1980年にレーベル〈ON-U〉を立ち上げて、UKレゲエとパンクの接点を突いた傑作『ニュー・エイジ・ステッパーズ』をいきなり世に出したエイドリアン・シャーウッド(Adrian Sherwood)。リー・ペリー(Lee Perry)のソロ名義のアルバム『Rainford』とそのダブ+α盤『Heavy Rain』をリリースした2019年の今、その健在ぶりが素晴らしい。
エイドリアン・シャーウッドは現在61歳だが、初めてリー・ペリーに会ったのは1972年、14歳のとき。76年、17歳のとき〈Carib Gems〉というレーベルで働き始めたとき、リー・ペリーがプロデュースした7インチ、“Ketch Vampire”や“Sons Of Slaves”をリリースする仕事に係わった。長い長いつき合いなのである。
エイドリアン・シャーウッドはロンドン北部にあたるミドル・クラスが住む郊外の街、ハイ・ウィッカムで育った白人だが、ティーン・エイジャーの頃からレゲエ一色の人生を歩み始める。初めてのプロデュース作はクリエイション・レベルの『DUB FROM CREATION』(78年)。この作品はレゲエ/ダブそのもので、意外なことに、エイドリアン・シャーウッドは76〜77年のパンクとはまったく係わりがなかった。そのクリエイション・レベルが79年にザ・スリッツの『カット』のプロモーション・ツアーに参加することになり、エイドリアンはアリ・アップ(Ari Up)と親しくなった。そしてアリ・アップが、マーク・スチュワート(Mark Stewart)、ブルース・スミス(Bruce Smith)らをエイドリアンに紹介して80年に『NEW AGE STEPPERS』をレコーディングしたのだった。
以後、長いキャリアが続いている。そんな彼に近況について聞いてみた。ICレコーダーのマイクに向かって、エイドリアン・シャーウッドがいきなり喋りだした。
INTERVIEW:Adrian Sherwood
おはようございます。マイク・チェック。1、2、3、4
–『Heavy Rain』は『Rainford』のダブ盤というか、ダブ盤+αという感じですね。
ダブ盤+ちょっと。というか、ダブ盤+たくさん、って感じかな。
–その「+たくさん」という部分について説明をお願いします。
『Rainford』は、片面18分、もう片面は20分というレコードの尺に収まる作品に仕上げようと思っていた(収録したのは9曲。日本盤CDは10曲)。でもそのためのレコーディングをしていた段階で、後々ダブ・アルバムを出すことになると思っていたので15曲ぶんの音源を作っていたんだ。
『Heavy Rain』では、そういうトラックも使いつつ、さらに何人ものミュージシャンによる新しい録音を加えてミックスした。ブライアン・イーノ(Brian Eno)。ヴィン・ゴードン(Vin Gordon)のトロンボーン。アラン・グレン(Alan Glen)のハーモニカ、ヤードバーズ(The Yardbirds)とかリトル・アックスでも吹いている人だね。マーク・バンドーラ(Mark Bandola)のギター、彼はサイケデリックなミュージシャンだ。それから、サミー・ビシャイ(Samy Bishay)のヴァイオリンも。
リー・ペリーにしろジョー・ギブス(Joe Gibbs)にしろ、彼らが作ったような伝統的なダブ・アルバムはオリジナル・アルバムのトラックを加工して制作されていたけど、『Heavy Rain』はそのために新たに録音した素材をたくさん使って、カラフルな音になった。
–『Heavy Rain』にはブライアン・イーノが参加した“Here Come The Warm Dreads”が収録されています。これはベースラインを聴けば誰でも判りますが、『Rainford』の収録曲“Makumba Rock”を元にしています。それでもこれは既存の曲のダブというより、新曲と言えるほど新しい要素が加わっている感じですね。
ブライアン・イーノと一緒に音をミックスした。ドラスティックに変化したね。
–そもそもなぜブライアン・イーノとやることになったのですか。
マネジャーが同じで、前から知り合いなんだ。ずっと前から何か一緒にやりたいと思っていて、今回、お願いしてみたら、向こうからも、ぜひぜひと言われたんだよ。
–この曲のベースラインは、レゲエの定番リズムのひとつ、“Heavenless”みたいでカッコ良いですね。
それは意識していない。“Makumba Rock”のリズムは、10年前にブラジルで着想を得たんだ。最初はドラムマシンで打ち込み、ブラジル人のベースとパーカッショニストに演奏してもらった。それをロンドンに持ち帰ったところからリー・ペリーが制作に加わり、ロンドンとラムズゲート(イギリス、ケント州の海岸沿いの町)を行き来しながら仕上げていった。その過程で、ベースは(エイドリアン・シャーウッドとつき合いが長いタッグヘッド(Tackhead)の)ダグ・ウィンビッシュ(Doug Wimbish)、ドラムは(エイドリアン・シャーウッドとつき合いが長かったダブ・シンジケートの)スタイル・スコット(Style Scott)に演奏してもらって、そのパートだけ差し替えたんだ。
–スタイル・スコットは、2014年に殺害されてしまいました。『Heavy Rain』では“Makumba Rock”を発展させた“Here Come The Warm Dreads”を含めた3曲にクレジットされていますが、これはスタイル・スコットを追悼するという意味で探し出したトラックを組み入れたのでしょうか。
いやこれは、彼が『Rainford』のためにイギリスに来てレコーディングしたときのものだ。スタイル・スコットはそれ以外の2曲、『Heavy Rain』では“Mind Worker”と“Above And Beyond”となる曲のセッションを、ベースのジョージ・オバーン(George Oban)とレコーディングし終えてジャマイカに帰り、その2か月後に殺害されてしまった。
–“Mind Worker”は初期のアスワド(Aswad)に在籍していたジョージ・オバーンが参加しているからか、ちょっとアスワドのようなテイストも感じられます。
そう感じるかもしれないけど、ジョージ・オバーンはアスワドのオリジナル・メンバーとしてアルバム2枚に参加しただけで、すぐに脱退しているから、あまり関係ないんじゃないかな。いずれにしろ彼は素晴らしいベース奏者だよ。
–『Rainford』も『Heavy Rain』もリー・ペリーのソロ・アルバムということになっています。実質的にはエイドリアン・シャーウッドさんの功績が大きいと思うのですが、なぜ共作としないのですか。
『The Mighty Upsetter』(08年)を作ってそのダブ・アルバム『Dubsetter』(09年)を作ったときもリー・ペリーのアルバムとしてリリースしている。今回もリー・ペリーを引き出すために作ったので、彼に注目を集めて、引き立たせたかったんだ。俺はプロデューサーであって、アーティストではないし、それで俺は十分ハッピーだ。
–エイドリアン・シャーウッドさんのキャリアは長いです。一般には、〈ON-U〉を立ち上げた80年に『NEW AGE STEPPERS』を世に出した時点が大きなポイントだと捉えられていると思います。特に若いリスナーに対して、自分では今までのキャリアの中でここがポイントだったと言いたいところはどこですか。
俺は過去を振り返ることはしない。常に次のレコーディングのことを考えている。聴いてほしいのは最新作、そして次の作品だね。若い人は自分たちで私のこれまでの作品を発見していくはず。これまで自分が係わってきた作品はすべて誇りに思っているし、それは最高のミュージシャン、アーティストのおかげなんだ。〈ON-U〉のカタログはすべて、素晴らしい作品ばかりだから、それを見つけてくれたら嬉しいね。
–長いキャリアのなかで、ぼくが大きなポイントだと思っていることのひとつは、エイドリアン・シャーウッドさんが強くリスペクトしていたプリンス・ファー・アイ(PRINCE FAR I)が83年に殺害されて、それからしばらくレゲエに係わる気になれずに、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einstürzende Neubauten)だったりデペッシュ・モード(Depeche Mode)だったり、ニュー・ウエイヴのリミックスを手がけていた点です。
その時期は“怒り”が深かった。83年から86年までは特にね。ニュー・ウエイヴのリミックスはレゲエよりお金になるかなと思ってやっていた節もあるよ(笑)。その間、タックヘッドのレコードはリリースしていたけど。再びレゲエと向き合ったのは、まさにリー・ペリーと制作した『Time Boom X De Devil Dead』だったんだ。
–デヴィッド・カッツ(David Katz)が執筆したリー・ペリーの伝記『People Funny Boy : The genius of Lee Scratch Perry』によれば、『Time Boom X De Devil Dead』のトラックは、ソウル・シンジケート(Soul Syndicate)が演奏してエイドリアンさんがダブにしたもので、それをリーさんに聴かせたら、気に入って歌を入れて、すぐ完成したというようなことが書いてあります。
俺だけでなく、スタイル・スコットが大きな役割を果たしていたよ。
–それで『Time Boom X De Devil Dead』は、リー・ペリーとダブ・シンジケート(Dub Syndicate)の作品とクレジットされているのですね。『Rainford』のときは、リー・ペリーさんはどの時点から係わってきたのですか。
『Rainford』に関しては、1年ぐらいかけてリー・ペリーが詞を書いて歌入れしてくれた。ロンドン、ラムズゲート、ジャマイカのリー・ペリーの家と、作業は3か所で進めていたよ。
–リー・ペリーはスイスに住んでいるのではないのですか。
彼はスイスとジャマイカに家があって行き来している。
–リー・ペリーと連絡を取り合うのは電話ですか。
“煙”で連絡するんだよ(笑)。本当は電話なんだけどね。でも彼の妻がマネージャーのような役割を果たしているので、彼女とメールで連絡を取るんだ。
–1978年にジャマイカのブラックアーク・スタジオが焼失するまでのリー・ペリーはプロデューサーとして数々の傑作を残しました。しかし『Time Boom X De Devil Dead』以後は、ほとんどパフォーマーになっています。まったく違う役割になったことを、どう受け止めていますか。
彼には“怒り”があったのだと思う。ボブ・マーリー(Bob Marley)にアップセッターズ(The Upsetters)の手法を盗まれたり(バレット兄弟などがいたリー・ペリーのバンド、アップセッターズからボブ・マーリーのウェイラーズ(The Wailers)が派生した)、コンゴス(The Congos)の件(〈Island Records〉にコンゴスのデビュー作、77年の『Heart of the Congos』をリリースすることを拒否された)があったり、プロデューサーはいつも、アーティストにお金を要求されたりもする。そういうことが重なって、もういいやと思ったのではないかな。個人的には、プロデューサーとしてのリー・ペリーのレコードをもっと聴いてみたかった。
–エイドリアン・シャーウッドさんは“怒り(anger)”という言葉を使うとき、力が入りますね。“怒り”がダブを制作するモチベーションになっているのでしょうか。
もちろん。また“怒り”によって何かを止めてしまうこともあり、紙一重だけど。
–たとえば今のイギリスでは、Brexit(イギリスの欧州連合離脱)問題とかありますけど、そういう政治的状況が音楽にも影響を与えているのですか。
個人的にはBrexitはバカげていると思う。ただしBrexit問題が私の音楽に影響を与えているかは判らない。でもひとつ思うのは、イギリスではそういうことに対して“怒り”とかフラストレーションを見せるんだ。でも日本は違う。来日するたびに頭をよぎるんだけど、みんな穏やかで落ち着いている。日本の人ももっと“怒り”を見せた方が良いんじゃないかと思うよ。
–70年代にイギリス独自のレゲエやサウンド・システムが存在して、そこから発展した、ブリストル・サウンズ、ドラムンベース、最近の南ロンドンのジャズと、トレンドが変化してきました。そんななか、一貫したスタイルを〈ON-U〉で追求しています。このことをどう考えていますか。
私は時代が流れていくなかで歳をとってきた。最近のロンドンのジャズは(イーストエンド、ハックニー区の)ダルストンあたりから盛り上がってきたんじゃないかな。若い人に人気があるグライム・シーンなんかもあるけど、昔のようにバンドを組んで作り上げる音楽よりも、コンピュータで音楽を制作する人の方が多くなっている。〈ON-U〉は、80年代の白人と黒人のせめぎ合いのなかから音楽が生まれるという当時の時代性を反映してきた音楽だったと思うよ。他人から「トレンドを意識しろ」なんて言われることもあるだろうけど、自分が好きなものをずっと追求していればそれがトレンドになる時が来るはずさ。
INFORMATION
HEAVY RAIN
2019.11.22(金)
¥2,200(+tax)
Labels:0N-U SOUND / Beat Records
BRC-620
1. Intro – Music Shall Echo
2. Here Come The Warm Dreads
3. Rattling Bones And Crowns
4. Mindworker
5. Enlightened
6. Hooligan Hank
7. Crickets In Moonlight
8. Space Craft
9. Dreams Come True
10. Above And Beyond
11. Heavy Rainford
12. Outro – Wisdom Drown Satan(Bonus Track for Japan)