――パラレルワールドはいわゆる別の世界のことを指しますけど、もう一人の自分をyucatと名付けたのはいつのことですか?

ソロとして活動していくことを決めてからですね。それまでは彼女のことを私だと思っていたので、yucatという名前はなかったんですよ。改めて音楽として形にしていくとなったら伝わるようにしていかなきゃいけないじゃないですか。だから、名前を付けました。

――RYTHEMはとてもポジティブな側面が強くて、歌心に溢れているユニットでしたが、一方で、yucatにはYUKAさんの悲しみや苦しみといった闇の部分が描写されている分、ネガティブな要素が際立っているように思うんです。

意識していたわけではないんですけど、求められる音楽を作っていくことだったり、こう在りたいという自分があって、私にとってその象徴がRYTHEMだったと思うんです。RYTHEMのYUKAで在りたかったから、そういうポジティブな楽曲が生まれていたと思います。でも、人間はポジティブな面だけじゃないという気持ちを溜め込んでいたというか、RYTHEMのときはそれを表に出していなかったんですよね。

――もう一人の自分を表に出さない分、自問自答するシーンはずっと日常的に続いていたんですか?

小学生ぐらいからありました。何事に関しても考えることが好きだったので、色んなことを自問自答していましたし、学校の授業で一番好きな授業が倫理だったんですよ(笑)。倫理は成績も一番良かったですね。哲学とか思想が大好きで、暇さえあれば哲学書とかを読んでいましたし。

――yucatとして音楽活動を始めるにあたって、1stミニアルバムの『PARALLEL WORLD ~終ワリノ始マリ~』はどんな作品にしようと考えていたんですか?

1枚目はyucatの自己紹介的な作品にしたかったので、より内面的な深い闇を表現しようとしましたね。私には幼少期から今まで生きてきた中で複雑な事情が沢山あったけど、それを表には出さずに常に笑って生きていきたいと思っていました。でも、小学生ぐらいの私一人では、その小さな世界を何も変えることが出来なくて、だからこそ私は彼女(yucat)にすがることで、なりたい自分になれるというか。普段笑って過ごせるために、彼女につらいことを全部押し付けていました。言ってしまえば、現実逃避をして生きてきたんですけど、そういう生活があり体験があったから、yucatというもう一人の私がいて、パラレルワールドを作らざるを得ませんでした。

――新しい門出とはいえ、これまでRYTHEMのYUKAを応援してくれてきたファンの人たちにとっては、衝撃が大きかったのではないでしょうか。

そうですね。ショックを受けている人も少なくなかったです。解散してからの活動は基本的にTwitterとブログだったので、直接メッセージが届くじゃないですか。見ていられない、歌を聴けないとか、たくさんの声がありましたね。でも、そういう人たちもいることを覚悟の上でyucatを表に出しましたし、これからも歌い続けていきたいと決めた瞬間に、「これしかない。これを出せないならば、やる意味はないな」と思っていました。自分が歌い続けていく意味を見つけることができたというか。

次ページ:【なぜゴシックからスチームパンクへの世界観にしたのか?】