『Always Listening』がお届けするインタビューシリーズ。「超越」をテーマとして、このキーワードに紐づく人物にフォーカス。創造、表現、探求、感性、そして、なにかに没頭したからこそ感じることができる超越的体験について語っていただく。第2回目に登場するのは、Mighty CrownのMasta Simon氏とSami-T氏。

「超越」を切り口に、Mighty Crownの話をしよう。ジャマイカのレゲエ、とくにダンスホール・レゲエを土台に、国境を、肌色の違いを、言葉を、ジャンルを、“越えて”きたサウンドシステムクルーだ。サウンド、とも訳されるレゲエのサウンドシステムは、他ジャンルの「DJクルー」と同意語だが、「システム」の部分はバカでかいスピーカーを含む音響システムを指し、つまりは自前の音響システムを持ち、流行りの曲とともにアーティストに特別に歌ってもらったカスタム・メイドのダブプレートをかける、レゲエの玄人集団のことだ。

横浜出身のMighty Crownは、音の格闘技であるサウンド・クラッシュの大舞台でたびたび優勝し、サウンドとして頂点を極めた。その結果、世界中のレゲエがかかる場所であれば−−それは、レゲエに馴染みがない人が考えるより、ずっと広い範囲なのだがーー政治家や芸能人を合わせてもどんな日本人より知られている、“超”がつく有名人になった。日本では、日本のサウンドやレゲエ・アーティストをメインに据えた<横浜レゲエ祭>を1995年にスタートさせた。<横浜レゲエ祭>は、かつては海外アーティスト主体だったレゲエ・フェスと並ぶまでの規模に成長して、その動きを追うように全国でフェスが開催されるようになった。国内外のシーンを繋いできた立役者に、音楽で世界を駆け巡ってきた軌跡を聞く。

Interview Mighty Crown(Masta Simon/Sami-T)

━━そもそも、レゲエのサウンドってどんな活動をするの?という人たちにわかるように、結成の話からしましょう。91年の結成ですよね。

Sami-T 俺は16歳だったから、あんまりよく覚えていないんだけど。

Masta Simon そのころは、日本でもやっている人たちがいて、俺らもやろうかって。

Sami-T 先輩のサウンドは、もうMC(話す人)もいて、セレクター(音楽をかける人)もいて、確立してたし最初から自分たちでやろうって感じだった。

Masta Simon 結成してすぐイベントをやったな。Jean Genieっていう寿町にあったライブハウスで150人くらい入ったよ。

━━当時は音楽に重点をおいたクラブが出てきた時期でしたが、出入りしていましたか?

Sami-T 俺はガキすぎて入れるときと入れないときがあった。入り口に知り合いがいたら、「いいよ、入っちゃいな」とか。

Masta Simon 俺は都内のクラブも行ってた。ミロス(・ガレージ)とか、代チョコ(代々木チョコレートシティ)とか。後は横浜のZEMAとかCROSS ROADにはみんなでよく出入りしてた。

━━海外にもわりと早く行っていたんですよね?

Sami-T 92年からブルックリンへ修行に出た。93年にはレコードボックス1つ持って、黒人街の地下にあるクラブに行って、回させてよ、って言ったり。アホでしょ(笑)。

━━10代でそれはすごいです。

Sami-T お前がかけるの? ってからかわれて、スキルはついてってなかったけど(Half Pintの)“Greeting”とかかけて、選曲で褒めてもらった。

Masta Simon 俺は17歳から5年半くらいLAにいたし、(Fire Ballのメンバー含めて)みんな海外に行っていて、夏と冬だけ日本で集まるから、そのときにイベントをやってた。<レゲエ祭>もそんな感じで、95年の夏から始めたんだ。日本のサウンドはなめられていたから、自分たちでムーヴメントを起こそうって流れになって。150人からだんだん大きくなって、2,000人以上の規模の(横浜)Bayhallにすごい人が入っちゃったり。

日本のレゲエシーンを牽引してきたサウンドシステムクルーMighty Crownが“越えて”きた世界 interview200221_at_mightycrown_2

━━20才前後の多感な時期だったわけですから、ほかの進路については考えなかったのでしょうか?

Masta Simon そもそも、仕事になるとか考えていなかったんだよね。

Sami-T 親父には「黒人の音楽で飯が食えるわけねぇだろ、“You’re not black and how you gonna make money out of it”」って言われた。

Masta Simon 俺は親父には言われなかった。母ちゃんに「就職しろ」って言われたけど。

Sami-T 俺はめちゃくちゃ言われた。それで火が付いて。今に見てろって、止めらんないよって。

━━お父さんも芸術系のお仕事でしたし、理解はあったほうじゃないんですか?

Masta Simon 映画のプロデューサーだからね。理解はあったと思う。

━━自前のスピーカーで音を出すサウンドシステムを作ったのも、早かったわけですね。

Sami-T みんなでバイトしながら1ヶ月20万円儲かったら、そのうちの10万円を各自で出してでスピーカーを買おう、今度はアンプを買おうって作っていった。同時に、自分でレコード買って、ダブ切って、っていう。海外でサウンドシステムを見て、すごい喰らって。こういうのを日本でやりたいと思ったんだよね。

Masta Simon 当時はサウンドを持っていないくせに、自分たちをサウンドって呼ぶな、という空気が強かったし。海外の憧れているサウンドはみんなシステムを持って、自分たちのイベントをやっていたから(持つことは)自然だった。

Sami-T それが、DJとサウンドの違いだね。

━━1999年、ニューヨークの<World Clash>に出場して、いきなり優勝して流れが変わりました。

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Text & interview by Minako Ikeshiro
Photo by Yosuke Torii