活動を始めて数年ほど、キャリアとしては若手だけれど強烈なインパクトと存在感を放つ作品を作るアーティストがいる。ワタリウム美術館のグループ展<水の波紋2021展>に参加した檜皮一彦(ひわかずひこ)だ。これまで、後に取り壊された東京・京橋の戸田建設ビルで行われた<TOKYO 2021 un/real engine−−慰霊のエンジニアリング>(2019年)などのグループ展に参加している。2020年には前年に受賞した第22回岡本太郎現代芸術賞受賞者特別展示として東京・青山の岡本太郎記念美術館で作品を展示した。
INTERVIEW:檜皮一彦
身体性のはかなさと美しさ
今回の<水の波紋2021展>では表参道と外苑前の中間にある広場に『hiwadrome type : re[in-carnation]』と題したオブジェを展示、またワタリウム美術館地下のライトシード・ギャラリーでは<Drawing Experiment 01>と題して平面及び立体作品による展示を行っている。どちらの作品でも彼が普段から使用している車椅子がモチーフのひとつだ。
「hiwadrome」とは檜皮の一連の作品につけられたシリーズ名。檜皮とシンドローム(症候群)の合成語だ。『hiwadrome type : re[in-carnation]』では何台もの車椅子を組み合わせて球体にしたモノの内部に光が宿り、波の音が聞こえてくる。周囲にはマネキンを二つ、テープでぐるぐる巻きにして上部に花を生けたオブジェが並ぶ。
<Drawing Experiment 01>ではドローイングのほか、マネキンや段ボールの箱を素材にしたオブジェ、彼自身が登場するパフォーマンスの映像が展示される。そういった彼自身のアイデンティティを強く意識させるものも含め、檜皮の作品自体はさまざまなことを強く前に押し出してくる。展示会場に彼自身がいて観客と話すこともよくあるが、檜皮自身はどちらかというと控えめで物腰も柔らかい。自作について語るときも一つ一つ言葉を探しながら慎重かつ誠実、ていねいな語り口で話す。
檜皮の作品の中でも、とくに今回のものは「場」から紡ぎ出される要素が色濃くにじむ。屋外作品の『hiwadrome type : re[in-carnation]』は、<水の波紋2021>展を主催するワタリウム美術館のディレクターである和多利浩一氏から、展示場所一帯が子供の頃の彼らの遊び場だったことを聞いたのがインスピレーション源になっている。
「シークレット・ガーデン、秘密の花園なんです」と檜皮は言う。車椅子とマネキン、七色に変化する光、波の音といったものが組み合わされたこのスペースは確かに秘密の匂いがする。繰り返し耳を揺さぶる波音は<水の波紋2021>という展覧会タイトルとも呼応する。
もともと<水の波紋2021>展は1995年にベルギー出身のキュレーター、ヤン・フートが企画した<水の波紋>に対して21世紀から応える、といったコンセプトの展覧会だ。ヤン・フートは1986年に故国ベルギーで<シャンブル・ダミ>(友だちの部屋)という、今では伝説となった展覧会を企画している。美術館やギャラリーではなく一般の家庭にアート作品を展示し、観客が見て回るというものだ。95年の<水の波紋>も街中のあちこちに作品が設置され、そのアートから何かが波紋のように広がっていく、という展覧会だった。今でこそ各地で芸術祭が行われ、こういった催しも一般的になっているが、当時は他にあまり例のない画期的なものだった。
檜皮の作品のタイトル「re[in-carnation]」について、作品そばのプレートにはこんな説明が書かれている。「re: 再び、元へ/in: 〜の中へ、〜化する/carne: 肉片、果肉/ation: 名詞化/ひと時の肉体を得ることは、一つの花を咲かせるかのよう。」。incarnationは受肉、肉体化、reincarnationは輪廻という意味でもある。生命は花や肉体という姿をとることもあるが、それは一時のことであって、花はいつか枯れてしまうし、肉体もいずれ滅びる。
車椅子のオブジェにはカーブミラーが取り付けられていて、周囲の景色を映し出す。「観客が映り込むこともポイントなんです」と檜皮は言う。鏡は一面が鏡張りになった彼のデビュー作で登場した素材だ。「観客に自分の姿を見せる、ということを意図的に行いました」(檜皮)。作品に鏡を使うのはそれ以来になるという。
親子、夫婦…他人との抜き差しならぬ関係性
ここで使われている花はできれば生のものを、と考えていたのだが、屋外なので造花をチョイスした。が、造花でも少しずつ葉や花びらなどが欠けてしまうのだそう。作家も予想しなかったことだけれど、無機物も有限であることを改めて思わせる。花は檜皮の母が組み立て、ここに運んでマネキンと組み合わせた。母、しよ子は華道の師範であり、今回の造花による「いけばな」では花言葉などでストーリーが紡がれているようなのだが、檜皮自身にはそれがどんなものなのかはわからないのだそう。
檜皮は昨年の第22回岡本太郎現代芸術賞受賞者特別展示を「母との二人展」という形で行っている。このときは会場で檜皮による車椅子のオブジェに母が生の花を生けた。母と息子は檜皮によると「不仲で、抜き差しならない」関係だそうだが、コロナ禍で少しだけ距離が縮まったことがこのコラボのきっかけだったという。また、そのときの会場が岡本太郎記念館だったことも檜皮親子のコラボレーションと関係している。もとは太郎の両親である一平とかの子が暮らし、戦災で建て直された後は太郎が秘書の敏子と暮らしたアトリエ兼住宅だった建物だ。
檜皮「太郎の両親ともに芸術家で、とくにかの子さんの情念はすごいと思うんです。夫と自分の恋人である男性と同居して、ポリアモリーを実践していた。太郎に対する執着もかなり独特で、半ば恋人のようです。私たち親子は恋人のような関係ではないですが、太郎親子の抜き差しならぬ関係に我が親子関係を重ねて、あの場所でやるのなら自分の母親を引っ張り出さなくては成り立たないと思いました」
檜皮は母から子供のころに、観阿弥や世阿弥、そして『風姿花伝』(花伝書)の話を聞かされ、今でも心にとめていることがあるという。有名な「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」という有名な一節がある本だ。
檜皮「そこでの花という言葉は何を現すのか。能の言葉を借りるのなら幽玄なもの、西洋由来の現代の我々の言葉に翻訳すると身体性なのかな、と感じました」
檜皮に根付くデュシャン的創造性
ワタリウム地下のライトシード・ギャラリーで展示しているドローイングは、檜皮が初めて手がけたものだ。
檜皮「私はペインターではなく、絵画を描いたこともないんです。ところが和多利さんの『ちょっと絵やってみない?』という鶴の一声で制作することになりました。でも私には絵は描けない。それなら描かないことで絵を作ろうと思いました」
どのような手法で制作したのかというと、プロジェクターで投影した図柄をなぞったのだそう。その図柄は車椅子マークを逆さにしたものだ。「なぜ逆さに?」という私たちの質問に檜皮は「どう思われますか?」と逆に問いかける。アーティストは制作のためにリサーチすることがよくあるが、その一環のようだ。「このイメージだけでどこまで想像が広がるのか知りたいので教えてください」と言う。私たちが頭を絞って答えると「全く予想外でした」とうれしそうだ。
檜皮「いろいろな解釈ができると思いますが、車椅子をひっくり返すということにデュシャン的思考があると思っています。車椅子の用を奪って作品化しているんです」
マルセル・デュシャンは今から約100年前、男子用の小便器を横倒しにして《泉》とタイトルをつけ、美術展に出品して物議を醸した。今では現代美術のアイコンともなっている作品だ。檜皮がアートに興味を持つきっかけの一つがこのデュシャンだったのだという。
檜皮「十代のころは音楽、映画、ゲーム、ファッションなどサブカルチャーが好きな典型的なティーンエイジャーで、現代美術とはまったく縁がありませんでした。初めてアートが面白いと思ったのは価値の転換、転倒が起きるところです。たとえばスポーツは誰よりも速くゴールするという大きな目標がある行為ですが、アートはいかに遅くゴールするかという目標も成り立ちます。速く走ることよりもいかにかっこよく走るかのほうが重要になることもあるのです。特定のアート作品のビジュアルが好きということよりも、そういったロジックに惹かれました」
デュシャンは「煙に巻く」ところも好きだという。
檜皮「ウォーホルやヨーゼフ・ボイスもそうですね。そういったアーティストの存在を知って、面白い人たちがいるなあ、と思いました」
今回、展示しているドローイングにもさまざまなロジックが使われている。キース・ヘリングを引用しているが、似たような図柄のドローイングを縦横に並べるところはアンディ・ウォーホル的だ。平面作品のほかに宅配便の段ボール箱に同じ図柄を施したものも展示されている。ウォーホルが洗剤の箱を作品化したことへのオマージュでもある。
檜皮「箱は畳むこともできます。立体から平面にすることもできるんです。車椅子とちょっと似ている。偶然ではありますが、同じ思考です」
同展に展示されている映像作品では檜皮自身が登場する。バレーボールのボレーを繰り返したり、横たわる彼の身体に他の人が触れていたり、といった映像群が放映されている。檜皮は演劇にも関わっていたことがある。こういった演劇的なアートの源流の一つは檜皮が名前をあげたヨーゼフ・ボイスだ。コヨーテとともに一晩を過ごす、その遠吠えをまねて叫ぶ、といったパフォーマンスはその後のアートシーンに大きな影響を与えている。檜皮はデュシャンにはないボイスらの身体性を強く意識している。
檜皮「少し前から現代美術を演劇などの文脈で読み直そうという動きがあります。そういったものに強く惹かれるものもありますね。いわゆる絵画・彫刻の延長線上としての現代美術ではなく、もう少しパフォーマティブな、行為の延長線上としての現代美術のほうが私にはしっくりくるように思います。そういったタイム・ベースト・メディアに惹かれるのは十代の頃、音楽や映画に熱中したことも関係しているのかもしれません」
肉体と死、支配と被支配を昇華した檜皮のアート
彼の作品の中にはサディズム・マゾヒズムと関連づけることも可能なものがある。『hiwadrome type : re[in-carnation]』の周囲にある並んだ2体のマネキンは、片方は真っ直ぐに立っているが、もう1体は倒立して、頭を下にしている。2体のマネキンをぐるぐる巻きにしているテープはBDSM(ボンデージSM、緊縛)に使用される粘着性の弱いタイプのものだ。このテープを檜皮は技術的な要請からではなく、SMという文脈を取り込むために使っている。
檜皮「映像作品でも私の体を女性に見える人が触っているものがありますが、マッサージしているのか介護しているのか、それとも他の行為なのか、いくつかの見え方ができるようにしています。私自身にはサディズム、マゾヒズムといった性的嗜好はありませんが、支配する、されるという関係について興味を持っています。関係性の中のパワーバランスは見る人のバイアスによって変わるだろう、というぎりぎりの案配で作るようにしています」
作品について複雑な読みを喚起する檜皮のアートだが、『hiwadrome type : re[in-carnation]』での球体は「立体曼荼羅を作ろうとした」のだという。この作品は前述のように「秘密の花園」がテーマの一つだが、この作品を含めて彼の創作行為には常に「彼岸に近い」ものがあると彼は語る。
檜皮「または非常に”肉々しい”ものです。以前、黒い車椅子を積み上げたシリーズを制作していたのですが、こちらのほうがより肉や内臓のイメージに近かった。近年制作している白い車椅子には”あの世”のイメージも投影されています。そんな意味合いもあって、『hiwadrome type : re[in-carnation]』はぜひ夜に見ていただきたいと思っています」
肉体と、彼岸に象徴される死には、相反するイメージがあるけれど、同時に切り離すことのできない概念でもある。死後の世界についてどう思うか問うと檜皮は次のように答えた。
檜皮「理屈では死後の世界は存在しないという考えで生きているんです。ただ、人間は一つの考えだけで生きることはできない。死後の世界はない、とわかっている自分とどこかそれに憧れる、憧憬のようなものを抱く自分がいる。だからずっと彼岸のようなものを作っているんです」
彼がアーティストになったきっかけの一つは身近な人の死だった。
檜皮「大学院に入り直した直後、父が余命半年を宣告されたのです。少しだけ長く頑張ってくれましたが、一つの命が急速に失われてゆく様を見せつけられ、理不尽にも避けがたい死という現象と、肉体が消滅してなおも残るものについて考え始めました」
身体や記憶についても大学の修士論文で考察した。そこから死や身体性は一貫したテーマになっているという。
檜皮「修士論文にも書いたのですが、父の部屋を整理していたら壁にたくさんビスを打ち付けてベッドからすぐ手が届くようにしてあったのに気がつきました。それまでは物が多くて汚い部屋だな、と思っていたのですが、片付けているとロジカルに配置されていることに気づいたんです。ある意図のもとに作られていて一切ムダがない。そこは身体そのものだと思いました。別の意味での身体性を感じたんです」
その部屋は檜皮の父の身体を拡張したものだと考えることができるかもしれない。その前に、人は何をもって身体と認識しているのだろうか、という疑問もわいてくる。
檜皮「たとえば私のように車椅子を使っていると、車椅子の幅が頭でわかるんです。ちょっときわどいところを通り抜けるときに絶対にこするな、と思っているとやっぱりこすったりする。車椅子まで物理的な神経が通っているわけではありませんが、イマジナリーな神経は通っている。こういったことを考えると本当の身体というものが存在しない可能性も出てきます」
檜皮の作品は肉体と死について、また支配・被支配の関係について見る者が無意識に抱えているものをあぶり出す。彼の語り口はあくまでも穏やかで、どこか遠くに誘いかけるようだ。だからこそ余計に、観客は過激とも思える彼の作品世界から抜け出せなくなってくる。
Text by 青野尚子
Photo by 中村寛史
PROFILE
檜皮一彦
大阪府生まれ。京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻修了。
近年の展覧会に「第22回岡本太郎現代芸術賞展 (川崎市岡本太郎美術館 / 2019)」「TOKYO2021 un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング (TODA BUILDING / 2019)」「POCORART Vol.9 (3331 Arts Chiyoda / 2020)」「kanon:檜皮 一彦 + 檜皮 しよ子 (岡本太郎記念館 / 2020)」などがある。
EVENT INFORMATION
Drawing Experiment 01
2021年8月7日(土)〜9月9日(木)
会場:ライトシード・ギャラリー ワタリウム美術館 B1
水の波紋展2021
2021年8月2日(月)〜9月5日(日) 会期終了
OPEN11:00〜CLOSE19:00(岡本太郎記念館は10:00〜18:00、山陽堂書店は平日11:00〜18:00・土11:00〜17:00)
東京・青山周辺 27箇所(岡本太郎記念館、山陽堂書店、渋谷区役所 第二美竹分庁舎、テマエ、ののあおやまとその周辺、梅窓院、ワタリウム美術館とその周辺)
料金:無料(ただし、ワタリウム美術館と岡本太郎記念館は入場料が必要です) JRの「インサイドアウトプロジェクト(フォトブース)」、Yotta(ヨタ)の「青空カラオケ」ご利用には事前予約が必要です。
⟨アーティスト⟩
クリスチャン・ボルタンスキー/デイヴィッド・ハモンズ/檜皮一彦/ホアン・ヨンピン/ファブリス・イベール/JR(ジェイ・アール)/柿本ケンサク/川俣正/フランツ・ウエスト/バリー・マッギー/フィリップ・ラメット/名もなき実昌/坂本龍一/アピチャッポン・ウィーラセタクン/笹岡由梨子/SIDE CORE/竹川宣彰/トモトシ/UGO/梅沢和木/山内祥太/Yotta/弓指寛治/渡辺志桜里/ビル・ウッドロウ
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