カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(以下、CCC)と東急不動産株式会社(以下、東急不動産)が渋谷を中心とした「まちづくり協定」の締結を発表。その一環となるプロジェクト<Might Be Classics #1《菅野歩美個展「明日のハロウィン都市/ Halloween Cities of To-Morrow」》>が渋谷・SACSにて開催された。今回Qeticでは、菅野と文筆家である大石始による「祭りと夜」をテーマにしたトークとともに、<Might Be Classics>第一弾を振り返る。

<Might Be Classics #1
《菅野歩美個展「明日のハロウィン都市/ Halloween Cities of To-Morrow」》>

生きているのか死んでいるのか。人間なのかゴーストなのか。得体の知れない物影が、トロピカルカラーの水面を彷徨う。「SHIBUYA109」を臨むスクランブル交差点には火が焚かれた軽トラが横転し、なにかを祝うように人々が集い踊る。定期的に呼吸・給水・排水運動を続ける巨大植物の群生は浸水する街の地下深くまでを根で覆い尽くし、地面そのものが脈打つように蠢いている。道路上では人々の行動を規制するはずの警察の規制線が流れるように漂流し、世界的パンデミックに覆われた2020年以降、海辺に戻ってきたべネチアのクラゲが迷い込み、ブラウン管のモニターの中を浮遊する。

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――かつてここは沼だった。陸地が形成されてからも、闇市などが集まる混沌とした場所であった。現在の都市開発において無秩序は積極的に排除される。開発において邪魔になる都市の無秩序は、その土地に経済的利益を生まない存在であり、妖怪に例えることもできる。「渋谷ハロウィン」もそのひとつだ。渋谷ハロウィンは2015年頃から爆発的に人が集まるようになった。その混沌さは、祭りが発生していく過程そのものだ。長い年月を経て、このような祭りが変化を繰り返しながらも伝承されていったとしたら、どんな街が現れるのだろうか。本展は「ハロウィンが伝承と化した未来の渋谷」を、スクランブル交差点にある未来の定点カメラから覗き見る、というテーマのもと構成される。(Statementより)

「再開発」とはなんなのか? 渾沌とした隙間、秩序なき場所は排除され、整然とした矩形、フラットな幾何学図形に整えられるように再開発が進む今日、かつて渋谷の代名詞でもあったカオスなストリートは失われつつある。無味乾燥とも形容できる再開発の先に、どんな未来が描けるのだろうか。本レポートではフォークロア(民族、民間伝承)をもとに渋谷の地形、風土、歴史を遡るようにリサーチを行い、自然発生したハロウィンと祭りの関係を紐解くアーティスト・菅野歩美の作品とともに、作者と大石始のトークをもとに考察する。

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「排水」を引き受ける。
田園都市・渋谷のTo-morrow(夜明け)

「東急不動産」の前身が「田園都市株式会社」という名前であることはあまり知られていないかもしれない。展覧会名「明日のハロウィン都市」はイギリスの都市計画家、エベネザー・ハワードによる名著『明日の田園都市(原題:Garden Cities of To-morrow)』のタイトルから着想されたものだ。仮設地帯が囲いで覆われた渋谷駅西口の歩道橋を望むガラス越し。展示空間の中央に配置されたスクリーン上で、「田園都市」と逆行するように進められる「再開発」への問いとして、未来の「To-Morrow(夜明け)」を暗示するように映像が再生されている。

大石始「宗教史学者・文化人類学者でもある中沢新一さんによる『アースダイバー』(講談社、2005年)でもふれられていますが、もともとスクランブル交差点は水が溜まる沼地でした。宮益坂と道玄坂には墓地があり、谷を見下ろす形で死者が眠っていた。100年後の未来を覗き見るようなこの作品をみたとき、描かれているのはかつて水浸しだった渋谷でもあり、過去と未来、死者と生者が交わる複数のベクトルの物語が織り込まれているなと」

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今回再開発の歴史をリサーチすることから制作された菅野の作品では「かつて沼だった」渋谷が、近未来において「都市の『排水』を引き受ける土地となった」ストーリーが展開される。現代では地方や郊外と呼ばれる都市の中心部から遠ざけられた土地に配置されてきた排水施設。経済活動の上下構造の中でもハイクラスの人類の生活が優先され、それらの裏側を補う隠された処分場として渋谷が選ばれたのなら。

菅野歩美「作中では海面上昇により渋谷の街が水に浸かっています。人間中心の計画からではなく抗うことのできない自然の力によって大きく変容させられたとしたら、やっと渋谷って良い感じになるのではないかなと。スラムでありディストピアだけれどそんな希望をこめた風景を描こうと思いました」

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焚き上げられる軽トラ。
祭りの発生と渋谷ハロウィン。

会場には、建築の着工を記念して据えられる礎石を模したオブジェクトとして、ハロウィン都市の「定礎石」も展示された。そもそも「渋谷ハロウィン」はどのように始まったのか。たとえば特定の主催者ありきで驚異的な盛り上がりを見せた昭和初期の「東京音頭」と比較すると、2015年に突発的に立ち現れた「渋谷ハロウィン」は幕末の「ええじゃないか」(江戸時代末期・慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した民衆運動)や京都の「永長の大田楽」(嘉保3年(1096年)の夏に京都で発生した田楽の流行)といった現象同様、主催者がおらず特定の誰かにより意図されたものではない。会場では近未来的で非現実的な世界が立ち現れるなか、映像を制作するためのスケッチの段階から現実味を持って、ひときわ異彩を放つのが横転し炎の上がる「軽トラ(らしき存在)」だ。近くでは生きているのか死んでいるのか不明瞭な人々が集い、なにかを奉るようにお焚き上げが行われる。一見野蛮とも取れるその光景は、一方で「祭り」の発生を紐解くヒントにもつながる。

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大石始「能登半島の『あばれ祭』は実際に御神輿を倒したり壊したり燃やしたりする。神社の神様がスサノオノミコトなのですが、暴れれば暴れるほど喜ぶといわれているんです。この作品で描かれる渋谷の街は死者と生者の交差点になっているわけですが、『盆踊り』もこの世とあの世の間を繋ぎ、お盆のときに帰ってくるご先祖様と場を共有するものだった。菅野さんの作品は渋谷ハロウィンという一見宗教性のないものをテーマにしながら、実は祭りの根源ともいえる宗教的、信仰的なものに向かっているのが面白いなと。『火』は燃やすものでもあるけれど、石や木などと同様、神様が降りてくるための目印、なにかを示したり導く『依代(よりしろ)』にもなっている」

菅野歩美「渋谷ハロウィン自体は宗教的なものではありませんが、『ハロウィン』そのものはケルト民族の宗教的儀式。お盆のように死者と生者の間の門が開かれる場所で、たくさんの亡霊が訪れる祭りだったんですね。その中でも悪い霊を家に入れないために火を焚いてそれぞれの家の釜戸に入れるという儀式があった。数年前に渋谷ハロウィンでも軽トラが横転したという事件がありましたよね。それってとても祭りの発生の形に近いのではないかなと。勢いで偶然倒されてしまったという行いが、月日を重ねても続けられて形だけ継承されていったとしたら、そういった儀式が生まれるのだろうなと。もはやこの映像作品中に出てきている時代の人たちは、軽トラを『軽トラ』として認識していないかもしれない。“なんの造形物かはわからないけれど、昔からこの形のものを横転させて燃やすということが縁起がいいらしい”と語り継いでいるような……」

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モン・サン・ミッシェルのように。
引き潮の時だけ現れる「広場」の発見から。

しかし人々はなぜ「渋谷ハロウィン」に熱狂するのか。主催者不在、コンセプト不在、利益なしという集いの形は他に類を見ない。そして警察が出動するほどの大掛かりな規模感でありながら、コロナ禍を経ても尚、現象として途絶えることなく続いている現代社会において稀有な存在。ここに再開発の渦中にある「渋谷」で失ってはいけない何かしらのヒントがあるのかもしれない。

大石始「地理的な特徴に意識を向けると、JR線や井の頭線、東急電鉄、東京メトロが交わり、駅に通じる主要な通りが集合する合流地点。FIFAW杯で日本代表が勝ったとき、『ただハイタッチをしながらすれ違う』という現象が起きた地点でもあることを考えると、『渋谷ハロウィン』は場ではなかった場所に『広場』を見出しているとも捉えられます。尚且つスクランブル交差点は信号もあるので、24時間の広場なのではなく、『信号が青の時だけ出現する広場』というところにもモン・サン・ミッシェルのような尊さがあるのかもしれません。東京にも『広場』があったという無意識の発見からあそこに引き寄せられるように集まるようになったのかなと。お祭りや行事だと、これは◯◯の神様を祀っているものという理由やコンセプトがあるわけですが、戦後になって新たに付け足されたものが多い。『渋谷ハロウィン』もなにかの神の儀式とか、死者の供養のお祭りなんだと理由をつけて、“これは単なるどんちゃん騒ぎではなく供養や奉納の儀式なんだ”と言い出したらいいのではないかという気もします」

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菅野歩美「たとえば現代において無形文化財で守られているお祭りって、男女の役割がはっきりしているものが多いんですよね。地元の八王子で幼少期に参加していた『龍頭の舞』も女性は小学五年生だけが花の役割のみ参加することができ、男性はその土地で生まれ育っている長男かつ成人男性だけが龍の役を担う。元を辿れば形を変えながら今の形に継承されてきたはずのものが、守るといいながら凍結し変化できない形にされてしまっている。続けるためには変化しなくてはいけないはずなのに、固めていることに違和感を感じます。『渋谷ハロウィン』も続けることに意識的になったら、なにかしらのルールを決めたりして今のままではない形に変化していくと思うんです。けれどそうなったら今も守られることで続いている祭りと渋谷ハロウィンの境目はなんなんだろうと。伝統的な祭りもフレキシブルなものに変えていける可能性はあるんじゃないかと思います」

「永長の大田楽」は古代から中世に、「ええじゃないか」は近代から近世に、「東京音頭」は昭和恐慌から戦争が近づく中で社会不安が溜まっていた時期に。一つの時代が限界を迎え、次なる時代へのはじまりを知らせるように、カオスな盛り上がりに火がついてきたという。では「渋谷ハロウィン」が示すのはどのような時代の移り変わりなのだろうか。そしてどのような社会的心情の裏返しなのだろうか。いずれ「伝承」となり歴史に刻まれることがあるのかもしれない現在の営みを、私たちはどのように語り継いでいくことができるのだろうか。街の開発者でもなければ預言者でもない自身は一人の筆者としての立場でしか言葉を連ねることができないが、変化することが自然の摂理であるならば、なにを留めなにを受け容れ、なにを受け容れないのか。忘れてはいけないものは。文化を成立させる条件とはなんなのか。再開発は未だ序章に過ぎない。失われるものがあり形作られるものがあるとき、それでも尚この土地に立ち現れるものはなんなのか。2023年、現在進行形で再開発の進む現在の渋谷の風景を脳裏に焼き付けながら、過去を知り考察すること、現在地点の目撃者として考察すべきことは多いように思う。

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PROFILE

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菅野歩美

1994年東京生まれ、東京藝術大学大学院博士後期課程在籍中。どこの土地にも存在する、土地にまつわるフォークロアがなぜ人々によって紡がれてきたのか、その背後にある歴史や個人の感情を考えながら映像インスタレーションを制作している。主な展覧会に『Study:大阪関西国際芸術祭「無人のアーク」』(うめきたSHIPホール、大阪、2023)、『GEMINI Laboratory Exhibition: デバッグの情景』(ANB Tokyo、東京、2022)、『News From Atopia / アトピアだより』(コートヤードHiroo、東京、2022)など。

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大石始

文筆家。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。主な著書・編著書に『盆踊りの戦後史』『奥東京人に会いに行く』『ニッポンのマツリズム』『ニッポン大音頭時代』『大韓ロック探訪記』など。最新刊は2022年11月の『南洋のソングライン 幻の屋久島古謡を追って』(キルティブックス)

EVENT INFORMATION

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Might Be Classics #1
明日のハロウィン都市 / Halloween Cities of To-Morrow

2023年6月18日(日)~7月9日(日)
時間|12:00~20:00
会場:SACS(東京都渋谷区桜丘町16−12 桜丘フロントビル 1階)
入場:無料
主催:東急不動産株式会社
企画制作:CCCアートラボ
会場構成・設営:小泉立(週末スタジオ)
リサーチャー:古川智彬
楽曲提供:Pixel Prism(Secret Track Records)
宣伝美術:PRETEND
機材協力:エプソン販売株式会社

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