「音が聞こえるジャズ漫画」として人気を博している『BLUE GIANT』が映画化され大ヒット。“ジャズ”という音楽全体に注目が集まっている中、<Love Supreme Jazz Festival 2023>(通称、ラブシュプ)が5月13日(土)・14日(日)埼玉県秩父ミューズパークにて開催される。
『BLUE GIANT』の主人公・宮本大としてテナーサックスを演奏した馬場智章も、Answer to Remember with HIMI, Jua、Penthouse with 馬場智章、そして自身のリーダーバンドで出演することが決まっている。ラブシュプの出演を直前に控える馬場に、これまでの歩み、作り上げてきた2つの作品、日本のジャズシーンを巡るあれこれについて、たっぷりと話してもらった。
INTERVIEW:馬場智章
『BLUE GIANT』に至るまで
幼少期、作曲、そして<Love Supreme Jazz Festival 2023>を迎えるジャズシーンについて
──馬場さんのこれまでのことから伺っていけたらと思います。初めて演奏した楽器がテナーサックスだったんですか?
紆余曲折あったんです。母が昔エレクトーンを趣味でやっていたみたいで、それもあってか、幼稚園くらいのとき、いわゆる街の音楽教室でエレクトーンを習っていました。よく辞めるきっかけになる話だと思うんですけど、先生が「練習してきなさい!」という感じの方で、あまり楽しめなくて。小学校に上がるくらいにはもう辞めていました。もともと音楽に全く興味がなくてエレクトーンは完全にやらされていた感じだったので、むしろスポーツの方が好きで、小さいときはずっと水泳をやっていましたね。
きっかけは無理矢理連れて行かれたビッグバンドのコンサートなんです。僕の叔父が札幌でジャズの社会人ビッグバンドに参加していて、ホールを借りてコンサートをする機会があったのですが、アマチュアなので自分たちでチケットを捌かなきゃいけなくて、叔父がそれに苦戦した末、結局、僕の家族にチケットが流れてきて。それを観に行って「面白い!」「やりたい!」と思ったんです。
ちょうど僕が「やりたい」と思ったとき、僕や石若駿が小学校、中学校で所属していた札幌ジュニアジャズスクールが始まったんです。最初家族は「サックスは(金額的にも)高いし、続くかわからないものにお金出せない」という感じでした。そのジャズスクールには、叔父のトロンボーンを借りて、始めの1年間だけトロンボーンで参加していました。でも、周りでサックスをやってる同級生くらいの子もいて、見た目もかっこいいからずっとサックスをやりたくて。1年後に同じジャズスクールにアルトサックスで参加したんです。少ししてから、当時は小学生にしては体格的に大きめだったのでスクールから「テナーサックスをやってくれませんか?」と言われて、「ああ、じゃあやります」という感じでテナーサックスを始めました。
でも日本で有名なテナーサックスプレイヤーを当時は知らず、DIMENSIONさん、本田雅人さんあたりが特に好きだったのでアルトがやりたくて。テナーになっちゃって少しガッカリしましたね。身体が大きめとは言え小学生なので重いですし(笑)。そんな中、あるとき駿が「かっこいいプレイヤーいるよ」とマイケル・ブレッカー(Michael Brecker/2007年没)という世界的なプレイヤーを教えてくれたんです。彼を聴いた時にテナーの魅力に気が付きました。そこからずっとテナーが好きで、今に至ります。
──札幌ジュニアジャズスクールはどのような雰囲気でしたか?
スクールといっても「ジャズはこうだよ」「サックスはこうだよ」と教える感じではなくて、とにかく普段通う学校も全然違う人たちが週末に集まって「音楽を通してコミュニケーションを図っていきましょう」という、どちらかと言えば楽しくやるのがメインのスクールでした。演奏活動もたまにあって、ショッピングモールで演奏したり、今も続いている札幌のジャズフェス(<サッポロ・シティ・ジャズ>)の前座で出たり、道内のジャズフェスに出たり、<横濱ジャズプロムナード>に出たり、老人ホームに行って演奏しておばあちゃんおじいちゃんと遊んだり……。やらされてる感は全く無く、無理なく続けられた気がしますね。空き時間になってもみんな自然と演奏していたりしました。そのうち音楽業界というか、プロのプレイヤーというものにちょっとずつ興味が出てきました。
──開けた環境だったんですね。
だからこそ、ここまで続けている気がします。クラシックのヴァイオリンの方が幼少期からとんでもないレッスンを受けている話とかあると思うんですけど、ああいうことは全くなかった。楽しくやっているうちに自分がステップアップしたいなと思っていたタイミングで、バークリー音楽大学の教授のタイガー大越さんが札幌でワークショップやっていたり、そのワークショップで賞をいただき副賞としてバークリーの夏のプログラムに参加したり、徐々に楽しくステップアップしていったんです。じゃなかったらどこかで辞めていると思います(笑)。
──『BLUE GIANT』の雪祈の台詞でもありますが、今振り返って、どうしてジャズだったと思いますか?
たまたま最初にちゃんと聴いたのがジャズだったんです。それも最初に観たのが「ドーン!」っていうビッグバンドのコンサートで。だからすごく新鮮だったというのが一つですね。
今でこそファストフード店はじめ、いろんなお店でジャズのコンピレーションアルバムのようなものがずっと流れていたりするんですけど、当時、20年以上前なので、あんまりジャズを聴く機会もなかったんです。コンサートにも音楽にも全く興味なかったですし、音楽に興味のある家族でもなかったから家で常に音楽が流れているような環境でもなかった。聴いていたのは“だんご3兄弟”とか『ポケモン』の曲とかそのくらいなので(笑)。
あと、ジャズだからこそいろんな人とコミュニケーションを取れたのかなとも思います。スクール時代に日豪でやっている音楽フェスのようなものがシドニーであって、僕も駿もメンバーに選んでもらって行ったんです。オーストラリアの原住民(アボリジニ)の文化を引き継いだディジャリドゥという楽器があって、ディジャリドゥ奏者の方とセッションする機会があったんです。言葉は通じないけど、いっしょに演奏していてすごく楽しいなって感じて。
それに僕が縛られるのはあまり好きじゃない性格なのもあって、ジャズのような発想力をすごく重視する音楽が、自分の面白いと思うこととすんなり一致したのかなと思いますね。今はジャズ以外もよく聴いたりしますけど、その自由度もジャズを選んだ理由ですね。
──そうなんですね。さきほど楽器の金額も話に上がっていましたし、音楽が日常にない家庭だったというお話もありました。音楽を仕事にすることに対して家族の反対はありませんでしたか?
中学1年のときに北海道グルーブキャンプというタイガー大越さんが開催しているワークショップで賞をいただいて、中学3年のときに初めてアメリカに行きバークリー音楽大学のサマースクール(高校生向けのプログラム)に参加しました。それから4回、毎年夏の期間だけアメリカに行っていて、そうしているうちにアメリカに行きたいと思うようになりました。ただやっぱりバークリー音楽大学ってすごく授業料が高いんですよ。サラリーマンの平均年収を超えてしまうくらい。
ウチでは到底無理な金額なんですけど、奨学金制度が貸与型ではなく給付型だったりとすごく充実していて。自分の中でもアメリカにまで行くならより高いレベルでやりたいと思っていたので、家族を納得させる意味でも全額分の奨学金が出ないのなら行かないということを、なんとなく高校のときから考えていました。その後、ありがたいことにその奨学金をいただけることになったので、まずは行こうと。
でも家族はしぶしぶというか(笑)。高校受験も割としっかりやったんですけど、第一志望の進学校には落ちてしまっていたこともあって。そのとき、自分の中では「やっぱり音楽をやりたい」と思っていて。中3でアメリカ行っている時点ですでに進学校に行きたくないというのはなんとなくあった上で、高校受験に失敗しました(笑)。家族はかなりがっかりしてましたけど(笑)。結局徐々に家族を納得させていった感じですね。
でもプロになるっていうのはみんな反対していたかなと思います。口には出さないですけどね。母は割と「やりたいことやったら?」という感じでしたが、母以外は遠回しに「そんなことやって、、」と思っているのが伝わってきて。アメリカ行く頃には髪も長くて毛先を金髪とかにしてたから、法事などで親戚に会うと「この子大丈夫かしら?」って顔で見られましたし、「まだミュージシャンになるとか言ってるの?」という感じで。
少しみんなが賛成モードになるきっかけは『報道ステーション』のオープニング曲をJ-Squadで手掛けてからですね。報道番組で僕らが生中継で演奏して、それを観た親戚から実家に電話があったみたいで。「頑張ってるみたいだね」って(笑)。そこでようやく親戚や祖父母も「いいんじゃない」と。
──地方だと特にそういったハードルもありますよね。
ありますよー! ミュージシャンというものに対する風当たりは強かったです(笑)。
──初めて録音したのはいつ頃だったんですか?
本当にしっかりしたプロと同じ現場でレコーディングをしたのは僕が高校生のときです。サッポロ・シティ・ジャズの企画です。北海道っていろんなところに湖があるんですけど、道内のサックスプレイヤーが一人ずつそれぞれの湖にフォーカスした曲を作ってコンピレーションアルバム※として発売しようっていう。(※『Driving Jazz Hokkaido Second Impression Lake』)道内で活躍しているプロの方に混じって、僕と寺久保エレナという同い年のサックスプレイヤーが若手で参加する形になりました。
──そのときはどういった感覚でしたか?
今でこそ曲を書くのが好きになって、よく書いたりしますけど、当時は作曲もよくわからなくて。それに収録した曲が絶対オリジナルじゃないとダメだったので、はじめてしっかりした作曲をしたのがこの曲でした。振り返って考えると、周りの大人はすごく長い目で見てくれていたというか、すごくハードルを下げてやってくれていたんじゃないかなと思います。
まずリーダーライブをやったりするのもドキドキというか、高校時代から地元のジャズクラブは出ていて、いろんな方に誘っていただいたりSIT-IN(飛び入り演奏)したりとか、たまに「やってみる?」って感じで自分のリーダーライブをやったりしていたんです。今でもリーダーライブの企画をやると資金面はどうしようとか、事前にイベントの詳細をシェアするとか、曲をやってもらうのにメンバーに何日前に送って確認してもらおうとか、そういった細かい配慮をしないと大変だと思うんですけど、当時はそんなことわかっていないので、周りの人は優しく見守ってくれていたんじゃないかな。良い大人に囲まれてたんじゃないかと思いますね。今だからわかりますけど(笑)。
──そこから作曲へと本格的に向かうんですか?
当時は作曲するのは好きという感じではなかったので、あんまりしてなかったんですけど、大学に入ってから、タイガー大越さんから「馬場くん、もうちょっと曲作った方がいいよ」というアドバイスがあって。「自分の曲を作ることで、自分のやりたい音楽が見えたり、プレイに反映されたりするから、自分がもっと上手くなりたいと思うなら曲を書いた方がいい。それに今後リーダーとして活動していくんだったら、ずっと誰かの曲をやっていても、馬場智章って人を見たいとは思われないよ」とおっしゃっていただいて。大学では自分のリサイタルもやらなきゃいけないので、そういったことをきっかけに曲を書こうと思うようになり、徐々にハマっていきましたね。
──大学時代が作曲において重要だったんですね。
それこそ宮本大じゃないですけど、サックスプレイヤーとして上に行きたいと思ってずっとやっていたんです。アメリカに行ったときは自分が憧れていたプレイヤーが意外と身近にいて興奮しましたね。でもアメリカに行ったらアメリカンドリームじゃないですけど、すごいものが待っていると思っていたら、実際は意外とアメリカのジャズシーンもこんな感じなんだって逆にちょっと落胆してしまって。2年目か3年目で「自分が本当にやりたいことってこういうことなのかな?」「ジャズのプレイヤーとしてやりたいのかな?」って、ちょっとわからなくなってしまったんです。
そこで、自分は高校時代から音楽ばかりやっていたので、音楽以外の自分が関わる世界をもうちょっと見てみたいと思って。しばらく学校以外のセッションやライブの仕事を一度全部断って、音楽は学校のことだけをやるようにしました。
そのときたまたま新たに出会った人たちがファッション系の人が多くて、その人が個人的にやっているファッションマガジンの手伝いをしたり、その人はアメリカ人なんですけど、取り上げたブランドが日本のブランドで、だからアジアの人を使いたいとのことでモデルをやったりもしましたね。ファッションショーの音楽にもすごく興味が湧いて、DiorやTHOM BROWNEだったりの音楽とファッションショーの総合芸術がすごく好きになって。シルク・ドゥ・ソレイユも観に行ったりもしたりして、音楽という聴くものと目で見るアートを総合芸術としてやりたいなと考えるようになりました。
そういうことをやろうと思ったら、なおさら作曲をしなきゃいけないなと。それこそ、僕の一作目の『STORYTELLER』は視覚的な、例えばVJのような人とコラボしたいと思って作った曲が多いんです。実際にアルバムが出る前に日本橋のTHE A.I.R BUILDINGで友達の映像作家に映像を作ってもらってVJと共にライブもしました。その一部がYouTubeにあげている“Voyage”という曲ですね。それはそのとき写していた映像をUPしています。
Tomoaki Baba 馬場智章 – Voyage (from First Album “Story Teller”)
──ファッションショーのような空間演出音楽にインスパイアされていたという背景を伺うと、『STORYTELLER』を聴いた印象と腑に落ちる部分があります。具体的にどんなショーに刺激を受けたか教えていただけますか?
Dior Hommeで楽器奏者の方が並んでいたものや、Thom Browneの劇仕立てのモノクロのものとか…ですね。
Dior Homme autumn winter 2015-16 fashion show
Thom Browne Fall 2015 Menswear
今、音楽の部分が軌道に乗ってというか、ミュージシャンとしてやっている部分も多いですが、今後多方面の方に僕の名前を知っていただけたら、そういうコラボというか、ファッションショーで使う音楽の制作なども近い将来できたらすごくいいなと思っています。同世代の別ジャンルのアーティストといろいろコラボとかもしたいです。それをきっかけに音楽だけじゃなく他のシーンもいっしょに盛り上がっていくと良いなと常々思っていますね。
大学卒業後にNYを選んだ理由もそこなんです。誰かとコラボするなら自分の武器は音楽しかないから、そこをもっと追求していかなきゃいけないと思って。やっぱりNYは音楽的にも最先端だし、他のアートのシーンも充実しているので。僕が求めているものはNYが多いんじゃないかなと。LAはもう少しハリウッドだったり映画よりのイメージで。もちろんLAにも面白い人はたくさんいると思うんですけど、NYのその雑多な感じの方が僕には合っているんじゃないかなと思って。
──『STORYTELLER』には、即興を元につくられたアンビエントなナンバーなども収録されています。近年ではファラオサンダース(Pharoah Sanders)とフローティングポインツ(Floating Points)による『Promise』やサム・ゲンデル(Sam Gendel)など、アンビエントジャズ、PCとの組み合わせた制作が様々に発表されています。馬場さんはどのように制作されたんですか?
そうですね、僕が演奏したものをパソコンで編集するっていう。サウンドアーティストの國本怜と一緒に作りました。彼の自宅で何パターンか演奏を録音して。あとは楽器の音や息の音まで様々な音をいじっていくっていう制作行程でした。
坂本龍一さんのアルヴァ・ノト(Alva Noto)との作品やあと、久石譲さんもとても好きですね。坂本龍一さんはNYにもいらっしゃったので、『STORYTELLER』とか出した後、なにかをきっかけに話来ないかな、繋がったりできたら嬉しいなと思ってました。
──『BLUE GIANT』で馬場さんの音に初めて触れた方は馬場さんの別の作品を聴いて驚くかもしれませんね。
ちょうどBRUTUSさんのイベント(「BRUTUS JAZZ WEEKEND 2023」)が南青山であって、その一環で僕と『BLUE GIANT』の作者の石塚さんとユニバーサル ミュージックの五十貝一さん(※クラシックス&ジャズ マネージングディレクター/Export Marketing ゼネラルマネージャー。『BLUE GIANT』にも登場するレコード会社のスタッフ「五十貝」のモデルにもなっている)でトークイベントがあって、そのとき聞いた話なんですけど。
『BLUE GIANT』の宮本大の演奏の役はオーディションだったんです。もともと海外の方を採用しようと動いていたらしいんですけど、コロナの関係もあったのと、大っぽい、ひろみさんがあまりピンとくる人がいなかったらしくて。日本のアーティストも視野に入れ、多方面のプレイヤーをリストアップしていく中に僕の名前も入れていただいたらしいんですけど、五十貝さんは元々僕の作品を聴いていてくれていたようで、そのイメージから「え、馬場さんですか? 宮本大じゃないのでは」となっていたらしいです(笑)。だから『BLUE GIANT』では、役をやるにあたって宮本大を作った感じですね。
──オーディションで選ばれた理由は説明がありましたか?
最近になって聞きました(笑)。ひろみさんの書く曲って結構難しいんですよ。だから宮本大っぽい音を出すだけでなく、ひろみさんの曲をしっかり吹けないといけない。映画を作っていく中で要求もどんどん出てくるだろうから基礎がしっかりしている人で、音をいっしょに作れる人がいいんじゃないかという方向になったみたいです。すでに大のようなサウンドを持つプレイヤーもいたようですが、それで選んでいただいたようです。
ただオーディション中から何度も「もうちょっとこういう音出ますか?」っていうやりとりはずっとしてました。録音前に僕とひろみさんの2人で作者の石塚さんや脚本の方がいらっしゃる中で演奏して「ちょっと違うので、こういう風にできますか?」って何回も言われる恐ろしい会もあって。ひろみさんが後ろにいる手前「いや、できないです」とは言えず「はい! やります!」ってやり続けた末に「その方向へいきましょう」と少しずつになっていった感じですね。
映画『BLUE GIANT』│「N.E.W.」ライブシーン特別映像【大ヒット上映中!】
──作品単位で言うと『STORYTELLER』のあとにコードレスで馬場さんと西口明宏さんの2本のテナーサックスが絡み合うコンセプチュアルな作品『Gathering』を発表しています。『Gathering』は西口さんありきで考えた作品だったんですか?
そうですね。コロナが始まって、お店もお客さんがなかなか入りにくい状況になってきて、やっぱりギャラが出せないからお店側からなるべく出演するメンバーを減らしてくれと言われていて。最初はドラムとベースを入れてトリオでのライブやピアノとデュオのライブをやっているうちに、『Gathering』を出した〈Days of Delight〉さんから作品を「作りませんか?」というお話をいただきました。アルバム制作を視野に入れながらトリオでライブを演奏していくなかで、自分がかっこいいと思う曲を書いていったらどうしても人が足りない、でもコードレスというコンセプトは崩したくありませんでした。
僕は『Gathering』を作るにあたってライブをとにかくやっていたんです。月イチくらいでリーダーライブをやって、いろんな編成、いろんな人選を試して。このドラマーとベーシストだったらどうだろう、トランペット入れようかと悩んでいる中で、黒田卓也(トランペット)さんきっかけで、西口さんと何度かいっしょに演奏するようになり。一緒に演奏していくうちに音楽的にも音色的にもすごく相性がいいな、面白いなと感じていました。そのときにNYでやっていたころに観たアントニオ・サンチェス(Antonio Sánchez)がコードレスのテナーサックス2管のライブをパッと思い出したんです。「あのライブめちゃくちゃ楽しかったな。そっちの路線でいこう」となりました。
西口さんとやりたいと思うようになって、そう決めてからは曲もスイスイ書けましたね。『Gathering』に入っている曲はあのメンバーの音色やプレイを想像して書いた部分が大きいので、出来上がったときにサウンド的にも「ああ、狙い通りだな」と思いました。
Tomoaki Baba 馬場智章 – Four Arrows
──西口さんはバークリー音楽大学の先輩でもありますよね?
ほぼ12歳離れていて、初めて会ったのは僕が中3の夏にバークリーに行ったときです。西口さんがまだ在学中で。「グッチー! 案内して!」とか「お腹すいた!」と言って、そのときは本当にめちゃくちゃ失礼だったと思うんですけど(笑)。それからたまに会ったりはしていたんですけど、テナーサックス同士でライブがいっしょになることって結構少なくて、なのでそれ以来久々に会ったのはジャズドラマーの大坂昌彦さんのイベントライブで、西口さんと吉本章紘さんと3管で演奏したりして、やっぱり西口さんかっこいいなと思って。
──じゃあNYで何かあったわけではなかったんですね?
そうですね、僕がアメリカに行った頃には西口さんはアメリカにいなかったので、ちょうど入れ違いで西口さんは日本に帰ってくるくらいのタイミングだったのかな。もちろん西口さんがアメリカに遊びにきているときはよく会っていました。
──石若さんは北海道から東京に移り音楽を学んでいましたが、馬場さんは東京を経由せずにアメリカに渡りました。アメリカにいらっしゃるとき、日本のジャズシーンはどのように見えていましたか?
それこそ、僕は20年以上、石若駿といっしょにやっていて。アメリカから帰ってくるタイミングで東京にもたまに来ていて、そのときに駿がライブに誘ってくれていっしょに演奏したりすることもありました。だからアメリカからは、駿の活動を通して日本のシーンを見ることがすごく多かったんです。駿はそれこそ日野皓正さんとかレジェンドプレイヤーの皆さんとも共演していたりしますけど、僕が面白いなと思っていたのは駿まわりの新進気鋭の、若い世代の面白そうなアーティストとの繋がりでした。
もちろんプレイヤーとしてもなんですけど、例えばWONKだったら料理のプロデュースをしている長塚くんや、そういうジャズシーンだけではない他のアートシーンの人たちと関わっているのが、僕が他のアートシーンの人たちと関わりたいと思っているタイミングだったのもあって、すごくいいなと思ってました。だから僕も日本に帰って来ているタイミングで、イベントで当時はSrv.Vinci(King Gnuの前身バンド)と遊ぶようになったり、2015年に日本に帰ってきたときは駿とWONKの江崎文武、東京塩麹の額田大志、中山拓海を中心にやっているJAZZ SUMMIT TOKYOに参加させてもらって、ファッションブランドのサルバム(sulvam)とSrv.Vinciと僕と中山拓海いうコラボのようなこともやりましたね。
NYで僕は音楽だけをメインにやっていたので、周りもオタクみたいなミュージシャンばっかりで。もちろんトッププレイヤーが集まるんで、そっちで必死だったんですけど、日本のシーンを見ていると自分がやりたいことを駿がやっているような気がして。すごい面白そうだな、若い世代が生き生きしてるなって。
──場所は違っても馬場さんと石若さんは近いことを考えていたのかもしれないですね。
かもしれないですね。駿の関わっているもので自分もすごく興味があったのが山口県のYCAMで細井美裕ちゃんとやっているプロジェクト(※)ですね。いいなーと思いながら見てました(笑)。
※山口情報芸術センター[YCAM]にて、音と響きによって記憶を喚起させることをテーマに、細井美裕+石若駿+YCAM新作コンサートピース「Sound Mine」を発表。YCAMではさらに石若駿とAIとのコラボレーションによるプログラム「Echoes for unknown egos―発現しあう響きたち」も発表された。
──新しい試みもどんどんやっていきたいということですね。
ありがたいことに『BLUE GIANT』をきっかけにミュージシャン以外の方ともお話する機会も増えたのでそういう人たちと何かできるなら是非、やりたいです。それこそ『STORYTELLER』や『Gathering』でやっているように、ジャズってすごく幅が広いので。作曲するのが好きですし、他のものとコラボするときにそれを想像して作曲することもできます。いわゆるライブというものと並行してやっていきたいなと思います。
──バンドの捉え方についても伺いたいです。ポップスやロックと比較するとジャズのバンドという概念は違いますよね。『Gathering』はメンバーをイメージして作られたとのことでしたが、その違いをどう考えていますか?
それがジャズの良さでもあると思います。僕自身は『Gathering』のライブをやって欲しいと依頼がきたときは、その人のサウンドが欲しくて書いた曲なので、その人のサウンドが出せるのはその人だから、できるだけあのメンバーで演奏するというのは決めています。ただ同じ曲をやったとしても別のプレイヤーがやったときには別の曲にどんどんなっていく面白さもあります。なので、この曲はこの人たちというこだわりがないものに関してはいろんな人がその曲をやる意味がある。そこがジャズ特有というか他のジャンルではなかなかできないことかなと思うので、それは良さですね。
一方で日本のジャズライブハウスではセッションライブのようなものが多くて、音楽のクオリティを維持するのが難しいのかなと思います。良いプレイヤーであればあるほどどこに行ってもその人がいる。どこでもその人がいるということはその人の月のライブの本数もすごく増えるじゃないですか。だから自分がやりたいプロジェクトに関して、自ずと準備も少なくなって、やっぱり全力ではできないことが多くなっていくのではと思うんです。
セッションライブのときは、だいたいその日の当日の早い時間に集まって、リハをやって、そのままライブをやる流れで。それが普段からいろんなところでいっしょにやっているメンバーがぎゅっと集まって、この組み合わせは久しぶりだねっていうのはアリだと思うんです。でも「はじめまして」な人の多い現場でその日にリハをやってライブしてというのは、音楽のクオリティがすごく低くなってしまう可能性があると思うんです。だってその人がどういうプレイヤーか知らないと、その人を生かすことはできないから。自分がリーダーだったら自分が演奏したいと思うプレイヤーを呼んで、初めての組み合わせでも事前に想像してこの2人だったらハマるなと考えたりするんですけど。僕自身はそれができないライブの本数を減らしています。
日本はNYに比べてもジャズクラブがすごく多いので、正直そういったセッションライブの多さが日本のジャズシーンの足を引っ張っているような気もしているんです。アメリカで見ていても、例えばロバート・グラスパー(Robert Glasper)はいろんなところで活躍している人ですけど、基本的にロバート・グラスパーのバンド自体は固定で、いろんな人が参加するにしても、グラスパーのバンドとしてライブで動くじゃないですか。グラスパー自身が、今度誰々のバンドで演奏してとか、こっちのバンドにいってあっちのバンドいってとはならない。そうするとその人のアーティストとしてのセルフプロデュースもブレてしまう気もします。
それにやっぱり同じバンドでよく知った曲をやることでクオリティは高くなると思うんです。ツアーを回れば1日目と後半ではまた曲も進化していたりどんどん変わって面白くなっていく。基本的にSIT-INもあまり好きじゃない。お客さんはこのバンドを観たくて来ているのに、変な人、いやもちろん変ではないですけど(笑)、全然違う人が入ってきてガーッと吹いて。もちろんその人がすごく良いときもあるけど、バンドのサウンドも変わってしまいます。近年、日本でもバンド形態も増えている傾向は、音楽のクオリティもどんどん上がり、個性豊かなバンドも増えているので、日本のシーンもどんどん面白くなっているなと思います。
Dinner Party – Insane (ft. Ant Clemons)
──なるほど。
やっぱり『BLUE GIANT』をきっかけにいろんなライブに来てくれるお客さんが増えたと思うんです。別に『BLUE GIANT』に関わっているミュージシャンがそこで演奏していようがしていまいが、そのジャズクラブに行ってみようと思ってそこで初めていろんなジャズを見ましたっていう人もすごく増えている中で、例えばたまたま初めて行ったライブがセッションライブで、ごちゃっとしていて、クオリティがあんまり高くないものを観ても、ジャズって面白いですねとはならないじゃないですか。どこのライブを観てもクオリティの高い音楽をどんどん見せていかないと。
実際にジャズミュージシャンは、楽器の技術においてはすごくレベルが高いと思うんです。いろんなジャンルで引っ張りだこの人もいる。だからこそ駿がいろんなポップスの現場にも呼ばれていると思うんですけど。その技術力をシーンとして生かしきれていないんじゃないかなとはすごく前から思っていました。もうちょっとみんな丁寧にやったらいいんじゃないかなって。ただコロナ禍でやることが制限されたときにそれがシュッとした感じもしていて、余分なものをみんな整理していこうとしていて、バンドで動く流れがより出てきた。コロナ禍で、今まであんまり日の目を浴びなかった人もフィーチャーされたり、一つ一つのライブ演奏もより丁寧になったのではないかな。ミュージシャンはライセンスがいらないから、誰でもミュージシャンと名乗ればミュージシャンなので、だからこそもっと真摯に音楽に向き合いたいと思っています。
──間口が開かれた中で、よりクオリティが重視されるということですね。そういった状況で今週<Love Supreme Jazz Festival 2023>が開催されますが、このフェスの意義や価値はどこにあると思いますか?
海外のフェスで、例えば<ニューポート・ジャズ・フェスティバル>という大きいフェスがありますけど、バックヤードでミュージシャン同士が「さっきの良かったよ」とか飲みながら話していて、そういう環境がすごく良いと思うんです。これまで日本のフェスでは海外の人と日本の人が同じようにバックヤードで話したりする環境ってあまり今まで無かったと思うんですよね。今回のラブシュプは、海外のアーティストがだいぶ増えていてすごく面白い。「さっきの演奏良かったよ」とか「次は何かいっしょにやる?」とか「また日本来るときは教えて」「LAに行くとき連絡するよ」とか、ミュージシャン同士が繋がれるきっかけになると思います。次に来日するときコラボで何かやるとなったらさらに面白いと思いますし。
なんというか、海外に住んでいる日本人も含めて、日本のアーティストって海外の人に対して劣等感があるというか、同じフェスに出ていて、同じステージを踏んでいるんだったらグラスパーに「よお!」って話しかけていいと思うんです。だからラブシュプは日本のミュージシャンたちが海外アーティストと同じ立ち位置であることをもっと自覚できる環境でもある。お客さんにも日本のジャズアーティストも観ていただくきっかけにもなったフェスだと思います。
それに今でこそたくさんネットに動画がありますけど、それを観て「ヤバイよね」と言い続けていても、日本から海外に出ていくきっかけにはならない。僕としてはラブシュプはすごくチャンスだとも思うんです。例えばAnswer to Rememberを観た海外アーティストが「このバンドかっこいいじゃん!」と認めてくれて、誰か海外のプロモーターに「日本に面白いバンドがいたよ」とか話してくれたらAnswer to Rememberが海外に行けるかもしれない。だからたくさんの意味で今後、日本のミュージシャンの価値は上がっていく可能性があるんじゃないかな、コミュニティがもっと楽しくなるんじゃないかなと思っていますね。
ちなみに1日目のDOMi & JD BECKのDOMiは大学の後輩で、僕が大学を卒業する前に入ってきたので、1年くらいいっしょで、向こうも1年だけだったんで覚えてるかわからないですけど、セッションとかライブをいっしょにやっていたから久しぶりって感じですね。
Domi & JD Beck – SMiLE – Live at Coachella 2023
──ラブシュプはリスナーにとってもミュージシャンにとってもチャンスの場ということですね。
自分もアーティストとしてどんどん海外に出て行きたいです。それこそいつかイギリスのラブシュプにも呼んで欲しいとも思っています。アメリカのフェスは海外のプロモーターがたくさん見に来るんですよ。それこそブルーノートの人だったりブッキングをする人たちがいろんなアーティストを見に来る。関係者にとってもショーケースなんです。このアーティストが今面白いから来年自国でやるフェスにブッキングしたい、オファーしてみようという流れが当たり前で。
ただ現状日本のフェスに海外のプロモーターたちがあんまり来てない気がするんですよ。プロモーターが来て日本人アーティスト面白いから連れて行こうという流れになってないから日本のアーティストも海外に出れていないと思うので、今後ラブシュプはこれだけ海外にも注目されるアーティストも出ているので、今後もっと大きくというか、長寿イベントになれば海外からプロモーターも呼んで、業界としてのショウケースにもなりうるんじゃないかなと、そうなってくれたら日本の音楽もさらに盛り上がるかもしれませんね。
昔は<マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル>があって海外の名だたるジャズプレイヤーが来て、お客さんも熱狂していたじゃないですか。今も大規模な音楽フェスはありますけど、ジャズフェスでそれだけの規模感でやるのはすごく難しいと思うんです。ジャズってこういう音楽だし。そういう意味ではこういう大きいフェスが日本にあるのはすごく嬉しいですね。今後さらに浸透していって、もっと大きくなっていって欲しいですね。
──現在ポップスの中でもジャズの存在感はどんどん増しているので、現実になりそうです。
駿のおかげもあると思います。本当にありがとうございますという感じ(笑)。僕もルイス・コール(Louis Cole)のバンドに参加したときにはいろんなポップスの方も観に来ていたりして。去年はDREMS COMES TRUEさんと共演させていただき、それをきっかけに僕のことを知っていただく機会も増えたと思いますし、すごく有難いなと思いますね。僕もドリカムさんのオファーをいただいた時は母も喜んでいました(笑)。
──最後に音楽制作がラップトップで完結するこの時代に生の楽器に触れる豊かさがどこにあるのか教えてください。
こんな言い方をしたら元も子もないですけど、パソコンで作る音楽とライブ音楽はジャンルとして全く別だと思ってます。だからパソコンで全てを作る人はパソコン自体がその人の楽器だと思うんです。パソコンで誰でも作れるような時代でも、トラックメイカーたちは無限にある音をどうやって選んで、そこにエフェクトを加えてたりしていって、結局は自分のスタイルや音を確立して行くわけじゃないですか。だから僕がサックスやってます、駿がドラムやってますというのと同じように彼らはパソコンでやっているくらいのものだと僕は考えているんです。
サックスを始めた人が最初うまく演奏できなくて、ちょっとずつ上手くなって割と聴ける演奏になりましたっていうのと同じ。僕もDAW(音楽制作ソフト)でデモを作ったりするんですけど、最初にDAWを触ったときはなんじゃこれと思ったんです。まずどうやってもかっこよくならない。打ち込んでるもの、ピースはかっこいいはずなんですけど、全体で聴いたら「うわダッサー」みたいな。実際トラックメイカーの方の作る音楽も好きですし、シゲト(Shigeto)やNujabesもそうですけど、たくさんかっこいいアーティストがいてかっこいい曲がある。それって彼らのセンスがあって、技術があって本職としてそういうことをやっているからなんです。だからマルチインストゥルメントというか、それをフィジカルでやるのかパソコンでやるのかの違いだと思ってます。
それを大前提にした上で、誰かシンガーの人のトラックを作ります、となったときにホーンを生で入れるのか、打ち込みで入れるのか、それは本当にプロデューサーや作曲者のセンスや予算だと思うんですけど、ただ生楽器に近づけようとして作っていて、それが生と同等のものですよという感じの音楽に関しては、それは生の方がいいよと思います。全く空気感が違うので。そこで録ったものというか、ナチュラルな空気の振動があって、人間の誤差があって、そういうものがグルーヴとしてかっこいい。そうして人間が作るものがかっこいいからトラックメイカーもサンプリングしたりすると思うんです。だから日本のポップシーンでなんでも生の音っぽいものをパソコンで作って歌だけ乗っけようみたいなものを僕はあまりかっこいいとは思わない。逆にいいなと思うものは誰かがちゃんと生で録ったものだったりしますね。
僕もCDを出していますけど、誰かが言っていたことの受け売りなんですが、音源を作ることは招待状を出しているような感覚なんです。こういうことをやりますよっていうパッケージではあるけど、実際にライブ会場で聴くと全く別のもの。ことジャズにおいてはやっぱり音源で何かを聴くよりも、そこにお客さんがいて、生の空気感があってという良さがすごくある音楽なんです。もちろんパソコンで作る音楽も、それはそれで良いと思うんですけど、生の音楽を同じように、例えばiTunesで聴いて良し悪しを決めるというよりは、現地でとれたてのものを体験してもらった方がいいと思いますね。
PROFILE
馬場智章
Musician/ Saxophonist/ Composer / Arranger
1992年、北海道札幌市生まれ
2005年タイガー大越氏により開催されたBerklee College of Musicタイアップの北海道グルーブキャンプを受講し優秀賞受賞、2010年、Terri Lyne Carrington (ds)が指揮するBerklee Summer Jazz Workshopのメンバーに選抜され奨学生として参加。2011年、バークリー音楽院に全額奨学生として入学以来、Terri Lyne Carrington (ds)、Terrence Blanchard (tp)、Jamie Callum (vo,pf) 等のグラミーアーティストと共演。
2016年から4年間”報道ステーション”のテーマ曲を自身も所属するバンド”J-Squad”で手掛け、UNIVERSAL MUSIC JAPANよりアルバムJ-Squad、J-Squad iiをリリースしBlue Note Tokyo、Fiji Rock Festival 17などにも出演。ファッションブランド”TAKEO KIKUCHI”ともコラボレーションを行う。
2022年日本で初開催された”LOVE SUPREME JAPAN JAZZ FESTIVAL”に「DREM COMES TRUE feat. 上原ひろみ, Chris Coleman, 古川昌義, 馬場智章」、「aTak」、「Answer To Remember」の3バンドで出演。
2023年2月公開、大人気コミックスのアニメーション映画化『BLUE GIANT』で、主人公”宮本大”の演奏を担当。
2020年に自身初のリーダーアルバム『Story Teller』をリリース。 2022年4月、2ndアルバム『Gathering』をリリース。
INFORMATION
LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023
2023年5月13日(土)、5月14日(日)
12:00開場 / 13:00開演 / 20:00終演予定
■出演:5月13日(土)
【THEATRE STAGE】
GEORGE CLINTON & PARLIAMENT FUNKADELIC with Special Surprise Guest / DOMi & JD BECK
AI, bird, 家入レオ with SOIL&”PIMP”SESSIONS / Answer to Remember with HIMI, Jua
【GREEN STAGE】
ALI / 海野雅威 with Special Guest 藤原さくら / 4 Aces with kiki vivi lily / OPENING ACT : MoMo
【DJ TENT】
荒田洸(WONK) / SHACHO(SOIL&”PIMP”SESSIONS) / 柳樂光隆(Jazz The New Chapter) /
Chloé Juliette
5月14日(日)
【THEATRE STAGE】
DINNER PARTY FEATURING TERRACE MARTIN, ROBERT GLASPER, KAMASI WASHINGTON /
SKY-HI & BMSG POSSE(ShowMinorSavage – Aile The Shota, MANATO&SOTA from BE:FIRST / REIKO) with SOIL&”PIMP”SESSIONS /
Blue Lab Beats featuring 黒田卓也, 西口明宏 with 鈴木真海子(Chelmico) , ARIWA(ASOUND) /
Penthouse with 馬場智章
【GREEN STAGE】
Kroi / BREIMEN / 馬場智章 / OPENING ACT : soraya
【DJ TENT】
荒田洸(WONK) / SHACHO(SOIL&”PIMP”SESSIONS) / 柳樂光隆(Jazz The New Chapter) /
Chloé Juliette
※モノンクルはメンバーの体調不良に伴い、出演キャンセルとなりました。これに伴うチケットの払戻は行いませんので、ご了承ください。
■会場:埼玉県・秩父ミューズパーク(https://www.muse-park.com/guide/facility03)
〒368-0102 埼玉県秩父郡小鹿野町長留2518
会場アクセス:https://www.muse-park.com/access#map
※車:関越自動車道花園ICから国道140号(皆野寄居有料道路)を利用して約40分
(必ず事前に駐車券をご購入ください)
※電車:池袋駅から西武線特急を利用し西武秩父駅まで約80分、西武秩父駅から専用シャトルバス(有料)で約15分
※都心からの長距離直行バスも運行予定
■チケット(前売):
□一般・【THEATRE STAGE】指定席(前方エリア)+【GREEN STAGE】芝生自由 1日券 16,000円(税込) 5/13(土)、5/14(日)共にSOLD OUT
□一般・【THEATRE STAGE】芝生自由(後方エリア)+【GREEN STAGE】芝生自由 1日券 13,000円(税込)
□中学高校生・【THEATRE STAGE】芝生自由(後方エリア)+【GREEN STAGE】芝生自由 1日券 6,000円(税込)
※【THEATRE STAGE】指定席(前方エリア)、芝生自由(後方エリア)
※【GREEN STAGE】全エリア芝生自由のみ
※小学生以下は、芝生自由エリアに限り保護者1名に付き1名まで入場可
□駐車場1日券 3,000円(税込)
□西武秩父駅⇔会場(約15分)シャトルバス利用券(往復) 2,000円(税込)
□新宿駅・東京駅・横浜駅⇔会場直行バス 8,000円~8,500円(税込)
■各プレイガイドにて発売中
イープラス:https://eplus.jp/lovesupreme/
キョードー東京:https://tickets.kyodotokyo.com/love_supreme_jazz_festival_japan_2023
チケットぴあ:https://w.pia.jp/t/lovesupremefestival23/
ローソンチケット:https://l-tike.com/lovesupremefestival/
楽天チケット:https://r-t.jp/lovesupreme
U-CONNECT:https://www.uconnect-ticket.jp/artist/lovesupremefestival
※全プレイガイドまとめ(https://lovesupremefestival.tix.to/2023)
■駐車券1日券 3,000円(税込)
イープラス:https://eplus.jp/lovesupreme/
■新宿駅・東京駅・横浜駅⇔会場直行バス 8,000円~8,500円(税込)
JTB:https://jtb-entertainment.net/tour/2023/lovesupremefestival/
■西武秩父駅⇔会場 シャトルバス(往復)2,000円(税込)
イープラス:https://eplus.jp/lovesupremefestival-bus/
■海外向けインバウンドチケット
イープラス:https://eplus.jp/lovesupreme/
■オフィシャルグッズ先行販売
https://bonanza-base.com/shop/lovesupremejapan
■主催・企画制作:LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023実行委員会
■協賛:チューリッヒ保険会社 / チューリッヒ少額短期保険株式会社/ イープラス /
Chang Beer / KEEN
■後援:秩父市 / 一般社団法人 秩父観光協会 / 株式会社 秩父開発機構 / J-WAVE / InterFM897
■協力:一般社団法人 秩父商人仲間 / 株式会社 矢尾百貨店 / Simple day
■お問い合わせ : キョードー東京 0570-550-799
※平日:11時~18時 土日祝:10時~18時
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