欧州を中心に活動する音響空間作家・及川潤耶が、伝統的な日本庭園でサウンドスケープ<yadorine/宿り音>を開催すると聞いて、京都に赴いた。
場所はなんと、知恩院である。浄土宗の本山にして、開祖は法然上人。
その庭園「友禅苑」に、及川の作品は設置されていた。といっても、派手派手しい展示では決してない。まず庭園の回廊をぐるりとひと回り。東山の奥座敷というにふさわしい静寂が聞こえる。
さらに耳をすまし、もうひと回りする。風の音がそよぎ、チリチリと鈴虫の声がし、森の奥からはかすかに共鳴音が聴こえる。
まるで宇宙マイクロ波背景放射のような広がりをイメージする(それを目視したことはないが)。
どこまでが自然の音か人工の音なのか、言われなければ気づかず通り過ぎてしまうだろう。
ひと通り聴いたところで、及川に話を聞いた。縁側に座って、静かに耳を澄ましながら、小声での会話。
「この自然の音、風の音、ライトアップされた景観や茶室周辺の造形物、その中に身をおいたときにわれわれは何を聞いているのか/いないのか、そういう気づきをささやかに音で表現したいと思ったんです」
すべての音はサンプリングした及川の声から作られている。それをソフトで編集しアルゴリズムによって自動生成している。
及川の国内での活動としては、昨年初演した森山未來、ヨン・フィリップ・ファウストロムとの共作『SONAR』が記憶に新しい。録音した自身の声や物音の変容によるサウンドインスタレーションやインタラクティブ作品、立体音響コンサートなどを各国で展開し、高い評価を得てきた。
「全体は5つのセクションから構成されていて、それが環境と呼応します。<キラキラ虫>とか<ジジジ虫>とか呼んでる音もありますが、最初は鈴虫の存在をいかに音で表現するかというところから始まって。そのために鈴虫の生態を調べて、1秒間に何回羽を擦り合わせて音を出しているか、鈴虫の音の特性などを鈴虫の研究文献をヒントにして制作していったのが最初のアプローチです。鈴虫が鳴く周期間も、微妙にズレていたりするんです」
自然の模倣。バイオミミクリー(生体工学)のような、独特なアプローチだ。その感性はどこから来ているのだろうか。
「祈りというか、音を自然に還していく、人間の身体性を変容させていかに自然に還していくかといった思いがこのプロジェクトにはあります。5年、10年と経ったときに、自然と人間、そして自然を模倣したアルゴリズムとが熟成してどのような関係性を作っていくか。そこに興味があります」
歩きながら、再び音に耳を澄ます。
水琴窟の玲玲とした音が時折聴こえる、これは座敷の手前にひっそりと置かれた超指向性スピーカーから発せられている。モーターの動きは回廊の空間特性に合わせてプログラムされ、聴こえたかと思うと、過ぎ去ってしまう、まるで森の精霊が鑑賞者にいたずらをしているかのような作品だ。
「音と音の関係性を作りたいんです。そのためには、音と音楽の境界を科学したり哲学したりする必要があるし、文脈をまたいでいく必要もある。例えば、我々がいて環境があるのではなくて、まず環境があって我々の意識がどう開かれていくのか、そのためのアフォーダンスを音響によって作っている感覚です」
19歳の時に出会ったミュージックコンクレートから、自身の幼少期の体験を思い出すことで音響やアートへの興味がひらかれたという及川。これまでもフランス・イタリア・ドイツ・カナダなどで庭園、森林、水辺などの屋外空間、遺跡やパブリックスペースでの展示を数多く行ってきた。
この庭園に配された音は、アート作品なのか、自然の音なのか判別が難しいほどにとてもひそやかだ。それは、まさに自然に音を還す「宿り音 yadorine」という表現がしっくりくる。
「その根幹には、どこまでいっても変わらない根源的なもの、それに近づきたいという想いがあります。祈りというと誤解されてしまいそうですが、アニミズムであったり自然崇拝であったり。そのためにテクノロジーを使ってはいるのですが、感覚的にはすごくアナログ的なんです」
アニミズムや自然を意識した及川の作品は、西洋の文脈ではなかなか理解されにくいものかもしれない。だが日本のサブカルチャーはある種のシャーマン性を帯びつつも、世界で受け入れられてきたし、日本の禅はサンフランシスコのヒッピーカルチャーと結びついたり、はたまたマインドフルネスへと変容して受け入れられてきた。
同じように、及川が手がけるサウンドスケープ表現は、新たなコンテクストを世界にひそやかに投げてかけているのだ。
Text by 名小路浩志郎