text by Michelle Sorry(ex.ミッツィー申し訳)
第4章
「申し訳ナイトが何かの間違いでウッカリ東京進出?」
前章(こちら)で宇多丸申し訳Jr.、ギュウゾウ申し訳Jr.、掟ポルシェさんまで出揃いました。この時期から表記が<申し訳NIGHT>から<申し訳ナイト>に変わったようです。そして<申し訳ナイト>がひょんな間違いから、2001年5月10日に運命的な東京進出をすることに。それはある日の宇多丸申し訳Jr.から慌てた電話で始まります。
宇「あのですね。三宿Webで開催されている<Two Three Breaks!>ってイベントはご存じですか?」
ミ「ええ、知っていますよ。三宿Webは何度か遊びに行っているので。」
宇「すみません! そこで自分がDJで呼ばれたのですが、オーガナイザーが勝手に<申し訳ナイト in Web>って書きやがって。ほんとスイマセン!」
ミ「えっ! そうなんですか?」
宇「日本語の曲かけるんだから『申し訳』でしょ? って事で勝手に<申し訳ナイト>って使われて、しかもフライヤー印刷しているみたいで本当にスイマセン!」
その勝手なフライヤー(後日、自分の名前を入れてもらいました)
宇「怒って、『違ぇんだよ! 俺なんかまだ素人なんだよ!』って言ったんですが、もうフライヤー配っているので訂正が難しく、1人では<申し訳>を背負いきれないので、何とかその日一緒に出てもらえませんか?」
ミ「木曜なら空いているので、出させてもらいます!」
のような感じのやり取りが繰り広げられ、意図せずに<申し訳ナイト>が東京デビューしてしまいました。
この<Two Three Breaks!>というイベントは三宿Webで1998~2004年に行われてきた人気パーティで、主催Eiji a.k.a DJ KIRIN(結果的に恩人)とMummy-D(RHYMESTER)、大自然、korosuke、shingo、アルファ、トリカブト、レッキンクルーなどなど、当時フレッシュな面々が一同に顔を揃えていた。
棚からボタモチみたいな話だったが、その反面プレッシャーも合ったような。それくらい日本語の曲だけでDJ PLAYするのは難しい時代でした。
そして当日。俺達の正装「学ラン」を着こみ、開店時間めがけて単身三宿Webへ乗り込んだ。まずキャッシャーの方に丁寧なご挨拶をする。更に丁寧な挨拶を返しつつも学ランに関しては無反応だった方が、のちのNOT MASAMIこと長澤店長。(画像左)
関門を突破し、店内に入るとまだDJが1人しかおらず、宇多丸さんはおろか主催の方もいない。何となく場違いなムードを察知して、スピーカー裏の暗闇にジッと身を潜める。2時間が過ぎドンドンとお客さんが増えてくるにつれ、学ラン姿は更なる気まずさを産んだ。出演者も続々現れるが、ヘンな奴がいる! と思われているのに耐えられなかった自分は、全然ヘンじゃないですよ! 演者ですよ! とアピールをする為に、確実に関係者と思われる男に挨拶をした。「初めまして! 今日、宇多丸さんとDJさせて頂くミッツィー申し訳です!」
しかしその男は引きつった顔をしながら後退りして消えていった。あとでアルファのツボイと知った。まだだ! 打って出るにはまだ早い。取り返しがつかないほど気まずくなり、学ランの金ボタンを隠すようにスピーカー裏の暗闇に同化する。心の中で「宇多丸、早く来い!」と祈りながら。午前2時になった頃でしょうか、やっとMummy-D氏が現れる。フライヤーを間違えた主催者Eiji a.k.a DJ KIRINさんをご紹介頂く。やっとバーで注文出来る喜びを感じながら、ジントニックを注文したが……そこで驚愕することに! 自分は調理師専門学校の在学中にバイト先の六本木にあった会員制レストラン&クラブでもバーテン見習いもしていて、クラブ業界では多少酒は作れる方だと思っていました。
しかしここはクラブでありながらジンやトニックは冷やしてあり、フレッシュライムだった。更に板氷をその都度アイスピックで割り、水で氷を洗う所作もクラブでのサービスを超えていた。これは凄い! 三宿Web恐るべし! とガンガンに呑んでいたら、やっと宇多丸さん登場。そして出番が来て40分位のDJでしたが、内容はマアマアだったような記憶があります。やっとアルファのツボイ君も演者と分かってくれたようで打ち解ける事が出来ました。
その後、キャッシャーで長澤(まさみじゃない方)さんといろいろと話し込んで、もし機会がありましたら正式な<申し訳ナイト>も宜しくお願いします! と言って宇都宮に帰りました。