どんなジャンルにおいても、挑戦を恐れない先駆者たちがいる。
先駆者たちは誰もが皆、無理難題や固定観念を突きつけられながらも、飽くなき冒険心に突き動かされ、自らのクリエイティブを信じて未開の地を切り拓いてきた。

例えばサーフカルチャーの場合。世界的ブランド・Deus Ex Machina(デウス エクス マキナ)唯一の日本人ゲストシェーパーとして知られ、トップレベルのサーファーたちから寵愛を受けるボードビルダー・Tappy(吉川拓哉)── 彼はまさに先駆者だ。

今回そのTappyが、「glo™」とのコラボで数量限定デザインの『glo™ hyper+ ウィンター・エディション』をリリース。

Qeticではそのコラボを記念し、「冒険心×CREATIVE」をテーマに対談を実施した。
Tappyと意外な邂逅を果たしたのは、1990年代から東京ストリートのカルチャーを世界に向けて発信し続けてきたアーティスト・写真家・編集者の米原康正(yONE)。

それぞれの表現者としての在り方や、クリエイティブを支える冒険心とは?

対談:
Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_01-1440x960

サーフィンとストリート
それぞれのクリエイティブの起点と原体験

━━おふたりは初対面とのことですが、それぞれの経歴や通ってきたカルチャーなどを辿ると、もしかしたらどこかで接点はあったのかなと感じました。

米原康正(以下、yONE) たぶんどこかで会ってはいるけど、喋ったことはないですね。僕はデウス(=Deus Ex Machina)をやっている社長と関係があって、以前はよく行っていたので。

Tappy そのデウスというブランドに僕はスポンサーされているので、きっとどこかのタイミングで同じ空間にはいましたよね。

yONE 自分たちの年代は、辿ると実は被っていたっていうことがよくあると思います。

━━共通点で言うと、米原さんが以前に受けていたインタビューを拝読したところ、サーフィンを10代後半からやっていたそうですね。

yONE 18から28歳までの10年間。18歳からは毎年バリにも行っていました。そのときはチャングー(※)がまだ掘っ建て小屋ひとつみたいな時代で、この前チャングーへ行ったら全然違う街になっていましたね。

(※チャングー:元々はサーファーのみぞ知る穴場スポットだったが、近年は急激に開発が進み、カフェ・レストラン・ヴィラなどが広がるバリ島屈指の観光エリアに変貌中)

━━米原さんは1970年代から1980年代にかけてのパンクやニューウェーブなどの音楽が好きで、東京=パンクだらけと思っていたけど、実際は「サーファーじゃないとモテない」と知ってサーフィンを始めたエピソードが好きです。

yONE 当時はモテたいと思っていろいろ行動していて、大学で東京に出てきてパンクがウケると思っていたけどまったくモテなくて。70年代後半ぐらいから80年代にかけては、完全に第2期のサーフィンブームでした。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_02-1440x960
米原康正(yONE)

━━音楽で言うと、たしかTappyさんもその時期のパンクが好きだとか。

Tappy そうですね。70年代から80年代のパンクやニューウェーブが好きで、最初に聞いたのはザ・クラッシュ(The Clash)。

yONE 自分はセックス・ピストルズ (Sex Pistols) を76年とかに聞いて、上京してからはサーフィンしながら新宿のツバキハウス(※)で遊んでて。海に向かうときは大瀧詠一、帰るときはパンクやニューウェーブを聞く、そういう時代でした。

(※ツバキハウス:<LONDON NITE>など数々の伝説的なイベントが開催されたディスコ。のちの東京カルチャーをけん引するクリエイターたちが通っていた)

━━Tappyさんがサーフィンを始めたのはいつごろですか?

Tappy 小6からです。始めたのが早かったので、米原さんと僕の歳の差だと、同じぐらいの時期にサーフィンをしていたかと。ツバキハウスも行ったことがあります。

━━やはり接点はありましたね。ここからはクリエイターとしての原体験をお聞きしたいのですが、まずTappyさんがボードビルダーを志したきっかけを教えてください。

Tappy きっかけは、僕の姉の彼氏がプロサーファーでボードも作っていて、彼のところに遊びに行けば海に行けたこと。藤沢まで自転車で行って仕事が終わるのを待ち、波がないときは一緒にクルマでその人の地元の茨城まで行きました。

そのころからサーフボード工場に出入りして、そのまま働き始めて、高校は途中でドロップアウト。音楽やアートに興味が出てきたのはそのころでしたね。というのも、当時の日本のサーフィン業界はまったくアーティスティックじゃなかったんです。音楽もサーフィン=この音楽みたいな決まりもあって、ダサいと思っていました。僕はツバキハウスとかに行っている子たちと仲良くなったり、当時の彼女がデヴィッド・ボウイ(David Bowie)が好きだったりしてそういう影響を受けていましたが、サーフィン業界自体はサブカルチャーと繋がっていない時期が長かったです。

━━その時代に自分の中で何が響いて、ボードビルダーになろうと思ったのですか?

Tappy そのときはサーフィンに行けるからやっていただけで、正直なところあまり響いていませんでした。ただあるとき、10代の時期にアートスクールに行っていたことを思い出して、そこで学んでいたことって面白かったなと。それでほじくり返したのが30歳になってから。それまでの10年ぐらいは自分で書いたり作ったり、アート活動をしていました。だから今の道に辿り着くまでには、けっこう時間が掛かっています。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_03
Tappy(吉川拓哉)

━━それは意外でした。一方で米原さんのクリエイティブの原体験はいつですか?

yONE 元々は大学のときに編集のバイトをしたり、ライターとして文章を書いたりしていました。芸能人のインタビューなどをしていたときに岩城滉一さんと出会って、そこから“モテ道”を含め、がっつり遊びを教えてもらいましたね。「岩城さんは特別なので、同じことをしてもダメ。岩城さんの逆をやってモテるにはどうしたらいいか」など、考えることなどを学びましたよ。

━━Tappyさんにはそういう師匠的な存在の方はいましたか?

Tappy 僕の場合は海外を含め、いろいろなところに勉強しに行きました。シェイパーはあまり自分の仕事を見せてくれない人が多かったのですが、カリフォルニアやオーストラリアに、1週間から最長で3ヵ月とか行ったりして。海外のシェイパーは聴く音楽もカッコ良かったですし、そういったところからの影響が大きかったですね。当時、日本ではサーフィン業界のことしか知らない人が多かった。だからサーフィン業界にサブカルチャーを最初に取り入れたのは、僕たちの世代だと思います。

yONE 僕の場合、サーフィンはすごく好きでしたが、性格的にサーフィンしかしなくなっちゃう。今はもうまったく一緒に考えていますけど、そのころって仕事は仕事、趣味は趣味みたいに考えていて。まあ、乗る波が変わっただけで、今は“夜の波”とかをサーフィンしていますよ(笑)。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_04-1440x960

人に会うのもボードを作るのも当たり前
歳を重ねても衰えない“冒険心”

━━今回の対談のメインとして、「冒険心×CREATIVE」というテーマがあるのですが、まず“冒険心”という言葉を聞いて、率直に何を思い浮かべますか?

Tappy 僕にとっては非日常な今日も冒険。サーフボードを作ることも冒険ですし、その中で新しいものを生み出すことも冒険といえば冒険。日常との境目はないですね。

yONE 新しいことを考えるとか、新しいことを始めるとか。「今までこうだったから、こう考えなきゃいけない」っていうことをやめるのがきっと冒険。「もうずっとこれでいいや」と思ったらダメだと思います。ちなみにTappyさんはこれまでサーフボードを完璧に作れたことはありますか?

Tappy 100%は絶対ないです。というか自分の中で何%かもわからないですね。

yONE 自分の思い描く100%に向かってずっとやり続けるみたいな?

Tappy それもあるかもしれないですし、全然違うことをしたくなるかもしれない。

yONE でもそれって飽きないですよね?

Tappy 飽きないですね。大好き。ほとんど休まないです。自宅が作業場で、物を削る道具は庭、仕上げる工場は10分くらい離れたところにあります。そこにスタッフが4人いて、1日で2本か3本、ロングボードは2時間半、トータルで10時間ぐらいは働いています。朝起きるのも早いので、工場に行くのも僕が最初。夏の波がいいときは海に入って、工場に行って、家に戻って削ってみたいな生活を毎日繰り返しています。

yONE きっとTappyさんも気持ちが新しくて、日々同じようで同じじゃない。僕は今、編集者として新しいアーティストをキュレーションして展覧会を開くというのを、毎月3本ぐらいやっています。なおかつ常に新しいアーティストを探す作業をしているので、1日中調べていたり、知り合いのイベントに顔を出したり。「どこにでもいますね」ってよく言われるけど、「それが仕事だから当たり前だろう」って話で。どこにでもいないやつの方がおかしい仕事をしているのに、今の編集者は誰も来ないし、何も見に来ない。そんなやつに「どこにでもいますね」って言われたくないですよね。僕は人に会うのが当たり前の仕事だし、Tappyさんはボードを作るのが当たり前の仕事。それが大変なわけない。

Tappy それが楽しい。仕事は仕事ですけど、好きなことなので。

yONE 『egg』っていう雑誌を昔作ったときにも、「ヨネちゃんは女子高生が好きだからな〜」って言われて。いやいや、好きっていっても仕事だし、ちゃんと面白いと思ってやっているわけで。好きなことをやっている人は、普通の人から見ると変に見えるときがありますよね。それに多くの人は趣味と仕事を分けて考えるけど、Tappyさんは分けてないですよね? こういうインタビューのときも、どこかでボードのことを考えてないですか?

Tappy そうですね。明日、何をしようかなって。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_05-1440x960

━━趣味も仕事も分け隔てなく、好きなことが日常に溶け込んでいますね。

yONE それは最初からですね。

Tappy ただ僕は食えるようになったのが遅かったし、いろいろうまく回り始めたのは最近なんです。昔はコンペ志向のボードがほとんどでしたが、今はオルタナティブボードといって、いろいろな形を何本も所有する文化が定着しました。僕はその文化がないときに、周りから「そんなの作って売れるのかよ」って馬鹿にされながらやってきたので。

━━そういったカウンター精神も、“冒険心”という言葉には含まれていると思います。その意味でも、おふたりのクリエイティブには共通点が多い。

Tappy 光栄です。

yONE 真面目な話、周りを見るとね、どんどんそういう冒険心みたいなものがなくなっていく。30代でもうすでにない人もいるし、40代や50代になるとさらにそういう人が増えていくので、自分はそうはなりたくないなと思って。

━━ちなみに変化に対しては、抵抗感よりも興味の方が強いですか?

yONE 僕は仕事の対象がずっとハタチ前後の女子なので、「今のハタチの子は何が好きなのか?」というのは常に意識しています。あとは今日みたいなインタビューのときは別として、基本的に昔話をしないようにしているのと、知らないことがあれば若い子に聞く。子どものころは知ったかぶりする大人が嫌いだったはずなのに、周りを見渡すとね。

Tappy 知ったかぶりしていますね。あとは自分の武勇伝とか、悪いこと自慢とか。

yONE ちゃんと今を生きているのかどうかを常に考えていると、新しい情報も自然と入ってくる。「それってホントに人気なの?」みたいな感じで疑ってかかる年寄りはダメですよね。

Tappy 今だったらSNSもあるし、僕の場合は人づてでけっこう来てくれる。その子たちが僕の庭で削ったボードを見て、キャリアだけ長いおっちゃんたちよりも、若いこいつらの方がすごいなって感じることも多いです。自分ぐらいの年齢になると歳上で目標になる人も減ってくるので、米原さんみたいな人はすごく刺激になります。

yONE ありがとうございます。自分たちみたいな人は周りから見ると不真面目に見えるかもしれないけど、ちゃんと面白いことを続けるためにすごく真面目ですよね。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_06-1440x960

プロダクトに落とし込むフィーリング
自分が今、一生懸命やっているものが一番面白い

━━おふたりにとってクリエイティブが湧き出てくる瞬間はありますか?

yONE ありますね。面白いものを見つけたら関わりたいので、すぐ連絡したり会いに行ったりしますね。あと年齢的に後ろを振り返るよりも先の方が短いので、「今やりたいことをやっておかないと」っていう気持ちが昔よりもあります。躊躇することはもうやめようと。躊躇っていろいろな理由を付けてただやらないだけだと思うし、だったらもうとにかく動くっていうのを、歳を取ればとるほどやるようになりました。明日死んで「あの子ともっと話しておけば……」とかは嫌なので。女の子だけではなくて全部そうですよ。まあでもそう考え始めたのも60過ぎてからで、そうしていれば急に衰えないだろうなって。

Tappy 自分の周りも年下の方が老けてきているけど、僕は今が気持ち的にも一番元気な気がします。アイデアの引き出しもまだまだあるので。

yONE ボードを削るときに、これは譲れないみたいなコンセプトはありますか?

Tappy なんでしょう。ただ今は、世界的に見ても若くて才能を持った子がたくさんいるので参考にすることはあります。あと調べてみるとその子の親が同じ世代でサーフィンやっていたり、アーティストやミュージシャンだったりすることもあって面白いですよ。

━━プロダクトを生み出すときに踏むプロセスがあれば教えてください。

Tappy できればその人の情報があったほうがいいですけど、全員が全員会えるわけじゃないので、ボードの場合はオーダー表にイメージを書いてほしいと伝えます。身長や体重とかではなくて、その人の好きな音楽とか趣味とかの情報をくださいと。要はその人の好みですね。そういう情報からイメージしてカラーやデザインを決めます。

━━今回のglo™コラボのデザインやカラーはどのように決めましたか?

Tappy 元々は僕がレジン(樹脂)アートを施したスケートボードがあって、それがベースです。質感は少し違いますが、デザインやカラーはサーフボードに表現したものを、ほぼそのままに落とし込みました。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_07-1440x960
glo™ hyper+ ウィンター・エディション

━━デザインやカラーなどはテーマ性を持って決めますか?

Tappy テーマ性はないですね。毎回そうですが、決めて作るとできなくて。前はデザイン画とかを書いていましたが、今はもう全然ですね。 朝になって、ボードに向き合ったときのフィーリングで決める。このカラーもいつかの朝のフィーリングです。

━━米原さんにもそういったフィーリングで決める感覚はありますか?

yONE 僕は基本的にSNSでアーティストを探すときもフォロワー数とかは関係なくて。その人や作っているものが、自分の感覚で面白いと思える人を追いかけることを心掛けています。どんな仕事をしている人でも、言葉で説明できない部分はありますよね。

Tappy 人間の種類なのか。頭の中に設計図がしっかりあるような人もいますし、そういう人を見ると自分はまったく違う人間だなと思います。ただ米原さんは自分とすごく近い気がして、めちゃくちゃ親しみを感じています。

yONE ありがとうございます。

──日々の中のフィーリングで生み出されるアイデアが、今回のglo™のプロダクトにも落とし込まれていると思うと、より特別なものに見えてきます。

Tappy そう思ってくれるとうれしいですね。僕はサーフボードとかも、削ったあとはすぐに新しいものへ気持ちが移ってしまう。自分の使っているボードも何回か乗ったら誰かに譲りますし、いつも自分を新鮮な状態に保つようにしています。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_08-1440x960

━━予定ではインタビューの最後に、今後挑戦したいことを聞こうと思っていましたが、それもおそらくおふたりにとっては毎日変化し続けているわけですね。

Tappy はい、答えられないですね。最近でも面白いと思ったものがあるはずだけど、思い出せない。でも、それで言うと、「あってほしい」とはいつも思っています。自分がサーフカルチャーを広げていきたいみたいな気持ちはまったくないですけど、この業界に携わって生活できる人が増えてほしい。まだまだすごく狭い世界だから、自分と同じようなことをやっている若い子たちが、しっかりと食えるようなカルチャーになってほしいです。

yONE 海外では最近だと中国は特にそうですが、アーティストにちゃんとお金が回っている。ただし日本はアートブームといっても、一部の上の人たちだけが儲かっているだけなので。流行っている人だけを追いかけるのではなく、それ以外の部分に目を光らせて底上げしていかないと、サーフィンだけでなくすべてのジャンルがブームで終わってしまう。

Tappy 日本ではブームに追いついていく若いビルダーが少ない。さらに生活ができないからいろいろな事情で辞めていく。海外みたいな二世とか三世が出にくい土壌があります。

yONE カルチャーでちゃんと繋がっている人たちが、日本でも出なきゃ難しい。反射神経でフォローやいいねとかじゃなくて、ちゃんと根本的なところで繋がっていかないといけないなって思いますけどね……フフフ、何か笑いで最後落とそうと思ったら真面目になっちゃった。でも、やっぱり自分が今、一生懸命やっているものが一番面白かったりする。その先にまた違うものが出てきてそっちに移るかもしれないけど、そんなことすらも考えずに、今を一生懸命やっていた方がきっと人生楽しいですよね。

Tappy そうですね。続けながらの変化だし、続けていくことが一番大変だと思うので。たまにいろいろやりすぎだって言われることもありますが、自分の中では根本ですべて繋がっているので、「それの何が悪い」と思って今でも変わらずやり続けています。

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_09-1440x960

Text:ラスカル(NaNo.works)
Photo:Masanori Naruse

Tappy(吉川拓哉)
千葉県に在住する著名なサーフボードビルダー。
独立した小規模なショップを持ちつつも、彼のユニークなシェイピング技術と共に彼の卓越したカラー・センスはサーフィング・シーンのコアとなる年齢層高めの男性30代から50代の中で知名度が高く、抜群の定評がある。
同じ年齢層に対してビジネスを確立したオーストラリア生まれのカルチャー&ライフスタイルショップ「デウス・エクス・マキナ」。このブランドは主に30代から50代をターゲットに、スノーボード / サーフボード/ モーターバイクなどを展開し飛躍的な成長を遂げている。特に日本に置いてはファッション業界からも注目を受け、ファッション雑誌「OCEANS」などに継続して露出がある。

米原 康正/YASUMASA YONEHARA
東京ストリートな女子文化から影響を受けたその作品は、雑誌などメディアの形をして表現されることが多く、90年代以降の女子アンダーグランドカルチャーの扇動者でもある。編集者、アーティスト、キュレーターなどさまざまな顔を持ち、1月28日発売のNumero TOKYOでは米原康正の活動が30ページで特集された。中国のSNS、ウェイボで280万人のフォロワーを持つ。

TwitterInstagram

+DA.YO.NE/プラスダヨネ
アーティストであり編集者である米原康正が立ち上げたジャンルにこだわらないコラボ専門のブランド。彼の名前が入っているのはもちろん、コラボさせるものを全てプラス方向に向かわせたい等いろんな意味含んでる。コラボとは彼のキュレーションを指す言葉で、選ぶものも選ばれるものも対等な立場であるということを意味する。2019年の立ち上げ以来毎月2回のペースで個展やグループ展を開催している。

note

INFORMATION

対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_10-1440x960
対談:Tappy(吉川拓哉) × 米原康正(yONE)|クリエイティブを支える冒険心とは interview220207_tappy_yone_11-1440x960

glo™ hyper+ ウィンター・エディション

2月7日(月)数量限定発売開始
各1,980円

限定特典
glo™ & VELOオフィシャルオンラインショップやglo™ ストアでのご購入に使える、
『glo™ hyper+ウィンター・エディション』200円分割引クーポンを
gloTMオフィシャルサイトでゲットしよう!

製品・キャンペーン情報はこちら

お問い合わせ
ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン
お客様相談室
TEL:0120-010657
営業時間/9:00~21:00(年中無休)