呼吸のように平然と佇みながら、他の誰でもない色として放たれる。角銅真実の生み出す音には、聴き手の意識に孔を開けて入り込む作用がある。それが声であろうと、ギターであろうと、マリンバであろうと。ceroや原田知世のサポート、さらには石若駿によるSONGBOOK PROJECTのメンバーとして、その魅力は広く人の知るところとなった。
そしてここに、『Contact』という新たなアルバムが届けられた。自身の名義としては4年ぶりのリリースとなった今作からは、歌に比重が置かれた前作『oar』と比較しても、角銅の声が楽器として震えることを楽しんでいる様子がありありと伝わってくる。
それはセッションの息遣いを感じさせるインスト曲の収録やフィールド・レコーディングの導入など、東京藝術大学の在学時の師である高田みどりや、1stアルバム『時間の上に夢が飛んでいる』のリリース時にコメントを寄せた灰野敬二をはじめとした、角銅のキャリアに影響を与えてきた奏者たちとの共振を感じさせる内容だ。かと思えばChoro Club“蛸の女”や民謡“長崎ぶらぶら節”といったカバー楽曲も収録されるなど、『oar』で聴くことができた透き通った歌声もここにある。あらゆる側面から「奏者・角銅真実」を映し取った、豊かな作品だ。
今回、様々な表情を併せ持つアルバム『Contact』について、前作からの4年間で何度も出演した<FRUE>でのエピソードから、演奏における意識の変化まで、今作が育まれた背景に迫った。
INTERVIEW
角銅真実
「Sam Amidonは灯台みたいな声」
──前作からの4年間のトピックとして、<FESTIVAL de FRUE>で共演したサム・アミドン(Sam Amidon)とは継続的な関係を築いていますよね。今作でも“外は小雨”に参加しています。
サムさんの音楽は友達のライブを観に行った時にBGMで流れていて、そこでシャザムして知りました。『All Is Well』に入っている“O Death”という曲です。サムさんの声や歌の佇まいのようなものがすごく心に響いて、それからずっと聴いていました。自分にとっては何か迷ったりした時に聴く、灯台みたいな声です。もちろん元気な時にも聴いていますが、元にいた場所を思い出させてくれるような声です。
そうやって聴いているうちにしばらくして、<FESTIVAL de FRUE>の出演依頼が来ました。その時に「今回ブッキングしたサム・アミドンさんと、ライブで何か一緒にやってみませんか?」というご提案をいただいて……「サム・アミドンって、あのサム・アミドンさんですか!?」って(笑)。ずっと耳の中、音楽の中だけにいる存在だったので、まさか直接お会いできるとは思ってなかったです。それが最初のきっかけですね。
──それが2021年の<FESTIVAL de FRUE>での共演に繋がるんですね。
予定ではサムさんの演奏にちょっと入るだけだったのですが、ライブ後に思いきって誘ってみたら私のステージにも参加してくれました。次の年には二人で曲も作ったりしていて。オンラインでボイスメモで曲のかけらを送ったら続きが返ってくる、みたいなやりとりで、それでできた曲をライブで演奏しました。今回入ってくれた“外は小雨”という曲も、その時既に一緒に演奏していました。とても刺激的で幸福な体験でした。それで「これからも一緒に音楽をやりたいな」って強く思っていたんです。あとは、その後も昨年の5月にサムさんがアメリカでのライブに私を誘ってくれたり。その時のライブも、リハーサル含め心に残るものでした。そういう経緯があったので、是非作品に関わってほしいと思い声をかけました。
──“外は小雨”ではサム・アミドンも日本語で歌っていますよね。どのようなレコーディングでしたか?
メール中心のやりとりで、細かいオーダーはせず、シンプルに声とフィドルで参加してほしいですとお伝えしました。ラフな感じですごい数のテイクが送られてきて、選ぶのも楽しかったです。
──なるほど。また、昨年の<FESTIVAL de FRUE>ではエルメート・パスコアール(Hermeto Pascoal)と同日に出演していました。角銅さんは以前からパスコアールの音楽に関心を抱いていますよね?
そうなんです。ずっと大好きなアーティストで、幾度となく励まされてきました。パスコアールの音楽との出会いがなかったら私は音楽を続けていなかったと思います。
──パスコアールのライブはいかがでしたか?
ゲートが開いちゃってました。演奏の枠を超えてるっていうか、もはや音楽じゃないものに聴こえました。虫の声というか、彼が触っていたのは普通のシンセサイザーだから、本来は誰が触ってもある一定の音にはなるはずなのに……聴いたことのない音がしていました。何が起こってるんだろうって。しかも弾いてる時は真顔なんですよね。
「演奏のベクトルが変わった」
──『Contact』ではフィールド・レコーディングがいくつかの楽曲で導入されています。
そうですね。例えば“外は小雨”のサムさんのフィドルが入ってるところには、10年前に神奈川の城山で録音した虫の鳴き声を重ねました。
──10年間も録音を残していたんですか?
そうなんです。フィールド・レコーディングはずっとやっています。フィールド・レコーディングと言わずとも、普段から気になる音があると携帯で録音してしまいます。今回、サムさんと日本の虫を出会わせてみました。
その次の“枕の中”という曲は、スタジオの外にある庭にマイクを置いて、モニターからその外の音を全員で聴きながら演奏録音をしました。外の音に共振するようなイメージです。
──全員で、一斉に演奏したんですね。
「あ、今バスが来たな」「虫の鳴き声が大きくなってきたな」みたいなのを聴きながら、その時間と共に、そのまま録音したという感じです。何か場所性、時間性みたいなものも一緒に残したかったんです。それまではスタジオに入ってのレコーディングだったのですが、それって場所性で言えば限りなくフラットな空間で録ることになるじゃないですか。その行為自体は良い意味で不自然だし面白いんですけど、この4年間で色々なライブをする中で「その場に《共鳴》することが、演奏することだな」っていう、自分の中での演奏のベクトルが見えてきて。それを録音作品の中でも反映させてみたかった。
──ライブにおける意識がここ4年で変わっていったと。
意識がより明確になってきた感じです。まだ何かがわかったわけじゃないけども、わからないなりにやってきたことが、「あ、これは《共鳴》ってことだな」って。
──ご自身のバンドの他にも、角銅さんはceroや原田知世さんのバンドをはじめ様々なプロジェクトに参加してますよね。そういったサポートでの演奏における意識も、ここ4年で変わりましたか?
そうですね。でも、そういう空間を意識し始めるきっかけになったのは自分のライブです。自分の活動には歌が入っていて、言葉が出てくるじゃないですか。言葉は頭の中のことでもあるから、歌ってると私、空間を味わう前に自分がどこにいるのかわからなくなってしまうんですよ。目も瞑っちゃいますし。夢を見ながら、そこで見たことを半分だけ起きて話してるみたいな感じでした。今はもう少し場所を味わいながらライブしている気がします。
──『Contact』における歌という点では、ご出身である長崎の民謡“長崎ぶらぶら節”をカバーしています。なぜこの民謡をカバーしようと思ったんですか?
民謡とか小唄とか浪曲が元々好きで、レコードで探しては家で聴いてたんです。色んな地方の昔の歌を聴いていると、今、身近に聞けないような声が聞けたり、いろいろな節回しを聴くのが面白いです。暮らしも建物も時代で変化してるだろうし、そういう意味で空間と身体の関係性も変化があるでしょうね。知らない発見がたくさんあっておもしろいです。歌詞の内容もワイルドだったり、けどそのワイルドさもすごく親しみのあるワイルドさで…そういった音源を、自分の中の暮らしや言葉と音の研究として聴いていたんです。
そういうきっかけがあって“長崎ぶらぶら節”をカバーし始めました。おもしろいのは、歌っていると、ライブ後長崎の方が声をかけてくれる事です。長崎に住んでいた時はまだ自分で音楽を作っていなかったし、一人で誰にも見せるでもない小説を書いたり絵を描いたり、日々悶々と過ごしていたので、長崎はいわば、早く出て行きたい場所だったんですよね。ただ、今こうして“長崎ぶらぶら節”を歌うことで、長崎の話を聞く機会が増えたり、知り合いができたり、自分でもフィールドワーク的に足を運んでみたり、言ってみれば、長崎という場所に出会い直すことができた。歌が連れてきてくれた新しいきっかけです。
──先ほどのフィールド・レコーディングの話にも通じますが、角銅さんの中では生活と音が密着しているように感じます。
実は演奏に限らず、あらゆることの何が始まりで何が終わりなのか、そういう意識が希薄なんです。それに、決められないんです。始まりや終わり、あとはこれで完成、とか。気づいたら始まって、舞台に行って、気づいたらいつも終わってるみたいなところがあって。なので演奏と演奏じゃないものの境目も元から希薄なんですよ。今回のアルバムはそういう、普段のテンションで作れたと思います。
そもそも、私は期間を設けてアルバムを作るタイプじゃないので、『Contact』も気づいたら出来た感じなんです。例えば“Flying Mountain”とか“theatre”は10代の頃に作った曲のブラッシュアップだったり、昔からのメモを出してきて作った曲も入ったりしてますね。
──でもまとまりがないわけじゃなく、例えば今作では“i o e o”の冒頭で水に潜ってから別の曲のラストで浮上するなど、アルバムとしての繋がりも感じられます。
そうなんです、作っていくうちに作品の点と点がつながって何か見えてきました。これは余談というか、誰も知らなくてもいい自分の中だけの楽しみなんですけど、“i o e o”の水に潜る音やそのあと出てくる音は宅録なんです。家の洗面所に水を溜めて一人で録音しました。出た時に背景に鳴っている野外の音はアルゼンチンのティグレという場所でのフィールド・レコーディングです。アルゼンチンって日本のほぼ真裏なので、日本の自宅で水に潜って、出てきた場所がアルゼンチン。アルバムの中で、「地球を貫通してる!」っていう(笑)。サムさんと神奈川の虫を出会わせることも近いですが、そういうこともできるのが作品作りで好きなところです!
「空間を意識するようになって、肉体を思い出した」
──『Contact』を通して聴くと、これまで以上に角銅さんの発声のバリエーションが豊かであるように感じたんです。それこそオープニングの“i o e o”のように、文字に先立って口から出る音への意識が明確になったというか。
そうかも、声を出すのが楽しくなってきました(笑)。
──その点において、前作の『oar』とは対照的ですよね。『oar』では歌がフォーカスされていたけど、『Contact』では口から出る音を純粋に楽しんでいるのが伝わります。
そうですね。『oar』では「嬉しい」とか「悲しい」とかを言葉で表現できることのおもしろさに気づいた作品でした。そもそも、私は自分で自分の感情を認識するのが遅くて、何か起こった何分か後に感情が追いつくことがよくあります。気づかないまま通り過ぎてしまうことも。『oar』では言葉にして歌うことによって、人間に成り立ての楽しさみたいなのを感じていました。
それに対して今回のアルバムは、もう少し別のベクトルです。空間を意識するようになって、言葉のことだけではなくて肉体のことも改めて思い出したというか。歌うこと自体は好きだったんですけど、もっと声を楽器みたいに楽しみたかったんです。「あ、こんな風に口を開けると気持ちいい」とか「背中がスッとする」とか。私が『oar』以前に楽器でやっていたことと、『声を出す身体』がより近付いたような感覚があります。1曲目、“i o e o”ですしね、言葉じゃない(笑)。そんな風に、音を出すって行為と言葉を発するって行為を同時に楽しんだ作品でもあります。
──言葉と発音の関係に関しては、ご自身のライブで朗読を取り入れるなど、角銅さんは表現の形態に囚われない活動をされている印象があります。
朗読のような話し言葉としての声と歌の声を混ぜるのはこれからもやりたいですね。何かのはざまに生まれるものってあると思います。これからも自分の気になることに、さりげなくチャレンジしたいです。そう、今回のアルバムも自分的にはさりげないって感覚なんですよ。そういえば、昨日はジュディ・シル(Judee Sill)を聴いて改めて「歌という音楽、すごいなぁ」と感動してました。歌って最小単位の宇宙発生装置だと思いました。言葉があって旋律があって、そこに立ち現れる宇宙があって…ジュディの紡ぐ音世界に感動してたんですけど、だけど言葉から離れた事ももっとやりたい自分もいます。これからも自分のペースで気になることをやって、それで、未知と遭遇して日々驚いたりしていたいです。
Text:風間一慶
Photo:寺内 暁
Edit:Yuto Nakamura
PROFILE
角銅真実
長崎県生まれ。マリンバをはじめとする多彩な打楽器、自身の声、言葉、オルゴールやカセットテープ・プレーヤーなどを用いて、自由な表現活動を国内外で展開中。
自身のソロ以外に、ceroのサポートや石若駿 SONGBOOK PROJECTのメンバーとしての活動、CM・映画・舞台音楽、ダンス作品や美術館のインスタレーションへの楽曲提供・音楽制作を行っている。2022年には、映画『よだかの片想い』主題歌「夜だか」を配信リリース。
INFORMATION
Contact
2024.01.24(水)
角銅真実
UCCJ-2233
¥3,300(税込)
〈ユニバーサルミュージック〉
【TRACKLIST】
1. i o e o
2. 蛸の女
3. 外は小雨 feat. Sam Amidon
4. 枕の中
5. Flying Mountain
6. Kujira No Niwa
7. 長崎ぶらぶら節
8. 落花生の枕
9. theatre
10. Carta de Obon
11. flowers everywhere
12. 3
13. 人攫い