アメリカ南部に息づくブルース、カントリー、ソウル、ジャズ……。それらルーツ音楽の土着的な伝統は、オールマン・ブラザーズ・バンドやレーナード・スキナードといったバンドの台頭によって60年代から70年代にロックと邂逅し、今現在まで連綿と続くサザン・ロックの豊かな歴史を形作ってきた。その系譜の正統後継者と言うべき、若きギター・ヒーロー。それがマーカス・キングだ。
いまだ21歳という驚異的な若さのマーカス・キング率いるマーカス・キング・バンドは、2014年に自主リリースしたデビュー・アルバム『ソウル・インサイト』が話題を呼び、オールマン・ブラザーズ・バンドのウォーレン・ヘインズとデレク・トラックスに見初められることに。ウォーレン・ヘインズのプロデュースの下、デレク・トラックスもゲストとして参加した最新作『マーカス・キング・バンド登場!』は、米ビルボードのブルース・アルバム・チャートで2位を記録するなど、サザン・ロック・シーンに彗星のごとく現れた神童として、アメリカを中心に注目を集めている。
初来日となった<FUJI ROCK FESTIVAL ‘17>では、金曜深夜のCRYSTAL PALACE TENTと土曜のFIELD OF HEAVENで二度のパフォーマンスを成功させ、ライブ・バンドとしての実力を見せつけたマーカス・キング・バンド。
今回のインタビューの席には、パーマネント・メンバーであるジャック・ライアン(ds)、スティーブン・キャンベル(b)、ジャスティン・ジョンソン(tp, tb)、マット・ジェニングス(org, key)、ディーン・ミッチェル(sax)の5人も同席。物心がつく前から楽器と音楽に囲まれて生活してきたという幼少期からバンドの結成を経て、最新作『マーカス・キング・バンド登場!』をリリースするまで、マーカス・キングのこれまでの経歴を中心に話を聞いた。
Interview:マーカス・キング・バンド
——今回はマーカス・キング・バンドにとって初めての来日となりますが、まずは日本の印象を聞かせてください。
マーカス 美しいところだね。まるで俺達の地元みたいだよ、湿気もすごいし(笑)。
スティーブン 俺達の地元もセミがよく鳴いてるから、本当にサウスカロライナに似てると思うよ。日本の文化もとても興味深くて、五感を刺激されてるような気がする。
——あなた方は<FUJI ROCK FESTIVAL ‘17>に出演されたばかりです。あなた方の出番は金曜深夜のCRYSTAL PALACE TENTと土曜のFIELD OF HEAVENでしたが、日本で二度パフォーマンスしてみて、いかがでしたか?
マット 金曜の深夜と、土曜の昼間の出演だったから、実質一日に二回ステージをやったようなものだったんだよ。どちらも、とにかくオーディエンスが素晴らしかったね。
マーカス 俺が聞いた話だと、金曜深夜に演奏した会場のテントはオランダ製で、建てるのに6日、解体するのに2日くらいかけて、いろんな国のフェスを回っているらしいんだ。そんなテントで演奏できるなんて、とても名誉なことだと思ったよ。
マット 次の日のステージは、お客さんの向こう側に山が見えて、小雨が降って霧がかっていたんだけど、その雰囲気もマジカルな感じがして良かったな。
THE MARCUS KING BAND – “Rita is Gone” (Live at JITV HQ in Los Angeles, CA)
——マーカスは幼少の頃からお父さんとお祖父さんの影響で、ギターを弾き始めたそうですね。最初にギターに触れたのは何歳くらいの頃でしたか?
マーカス 3歳の時だね。俺の祖父はフィドル奏者だったし、大叔父や大叔母はゴスペルを歌っていたりして、音楽は常に生活の一部だった。3歳で初めてギターを手に取った時、すごい解放感が感じられたのを覚えているよ。その当時は自覚もなかったんだけど、後から振り返ってみると、自分にとってギターは感情を吐き出すための純粋なツールだった。幼心に、これが自分に最もふさわしい楽器なんだってことだけは分かっていた気がする。
——どういう風に楽器を教わったのですか?
マーカス もちろん実践的な弾き方を教わったこともあるけれど、自然と身についていったという方が正しいだろうね。昔から家に楽器がたくさんあって、ハイハイをしている頃から気づいたら自分から楽器を触りにいくような子供だったらしいんだ。小さい時はドラムを演奏するのが好きで、親はギタリストよりもドラマーになるんじゃないかと思ってたみたい。
――それからギターへと興味が移っていったきっかけは何でしたか?
マーカス 俺達のドラマー、ジャック・ライアンと出会ったからだね。バンドの中でも、彼との付き合いが一番長いんだけど、彼と会って一緒にプレイするようになってから俺はギターの方にフォーカスするようになったんだ。
——幼い頃から、家族のバンドと一緒にステージに上がっていたそうですが、何歳ごろからステージに参加していましたか?
マーカス 8歳の時が初めてのステージだった。演奏したのは“オレンジ・ブロッサム・スペシャル”っていうブルーグラスの曲で、4つのコードしかない曲なんだ。だから、当時から演奏の合間にアドリブを入れたりしてた。その他には、叔父さんやお祖父さんと一緒に、“アメイジング・グレイス”をやったりもしたね。
——あなた方の生まれ故郷であるサウスカロライナ州グリーンヴィルという街の音楽シーンについて教えてください。そこには、どういうローカル・シーンが根付いているのでしょうか?
ジャスティン 小さくて、閉鎖的だね。凄腕のミュージシャンやソングライターは沢山いるんだけど、演奏できる会場が少ないんだ。
ジャック 支えてくれるお客さんは沢山いるんだけど、みんな顔見知りみたいなものだから緊張感に欠ける部分もある。今日見に行けなかったとしても、また来週・再来週があるからいいや、みたいな感じで。だから、本気で音楽をやろうと思ったら、グリーンヴィルの外に出ていかないといけないんだよ。
マーカス グリーンヴィルに、堅い絆を持ったコミュニティがあるのは間違いないよ。じゃあ、そのグリーンヴィルから君たちはどうやって出たの? って聞かれることが多いんだけど、言ってしまえば、ただ離れたっていうだけなんだ。最初の数年は金にはならないかもしれない。でも、強い思いを持って離れるのは大事なことで、そうしなければずっと狭い檻の中に閉じ込められてしまう。そうは言っても、俺はグリーンヴィルを愛しているんだけどね!