シンガーソングライター、プロデューサー、ビートメイカーとしてマルチな才能を発揮しているアーティスト、UKICO。フランス人の父親と日本人の母親を持ち、フランスで生まれパリで育った彼女は、2012年からNYに移り、マンハッタンのInstitute of Audio Researchでエンジニアリングを体得。首席で卒業すると、その後、ブルックリンのStrange Weather Recording Studioのアシスタント・エンジニアとして、ゴーストフェイス・キラ(Ghostface Killah)など多数のアーティストの作品に関わるなど、異色の経歴の持ち主だ。
ミキシングの仕事をする傍ら、作詞、作曲、歌唱、アレンジ、ミキシング、レコーディング全てを自らが行い創作活動も行ってきた彼女は、満を持して9月11日(水)にデビュー曲“DENIAL”をリリース。90年代のトリップポップに深く傾倒し影響を受けたサウンドに、和楽器や日本神話といった神秘的な要素を散りばめ、独自のオルタナティブポップへと昇華している。今回、そんな多才な彼女の人生初のインタビューが到着した。
UKICOロングインタビュー
――基本的なことを伺いますが、生まれたのはフランスなんですよね。
そうです。生まれてからずっとフランスで暮らしていたけど、夏休みに必ず日本に来ていました。小学6年生まで、7月は1カ月間日本の学校に通いました。すごく楽しかった。そして大学を卒業してから日本に引っ越して、モデルの仕事をやっていました。だけどやっぱり自分自身を表現したいと思って。仕事を一旦辞めて、貯めたお金でニューヨークに行って音楽の勉強を始めたんです。
――子供の頃に音楽関係のレッスンは受けていたんですか?
ピアノはちょっとやっていました。私の家族はあまりアートと接点がなくて、パパとママはエールフランスで仕事をしていて出会ったんです。だからロマンティックなんですが(笑)、アートとは接点がなくて、音楽にしても、ディズニーのアニメを通して触れたんですよね。ジャズなら『おしゃれキャット(The Aristocats)』だったり。それしか知らなかったから、子供の頃はミュージカルをやりたかったんです。で、徐々にポピュラーな音楽を聴くようになりました。歌いたいという気持ちはあったんですが、自信がなかったんですよね。その後大学を卒業して、フランスのおばあちゃんが亡くなった時に、初めて詩を書いたんです。それをパパに見せたら泣いちゃって。それはきっと、言葉でストーリーを書いて、そこからおばあちゃんのことを想像できたからなんだ、シンプルな詩でもパパにも伝わったからなんだと感じたんです。パパは今でも読んでいるというくらいなので。だったら私は音楽でストーリーを伝えたい、自分にも曲が書けるかもしれないと感じました。だから始めたのは結構遅くて、ふたつ目のキャリアみたいなものです。
――そうすると、まずおばあちゃんに捧げた詩があって、音楽の道を志して、実際に歌い始めたのはそのあと?
ちょっとあとだったかも。やっぱり出会いがありました。ミュージシャンとの出会いがあって、その時は歌詞だけ私が書いて共作して。でも私は自分のテイストやこだわりがすごく明確にあって。「これが欲しい」より「これは違う」というのがすぐ分かるんです。今では「これだ」というのが、よく分かってきました。「これは違う、これも違う」と探しながら、自分のスタイルになっていって。面白いのはやっぱり、今まで聴いてきたものに似ていることですね(笑)。似ているというか、全部混ざって、吸収されて、こういう風になったんです。
――じゃあ、ほかのミュージシャンと一緒に作るよりも自分で全部やるほうが合っている?
今は自分でやっちゃってます。完璧主義だから、どの時点で完成したのか見極めるのが大変ですけどね。ミックスはお願いしている人がいて、最初はプロデュースもしてくれていたんですが、彼のテイストが大好きで、信頼関係があるんです。私のイメージを超えるものにしてくれます。
――ミュージシャンを志して、まずエンジニアリングを勉強する人はなかなかいないと思います。
それも出会いがきっかけでした。何を勉強するかは着いてから決めようと思って、取り敢えずニューヨークに行ったんです。それからボーカル・レッスンを受けて、ギターも少し習って、オープンマイクのイベントにマメに出ていました。自分で探して、独りで。怖かった(笑)。でもそこで出会いがあるかなと思っていたら、その時の友達から話を訊いたんです。ビザを取るには学校に行くのがベストだから、どこに行こうかと思っていて、Institute of Audio Researchを体験したら機材で盛り上がっちゃって。自分が機材で盛り上がったことにびっくりしたけど、本当に楽しかった。すごく実践志向で、全て自分でいじって作ったり、ミックスしたり。Pro Toolsの勉強もして、アシスタントを体験しました。
――女性の生徒は学校でも少なかったでしょうね。
特にエンジニアリングは少なかったです。当初私のクラスにはふたりいたんですけど、難しいから辞めちゃう人もいて、最後にはひとりでした。そして次席になったから、つまり2位だったんです。卒業生総代は男性でしたが、それはすごくうれしかった。でもやっぱりエンジニアリングやプロダクションやアレンジの世界は特に女性が少ないから、最初は心配でしたし、正直に言うと、レコーディング・スタジオとライブハウスでアシスタントとしてインターンシップをしたんですが、レコーディング・スタジオはちょっと大変でした。
――在学中も自分の楽曲を作っていたんですか?
少し作っていましたが、やっぱりまだどういう曲を作りたいのか明確に分かっていなかったんですよね。だから、まずはミキシングとレコーディングを勉強して、Pro Toolsをメインでやって、そのあとでAbletonのスクールにも3カ月間通ってトラックメイキングをして、自分のスタイルが分かってきたんです。
――いきなりあなたがミュージシャンを志したことに、フランスの友達は驚いていたのでは?
びっくりしてました。しかも私、超ナードで、すごく大人しくて話さない子で、友達が少なかったんです。だから、まずは「モデルになったの?」と驚かれて。さらに「音楽?なぜ?」って(笑)。特に家族には不思議に思われていました。
――モデルの仕事も人前に立つ練習になったのでは?
だけど全然違うんですよね。声を使うから、そこは全然違っていて、練習しないとダメでした。観られることにはあまり緊張しないけど。
――学校を卒業して音楽活動を始めるにあたって、なぜ東京を拠点に選んだんですか?
一旦フランスに帰ったんですが、フランスには未来が見えなかったんですよね。面白いんですけど(笑)。フランスの音楽に興味がないんです。最近はトラップとかラップが盛り上がっていて、プロダクションやアレンジは結構簡単だなと思っちゃって。で、日本に遊びに行ったら、モデルの仕事のおかげで色んな知り合いがいて、とあるブランドのモデルの仕事が入ったんです。そのブランドに、ビデオの音楽を作りたいと言ったらOKが出て、初めてコマーシャルのための作詞作曲を体験して「こういうこともできちゃうんだ」と思いました。それで「じゃあ日本にいたほうがいいのかな」と感じて、友達の家で暮らしていたんです。私はやっぱり日本に住むのが好き。正直言って、私の音楽は日本ぽくないと思うんですけど、住んでいて自分が一番ハッピーで、落ち着くし、ここをベースにして、あとはロンドンやLAやニューヨークに行ったりするのも夢です。
――じゃあ日本にもミュージシャン仲間がいるんですね。
YayhelとかWONKがいる、ちょっとアンダーグラウンドなシーンですね。レオ今井も友達で、彼の曲、特に歌詞が好き。勉強になります。だからそういうシーンにいるのも楽しいし、私の音楽を理解してくれるからうれしい。あと、サラウンド・サウンドを手掛けているエンジニアの瀬戸勝之さんとも友達になって、彼は毎年<MUTEK Japan>に出ているんですが、彼といつかコラボがしたいです。彼は素晴らしいアーティストで、作曲もやっていて、一緒に何かできたらいいなと言ってくれています。ほかには三味線のミュージシャン久保田祐司さんともすごく仲が良くて、とてもお世話にもなっています。「HOSTAGE」で三味線を弾いてくれています。
――そういうコラボ以外の制作作業は、自宅でラップトップでやっているんですか?
そうです。孤独です(笑)。
――プロセスとしてはどんな風に進めるんですか?
曲によってバラバラですけど、まずサンプルを選ぶことが多いかも。ドラムとかのサンプルを選んで、音にインスパイアされて、ピッチを変えたりリバースにしたりとかして。そしてトラックができて、ノレる感じになったら、ストラクチャーを作って、メロディを作って……というのが最近は多いですね。トラックが先にあるとムードがちゃんと作れるので。でも「DESERTED」の場合はメロディが先に浮かんだし、歌詞から始まった曲もあります。
――スタイルとしては、トリップホップを核にしているそうですね。
トリップホップが大好きで、マッシヴ・アタック(Massive Attack)が私の神なんです(笑)。来日公演は2日間行っちゃいました。最高でした。目をつぶって音でゾーンに入る、みたいな感じで。
――マッシヴ・アタックが神だとすると、ほかの影響源は?
ジャンルはすごく広くて、90年代のソウルフルな音楽がすごく好きです。サウンドガーデンやオーディオスレイヴもソウルフルですし。その時期にフランスで流行っていたのはR&Bなんですよね。一番聴いていたアルバムはマライア・キャリー(Mariah Carey)の『バタフライ』でした。マライアの声がすごく好きで、ほかのアルバムはポップ過ぎるけど、『バタフライ』はすごくスロー・テンポで不思議なアルバムで、中でも「Breakdown」という曲が一番好きです。ループでCDを聴いていたら、盤が傷付いていました(笑)。あとは、日本にも毎年来ていたから、宇多田ヒカルがすごく好きでした。初期の彼女には結構影響されたと思います。『Distance』が好きなアルバムなんですけど、スロー・テンポのR&Bで、ドラムはヒップホップ系の音で、そういうのが好きかも。R&Bは結構昔から聴いていて、その影響はすごくあります。でもスプリームス(The Supremes)とかも聴いていましたし、フィオナ・アップルのソングライティングと声にもグッと来るし、ニューヨークに引っ越してからは、リトル・ドラゴン(Little Dragon)やジ・インターネット(The Internet)やバンクス(Banks)なんかを聴いて、最近はFKAツイッグス(FKA Twigs)が大好きです。
――ソングライターの中には曲作りをセラピー代わりにしている人も多いですよね。あなたの場合はどうでしょう?
今振り返ると、アルバムは私の旅になっていて、自己発見ですね。あの時期は自分を探していて、自分の中で「人生とはなんだろう?」という質問がいっぱいあったんです。自分のこととか、人との関係とか。失恋してダークだった一番ロウ・ポイントの時期で、そういう時には自分を見つめるじゃないですか。一番自分を見つめていたというか、道筋を見つめ始めたんですよ。そして8年前にヨガや瞑想を始めて、ディープに掘り下げました。瞑想に開いて、ヨガに開いて、スピリチャリティに開いて、「こういう風に世界を見ればいいんだ」と目線がどんどん変わるし、物の見方が変わる。そうすると人との関係も変わるんです。そういう旅が私のアルバムの中に入っているんですよね。どう目線が変わったかというと、自分の思考が人生を表す、考え方、カルマにも興味を持ち、人間は前世で出会ったことがあるのではないかと考えるようになりました。でもまた出会って同じことを繰り返したり、自分自身の人生においても同じことを繰り返したりとか、いつも同じ問題に直面したりする。だからそういうパターンは外から来ているんじゃなくて、中で作っちゃっているのではないかと思うようになりました。これは心理学とスピリチュアリティが混じった考え方で、そう捉えると、ちょっと楽になるかなと思っていて。いつも人のせいにしていた自分の成長でもあります。カルマに関しても人生に関しても、成長して悟りを開くというゴールが自分の中にあって、そういう目線もあるってことを世界に伝えたい。日本人にとって、それは当たり前じゃないですか。でも海外では当たり前じゃないし、その目線も面白い。そして自分もそういう目線で成長して、癒される。今の時代はヒーリングをみんなが求めていると思います。だから今ビッグなテーマになっているんだと思います。
だからアルバムは、最初は“失恋”という簡単なテーマから入るんですが、だんだん深くなっていって、最後のほうはユニヴァースの曲。一番最後に書いた曲は「SIRIUS」で、シリウスは恒星で、そこには宇宙人や神々がいると言われているんです。つまり超高度な知能。そこから色んな情報が地球に降ってくるとされていて。だから歌詞は、色々悩んでいても「自分の中に答えがあるから」という感じの曲なんですよね。ほかにもこの間、とあるスピリチュアルな楽器をRed Bull Music Studiosでレコーディングしたので、正体はまだ明かせませんがお楽しみに。
――そういう東洋のスピリチュアリティや思想に興味を抱くきっかけはあったんですか?
自分の中に元々あったんですよね。自分探しにおいて、心理学とスピリチュアリティはコネクトしていて。パターンはカルマからも来ていると思う。もちろんこの人生のトラウマや危機からもパターンは生まれるけど、私は自分の家族を選んでいると思っているんです。だからハーフとして生まれて、アイデンティティ・クライシスがありますし、そこから来ている不安もいっぱいある。だからこそカルチャーに触れるのが好きなのかもしれない。どこに自分がいるのかという不安を表現したい気持ちから来ているかも。でもそれは、自分のソウルが選んだと思っているんです。それが正しいとは言いたくないけど、面白いかなと。アーティストにはどこかにアンテナがあって、“降りてくる”ものだと私は思っているから、常にチャンネルが開いていないと。それと、エゴの闘いがあると思います。
――じゃあ曲を作る時は、無理に書こうとしないで降りてくるのを待っている?
そうかもしれない。「絶対に書かないと!」っていう時は頑張りますけど。クリエイティヴィティは、ちょっとプッシュしたらそこに行けると思うことがあるし、インスピレーションなんだと思います。伝えたいテーマが溜まっていて、メモだらけなので、その中から「あ、これだ!」と閃いたり、コラボレーションをするとすぐにパっと開く時も。場合によっては、「このムードになりたい」という風に曲を聴きながら、浮かぶのを待つことも。
――あなたの曲の多くに和楽器が使われていますが、いつも生演奏を使っているんですか?
そうです。ニューヨークで勉強していた私が日本に戻ってきたのは、ビザが切れたことが理由なんですけど、多分ユニヴァース(宇宙)が「戻ってきなさい」と言ってくれたんですよね。そして、音楽を日本らしくしたほうがいいというアイデアを得て、和楽器を入れたいと思ったんです。すでに「DENIAL」のトラックはできていたんですが、なんだか自分らしくないように感じて、たまたま友達に和楽器のミュージシャンを探していると話したら、すぐに東京藝術大学のお琴の先生を紹介してくれて。その人はかなり有名な方だったんですけど、興味を持ってくれて、何回もコンサートに呼んでくれて、イメージが浮かんだのでレコーディングをしました。LAからプロデューサーを連れて来て、エンジニアでもある彼とインターフェイスやマイクを用意して。それもすごく楽しくて、和楽器の中でも尺八が一番インパクトがありました。フリースタイルで曲に乗せてくれて、鳥肌が立って泣いちゃいました。もちろんそのあとで、使う場所を選んだり、アレンジをしたりしましたけど。琴に関しては、最初からプロデューサーさんが用意していたパートをふたりの奏者に弾いてもらって。ふたりいるとハーモニックスが生まれて、それを録りたかったんです。
――デビュー・シングルの「DENIAL」は、一番ダークな場所にいた時に生まれた曲ですか?
最初に書いたのは「DESERTED」なんですけど、同じ時期ですね。「DESERTED」が始まりで、でも失恋を認められなかったから“denial(否定)”なんです。このテーマはふたつの意味を含んでいて、まずは自分が失恋して、それを乗り越えられていないことを、自分に隠しちゃっている。「彼氏はいらない。今は独りですごくいいの」と言っていたのに、この曲を書いたら“hiding from a new romance”というコーラスの歌詞がすぐに思い浮かんで、「ああ、私、隠れているんだ」と気付いたんです。だから私は、自分の感情を否定しているってこと。それと、“責任はあなたにある”と言っていますが、本当は自分を責めているんですよね。自分に責任があることを認めていないんだけど、一歩引いて考えてみると、終わったことを自分が否定している。でもそれは歌詞からは見えない。そこにも“denial ”があって(笑)。全部彼のせいにして、自分の責任や成長を私が全て否定していた時期なんだな、と。そして辛さを乗り越えて、前に進むために、防護具を作るという面もあると思います。
――このあと2曲シングルが続きますが、3曲でストーリーを伝えるような感じになるんでしょうか?
この3曲をリリースすることにした理由は、MVにあります。3曲とも、イザナミとイザナギのストーリーに因んだMVを作るつもりなので。ただ、そういうコンセプトは自分で考えましたが、ビジュアルは自分の専門ではないので、アーティストの才能をリスペクトしてくれる人とコラボする予定です。何年間も勉強した人、センスがある人に任せたくて。
DENIAL UKICO
――ファースト・アルバムはすでに完成しているんですか?
今Red Bull Music Studiosでインタールードをレコーディングして、今アレンジしています。すでにある8曲に、今作っている3つのインタールードで全11曲。“11”という番号がすごく好きなんです。人にはそれぞれ番号もあるんですよ。ソウル・ナンバー、魂のナンバー、Numerology(数秘術)といって、誕生日の月と日と年を足した番号が、結構当たるんです。私の場合は11で、11が自然に色んなところに出てくるから、アルバムも11曲にしました。PVを撮影した日もたまたま11日で、Red Bullのスタジオも「11日が空いているよ」と言われて、「じゃあ11日に」って(笑)。そういうことが結構多いんです。Numerologyもひとつのサイエンスだと思っていて、すごく面白いですよ。気付いたのが、「DENIAL」の長さは3分17秒で、足すと11です(笑)。
――アルバムのリリースはいつ頃になりそうですか?
まだ決定ではないのですが、1月にリリースできたら良いなと思っています。誕生日の月で、1月11日とか? タイトルは『ASCENSION』です。曲を並べると旅になるので。
Text by 新谷洋子