アイリッシュウイスキーのジェムソンは、アメリカ発のワークウェアブランドであるディッキーズとのグローバルコラボレーションにより、限定デザインボトル『ジェムソン Dickies リミテッド』を9月4日より日本市場で数量限定発売。それを記念し、今の東京のスケートシーンを総合的に体感できるスケートイベント<Tokyo Skate Plaza by Jameson & Dickies>が9月22日に国立競技場・大型駐車場で開催、総勢220人の来場者とともに大きな盛り上がりを見せた。
スケーターに愛され、スケーターをサポートし続けるディッキーズとのコラボレーションを記念した本イベント。中田海斗や森中一誠、榊原佳耶をはじめとした男女のプロスケーターやストリートスケーターたち総勢10名によるスケートコンペが開催され、それぞれに個性ある滑りを披露。会場を最も湧かせ優勝した池田大亮には、賞品としてジェムソン1年分が授与された。
また、スケートボードの廃材で作る作品が世界的な人気を博しているアーティストのHaroshiや“YOPPI”こと江川芳文、プロスケーターの小島優斗が参加したトークセッションでは、オリンピック種目になり競技としての盛り上がりを見せている一方で、スケートパークでしか滑ることができない風潮が強い今の東京のスケートシーンに対する熱い議論が繰り広げられた。
その他、「滑る人だけでなく、見てくれる人がいるから楽しい。例えばジェムソンを飲みながら、1年間とりためたスケートビデオを観る“ジェムソンオブ・ザ・イヤー”みたいな会を定期的にやってもらいたい」などの声も。ジェムソン ソーダを飲みながらのリラックスした雰囲気もあり、普段あまり話すことのないそれぞれの意見が交わされた。
厳しい上下関係がある部活とは違い、スケートボードは自由なのがよかったですね。今はコンペとして注目されることが多いですが、それによってそれとは対極のスタイルのものも出てくるものだと思うので、刺激があっていいと思います。街の中のスケートプラザとしては、大阪の三角公園は世界的に見ても貴重な場所だと思います。色んなジャンルの人がいて、スケートボードをすることも許されていたりもする。あらゆる人達を受け入れてくれる懐の深さのある場所ですね。アメリカではプッシュをしていたら、おじいちゃんが「お前はトニー・ホークか」と話しかけてきたりするので、国民がみんな知っているくらいの有名なスケーターが日本でも増えることでイメージも変わっていくと思います
Haroshi
14歳で出会って以来、国を超えて様々な場所へ連れて行ってくれたのがスケートボードです。スケートボードがなければ全く違う人生になってしまっていたと思います。スケートプラザというものを知ったのは10年ほど前で、なかなか日本では浸透していない考え方ですが、スケーター以外の人たちも場を共有して、色々な人と繋がれる空間としてヨーロッパなどではよく知られています。ダンサーがいたり、絵を描いている人がいたり、コミュニティが繋がる場です。また、バルセロナにはスケーターを中心に2-30年盛り上がっているエリアがあったりもします。スケートボードは上手い下手じゃなくて、どれだけ好きか。年齢国籍問わず、世界中のみんなと繋がれるツール。大人の遊びでもあるので、年上の人がやっているのを見ると僕もモチベーションが上がりますね。
小島優斗
15歳くらいからスケートボードをやっていて、渋谷の宮下公園や東京駅の周りでよく滑っていました。90年代はスケボーをしている人も少なく、ボードを持って電車に乗るのも嫌がられるくらい異端児でした。でも今は、カルチャーとしての面白さに惹かれる人も多いので、“うまくはないけどスケートボードが好き”という人がたくさんいて、それがとてもいいと思っています。かつて秋葉原の駅前にいいスケートスポットがあって日本中のスケーターが集まっていましたが、電車でも車でも行きやすい場所は活性化しやすくて、街にとってもいいのではと思います。
江川“YOPPI”芳文