気まぐれ（原題：Karma Chameleon）”（1983年）とかもやりました。

そういう仕事をしていたから、いろんなDJの人たちに良くしてもらいましたよ。数年前に亡くなられた、当時「ニューヨーク・ニューヨーク」（新宿歌舞伎町）のチーフDJをされていた松本みつぐさん（2017年7月21日、逝去）、東亜会館の7階の「G.B. RABBITS （GBラビッツ）」（新宿歌舞伎町）にはオーティス中村さんがいた。

さらに、新宿といえば、「XENON（ゼノン）」があって、また「B&B」でDJしていた、現TRFのDJ KOOさんにもお世話になりました。新宿だけじゃなくて、渋谷も行きまくりましたよ。渋谷の駅前に「Candy Candy（キャンディー・キャンディー）」というサーファー・ディスコ（註：1970年代後半から1980年代前半のサーファー・ブームを受け、いわゆるサーファー・ファッションの若者が多く集まったディスコのこと）があって、公園通りには「LA・SCALA（ラ・スカラ）」、東急本店の近くには「Star Woods（スター・ウッズ）」というでかい箱があったし、駅前のいまTSUTAYAが入っているビルの最上階には「big Apple（ビッグ・アップル）」があった。もうだから、ディスコ・プロモーターの仕事でとにかく全部回ったわけです。

<strong>──ただ、一口にディスコと言っても、当然、箱によってかかる音楽も趣向も違うわけですよね。</strong>

<strong>細田</strong>　だからやっぱり最新中の最新を聴くには六本木のディスコだった。それでひと通り仕事が終わったあとに六本木に行き着くという感じでしたね。アルバイトとはいえプロモーターをしていたからDJブースには入ることができて。それで、「Queue（キュー）」とか「Jespa（ジェスパ）」、「MAGIC（マジック）」といった、ファンクやラップ、ブラック・ミュージックしかかからないディスコで新譜の勉強をしていました。

ちなみに、当時「Jespa」でやっていたのがDJ YUTAKAさんですね。また、六本木と言えば、スクエアビルに入っていく路地のずっと手前の右側の上の方に「エル・コンドル」があったけれど、そこでDJをしていたのが、いま渋谷にある「rhythmcafe（リズムカフェ）」のオーナーをやっている小山寿明さんという大先輩。小山さんにはNYから凱旋帰国したばかりのDJの高橋透さんを紹介されたこともありました。そのとき高橋透さんがDJでプレイされたシャロン・レッド（Sharon Redd）“Never Give You Up”がカッコ良くてね。

そんな風にディスコに行くのだけでは飽き足らず、渋谷の道玄坂のリカビルの3、4階に、新宿、渋谷、六本木のディスコの生録テープが売っていたから、もう本当に買いましたよ。お店の名前とDJの名前が入っていたライン録りのライヴ録音。考えてみれば、ミックス・テープの走りですよね。そういうDJの選曲やミックスが、いまの自分の基盤となり、音楽生活の糧になっているから、DJの果たす役割は果てしなくデカいという感覚と認識を持っていますよ。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Sharon Redd - Never Give You Up</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/HAxKzcjiu38" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>仮にJAMさんを取り巻く人物相関図を作ったとしたらとんでもない濃厚なものになるに違いない。しかし、ここですべての人物をフォローする余裕はない。それでも、JAMさんの「DJの果たす役割は果てしなくデカい」という認識を受け、DJカルチャーという観点から、高橋透については触れておきたい。</strong></em>

<em><strong>1976年頃からDJをはじめ、1980年に渡米、NYのクラブ、セイント（The Saint）に衝撃を受ける。一時帰国し東京のディスコでDJとして活躍、1985年に再び訪れたNYでラリー・レヴァン（Larry Levan）とパラダイス・ガラージ（Paradise Garage）の洗礼を受ける。そして、1989年にオープンした芝浦「GOLD」のDJ／サウンド・プロデューサーを務め、一時代を築いた人物だ。そして、1998年から、宇川直宏、MOODMANと共に＜GODFATHER＞というパーティを開始、特に00年代のいわゆる日本のアンダーグラウンドなダンス・ミュージック・シーンに計り知れない影響を与えている。ディスコ時代を経験したDJがスピンするミニマル・テクノの快楽度数の高さを体感した身として、そのことを伝えたい欲求にも駆られるが、ここでは措く（註：高橋透の壮絶なDJ／音楽人生については高橋透著『DJバカ一代』（リットーミュージック、2007年）、または『MASSAGE VOL.5／6』の「祝！高橋透DJ30周年記念ロング・インタビュー（前後編）」に詳しい）。
</strong></em>

<em><strong>すなわち、自分も含め、現在、国内のクラブ／ダンス・ミュージックに触れたり、積極的に関わってきたりした少なくない人びとが、何かしらの形で恩恵を受けていると言っても過言ではない、ということである。</strong></em>

<em><strong>話をディスコに戻すと、また、ここで名前が出たTRFのDJ KOOは、『サタデー・ナイト・フィーバー』の40周年を記念した、2018年公開のある対談記事（【対談】DJ KOO × DJ OSSHY『DISCO FEVER – サタデー・ナイト・フィーバー40周年』、uDiscovermusic日本版）で次のように語っている。「（ディスコの）プロモーターの人たちと話をするのが、すごい勉強になったし、新しい音楽とか常に仕入れる事ができていたので、洋楽ってディスコが一番早くかかったし、早くヒットしたよね」。つまり、ディスコでの人気がレコードの売り上げに直結していた。</strong></em></p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09143112/column210510-hosoda-hideo-jam-11.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396124" /></div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09143915/column210510-hosoda-hideo-jam-13.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396127" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　当時新宿に「帝都無線」というレコード屋が何軒かあって。歌舞伎町の入り口にあったお店はディスコが閉店する終電前ぐらいまでやっていたんだけど、ディスコで曲がかかってドカーンと盛り上がると、その「帝都無線」でシングル盤が売れる。だから、次の日のディスコ・プロモーターの第一の仕事は、その「帝都無線」でいまプロモートしているシングルが何枚売れていたかを会社に報告すること。厳しいんだよ（笑）。

それと、新宿通り沿いにあった「帝都無線」には、ビルボードだったか、キャッシュボックスだったかの、毎週のR&Bチャートのコピーが置いてあって自由に持ち帰ることができた。当然いまみたいにネットを見れば、ビルボードのチャートでも何でも見られる時代じゃないからね。ビクターにもビルボードは届いていたんだけど、なぜか遅かったんだよね。だけど、「帝都無線」には毎週のチャートがいち早く置かれていたから、すごく貴重で、そのコピーをさらにコピーしてギャラクシーで配っていましたよ。いつしかその「帝都無線」のチャートのコピーがなくなって、すげえ困った記憶があるぐらいだから。

<strong>──いまのお話を聞いていると、よく欧米の音楽業界の内幕を描いたドキュメンタリーや劇映画などのなかで描かれる、自分の担当する曲をラジオに売り込むためにあの手この手を駆使して奔走するプロモーターの姿を思い出します。</strong>

<strong>細田</strong>　うん、仕事の構造としてはまったく同じですよ。ただ、ラジオとディスコのいちばん違うのは、曲をかけてもらったら、その場でオーディエンスの反応を観ることができること。それはディスコでしかありえなかった。だからそれはすごく感動するんだよね。自分がプロモートしている曲がここまでヒットになってきたかって。そのアルバイトをしているときに、ちょうど〈モータウン〉の25周年（1983年）があったのをおぼえている。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>その〈モータウン〉の25周年記念コンサートは、1983年3月25日にカリフォルニア州パサディナの「パサディナ・シビック・オーディトリアム」で収録され、5月16日にNBCで放送された。マイケル・ジャクソン（Michael Jackson）はこのときの“Billie Jean”のパフォーマンスではじめてムーンウォークを披露して全世界をあっと驚かせるわけだが、一方JAMさんは同年、DJがスピンした“Billie Jean”を体感することでヒップホップの革新性に衝撃を受けることとなる。1983年の『ワイルド・スタイル』の日本公開である。</strong></p></em>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　で、そうやってディスコで仕事して遊んでいるといろんな話をするでしょう。DJの知り合いも多かったから音楽の最新の情報も入ってくる。で、「なんかすごい映画が来るらしいぞ」という噂になっていたのが、『ワイルド・スタイル』だったんですよ。

すでに〈シュガー・ヒル〉や〈プロファイル〉のラップのレコード、12インチで買えるものはあったけど、遡れば、最初に「これはずっとしゃべるだけなのか？」と認識して聴いた曲は、それはやっぱりシュガーヒル・ギャング（The Sugarhill Gang）の“Rapper's Delight”（1979年）だよね。オケがシック（Chic）の“Good Times”だから当然どのディスコでもガンガンかかっているし、日本盤のシングルにもなりましたから。

ただ、そういうラップの12インチは、六本木にあったレコード屋「WINNERS」にしか入ってこなくて、他のレコード屋に入荷した試しはほぼないし、〈エンジョイ〉のレコードなんてまったく見かけなかった。自分の経験と記憶でいえば、“Rapper's Delight”やグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ（Grandmaster Flash & The Furious 5）の“The Birthday Party”はディスコでもかかっていたけど、そこまでいろんな曲がかかっていたわけではなかったかな。だから、ラップとは何なのかはまだはっきりとはわからなかった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel（Long Version）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/gXNzMVLqIHg" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>グランドマスター・フラッシュ（Grandmaster Flash）の“The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel”（1981年）を聴いたときも、「これはいったい何をやってるレコードなんだ？」ってわけわからなかった。ラップやスクラッチ、ブレイクダンスもなんとなくぼんやりは知っているけれど、理解しきれていない。

いまとなれば“Rapper's Delight”より前に出たファットバック・バンド（FATBACK BAND）の“King Tim III（Personality Jock）”（1979年）が世界で最初のラップのレコードだって歴史を後付けの知識として知っているけれど、当時はとにかくそうそう情報には乏しいから、新しく出てくるレコードを買って聴いて自分で理解していくしかないわけだからね。そんなときですよ、『ワイルド・スタイル』という映画が公開されるぞ、という噂が耳に入るのは。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>ちなみに、JAMというペンネームは、ファットバック・バンドのアルバム『Tasty Jam』（1981年）に由来している。さらに、『ワイルド・スタイル』のエピソードは続く。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　新宿・歌舞伎町のミラノ座で先行上映と前夜祭があったんだけど、ディスコ・プロモーターをやっていた恩恵もあってなぜかパスがまわってきて、ギャラクシーのみんなにも声をかけて押し掛けた。舞台挨拶もあって、出演者が出てくるけれど、誰が誰だかぜんぜんわからない。

で、舞台挨拶が終わると、「これから打ち上げに行くから、お前らも行こうぜ」ってそのメンバーたちに誘われて。あとからわかるんだけど、誘ってくれたのはコールド・クラッシュ・ブラザーズ（Cold Crush Brothers）のメンバーだったんです。で、外に止まっていたロケバスに「乗りなよ」って言われるけど、当然出演者や関係者でいっぱいで入れないでしょう。打ち上げの会場は「ツバキハウス」ですぐそこだから、「普通に歩いて行きますよ」と。そうしたら、そのメンバーに「バスの天井に乗ってけよ！」って言われて、みんなでバスの天井に乗って移動したの（笑）。

「ツバキハウス」に入ってまず驚いたのは、同じレコードが延々とかかっていること。「これ、何？」ってブースをのぞくと、そこでDJしていたのがグランド・ミキサーD.ST（＝グランド・ミキサーDXT）だったという。スクラッチで参加したハービー・ハンコック（Herbie Hancock）の“Rockit”（1983年）のプロモーションで来日していた彼が、『ワイルド・スタイル』の来日組とそこで合流したんですね。でも、目撃したときにかかっていたのがラヴバグ・スタースキー（Lovebug Starski）の“You’ve Gotta Believe”の（いまで言うところの）二枚使いだったから、“Rockit”がかかるまで彼だとはわからなかった。

スクラッチや二枚使いもいまでは当たり前だけど、そうしたものを生まれて初めて生で目前で観たときの衝撃を想像してみてよ。同じレコードのいち部分だけがずーっとかかっているけれど、DJは忙しそうに動いているし、ターンテーブルの間にミキサーがある、と。たしか横のクロスフェーダーだけの、タバコの大きさプラスアルファくらいのミキサーだったと思うけれど、そんなミキサーを見たのも初めてだった。

そのDJする姿をずーっと見ていると、“Rockit”のときに延々と同じレコードの頭の部分を交互にかけていることがなんとなくわかってきたの。有名なタイム・ゾーン（Time Zone）の“Wild Style”と“Rockit”のルーティーンもこのときすでに披露していて。そうこうしているうちに、フロアの方にも簡易的なDJブースが組まれて、DJアフリカ・イスラム（Afrika Islam）か、チャーリー・チェイス（Charlie Chase）か、そこの記憶が定かではないけど、DJを始める。

すると今度はマイケル・ジャクソンの“Billie Jean”の頭のブレイクをループし続けて、フロアではロック・ステディ・クルーが踊り始める。あの夜は本当に刺激的でしたね。観るものすべてが初めてのものばかりで、しかもそれまでレコードで聴いてぼんやりとしか理解できていなかったことがすべてひとつの線でつながった気がして。そして、その夜から「これからはヒップホップだ！」って瞬時に変わったんです。それはもう当然だよ。で、俺らはまずはDJをやろうってなったんだよね。</p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09151311/column210510-hosoda-hideo-jam-14.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396129" /></div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09152930/column210510-hosoda-hideo-jam-18.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396133" /></div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09152927/column210510-hosoda-hideo-jam-17.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396132" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>ここで興味深いのは、氏がDJカルチャーを通じて、ディスコとヒップホップの断絶より連続性に感覚を強く持っていたように思える点だ。ヒップホップ・カルチャーはディスコを否定した上に成り立っているという言説も少なくなく、確かにそのことを裏付ける現象、多くの証言や事実もあったにちがいない。しかし一方で、ディスコからの連続性の中でヒップホップを捉えた人たちもいたし、事実、連続性はあったのだ。</strong></em>

<em><strong>そして、DJ機材の入手である。しかし、当然いまほど安価ではなかった。そこで、前述したギャラクシーの「Brothers & Sisters 30周年記念号」という冊子のJAMさんのインタヴューに拠れば、当時1台7万5千円するTechnicsのターンテーブル「SL-1200 MK2」と、20数万円もする巨大なDJミキサーを大枚をはたいて入手した勇敢な後輩の家にみんなで毎日泊まり込んで練習する日々が始まったという。JAMさんが、ラップやダンス、グラフィティではなく、DJを選んだことは、それまでの音楽人生を考えれば、必然だったに違いない。</strong></em></p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09153840/column210510-hosoda-hideo-jam-21.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396136" /></div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09154434/column210510-hosoda-hideo-jam-20.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396138" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　俺らの周り、ギャラクシーでも、『ワイルド・スタイル』を観てラップとタギングを始めるヤツもいたよ。早稲田祭のときにでっかい看板に、グラフィティを描いたりもしていた。そのラップを始めた藤枝というヤツのスタイルは、『ワイルド・スタイル』に登場するダブル・トラブル（Double Trouble）だったね。ステージや階段で彼ら2人がラップで掛け合うシーンがあるでしょう。あれが、当時の俺らにはラップとは何か、というのを最もわかりやすく伝えてくれた。ただ正直な話、『ワイルド・スタイル』を観た直後の自分に関して言えば、日本人が英語であれ、日本語であれ、ラップすること自体がまったくイメージできていなかったんだよね。

それからしばらくして、そんな自分にとってヒップホップのより重要な意味合いが理解できるようになったのは、やっぱりRHYMESTER（1989年結成）ですよ。彼らのライヴから教わったことは実に大きかった。彼らがライヴしていた「代々木チョコレートシティ」には本当によく行ったけど、RHYMESTERを観に行けば、B FRESH、Crazy-A＆The Posse、EAST ENDがやっているでしょ。そこで、いろんなラップのライヴを観ることになる。そんななかで、RHYMESTERが最初に目指していたのは、本人たちはそう言われるのをイヤがるかもしれないけど（笑）、デジタル・アンダーグラウンド（註：Digital Underground／トゥパックも在籍していたことで知られるオークランドで結成されたヒップホップ・グループ。中心メンバーで、ラッパー／プロデューサーのショック・Gが2021年4月22日に逝去）だったのかな。

当初は、Rhymyster All Starsとして、3MCに加え、Dara Dara Dancersという2人組のダンサー、ゴージャス・ビッチ・シスターズ、ヒューマンビートボクサーのコダマちゃん、それにJIMMYがいた。ラップを中心にしながらもそういうショーになっていたんですよね。そのライヴが非常によくできていたし、エンターテインメントになっていた。そうしてもらうことで彼らのラップに対する本意に触れさせてもらった部分はとても大きい。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><em><strong>そんなRhymyster All Starsを若かりし頃に目撃していたひとりが、ラッパーのDABOだ。そのDABOは、自身のオフィシャル・ブログ「PAPER MOON MAN」の「ライムスターその壱」という2008年2月25日のエントリーで、JAMさんと共通する認識を示して、以下のように述懐している。少し長いのだが、とても興味深い記述なので引用したい。</em></strong></p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<section class="contentbox"><p>「当時のUSヒップホップシーンは掛け合いラップの大ブームで、若きバスタを擁するリーダーズオブニュースクールやフーシュニッケンズ、ノーティバイネイチャー、ファーサイド、ローズオブジアンダーグラウンド、オニクスにダスエフェックス、それに若き2パックを擁するデジタルアンダーグラウンドなどが激しく唾を飛ばしていた。そのノリを日本でいち早く初めていたのがライムスターだったと思う。今でこそ究極にクラシカルなたたずまいのライムスターであるが当時の扱いは完全に「色物枠」。Pファンク的なアティテュードを前面に打ち出していた彼らはそう見られることに辟易しつつも狙っていたフシもあったのではないだろうか。
同じ頃にクラッシュポッセにもすでに出会っていた。俺の中でライムスターオールスターズとクラッシュポッセという二組のアーティストは日本語ラップの原点であった。スタイルとしてのハードコアヒップホップ美学を体現していた前者に対し、後者ライムスターは文化としてのヒップホップをいかに日本語で日本的に表現し得るかという実験に挑戦していたのだと思う」（※原文ママ）</p></section>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong><em>また、このDABOの記述に登場するKRUSH POSSEのメンバーとも活動を共にしていたB FRESHの元メンバーであるCAKE-Kは、昨年から、自身のYouTubeチャンネルにおいて、日本のヒップホップの黎明期を振り返る貴重な証言と映像を定期的に配信している。そこで、B FRESH、Rhymyster All Stars、EAST ENDらが登場する、1991年の「代々木チョコレートシティ」での映像を観ることができる。</strong><em></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>【日本ヒップホップの歴史】役者は揃った！91年ラップシーン</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/T2wt0BA9hSM" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　俺もDJには即座に反応したけど、ラッパー／MCのようなパフォーマー、音の作り手／担い手になろうという発想を持つには至らなかった。そんな脳内転換が起きるにはちょっとジェネレーションが上過ぎたのもあったのかな。1986年当時は大学を卒業して社会人になろうかというタイミングだから、ヒップホップに対する感じ方、捉え方にはやはり差異も生じますよね。ただ音楽が好きとかいう、そういう側面ではなく、ヒップホップをどこまで自分ごとにできるかどうか。

つまり、いまも昔もヒップホップは若者の音楽だし、文化でしょ。ヒップホップを観て、触れて、その衝撃がその人にどう作用するか、その作用の仕方だよね。そこから発信されている同胞シグナルをキャッチできるか、受け取れるかどうかが重要なんだと思います。だからRHYMESTERは、当時ヒップホップのそういうシグナルをごく自然にキャッチして、日本なら日本語でリリックを書いて自己表現できると明確にイメージできたことが大きかったのだと思います。そして、それから彼らはいろんな壁にぶつかっただろうけど、ヒップホップというムーヴメントの核心をわかっていたから彼らには道が見えていたはずだし、だからこそ彼らの後ろにも道ができたのだと思います。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>RHYMESTER - B-BOYイズム</strong></p>
<iframe src="https://open.spotify.com/embed/track/1Ob98NWvtnKx4xP6QhRHmt" width="700" height="380" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong><em>ここでJAMさんが言う“同胞シグナル”という解釈は、RHYMESTERの“B-BOYイズム”の「数はともかく 心は少数派 俺たちだけに聴こえる 特殊な電波」（宇多丸）というリリックに直結しているものだろう。氏は1986年に大学を卒業後、外資系のコンピューター会社や広告代理店などの職を経て、1996年にビクターに入社している。そこで、RHYMESTERが活動初期から向かい合ってきた“日本語でリリックを書いて自己表現する”という大きな課題に自身もA&Rという立場で直面することとなる。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　自分のA&R人生のなかで、ディレクター的にも関わって大きかったのは、ORITOくんとの一連の作業ですね。俺が引き継いだときは、すでに彼はビクターで1枚アルバムを出していたんです。その作品は、メンフィスのウィリー・ミッチェル（Willie Mitchell）のところに行って、そこで彼が門戸を開けて「ロイヤル・レコーディング・スタジオ」で録音した“和製アル・グリーン”の作品とも言われる『SOUL JOINT』（1995）です。こういう日本人のソウル・シンガーがいるとテレビでも紹介されて、話題にもなりました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>ORITO Special</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/X7cpH2KYjdc" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>そして、2枚目から担当しました。それがすごい大変で……。なぜかと言えば、1枚目と同じように英語で歌っても大きなインパクトを与えることはできないだろう、という課題があった。そこでORITOくんと「日本語でやりましょう」という話をしたんです。

そして、小林信吾さんにフル・プロデュースをお願いして作ったのが『ソウル・フード』（1997年）というアルバムだったんです。ソウルでありつつ、シティ・ポップでありつつ、内容も良かったんです。でもこれが売れなかった。そんなときに、真っ先に門を叩いたのがT.KURA（T-KURA）さんで、彼とのセッションを進める一方、日本語でR&Bを歌うソウル・シンガー、日本語でラップをするラッパーというテーマで、当時の『bmr』（1997年8月号）の編集部・丸屋九兵衛さんのはからいでORITOくんとK DUB SHINEさんの対談が実現した。それもきっかけになってORITOくんも日本語でR&Bを歌うことをさらに真剣に考え始めたんです。

その流れでK DUB SHINEさんからORITOくんの話を聞きつけて一緒にやってみたいと申し出てくれたのがDJ HASEBEくんだった。そして、“Dj.フィールグッド”というK DUB SHINEさんをフィーチャリングした曲をレコーディングして。その曲が収録されたのが『LOST AND FOUND』（1999年）というアルバムです。そのときに、ORITOくんが日本語ラップからものすごく影響を受けて、日本語の可能性を日本語ラップに見出して、着想もストーリーも歌詞の書き方も韻の踏み方もR&Bならこうあるべき、という域にどんどん近付いていったんです。そのあと“FINGA PLAY”（2002年）というシングルを最後にビクターとは契約が切れてしまったけど、開眼したあとの彼の創作活動は本当にすごくて、彼が亡くなってからリリースされることになった『団子と珈琲』（2008年）という意味深なタイトルのアルバムはひとつの到達点だったと思います。日本語でR&B／ソウルを歌うことはこういうことかと思い知らされた。

また、日本の芸能界で積んだキャリアをかなぐり捨ててアメリカに渡って自分の力だけでグラハム・セントラル・ステーション（Graham Central Station）の女性リードの座を掴んだmimiこと宮本典子さんの凱旋ソロ・プロジェクトに関われたこともとても大きかったですね。彼女のように本場をみずからのステージに選択して、自分の実力だけを頼りに本場で人気を集めていくことのすごさというものを身に染みるほど味わいました。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong><em>ここで、ソウルを日本語で表現する、という課題にA&Rとして向き合った氏が、アメリカのソウルをはじめとするブラック・ミュージックの真髄に触れた経験についても語ってくれた。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　自分にとってはハリケーン・カトリーナの翌年に行った＜ESSENCE（Essence Music Festival）＞が大きかったですね。そうした現場に行くと、音楽がいかに機能しているかを知ることができますよね。例年はニューオリンズの「ルイジアナ・スーパードーム（現メルセデス・ベンツ・スーパードーム）」でやるんだけど、カトリーナの翌2006年はヒューストンの「リライアント・スタジアム（現NRGスタジアム）」で3日間開催されていました。

メインステージのトリをメアリー・J・ブライジ（Mary J. Blige）、アース・ウィンド＆ファイヤ（EW&F）、LL・クール・J（LL COOL J）が務めて、3日目の大トリはメイズ（MAZE）。家族や恋人同士で遊びに来ている老若男女がビシッと白いスーツ、ドレスでキメて楽しんいるわけだけど、そのときはアリーナがダンス会場になって、みんなステッパーを踊るわけ。そして、“Before I Let Go”、“Joy & Pain”、“Happy Feeling”の必殺の3連発をやると場内は大合唱ですよ。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>MAZE - Before I Let Go</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/Rbj15Zlh-Ag" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>Beyoncé - Before I Let Go（Official Audio）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/gVLsVj7BebE" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>さらにメインステージ以外に4つサイドステージがあって、ダグ・E・フレッシュ（Doug E. Flesh）、ルース・エンズ（Loose Ends）、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ（Brand New Heavies）がライヴをやっていたり、この年ではないけど、アンジー・ストーン（Angie Stone）のステージにサプライズでシュガーヒル・ギャングがゲストで出てきたり、信じられないことが普通に起こる。＜ESSENCE＞では例えばアレサ・フランクリン（Aretha Franklin）からマックスウェル（Maxwell）までをひとつの会場で観ることができる。

そこで強く実感できるのは、それぞれの世代の音楽が、老若男女関係なく、世代を超えて全て必要とされていること。だから、ORITOくんの『団子と珈琲』は歌詞もちゃんと聴けば、彼がソウルやアメリカのブラック・ミュージックのそうした普遍的なマインドの部分もちゃんと自分のものにしたんだなってことがわかりますよ。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>ORITO／リサ～横田基地物語</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/6KCqk2h3Y2Y" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong><em>2008年2月に急逝したORITOはヒップホップ・リスナーのあいだでは、SEEDA『HEAVEN』（2008年）や、刃頭のアルバム『日本代表』（2004年）に収録された「nene」の歌声でも知られているだろう。</strong></em>

<em><strong>そんな彼が、ベトナム戦争の時代から現代までを背景に、2世代にわたるストーリーを描いた、9分をこえる、『団子と珈琲』収録の“リサ:横田基地物語”は、ORITO自身が聞いた実話を基にしているという。この曲で彼は、「モータウン」「ジェイ・Z」「ビヨンセ」「ヒップホップ世代」といった単語を織り交ぜながら、語りと歌唱を調和させようとしている。ヒップホップ世代のシンガーが、“ソウルやアメリカのブラック・ミュージックのマインド”をいかに日本国内の社会的文脈における日本語のソウル・ミュージックに昇華するかという課題と格闘した末に完成させた名曲であろう。</strong></em>

<em><strong>JAMさんは、こうした、ヒップホップ世代のソウル・シンガーとの共同作業の一方で、ヒップホップ世代のDJカルチャーのディグの精神を伝播してきたとも言える。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Camp Lo - Luchini AKA This Is It（Official Video）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/WvAqy1i2hEA" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　1990年代後半は、キャンプ・ロー（CAMP LO）が“Luchini AKA This Is It”（1997年）でダイナスティー（Dynasty）の“Adventures In The Land Of Music”をサンプリングしているような時代だったじゃない。

『FRONT』と組んでネタモノのコンピレーションをやろうとなって、最初に『diggin' from the vaults』（1997年）を作りました。その頃のビクターにはカタログが豊富にあって、〈ソラ―（SOLAR）〉とか〈スタックス（Stax）〉とか〈ファンタジー（Fantasy）〉とか、そうしたレーベルのいわゆるネタモノのレコードを自分もたくさん持っていたから、1発目は自分で選曲して、ジャケットはDJ KENSEIさんの家のCRATES（註：レコード箱の意）を撮影させてもらった。さらに、中を開けると、DJ MASTERKEYさんをはじめいろんなDJの方（DJ KIYOさんやDJ JINさん）の家にお邪魔して撮影したCRATESの写真を配置したんですね。

それが売れたからシリーズ化して、2枚目が『diggin' from the vaults - Muro's Summer Vibes』（1997）、3枚目が『diggin' from the vaults DEV LARGE & KZA'S "Reincarnation"』（1998）でした。後者のジャケは水戸の「VINYL MACHINE」まで撮影しに行きましたね。それはDEV LARGE（＝D.L）さんとの本当に良い思い出だし、彼とはもうひとつ貴重な思い出があります。それは、Brunswickのミックス『Soul Traveling Brunswick』（2001年）を出したときのことで、そのときに彼が、ちょっと昔っぽい照明で、アフロのウィッグを被ってDJブースにいる自分を、俯瞰で撮りたいというアイディアを出してきたんです。そこで俺はもう白金のディスコ「ダンステリア」しかないと即座に思いついて、そこで撮影させてもらった。

だから、その撮影で、DEV LARGEさんは、あのニック岡井さんと、わずかながらですが、交流を持っているんですよ。ニック岡井さん、「ダンステリア」の初代オーナーでもあるドン勝本さん、江守藹さん（註：「ダンステリア」でDJもしていた）と言えば、日本のディスコの基盤を作られた非常に大きなお三方ですからね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong><em>ここで語られる貴重なエピソードは、間違いなく日本におけるディスコとヒップホップのミッシング・リンクである。さらに、DEV LARGEとのエピソードから思い起こされるのは、2020年11月に惜しくもこの世を去った、DJ／プロデューサー、Mr.Itagaki a.k.a. Ita-Choの唯一のオリジナル・アルバム『It's My Thing（Eat Meat To The Beat Productions）』（2006年）の制作へのかかわりである。</strong></em></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>NITRO MICROPHONE UNDERGROUND／BAMBU（1999）</strong>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/o76dFG3QnEY" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<strong>B.D. , Mr.itagaki a.k.a. Ita-cho／「Guidance」「Iranai feat.OMSB」</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/EmUQXDpQoxQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>細田</strong>　シンプルに、自分は、好きな音楽をやっている人が好きでそういう人と仕事がしたいんですよ。彼との時間もまた濃密でした。もちろん、90年代の、彼が〈マンハッタン・レコード〉のバイヤーの頃から、顔なじみではないけれど、存在を知ってはいましたし、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのためにトラックを作り始めているのも知っていた。

そして、ある人を介して、彼がアルバムを作りたいという話をしていると聞いて。それで、彼だったらどんなアルバムになるかがすぐイメージできたし、2つ返事でやりましょうと。それで、Mr.Itagaki a.k.a. Ita-Cho “The Big Bamb”名義のアルバムを担当することになったわけです。

さらに、『Sound Of New York The Return Of Old School Hiphop』（2008年）という〈P&P RECORDS〉がリリースしたラップのMIXCDや、配信オンリーの『Production Breakdown "The Best of Bob James"』というボブ・ジェームズのコンピも作ってもらいました。彼は、これまで付き合ってきた人の中で、いちばんヒップホップ的なものの考え方の正統性を語ってくれた人ですね。何がイケてて、何がイケてないのかっていうのをはっきり見極めて、生半可なおべんちゃらを言わなかった。

音にしても、着るものにしても、食い物にしてもどんなところにも美学がある、絶対に妥協しない人だった。そういう美学を軸にモノを考えて行動する人だったから、彼と話をすると清々しかったですよ。そういう人が早くして亡くなるのは、残念でなりません。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Mr.Itagaki a.k.a. Ita-Cho “The Big Bamb”『It's My Thing（Eat Meat To The Beat Productions）』</strong></p>
<iframe src="https://open.spotify.com/embed/album/6TULiSHDm9bDRnjqft08Qk" width="700" height="380" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──JAMさんはソウル・ミュージックから入り、ディスコなどを経て、そしてヒップホップやラップの最新の音楽も熱心に聴き続けています。記憶が定かではないのですが、国内のメディアやシーンがまだまだ東海岸ヒップホップへ傾倒していた90年代後半か00年代前半の『bmr』で、サウスのヒップホップなどの新譜をもっと聴くべきだ、と熱く語っていたように思います。</strong>

<strong>細田</strong>　当時は、毎週火曜に、〈シスコ〉、〈マンハッタン〉、〈DMR〉をぜんぶ回っていましたね。火曜出ているシングルはできる限り買っていました。でもサウスは、あまり日本に入ってきていなくて。当時、アメリカではスリー・シックス・マフィア（Three Six Mafia）がヒットしていたけど、メンフィス・ラップは日本になかなか入ってこなかった。だから、サウスが日本で認知されて火が付いたのは2002年ぐらいにリル・ジョン（Lil Jon）のクランクが認知されて以降じゃないか。あれは大きかったよ。

一方で、ビクターでリル・キキ（Lil' Keke）の『Platinum In Da Ghetto』（2002年）を出したときに、ボーナストラックをくれと言ったら、スクリューミックスで（笑）。そしたら回転数がおかしいとクレームが入ったりしましたよ。日本でもDOBERMAN INC『STOP, LOOK, LISTEN』（2006年）を担当した時に、購入者特典でいまは亡き二木崇さんとスクリューミックスを作りましたね。

<strong>──その後も、いままでずっと新しい音楽を貪欲に聴き続けているJAMさんの姿勢にとても感銘を受けます。今回の取材の動機もまずそこが出発点にありました。2020年にリリースされたZORNの『新小岩』の凄まじいチャートアクションについてもツイートで反応されていましたね。</strong>

<strong>細田</strong>　いや、それは姿勢というほど大げさなものじゃないよ（笑）。いま何がヒットしているのか、ということにすごく関心があるの。それと、とにかく新しいレコード、新譜を聴くのが根っから大好き。いま生きているのであれば、いまの音楽を、いま聴いて楽しみたいじゃないですか。特にいまは新譜のほとんどがリアルタイムに聴けるという恵まれた時代だし。だから、たとえば、ザ・ウィークエンド（The Weeknd）の“Blinding Lights”がなぜあそこまで長い間チャートインしているのか、とかもすごく気になるよ。それは、ポピュラー・ミュージックの真実はいま最もウケている音楽の中にある、と考えているからです。まさか、いまの若いラップやR&Bの人たちは、俺ぐらいの世代に向けてはやっていないじゃない。メッセージを投げかけているのは、あくまでも同世代の人たちですよ。もちろん音楽の個人的な好き嫌いや好み、良し悪しはあるけれど、そういう新しい世代間で放たれ合うシグナルや流行こそが正しいんです。それが世の中の基本。これはこれから先も変わることはないし、これまでもずっとそうだったんです。ブラック・ミュージックは特にそれが顕著だからなおさら面白いんです。</p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2021/05/09152934/column210510-hosoda-hideo-jam-19.jpg" alt="細田日出夫 a.k.a. JAM" width="1500" height="1500" class="alignnone size-full wp-image-396134" /></div>

<div class="text-box right fade-up">
<p>取材・文／二木信
写真／堀哲平</p>
</div>

<a href="https://twitter.com/hyperjam" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">Hideo JAM Hosoda Twitter</a><a href="https://www.instagram.com/hyperjam/?hl=ja" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">Hideo JAM Hosoda Instagram</a>
<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">good friends, hard times</a><p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/mega-g/354030/</guid>
		<title>ラップする理由──MEGA-G、ロング・インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/mega-g/354030/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/mega-g/354030/#respond</comments>
		<pubDate>Fri, 15 May 2020 13:00:40 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=354030</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライターの二木信による連載「good friends, hard times」第3回に登場するのは、JUSWANNAやDOGMAとのSTONEDZでも知られ、昨年11月に『Re:BOOT』をリリースしたMEGA-G。14曲収録の『Re:BOOT』にはDJ CARREC、DJ EVIL DEE、DJ SCRATCH NICE、I-DeA、LIBRO、MASS-HOLE、NAGMATICがビートで参加、客演にはDJ MUTA、DOGMA、KM$＆T2K、N.E.N＆BLAHRMY、PRIMAL＆秋田犬どぶ六、YOU THE ROCK★の名が連ねる。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1440" height="960" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06045251/interview2005-mega-g-1440x960.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="MEGA-G" decoding="async" srcset="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06045251/interview2005-mega-g-1440x960.jpg 1440w, https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06045251/interview2005-mega-g.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1440px) 100vw, 1440px" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><strong>good friends, hard times</strong></a>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。

第3回目に登場するのは、昨年11月にオリジナル・ファースト・フル・アルバム『Re:BOOT』をリリースした<a href="https://qetic.jp/?s=MEGA-G" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><strong>MEGA-G</strong></a>。</p>
</div>

<div class="separator"></div>


<div class="text-box left fade-up">
<p>「俺は『Re:BOOT』を置き土産にラップをやめるつもりで、すべての気持ちを注ぎ込んで作ったんです」。MEGA-Gは、インタヴュー開始から数分で驚くような発言をした。が、その発言の真意は、以下のインタヴューを読んでもらえれば、伝わるにちがいない。ヒップホップを深く愛し、ヒップホップ・カルチャーの現状に対して確固とした意見と優れた批判精神を持つ1981年生まれのラッパー、MEGA-Gに前々からじっくり話を聞きたいと考えていた。そして昨年取材を申し込んだタイミングで、ソロ・アルバム『Re:BOOT』のリリースを知らされた。

2019年は、USヒップホップにおいて、ベテランの充実した作品が出た年でもある。ギャング・スター（Gang Starr）『ワン・オブ・ザ・ベスト・イエット（One Of The Best Yet）』とブラック・ムーン（Black Moon）『ライズ・オブ・ダ・ムーン（RISE OF DA MOON）』がその代表例だろう。翻って国内をみると、そうした世代のUSヒップホップに影響を受けたラッパーの充実した作品が発表されている。たとえば、B.I.G.JOE『Tenderness』や田我流『Ride On Time』などが挙げられる。MEGA-Gがみずからプロデュースを務めた『Re:BOOT』も間違いなく、そうした素晴らしい作品のなかの1枚だ。DJ SCRATCH NICEやZKA、MASS-HOLEらの強靭かつソウルフルなブーム・バップを基調に、レゲエ／ラガがあり、MEGA-Gなりのトラップへのアンサーもある。エンジニアはI-DeAが務めた。

昨年11月30日から約1週間、東京・蒲田駅東口から歩いて数分ほどの、呑川沿いにあるマンション1階に設けられた特設会場でMEGA-Gのポップアップショップが開かれた。MEGA-Gが客演参加した作品のCDの視聴ができ、アルバム・ジャケットの原画なども飾られ、オリジナル・デザインのグッズやアパレルが販売された。地元の仲間たちも集まっていた。取材はそのタイミングで行っている。いろいろ訊きたいことがあった。『Re:BOOT』についてはもちろん、彼が愛する〈ダック・ダウン（Duck Down Records）〉への想い、これまでのキャリア、いまのヒップホップについて考えること、そして「ラップをやめるつもり」という発言の真意と“ラップする理由”について。</p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06182454/interview2005-mega-g-5.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-354047" /></div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06175912/interview2005-mega-g-1.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="1423" class="alignnone size-full wp-image-354043" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06182556/interview2005-mega-g-7.jpg" alt="MEGA-G" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-354049" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06182553/interview2005-mega-g-6.jpg" alt="MEGA-G" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-354048" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>MEGA-Gもまた、多くの表現者がそうであるように、満を持して発表した新しい作品を引っ提げてライヴを精力的にこなしていこうという矢先に新型コロナウイルスのパンデミックに襲われ、ライヴを思うようにできないでいる。しかし、MEGA-Gは不屈の魂で必ずや「再起動」するだろう。その根拠は、以下の1万２千字をこえるロング・インタヴューにある。</p>
</div>

<h2 class="fade-up">INTERVIEW：MEGA-G</h2>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──まず、『Re:BOOT』の制作をいつからはじめたのか聞かせてもらえますか？</strong>

4曲ぐらい入っている、いちばん最初のデモCDに2016年って書いてあったから作りはじめたのはそれぐらいの時期ですね。DJイヴィル・ディー（DJ Evil Dee）に直接会いに行ってビートの交渉をしたのもそのころ。VIKNが店長を務めるJUICE BAR WAVE（現：JUICE BAR ROCKET）でAKAIのMPC Renaissance（サンプラー）を使ったビート・メイキングのワークショップ（2016年12月22日）をやったんですよ。“病む街 3000”をいっしょに作ったOMEN 44がイヴィル・ディーとのあいだに入ってくれて、さらにそのワークショップがはじまる前にVIKNから交渉する時間をもらって。そこで挨拶をして自分のアルバムを渡して、「俺はあなたの大ファンだ。いっしょに1曲作ってもらえないか？」と伝えた。そしたらOKの返事もらえて、さらに何曲かやろうと言ってもらって、結果2曲作りましたね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>病む街 3000 - Omen44 feat. Mega-G, Shadow The Great Produced by Lord 8erz, Scratches by Dj YOHEI</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/ipVcZ_KtS_A" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──イヴィル・ディーは2019年に16年ぶりとなる最新アルバム『ライズ・オブ・ダ・ムーン』をリリースしたNYブルックリンのグループ、ブラック・ムーンのメンバーであり、数々のヒップホップ・クラシックを生み出してきたビートメイカー・デュオ、ダ・ビートマイナーズ（Da Beatminerz）の一員です。さらに、そのブラック・ムーンは、ブート・キャンプ・クリック（Boot Camp Clik）というコレクティヴに所属している。そのブート・キャンプ・クリックの作品を中心に、数多くの重要な作品をリリースしているレーベルが〈ダック・ダウン〉です。MONJUのMr. PUGはレーベル〈DOGEAR〉を設立するとき、〈ダック・ダウン〉をひとつのモデルとして考えていたと語ってくれたことがあります（『ele-king vol.18』特集「いまヒップホップに何が起きているのか？」2016年）。MEGA-Gくんは、ブート・キャンプ・クリックや〈ダック・ダウン〉の魅力をどこに感じていますか？</strong>

90年代にUSでもインディ・レーベルが乱立した時期はあったけれど、いま生き残っているレーベルがどれだけあるかと言えば、ほとんどないじゃないですか。そんななか、そういうインディ・レーベルの先駆的存在である〈ダック・ダウン〉はスタンスを変えず25年も活動をつづけている（〈ダック・ダウン〉の設立は1995年）。そのブレなさが彼らの素晴らしさです。自分たちの手の届く範囲に音楽や作品を届けた上でツアーもやり、応援してくれるファンや地元のために地域密着型のバーベキュー・パーティーやフリー・ライヴもやってみんなを喜ばせている。愛してくれる人たちやコミュニティにそういうかたちで愛を返しているのがすごくステキだし、見習いたいですね。音楽においてもちろんビジネスも大事だけど、音楽をライフとして楽しむことはもっと大事ですよね。そういうことを彼らから教わってきました。俺が最も憧れる人たちが変わっていないから、俺もブレずにやろうと思える。バックショット（Buckshot｜ブラック・ムーンのラッパー／〈ダック・ダウン〉の設立者のひとり）はいつ聴いてもバックショットのカッコよさがあるし、ショーン・プライス（Sean Price｜ヘルター・スケルター【Heltah Skeltah】のラッパー／2015年に亡くなる）は死んでからも何枚もアルバム出しているじゃないですか。そういうタフさも魅力ですね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Black Moon - Creep Wit Me</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/xk_rcZFaM_k" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<iframe src="https://open.spotify.com/embed/playlist/6iOnFmB3FCWAU6lzDFeZc8" width="700" height="394" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──アルバム・タイトルの『Re:BOOT』、またMEGA-Gくんが主宰するレーベル〈BOOT BANG〉にも、ブート・キャンプ・クリックの「BOOT」が組み込まれている。タイトルやレーベル名にはどんな意味合いを込めているのでしょうか。</strong>

「REBOOT」には「再起動」という意味があるじゃないですか。当初の計画ではこのアルバムを平成のあいだに出して、そこから自分の人生をラッパーとしても社会人としても「再起動」するつもりだった。それでこのタイトルにした。ところが制作中に足を骨折して長期入院まですることになってしまった。退院はできたけど、こうして足を引きずっているし、いまも酒が飲めないぐらいの重傷だった。アルバムが9割ぐらいできていたのに考えていたプランが全部流れちゃったんですよ。もう本当に心が折れかかりました。そんななか、お見舞いに来てくれた人が励ましてくれたり、Twitterでファンの人からの応援の声に触れたりして、もうちょっとだけ頑張ろうって思えて作品をなんとか出すことができた。俺にとって『Re:BOOT』はジェイ・Z（Jay-Z）の『ブラック・アルバム（Black Album）』（2003年）のようなものです。ジェイ・Zはあの作品を最後にラッパーを引退するつもりだったじゃないですか。その後復活しましたけど、あの作品を聴けば、本当に引退するつもりですごい集中力を込めて1曲1曲作っているのがわかる。だから、聴き流さずちゃんと聴き込めば、いろいろ感じ、考えることができる。俺も今回のアルバムを、全体を通してメッセージのある作品にしたかった。そういう意識で、全曲全力でラップしていますね。しかも、いままでやってこなかった、パーソナルな部分や、ヒップホップを通して俺の考えている意見や主張をどれだけ発信できるかを重視したんです。

〈BOOT BANG〉というレーベル名には2つの意味があります。ダブル・ミーニングです。まず、〈BOOT BANG〉って日本語の発音に置き換えると、“ブート盤（海賊盤）”になるじゃないですか。これにはそもそものレーベルのはじまりが関係しています。2010年にMUTAと『WHITE BOX』、そしてその直後にMUTAとDJ 49とともに『BASIC TRAINING』という2枚のMIXCDをリリースした。当時はSEEDA & DJ ISSOの『CONCRETE GREEN』も勢いがあったし、俺もMIXCDでいろんなチャレンジをしてみたかったんです。前者は、その前年に発表したJUSWANNA『BLACK BOX』のラップを同年のUSのヒップホップのビートとブレントしたもの。後者では、90年代の日本語ラップ・クラシックのビートに、俺やMSC、いろんなラッパーの既存のラップと書き下ろしのヴァースをブレンドした。

両者とも既存のヒップホップのインストを使うビート・ジャックがコンセプトです。つまり、〈BOOT BANG〉は“ブート盤（海賊盤）”からスタートしている。そこに、ブート（BOOT）で撃ち抜く（BANG）という意味をかけている。そして、いつか俺なりの本物のヒップホップを詰め込んだファースト・アルバムを出す、そこまでのヴィジョンを意識して〈BOOT BANG〉というレーベルをはじめたんです。それから、〈CPF〉というレーベルのクラウドファンディングの会員限定で何枚かソロ・アルバムを出しましたけど、こうして誰もが聴ける一般流通でのオリジナル・フル・アルバムははじめてです。だから、俺にとってはレーベル設立以来、9年越しのオリジナル・ファースト・フル・アルバムになる。</p>
</div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06183020/interview2005-mega-g-10.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="2688" class="alignnone size-full wp-image-354050" /></div>

<div class="full-img-v fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06185017/interview2005-mega-g-2-1.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="2688" class="alignnone size-full wp-image-354054" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>ここでMEGA-Gのディスコグラフィーを簡単に整理しておこう。2006年にラッパー、メシアTHEフライとDJ MUTAらとのグループ、JUSWANNAとしてEP『湾岸SEAWEED』（<a href="http://www.ele-king.net/interviews/004075/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">本作収録の“東京Discovery”と“ブストゲスノエズ”は16FLIPが最初に世に出したビート</a>）を、2009年、同グループのファースト・フル・アルバム『BLACK BOX』を発表。2012年にクラウドファンディングの会員限定流通作品としてファースト・ソロ『JUSWANNA is dead』を、翌2013年に同じく会員限定でセカンド・アルバム『ORIGINAL SOUNDTRACK FROM THE M.E.T.S. LIFE』を発表している。ちなみにソロ作品の両者にはそれぞれ一般流通のリミックス盤が存在する。では、ここで、MEGA-Gのバイオグラフィーについてもたずねてみたい。取材は、東京都大田区西糀谷にあるカナエ産業の町工場で行われた。最寄り駅は浜急行電鉄空港線の糀谷駅。そこではスケボーの板を使用した椅子作りなどもしているという。目の前には、さまざまな金属の部品や機械が置かれている。ここがMEGA-Gの地元だ。『Re:BOOT』には、同じく城南出身のKM$とT2Kをフィーチャーした“Southern Hospitality”という城南をレペゼン（代表）する曲がある。地元はどんな土地なのだろうか。</strong>

大田区は見てのとおり、京浜工業地帯の一角で、工場が多い地域です。いまは元気がないけど、まだまだ町が活気のあった俺らの子供のころは、それこそメシアの「光化学スモッグどんづまる」（“大焚湾景”『湾岸SEAWEED』収録）っていうリリックにあるとおり空気も悪かった。俺にとってもここがスーパーネイバーフッドで、自転車で5分くらい行けば実家。うちも車の整備工場で、俺はそこの倅。ガッチャンガッチャンやっているところで育ちましたね。そういう町工場で、もう亡くなってしまったラジオ好きのおじさんが働きながらいつも音楽をかけていて。だからなんとなく小さいころから音楽っていいなあっていうのはあった。

俺が中学高校時代（1994年～2000年）はストリート・ダンサーとスケーターがとにかく多かった。このあたりはストリート・ダンサーとスケーターが支配していましたね。蒲田駅西口の東急ストアのガラス張りの壁の前で練習しているダンサーに憧れて観に行ったりしていたし、同級生や先輩にはスケーターがたくさんいましたね。そのなかのひとりがメシアだった。俺は蒲田で、メシアは隣町の大森が地元だった。ヤツは、俺が出会った16歳ぐらいのころにすでに地元の超有名人だったんですよ。ラップもしていたし、高校もすぐにフェイドアウトして腰ぐらいまであるドレッド姿でコンビニの深夜アルバイトしていましたから。まあ悪いコンビニだったんですよ（笑）。メシアとかスケーターの友だちに連れられてクラブに遊びに行くなかでヒップホップっていうカルチャーを少しずつ認識していった。

それ以前に、ラン・DMC（Run-D.M.C.）がラップしている『ゴーストバスターズ2（Ghost Busters II）』（1989年）のメインテーマを聴いたり、昔のアメリカ映画を観たりするなかでラップという音楽をなんとなく認識はしていたし、『浅草橋ヤング洋品店』（通称「浅ヤン」。テレビのバラエティ番組）に出演したダイアナ・キング（Diana King）がウーハーを積んだ車の上で“シャイ・ガイ（Shy Guy）”（1995年）を歌う企画に食らったりもしていた。“シャイ・ガイ”はブラック・ミュージックとの最初の出会いですね。また、「ギルガメッシュないと」っていうエロ番組でリセット・メレンデス（Lisette Melendez）の“グディ・グディ（Goody Goody）”（1994年）の超ダサい日本語カヴァーを聴いたあとにオリジナルを聴いてぶっ飛ばされて、そういう曲がのちに遊びに行ったパーティでかかってうれしくてどんどんハマっていった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Diana King - Shy Guy</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/szjaHbjhauk" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>そういうクラブに連れて行ってくれるのがスケーターだったから、当時のスケーターのビデオとかも観るじゃないですか。そうすると、ビースティ・ボーイズ（Beastie Boys）といっしょにハード・ロックやパンクも使われている。そういう音楽にも関心があったし、日本のロックも聴いていました。イエモン（THE YELLOW MONKEY）なんて高校のころにバイトした金でチケット買って横浜アリーナにライヴを観に行くぐらい超大好きだった。同時に、TM NETWORKや初期から電気グルーヴを聴いているようなテクノ好きの姉ちゃんがいたから、“虹”（1995年）とか“Shangri-La”（1997年）も聴いていた。それでもやっぱりヒップホップが好きだったから、このカルチャーに携わるにはどうしたらいいんだろうって考えた。金もないガキだから機材を買うのに金がかかるDJはまず無理だと。そうなると、残された選択肢はダンスかラップなんです。でもダンスは体型的に絶対無理だから諦めようと（笑）。そうすると、ラップしかないわけです。そんなことを考えている矢先に、俺がヒップホップを聴いていると知った超やんちゃなDJの先輩に呼び出されるんです。それが15、6歳、中3の終わりぐらいのことです。

ほぼ知り合ったばかりのその人に『お前、ヒップホップが好きらしいな。だったらラップやれよ！』ってなかば強引にラップをやらされることになって。でも、ヒップホップを聴きはじめたばかりだからラップのやり方もわからないわけですよ。そしたら、その先輩のDJから「ビギーを聴け！　日本語ラップは聴くな」とひたすらビギー（The Notorious B.I.G.）を聴かされて洗脳されました。そんな“日本語ラップ否定派”のやんちゃな先輩が唯一俺に聴いていいと許可してくれたのがMICROPHONE PAGERだったんです。だから俺はMICROPHONE PAGER、特にTwiGyさんにめちゃくちゃ影響受けているんです。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>MICROPHONE PAGER - 改正開始</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/FQFbohJPVrg" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>


<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──それからラッパーとしてどういう活動を展開していくんですか。</strong>

俺は最初、ラッパーとしてジャイアンって名乗っていました。藤子・F・不二雄先生を冒涜するかのように、ジャケットにドラえもんのジャイアンを使い、イントロでドラえもんの曲を丸々使う、というとんでもないデモテープを作りましてね。まだ18歳になる前でした。そのデモテープを渡すために、〈EL DORADO〉（DEV LARGEが1997年に立ち上げたレーベル）が渋谷のクラブ・FAMILYでやっていたイベントに行ったり、学校をサボってMASTERKEYさんとMAKI（THE MAGIC）さんがラジオの公開収録している現場に行ったりしていました。すげえ勢いで飛び込んでいくんであちこちでけっこう苦笑いされましたね（笑）。でもとにかく、自作のデモテープを聴いてほしくて渡り歩いていました。

<strong>──MEGA-Gくんは正式なメンバーではなかったそうですが、ZEEBRAが90年代後半に立ち上げたクルー、URBARIAN GYM （UBG）の準メンバー的存在で、DJ KEN-BOの運転手やレコード持ちをやっていた経歴もあるそうですね。</strong>

18、19歳ぐらいのころは、ZEEBRAの“真っ昼間”のMVとあの曲が収録された『THE RHYME ANIMAL』（ZEEBRAのファースト・アルバム／1998年）に刺激を受けまくっていた時期なんです。そのジブさんが「デモテープがあるヤツはガンガン持って来い」って＜THE LIVE ANIMAL'98 JAPAN TOUR＞のビデオで発言していたのを真に受けて突撃したんです。1999年のB-BOY PARKで当時、UBGに所属していたOJ & STのOJくんと出会い、その流れでSTさんやD-Originuさんともリンクした。そうして、1999年末に川崎のCLUB CITTA'であったイベントのときにバックヤード（楽屋）に入れてもらって、ジブさんにフリースタイルを仕掛けるという（笑）。そういう勢い突っ込んでいた時期ですね。まだ2ちゃんにもヒップホップのスレッドがないころに、「サグ（THUG）板」や「友情BBS」、「韻化帝国」というヒップホップの掲示板がネット上にあって、そこに書き込んで情報をゲットしたり、議論したりしていた名もなき戦士、名もなきB・ボーイでしたから。だから、クラブにももっと行きたいじゃないですか。でも金がない。じゃあ、どうするか。「クラブで働いている人かクラブでDJやっている人についていけばいいんだ」っていう発想になる。それでKEN-BOさんの運転手やることになった。だから、俺にとってヒップホップのDJの原点はKEN-BOさん。プレイを観てDJの勉強をしていました。でもいろいろきついこともありましたけどね。三宿のPARADISEってクラブで5時間のロング・セットをやるときに鬼のようにレコードバッグを持って行くんですよ。マジで肩がぶっ壊れるかと思った（笑）。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>ZEEBRA - 真っ昼間</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/R7zai9T0WOc" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<p><strong>LICENSE TO ILL／MEGA-G feat. DJ MUTA（beat by NAGMATIC）</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/u3mJ0CZULPI" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──2019年5月2日にこんなツイートをしていますね。「僕の中で業界の門を開けてくれたのはOJ&ST、初めてスタジオでマイクの前に立たせてくれたのはZEEBRA、そして業界の内側を教えてくれたのがD.Lなんです」と。そして、〈BOOT BANG〉のHPの「Feat. Works」の欄のいちばん古い楽曲が、2004年8月4日の“RICE／侍 Feat. L-VOKAL & MEGA-G”（RICE『Power Of Heat』収録）となっています。このあたりの時代の話を聞かせてもらえますか。</strong>

まずSPHERE（旧SPHERE of INFLUENCE）とL-VOKALも俺の初期の活動を支えてくれた重要人物です（SPHERE of INFLUENCE、L-VOKAL、DJ MAROKから成るクルーがCIG）。SPHEREから紹介されたL-VOKALが、当時レコーディングの経験もほとんどない俺にスタジオの現場を見せてくれたし、俺をフックアップして世に出してくれたのはCIGなんですよ。2002年ぐらいにL-VOKALのDJをやっていたT-TRO a.k.a TAKUYA TROPICANAのミックステープ（『BACK TO THE 95』）に入れるフリースタイルを録ろうって誘ってくれたのも彼らだった。そのラップが、デモテープ以外で俺がはじめて世に出したものです。D.O.くん、SPHERE、L-VOKAL、MCG名義の俺のフリースタイルが収録されている。

そして、その翌2003年にSPHEREがDEF JAMから出したセカンド・アルバム『ATLANTIS』収録の“FABULOUS 5”（feat. L-VOKAL、MEGA-G、KM-MARKIT、D.O）と“Dirty South”っていう2曲に参加して俺はデビューしたんですよ。Dirty Southっていうのは、SORA3000、 DOC D、SPHERE、俺の城南出身の4人で組んでいたグループで、ビートはWong Gun。Wong GunはいまのBACHLOGICですね。しかも、当時まだBEAT LEGENDという名義でやっていたと思うけど、D-ST.ENTの故・二木崇さんのレコードからサンプリングしてビートを作ったときは、Wong Gun名義だったんですよ。そういうルールがあった。これは余談ですけど、BLがラップやる時はSPYDERという名前でやっていて、超カッコよかった。5lackのフロウの原型のようにも聴ける。

<strong>──このときはMEGA-G名義になっていますよね。</strong>

そうですね。ある時、SPHEREとステーキを食いに行ったんです。ちょうど俺の誕生日が近かったから、ヤツが「500gのステーキを食ったら奢ってやるよ」って言ってきて。それでまんまと俺が完食したんです。で、そのステーキの名前がメガステーキだったから、メガ・ジャイアンでMEGA-Gになったわけです（笑）。その後、2004、5年くらいから〈Libra〉と合流して、DJ DOMMONのミックステープ（『GETTIN' HOT』）で初めて〈Libra〉の仕事をすることになるんです。

<strong>──MEGA-Gくんと日本語ラップ、日本のヒップホップの歴史との深いつながり、またそういう歴史の継承ということで言えば、『Re:BOOT』の“Outta Here”というスキットは重要です。このスキットはYOU THE ROCK★の語りのみで構成されています。</strong>

その次の“RAP IS OUTTA CONTROL”という曲のなかに「今の現状からoutta hereさせられるのを考えた事あるかキッズ？」というリリックがありますよね。このラインにつながるイントロが欲しいとまず思い立った。そこで当然思い出したのが、YOUさんの大傑作『THE★GRAFFITI ROCK '98』に収録されているスキット“OUTA HERE（REAL SHIT PT.1）”だった。YOUさんは、KRS・ワン（KRS-One）の“Outta Here”のファースト・ヴァースを日本語訳して自分なりの味付けをしてライヴで朗読したものをここに収録した。俺はその詩のあるいち部分を変えていただき、朗読してもらうつもりだったんです。そういうオファーをするためにYOUさんに会いに行った。

そしてその場でまず“RAP IS OUTTA CONTROL”を聴いてもらいました。すると、YOUさんが、その曲でスクラッチされているTwiGyさんの「ラップじゃねえか たかが」（“改正開始”）というリリックを聴いて、『俺もこのリリックを使おうと思っていたし、俺もこれがマジ言いたかったことなんだよ』と言ってくれた。「リンクした」と感激しましたね。さらに、YOUさんはその場でノートを開いて新しい詩を書いてワンテイクでバシッと録音をキメてくれたんですよ。それで完成したのがあのスキット。しかもYOUさんが“Outta Here”を当時作ったのは、ビギーが殺された直後の気持ちを残し、伝えておきたかったかららしいんです。その話を聞いてなおさら自分のアルバムに詩を朗読してもらって良かったと思いましたね。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>KRS-One - Outta Here</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/Ex3XuJavaBI" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──日本のヒップホップ、人生の浮き沈みを経験して見てきたYOU THE ROCK★だからこそ成立していますよね。また、KRS・ワンの“Outta Here”が収録されたアルバムのタイトルが『リターン・オブ・ザ・ブーム・バップ（Return of the Boom Bap）』（1993年）です。直訳すれば、「ブーム・バップの逆襲」となる。『Re:BOOT』もまさに「ブーム・バップの逆襲」というのがふさわしいヒップホップ・アルバムです。同時に、“808 is coming”でトラップにも挑戦している。この曲はMEGA-Gくんなりのトラップに対するアンサーですね。</strong>

トラップをディスりたいとか、そういうことではないんです。ただ、同じ打ち方のハイハットに同じようなスカスカのビート上で、みんなが同じようにフロウをしているのを聴くと、「なぜ、みずから個性を殺しているんだろうか？」「ヒップホップは個性が大事なんじゃないか？」と強く思う。そこから来た俺なりの問題提起です。そこで、トラップのビートで2、3曲ぐらいはやろうかと当初は考えていたけど、1曲入魂で作りました。

けれども、単なるトラップ・チューンをやるつもりはなかった。そこでI-DeAくんからまさにアイデアを授けられたわけです。それこそKRS・ワンの〈ブギ・ダウン・プロダクションズ〉（Boogie Down Productions）に所属するラッパー、D・ナイス（D-Nice）にその名も“TR 808 イズ・カミン（The TR 808 Is Coming）”（1991年）という曲がある。それが元ネタで、BPMもほぼほぼいっしょです。ただ、ドラムの打ち込みを今風に変えて、D・ナイスの曲を100回くらい聴いた上で、90年代からいまに至るまでのヒップホップを吸収した俺なりのアンサーや解釈をリリックとラップに込めた。ヒップホップには絶対に欠かすことのできないドラムマシーンであるTR-808にすべてを関連付けながら、だけど、ドラムマシーンの808なのか、“あっちの808”なのか、そのあたりも混ぜて考えさせるようにしている。「ダブル・ミーニングだぞ、わかるか？」と。トラップをやるにしても、フロウもリリックも内容も大人の余裕を見せた曲に仕上がっているはずですね。</p>
</div>


<div class="text-box fade-up">
<p><strong>D-Nice - The TR 808 Is Coming</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/Nwu4XEO7m8I" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<p><strong>MEGA-G “Stonedz iz the way feat. DOGMA／808 is coming”</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height="540" src="https://www.youtube.com/embed/c-uIEUpOxJY" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──いま“あっちの808”という話が出ました。イヴィル・ディーがビートを作りラッパーのDOGMAが客演参加した“Stonedz iz the way”は単なるストーナー・ラップではなく、ウィードが法律で禁止されている日本の現状に対する異議申し立てになっています。</strong>

DOGMAとのSTONEDZのアルバム『STONEDZ PROJECT』（2016年）で俺たちなりのいわゆるストーナー・ラップの最高峰を作ったんです。だから、このトピックを扱うのであれば次のレベルに行かなければならないし、ラッパーとしていまの時代にこのことについて歌うのならば、メッセージが重要じゃないですか。「俺たちはぶっ飛んでるぜ、ウェーイ！」っていうのは若い人に任せておきたいです。

<strong>──近年、舐達麻やジャパニーズマゲニーズが活躍していますが、日本語ラップにおけるストーナー・ラップの重要作のひとつと言えば、2014年に公開されたSTONEDZの“HIGH BRAND”のMVですよね。日本語ラップにおけるこの領域の先例には、THINK TANK『BLACK SMOKER』（2002年）の当時としては衝撃的なジャケがありますが、このMVもすごい。アムステルダムで撮っていますね。

アムスには2012から2013年にかけて3回くらい行っています。2012年はカンナビス・カップの25周年で、その記念大会に行きました。それが初アムスです。カンナビス・カップ（The Cannabis Cup）にはアメリカからゴーストフェイス・キラー（Ghostface Killah）やスタイルズ・P（Styles P）、ノリエガ（N.O.R.E.）らも来ていてすごい盛り上がりで衝撃を受けて。それで翌2013年の4月20日に再訪するんです。そこで、“HIGH BRAND”のMVを撮るためにアムスでも5本の指に入るぐらいのGREY AREAという有名なコーヒーショップに通い詰めることになる。

だけど、そのお店のなかで撮影をしたいと、店主に頼むと最初は「バカヤロー！」って感じで門前払いをしばしば食いまして（笑）。それでもめげずに、このお店をロケで使いたいという情熱を伝えるために毎日オープン前から並んで、オープンと同時に入店して居座るというとんでもない荒技を駆使すると、だんだん店主も優しくなってきて。「お前らはファミリーだ」なんて認めてくれて、店のメニューにないものも売ってくれました。そして帰国が迫るなかで再び撮影のお願いをすると、「じゃあ、今晩撮ろう」ってボソッと言ってくれた。斜め前のお店で寿司の出前を取ってくれた上に、「撮影には太いジョイントが必要だろ？」と、お店からのご好意であのMVに登場するでっかいジョイントを提供してくれたんです。25グラムも詰まっていて顔面がめっちゃ熱かったです（笑）。</strong></p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>HIGH BRAND feat. DOGMA</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="960" height=540" src="https://www.youtube.com/embed/VleXFyp6hGk" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<iframe src="https://open.spotify.com/embed/album/7rlg7aIK2mUhShW5eIaRhY" width="700" height="394" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>
</div>


<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──なるほど。また、先ほどからビギーの話がしばしば出てきていますが、“Stonedz iz the way”では、ビギーの“エブリデイ・ストラグル（Everyday Struggle）”（『レディ・トゥ・ダイ（Ready To Die）』1994年）のラップがスクラッチされています。</strong>

あのスクラッチはDJ DOMMONですね。実は“I LOVE YOU SON”の最初のヴァージョンは、ビギーがジェイ・Zといっしょにやっている“アイ・ラヴ・ザ・ドウ（I Love The Dough）”と同じネタでビートを組んでいたんです。アルバムやEPを出すときには必ず1曲はビギーへのオマージュを入れるようにしているんですが、なんとこのヴァージョンがいちどポシャッてしまった。それで気持ちが萎えているときにLIBROくんのアルバム『SOUND SPIRIT』のレコーディングに誘っていただいて“ライムファクター”を録音して。そこで、スキル・トレードというかたちで俺のアルバムのためにビートをもらえませんか？　とお願いしてもらったのが完成した“I LOVE YOU SON”のビートだった。

ところが、この曲が完成する前に足を骨折して入院するんです。その入院中にT2KくんのEP『continue...』の“Fuck You to Money”の秋田犬どぶろくの声がすごく染みて。俺にはいま秋田犬どぶろくが必要だと思い、彼を誘わせてもらったんです。昔からOZROSAURUS“My Dear Son”がすごく好きで、自分もいつかそういう曲を作りたいと考えていたんです。2014年に子供が生まれているんですけど、実は俺、その直後にちょっとパクられてしまって。だから、子供に会いたいけど会えないつらさ、懺悔、そういった素直な気持ちを込めたファースト・ヴァースは留置所のなかで書いている。そしてセカンド・ヴァースで奥さんにたいする感謝を込めつつ、自分のいまの現状を伝える構成にした。そして、秋田犬どぶろくともうひとり、この曲をともに作るラッパーが必要だと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが、PRIMALだった。かつては共同生活をしていたし、PRIMALが奥さんと出会って、結婚して、子供を授かるまでの過程を見て知っている。子供のためにラップをちょっと休んで仕事を頑張っているのもカッコいいし、俺が思うカッコいい父親のひとりだから誘いましたね。

<strong>──この曲のセカンド・ヴァースで「大どんでん返しも多めだが舞い込んで来る大本命のMADONNAを手に入れるlike SEANPENN」というラインがありますよね。このあたりをみずからRAP GENIUSしてもらうとどう解説できますか？</strong>

マドンナ（Madonna）が結婚していたショーン・ペン（Sean Penn）との関係が破綻するなかで作っていた『ライク・ア・プレイヤー（Like a Prayer）』（1989年）というアルバムのなかに“キープ・イット・トゥゲザー（Keep It Together）”という曲が収録されているんですけど、この曲はスライ＆ザ・ファミリー・ストーン（Sly & The Family Stone）“ファミリー・アフェア（Family Affair）”を冒頭で引用しているんです。それで、俺にもいろんな家庭事情があるけれど、それを乗り越えて一緒に歩んでいこうという意味を込めて「family affair超えてkeep it together」と続けている。さらに「21g新たに背負い」というのは、タイトルは魂の重さが21グラムであると唱えたある科学者の説に由来する、ショーン・ペン主演の映画『21グラム（21 Grams）』からの引用です。新しい魂は、つまり子供のことですよね。そうして、ここではマドンナとショーン・ペンを使ってラップを展開させているんですよね。全曲こうして解説しようとすれば、できますね。それぐらい、引用とライミングと意味なんかをかけた仕掛けをすべての楽曲にいろいろ張り巡らしています。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06183612/interview2005-mega-g-00.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="2688" class="alignnone size-full wp-image-354052" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──MEGA-Gくんは元々ライミングをかなり徹底していましたが、この作品で意味の関連付けや論理展開も強化して、表現をより豊かにしています。</strong>

Genaktionさんのブログ「<a href="http://koolg.blog57.fc2.com/" rel="noopener noreferrer" target="_blank"><strong>探求HIP HOP</strong></a>」と出会ったのがすごくデカいです。USのヒップホップの対訳を調べようとリサーチすると、ある時期から必ずGenさんのブログがヒットするようになったんです。で、そのGenさんのリリックの解説と対訳がものすごく面白くて。Genさんが自主で出したZINE『HIPHOP ANTI-GAG MAGAZINE』も買って読み込むなかで、あらためて、リリシズム、巧妙な韻の踏み方、比喩表現の方法を学んでいきましたね。先日、DARTHREIDERさんがWREPでやっている番組に呼んでもらった際に、荏開津（広）さんとGenさんもいらっしゃっていて、そこではじめてお会いしました。俺のアルバムをすごい褒めてくれて、めちゃくちゃうれしかったですね。ヒップホップについて深く学ぶ機会を与えてくれた方なので、アルバムのスペシャルサンクスにも名前を入れさせてもらっています。だから、このアルバムには俺がここ何年間でさらにヒップホップから学んだことが反映されていると思うんです。

ここ数年、ラップは大きなブームにもなったし、ヒップホップの認知度も上がったと思う。だけど、ラッパーやプレイヤーが年齢を重ねてもヒップホップを続けたいのであれば、常に知識や経験を増やす努力をすることが絶対大事だと思う。そういうラッパーが増えて、ヒップホップが文化としてしっかりこの国に根付いてほしいと思うし、このアルバムがそういう点で何かしら貢献できたら俺はうれしい。そのことを感じられたときに、はじめて作品を出したという達成感を得られるかもしれないですね。

同世代のサイプレス上野がよく「俺らは泥水の世代」みたいな言い方をするじゃないですか。たしかに、俺らはヒップホップがまったく流行っていなくて、テレビにも取り上げられない時代を経験している。でも、サイプレス上野はいま浮上している方ですからね。俺なんてもう泥水どころじゃなくて、下水だったぜと（笑）。そういった日本語ラップやヒップホップの歴史や良い面と悪い面のどちらにもちゃんと向き合ってヒップホップという文化を愛しているヤツが真のラッパーじゃないですか。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06184115/interview2005-mega-g-1-1.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="2688" class="alignnone size-full wp-image-354053" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p><strong>──そんなMEGA-Gくんだからこそ、ラップをやめるか、やめないかを真剣に悩み、悩みつづけているとも言えますね。“Rhyme and reason”の「もう月日や金これ以上費やしても無意味なだけ......既に限界さ稼ぎと才能このゲーム常にスピーディなんだぜ？」というラインにその気持ちが象徴的に表れています。</strong>

新しい才能を発掘するディレクターやプロデューサーの仕事もしたいと思っているんです。とにかくいまは、この作品にすべてを注ぎ込みましたから、しばらくは新しい作品を作らないです。残量がゼロなんです。いま振り返れば、JUSWANNAではメシア、STONEDZではDOGMAという相方がいて、俺より彼らのほうが人気があったと思うんですよ。俺は常にナンバー2だったし、そのポジションをキープしようとしてしまったところがあった。今回のソロ・アルバムではそこを払拭したかった。

それともうひとつ、実は半分ぐらい完成している段階であるレーベルに持ち込んだんです。そうしたら、ディレクターの方からすごく遠回しな表現で「あなたはいま自分たちのレーベルに必要ありません」って厳しい答えが返ってきた。それは本当に悲しかったし、なにより悔しかったんですよ。それで絶対世に出してやるって逆に燃えました。“Two Turntables and a Mic”の「売れないものには消極的なrecord deal／お前らの後悔マイクで総取り／忖度無くても良い音楽は支持される／それはきっとこんな歌」ってラップしたのはそういう経験があったからです。

だから、いろんな意味でどうしても出さなきゃいけない作品だったんです。だけど、3年の制作のあいだに何度も「この作品は本当にリリースできるのか？」っていう不安に襲われて。もしかしたら完成前にラップをやめざるを得なくなって、作品を完成させられないかもしれないという危機感もあった。そんなときに俺のなかで何かが変化したんです。それは、自分のことを応援してくれる人に会って話すときにすごく熱くなるものを感じていたんですよ。そして、俺にとっての“ラップする理由”はこれだったのかもしれないと、作品を出し終えたあとにはっきり気づいたんです。だから今後また、出会いがあったり、環境の変化があったり、海外に行ってみたり、そういう経験が積まれて新たな“Rhyme and reason”ができたときに、また新たな作品が生まれてくるはずだと思います。</p>
</div>

<div class="full-img fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/06045251/interview2005-mega-g.jpg" alt="MEGA-G" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-354031" /></div>

<div class="text-box right fade-up">
<p>取材・文／二木信（<a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Twitter</a>｜<a href="https://www.instagram.com/shinfutatsugi/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Instagram</a>）
写真／Yohji Uchida（<a href="https://www.instagram.com/yohji_uchida/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Instagram</a>）
取材協力／蒲田YUGEN、（有）カナエ産業（<a href="https://www.instagram.com/knegarage/?hl=ja" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Instagram</a>）</p>
</div>

<div class="profile">
<h3 class="profile-title">『Re:BOOT』</h3>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/05/04194834/music200504-mega-g.jpg" alt="MEGA-G" width="1280" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-354022" /></div>

<p class="text">2019.11.03
MEGA-G
〈Boot Bang Entertainment〉</p>

<p class="text">01. I’m going thorough changes（beat by DJ SCRATCH NICE）
02. muddy waters（beat by VAL）
03. stonedz iz the way／feat. DOGMA（beat by DJ EVIL DEE）
04. southern hospitality／feat. KM$&T2K（beat by ZKA）
05. I love you son／feat. PRIMAL & 秋田犬どぶ六（beat by LIBRO）
06. 93interlude（beat by DJ CARREC）
07. two turntable & a mic（beat by DJ CARREC）
08. lowend theory（beat by DJ EVIL DEE）
09. champion sound／feat. N.E.N&BLAHRMY（beat by NAGMATIC）
10. license to ill／feat. DJ MUTA（beat by NAGMATIC）
11. 808 is coming （beat by I-DeA）
12. outta here／feat. YOU THE ROCK★（beat by I-DeA）
13. rap is outta control（beat by LIBRO）
14. rhyme and reason（beat by MASS-HOLE）</p>

<p class="name">MEGA-G</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/Boot_Bang_Ent" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Twitter</a>｜<a href="https://www.instagram.com/official_bootbang/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Instagram</a>｜<a href="https://www.bootbang.tokyo/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">BOOT BANG ENTERTAINMENT</a></p>

<a href="https://linkco.re/EPdVXbV3#" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">『Re:BOOT』配信はこちらから</a><a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" class="btn" target="_blank" alt="Link" rel="noopener noreferrer">good friends, hard times</a>

</div>


<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ces-feature/323071/</guid>
		<title>できる限り音楽は肯定したい──CE$、ロング・インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ces-feature/323071/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/ces-feature/323071/#respond</comments>
		<pubDate>Wed, 17 Jul 2019 09:00:37 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=323071</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライターの二木信の連載「good friends, hard times」。原島“ど真ん中”宙芳に続き第2回目に登場するのは、she luv itのベーシストであり、tofubeatsのマネージャー、〈HIHATT〉のマネージャー兼ディレクター、＜DUBSTEP RUDE＞のオリジナルメンバー、DJであるCE$。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1440" height="1080" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11204951/interview-ces-1-1440x1080.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="CE$" decoding="async" srcset="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11204951/interview-ces-1-1440x1080.jpg 1440w, https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11204951/interview-ces-1.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1440px) 100vw, 1440px" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの<a href="https://qetic.jp/?s=%E4%BA%8C%E6%9C%A8%E4%BF%A1" rel="noopener noreferrer" target="_blank">二木信</a>が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<a href="https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">good friends, hard times</a>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。第2回目に登場するのは<a href="https://qetic.jp/?s=CE%24" rel="noopener noreferrer" target="_blank">CE$</a>。</p>
</div>

<div class="separator"></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>この連載を始める際に必ず取材したいと考えたひとりが、<a href="https://qetic.jp/?s=tofubeats" rel="noopener noreferrer" target="_blank">tofubeats</a>のマネージャーとして知られる杉生健だ。またの名をCE$（セス）。DJであり、ハードコア・バンド、she luv itのベーシストでもある。この記事では敬意と親しみを込めてCE$と呼びたい。

初対面は2016年6月4日に大阪の心斎橋にあるクラブSTOMPでCE$が主催した、名古屋のヒップホップ・クルー、SLUM RCのアルバム『WHO WANNA RAP』のリリース・パーティと記憶している。そのとき、オープン前のフロアで挨拶して世間話をした。SLUM RCの荒れ狂うライヴの数時間前、オープン直後の彼の、のびのびとしてぬくもりのあるDJをよくおぼえている。彼のDJはその日の長く激しい一夜に臨もうとする人々を温かく包み込んでいた。

それ以前からDJとしてのCE$を知っていた。だが実は、数多くのミックスを発表しているDJとしてのCE$とtofubeatsのマネージャーである彼が同一人物と認識するまでに僕は時間を要した。それは、グライムやギャングスタ・ラップ、ダブステップなどのアンダーグラウンドなダンス・ミュージック等から成るCE$のいわばハードコアなセンスと、tofubeatsの作風や個性がすぐには結びつかなかったためだ。

今回の取材のきっかけのひとつもそこにある。すなわちCE$はどんな音楽人生を送り、tofubeatsと出会ったのか。また、CE$がインターネットの普及に伴う音楽産業の劇的な変化の時代にtofubeatsの才能にいち早く着目し、そしてどのようにしてともに歩むようになったのか。こうした点にとても興味を抱く。さらにもうひとつ、CE$の音楽への真っ直ぐな情熱、探求心を伝えたい。

現在、大阪に居を構えるCE$は、仕事で東京に来ているタイミングで渋谷の喫茶店でインタヴューに応えてくれた。飄々として物腰も柔らかい。眼鏡の奥の目は笑うと愛嬌があるが、主張や意見を述べる時の眼光は鋭く、語り口によどみはなく、論理は明快だ。ARC'TERYXのグレーのダウンジャケットと、ホワイトとワインレッドだろうか、色鮮やかなオーヴァーサイズのチェックのシャツのカラーコーディネートがとても似合っている。やんちゃなキッズの精神を有したやり手のマネージャーという印象を抱く。いや、愛嬌たっぷりの少年のような大人と言った方が正しいか。ハードコア・パンクから教わったこと、CISCO勤務やダブステップのDJ時代、tofubeatsとの出会いと関係など話題は多岐に渡った。話は10代のころから始まる。

CE$は1982年生まれ、出身地は三重県上野市（現・伊賀市）。「地元はあまりに田舎でCD屋さんに売っている洋楽はボン・ジョヴィぐらいしかなかったです」と語るが、そのような環境でも、いや、だからこそか音楽に対しては貪欲だった。
</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11205458/interview-ces-3.jpg" alt="CE$" width="1920" height="2560" class="alignnone size-full wp-image-323075" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「最初はボン・ジョヴィのようないわゆるヘアメタル、LAメタルをカッコイイ不良の音楽として聴いていたけど、もっと違う音楽があることを知るようになります。きっかけのひとつは、中1の時に、放送部だった友だちのお兄ちゃんが当時流行っていたメロディック・ハードコアを学校でかけたことですね。〈ファット・レック〉（サンフランシスコを拠点とするレーベル）とか〈エピタフ〉（LAを拠点とするレーベル）から出ているバンドの曲をかけたんです。そこから国内海外問わずいわゆるメロディック・ハードコアのシーンが好きになっていきました。90年代中盤は、Hi-STANDARDが人気になり始めた時代でしたし、僕は超メロコア世代。日本ではメロコアは蔑称として使われがちですけど、僕らの町、世代からしたらやっぱりすごく刺激的な音楽でした。たまに大阪に行って雑誌や店員さんの話を頼りにいろいろ買ったりする中学生でしたね。でも、生まれて初めて行ったライヴはなぜか大阪城ホールのKISSだった。なぜか友だちと『KISS観に行こうぜ』ってなって（笑）。それが中2のときですね」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>三重県内の高校進学後は、ミスフィッツやアグノスティック・フロントといったUSハードコアを糸口にさらにハードコア・パンクを独自に探求していく。OUT TA BOMBや、スタート・トゥデイといったハードコア・パンクのカタログ通販を毎月チェック、「7インチを大量に買い込んで1人で聴くような孤独な少年でしたよ（笑）」と自虐ギャグ交じりに語るものの、同時に、ライヴの現場にも足を運ぶようになる。高1のころに、地元の先輩のバンドのライヴに行ったのが、最初の“パンク体験”だった。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「僕らの地元にはライヴ・ハウスがなかったから、楽器屋さんの上のスタジオにビールケースのステージを作ってアンプを持ち込んでライヴしていましたね。そこに集まってくる人たちも当時の自分にとっては強烈だった。メロコア好きの人もいれば、ハードコア・パンクの人たちもいるし、鋲ジャンの怖い先輩もいたり。めっちゃビビってましたよ。そういう場所に出入りするようになってしばらくして、高2ぐらいのころに知人を介して当時21、2歳ぐらいの地元の先輩たちと知り合う。その人らはNYハードコアのバンドを大阪でやっていて見た目もすごかった。和彫がブワァァァッて入っている体でFUBUみたいなでかい服を着ていたから迫力があって。みんな坊主でバンダナを巻いていたりしてて怖かったけど、高校生からしたらそういうのってカッコ良く見えたんですよ。同じTシャツを着るとか同系統の服装でポッセ感を出してたり。その流れでヒップホップの映画を観るようになったりしました。だから僕の場合は、家族、友人、仲間、コミュニティ、地元を大事にする、そういう価値観を、ハードコア・パンク／ヒップホップ経由で学びました」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そうしたある種の不良文化としてのハードコア・パンクに強烈な刺激を受けると同時に、ハードコア・パンクを通じて、「こんな人もいてあんな人もいるんだ」という価値観の多様性に触れたことも大きかったという。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「DIYにこだわりを持つ人、ヴィーガンの人、一口にパンクと言っても思想や価値観、趣味趣向は様々あるじゃないですか。中学生のころはハードコア・パンクはだいたい全部一緒に捉えていたけれど、高校生になってライヴに足を運んだり、先輩から教えてもらったりして世の中にはいろんな考え方の人がいるんだなって知りました。ハードコア・パンクで、そういう知見を広げたと思います」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11205700/interview-ces-4.jpg" alt="CE$" width="1440" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-323076" /></div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11205710/interview-ces-5.jpg" alt="CE$" width="1920" height="1440" class="alignnone size-full wp-image-323077" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>ハードコア・パンクにおけるライフスタイルや価値観、思想の多様性を知る上で『アメリカン・ハードコア』（2006年公開）という、80年代初頭に起きたUSハードコアのムーヴメントについてのドキュメンタリー映画はひとつの参考になる。CE$は「あれは、原作本の方が個人的には面白かったですね（映画は、80年代初頭にワシントンでハードコアのショウのプロモーターをしていたスティーヴン・ブラッシュによる、当事者の数々の証言を織り込んだ著作を基にしている）」と言い、さらにこう続ける。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「自分も三重の小さな町の人間だったから、NYとかLA以外のアメリカの地方都市の若い人たちがやることがなくてスケボーとかバンドを始めるのってすごく身近な感覚がしたんですよ。彼らを身近に感じられた。要は、演奏技術はあまりなくても、持て余した情熱や音楽への気持ちだけで始めてもいいんだなって思えたのはでかいですよね」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>高校卒業後、大学進学のために大阪に出るタイミングでCE$は高校のころに出会った先輩のひとりが大阪でやっているハードコア・バンドにベースとして加入。さらにそのバンドで、NYでのライヴを経験する。当時憧れだったクイーンズのエブリバディ・ゲッツ・ハート（Everybody Gets Hurt）とブロンクスのアイレイト（IRATE）というバンドと対バンする貴重な体験をするものの、そのことがひとつのきっかけとなりハードコア・パンクから一時離れることになる。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「圧倒的にピュアなハードコアのライヴを目の当たりにして、これ以上のものはいまの自分にできるとは思えないってぐらいの衝撃を受けてしまったんです。ちょうど、ローカルなハードコア・パンク・シーンの縦社会や村社会的なものに疲れている時期でもあったんですよね。先輩が揉めている相手からライヴを妨害されたり、街で絡まれたり、そういう争いとかしがらみがけっこうあって。当然NYのシーンにもしがらみとかもちろんあるんでしょうけど、彼らのライヴがあまりに衝撃的で僕と同じ地元で同世代のドラムとともにそこで1度燃え尽きてしまった。それで日本に帰ってきてから『僕らはもうバンド辞めます』ってなっちゃって。その後、二十歳ぐらいからの数年間、ハードコアのライヴには1回も行かず、あれだけのめり込んでいたはずなのに、CDもレコードも1枚も買わなくなるようになってしまった。それで享楽的な世界を求めてクラブに行き出すようになるわけです。それもまたベタですが」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11205830/interview-ces-2.jpg" alt="CE$" width="1920" height="1440" class="alignnone size-full wp-image-323078" /></div>

<h2 class="fade-up">大阪の混在する音楽文化のなかで</h2>

<div class="text-box fade-up">
<p>CE$は大学卒業後にある会社に勤めるものの、いまで言うブラック企業だったことが判明し3ヶ月で退社。その後、タワーレコードやKING KONGといったレコード店の面接を受けたものの不採用が続き、実家に帰ろうかと考えていた矢先にいまは無きCISCOに「拾われた」と言う。「中学の文集をあるとき読んだら、『将来、音楽業界で働きたい』って書いてあったんですよ。だから、昔からそういうつもりだったんでしょうね。CISCOに雇ってもらったときも、『掃除でもなんでもするから働かせてください』って感じでしたから」。勤務先はアメ村にある総合店に決まる。2004年のことだ。
</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「それまでバンド・カルチャーのなかにいたから、レゲエもヒップホップもテクノもハウスもまったく知らない状態だったけど、総合店のオールジャンルのCD担当で入社したから必然的にすべてのジャンルをある程度把握しなくちゃいけなくて必死で。ターンテーブルも持ってなかったんで慌てて買ってDJもそれをきっかけに始めたんです」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そして、持ち前の旺盛な好奇心と行動力でジャンルを越境する活動を展開していく。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「当時はいまほどネット社会じゃなかったからフライヤー・カルチャーがしっかりあって、様々なジャンルの人がフライヤーをお店に毎日持ってきてくれるんですよ。そこで立ち話して仲良くなると、パーティに遊びに来てくださいよって気軽に誘われる。それで、レゲエでもヒップホップでもテクノでもブレイクコアでも誘われたパーティに片っ端から遊びに行っていたし、DJは誘われたら基本やりますってスタンスでいろんなところでやっていました。いろんなジャンルのパーティが混在していた時代でもありましたし、当時は難波ROCKETS（2016年2月閉店）、その横にはclub SAOMAI（2010年4月閉店）って箱、いまも心斎橋にあるSTOMPもすでにあって毎週イベントもたくさんあったから。音楽についての考え方も友人関係もそこで培った部分が大きいと思います」
</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11211741/interview-ces-8.jpg" alt="CE$" width="1920" height="2560" class="alignnone size-full wp-image-323079" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そんなCE$が当時のクラブ・ミュージックのなかで最も熱を上げたのがダブステップだった。理由はシンプルだ。「そのときクラブ・ミュージックの世界で未知数だったのがダブステップだったから、自然とダブステップのレコードを買うようになった」。そしてCE$は梅田のクラブNOONで行われる2つのレギュラー・イベントにDJとして参加するようになる。2006年からスタートした＜DEPTH＞は三重から大阪に一緒に出てきた地元の友だちと立ち上げた。一方＜DUBSTEP RUDE＞はその名の通りダブステップ・オンリーをコンセプトとするパーティとして2007年に始まる。CE$はいわばそのオリジナル・メンバーだった。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「＜DUBSTEP RUDE＞は国内DJ／アーティストをゲストで呼ぶ一方、スクリームやベンガ、シャックルトンといった海外の気鋭のアーティストの大阪公演を受けたりしていたんです。そういった初期ダブステップのクリエイターがNOONでやっていたのはけっこうすごいことだったのかもと思います」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>00年代中盤は、ロンドンのクロイドンで産声を上げたダブステップのウイルスが世界中のアンダーグラウンドに伝播していった時代だ。大阪も例外ではなかった。アンダーグラウンド文化が持つ連帯感が、当時すでにダブステップのシーンでは名を馳せていたUKのクリエイターのブッキングを可能にしたと言えるのではないか。クロイドンのプロデューサー、スクリームがダブステップ・クラシックとして知られる“ミッドナイト・リクエスト・ライン”をリリースしたのは2005年8月、さらにその翌年にはファースト・アルバム『Skream!』を世に送り出している。しかし、元々ダブステップをコンセプトに始まった＜DUBSTEP RUDE＞はUKのダブステップのアーティストをゲストに迎えることによって、むしろグライム色を強くしていったというのが興味深い。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>Skream - Midnight Request Line</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/D6pTSGvp7T8" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「僕の地元の仲間はイベントをきっかけにDJや制作を本格的に始めるんです。ダブステップの曲を作るだけじゃなくて、ダブステップのマシンライヴをしたりして。当時のロンドンでもダブステップのライヴ・パフォーマンスする人はあまりいなくて、海外の人からしてもその点は新鮮だったと思う。だけど、やっぱり悔しい思いもしましたね。＜DUBSTEP RUDE＞に出演するUKのダブステップのアーティストは、10インチのアセテート盤やダブ・プレートでしかDJしなかったんですよ。当時のロンドンでは誰でも手に入れられるヒット曲をかけるとブーイングされたらしくて、スクリームには『日本は、普通にヒット曲をかけて盛り上がるから良いよね』って言われたんですよ。それがちょっと悔しくて。でも、UKダブステップのダブ・プレートなんて僕らは手に入らないじゃないですか。それでMCをつけることにしたんです。僕はDEKISHIと組んで。それから、ダブステップだけではなく、グライムにも意識が行ったのはありますね」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そしてCE$は、2010年に『STEAL DA CITY』というグライムのミックスを発表する。僕がCE$というDJを意識し始めたのもおそらくこのころだったはずだ。当時、グライムのミックスを制作する国内のDJは珍しかった。00年代初頭にグライムが盛り上がりを見せ始めたとき、このUKのヒップホップ／ラップ・ミュージックについて「グライムは現代のパンクである」と評す記事などもあった。まさに『STEAL DA CITY』の選曲は、グライムを彼の原点であるハードコア・パンクの延長線上にある音楽として捉えようとするかのようだ。反抗、凶暴性、否定、破壊。また、風変わりなダンスホールやスクリームのリミックスが収録されているように、ジャンルが混在する当時の大阪のクラブ・カルチャーのなかで培ったであろう独特の感性が光る。さらに、このミックスのリリースと同年、CE$はshe luv itに参加する。ハードコアのバンドを再び組もうと考えたのはなぜなのだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「she luv itは、atmosphäre（2008年オープン）っていう心斎橋にあるバーに集まっていた人たちで始めたバンドですね。ヴォーカルはそのバーのオーナーのショウヘイくん。ショウヘイくんはテクノのパーティに行くと会うクラスト・パンクの人っていう印象は持っていたんですけど、そのバーに出入りするようになってさらに仲良くなって。で、そのバーでは東京のSEMINISHUKEIの人たちがDJしたり、ショウヘイくんは自分のイベントにSTRUGGLE FOR PRIDEやDREADEYEを呼んでいた。Atmosphäreがオープンする以前、僕がCISCOにいる時代に当時KING KONGで働いていたmichioshka（現・EBBTIDE RECORDS店主）に〈WDsounds〉のMercyくんを紹介されていたという経緯もあるんです。Mercyくんがやっていたハードコア・バンド、W.O.B（ラッパーのERAもメンバーだった。ERAはtofubeatsが2013年にデジタル・シングルとして発表した“夢の中まで”に客演参加、この曲はアルバム『lost decade』に収録される）はもちろん知っていたしCDも持っていたけど、そういう出会いがきっかけで東京のハードコア・パンクやその周りにあるカルチャーをバンッて一気に見せられて。まず感じたのは、『こんなに自由にやっていいんだ』ってことですね。個人的には、それでもう1度ハードコア・バンドをやってみようかなってなったんだと思いますね」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11211752/interview-ces-7.jpg" alt="CE$" width="1920" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-323080" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>さらに、〈WDsounds〉のLil Mercyと出会うのとほぼ同時期に、現在のトリプル・ギター／ツイン・ベースという編成の一角を担うOoshima Shigeru（ギター）と出会ったという。現在Ooshima Shigeruは、SEMINISHUKEIの一員でもあるBUSHMINDとSTOMPでのレギュラー・パーティ＜2×4＞のレジデントDJを務める。このパーティについては、音楽ライターの小野田雄の<a href="https://mastered.jp/exclusive/mix-archives/mma93-ooshima-shigeru-bushmind/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">「Mastered Mix Archives」という連載の2人の対談</a>に詳しい。ちなみに個人的な話をすると、僕は2003年のイラク戦争に反対するサウンドデモ、いわゆるイラク反戦運動のなかでOoshima Shigeruと出会っている。超ナイスガイである。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「ShigeruくんがKihira Naokiさんといっしょにやっていたパーティ＜Social Infection＞は僕がクラブ・ミュージックのイベントで初めて行ったものだったし、僕のなかでShigeruくんはテクノDJだったんですよ。テクノDJをやる前に、Beirut5（Ooshima Shigeruの結成した3人組のバンド）をやっていることも知らなかった。それがあるとき、僕がチェイン・オブ・ストレングスってハードコア・バンドのパーカーを着てCISCOで働いていたら、『ハードコア好きなん？』っていきなり話しかけられて（笑）。それがきっかけでちょくちょくクラブとかで会って話すようになってその後に仲良くなったっていう感じですね。だから23、4歳ぐらいからの付き合いですね。Shigeruくんは結成メンバーではなくて、のちに加入するんですけど、まさか一緒にバンドやるとは思ってなかったです」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>she luv it は、2019年6月14日に<a href="https://mousejp.bandcamp.com/album/s-t" rel="noopener noreferrer" target="_blank">ファースト・アルバム『s/t』</a>をリリースした（<a href="https://lnk.to/she_luv_it_st" rel="noopener noreferrer" target="_blank">各種サイトにて配信中</a>）。CDヴァージョンはレイドバックしたメロウなサウス・ヒップホップのある曲から幕を開ける。その洒落の効いた展開にいきなり意表を突かれるわけだが、さらに次曲“Candy”は冒頭であの偉大なるコメディアンのあまりにも有名な演説の一節が引用され、そして音の洪水に突入する。そこで僕はこの作品に一気に引き込まれた。まさに、「自由にやっていい」を体現する素晴らしい一枚だ。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<iframe style="border: 0; width: 700px; height: 470px;" src="https://bandcamp.com/EmbeddedPlayer/album=95162103/size=large/bgcol=ffffff/linkcol=0687f5/tracklist=false/transparent=true/" seamless><a href="http://mousejp.bandcamp.com/album/s-t">s/t by she luv it</a></iframe>
</div>

<h2 class="fade-up">tofubeatsとの出会い</h2>

<div class="text-box fade-up">
<p>話を00年代後半に戻そう。CE$はCISCOで2年半から3年ほど働いたのち、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの新人開発セクションの職に就く。CE$が勤務していたCISCO大阪店は2007年12月に閉店、さらにCISCOを運営していたシスコインターナショナルは2008年に倒産する。クラブ・ミュージックの代表的なレコード店であったCISCO閉店は当時、クラブ・シーンに大きな衝撃を与えた。インターネットの普及に伴い、ヴァイナル・カルチャーの危機が叫ばれもした。音楽産業の構造がドラスティックに変化し始めていた。そういう時代にCE$はtofubeatsと出会っている。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「まず、僕ら東京以外に在住の人は毎月2回ぐらい、新しいアーティストの情報を持って東京に行ってプレゼンするんです。こんな若手がいますよと。そこで通ると、数ヶ月に1度、レーベルのA&R／ディレクター／マネージャーが集まるプレゼンテーションで紹介します。そこで興味があるスタッフが手を挙げて面談、上手くいけば契約。そこまで行ったら僕らの仕事は終わり。その先はノータッチで。だから、アーティストを紹介して第1歩目を作るところまでが仕事。そして、もちろん最も売れるジャンルはJポップですよね。でも僕はまったくJポップを聴いてこなかったから、若いトラックメイカーを見つけようと考えて、当時インターネットで話題になり始めていたtofuにmixiで『会いましょう！』って連絡するんです。でも最初は『嫌です！』って断られて（笑）。それでも諦めずに、たまたまいた共通の知人にtofuを説得してもらってなんとか会うことができた」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>2008年、CE$が25歳、tofubeatsが17歳のころの出会いだ。tofubeatsがビート集『BEATS FOR RAP』をBandcampで発表、ブートレグをまとめたCD-R『HIGH-SCHOOL OF REMIX』を発売した年でもある。tofubeatsの何に惹かれたのか？　と質問すると、「当時僕はいろんなアーティストを担当していたから、最初はtofuもそのなかのひとりではあったんですよ」と意外にもドライな返答が返ってくる。だが、彼が寝る間も惜しんで、多くの若く、才能あるアーティストやバンドにアプローチしていたことを考えれば、それが当時のリアリティだったと納得がいく。例えば、今年5月に『フリースタイルダンジョン』の“新ラスボス”の座についたラッパーのR-指定、あるいはラウド・ロックにダンス・ミュージックやラップの要素を取り入れ、海外でも高い人気を誇るバンド、Crossfaithを紹介したのもCE$だった。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<iframe style="border: 0; width: 700px; height: 470px;" src="https://bandcamp.com/EmbeddedPlayer/album=1813372580/size=large/bgcol=ffffff/linkcol=0687f5/tracklist=false/transparent=true/" seamless><a href="http://tofubeats.bandcamp.com/album/beats-for-rap">BEATS FOR RAP by tofubeats</a></iframe>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「当時、tofuは僕の家によく遊びに来ていたんですけど、『最近このバンド観たんだよね』ってCrossfaithのYouTubeを見せると、『ベースは俺の同級生ですよ！』って言ってきて（笑）。驚きましたね。で、すぐに連絡先を教えてもらって『メジャーに興味はありますか？』って単刀直入に訊いて、それからは他のスタッフに紹介して、いろんな話が進みました」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>多くのなかのひとりだったとはいえ、それでもCE$のアンテナにtofubeatsがひっかかり、彼が積極的にアプローチしたのにはもちろん理由があるはずだ。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「僕は基本的に自分の知らないことを知っている人に興味を持つんです。自分よりも年上の先輩の音楽や考え方への興味は昔からありましたし、年齢を重ねて自分より若い人が出てくれば彼らの音楽や考え方も知りたい。それと、ハードコア・パンクにハマった10代のころからハードコアなものとナードなもの、その両極端なものが好きなんでしょうね。だから、tofuに関心を持ったんです。10代という若さでトラックをパソコン1台で作っているのがまずカッコ良く感じたし、ヒップホップもハウスもテクノもJポップも並列に聴く世代らしいセンスも刺激的だった。しかも、サンプリング・ソースとなる音楽をTSUTAYAで借りてきたり、ブックオフとかハードオフで買ったCDをサンプリングして作った曲をインターネットにアップしていた。2008年ぐらいはtofuを“ナードな過激派”だと思っていたんですよ。tofuが最初僕に会いたがらなかったのは、メジャーの音源を勝手にサンプリングして曲を作ってインターネットにアップしているのをメジャー・レコード会社の人間に咎められると思ったかららしいですしね。tofuが同世代とインターネット上で交流しているのも新鮮で、僕はtofuを介して若い世代のいろんなアーティストに会っていく。Maltine Recordsのtomadやimoutoid（imoutoidについてはimdkmが『ナタリー』で執筆した「<a href="https://natalie.mu/music/column/328974" rel="noopener noreferrer" target="_blank">18歳の若さでこの世を去った天才アーティスト、imoutoidが遺したもの</a>」を参照）もtofuに教えてもらいましたね。いまではよくある話でしょうけど、tofuがそういう人たちと直接会ったことがなかったのがまた驚きだった。だって、会ったこともないのにめちゃめちゃマイメンみたいに熱く語っていたから（笑）」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>前述した『アメリカン・ハードコア』の著者、スティーヴン・ブラッシュは同書でこう書いている。「ハードコアとはつまり、極端であるということ――究極の、最もパンクたるパンクであるということだ」。“ナードな過激派”とは言い得て妙である。CE$はtofubeatsにパンクを感じたのかもしれない。

tofubeatsとインターネット、デジタル・ネイティヴの象徴としてのtofubeats――それらこれまで多くが語られてきた議論をここでは反復しない。当時インターネット上でどのようなサーヴィスが普及したかだけ整理しておこう。2005年から動画共有サーヴィス、YouTubeが公式なサーヴィスを開始。2007年には日本語に対応したサーヴィスも始まる。同年、音声ファイル共有サーヴィスSoundCloudが設立され、2008年からはBandcampが音楽のダウンロード販売を開始。ちなみに、フロリダのラッパー、デンゼル・カリーが、サウンドクラウド・ラップのオリジネイターのひとりとして挙げるスペースゴーストパープが活動を開始したのが2008年、またカナダ出身のラッパー、ドレイクがメジャー・レーベルとの契約を掴み一躍スターダムにのし上がるきっかけとなったフリー・ミックステープ『So Far Gone』を発表したのが2009年である。</p></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>話を戻そう。2008年8月、横浜アリーナで行われた、石野卓球主催のテクノ・フェスティヴァル＜WIRE08＞にtofubeatsは出演する。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「＜WIRE＞にはSUN STAGEという新人が出る枠があったんですけど、そこで、tofuに出演を促したんです。でも最初すごく嫌がりましたね。いまでもそうですけど、彼は人前に出るのがそこまで得意じゃないと思うんです。だけど、高校生のトラックメイカーで、しかも、純然たるテクノではなく、アイドル・ソングやJポップをサンプリングした、いわゆるナード系のカットアップハウスを作っているからこそ、tofuが＜WIRE08＞に出演する面白さがあると考えたんです。それでtofuを説得して、結果出ることになった。で、そのときに、横浜に住んでいたtomadに事前に連絡して会うんです。tomadとtofuの初対面ですね。で、もちろん僕もその場にいたんですけど、『うわ、なんだこの空気……この二人全然喋らない！』って感じでしたよ（笑）」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>最初はCE$にとって多くのなかのひとりだったtofubeatsは彼にとって徐々に特別なひとりとなり、両者は二人三脚で歩んでいくこととなる。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「10代から20代前半の若者の人生を2、3年いじる責任は重いですよ。だから僕は誰にでもメジャー・デビューをすすめることはしなかったんです。『契約できたとしても決して高くない月給制になるかも』とか『2年後に契約を更新できるかはわからない』って現実は伝える。『それでもやりたいですか？』と。レコード会社はちょっとでも売れそうならばもちろんやりたがるけど、契約が切れたあとに彼ら若いアーティストの生活の面倒を見るわけではない。人が作っている音楽、作品にあーだこーだ言った挙句、最後まで面倒は見ない業界の人のネガティヴな面も目の当たりにしていましたから。そういう現実を踏まえた上で、tofuとは、付き合いの途中からいっしょに本気でメジャー・デビューを目指そうって空気になっていたんですよね」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11213843/interview-ces-6.jpg" alt="CE$" width="1920" height="1440" class="alignnone size-full wp-image-323081" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>当時tofubeatsにどんな助言をしていたのだろうか。「いまはもうtofuの制作や作品そのものに口出しすることはほぼないですけれど」と前置きした上で語る。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「『今後、トラックメイクだけでなく、作家的なこともできるように歌詞とか書いてみるのはどう？』とアドバイスしたことはあったかもしれません。tofuは元々、TEI TOWAさんのようなプロデューサー志向で、そのスタンスはいまも変わっていないと思うんです。また、中田ヤスタカさんや小西康陽さんにも影響を受けていた。それだったら、歌詞やメロディを書けた方が仕事の幅も広がるだろうと。僕がそういうアドバイスをしたのにはもうひとつ理由があって。当時、tofuのライヴを彼の地元の神戸の小さいライヴ・ハウスで観たんですけど、お客さんにバンドの転換だと思われて外に出られちゃっていたんです。それもあって歌詞を書いて歌ってみたり、ハードの機材でライヴしてみたら、とは伝えましたけど、ここまで歌詞を書いて歌うアーティストになるとは思っていなかったですね」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>tofubeats「RIVER」</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/APyYqRFbIFE" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>2010年3月、Onomatope Daijin（オノマトペ大臣）のラップをフィーチャリングし、みずからもラップを披露するtofubeats流のヒップ・ハウスとでも言える“BIG SHOUT IT OUT”を含む『Big Shout It Out - EP』を配信リリースすると、iTunes Storeのダンス・ミュージック・チャートで1位を獲得する。YouTubeにアップされたこの曲のMVには自宅の部屋と思われる場所でmicroKORGを見せつけるように操るtofubeatsの姿が映し出されている。そして同年6月、オノマトペ大臣と共作した、tofubeatsの代表曲であり、10年代の日本のラップのクラシックの1曲であろう“水星”のデモ・ヴァージョンがSoundCloudにアップされる。TEI TOWAがプロデュースしたKOJI1200“ブロウ・ヤ・マインド”を弾き直したこの曲は、2011年にレコード化、翌2012年にはデジタル・リリースされ、iTunes Storeの総合チャートの1位にまで上り詰める。

若手のトラックメイカー／プロデューサーの滑り出しとしては順風満帆と言えるだろう。しかし、これまでtofubeats自身が語ったインタヴューや<a href="https://wired.jp/2015/01/28/internet-me-and-music/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">執筆した記事</a>によって広く知られている事実ではあるが、“ナードな過激派”が当時の日本の音楽業界の既存のシステムのなかでメジャー・デビューを果たすのはそう簡単ではなかった。CE$はそのころのことを振り返る。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「僕は立場上、メジャーのレコード会社と若いアーティストの通訳的な役割も担っていたんです。だからたとえば、レコード会社の40、50代の人たちにYouTube、SoundCloud、Bandcamp、ニコニコ動画とかの説明をするわけです。こういうサーヴィスやメディアがいま若い子から人気を集めているんですよと。その上で、tofuをなんとかメジャー・デビューさせるために数年かけてプレゼンしたり、いろいろ動いた。けれども、いつも同じ理由で蹴られて。要は、『インターネットで無料で聴ける音楽をマネタイズする方法がわからない』ってことなんですよ。当時、ソニーはmora（ソニー・ミュージックエンターテイメントグループのレーベルゲートが運営する音楽配信サーヴィス）があってiTunes Storeを利用できなかったのも大きかった。2012年に解禁するんですけど、まあそういう時代ですね。それで僕は、自分を社員にしてA&Rかディレクターの立場に就かせてもらえないかと交渉した。そうすれば、tofuをデビューさせられると考えたんですけど、僕の契約上、それはできないと断られてしまって……。八方塞がりでしたね。tofuはその時のことをインタヴューでよく語っていますけど、そうしたメジャー・デビューにまつわるストレスで胃潰瘍になって大学を休んでいる間に『lost decade』を作るんです」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>その、tofubeatsの実質上のファースト・アルバム『lost decade』（2013年）がワーナーミュージック・ジャパン傘下の音楽レーベル〈unBORDE〉のA&Rの耳に入り、同年11月“Don't Stop The Music”でのメジャー・デビューに至る。契約に至った最大のポイントは、現在もtofubeatsのスタッフであるワーナーミュージックのチームが、tofubeatsがSoundCloudなどで楽曲を発表する自由を尊重したことだった。iTunes Store総合1位を記録した『lost decade』は当時としては珍しい全曲先行のフルストリーミングをiTunes Storeで行い、現在でもSoundCloudでフル・ヴァージョンを聴くことができる。ちなみに、国内のアーティストでリリース前にiTunes Storeでアルバムの全曲無料試聴を試みたのは、同じくワーナーミュージック所属のBONNIE PINKが初めてだという。tofubeatsは彼女に続く2番目だった。tofubeatsはメジャー・デビュー・アルバム『First Album』収録の“衣替え”という曲でBONNIE PINKを客演に招くこととなる。</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong>tofubeats（トーフビーツ）- 衣替え feat. BONNIE PINK</strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/D3zDXZjwzsI" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<h2 class="fade-up">できる限り音楽は肯定したい</h2>

<div class="text-box fade-up">
<p>2015年、tofubeatsはそれまでの所属事務所を離れると同時に〈HIHATT〉という自らをマネージメントする音楽プロダクション／アーティスト・マネージメント会社を立ち上げている。ワーナーミュージックは法人格としか契約できないという実際的な理由からの設立だった。いわば独立だ。そして『FANTASY CLUB』（2017年）と『RUN』（2018年）という2枚のアルバムを発表した。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「tofubeatsのアルバムに自分は〈HIHATT〉のマネージャー兼ディレクターとしてクレジットされていますが、いまはtofuの制作にはほとんど口を出しませんし、僕は職人肌／プロデューサー気質のディレクターではないんですよ。その理由として、そうである必要がない。それは、tofubeatsが職人肌のプロデューサーだからです。彼の感性を信じていますから。僕は物事を整理する役回りとしてのディレクターなんです。それで僕は自分のことをマネージャーだと言うようにしています。ただそれだからと言って、いわゆる芸能界的なマネージャーのつもりもないんです。日本でマネージャーと言うと、どうしてもタレントやアーティストのお世話をする付き人的なマネージャーと捉える人が多いじゃないですか。もちろん自分も、tofuのストレスを減らすための、世間一般がイメージするようなマネージャー的な仕事もします。でも、やるべきことはそれだけじゃない。彼がやりたいと思う表現や音楽で作品を完成させるためのサポートをしたり、完成した作品をどう配置して、どう見せるかが重要な仕事なんです」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p><strong> tofubeats 「Keep on Lovin' You」-徒然草 第150段の再解釈- </strong></p>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/ixAprGm8MZk" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>これまで約10年、CE$とtofubeatsは二人三脚でやってきたと言っていいだろう。では、今後のことはどのように考えているのだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「tofuと出会ったころは彼も子供でしたけど、もう立派な大人ですからね。僕が25歳でtofuに会ったころから『僕が40歳になったら、してやれることはないかもしれない』って言っていたんですけど、最近また言っちゃったりして。『僕がやれることはそんなにないかもなあ』って。そうすると『そんなことないっすよ～！　精神的支柱ですから！』ってtofuは言うんですけど、『それって何もしてないっていうことだね！　フォローになってないよ！』って（笑）」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そう冗談めかしてCE$は言い、さらに続ける。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「例えば、Tohjiさんってラッパーがいるじゃないですか。僕は、彼はすごいと思うんです。もし自分が25歳だったら何か手伝いたいって言っているかもしれない。そうやってこの歳でも10代後半から20代前半の若い人の音楽やセンスをカッコイイと感じたり、また理解しようとすれば理解できることも多い。ただ今後まったく意味がわからんぞ、みたいなことが起きてくると思うんです。それでもやっぱり若い人が作った音楽は信じたいんですよ。だから、大人の存在が必要な場面もあるけれど、若い人は基本的に好きにやればいいと思うんです。ヘンに大人の力を借りなくていい。それは昔からずっと思っていますね。できる限り若い人たちは自分たちのやり方でやった方がいいと思うんですよ」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>ここには、ハードコア・パンクで音楽に目覚め、大人の思惑が渦巻く一筋縄ではいかない音楽業界に飛び込み、理想主義と現実主義が拮抗する環境でユース・カルチャーすなわち若者文化を見つめ続けてきたCE$の複眼的視点があるように思う。だがCE$は、音楽のユース・カルチャーという側面だけに執着しているわけではない。彼にはDJとしての顔がある。近年の彼のミックスを聴いたり、また2017年10月からJET SETのHPでほぼ毎月更新している<a href="https://www.jetsetrecords.net/djchart/CES/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">DJチャート</a>などを見ると、CE$の探求心の行く先の一端をうかがい知ることができ、興味深い。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「DJ、というかレコードや音源収集は大好きな趣味みたいなものです。大阪にはいまも良いレコード屋さんがあるのも大きいですし、tofuのツアーで訪れる各地でも、できる限りレコード屋さんは行きますね。レコードでしか出てないダンス・ミュージックの新譜も買ったりしますし、たとえば60、70年代の音楽でレコードでしか出回っていない曲を聴きたいと思って中古のレコードを買う機会もあります。どの時代の音楽でも自分が聴いたことのない音楽はすべて新しい感覚で聴けると思いますし、若いアーティストのデモ音源を聴かせてもらうのも大好きです。歳を重ねて趣味趣向が変わるというのは当然あるとしても、『ロックはもう聴かない』とか『EDMは嫌い』とか言いたくないですね。できる限り音楽は肯定したいんですよ」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>「できる限り音楽は肯定したい」、インタヴューの後半に彼が発したこの一言にCE$の真髄を感じた。これだけの経験をしてきた彼が言うからこそ説得力のある、ふと忘れそうになる音楽へのピュアな気持ちに火を灯してくれるような言葉だ。DJミキサーを早く買い替えなければならないな。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/11204951/interview-ces-1.jpg" alt="CE$" width="1920" height="1440" class="alignnone size-full wp-image-323074" /></div>


<div class="profile">
<h3 class="profile-title">PROFILE</h3>

<p class="name">CE$</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/__ces__" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Twitter</a>｜<a href="https://www.instagram.com/____ces____/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Instagram</a>｜<a href="https://soundcloud.com/cesmixes" rel="noopener noreferrer" target="_blank">SoundCloud</a></p>

<p class="name">取材／文：二木信</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Twitter</a></p>

<p class="name">写真：Goro Kosaka</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/wwwgorojp">Twitter</a>｜<a href="https://www.instagram.com/56kosaka/">Instagram</a>｜<a href="https://gorokosaka.myportfolio.com/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">オフィシャルサイト</a></p>

<div class="separator"></div>

<h3 class="profile-title">EVENT INFORMATION</h3>

<p class="name">"SUMMER PLACE" -BUSHBASH 10th Anniversary-</p>
<p class="text">2019.08.24（土）＠小岩 BUSHBASH
OPEN 18:00
ADV ¥2,000 ／ DOOR ¥2,500（+1D）</p>

<p class="text">LIVE：
STRUGGLE FOR PRIDE
she luv it
PAYBACK BOYS
MOONSCAPE
ELMO</p>

<p class="text">DJ：
BUSHMIND
Phonehead</p>

<p class="text">FLYER：
373</p>

<p class="text">詳細はこちら：<a href="https://bushbash.org/schedule" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://bushbash.org/schedule</a></p>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/14211315/music-ces-2.jpg" alt="CE$" width="1920" height="1353" class="alignnone size-full wp-image-323272" /></div>

<div class="separator"></div>

<p class="name">Fareast Death Cult 2019 vol.2</p>
<p class="text">2019.08.24（土）＠新代田FEVER
OPEN 15:30 ／ START 16:00
ADV ¥2,500 ／ DOOR ¥3,000</p>

<p class="text">assembrage
Funeral Moth
heaven in her arms
killie
NEPENTHES
NOT Ⅱ BELIKESOMEONE
Rocky & The Sweden
SECOND TO NONE
she luv it</p>

<p class="text">詳細はこちら：<a href="http://www.fever-popo.com/schedule/2019/08/2415.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">http://www.fever-popo.com/schedule/2019/08/2415.html</a></p>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/14211320/music-ces-3.jpg" alt="CE$" width="1920" height="2692" class="alignnone size-full wp-image-323273" /></div>

<div class="separator"></div>

<p class="name">SUMMER BASH FEST 2019 〜Karmy-Joe 追悼〜</p>

<p class="text">2019.09.15（土）＠心斎橋 SUNHALL
OPEN 13:00 ／ START 13:30
ADV ¥4,500（+1D） ／ ADM ¥5,500（+1D）</p>

<p class="text">今年はUSハードコア勢MERAUDER（NYC）、jesus piece（PA）の2組を迎えた狂乱の全17バンド2ステージ、2DJ！</p>

<p class="text">＜BAND＞
MERAUDER（NYC）
Jesus Piece（PA）
SAND
STRUGGLE FOR PRIDE
BLACK GANION
PALM
AT ONE STROKE
Edge Of Spirit
she luv it
DIEDRO LOS DIABLOS
STARTER
NODAYSOFF
KRUELTY
PRESS ON AHEAD
ilska
NUMBERNINE
GATES OF HOPELESS</p>

<p class="text">＜DJ＞
COTTON DOPE（PAYBACK BOYS）
SHIGA-CHANG（DIY PUNK MASTER）</p>

<p class="text">詳細はこちら：<a href="http://sandjapan.com/schedule.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">http://sandjapan.com/schedule.html</a></p>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2020/07/14211311/music-ces-1.jpg" alt="CE$" width="1920" height="2394" class="alignnone size-full wp-image-323271" /></div>

</div>



<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
		<item>
		<guid isPermaLink="true">https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/harashima-michiyoshi/310767/</guid>
		<title>So I&#8217;m Your Friend ── 原島“ど真ん中”宙芳、インタヴュー</title>
		<link>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/harashima-michiyoshi/310767/</link>
		<comments>https://qetic.jp/column/good-friends-hard-times/harashima-michiyoshi/310767/#respond</comments>
		<pubDate>Wed, 27 Mar 2019 10:00:50 +0900</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[二木信]]></dc:creator>
		<category>6</category>

		<guid isPermaLink="false">https://qetic.jp/?p=310767</guid>
<![CDATA[<summary><p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「Good Friend Hard Time」第1回目に登場するのは原島“ど真ん中”宙芳。PUNPEE、仙人掌、GAMEBOYS（CHAPAH &#038; KAICHOO）といったラッパーたちのライヴDJを務め、PUNPEEのファースト『MODERN TIMES』収録の“夢のつづき”でラップを披露していることで知られる。</p>
</summary>]]>
<description><![CDATA[<article><figure><img width="1200" height="800" src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10204219/interview1903-harashima-michiyoshi-2-1200x800.jpg" class="attachment-medium size-medium wp-post-image" alt="原島“ど真ん中”宙芳" decoding="async" srcset="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10204219/interview1903-harashima-michiyoshi-2-1200x800.jpg 1200w, https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10204219/interview1903-harashima-michiyoshi-2.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure><div class="text-box fade-up">
<p>音楽ライターの二木信が、この困難な時代（Hard Times）をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち（Good Friends）を紹介していく連載「<strong>good friends, hard times</strong>」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー（ラッパー／ビートメイカー／DJ）、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。第1回目に登場するのは<a href="https://qetic.jp/?s=%E5%8E%9F%E5%B3%B6%E2%80%9C%E3%81%A9%E7%9C%9F%E3%82%93%E4%B8%AD%E2%80%9D%E5%AE%99%E8%8A%B3" rel="noopener noreferrer" target="_blank">原島“ど真ん中”宙芳</a>。</p>
</div>

<div class="separator"></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>So I'm Your Friend――そんなロゴの入ったスウェットやTシャツが静かに局地的に広まっている。そして目の前にその服を常に着ている男がいる。直訳すれば、「そう、おれは君の友だち」。このパンチラインの発案者こそが今回の主役・原島“ど真ん中”宙芳である。原島は、地元の友だち・PUNPEE、そして仙人掌、GAMEBOYS（CHAPAH & KAICHOO）といったラッパーたちのライヴDJを務め、PUNPEEのファースト『MODERN TIMES』収録の“夢のつづき”でラップを披露していることで知られる。さらにChaos On Paradeという自身のグループで活動するラッパー／ビートメイカーとしての顔を持ち、都内のクラブやバーを中心にDJとしての現場を持つ。現在、活動の一つの主軸はDJにあると言っていいだろう。

原島のtwitterアカウントのプロフィール欄には「お茶目で陰湿、ノリ重視」と記されているが、この男の陽性と陰性の拮抗の具合、そのバランスには不思議なものがある。乱暴だが繊細で、仲間とゲラゲラ笑っていたかと思えば、クラブの隅でポツンと無表情で立っていたりする。世間の常識に背を向けているようで、やたらに道徳的だったりもする。そんな原島の“友だち哲学”が面白い。そして僕はこれが重要だと思う。会社、学校、サークルなどの組織の“みんな”よりも個人同士の付き合い＝友だち付き合いを優先し友だちと過ごす時間を大切にすることで独自のネットワークを着実に拡げていっている原島の友だち哲学とその実践は、ヒップホップ的にとらえればフッド愛＝地元愛の応用だが、社会的にとらえればオルタナティヴの模索である。つまり誰もがハードなストレスを抱えるこの国の資本主義社会の中で“楽しく生きること”の大胆な追求だ。こんな風に書くと、「大げさ過ぎる」と本人は否定するだろうが、しかし今年38歳になる大の男（1981年生）がSo I'm Your Friendを旗印に掲げ、酒で失態しても少ししか気にせず日夜友だちとの遊びに奔走する生き方を他にどう説明できようか。

今年の1月末、Jazzy Sport主催の＜APPI JAZZY SPORT 2019＞にPUNPEEとのユニット、板橋兄弟として出演、会場の盛岡の安比高原から東京に帰ってきたばかりの原島と、彼がパーソナリティを務める＜ど真ん中ラジオ＞を毎週公開収録している原宿のIKI-BAで合流。ヒップホップとの出会い、PUNPEEと仙人掌という2人のラッパーのライヴDJ、DOMMUNEでのD.L追悼番組の際のDJ、そして友だち哲学などについておおいに語ってくれた。「（安比で）2日連続で焼肉を食べた」という景気の良い彼にまずは板橋兄弟について話してもらおう。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10204615/interview1903-harashima-michiyoshi-3.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="3000" height="2000" class="alignnone size-full wp-image-310771" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「場所が安比だから、“APPI”と“アッピインヒア（Up In Here）”をかけて、DMX の“Party Up (Up In Here)”をかけようと思ってiTunesで買ったんだけど、スベりそうだからやめといた。でもまあ板橋兄弟ではそういう洒落を楽しんでいるかな。板橋兄弟がどうやってできたか？　最初、（恵比寿の）BATICAの1階のラウンジでDJしている時にPUNPEEにノリでサイドMCをやってもらったりしていて、その流れでB2B（バック・トゥ・バック）をやるようになって。それだったらユニットにしようってことで、ユニット名はPUNPEEからの提案で板橋兄弟に決まった。PUNPEEと5lackは高田兄弟だし、板橋兄弟だとまぎらわしい名前だからどうかなって俺は思ったんだけど、まあPUNPEEからの提案だったし、『それでいきましょう』って納得して。俺の記憶が正しければ、2014年のBATICAのアニヴァーサリー・イベントが初披露だと思う」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>板橋兄弟はどんな選曲をしているのか。2017年12月26日に予約85人限定で＜Still Dreamin'＞というワンマン・イベントをBATICAで開催している。<a href="https://qetic.jp/music/itabashi-kyodai-180126/275221/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">その時のセットリスト</a>を見ると、キャニバス“How We Roll”からCHAGE and ASKA “LOVE SONG”そしてクリプス“Grindin’”へ、あるいはPerfume“マカロニ”からプロディジー（モブ・ディープ）“Keep It Thoro”につなぎPSGのオリジナル曲へ、というようなミックスが披露されている。和モノ、ヒップホップ／R&B、Jポップのオール・ミックス。原島とPUNPEEの音と言葉の連想ゲーム的センスでいろんなタイプの楽曲をヒップホップ的に調理するというのがコンセプトだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「それは少し大げさかも。俺個人も板橋兄弟もBATICAのオール・ミックスのイベントにブッキングされる機会が多いから、そういう現場から出てきたスタイルなんじゃないかな。アイドルとヒップホップのラッパーとダンス・ミュージック系のプロデューサーのライヴの中でやることがあっていろんな人が遊び来ているからそこは意識しているかもしれないけど。だからと言ってポップスばかりかけてそっちに寄り過ぎるのも違うな、と。事前に選曲の相談もするけど、そのあたりをPUNPEEがどう考えているか俺はわからない。そこまで狙っているつもりはないけれど、でもたしかにヒップホップへの入口を作る意図で、他のジャンルの音楽とヒップホップを同じように並べてかけているのはあるかもしれない」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<h3>Canibus How we roll</h3>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/1AKiiphjJ_4" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>


<p>クラブでのDJプレイの一方で、PUNPEEと仙人掌のライヴDJという重要任務をこなしているわけだが、どのようにして彼らと組むことになったのか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「PUNPEEは＜AVALANCHE＞（〈Summit〉が2011年から年に一度開催しているイベント。2018年は開催されていない）の2回目（2012年8月26日）ぐらいからだと思う。その時、PUNPEEから『ソロ・ライヴをやるからバックDJをやってください』って頼まれて。ただ、BATICAで飲んでお互い酔っていたから最初は半信半疑だったけど、後日正式に連絡がきてやることになっていまに至る。仙人掌のライヴDJをやるようになったのは家が近かったから。それが一番の理由だと思う。その頃仙人掌も東武東上線沿いに住んでいてその沿線の街でライヴをやる時に声をかけられたんだよね。『ライヴDJやってくれないですか？』って。2016年ぐらいだと思う。2人で遊んだこともなかったし、こっちとしては知り合う前から仙人掌というラッパーを知っていて、しかもリスペクトがあるわけじゃん。だからオファーの電話がかかってきた時はびっくりしたよ。『うわっ！？』と思って一度電話を置いて『もしもし』って言う練習したもん（笑）。そんな感じでライヴDJをするようになったけど、いつの間にか東京近郊以外でのライヴや各地を回るツアーも一緒に行くようになっているね。やっぱさ、俺らぐらいの歳になると時間やヒマがあるヤツってなかなかいないじゃん。それで俺が頼まれているんだと思うよ」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10205016/interview1903-harashima-michiyoshi-5.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="2000" height="3000" class="alignnone size-full wp-image-310772" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>仙人掌にライヴDJを依頼された理由を「家が近かったから」と説明するあたりがいかにも原島らしい。そこには謙遜もあるだろう。実際のところ、ヒップホップDJとしての技量と体力と度胸がなければ、PUNPEEと仙人掌といったタイプの異なるラッパーのライヴDJをこなすのは容易ではない。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「PUNPEEと仙人掌ではライヴDJの役割はけっこう違う。仙人掌とやる時の方が“バックDJ”っていう意識を強く持っているかな。PUNPEEのライヴはちょっと笑いの要素が含まれても良いじゃん。むしろそこも大事。だから、俺もマイクでPUNPEEにツッコミ入れたりするんだけど、仙人掌のライヴでそういうことはあまりしない。バックに徹する。もちろん仙人掌の人柄はすごくユニークで曲間のMCでも面白いこと言ったりするけど、いざラップを始めるとストイックだから。そこに笑いとかはいらないと俺は思っていて。その点がPUNPEEと仙人掌のライヴDJをやる時の一番大きな違いかな。あと俺もラップするから、トラック、ビートとラップの音量のバランスとか、ビートをどこで抜くとカッコイイかとか、どのタイミングでドンと頭出しするとノリが良いかとか、そういう部分で2人と共通の認識を持てているのかもしれない」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>ちなみに素朴な疑問がある。2017年は彼にとっても転機の年だったに違いない。PUNPEEと共に＜FUJI ROCK FESTIVAL '17＞に出演、仙人掌の初のオフィシャル・ソロ作『VOICE』のリリース・パーティをLIQUIDROOMで経験している。そのような大舞台に立つ心境はどうだったのか。</p>

<h3>PUNPEE - FUJI ROCK FESTIVAL’17 "夜を使いはたして〜Renaissance" 【Official】</h3>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/TcRm_7VzCO0" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<h3>LIVE FILE：REFUGEE MARKET / WISDOM - 仙人掌</h3>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/dfh27BBtCGI" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「緊張はしないかな。舞台が大きければ大きいほどオーディエンスの期待や熱を感じるし、『ミスしたらどうしよう』とか考えて緊張しようとすればいくらでも緊張できるけど、俺ができることは限られているわけだからさ。ミスしないでできるか、できないかはどういう規模でも同じ。ステージ上の立ち振る舞いで意識していることも特になくて。そういうことよりも、こうやって普段飲んでいる時の自分の振る舞いとかの方を注意しているかな。ドリンクのグラスを持つ角度とか乾杯の一口目にどれぐらい飲むかとか、そういう所作は大事だと思う」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>鋼の魂とでも言えようか。しかし、＜フジロック＞やLIQUIDROOMのステージでの振る舞いと酒のグラスの持ち方や飲み方という所作は果たして比較の対照になり得るのだろうか……。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「いや、もちろん印象に残っているシーンはいろいろあるよ。仙人掌のリリパで、SEEDA、BES、仙人掌の“FACT”を真後ろから観たのとかやっぱり感動したし。観た、というか、その後ろでライヴDJをしていたからさ。あと、PUNPEEのSTUDIO COASTでのライヴ（2018年5月26日開催／PUNPEE Presents. “Seasons Greetings’18”）は舞台の装置も編成もすごかった。バンドセットで、PUNPEE、ZAIちゃん、illicit Tsuboiさん、さらにドラマーのなかじまはじめさん。そして俺。俺がDJで出した音になかじまはじめさんがドラムを叩いて被せるのはクリック音がないから厳しくて。結果、はじめさんが音を出してドラムを叩いていたんだけど、そういういろんな試行錯誤も面白かったし、新しい体験だった。この前のORIGINAL LOVEの＜LOVE JAM VOL.4＞（2019年1月13日）っていうイベントもその編成だった」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<h3>LIVE FILE : PUNPEE - Seasons Greetings’18 Live Digest</h3>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/eqNUbhwABUw" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>原島の音楽遍歴についても訊いてみよう。<a href="https://news.awa.fm/jpn/2018/2/24/interview-harashima-domannaka-michiyoshi" rel="noopener noreferrer" target="_blank">AWAのインタヴュー</a>によれば、小学はチャゲアス、中学でTHE BLUE HEARTS、高校生になってからインディー・ロック、テクノ、ヒップホップなどの洋楽を聴くようになり、オアシス、レディオヘッド、プロディジーなどのレコードも買っていたという。ちなみに原島は新宿区生まれで小学生の頃の住まいは新宿区水通町だった。その後、板橋区に引っ越してきた。だから、板橋兄弟と名乗ってはいるものの、板橋は「たまたまいまいる場所」という感覚なのだという。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「音楽は元々それなりには好きで高校に入って軽音楽部に体験入部もしたんだけど、頭の良い高校じゃなかったし悪そうなヤツがいっぱいいて。もうその時点で入りたくないって思っちゃって。それでもロックは好きでカウンター・カルチャーに対する憧れみたいなのは持ち続けていて。雑な言い方だけど、“権力やオトナへの反抗”というやつだろうね。THE BLUE HEARTS、すごい好きだし」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そこからどうやってヒップホップに出会ったのだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「当時『rockin'on』と『CROSSBEAT』を読んでいて、友だちが教えてくれる盤と『rockin'on』のレヴュー・コーナーで大々的に取り上げられている盤を月に何枚か買っていた。で、ある時そのレヴュー・コーナーでウータン・クランのセカンド『Wu-Tang Forever』（1997年）が紹介されていたんだよね。それが初めて買ったヒップホップのCD。ただ、渋過ぎて最初は良さがわからなかった。2枚組で超長いし単調に感じられたし、ひとまずこの盤はちょっと置いておこうって。しばらくしてそのアルバムに付いていたCD-ROMの動画を観たんだよね。あの時代はそういうエンハンスドCDがあったでしょ。YOU THE ROCK★の『THE★GRAFFITI ROCK '98』のディスク2にもBEATMANIAみたいなゲームが付いていたりして。ウータンのCD-ROMのウー・マンション（ウータン・クランのマンション）を探索できる機能も面白かったけど、何よりも衝撃的だったのは、“Protect Ya Neck”（ファースト『Enter The Wu-Tang（36 Chambers）』収録曲）のMV。“ボコ！　バキ！”とか殴る音が入っていたり、オール・ダーティ・バスタードのヴァースとか異様に効果音だらけで。だからあの曲がヒップホップのカッコ良さを知る入り口になったというのはある」
</p></div>

<div class="text-box fade-up">
<h3>Wu Tang Clan - Protect ya neck video</h3>
<div class="movie_wrap"><iframe width="700" height="394" src="https://www.youtube.com/embed/HpQmFfdYFzY" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></div>

<p>90年代後半にティーンネイジャーだったロック・リスナーがヒップホップに出会った時の戸惑いが率直に語られているのがリアルで興味深い。ヒップホップという音楽文化がロックを呑み込んでからもう随分と時が経った。2017年上半期にある調査会社が発表したアメリカにおける音楽の売上データによれば、ヒップホップとR&Bがロックの売上を、調査開始以来はじめてこえたという。言うまでもなく原島の語る戸惑いはXXXテンタシオンやリル・ピープ登場以前の時代の話である。今年創刊50周年をむかえた音楽専門誌『ミュージック・マガジン』が2019年2月号で組んだ「ラップ／ヒップホップ・オールタイム・アルバム・ベスト100」でトップを飾ったNYはクイーンズを代表するベテラン・ラッパーのクラシック＝名盤についてもこう語る。
</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「ナズの『Illmatic』とかも最初マジ退屈で仕方なかったもんなー。“N.Y. State of Mind”なんて超ゆったりしているし、『なんだよ、これ！？』って感じだった。でも、“N.Y. State of Mind”みたいな“ドープ”な曲の良さを理解することがヒップホップのヤバさを実感することなんだと思う。俺もそこからどんどんハマっていったし。さらにサンプリングの仕組みを調べて、ループ・ミュージックのトラックの構造を理解したのも大きいのかも。トライブ（・コールド・クエスト）の“Scenario”なんてダークなベース・ラインと2拍のドラム・ループだけでほぼ楽曲が構成されているじゃん。たったそれだけでよくあんなに大騒ぎできる曲を作ろうと思うなって。そこが面白かった。90年代はいまと違って、ロックやポップスを聴いていた音楽好きがヒップホップやラップの良さを理解するためにクリアしなければならないハードルは高かったのかもしれないけど」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10211022/interview1903-harashima-michiyoshi-6.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="3000" height="2000" class="alignnone size-full wp-image-310773" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>では、日本のヒップホップはどうだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「日本のラップは高校1年の頃に聴いたRHYMESTERの“B-BOYイズム”が入りだった。あの曲では自分たちは少数派だけど、多数派に媚びずに己の美学を貫くという内容が歌われているじゃん。ああいうカウンター・カルチャーの姿勢に惹かれたのはある。RHYMESTERの曲で言えば、“マイクの刺客”の『長い物には巻かれますか大人しく／それじゃ背広着た家畜／中指立ててろ不良らしく／ただしいつでも礼儀正しく』っていう宇多丸のリリックとかにも感化された。『FRONT』（ヒップホップ／R&B専門誌。のちに『blast』と誌名を改める。2007年休刊）で宇多丸が連載していた『B-BOYイズム』とか、DEV LARGEの、すげえ小さい字と絵がブワーってページを埋め尽くしていた『THE WORLD OF BUDDHA BRAND』っていう連載とか読んでいまの自分が形成された部分はあるし、俺は『FRONT』の模範生ですよ。リリックも書いたりしていたけど、DJで最初に人前に立ったのはそのぐらいのとき。池袋駅から15分くらい歩くところにD'ORっていうクラブがあって、高校3年生ぐらいの時に初めて自分たちでイベントをやったりもして」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>日本のヒップホップ、日本語ラップに関して、個人的に原島から聞いたエピソードの中で最も鮮烈なもののひとつが、THA BLUE HERBの『STILLING,STILL DREAMING』（1999年）のLPを大量に買い込んだ話である。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「誤解されないように最初に言っておくけど転売して儲けたとかそういう話ではないからね。『STILLING,STILL DREAMING』の2LPは値段が高騰して一時期なんて4万8000円ぐらいする時もあった。それぐらい高騰する前に、とにかく内容が素晴らしいから友だちに聴いてほしくて15枚ちょっと買って欲しい人に定価で売っていた。ただ、1店舗で買いすぎると気まずいからCISCOの新宿と渋谷を渡り歩いて買い込んだりした。やっぱりDEV LARGEの影響でヤバいレコードは何枚所有していても良いという偏向教育を受けていたのもあったから。“レコード救出”とか言って同じレコードを何枚も買っていたし。レコードを1枚しか持っていないのは普通のリスナーと変わらない、と。いまや年に2回ぐらいしかアナログでDJしないのに、ミーゴスの『Culture II』の3LPも2枚買いしちゃったり」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>2枚使いするわけでもなく、あのミーゴスの『Culture II』の3LPを2枚買いするようなDJを僕は他に知らない。ヴァイナル・ジャンキーの鑑と言える……のかもしれない。そんな原島は、DEV LARGEの急死後、2015年6月24日にDOMMUNEで放送された追悼番組＜病める無限のD.Lの世界～Rest In Peace D.L＞にDJとして出演している。DOMMUEからブッキングと司会を依頼された自分が、原島のDEV LARGEへの造詣と愛情の深さを知っていたゆえにオファーしたものだった。DEV LARGEに影響を受けた後続の世代によるパフォーマンスで構成された第2部の＜D.Lの遺伝子を引き継ぐ者たち＞（PRIMAL、MEGA-G、DJ MUTA、BLYY、Down North Camp等が出演）というタイトルも原島のアイディアに拠るところが大きかった。そこで原島はDEV LARGEが立ち上げたレーベル〈EL DORADO〉に焦点を絞った個性的なプレイをやってのけたのだった。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10225228/interview1903-harashima-michiyoshi-4.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-310779" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「そもそも、二木はオファーしたつもりになっているけど訂正したい。俺がかけた電話で前日にオファーというかDJが一人足りないって泣きついてきただけだよ。一旦保留で電話切って何ができるかなとは考えた。DEV LARGEが亡くなったあと、都内のクラブに遊びに行くと、“人間発電所”はかかりまくっているし、BUDDHA BRANDのネタ縛りみたいなDJセットをやっている人もいっぱいいた。そういう中で俺ができるDJは何なのかって。俺は2000年の＜フジロック＞に〈EL DORADO〉（BUDDHA BRAND ＆ EL DORADO ALL STARSで出演）目当てで行くぐらい大好きだったし、あのレーベルから出るレコードを3枚ずつぐらい買っていた。それだったら、〈EL DORADO〉を軸にセットを組もうって。ゴーストフェイス・キラーの曲の流れで同じネタ使いのDEV LARGE関連の曲をかけたり、レーベルに在籍していたフュージョン・コアの曲と同じネタを使っているO.C.の“Time's Up”をかけたりするミックスをやって。自分で言うのもなんだけど、あのDJは良くも悪くも少し反響があった。外国の人からも『トラックリストやおすすめ教えて欲しいです！』ってメールで直接連絡がくるぐらい」
</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>さらに、先達から受け継いだカウンター・カルチャーとしてのヒップホップというコンセプトについての考えをこう続ける。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「最近若い人たちと現場が一緒になって話したり、そういう人たちの音楽を聴いていても、いまは、90年代後半のような“長い物に巻かれるな！”という抵抗よりもそいつにとって正しいか正しくないかの方が重要になってきているとは思う。昔だったら、テレビとかメインストリームや多数派を“敵”と見做してそういう支配に抵抗して状況をひっくり返す、という主張に説得力もあったけど、いまやラッパーもテレビなんてガンガン出ているわけだしさ。そういう環境でも正しいことはできるわけで。だから自分にとって正しいことができている時点で、本来の意味とは違うかもしれないけれど、カウンター的な意味合いを持つと思う。何も政治批判しなくても、世の中で間違ったことがしゃあしゃあと行われていて自分らの生活状況が酷いとか、カッコイイことやっているヤツよりも、ダサいヤツの方が目立っているとか、そういう状況を変えようとするマインドはヒップホップの根底にあるわけじゃん」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10204214/interview1903-harashima-michiyoshi-1.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="1280" height="1920" class="alignnone size-full wp-image-310769" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>2018年4月から、原島と、飲食店やギャラリーなどが集まる表参道のスペースcommune 2ndによるラジオ・プラグラム＜ど真ん中ラジオ＞の放送が開始された。原島に加え、バンドNINJASのヴォーカルで、千代田区にあるギャラリー、ANAGRAの主宰、AI.Uがパーソナリティを務める。いまの原島の活動のひとつの主軸と言っていいが、そもそもどのような経緯で始まったのだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「最初はIKI-BAで＜エナロックフェス＞（原島の学生時代からの友だちである通称・ブラックエナリを盛り上げるために発生したSNS内のハッシュタグ＝#エナロックフェスをきっかけに現実化したパーティ。ちなみに『エナロックフェス』という言葉の起源は、原島以上にフジロックを満喫していたブラックエナリを見かけたDJのCE$が発した『エナロックフェスティバル、お疲れ様です』にあるという）をやろうと思っていたんだよね」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>閑話休題。＜ど真ん中ラジオ＞がスタートするきっかけは何だったのか。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/25144442/interview1903-harashima-michiyoshi-10.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-311960" /></div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「以前からcommune 2ndの国崎泰司にDJで呼んでもらったりはしていて。何がテーマかは忘れたんだけど、とあるイベントのトーク・セッションがIKI-BAであった時、勝手にまぎれ込んでしゃべらせてもらったりして。トークのサブテーマのひとつは“安定とは何か？”というような内容だったと思う。自分で事業や会社をやっているような社会的にも活躍されている人たちがスピーカーをやっているところに、俺みたいなフラフラした場違いなヤツがまぎれ込んだ。そこで俺なりの視点から、要は経済的に生活に余裕のない立場からの意見を率直に話した。『明日の飯の心配じゃなくて、明後日の飯の心配がなくなれば安定じゃないですかね』って。明日の飯がないだとまだちょっと不安定じゃん。でも明後日の飯の心配がなかったらずっとやっていける気がしますよねって。そんな話をノリでしたらちょっとウケて。それで元々DJで呼んでくれたりして接点はあったcommune 2ndやIKI-BAの人たちとより親密になって、その流れで毎週水曜日に＜ど真ん中ラジオ＞をやることになったんだよね」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>＜ど真ん中ラジオ＞にはさまざまな分野のゲストが出演している。DJやラッパーやミュージシャンはもちろんのこと、レーベルのA&Rやオーナー、クラブのブッキング担当者、あるいはプロレス団体の営業の人間など多岐にわたる。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「いろんな職種やジャンルの人たちと出会ったり、一緒に遊ぶきっかけ作りとしてやっている側面もあると思う。この前は美容師の人に髪を切ってもらいながらやって。ラジオだから絵が伝わらないんだけど、『希望する髪型の写真を持っていったらその通りになるんですか？』とか『どう注文すれば良いんですか？』っていう質問に答えてもらったり。あと俺の親父の友だちの、“演歌ペラ”っていうヴォイス・パーカッション入れつつアカペラで演歌をやるパフォーマンスをやっている人たちを呼んで、『どうすればいくつになっても青春みたいな過ごし方ができるのか？』みたいな話をしてもらったり。音楽に特化するわけではなくて、もう少し幅のある文化的活動というか、面白い人が集ったり出会える場を作るのもラジオをやる目的かな。だから毎回公開収録だし、みんなで酒を飲んで遊んでいる。この前ROCKASENのTONANくんにゲスト出演してもらったんだけど、『何言ったかおぼえてないからアップする前に聞かせてもらっていいですか？』って言われて。酔っぱらってくると砕けて面白くはなるよな。毎回打ち上げもあるから毎週忘年会やっているみたいな感じだよ（番組は<a href="https://www.mixcloud.com/domannaka_radio/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Mixcloudに随時アップされる</a>）」
</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10215221/interview1903-harashima-michiyoshi-7.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="3000" height="2000" class="alignnone size-full wp-image-310778" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>こういう横断的かつアクロバティックな人間関係、いや、友だち関係をなんなく作っていけるのも、原島の“So I’m Your Friend”という友だち哲学ゆえであろう。取材準備をしている際に、実はこのキャッチフレーズの元ネタが、原島がフェイヴァリットに挙げていた重松清の小説『きみの友だち』であることを知った。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「それ調べたのか、恥ずかしいな……。『きみの友だち』は内容も良いんだけど、まずそのタイトルが良いと思った。“おれの友だち”じゃなくて、“きみの友だち”という風に一歩引いて友だちの関係性が客観視されているというか、相手に委ねられている感じが好きで。小説は、ギスギスしてしまった友だち同士の関係の原因や理由を紐解いていくような物語。この人やあの人には、こんな良い面があったり、あんな悪い面があったりってことをいろんな角度から描いていくというか。要は“友だちって何？”ってお話だね。章によって主人公が変わってクラスで目立たないタイプの男子や女子が主役になったりするのも良くて」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>“So I’m Your Friend”という言葉が出てくる前に、<a href="https://www.chaosonparade.com/about-us" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Chaos On Parade</a>として制作した楽曲が先にあったという。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「まず、Chaos On Paradeって俺がやっているグループの“GOOD FELLOWS”っていう曲が先にあった。BLYYの元メンバーのCHAKLIKIがビートを作って送ってくれたんだけど、そのデータにすでに“GOOD FELLOWS”ってファイル名が付いていて。それでそのテーマでそれぞれのラッパーが自分のヴァースを書いたんだけど、しっくりくるフックがなかなか思いつかなくて。で、ライヴのリハの時に俺が“そう！　俺はきみの友だち”ってくり返すフックを提案した。曲の内容と合っているしシンプルで良いってことで採用された。ちょうど東日本大震災があった2011年だったからせめて友だち同士では手を繋ごう、みたいな意味も込めて。だからまずは曲から始まっていて、Tシャツを作る時に“So I’m Your Friend”って英訳したわけ。Tシャツのあとにスウェットも作って、PUNPEEのライヴ会場でエナリに売り子やってもらったりして、ありがたいことに俺らにしてはまあまあ売れたなあ」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>「俺は友だちとしか基本付き合わないから」と言う原島だが、自身を客観的に見ると、どんな“友だち”なのだろうか。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「う～ん……、一緒に飲んだり遊んだりしている相手からすると、その時は最高に楽しいけど、家に着いて一人になった時とか翌朝、すげえカネを使っちゃった上に酷い二日酔いだったりして、予定なんて飛ばした日には一体自分は何をしているんだろうって落ち込んでバッドに入っちゃうじゃん。でも、また欲しくなっちゃうというか一緒に遊びたくなっちゃう、世の中にそういう悪いものってありますよね？（意味深）これは自己分析というか周りに言われたりもして納得したやつなんだけど。悪いことというか、中毒性があるって意味でね。この歳になって時間もヒマもあるヤツって珍しいし、一緒に酒飲んでいて楽しいっていうのはあるんじゃない？　そうじゃなきゃライヴDJとかも頼まれないと思うし」</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10204219/interview1903-harashima-michiyoshi-2.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="1920" height="1280" class="alignnone size-full wp-image-310770" /></div>

<div class="text-box fade-up">
<p>横にも縦にも柔軟に関係を持ち、特に東京のインディ・ミュージック、あるいはヒップホップの、ある局地的な世界に深く食い込みながら、全国各地の点と点を線で結んでいっているように見える原島の活動だが、彼はどのレーベルにもクルーにも所属していない。そこがまた彼のユニークなところでもあろう。</p>
</div>

<div class="text-box left fade-up">
<p>「俺は〈Down North Camp〉にも〈Summit〉にも〈ブルテン（VLUTENT RECORDS）〉にも所属していないけど、全員じゃないがそれぞれのクルーやレーベルの人たち、あとMETEORとかとも仲が良いしそれで十分なんじゃないかなって思う。俺は自然と一緒にいられる関係が好きだし、形式めいたものや枠組みがあまり得意じゃないから。もちろんそういうクルーやレーベルのあり方が良くないとかそういう意味ではなくて、俺が性格的にルールとかが苦手だし協調性もないから。あと、俺は礼儀を重んじたいとは思うのだけど、関係によっては年上にタメ口きいちゃったりする時もあるし、クルーとかレーベルに属したら他の人に迷惑かけてしまうかもだし。ただ、Bボーイもパンクスも人に媚びないっていうのは共通しているのかなと思う。虚勢を張るとか人に頭を下げないとかではなく、年齢の上下かかわらずお互いに敬意を持てる人と一緒に時間を過ごしたい。仲良くなった年上にタメ口きくのと年下に敬語を使うのは、態度としては違うけれど俺のロジックではあまり変わらなくて。つまり相手と同じ言葉でしゃべるってことで。短い人生どうせ一緒に過ごすならば、友だちと仲良くやりたいよね。ホントただそれだけ」</p>
</div>

<div class="text-box fade-up">
<p>そう言い置いて、原島“ど真ん中”宙芳は缶ビール片手に友だちと町に遊びにくり出すのであった。</p>
</div>

<div class="img-box fade-up"><img src="https://cdn.qetic.jp/wp-content/uploads/2019/04/10212950/interview1903-harashima-michiyoshi.jpg" alt="原島“ど真ん中”宙芳" width="3000" height="2000" class="alignnone size-full wp-image-310775" /></div>


<div class="profile">
<h3 class="profile-title">PROFILE</h3>

<p class="name">原島“ど真ん中”宙芳</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/michiyoshit" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Twitter</a>｜<a href="https://www.instagram.com/michiyoshit/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Instagram</a>｜<a href="https://www.mixcloud.com/domannaka_radio/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">ど真ん中ラジオ</a></p>

<p class="name">原島“ど真ん中”宙芳 6時間 × EBISU BATICA 8周年記念興行</p>
<p class="text">2019.5.1（水祝前）
OPEN 17:00／CLOSE 23:00
DOOR ¥1000
DJ：原島“ど真ん中”宙芳 6HOURS SET</p>

<p class="text"><a href="http://www.batica.jp/schedule/article-9689/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">詳細はこちら</a></p>

<p class="name">取材／文：二木信</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/shinfutatsugi" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Twitter</a></p>

<p class="name">写真：横山マサト</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/Yokoyama_Masato">Twitter</a>｜<a href="https://www.instagram.com/yokoyamarock/">Instagram</a></p>

<p class="name">取材協力：IKI-BA（COMMUNE 2nd）</p>
<p class="text"><a href="https://twitter.com/_iki_ba">Twitter</a>｜<a href="https://twitter.com/_iki_ba">Instagram</a>｜<a href="http://iki-ba.jp/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">ホームページ</a>



</div>
<p>© Qetic Inc.</p>
</article>]]>
</description>
<div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-website yarpp-related-none yarpp-template-yarpp-template-example'>
<h3>関連記事</h3>
<p>No related posts.</p>
</div>
	</item>
	</channel>
</rss>