近年の<FUJI ROCK FESTIVAL>(以下、フジロック)に足を運んでいる人なら、会場の空気が少しずつ変わってきていることを肌で感じているのではないだろうか。苗場の森に響く音楽は、もちろん今も欧米のロック、インディー、ダンス・ミュージック、ジャズ、ワールドミュージックなど、多様な音楽を内包している。しかし、その中で近年ひときわ存在感を増しているのが、アジア圏からの来場者とアーティストの存在だ。
2025年のフジロックでは、インバウンド販売数が全体の1割強を占め、そのうち約7割が中国、台湾、韓国、香港などアジア圏からの来場者だったという。さらに、国内販売でチケットを購入している外国籍の来場者もいるため、現場感としては、その数字以上にアジア圏の存在感があったようだ。会場を歩いていて、中国語、韓国語、英語、タイ語らしき言葉があちこちから聞こえてきた、という経験をしたフジロッカーズも多いはず。かつて洋楽や海外という言葉が主に欧米のアーティストやリスナーを指していた時代から考えると、それはとても大きな変化である。

フジロックで交差する、アジアの音楽とリスナーの現在
もちろんフジロックは、もとより国籍やジャンルを限定するフェスではなかった。ロック、ジャズ、ヒップホップ、テクノ、レゲエ、フォーク、ワールドミュージックまで、ありとあらゆる音楽が同じ山の中で鳴り響く。その雑多さこそがフジロックらしさでもあった。ただ、冒頭で述べたここ数年の変化は、単に「アジアのアーティストが増えた」というだけのことではない。オーディエンスの側にも、アジアの音楽やカルチャーを日常的に受け取る感覚がすでに根づいている。韓国、台湾、タイ、中国、インドネシア、フィリピン、そして日本。若いリスナーにとって、それらはもはや“遠い国の音楽”ではない。SNSやストリーミング、YouTube、TikTokを通じて、国境を越えた音楽体験は日常の一部になっているといえよう。
そうした流れを象徴するように、昨年のフジロックではHYUKOH(ヒョゴ)やSUNSET ROLLERCOASTER(サンセット・ローラーコースター)がメインである<GREEN STAGE>に登場し、新設ステージの<ORANGE ECHO>ではKim Oki(キム・オキ)やYONLAPA(ヨンラパ)が名を連ねた。これまで様々なアーティストを輩出してきた
そうした流れを踏まえた上で、今年のフジロックのラインナップにXG、HYUKOH、Fujii Kazeが並んでいることは、単なる話題性以上の意味を持っている。
XGが示す、K-POP以後のアジア発グローバルポップ
まず注目したいのはXG。メンバー全員が日本人でありながら、彼女たちの存在は従来のJ-POPという枠には収まりきらない。英語詞を中心とした楽曲、ヒップホップやR&Bをベースにしたサウンド、緻密に設計されたダンスパフォーマンス、グローバルな映像表現。それらは国内市場のみを見据えたものではなく、韓国の音楽番組、英語圏のリスナー、アジア各地のファンダム、およびグローバルな配信環境を前提に組み上げられている。「日本から海外へ進出する」というプロセスではなく、最初から国境をまたいだポップミュージックとして鳴らされてきた。だからこそXGは、J-POPでもK-POPでもない「K-POP以後のアジア発グローバルポップ」として捉えるべき存在なのだ。
そして、フジロックにXGが出演する意味もそこにある。フジロックは長らく、ロックやオルタナティブ、クラブ・ミュージックを中心に、音楽好きたちが集まる場所として認識されてきた。一方、XGはポップミュージックの最前線にいる存在であり、グローバルなファンダムを持つアーティストでもある。彼女たちが苗場のステージに立つことは、フジロックが“ポップ”をどう受け入れ、どのように更新していくのかを示すひとつのトピックになるだろう。
HYUKOHが体現する、韓国インディー/オルタナティブの現在
HYUKOHは、XGとはまったく異なる角度から、アジアの音楽シーンの豊かさを示す存在だ。韓国の音楽と聞くと、どうしてもK-POPのイメージが先行しがち。しかし韓国には、インディー、ロック、ジャズ、ヒップホップ、エレクトロニック・ミュージックなど、実に多様な音楽シーンが存在する。HYUKOHは、その中でも韓国インディー/オルタナティブの存在感を世界に知らしめてきたバンドの一つである。乾いたギターの響きやゆるやかなグルーヴ、余白を残したアンサンブルは、国境やジャンルを軽々と越えていく。K-POPのように強いコンセプトや華やかなビジュアルで押し出すのではなく、バンドとしての佇まい、音の質感、都市的なメランコリーによって、海外のリスナーからも支持を獲得してきたからだ。
そういう意味では、フジロックとHYUKOHの親和性は高い。周知の通りフジロックもまた、メインストリームの音楽だけを紹介する場所ではなく、まだ大きく一般化されていない音楽や、国境やジャンルの隙間にある音楽と出会う場所であり続けてきた。「韓国音楽=K-POP」という見方を相対化し、アジアの音楽シーンがいかに多層的であるかを体現するHYUKOH。彼らの音楽が苗場で鳴らされることは、アジアのインディーシーンがもはやローカルな出来事ではなく、世界中のリスナーの耳と接続していることの証でもあるだろう。
Fujii Kazeが映し出す、日本語ポップスの越境性
そしてFujii Kazeである。彼の音楽は、R&B、ソウル、ジャズ、ゴスペル、歌謡曲、ポップスなどを自然に横断しながら、どこか祈りにも似た独特の精神性を帯びている。もちろん、日本発のアーティストが海外へ届く道筋は、Fujii Kaze以前にも切り拓かれてきた。たとえばきゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeがヴィジュアルとダンスミュージックの鮮烈さで、ONE OK ROCKやBABYMETALがロック/メタルの強度で海外のリスナーを惹きつけてきたとすれば、それに続くFujii Kazeは、日本語の響き、独特のユーモア、ピアノを軸にしたソングライティング、R&Bやソウル、ゴスペルの感覚によって、国外のリスナーにも広く届いている。
日本語の意味を完全には理解できなくても、声の揺れ、旋律の柔らかさ、ライブ映像に映る身体の動き、飾らない佇まいから何かを受け取ることができる。コストリーミングや短尺動画によって、言葉の意味よりも先にその質感が共有される時代において、Fujii Kazeの音楽は現在のリスニング環境と非常に相性がいい。そしてそのあり方は、多様な音楽をそのまま受け入れる場としてのフジロックともよく響き合う。Fujii Kazeが苗場のステージに立つことは、日本のポップスが「アジア」の中でどのように受け取られているのかを考える上でも、象徴的な瞬間となるだろう。
広がる“アジア”の定義──2026年のラインナップが語る多層性
もちろん、2026年のラインナップから見えるアジア的な広がりは、この3組だけに限らない。アジアン・カンフー・ジェネレーションは、日本のロックがアジア圏のリスナーにどう届いてきたかを考える上で重要な存在だし、Yo-SeaやIO、Kroiのようなアクトからは、R&B、ヒップホップ、ファンク、ポップスを横断する現在の日本の都市音楽が、アジアや海外のリスナーとも共有可能なビート感覚やメロディ感覚を持っていることが見えてくる。また、平沢進+会人のように、ネット以後に海外リスナーから再発見されてきた日本のオルタナティブな存在もいる。さらにMitski(ミツキ)のように、アジアにルーツを持ちながら英語圏インディーの中心で支持されているアーティストの存在も、“洋楽フェス”でも“国内フェス”ではない、現在のフジロックの多層性を物語っている。

アジアの熱狂とリンクする、フジロックの新しいフェーズ
かつてフジロックは、日本にいながら世界の音楽と出会える場所だった。そこには、欧米のロックやクラブミュージックを生で体験するという意味合いが強くあったはずだ。しかし現在のフジロックは、それだけではない。アジアの観客が日本に集まり、日本のアーティストがアジアに届き、韓国や台湾、タイのアーティストが苗場のステージに立つ。そこには、欧米を中心とした一方向の“海外音楽”ではなく、アジアの中で音楽が循環し、交差していくリアルがある。
2026年のフジロックは、その変化をよりはっきりと可視化する年になるのかもしれない。XG、HYUKOH、Fujii Kazeという3組は、アジアの音楽がいまどれほど多様で、どれほど自然に国境を越えているかを示す存在だ。そして彼らを目当てに苗場を訪れる人々もまた、フジロックという場の風景を少しずつ変えていくだろう。
さまざまな国や地域の音楽、人、価値観が出会い混ざり合う場所として、フジロックは今、アジアの熱狂とリンクしながら新しいフェーズへと向かっている。


Text by 黒田隆憲
Photo by Shimizu Soutarou
