Boards Of Canada(ボーズ・オブ・カナダ)による、約13年ぶりの通算5枚目のアルバム『Inferno』が5月29日よりリリースされる。公開の1週間前となる5月22日、ヒューマントラストシネマ渋谷にて行われた先行試聴会に行ってきた。金曜19時。喧騒と人混みをすり抜け向かった先には、音楽愛に溢れる早耳のリスナーたちが集っていた。
今回の試聴会は、東京の他、ベルリン、バルセロナ、ロンドン、グラスゴー、ニューヨーク、ロサンゼルスの計7都市でほぼ同時期に行われたとのことだったが、結成以来、常にミステリアスなアプローチをし続けてきた彼らゆえに、一足早くアルバムを試聴できることへの特別感があった。

燃え続ける炎が描く、退廃的ムードとメランコリック
期待を胸にいざ入館。満席の館内はいつもに増してシーンとした静けさを感じ、座席に座ると独特の緊張感さえ覚えた。
スクリーンに現れたのはBoards Of Canadaのシンボルである六角形の太陽(Hexagon Sun)。高揚感のある鮮烈でエレクトロニックな音色が鳴り響き、霧の中を浮遊していくようなシンセサイザーがゆっくりと走る。息を凝らしつつ、画面に映し出される六角形の太陽をじっと見つめていると、中から白い煙が立ち上がり、その煙は徐々に炎へと変化した。
今作のタイトルである『Inferno』とは英語およびイタリア語で「業火」、「炎に包まれた大混乱」や「生き地獄」を指す単語である。これまでの彼らの作品群は、一貫して熱を帯びているイメージがある。とはいえその温度は「太陽」や「桃源郷」のような、どちらかというとポジティブなニュアンスを感じてきた。一体どんな「業火」が待っているんだろう…。という想像をしながら身を委ねた。
退廃的かつ厳かな音像に、気怠いローファイなビートがスローに刻まれていく。ドーンとボディに響く極上の低音は、まるで激しく燃え盛る炎に心身がずるずると引き摺り込まれていくような感覚だった。蜘蛛の巣だらけの廃れた教会にいるかのようなおどろおどろしさと、どこか懐かしさのあるドリーミーなメロディーに妖気と心地良さを感じながら、気づけば開始3分ほどでしっかりとのめり込んでしまった。
時折流れるメランコリックで情緒的な旋律や、各所に散りばめられている不気味な処理を施された音声のカッティングから、Boards Of Canadaならではの有機的側面も感じられ、美しくアンニュイな空気が内包されている気がした。そうそうこの感じ!と心の中で独り言。
前半で特に印象的だったのは、ぎゅるぎゅるとテープを逆再生したような不穏な音。さらに重なるスローなピアノとシンセサイザーは、ある瞬間を引き伸ばし、歪んだ時空にタイムトラベルしているようだった。と同時に、伸び切ったカセットテープを無理やり機械に取り込み、ぎこちなく再生しているような古ぼけた印象も抱いた。
本作には、おとぎ話のような幻想的展開もあれば、煙たい霧の中に潜むゴーストのようなスリリングな一面もあり、アルバムを通して非常に多様な表情を持っているように感じた。その移り変わりは、サイコロジカルなカルト映画や、心理ホラー映画を観ているのかと思うほど。しかしながら、音の変化は決して唐突なものではなく、オーガニックな雰囲気は常に纏いつつじわじわと変貌していく。シューゲイザーやドリームポップのようなサウンドの中に、あらゆるジャンルが垣間見えたところも、本作の魅力だと思った。その美しい移ろいにかなり心奪われたので、聴く際はぜひ通しで聴いて欲しい。
アルバムの中盤では、切れ味のあるベースがダブステップのようなテンポで始まる曲もあった。昔のビデオテープから採取したであろう不気味な音声の破片が、そのビートと重なると、、あれ?これはもはやラップか?不思議とヒップホップのようなグルーヴが生まれていたのも発見だった。こうした観点からも、彼らの作る音楽を、気安くアンビエントやIDMとして括ることはできないと感じさせられた。
作品が進んでいくにつれ、徐々にオリエンタルな精神世界へと深く誘われた。パーカッシブなリズムの中、賢者のつるぎをシュッとかざすような音が、脳内の情景を強烈に切り開いていき、自分がはるか昔の寺院にいる気がした。抽象的なサウンドスケープにより妄想が捗って仕方ない。
後半、ロックを思わせるギターリフが鮮やかに鳴り響くと、ここが「Inferno」=燃え盛る炎の只中であることを思い出した。
あらゆる文明が崩壊し、無法地帯と化した世紀末…。絶望感と悲しみの中に、懐かしい友人、家族との楽しかった思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡る、そんな混沌とした感情にさせられてしまった。一方で、全編を通して孕んでいる圧倒的な美しさには、既存の価値観が崩壊していく中で生じる「どうせ終わるなら今を楽しもう」という刹那的な快楽も感じた。
燃え滾る炎がゆっくりと鎮まり、アルバムが終盤に差し掛かる段階では、会場の緊張感が少しずつ緩まっていくのを肌で感じた。
さて、現実世界へと戻る心の準備。このタイミングで我に返り、約70分にわたるリスニングセッションを通し、彼らの世界観に完全に没頭していたことを実感した。
普遍的なモチーフを通し、聴き手の想像力を掻き立てるモーション
今回のリスニングセッションでは、大半の時間に炎の映像が流れていたのも印象的だった。延々と流れる炎のモーションに、途中気が狂いそうにもなったが、曲の音調によって炎への捉え方が変わっていくことに気がつき、段々と面白くなっていった。それは時として、柔和で優しく身を暖める暖炉にも、夢を追いかけ情熱に溢れる闘志にも、悪業の報いとして地獄で罪人を焼き苦しめる猛火にも見えた。
火という物質が持つ普遍性は圧倒的だ…。

この映像を通して、彼らが魅せたい音楽は時代や人種を超えて存在する普遍性、つまり美しさと感情を決して失わないものであると強く思わされた。
終盤では、炎をバックに幼少期のホームビデオや擦り切れたフィルムカメラのような映像も流れた。ほんの数十秒だけ。ちょうど、走馬灯みたいなアルバムだなあ。と思っていた時、過去をフラッシュバックするかのようにふと画面に現れたので、ついに彼らに心を見透かされたような気がして結構驚いてしまった。そして、炎以外の映像はこのビデオのみであったことから、作品を通して私が抱いた「タイムトラベル」や「走馬灯」のようなキーワードはあながち間違っていなかったのではないかと思い、彼らの内面を伺い知れたような嬉しさもあった。
彼らはアートワークにも並々ならぬこだわりがあると聞くため、長尺の炎の中に短いホームビデオを織り交ぜるという行為そのものにも、アルバムを通して伝えていきたいメッセージが込められているに違いないと思った。これは果たして走馬灯なのか、はたまた業火で燃えてしまったアルバムなのか、彼らの中での正解はわからないが…。また、ホームビデオ内の登場人物の顔部分には、全て薄く曇りがかっており「誰もが思い浮かべる思い出の一部」という普遍性を表しているかな、とも考察できた。

本作は、全編を通して、これまでの彼らにはなかった闇的な要素が色濃く現れていたように感じた。実際、公式のバイオグラフィーには「今この地球上を支配しようとしている悪役の存在を明確に意識した作品である」とも記載されている。それは、デジタル化が加速し、思考を制限してしまいかねない新世界へのアラートでもあるようにも、また政治的なエゴに対する反骨心とも捉えることができた。メンバーであるサンディソンとイオンは「もし僕たちがすべての曲とその意味を説明したら…多くの人にとって台無しになってしまうだろう。それはまるで濁ったグラスの底を通して何かを見ているようなもので、それがこの音楽の美しさなんだ」と話している。本作で彼らが伝えたいことについて、明確に詳細が分かることはないと思う。ただ、アルバムを通して聴くことで、彼らが宿した魂がきっと見えてくるはず。会場にいた私も、気がつけば1曲ずつ追うことを忘れていた。
Boards Of Canadaの楽曲は、聴く人の妄想力、想像力が大切なように思う。彼らは作品の意図や背景について多く語ることはないが、アートワーク、曲名、セットリスト、その全てに必ず深い意味が込められている。
捉え所のない抽象的なトラックを堪能し、秘められた信念について思いを馳せてみて欲しい。そして、彼らの描く鬱蒼とした終末観を体感するためにも、なるべく暗がりで、できれば焚き火を見ながら聴くことをおすすめしたい!

Text by michika
Photo by Kaoru Goto
RELEASE INFORMATION

Inferno
Boards of Canada
RELEASE: 2026.05.29
LABELS: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
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01. Introit
02. Prophecy At 1420 MHz
03. Hydrogen Helium Lithium Leviathan
04. Age Of Capricorn
05. Father And Son
06. Somewhere Right Now In The Future
07. Naraka
08. Acts Of Magic
09. Memory Death
10. The Word Becomes Flesh
11. Into The Magic Land
12. Blood In The Labyrinth
13. Deep Time
14. All Reason Departs
15. Arena Americanada
16. The Process
17. You Retreat In Time And Space
18. I Saw Through Platonia
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滅多に取材を受けず、写真すらほとんど出回っていないボーズ・オブ・カナダのカルト的な人気は、パブリック・イメージではなく、聴き手の内面に鮮明な情景を呼び起こす稀有な力によってもたらされている。彼らの色褪せたようなシンセサイザーと歪んだサンプルは、レコードやテープといった記録媒体が時を経るにつれて帯びていく風合い、そして時間の流れが私たち自身の記憶や大切な思い出を少しずつ変化させていく感覚を思い起こさせる。
スコットランド出身の兄弟、マイケル・サンディソンとマーカス・イオンは、同じ〈Warp Records〉に所属するエイフェックス・ツインやオウテカと並び語られることが多いが、その音楽性はむしろコクトー・ツインズやレディオヘッドに通じるものがある。独創的なビートを生み出しながらも、彼らは自らの作品をダンスミュージックとして位置づけておらず、メロディーや空気感、感情の機微を重視してきた。牧歌的で哀愁を帯び、ときに不穏さを孕んだボーズ・オブ・カナダの音楽は、ゆるやかに揺らめく美しい旋律が大きな魅力だ。
80年代初頭、幼少期にテープレコーダーを使った実験から始まった彼らの音楽活動は、90年代を通じて徐々に独自のサウンドを確立していった。子供たちの声のサンプルや、野生動物や風景への言及を織り込んだ画期的なアルバム『Music Has The Right to Children』(1998年)によって、その世界観はひとつの完成形を迎える。続く『Geogaddi』(2002年)や『The Campfire Headphase』(2005年)では、不穏さと静けさが交錯するサウンドがさらに深められていった。
そして今、前作『Tomorrow’s Harvest』から13年の時を経て、ボーズ・オブ・カナダはニューアルバム『Inferno』で新たな音の地平を切り開く。じわじわと暗さを増していくリズムと、不安を掻き立てる声の層を通して、まるで濁ったプリズム越しに狂気に満ちた世界を映し出すかのように。