様々な音楽とのコラボレイションを通してブラジル音楽のスリルと本質を世界中のリスナーに教えてくれた異能のパーカッショニスト、ナナ・ヴァスコンセロス。特に、格闘技と音楽とダンスの総合文化であるアフリカ由来のカポエイラで使われていた特殊な楽器ビリンバウの魅力を広く知らしめた功績は大きい。
ナナに影響されてビリンバウを演奏するようになった音楽家はたくさんいるが、日本では渡辺亮氏がその代表格だろう。EPOやショーロ・クラブをはじめ、鈴木重子や古謝美佐子、角松敏生まで、多くの音楽家たちの作品でその妙技を披露してきた渡辺氏は、なんとナナから直接指導を受けた、愛弟子の一人である。そんな渡辺氏に、ナナとの出会いや思い出、音楽家としての魅力について話を聞いた。
Interview:渡辺亮
――ナナ・ヴァスコンセロスとの出会いは?
ナナ・ヴァスコンセロスという音楽家の存在を知ったのは、1980年にエグベルト・ジスモンチとのデュオで来日した直後ぐらいです。ジスモンチが〈ECM〉から出した最初のアルバム(ナナとのデュオ作)『Danca Das Cabecas(輝く水)』(77年)を聴いたのが最初で、ちょうど僕がブラジル音楽をやりだした頃でもあった。
初めて直接会ったのは、87年に〈Live Under The Sky〉でジャック・ディジョネットのグループの一員としてナナが来日した時です。楽屋に押しかけて「私、ビリンバウを演奏します。あなたが私の先生です」といきなり言ったら、すぐにその場で演奏をチェックしてくれて。翌日もずっと、基本から教えてくれました。そして「カセットに演奏を録音して、(当時住んでいた)NYの私のアパートに送りなさい」と。それから僕はカセットを彼に送り、次に来日した時に、それを直接添削してもらうようになった。当時ナナは、いろんなプロジェクトのために毎年のように日本に来ていたし。
僕は、彼が来るたびに会いに行き、教わりました。ある時は、日本の地方を回っていたナナのホテルに電話して、電話レッスンを受けたこともありました。コインを大量に用意して公衆電話からかけるんですが、途中で切れてしまい、お札を崩してかけ直してみると、なかなかつながらない。彼は、切れた電話に向かって何分間も一人で僕のために演奏し、説明していたんです。
――いきなり訪ねた見知らぬ日本人の若者に、どうしてそこまで熱心に教えてくれたんでしょうね。
わからない。どうしてでしょうね……。不思議な感じでした。カンフーの師弟関係みたいな(笑)。ビリンバウをやる人がまだほとんどいなかったってこともあるだろうし、僕も彼の言うとおりカセットをきちんと送ったりしていたからかもしれない。
ナナのレッスンは、システムがかなりきっちりしていました。何事も一足飛びに行かず、一つずつ丁寧にマスターしていくんです。僕もそれをちゃんと守った。ナナから特に強く言われたのは、バケッタ(弦を叩くバチ)と共に右手に持っているカシシ(ラタン製のカゴの中に植物の種や貝殻などが入ったマラカス状の楽器)をおろそかにしてはいけない、ということでした。ビリンバウはカシシも一体になった楽器であると。あと、楽器を持つ時のバランスにも気を配っていました。
――そういうレッスン、交流はいつぐらいまで続いたんですか。
87年から始まって、96年ぐらいまでかな。とても優しい人だけと、演奏に関してだけは厳しかった。とにかく音楽のことだけをいつも話し、2時間ぐらいずっとレッスンしていました。最後に会ったのは2003年の<二条城国際音楽祭>で来日した時ですね。
――ナナは歌声もチャーミングでしたよね。
ええ。僕がレッスンでビリンバウを弾いている時も、彼はよく歌っていました。彼が気持ちよさそうに歌っている時は、僕の演奏もいい状態なんだと思った。僕も元々歌が好きたったので、ビリンバウを伴奏にして歌う面白さを彼からは改めて教わったと思います。そういえば、僕が初めてビリンバウを使ったポップス系作品はEPOの『Wica』というアルバムでしたが、それを聴いてナナはとても喜んでくれました。ビリンバウの響きは、歌を引き出す、呼び込む不思議な力を持っているんですね。
――ナナからはたくさんのことを学んだと思いますが、特に大きかったことは何でしょうか。
すべて、です。今の自分の音楽のすべてをナナからいただいた気がします。演奏の技術的なことだけでなく、たとえばブラジル文化、ブラジル音楽に対する認識も、“自分を通したブラジル”というナナのスタンスに倣っています。ナナは海外での活動が長かったせいなのか、ブラジル音楽をストレイトにやらない。少なくとも僕はそう感じていた。常に“自分の哲学に沿ったブラジル音楽”をやっていたと思います。他のブラジル人たちのブラジル音楽とはそこが決定的に違っていた。海外で演奏する場合も、一般的にイメージされるブラジル音楽らしさをそのまま出すことはなかった。あるいは、ビリンバウの演奏も、カポエイラでのそれとは違っていました。実際「私のビリンバウはカポエイラと切り離されている」と言っておられた。ナナは、土地に根付いた音楽、文化、哲学を大切にしていたからこそ、自分の音楽というものを強く意識し、しっかり表現できたんだと思うんです。
――音楽に向き合う姿勢、表現する姿勢を学んだ、ということですね。
そう。彼は海外での子供のワークショップの時だって、ブラジル音楽をやります、とは言いません。でも、彼はいつも傍らにビリンバウを置いておくことを自分の表現の基準にしていたし、彼のビリンバウの中にブラジルのあらゆる音楽、あらゆるリズムが詰まっていることが、教わってゆく中でわかってくる。サンバからアマゾンの空気感まで、彼のビリンバウはブラジルのすべてを持っていたと思います。ナナの音は、聴けばすぐわかる。他のビリウバウ奏者の音とは違うんです。そして彼は、テクニックを含めて、そんな自分の哲学や世界観をしっかりと人に伝える術も持っていました。導師というか。
ナナに最初に会った時、「あなたはビリンバウと一緒にいると、すごくいいことがあるよ」と言われたのがとてもとても印象的でした。彼はサインする時も“Berimbau e Alegria(ビリンバウと喜び)”と書いていました。それはつまり、ビリンバウを通して、自分の音楽、自分の世界、自分の生き方というものをきっと見つけられるということだったと思う。僕はナナとの出会いによって、自分はブラジル人じゃないけどビリンバウをやってもいいんだなとわかった。ナナが亡くなったことは本当に悲しいけど、この“ビリンバウと喜び”という大きな哲学は、勇気として僕の中にずっと生き続けてゆきます。
EVENT INFORMATION
エグベルト・ジスモンチ・ソロ 〜ナナ・ヴァスコンセロス追悼コンサート〜
2016.04.20(水)
OPEN18:00/START19:30
練馬文化センター 大ホール(こぶしホール)
ADV ¥8,500/DOOR ¥9,000
INFO:株式会社ディスクガレージ 050-5533-0888(平日12:00-19:00)
※練馬文化センターでのチケットの再販売はございません。
RELEASE INFORMATION
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ナナが70年代サラヴァに残した名盤! スピリチュアルで瑞々しい、大自然の声と共鳴したようなビリンバウの音色が世界中に衝撃を与えた名作2枚のカップリング。【サラヴァ・レーベル50周年記念リリース】
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ナナとの完全デュオによるジスモンチの〈ECM〉デビュー作。78年にはドイツ・レコード大賞を受賞した名盤。(1976年録音)
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名盤『輝く水』から8年後に実現したデュオ第2弾。ブラジル的な情緒と〈ECM〉らしい透明感が溶け合うサウンド。(1984年録音)
photo by Takeshi Yoshimura
撮影協力:BAR it