没入型音楽イベント<by this river>が10月19日(土)から20日(日)にかけてオールナイトで開催された。場所は神奈川県相模原市・藤野に位置するオートキャンプ場の「DAICHI silent river」。Qeticでは開催にあたって中心メンバーの松永拓馬Miru Shinodaにも話を聞いてきた。「音楽と自然の美しさを共にする川辺の一夜」をテーマとした一夜の模様を、現地を訪れた3名のレポートを通してお届けする。

REPORT
by this river

Takuma Matsunaga with Miru Shinoda – 森 : LIVE at “by this river”

八木皓平

走行距離10万kmに達しようとしているクリーム色のダイハツ・エッセに乗って開催場所に向かったが、東京湾アクアラインでの渋滞に巻き込まれたのは誤算だった。スムーズにいけば90分かからない道のりを180分くらいかかっただろうか。運転をはじめたのは、たしか18時くらいのことだったと思う。遅々として進まない渋滞にイラつきながら、スピーカーから流れるラジオに身を任せていたところ、NHK-FM『ザ・ソウル・ミュージックII 村上てつやのSoul Scramble』が流れていたので耳を傾けた。フランキー・ビヴァリーの追悼特集をやっていて、音楽ライターの林剛と村上てつやが、フランキー・ビヴァリーやメイズについて語っており、そこで流れた「You」のライヴ・バージョンは骨太で粘りのあるグルーヴィーな演奏がじつに素晴らしい。フランキー・ビヴァリーの歌声も見事で、メイズの魅力を改めて痛感し、番組が終わるころには渋滞も解消されていた。

これからエレクトロニック・ミュージック系のイベントに向かっているにも関わらずソウル・ミュージックに酔いしれていることに多少の罪悪感を覚えたので、残りの道中では<by this river>出演者の音源を流しながら運転することに。山の中腹あたりにある会場付近の駐車スペースに車を止め、駐車場から会場まで連絡バスに乗って、現地に到着。少し雨が降っていた。ライヴ・スペースやフード売り場、トイレの位置を把握するために、とりあえず会場内を歩き回った。カップルや友人たちで来ている人が多く、一人で来ている人間はあまりいないようだ。

ライヴ・スペースでは堀池ゆめぁがパフォーマンスをしていたが、その時は会場の雰囲気を楽しんでいたので、音楽を集中的に聴いてはいなかった。たぶん、ぼくのような人間は多かったと思う。流れる音楽をBGMに友人と話したり、焚火を見つめたり、川のほとりで遊んでいる人たちもいる。それぞれが思い思いの過ごし方をしていて、とてもフリーダムな雰囲気があり、心地よく弛緩した空気が流れている。「今、ここを楽しもう!」という力んだムードもなく、音楽と環境の絡み合いをリラックスしながら体験することができた。

エリック・サティ『家具の音楽』は、意識的に聴かれることのない音楽を想定して作曲されていたにもかかわらず、当時上演した際、観客がみな集中して演奏を聴いていたため、エリック・サティが怒ったという嘘かホントかわからないエピソードがあるが、彼が想定したのは、『by this river』のような音楽の在り方だったのかもしれない。『家具の音楽』が、ブライアン・イーノが提唱したアンビエント・ミュージックのルーツにあるというのも、そう考えると、より納得がいく。

会場では小雨が降っていたが、レインコートを準備していたこともあり、困らなかった。むしろパラつく小雨が木々の葉に当たる音の響きは野外ならではの味わいで、好感が持てる。川で水が流れる音と山で木々の葉が触れ合う音、雨音が良い感じにハモっていて、大自然に浸る楽しみがあった。夕飯も食べずに3時間車に揺られていたので、さすがに空腹だったから、『繁邦』でホットドッグを買って食べることに。とても美味だったので、この時点で、すでにけっこうな多幸感に満たされていたのだが、そろそろ腰を落ち着けたいと思い、折りたたみ椅子を持ちながらウロウロしていたら、ライヴ・スペースの端のほうに空いているスペースがあったので、そこに腰を落ち着けた。会場内の散歩や、溜まっていたメールの処理や音楽関連の記事のチェックなど、心地よい自然とBGMに体を預けながら色々やっているうちに、時間は経過していく。

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ライヴ・スペース前に立ち、まともに音楽と向き合いはじめたのはMiru Shinodaからなのだが、個人的にはこの夜のハイライトがここだ。前半は照明が最小限で、ハードコアなダーク・アンビエントを鳴らしており、そのストイックなサウンドが真夜中の会場の雰囲気に合っていた。インダストリアルなアンビエントの抽象性に反復的なビートが差し込まれる瞬間もあり、そのバランスが絶妙で飽きさせない。後半ではアップリフトなビート・ミュージックとしての側面も現れ、照明もバキバキになりダンサブルなサウンドに。気づいたら周囲に人だかりができていて、みんな体をゆすっていた。Miru Shinodaに対してはyahyelの一員という印象が大きく、彼自身がどんな音楽を鳴らすのかはわかっていなかったが、2000年代における電子音響~エレクトロニカや2010年代周辺のインダストリアル・テクノ的なものを踏まえつつ、独自の路線を模索している様子に感銘を受けた。

良い音楽を聴いて、すっかり気分が良くなった一方で、夜中の1時近くになるとさすがに冷え込んできた。防寒着は一応持ってきてはいたが、前日が暖かったため油断して、持ってきたのは薄手のパーカーのみ。明らかに防寒対策が足りなかった。とはいえサウナへ行く準備もしてなかったので、焚火にあたり、暖をとった。そうこうしているうちに、次のKomatsu Kazumichiがはじまりそうだったので、ライヴ・スペースに急いで戻ることに。このパフォーマンスにも非常に満足。彼のシンセ・サウンドがぼくの性癖にズバズバ刺さってきたのは、音色の好みがバッチリ合っていたことが大きいだろう。基本的には終始、フリー・フォームなエレクトロニック・ミュージックで、あまり構造を意識させない、アンビエント的なサウンド設計だ。ビートやリズムも顔を覗かせることはあったものの、全体の印象としては新作『Computer Music』のサウンドカラーとはまた違った、クセナキス的な意味での「音の雲」が確かな存在感で横たわり続けるような、様々な音色やレイヤーから構成される音の塊の存在を感じずにはいられなかった。

2時を回った頃だろうか、3時間のドライヴのせいか、すこしばかり体の疲労を感じたので、折りたたみ椅子に座りながら、jan and naomiを聴いた。引き出しの多いギター、太いシンセベースやセンチメンタルな鍵盤、棚引くストリングス、囁くようなヴォーカルを、うとうとしながら耳にしていた。すべてが的確に配置されていたその音楽は、ミニマルな構成ながらとてもリッチな音楽として、広がりをもって伝わる。その夜、最も美しい音楽だったと思う。

たしか市川タツキさんにお会いしたのは、Mikael Lindのパフォーマンスがはじまって、間もなくだったと思う。アイスランドの音楽家である彼の音楽は、エレクトロニック・ミュージックをベースにしつつ、鍵盤の響きが顕著で、ポストクラシカル的な香りも漂わせたものだ。ストリングスのような質感のシンセサイザーがもたらす、柔らかでどこかアコースティックにも響くデジタル・サウンドを耳にしながら、市川さんととりとめもない話をしていた。アイスランドの自然と藤野の自然が共鳴し合う不思議なバランス感覚の中で会話は弾む。

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川のほとりで行われたRinna Shimizu & Seiichiro Itoのパフォーマンスを遠目に見ていると、夜が少しずつ更けてゆく。ぼくはその日の夜にも用事があったので、松永拓馬のライヴがはじまって、少しずつ会場に朝の気配が漂ってきたところで早々にその場を離れた。だから、ぼくは<by this river>についてはほとんど夜の顔しか知らない。日の光に照らされた「DAICHI silent river」の自然も目にしたかったが、それはかなわなかった。

駐車場ですこし仮眠をとった後、またダイハツ・エッセを走らせて、今度は渋滞に遭遇することもなく、90分ほどで家に着いた。家に着いて部屋に入ったとき、はじめて自分の服やカバンに焚火の薫りが沁みついていることに気づく。それらの服を他の服と一緒に洗濯したが、それが愚行だったことに気づいたのは、洗濯が終わって、それらを取り出した直後のことだった。匂いは残り続け、他の服に移っていたのだ。燻製されて帰ってきたことは、このイベントの唯一のデメリットだったが、しばらくは部屋にこびりついていたその薫りを嗅ぐごとにイベントのことを思いだしていた。

ぼくはふだん、イヤホンやヘッドフォンで音楽を集中して聴くことがほとんどであり、スピーカーで聴くことは少ない。また、地方に住んでいることもあり、ライヴもあまり行くことがない。だから、音楽を聴くことは基本的に個人的で、孤独な体験だ。ただ、今回のイベントは道中を含めて、自分がある音楽をチョイスして再生ボタンを押すことはほぼなく、他人が選曲/演奏した音楽が、車やバイクの走行音、自然の音、人の話し声などとともに存在していた。マリー・シェーファーが提唱する「サウンドスケープ」という概念は、自身をとりまく音環境に意識的に耳を澄ませる行為を含む、ジョン・ケージ『4分33秒』以降のものだが、ぼくにとって今回のイベントはそのような体験を自然におこなうものだったと思う。あらゆる音と音楽が環境の一部であり、すべてが溶け合うような体験がずっと続いていて、それは自分と他者が優しく交わり続ける一日だった。純然たる非日常がそこにはあった。

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市川タツキ

会場であるオートキャンプ場「DAICHI silent river」に着いたのは0時前ごろ。ちょうどメインステージは場面転換中だった。

最寄りの藤野駅から、イベントが用意した送迎用のシャトルバスに乗って約30分、暗い山道を奥の方に抜けていくとその会場に辿り着く。東京のクラブのパーティーばかりに繰り出している人間にとって、新鮮な暗さと静けさと言えるかもしれないが、同時に、藤野からそう遠くない場所の出身者である私にとっては、こういった山中の景色は懐かしさを感じるものでもあった。当日も実家に荷物を置き、山奥のキャンプ場に向かうとはとても思えないような、荷物無し、手ぶらの状態でイベントに向かった。

場面転換中のメインステージの周りを軽く歩きながら会場の雰囲気を確認する(内心、家もそんなに遠くないのだから座れるものぐらい用意してくればよかったと薄々思いながら)。この空間で音楽が鳴ることを想像し、純粋にワクワクする。そこが普段行くようなナイトクラブの密閉された音空間ともまた違った、特別な場所であることを期待させる。

とりあえず、近くの売店で酒を手に入れ、川辺の焚き火スポットへ。会場を一通り回ってみると、各々が自由にその時間を過ごしている感じが確かにした。焚き火を囲むもの、タバコを吸いながら友人たちと談笑に耽るもの、河の近くに足を運んでみるもの。各場所に設置してあるスピーカーから音が微かに鳴り始め、再びメインステージへ向かった。

ステージでは、少し遅れてMiru Shinodaのライブパフォーマンスがスタート。レジャーシートやアウトドアチェアに座っていた人々も立ち上がり、ステージを囲む。炊かれる濃い煙と赤い照明の演出の中で鋭い電子音が観客を突き刺す。綿密なスモークやライティングの演出が、音のしなやかかつ劇的な展開に寄り添い、パフォーマンス全体の幻惑的な空間を作り上げている印象だ。後半、アーティストの姿も見えなくなるほどの煙が立ち込めた時、BPMは加速し、私も含めた観客をアクティブに踊らせる。

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こういったパフォーマンスでの展開の凝りかたは、音楽の時間芸術としての側面を意識させるもので、それはこのイベント全体においても、非常に重要なことであったと私は思う。つまり、大自然の野外で一晩を明かすことは、クラブの箱の中で踊り続けながら時間を忘れ、朝7時頃の明るい屋外に出て、そこで初めて時間の経過を意識するような、そういう感覚とは逆の、確かな時間感覚を体験できるものでもあった。

同時に、その移ろう時間の中で、メインステージという一つの場所に縛られることなく、会場の様々な場所を行き来して、各々が自由な時間を過ごすことができることも、このイベントの魅力だろう。音を直接浴びれるところから、より暗く静かな場所でも。この時なんとなく思い出していたのは、松永拓馬がインタビューで話していた「夜に外で向き合う体験ってなかなかない。夜に打ち勝つイメージがあるレイヴに対して、夜という時間に寄り添う」という発言や、Miru Shinodaの「移ろいを感じているだけで夜が終わる」という印象的な言葉だった。

続いての、Komatsu Kazumichiも同様の理由で、このイベントの移ろいを、時に苛烈に、時に叙情的に体現するものだった。光の点滅のような鋭い音の小刻みな振動から、こもったメロディがステージ前の人々を、温かみを持って包み込む時間まで、多くの場面を包括する、流動的なパフォーマンス。

次のステージへの場面転換中、せっかくであればもう少し自然に触れてみたいと思い、再び下り、川辺の方へ。岩場に腰を下ろし、自然の音に耳を澄ませながら星を眺める。寝落ちしてしまいそうな居心地の良さに、自然に囚われてしまいそうな重力すら感じた。しばらくすると、スピーカーから次の演者であるjan & naomiの演奏が聞こえてくるが、その場所からなかなか離れられない(正直にいうと、3杯目のアルコールで身体が気持ち良くもなっていた)。微かに聞こえる演奏をBGMにしばらくの間、ほとんど横になった状態で夜空を眺める。“溶けてしまいそうな感覚”とはよくある表現だが、この時私は確かにそう感じたし、それもこのイベントが提供する、唯一無二の時間であるのではないかとも思う。なぜなら、クラブでも音楽に溶けそうになる瞬間や場面はもちろん数多くあるが、ここでは音楽というよりも、それぞれが機能しあっているこの環境自体に溶けている、と言った方が正しいように感じるからだ。当然そこには、都会や街の喧騒の中では味わえない感覚が確かにある。

やっと腰を上げてステージを見に行った時には中盤。先ほどまでの、激しい展開を見せるスリリングな時間とは打って変わり、ほとんどの人々がステージを囲むようにして地面に体育座りをしながら、静けさのもとでライブに耳を澄ませていた。透き通るようなフォークミュージックを披露するjan and naomiは歌声を轟かせつつ、ヴァイオリンやキーボードなどの演奏を生で取り入れながらパフォーマンスしている。その光景は、観客の様子も含め、フォークが響く環境として非常に説得力を持つものだった。

続いてアイスランドのアンビエントアーティスト・Mikael Lindによる緩やかなパフォーマンスを挟み、次に来るRinna ShimizuとSeiichiro Itoによるパフォーミングアートへと繋がる。その場の多くの参加者たちと、川辺で燃え盛る炎の行く末をじっと見守ることも、ステージで音の展開を見つめている時と同様の、移ろう時間感覚を確かに感じた。夜空もだんだんと青く光ってくる。

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ちょうど朝に向けて日が登ってくるような、最も時間の変化を感じる場面に、松永拓馬のパフォーマンスが始まる。もちろん、今年のアルバム『Epoch』からの曲を披露。「July」の小刻みで煌びやかなビートが鳴っている時にはもうすでにあたりは明るくなっていた。フードを被って、時に台の上に乗っかったりもしながら、朝方とは思えないほど身軽に穏やかに、常に動き続け歌う彼の姿は、まるでラッパーのようでもある。

ところで、今回のイベントのプレスリリースに“night, nature, new hood music”という言葉があった。このイベントに対して“new hood music”という言葉は、例えば、ストリートの物語を捉える詩として、また社会に対してのコミュニティの音楽としてヒップホップが意味するところのフッドミュージックとは、また少し違ったもののようにも感じた。

私自身、似たような自然に囲まれた場所の出身ではあるのだが、こういった感覚は久々だった。つまり、私が地元にいた時に聞こえていた静けさ、虫の音、河の音、風に靡く木の音がここでも同様に鳴る一方で、それらの音のように、あたかもそこで当然のように鳴っている自然の音として、つまり環境音(アンビエント)として音楽がある。それは音楽が、この自然の一部になっているようにも確かに感じられた。ここが音楽自体のフッドであると思えるくらいに。

当然、ステージで柔軟に動きマイクパフォーマンスをする松永拓馬にとって、地元である藤野で音楽を鳴らすという意味は、このフッドミュージックという言葉に乗っているのだろう。その一方で、参加者自身も、まさに溶け合うようにこの自然の一部になるような、そんな体験を通して、それぞれの中にフッドを宿すという感覚も、このイベントにはあったのではないかと思う。それは、人々にとってのある種のセーフゾーンを作り出すことでもある。当然、街から離れた距離感、その長い道程もこの体験には必要だった。いつものように、箱を出ればすぐに街に放り出されて…ではない。そういった急激な場面転換ではなく、<by the river>を去った後は緩やかに、日常へとフェードインしていくはずだ。

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結論としては、一つの舞台の中で、さまざまな場所に興味を惹かれながら動き続け、見続け、聞き続けることのできる、手ぶらで参加したとしても困ることのない、充実したイベントだった。その日、そこから私は自らの地元へと帰路に着いたわけだが、そのまま直接東京のアパートに帰らずに済んで幸運だったと心の底から思った。この余韻はまだそこには持ち帰りたくない。忙しない社会から透明になる時間も私たちには必要だろう。もう少しだけ私はフッドの中にいた。

最込舜一

会場までのバスが出るJR藤野駅に着いたのは18時頃。列車から降りて駅のホームに立った瞬間、とんでもない所に来てしまったと全身で実感した。その冷気は濃密な暗闇に包まれた森林のイメージを呼び覚ました。自然と超自然の境目にある霊的な空間に誘われたような、迷い込んできてしまったような感覚を味わった。

<by this river>は藤野で開催されることに究極の意義があった。藤野以外だったら、会場となった「DAICHI silent river」以外だったら、そもそも開催する意味がない、と述べたのは松永拓馬だった。私はその意味を藤野駅に降り立った瞬間に理解した。

会場行きのバスに乗り込んでから到着までの山道は辛かった。それはそれはザ・山道なのだ。でも、そこで完膚なきまでに車酔いした分、会場の空気は一層おいしかった。

到着してから最初のアクトまでの間、持ってきた折りたたみ椅子に座りながら『繁邦』のホットドッグを食べたり、私の誘いに乗って会場へ来てくれた友人と数年ぶりに顔を合わせたり、翌朝に控えた宅建試験の勉強をしたりしていた。そう、このイベントは宅建試験と日程が被っていたのだ。カレンダーに遅れてリストインしたのは宅建の方だったので、私は筋を通して二兎追うことにした。

さて、正直に白状すれば、私は数時間後に迫った宅建試験の勉強をあまりにもサボり過ぎていたため、この日は川のほとりで椅子に座ってiPadで模試を解いたり解説動画を見たりすることに勤しんでいた。そんな私がこのイベントをレポートしていいのだろうか?という疑問が浮かぶが、結論から言うと全く問題がない。どれだけ自由に過ごしても(仮に大半の時間を寝過ごしてしまったとしても!)、あの場に居合わせただけでそう信じるに足るだけの懐の深さを持った一夜だったからだ。

私のような参加者にとって、各アーティスト間の転換を急がず無音の時間があることも許容するというスタンスのタイムテーブルは助かった。中国の電子音楽家GUZZのパフォーマンスが始まったのは19時30分だった。しとしと降りしきる雨に打たれながら清涼な電子音に身を委ねることで、身体がその場にチューニングされていく。堀池ゆめぁの弾き語りは青葉市子のような幽玄さを湛えた演奏で、会場で買った豚汁とともに音が沁みた。試験勉強をしながらとはいえ音楽も十分に楽しんだのだ。

朝4時頃から始まったRinna Shimizu & Seiichiro Itoのパフォーミングアートは、謎を残しつつも伝わるものがあった。リーダー格の堕天使のような男に引き連れられた数名の人物たちが卵の殻のようなものを石で時間をかけてザクザクと叩き割る様を眺め、高層ビルを模した木製の都市が燃やされてしまう様子を呆然と見つめる。「街」が焼かれているのをただただ見つめるのは、自己の世界への無力感を感じさせるものだった。

返り刃

そして日が顔を見せ始める時間帯に、松永拓馬のライブを見た。中でも「森」のパフォーマンスは夜明けの時間帯に重なっていたので、曲が進むにつれて目に見えて辺りが明るくなっていったのが奇跡的だった。そして彼の作る音楽のフィーリングは確かにこの藤野という土地のムードと共通していた。アーティストが作品を通して伝えたいことを一晩かけて文字通り五感で体感するのは、実に心震える体験だった。

そしてトリのTenniscoatsはブライアン・イーノ「by this river」の素晴らしいカバーを披露した。植野隆司のギターとさやのボーカルに加え、川のせせらぎと虫の鳴き声が合わさり、あの美しい旋律が自然の中で生きていた。帰りのバスに並んでいる間も近くのスピーカーから聴こえてきて、疲労のたまった身体を癒してくれた。なんて贅沢なひとときだったのだろうか。

Tenniscoats – By This River (Brian Eno Cover) : LIVE at “by this river”

ところで、私は藤野町の属する相模原市に生まれてからずっと住んでいる。同じ市という行政区分とはいっても、藤野町には行ったこともなければ、特に意識したこともなかった。そもそも藤野町は2007年に政令指定都市を目指す相模原市に編入された地域だ。それは行政の効率化を掲げた「平成の大合併」という流れに位置づけられるものだった。だからそれまでは物理的にも精神的にも、藤野は相模原の東寄りに住む私からは遠い場所だった。しかし、今はあの空間に置いてきた魂のようなものがあるような気がしている。帰宅後も数日間は衣服に染み付いていた焚火の燻製されたような残り香はその証拠であり、あの場からの贈り物だった。結局、宅建試験にはギリギリ落ちてしまったが(落ちたんかい!とツッコまれそうだ)、それでも確実に一兎は得た。

そういえば、私が松永とMiru Shinodaに初めて出会った『Epoch』に際してのインタビューで、彼らが熱く語っていた和ろうそくも欠かせない要素だった。彼らの自主プロジェクト「ecp」での即興演奏イベントでも置かれていたように、その「地球から生まれた火」は彼らにとって大きなインスピレーションとなったようだ。もちろん<by this river>当日も和ろうそくが川に浮かぶようにして煌々と光を放っていた。ゴツゴツした岩場を辿って光源に近づこうとしたら、少し足元を確認しようと俯いた一瞬の間に消えてしまっていた。8時間耐久で燃え続けるはずが、風に吹かれて消えてしまったようだった。でも、消える瞬間に遭遇したからこそ、大自然で燃え盛る激しい輝きとあっけないほどの儚さは神秘的に思えたし、消えた後の濃密な暗闇には圧倒された。そして視線を上に向けると、夜空が松永拓馬の『ちがうなにか』のアートワークと同じ色をしていて、あの明るいとも暗いとも形容しがたい微妙な灰色は本当に実在する色だったのかと心底驚いた。松永の言う「夜の空の色の変わり方って多分みんなあまり見たことないんじゃないかな」とはこのことだったのか、と思った。

朝方、日が昇って人々の顔がよく見えるようになったとき、僕は松永拓馬に話しかけた。その会話で最後に彼が放ったひとことはすでに次のステップを見据えており、そのため若干物寂しくもあり、同時にワクワクする言葉だった。「これでEpochはおわり!」

Text:八木皓平市川タツキ最込舜一
Photo:SAKI YAGI、Ryosuke Sato

INFORMATION

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by this river

会場:DAICHI silent river(神奈川県相模原市緑区牧野11455)
日時:10月19日(土)15:00〜10月20日(日)12:00
出演者:GUZZ、jan and naomi、Komatsu Kazumichi、Mikael Lind、Miru Shinoda、QOA、Rinna Shimizu、Seiichiro Ito、Tenniscoats、堀池ゆめぁ、松永拓馬
出店:土偶、 KAFE工船、繁邦
特別協賛:AUGER
空間演出・照明:遠藤治郎
音響:MASSIC inc.
デザイン: Atsushi Yamanaka
写真:Kenta Yamamoto
香設計:Ahare Space Project
制作協力:N.A.S.A. Creative
主催:by this river運営事務局

公式HPInstagram松永拓馬篠田ミル