ラッパー・KingoがBE:FIRSTやSIRUPらの楽曲を手がけたA.G.Oとともに新曲“Always Around”をリリースした。バイリンガルで、しかもバンドカルチャーにいる彼のスタンスはあらゆる面で日本のラッパーと異なる。今回はカンボジア、アメリカ、日本で過ごした彼の半生を綴った“Always Around”の話題を中心に、Kingoの繊細でインテリジェンスあふれる人物像にも迫った。
INTERVIEW:Kingo
力を失った銃弾が雨のようにバラバラと屋根に降ってくる
──Kingoさんはどちらにお住まいなんですか?
神奈川県です。
──プロフィールを拝見するとアメリカとカンボジアにルーツがあるバイリンガルラッパーで、しかも今回リモート取材なので海外在住なのかな、と思って。
確かに(笑)。今は大学院生で、カンボジアのヒップホップについて研究しているんです。
──“Always Around”にはカンボジアのことも出てきますね。Kingoさんはこれまでどんな人生を歩まれてきたのでしょうか?
生まれたのは東京なんですが、父の仕事の関係でいろんなところを転々としてたんですよ。2歳頃にプノンペンに行きました。当時は内戦が終わったばかりでまだ政情が不安定でした。近所でよく銃撃戦があったりして。
──“Always Around”の《Grew up in neighborhoods where bullets rained on our roofs(雨のように銃弾が屋根に降る中で育った)》というリリックはその時期のことなんですね。
はい。誰かが空に向かって自動小銃を威嚇射撃するんです。そうすると力を失った弾が雨のようにバラバラと屋根に降ってくる。あと流れ弾が当たる可能性があるから窓のそばに近寄らないようにするとか。そんなプノンペンに4〜5歳まで住んだあと、アメリカのボストンに引っ越しました。でも英語が全然話せなくて、一時的に不登校になりました。出席日数が足りなくて、小学1年生をアメリカで2回やってるんです(笑)。
──《英語が喋れずバカにされた》というラインですね。
そうですね。ほんとに馴染めませんでした。アメリカも2年くらいいて、日本に帰ってきました。実は物心ついてから日本に住むのがこの時が初めてだったんです。文化も全然違うし。小学生時代は日本で過ごしましたが全然ダメでしたね。そのあと小5から中3の秋までまたカンボジアで過ごして、そこからはずっと日本で暮らしています。
──《どこにも居場所がなかった過去が/強みになるなんて思わなかった》というリリックが非常に印象的だったんですが、想像以上にいろんな国での暮らしを経験されてるんですね。
同じところに2回住んだりとかはあるんですけどね。いつも慣れた頃に父が転勤になるんです。今でこそ良い経験と思えますが、当時は本当に嫌でしたね。新しい場所に行くと前の場所が恋しくなって。10代の前半まではずっとそんな感じでした。
──そんなKingoさんがラップと出会ったのはいつごろですか?
小学生の頃です。2回目のカンボジアの時で、エミネム(Eminem)がすごい流行ってたんですよ。リアーナ(Rihanna)とやった“Love The Way You Lie”をコピーしたのがきっかけです。それを好きな子に送ったりしてました(笑)。当時だとB.o.Bとかがすごい流行ってて。僕は早口のラッパーが好きだったんですよ。ロジック(Logic)とかホプシン(Hopsin)とか。あとマシンガン・ケリー(Machine Gun Kelly)の『Lace Up』ってアルバムをよく聴いてコピーしてました。
Eminem – Love The Way You Lie ft. Rihanna
──カンボジアだとそのへんがいわゆるポップソングとしてポピュラーだったんですか?
インターナショナルスクールに通っていたので、アメリカのヒットを聴いてる人が周りに多かったんですよ。それに僕自身がネット大好き人間なので、自分でも好きなラッパーをいろいろ探しまくってたっていうのもあります。
──では本格的に音楽をやるきっかけは?
高校三年の時に友達と卒業ソングを作ったことです。初めて自分でラップを書いて、みんなでMVも撮って。僕はラップを作って、MVには別の友達に出てもらいました。自分の曲を覚えてもらって、めっちゃかっこよく口パクしてくれたんですよ。その歌詞を書いたり、コンセプトを固めたりっていうクリエイティブワークがすっごい楽しくて。しかも発表したら結構評判が良かったんですよ。そこから自分でラップを書くことにどんどんハマっていきました。
“Always Around”のリリックはA.G.Oさんのトラックに引き出された
──“Always Around”をプロデュースしたA.G.Oさんとはどのように繋がったんですか?
マネージャーと一緒に曲のアイデアを練っていた時に名前が挙がったんです。まったく面識はなかったけどダメ元でオファーしてみたら快諾してくださったので、今回ご一緒させていただくことになりました。まずA.G.Oさんのスタジオでミーティングをしました。ブラスが鳴っててほしいとか、トラックの雰囲気を伝えて。その段階ではリリックのイメージはなかったんです。そのあと一緒に何曲かデモを作ってから、一回帰宅してその音源を聴いてみたんですよ。そしたらなんか違うなと思って。改めて僕のイメージをA.G.Oさんにお伝えしたら、“Always Around”のトラックが送られてきたんです。自分的には「まさにこれ!」という音だったので、一気にリリックを書き上げた感じですね。
──“Always Around”のリリックは「Dear Mama」というヒップホップの定番テーマをベースに、Kingoさんの半生を振り返ったかなりヘビーな内容なので、リリックのテーマが先にあったのかと思いました。
リリックは完全にトラックから引き出されました。一気に書けたんですよ。A.G.Oさんは昔ダンサーをされてて。ファンカデリック(Funkadelic)、スライ(&ザ・ファミリー・ストーン)(Sly & The Family Stone)、ジェームズ・ブラウン(James Brown)のようなソウルやファンクで踊られてた時期があるらしくて。僕も大好きだったから、ミーティングの時にそのへんの話でも盛り上がったんです。それを踏まえてのこのトラックだったのかも。ブラスは華やかだけどあたたかさがあって、同時にセンチメンタルさもある。あとこのトラックからはポジティブさも感じたんです。そしたらあのリリックのエピソードが出てきたんです。
──リリックを書く時、最初に出てくるのは英語ですか?
今は日本語です。ダブル・リミテッドだった時期もありました。日本語も英語も語彙が足りないっていう。でもこっちに帰ってきて、今は大学院で研究できるレベルくらいには日本語を読み書きできるようになりました。でもフリースタイルをするときは英語が多めですね。ただ英語の語彙力が全然足りないので、今はロジックとか好きなラッパーのリリックを勉強してます。
──Kingoさんはどのようにラップを練習したんですか?
僕は好きなアーティストをひたすらコピーしましたね。ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)とか。大学にはフリースタイルバトルのサークルとかあるんですけど、自分はフリースタイルだと英語が多くなっちゃうこともあって、そっちはそんなにいかなかったんです。
──ラッパーの友達はいますか?
僕の周りにはバンドで演奏する人のほうが多いですね。大学の時に、ファンクやソウルのサークルに入っていたので、そこから広がった友人関係も今も続いてる感じです。でも最近他のラッパーとご一緒することが増えてきたので、少しずつラッパーの知り合いも増えてきました。
──最初にKingoさんを聴いた時、Shing02さんを思い出しました。バイリンガルで、リリックにインテリジェンスがあって。
19歳の時、友達にShing02さんに似てるって言われて初めて知りました(笑)。だからそこまで影響を受けてるというわけではないんです。
──なるほど。Kingoさんはどちらかというと、ラッパーではなくバンドのコミュニティに属しているタイプなんですね。
そうかもしれないです。クラブよりもライブハウスに出ることが多いですし、アイデアをくれるのもサポートしてくれるバンドのメンバーが多いんですよ。「あの曲やったらライブで映えそう」とか。だから自然とファンカデリックの『Maggot Brain』の話題が出てきて、それが曲に反映されたりするのかもしれません。あと僕自身もライブでいかにメンバーを活かすかは常に考えてますね。普通のラッパーの方だとそういうのはバックDJとそういう会話をするのかも。
──そこはKingoさんの特徴だと思います。僕がこれまで話を聞いたラッパーたちは、良し悪しではなくもっとエゴイストなんですよ。ますラップありきというか。
僕はバンドも自分も面白いと思ってもらいたい。いろんな良さを感じて楽しんでほしい気持ちがあります。でも“Always Around”こそトラックに引き出されて書きましたけど、最近は先に歌詞を書いてフロウをあとからはめていくアプローチが多いです。
── 一般的には逆ですよね。先にフロウを作ってリリックをはめる。Kingoさんはリリックをしっかり聴かせたい?
それもありますし、ラップだけでも成立するように。トラックに引っ張られすぎないように、フロウを作ることもあります。
──それはバックDJよりも即興性が高いバンドを一緒にパフォーマンスすることが多いからですか?
バンドと一緒に演奏しているからというよりも、面白いフロウを作りたいからという理由が大きいですね。トラックがブーンバップだといつも自分が使っているブーンバップのフロウに寄ってしまう気が最近はしていて。
それよりも一度ビートを聞いたら止めて、歌詞をバーっと書いて、それを強引にビートの上でラップすることで、ビートに囚われない面白いかつ自然なフローを模索する、という制作方法を最近は取っています。
──《自分にある絶対的自信/それはみんなが作ってくれたもの》というラインが印象的でした。
これはだいぶ自分に言い聞かせてるリリックです(笑)。自信はあるんです。でも例えばバンドでフロントマンをやることって、バンドを背負うことでもあるんですね。自分が不安な表情を一瞬でも見せると観客に伝わってしまうんですよ。それがステージに立ってるとわかるんです。不安が観客にどんどん広まっていくというか。
──へぇー!
あと歌詞の中では理想を歌いたいんですよね。じゃあ自分に言い聞かせたい“絶対的自信”はどこから生まれたものかと考えると、それは両親が応援しくれたことであり、一緒にステージに立つバンドメンバーであり、友人たちであるんですよね。
この曲が自分とカンボジアの距離をもっと近づけてくれた
──Kingoさんにとってカンボジアはどんな土地なのでしょうか?
育った土地なので、日本と同じくらいホームだと思っています。今となっては、ですけど。昔はどっちもホームだと思えなかった。変わったのは音楽を作るようになってからです。リリックを書きながら自分と向き合う中で徐々にそう思えるようになってきました。でも“地元”とは違うんですよね。ニュアンスなんですけど。なんか“地元”って言葉には生まれ育った場所っていう意味合いが込められる感じがしてて。カンボジアも日本も帰ってこられる場所という意味で自分にとってホームだと思っています。
──先ほど大学院でカンボジアのヒップホップの研究をしてるとおっしゃってましたが、差し支えない範囲で内容を教えていただけないでしょうか?
カンボジアで子供たちにヒップホップを教えている団体(*Tiny Toones)があるんですよ。そこに来てるのは、不登校になってしまったり、メンタルになんらかの問題を抱えている子、貧しい子たちで。学校や社会に戻るために、ヒップホップを通じて読み書きとかを教えていくっていう。あと、嬉しい時、悲しい時、日常の些細な瞬間、自分の気持ちを楽しくアウトプットする手段としてラップも教えています。
*Tiny Toones:http://www.tinytoones.org
Tiny Toones Youth Centre 2016
──完全にセラピーですね。
まさに。あとこれは自分が勉強した範囲での知識なんですが、カンボジアの人たちはあまり自分の抱えてる問題とかを外に言わないっていうところがあるんです。だからこそ自分のことを音楽で表現するヒップホップがカンボジアではすごく貴重なんです。子供たちがヒップホップに接することで心をほぐす糸口になっているというか。カンボジアって、2012年くらいまで内戦の影響でオリジナルの楽曲を作るという文化があまりなかったんです。ブラック・アイド・ピーズ(The Black Eyed Peas)とかヒット曲をカンボジアの歌手がカバーするみたいのしかなくて。
──そうなんだ!
はい。オリジナル曲を作る文化自体がまだ浅いんです。だから子供たちもいきなり自分でラップするはさすがにハードルが高いみたい(笑)。結構シャイな子が多くて。僕が見た範囲では、ブレイクダンスとかのほうがすんなり入れてる感じでした。この研究を通じて、向こうのラッパーとたくさん知り合うことができたんですよ。去年の9月に向こうに行って、一緒にサイファーしたり。その経験があったからこそ、今カンボジアをよりホームと思えるようになったんです。“Always Around”のリリックで言ったように、幼少期の経験は衝撃的でもあるので、カンボジアに対して複雑な感情はあったんですが、それって誰かの責任ではないんですよね。カンボジアのラッパーたちと交流することで、ヒップホップという次元でもカンボジアという土地と繋がれたので、自分の居場所としての意識がより強くなりました。
──なるほど。Kingoさんにとってカンボジアでの生活は想像を絶するほど恐ろしい経験だったんですね。
はい。自分と家族に取って、恐ろしい経験もありました。実際、この歌詞は泣きながら書きました。書きあがったあと母にも聴かせたんですよ。そしたら母も号泣してくれました。この曲は自分とカンボジアの距離をもっと近づけてくれたように思います。
──実際、このリリックはすごく重厚だと思いました。
そう言っていただけるととても嬉しいです。リリース後アメリカで今頑張ってる友達やお母さんが病気の同期に聴いてもらったら「すごく良かった」と言ってもらえたんです。でも日本にはカンボジアに住んだことがある人なんてほぼいないと思うから、この曲がどういうふうに受け止められるか想像がつかなくて不安もありましたね。
──今お話にも出ましたが、この曲はKingoさんのお母様に向けた曲でもありますよね。
はい。母は自分が生まれた時から今まで、あまり体調が良くなくて。そんな中で政情不安定なカンボジアで僕を守ってくれました。そんな母に今の自分の気持ちを伝えたい気持ちがありましたし、同時に病気の人に寄り添う人の気持ちも描きたいと思いました。それがどこまで表現できてるか自分ではわかりませんけど、同じような境遇の人たちが困難な時間を乗り越える一助になれたら嬉しいなと思って。
自分のInstagramにもこの曲の簡単な紹介文を書いたので、このインタビューを読んで興味もってもらえたらそちらも読んでいただける嬉しいですね。
──では最後に今後の活動予定を教えてください。
とりあえず今EPを制作中です。バンドとライブハウスとか、バックDJとクラブとか、いろんな形態でライブできるようになっていきたいです。
──目標はありますか?
フジロックに出たいです。将来的にはコーチェラに。今は神奈川県の端っこでそんな夢を見てます(笑)。
Kingo – Always Around [Music Video]
Text:宮崎敬太
PROFILE
Kingo
1998年生まれ、東京出身のHip-Hop/Soulアーティスト。カンボジアやアメリカ合衆国での生活経験を持ち、その稀有なバックボーンから生み出される多様な表現とオリジナルなストーリーから作品を生み出している。英語と日本語を変幻自在に操るバイリンガル・ラッパーであり、自身のソロ作品はもちろん、多様なラッパー・作曲家・ビートメイカーとの共作楽曲をSNSやストリーミングで公開している。また自身のグローバルな繋がりを広げるべく、国内外のビートメイカー・プロデューサーとのコラボレーションを更に積極的に行っている。
Instagram|Twitter|YouTube|TikTok
INFORMATION
Always Around
2023年1月25日(水)
Kingo
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