国内HIP-HOP、R&Bシーンの聡明期から活動し、96年にはSugar Soulを結成。現在もクラブミュージックの第一線に立ち、国内を代表するDJのひとりであるDJ HASEBE。常に変化していく世の中のサウンドを取り入れ、ブレイクビーツ、アブストラクトを中心に、進化するトラックを世界に発信。ジャンルの垣根を越えたサウンドは幅広い層から支持されている。
活動当初より、DJのみならずリミックスワーク、アーティストへの楽曲提供やサウンドプロデューサーとしても活躍。これらの活動をこなしながらも、いままで多くのレギュラーイベントを立上げ、フェスなども含め、様々な形態のイベントに出演してきたが、その中でも90年代後半から00年代初頭まで開催されていた、<HONEY DIP>はイベントとのクオリティの高さ、豪華なゲストの出演など伝説のイベントだ。終演を迎えた後も、後続的イベントは2010年まで開催され続けていた。
数年の時を経た2014年に<HONEY DIP>はビルボードライブで復活。チケットは2週間でソールドアウトするなど話題となり、イベントも盛り上がりを見せた。そして8月19日(水)に、恵比寿NOSにてSETSUZOKU Presentsで<HONEY DIP LOUNGE>と題し、ラウンジ・バージョンが開催されることになった。
足かけ18年続いている<HONEY DIP>とDJ HASEBEが歩んできた歴史に、ビルボードでの華々しい復活。そして新たに始動する<HONEY DIP LOUNGE>について、DJ HASEBEの話を元にその歴史を辿ってみました。
Interview:DJ HASEBE
1997年の発足〜2000年休止まで
——これまでの<HONEY DIP>の歴史をお伺いしたいのですが、まず97年からハーレムで開催されていた<HONEY DIP>を始動させた経緯を教えて下さい。
97年に知り合いが渋谷ハーレムをオープンする時に、「毎週火曜日にレギュラーでイベントをしないか?」と声をかけてもらって、平日の帯(レギュラー)イベントに興味があったので、DJ WATARAIを誘ってはじめました。それからイベント名を決めることになって、当時とてもお世話になっていた、『Adore』などの自分の作品の名前も付けてもらっていたニューヨークのDJ、ヒロシ君(DJ HIRO nyc)に、「クラブだし、女の子を沢山入れて、甘くてちょっとエロい感じのイベントやりたいんですよ。」って相談したら、何パターンか出してもらえて、<HONEY DIP>に名前を決めました。
——女の子もコンセプトにありますが(笑)。どんなイベントにしていこうというコンセプトもありましたか?
当時は裏原が流行った時期で、自分の周りでアパレルをやっている人たちも盛り上がっていましたが、そういう人たちが平日も外に出て、仲間で集まって遊べるパーティがハーレムのようなキャパの箱ではなかったので、ここでその空間を作ったら面白くなると思いました。音楽、芸能、アパレル業界の人たち、音も業種も色々なジャンルの人が集まってくれましたし、著名人がいると一般のお客さんも集まってくるようになってきて、集客も安定していましたね。当初は音楽が目的じゃない人もいたかもしれないけど、ここを入り口に音楽を好きになってくれる人たちも沢山いました。
——WATARAIさんとYANATAKEさんを誘った動機を教えてください。
YANATAKEは98年の加入なんです。当時YANATAKEはCISCOで働いていて、彼からレコードを買っていました。それにCISCOで<HONEY DIP BOX>というイベントで流した音源をそろえたコーナーを作ってくれていたんですよね。そんなYANATAKEが、オープンアップをやってもらっていた若手DJが抜けたタイミングで一緒にやることになりました。協力もしてもらっていましたし、自然な流れでこの3人に落ちつきましたね。
——そこから18年近く<HONEY DIP>を、今もこの3人で昇華させ続けているんですね。
YANATAKEの加入エピソードで思い出しましたが、 ブラン・ニュー・ヘヴィーズの”You Are The Universe”を日本で流行らせたのは絶対自分です(笑)! CISCOにはじめて”You Are The Universe”が収録されたアルバムが1枚だけ入ってきた時に、YANATAKEから「これHASEBE君っぽいよ。」とすすめられて購入したら、すごくキャッチ―で、いやらしくない程度にポップ感があって、「これはHONEY DIP向けだな」と感じて、開催当時からかけ続けていました。必ず毎回ルーティンにいれて、どう”You Are The Universe”にもっていくのか? この流れは<HONEY DIP>の定番で、今でもお客さんも求めてきてくれるから使っていますね。
▼Brand New Heavies – “You Are The Universe
——当時からサウンドプロデューサーとして幅広く楽曲制作をしていましたが、<HONEY DIP>では軸となるジャンルはありましたか?
当時はヨーロッパで流行っているブレイクビーツ、白人が作るブラックミュージック。それにバンドものでもブラックミュージックの要素があれば好きだったので、R&BやHIP-HOPにこだわり過ぎずに幅広くやっていました。もちろん90年代後半にヒットしている音源を流したり、サンプリングもして盛り上げる要素としてセレクトしていましたが、アメリカのヒットチャートが集中して並ばないようにする意識は持っていました。
——そして<HONEY DIP>では豪華ゲストたちが多く出演していましたよね。
96年にSugar Soulを結成して、97年にミニアルバムをリリースした頃には日本語のラップが形になりだしていたので、次は日本語のR&Bをやりたい気持ちが芽生えていました。はじめたらうまくスタートがきれて、そのタイミングで<HONEY DIP>もスタートしたという背景があったので、歌もののライブは組み込みたいと考えていて、Sugar SoulにZeebra。それにTina、bird、MISIA、m-floなどは、デビューのタイミングが開催時期と重なっていたので、お披露目ライブもしてもらいました。
——ゲストがくると1000人を越えてしまうという話を聞きましたが、その中でも印象に残ったゲストアクトはありますか?
MISIAは凄かったですね、入場制限もかかりました。それと自分が98年に『Adore』をリリースしてSugar Soulとやった時には、平日ですが1000人を越えてハーレムに向かう円山町の坂に行列ができました。『HEY WORLD』、“MASTERMIND feat. ZEEBRA/Mummy-D”をリリースした時のお披露目イベントも印象に残っています。後は企業とのコラボイベントもしていましたね。今だとあまりクラブイベントではコラボしてないと思いますが、ラルフローレンさんや……。『ドラゴンクエストモンスターズ』とか(笑)。
▼DJ HASEBE – “MASTERMIND feat. ZEEBRA/Mummy-D”
——『ドラゴンクエストモンスターズ』ですか!? アパレルからゲームまで幅が広いですね (笑)!
自分が『ドラクエモンスターズ』にはまっていて、スクウェア・エニックスの人にその話をしたら実現したんです (笑)。その時のフライヤーは鳥山明さんの絵を使用させてもらうこともできました。イベントでは、ソフトをモニターにつないで映して、エントリー制で対戦をしましたね。
——いろいろなことが起こるワクワク感もあって、平日にも関わらずお客さんは毎回キャパギリギリだったとも聞きました。
最後の年は毎回600人以上入っていましたね。とにかく独自なものをやりたかったんです。自分たちの音楽業界だけだと狭くなってしまいますし、知らない人たちとも繋がって独自の横の繋がりを大切にしていくと、それが面白いものになるという考えがありました。
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