音楽ライターの二木信が、この困難な時代(Hard Times)をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち(Good Friends)を紹介していく連載「good friends, hard times」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー(ラッパー/ビートメイカー/DJ)、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。

第5回目に登場するのは、ビートメイカー/プロデューサー/A&Rのhokuto

僕がhokutoと出会ったのは、いまから約8年前だと記憶している。hokutoは大学を出たばかりで、自分はちょっとした人生の転機を迎えていた。彼との出会いは僕に、自分がライターとしてかかわってきた同世代あるいは上の世代の国内のヒップホップを聴いてきた次世代のアーティストの存在を強烈に意識させた。10代のころから日本語ラップのレコードやCDを買い集め、それらにまつわるメディアの情報や記事を隈なくフォローしてきたhokutoの知識と熱意にはおおいに刺激を受けたし、僕の書くものや見解への忌憚なき意見をずいぶんもらったものである。内気に見えて遠慮なくズバズバ切り込んでくる、そういう男なのだ。何を隠そう、小林勝行や、hokutoの盟友である唾奇のラッパーとしての魅力を最初に教えてくれたのも彼だった。

そんな1991年生まれのビートメイカー/プロデューサー、hokutoがセカンド・アルバム『plums』を完成させた。2016年のファースト『AMATEUR RHYTHM』以来、じつに約5年ぶりの作品だ。この5年、hokutoは精力的に活動してきた。A&Rとして唾奇の『道-TAO-』をはじめ仲間たちのCDやレコードの製作をサポートし、唾奇のライヴDJとして全国を回り、ビートメイカーとしてSKY-HI、般若、BES、漢 a.k.a GAMIらにビートを提供した。前の世代が“インディペンデント”という旗印を掲げてやっていたことを、彼と仲間たちが気負わずにこなしているのが僕の目には新鮮に映った。

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hokuto

いま華々しく活躍する数多くのラッパーが参加した話題の『plums』をすでに聴いた人は多いだろう。そんな作品を読み解くヒントを僕なりに一つ挙げるとすれば、hokutoのTwitterのヘッダー画像の写真だ。そこでソファに寝っ転がり足を放り出しながら彼が読んでいるのは、ビートメイカーらの制作部屋、ベッドルームを紹介する『BACK TO THE LAB』という写真集。ジャスト・ブレイズ、フライング・ロータス、J・ディラ、ダイヤモンド・D、エル・P、あるいはアルケミスト(エミネムのDJでもある)らが登場する。サンプラーやさまざまな楽器、レコードを眺めているだけでうっとりするのだが、ビート・メイクという創作行為が日々の生活の中に息づく様子を生々しく伝えているのが素晴らしい。いわば、hokutoも大好きであろう、ビートメイカーが目隠ししてサンプリングするレコードを選び、その場でビートを制作していく人気ショート・ドキュメンタリー『RHYTHM ROULETTE』のスピンオフといった趣の写真集だ。

そして、『plums』の背景のひとつもそうしたベッドルームである。ビートの様式は主にブーン・バップと定義できるが、重要なのは、サンプリングの魔法に魅せられた音楽好きの内気な少年が大人になり、その魔法を存分に操りビートを創造したことだ。そこにシンセサイザーでのアレンジも加えた。CDのクレジット欄には、MPC LIVE、MPC 2500、MASCHINE+、FL Studioといった制作に使用した機材やソフトが記された。ラッパーの豪華さに目を奪われがちになるかもしれないが、どこかの誰かが会議室で決めたコラボではない。hokutoがみずからプロデュースを手掛けた。小雨の降るある晩、最新作とこれまでの歩みについての話を聞くために下北沢で待ち合わせた。

INTERVIEW:hokuto

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──まず、セカンド・アルバムを作り終えての感想はどうですか?

hokuto マジでこの作品を出せてホッとしています。リリースできないんじゃないかと思う局面が何度もあったので。正直、ファースト・アルバム『AMATEUR RHYTHM』(2016年12月14日リリース)は自分の未熟さもあって音楽的に納得できないままリリースした面もあったんです。だけど、今回は現時点でのやりたいこと、できることを全部出せました。

──1曲目“plums”ではある大スターの女性のアルバムという形式へのこだわりについての語りを大胆に挿入しています。

hokuto アルバムについてのこだわりはめちゃめちゃあります。アルバムを聴いて育って来た世代だから、いまでもシングルが出て最終的にアルバムになるという流れが理想だと考えています。もちろん5分のMVを観るのさえ難しい若い人も増えてきた時代だから、ワン・ヴァース、ワン・フックの2分ぐらいで終わるラップが流行り続けているのもわかります。ただやっぱり「7、8曲でアルバムです」というのはいまだにしっくりこない。少なくとも僕はそのカタチでは伝えたいことを伝えきれないから、今回の作品のように15曲で50分近くあるフル・アルバムをどの曲をどこに配置するかを考えながら作った。そういう作り方を先人達の作品を聴いて学んできたので。KREVAさんの『心臓』(2009)にしろ、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の『good kid, m.A.A.d city』(2012)にしろ、昨日聴いたカニエ・ウェスト(Kanye West)の『Donda』(2021)はさすがに長過ぎるけど、あれもそうですね。アルバム1枚を通してしか伝えられないことは間違いなくあると思います。

──いまケンドリックやカニエの名前が出ましたけど、アルバムのCDを買うと付いてくる特典のCDが、USヒップホップをみずからリミックスした作品集になっているのがすごく面白くて。カーディ・B(Cardi B)やフューチャー(Future)らの大ヒット曲がある一方で、MFドゥーム(MF Doom)とウエストサイド・ガン(Westside Gunn)の曲、またアルケミスト(The Alchemist)がビートを作った曲もあるでしょう。思い出したけど、エヴィデンス(Evidence)が昨年出した『UNLEARNING VOL. 1』のLPとUSBまで買っていましたよね。hokutoくんのこうしたヘヴィ・リスナーとしての一面やリミックスとかの遊び心が、今回のアルバムの魅力に直結しているなと感じます。

hokuto エヴィデンスに関して言えば、高校1年ぐらいのときにダイレイテッド・ピープルズ(Dilated Peoples)の“Back Again”のMVをMTVで観てその存在を知るんです。

──あの曲のビートはアルケミストのプロデュースですし、彼はそのMVにも登場しますね。

hokuto エヴィデンスのラップが特徴的で耳に入ったのもあるし、ファッションや佇まいが自分にしっくり来て。当時聴いていたディプセット(Dipset)のサグい感じとはまた異なる悪ガキ感があって、そこにすごく影響を受けました。エヴィデンスもアルケミストも白Tに短パン穿いているだけなのにめっちゃかっこいいじゃないですか。そこが刺さった。“Back Again”が収録されている『20/20』(2006年)ってアルバムを地元の藤沢のタワレコに即行で買いに行った記憶があります。

Dilated Peoples – Back Again

The Alchemist & Prodigy In the Studio Making Hold You Down

──『plums』は基本的に明るめのテクスチャーの楽曲が多いけれど、さらに一貫しているのはどっしりとしたビートを鳴らしていることですね。そこが重要だと思います。

hokuto 僕が日本で影響を受けたビートメイカーを3人挙げると、BACHLOGICさん、Maki The Magicさん、DEV LARGEさんです。海外だと先に挙げたアルケミストの他に、ジャスト・ブレイズ(Just Blaze)とカニエ・ウェストです。そういうビートメイカーの人たちが作ってきたビートを聴いて学んだ、自分なりのヒップホップ・マナーは絶対守りたいし譲れないところです。

──今回のサウンド・プロダクションのメロディアスという点は、KREVAからの影響も感じます。

hokuto それはあります。小学5、6年生ぐらいの時だったと思うんですけど、「COUNT DOWN TV」で、KICK(KICK THE CAN CREW)の“マルシェ”(2002年/KICK THE CAN CREWはこの曲で第53回NHK紅白歌合戦に出場)のスタジオライヴを観たのがヒップホップの原体験です。最初は、「この面白い曲、何?!」って感じで笑いながら観ていたんですけど、いっしょに観ていた兄貴がKICKを聴き始めた影響もあって自分も聴くようになった。そこからRIP SLYMEの“FUNKASTIC”や“楽園ベイベー”、“ONE”も聴いて(『TOKYO CLASSIC』収録/2002年)。小学生のころから勉強もスポーツもできない子供だったから「音楽が詳しいヤツが一番偉い!」っていうマインドで生きていました(笑)。だから、BUMP(BUMP OF CHICKEN)とか日本のロックも聴いていたし、とにかく音楽だった。それが、KICKやRIPを聴いて一気にヒップホップに傾倒して、アウトキャスト(Outkast)やエミネム(Eminem)、50セント(50 Cent)も聴くようになって。

──小5、6年でそういう音楽を聴くのはけっこう早熟ですね。

hokuto 4つ上の兄と7つ上の姉が音楽好きで、家でずっと音楽が鳴っている環境だったし、小学校のときは、家がまあまあ貧乏だったんで、毎日カセットウォークマンで音楽聴きながら登校するような子供でした。

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──ちなみに最初からビートメイカーになりたかったんですか?

hokuto いや、最初はA&R(Artist&Repertoire)になりたかったんです。

──A&Rに? それは初耳です。何がきっかけで?

hokuto 小学生ぐらいから漠然と「音楽が好き」という気持ちだけで生きていこうとは考えていて。で、あるとき、「スぺシャ(SPACE SHOWER TV)」の番組に出演していたBEAT CRUSADERSのヒダカトオル(日高央)さんが「音楽の仕事に就くにはどうすればいいか?」みたいな視聴者からの質問に、「A&Rという仕事がある」と答えていたんです。ヒダカさん自身、(LD&K Records)というインディ・レーベルで働きながらバンドを続けて、のちにバンド一本で食えるようになったからと。それで「俺もA&Rになりたい」って思って音楽をひたすら聴いていました。

──では、ビート・メイクはいつからですか?

hokuto 高校の友だちにバンドマンが多くて、自分もギターやピアノをやってみるんですけどぜんぜんダメで。ただ、中学時代に、リンキン・パーク(Linkin Park)とジェイ・Z(JAY-Z)の”Numb/Encore”のライヴ映像(MTV Ultimate Mash Ups – Collision Course 2004)でMPCが使われているのを観ていたから、サンプラーの存在は知っていたんです。だから最初は、いろんな音が出せる楽器として捉えて。その後、「スペシャ」の、たしか「Black File」だったと思うんですけど、KREVAさんがMPCを使ってビート・メイクしていたんです。そこでMPCで音楽が作れるのを知る。当時、ピート・ロック(Pete Rock)やケヴ・ブラウン(Kev Brown)がMPCを使っているYouTubeの映像もあったけど、和訳がないから意味がわからなくて。KREVAさんがビート・メイクについて解説してくれたのは大きかった。

──KREVAはライヴでもビート・メイクのやり方をファンに教えるパフォーマンスをしてきました。そういうKREVAの意志がhokutoくんに伝わったということでもありますね。

hokuto さらにYouTubeでエイラブミュージック(AraabMuzik)がMPCを超高速で叩いている動画を発見するんです。MPCをこんな高速で叩ける人を当時の日本では知らなかったから、「自分はこれをやろう!」と。だけど、エイラブミュージックが使っていたMPC 2500は当時15万円以上もしたから、さすがに高校生の自分には簡単に手が出る値段ではなく、買えずに月日が経ってしまって。

araabMUZIK Warm up at bar

──MPCを音楽制作のための機材だけでなく、演奏するための楽器としても捉えていたのが面白いですね。

hokuto だから、決定的だったのが、その場でビート・メイクしていく過程を見せるMPCの大会<GOLDFINGER’S KITCHEN>でした。高校を卒業して18、19歳ぐらいのときに観に行って。で、その年(2009年)に優勝したのがPUNPEEさんだった。もうPUNPEEさんのビート・メイクにそうとうトバされて、その帰り道に当時の貯金全額を使ってネットでMPC 2500を買いました。そのMPC 2500だけで作ったのがファーストの『AMATEUR RHYTHM』でした。

──hokutoくんはその数年後、2012年3月に吉祥寺であったMPCの大会「PAD PAD BATTLE」で優勝していますね。今年の<FUJI ROCK FESTIVAL ’21>では、STUTSがバンド編成のなかでMPCを叩いて存在感を出していた。hokutoくんがそれを観て興奮するツイートしていたなと。

hokuto STUTSさんがマジで凄すぎて逆にやる気出ました。10年前ぐらいはMPCを叩いている人って日本にはあまりいなかったと思うんです。

STUTS – 夜を使いはたして feat. PUNPEE(FUJI ROCK 21)

STUTS – Changes feat. JJJ(FUJI ROCK 21)

──たしかに、名前が挙げられるのは数人でした。そのころ、2010年初頭は孔雀というグループにも参加していましたね。

hokuto 孔雀として東京のBankRollやYabasta(両者ともKANDYTOWNの前身グループ)のイベントに出演したりしていました。『plums』にも参加してもらっているラッパーのMUDがレギュラー出演していた、KIKUMARUさん(KANDYTOWN)主催のイベントです。自分はグループでビート・メイクとMPCを担当していて。ただ、クラブやライヴハウスの雰囲気にどうしてもなじめなくて。もちろん、好きなアーティストのライヴは観に行きますけど、自分はそんな社交的な人間じゃないですし、パーティで人と会っていきなり仲良くなるとか無理なんです。同世代のナードなヒップホップ好きもいなかったですし、孤独でした。根が陰キャなんですよ。

──陰キャって(笑)。

hokuto いやいや、でも、いまでこそだいぶ雰囲気は変わりましたけど、2010年初頭の東京のヒップホップのクラブのパーティでは、ナードはかなり肩身が狭かったんですよ。

──10年前はそんな感じだったかぁ。

hokuto そうでしたよ。そういう意味ではいまは間口が広がって本当にいい時代になったと思いますよ。しかも、そのころ、元々ずっとA&Rになりたかったから大学卒業のタイミングでレコード会社の面接を受けたんですけど全部落ちて。さらに眼鏡屋の仕事も最終選考まで行って落ちて……。人生的にはかなり焦っていて、自分は社会不適合者でまともに働けないヤツなんだなと卑屈になっていた時期ですね。それでも音楽関係の仕事がしたくてレコ屋でバイトをはじめる。レコ屋にいれば、数字も含めていろいろ見えてくるから勉強にもなると考えて。

──俺がhokutoくんと出会うのも2013年ころですね。たしかに思い出してみると、当時は元気なさそうな顔をしているときもけっこうありましたね。

hokuto 当時はプライベートで悲惨なことが起こりすぎていろいろどん底でした。そのころは音楽活動の面でも辛い思い出の方が多いですね。

──だけど、ライヴやヒップホップの現場での良い出会いはあったでしょう。

hokuto 梅田サイファーのみんなとの出会いが大きいです。2012年だと思いますけど、孔雀のライヴで大阪に遠征するんです。イベントは、ACEさんとHIDEさんのSound Luckが主催している<ADRENALINE(アドレナリン)>の大阪編でAMAZING HOOD STARとTINY TITANBOXの合同イベントでした。名前を挙げたらキリがないんですけど、梅田サイファーやまだ14、5歳でラップをはじめたばかりのWILYWNKAとか当時若手で頑張っていた人らがみんな出ていた。実はその前からTwitterでは梅田サイファーの人らと絡んではいて。僕がTwitterで「ホラー映画が好き」とか「『ほんとにあった! 呪いのビデオ』が好き」とかつぶやくと、梅田サイファーのメンバーから反応があって(笑)。大阪初日から梅田サイファーのメンバーが10人ぐらい集まって朝まで遊んでくれて翌日も大阪を案内してくれた。R(R-指定)くんやKOPERUくんが、「一二三屋」の場所を教えてくれたり。ライヴに行ってそんなあたたかく迎えられたのなんて初めてで、いまでもめちゃ感謝しています。お互いナードなヒップホップ好きとして仲良くなれたんでしょうね。梅田サイファーには助けられましたし、ずっと切磋琢磨してきた仲間です。で、同じぐらいの時期、22歳のタイミングで孔雀を脱退して一人でやることにしたんです。

hokuto『plums』

俺も地元からまくりたけりゃ誇りとのぞみが必要
たむろしてた梅田の歩道橋 特別だぜ土曜日はいつも
10年前hokutoのビート 下手くそなラップにピュアな鼓動
消しカスが化けたピラミッド シャーペン一本で今此処

R-指定──“Shooting Star feat. CHICO CARLITO & R-指定”
(hokuto『plums』収録/2021年)

──“Shooting Star feat. CHICO CARLITO & R-指定”はまさにそういう青春時代から成功までの道のりを歌う曲です。hokutoくんやR-指定が大きな影響を受けたであろうSEEDAの名曲“花と雨”で象徴的な単語として出てくる「彼岸花」を使ったり、「ラインを引くなら空」「フィルターギリまでこの身焦がす」というドラッグにまつわる隠語の応用にも彼のスタンスが如実に出ていますね。

hokuto だから、“Shooting Star”のRくんのリリック聴いたときは感動しました。知り合った当時、松永さん(DJ 松永)はすでにけっこう仕事があったんです。それで松永さんがいないあいだ、松永さんの家でRくんと2人で一日中『呪いのビデオ』を観たり、日本語ラップの話をしたりしていましたから(笑)。コンビニでカップラーメンを買うか、オニギリを買うかを迷う、経済状況もそれぐらいのレベルだった。

──それはリアルな同志だ。

hokuto だからRくんにはファーストにも参加してほしかったんですけど、いろいろタイミングもあって楽曲で参加してもらうことができなくて、クレジットなしのシャウトを“Introduction”でしてもらいました。それもあって今回は絶対やりたかったけど、今度はCreepy Nutsのアルバムの制作のタイミングと被ってしまって。だから最初はCHICOのヴァースだけの曲だったんです。それが、〆切の3日前ぐらいに急にRくんから電話が来て、「少し早めにレコーディングが終わったからヴァース書いていい?」と。それで3日で書いてくれて実現したんです。

──CHICO CARLITOといえば、hokutoくんがビートを制作した“Ryukyu Style”(2020年)は、今後彼の代表曲になるんじゃないでしょうか。

hokuto ただ、CHICOはいろいろあってここ数年は調子が良くなかったと思うんです。そのCHICOが久々に気合いを入れて作ったのが“Ryukyu Style”だと思います。でも実はあの曲は、WILYWNKAが客演した“Kid’s Dream“(『plums』2曲目)の前に入れる予定のビートで、それをCHICOにどうしても自分名義の曲で使いたいと頼まれて。アルバムの流れを考えて制作しているので譲るかどうかはめちゃ迷いましたね。でも結果、譲ってよかったです。

Ryukyu Style/CHICO CARLITO(Produced by hokuto)

──ちなみに、“Ryukyu Style”の冒頭や今回収録の数曲のあたまでも「SOUL BROTHA」というプロデューサー・タグが使われています。hokutoくんのインディペンデント・レーベル名でもある。これは何が由来ですか? ピート・ロックが「SOUL BROTHER」とよく使うけれど。

hokuto それはまさにRくんや梅田のみんなと遊ぶようになったのがきっかけで。2012、13年ぐらいに彼らに出会ってから、「わあ~! 心の友よ~!」とかみんなで言い合っていたんです、ジャイアン風に(笑)。それが途中から「Oh~! Soul Brother~!」と英語になって。俺らのスラングじゃないですけど、当時みんなでふざけてそう呼び合っていた。たぶんいま誰も使っていないですけど(笑)。スタティック・セレクター(Statik Selektah)にしろエイラブミュージックにしろ、プロデューサー・タグを入れるじゃないですか。あれをやりたかったし、ファーストを出すときにレーベル名が必要だったので。ただ、調べてみると、たしかにピート・ロックが「SOUL BROTHER」を名乗っていたから、スペルを変えて「SOUL BROTHA」になった。

──ここまでの話を聞いていると、『AMATEUR RHYTHM』のリリースから着実にステップアップしてセカンドにたどり着いた感じがしますね。

hokuto そんなことないですよ~! 25歳までにソロ・アルバムを出して生活の足しになるほどの儲けがでないのであれば、ビート作りはやめようぐらいの覚悟でした。だけど、ファースト出したときのCDの枚数が悲惨で、実数350枚だった。すでにCDが売れる時代ではなくなっていたけれど、CD以外の儲けの選択肢が当時はわからなくて。これはもう絶望的だなって。そんなときに友達からデジタル配信、ダウンロード、サブスクリプションという方法があると教えてもらって。それがいまみんな使ってるTuneCoreってサイトなんですけど。その後デジタルで再生回数が伸びて3ヶ月ぐらいで制作費が全部ペイできた。そこから全部プラスになっていまに至ります。だから、僕がファースト出した2016年ぐらいが日本のインディのアーティストが配信やサブスクで稼げるシステムが浸透していった時代だと思います。

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──『AMATEUR RHYTHM』はやはり大きかったわけですね。

hokuto 実際、ファーストのあとにビート制作のオファーも増えましたから。ただ、サブスクの再生で収入は増えていくけれど、MPCだけの制作方法には限界を感じていて、果たして今後ビートメイカーとしてやっていけるかはものすごく不安で。

──そういう不安があったとは知らなかった。それでも唾奇を中心とした沖縄勢と活動を共にしていきますよね。

hokuto 唾奇くんの存在はRくんから聞いてはいたんですよ。「同い年でようやくヤバいラッパーが出てきたぞ」と。だから、当然気になっていました。まだファーストを出す前の2015年ぐらい、名古屋で〈Pitch Odd Mansion〉が主催する<ラルコネ>というイベントに僕はKOPERUくんのバックDJとして出演していて。その打ち上げの居酒屋で話したんです。でもまあ当然いきなり仲良くなったりはしなくて(笑)。翌年出すファースト・アルバムのために、そうやって各地にライヴに行ったときに出会ってヤバいと感じたラッパーにオファーしていたんです。でも、無視されたり断られたり散々だったんです。「ああ、俺ってぜんぜん認められてないんだなあ」ってヘコんで。そんななか、唾奇くんだけは快く引き受けてくれた。

──いい話だ。

hokuto 唾奇くんは、自分とは生きてきた環境も性格もまったく違うし、同じ学校に通っていたらたぶんイジメられていたと思うんです(笑)。音楽がなければ出会わない、そういうラッパーと組んで曲を作れるのがうれしくて。なんですけど、ビートを送っても一向に唾奇くんからラップが返ってこなくて。「これは発売延期だな……」と諦めかけていた矢先、入稿2日前に音源データが届いたんです。聴いた瞬間に衝撃を受けました。あんなヤバいヴァースが返ってきた経験ははじめてでした。

hokuto – Cheep Sunday feat. 唾奇

ラップしてなけりゃカス(いや、違うな)
ラップしてるカス I’m OK

唾奇──“Cheep Sunday feat. 唾奇”
(hokuto『AMATEUR RHYTHM』収録/2016年)

──みんなも感じていることでしょうけど、唾奇を最初に何曲か聴いたとき、メロウなムードのなか、愛とか夢とか、“キレイゴト”だけじゃなく、“ゲス”な面を包み隠さず晒すことがすごく新鮮で。「俺の不幸で踊ってくれ!」ってあるライヴのMCで言っていたのも鮮明におぼえている。hokutoくんが考える、唾奇やR-指定の個性は?

hokuto まず自分はKICKやRIP、m-floから日本のヒップホップを聴くようになってじょじょに『CONCRETE GREEN』(SEEDAとDJ ISSO監修による日本のヒップホップのミックス形式のコンピレーション・シリーズ。第一弾は2006年)に参加している人たちの作品を聴くようになったんです。ポップなラップと自分が絶対体験できないアブナイ経験をしているスリリングなラップ、そういうメジャーとアンダーグラウンドの2択だった。で、存在としてそういう両極端のあいだにいたのが、KEN(KEN THE 390)さんやサ上(サイプレス上野)さん、COMA-CHIさんたちだったのかなと思う。2008、9年ぐらい、高校生のころに、そういう両極端の日本のラップを聴いていたんです。その構図って長いこと変わらなかったと思うんです。

──なるほど。二極化していましたね。

hokuto そんななか、唾奇くんは不良ではないけれど、ちょっとドキッとするような悪いことも歌う。しかも、誰しも人生で経験する出来事や思い当たる節のある心境について歌うのが上手いと思うんです。聴く人がそういうリリックに共感したり、惹かれたりしているのは、いっしょに全国をツアーしていろんな場所でのライヴをともにしてわかってきました。自分はビートメイカーなので絶対ビートから聴いちゃうんですけど、唾奇くんの曲は言葉が最初に入ってきますね。

──唾奇のライヴではフックだけじゃなくて、ヴァースで合唱が起きるし、男性と女性半々ぐらいのオーディエンスがけっこうどぎついラインをいっしょに歌うじゃないですか。あの光景は驚きだった。

hokuto ビートメイカーとしてどうしていこうかと考えている時期に唾奇×Sweet Williamの『Jasmine』(2017年)のツアーが終わった唾奇くんから「これからやるツアーをいっしょに回ってほしい」と依頼されたのが転機になりました。それまで東京のライヴのバックDJとかはやっていたけれど、全国はいっしょに回っていなかった。そうして、いっしょにツアーに回っているときに作ったのが“Alright”(2018年)だった。で、あの曲を出たあたりからまたビートのオファーが来るようになって。

APPLEBUM – “GUERRILLA LIVE” – 唾奇 × Sweet William × HIKARU ARATA【WONK】

Reebok CLASSIC x 唾奇【Alright】

──その“Alright”は、今回の作品に収録するにあたりアレンジを変えているし、その唾奇と仙人掌の共作“Imposter”もサブスク、配信ヴァージョンにはCDヴァージョンになかったスクラッチが後半に入っている。最初に話したリミックス集もそうですけど、CDを手に取った人にしか味わえない仕掛けがあったり、こういうところが凝っているなと。

hokuto “Alright”のあともビートをずっと唾奇くんには送り続けていたけれど、バッチリハマらなくて。今回のアルバムはほぼすべてメロディアスな楽曲で統一していますけど、唯一“Imposter”だけちがう。それは、唾奇くんが「俺とメロディアスなのまた作ってもしょうがないっしょ」と。だから、ハードなビートを作って。で、「このビートだったら、仙人掌さん以外やりたいラッパーは思い浮かばない」って唾奇くんから言われて、仙人掌さんに声をかけたんです。快く受けてくれたので、ビートを送ろうとしたら、唾奇くんに「俺がラップを入れたビートを送って欲しい」って言われたんですよ。

──そうやって振られたら仙人掌も気合い入ったでしょうね。

hokuto それで仙人掌さんも練って気合い入れてやってくれた。仙人掌さんのヴァースが来てからフックも作りましたし。仙人掌さんのヴァースのあたまの「NipseyとJayみたいな2 to ya head」ってラップを聴いた瞬間に唾奇くんといっしょにブチ上がりました!

──映像には残っていないけれど、仙人掌と唾奇は、唾奇が沖縄で主催する<HITO-BASHIRA ROMANTIC>で共演して同じステージでその日限りのコラボをしていましたよね。

hokuto <HITO-BASHIRA ROMANTIC>でvividboooyとも知り合って今回参加してもらっていますしね。ここ数年、唾奇くんとツアーをいっしょに回るなかでいちばん印象に残っているのは、大阪の三角公園でのライヴ。あそこの2階にお店があって、そこから三角公園に向けてライヴをしたんですけど、三角公園の横って交番じゃないですか。警察も観ているんですよ。そこで、“道 -TAO-”の《また夏には×××が咲く》というラインをみんなが大合唱していたのは面白かったですね(笑)。だから、生き方がラップに出ているラッパーですよね。中学か高校のときに唾奇くんの音楽を聴いたら僕でさえ「ラップやろう!」ってなったと思う。それぐらい自分にとってベストなラッパー像だった。

唾奇 presents “HITO-BASHIRA ROMANTIC” 2020.2.22 Digest

──R-指定についてはどうですか?

hokuto みんなの共通認識だと思いますけど、KICKやRHYMESTERの韻を受け継いで、圧倒的なのが同世代ではRくんだと思います。Rくんとは、日本語ラップ・ヘッズ同士として日本語ラップについて1日中語り合う仲からはじまっているので、10年前ぐらい、僕がビートを作ってデモ制作しているとき、RくんにはけっこうラップをRECしてもらっていたんです。当時から抜群に上手かったです。ただ、リリックの内容に本当にフィールしたのはファーストの『セカンド・オピニオン』(2014)を聴いたときですね。自分と同じこと考えているし、境遇も似ているなと。ラップからそういうものが見えてくるようになった。ちょっと貧乏で、運動もできない、勉強もできない、だけど、ヒップホップだけある。そういうところにいまだに惹かれますね。

──そんな日本語ラップ・ヘッズのhokutoくんが高校時代に熱心に聴いていたアンダーグラウンドなラップ・アーティストからもビートを依頼されていく過程を見ていて感慨深かったです。漢 a.k.a GAMIの“新宿ストリートドリーム”もhokutoくんのビートです。

hokuto それと、2018年にBESさんに“Rhyme Train”と“what’s up feat. 仙人掌”(『Convection』)でビートを使ってもらったのはめちゃめちゃ大きかったです。だって、漢さんもBESさんも、仙人掌さんも、自分が高校のころに聴いてマジで憧れていたラッパーの人たちだったから。般若さんの“車に乗り込み”(2020年)や日高(光啓)さん(SKY-HI)の“me time”(2021年)もでかかった。“me time”は少し前に作った曲でギターは山岸竜之介さんに弾いてもらいました。初めてサンプリングを使わないで作った曲なんですよ。エレピもベースも自分の弾きで作って。

BES – What’s Up feat. 仙人掌(Track by hokuto)(BLACK FILE exclusive MV “NEIGHBORHOOD”)

──サンプリングという手法、表現方法には並々ならぬこだわりがありますよね。

hokuto それはあります。セカンド・アルバムをカタチにできるかもしれないと思えたのは、“Echo feat. peko & テークエム”を作れたときでした。この曲を発表できないのであれば、アルバムもカタチにできない、それぐらいメインにしようと考えていた曲です。で、この曲では、フュージョン・バンドのカシオペアのドラマー、神保彰(ジンボ・アキラ)さんの“WIND YOUR CLOCK”(2010)という曲をサンプリングしているんです。ピッチを2ぐらい上げているだけで、最初のスクラッチふくめてほぼ“まんま使い”。これまでサンプリングという手法をメインにビートを作ってきた人間として、オフィシャルでサンプリングした曲をリリースしたくて。それで、サンプリングの申請を出して、時間はかかったんですが許諾が取れたんですよ!自主レーベルで一人で活動してる自分がサンプリングの許諾を取れたのは嬉しかったですね。で、許可が取れた2020年6月から制作の追い込みをかけました。

──いまの話を聞いても思うけれど、今回の作品の作り方も、ビートメイカーにとどまらず、プロデューサーとして、A&Rとしての視点がある。

hokuto 自分のアルバムを作る前に、今回の作品にも参加してくれたTOCCHIくんのEP『Swings』(2019)をA&Rとして手掛けたのが大きかったです。2019年の最初ぐらいにTOCCHIくんに出会って、すごい才能だと感じて、どうやって世のなかに売り出していくかを考えていたんです。そして、作品作りからその後のツアーまでぜんぶ自分の方で組んで成功できた。それがあったから、唾奇くんやHANGさんをA&Rとして見ていきたいとさらに思えるようになりました。でも、めちゃ大変でした(笑)。6曲のためにいったい何ヵ月延びるんだよ! って。唾奇くんは「すぐやる!」と言いつつギリギリまでリリック書かないし、HANGさんもアートワークを担当するのがはじめてで時間もかかってしまって。それで、僕は神奈川に住んでいるんですけど、沖縄まで行って、TOCCHIくんの家に唾奇くんを閉じ込めて作らせました。それぐらいしないと作品が出ないと思ったから。

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──A&Rの鑑だ(笑)。

hokuto 何よりも自分が仲間の作品を聴きたいし、ちゃんと世に出したいんですよ。だからできていることです。僕のA&Rとしての仕事はそういうケツ叩きですね。あと、いまは海外のビートメイカーのビートをサンクラ(SoundCloud)とかでめっちゃ集めたりしていますね。いち早くヤバいビートを見つけたいので。クオリティの高いビートは50~100万はかかりますね。また、唾奇くんがこのラッパーとやりたいと言うならば連絡するし。別に僕、そんなに表に出たい人間じゃないんですよ。フロントマンじゃない。裏方が大好きなんです。それも大きいかもしれないですね。あと、CDとアナログをこの日までに作るとか、配信の準備とかですよね。

──そう、だから、hokutoくんや唾奇は、CDやアナログを制作してしかも実際に確実に買うファンがいるのがすごいなと。実際、配信では数字が伸びていたり、メディア露出も激しかったりするけれど、フィジカルが動かないアーティストもたくさんいますから。フィジカルの大切さはかなり意識していますよね。

hokuto レコ屋で働いている人間がデジタル配信で稼いているのは矛盾ではないか?と悩んだ時期もありました。やっぱりモノを作るのって大事だと思うんです。CDやレコードといったモノを買ってきた世代で、いまだに日本語ラップでも、海外のヒップホップのレコードでも好きなアーティストのモノが出たら買いますし、そこは途切れさせたらいけないと思っています。配信やサブスクがあるし、たいして需要がないし利益やビジネスにならないからフィジカルは必要ないという意見をたまに目にしますけど、そういう話じゃないと思う。作ることや、そこに共感した人が買うことで成立することに意味があると思う。

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──それは重要な考え方ですね。

hokuto でも、いざ、唾奇くんやHANGさんをA&Rの立場で支えていこう、やっていこうと考えていた矢先、そのタイミングでコロナになっちゃったんです。それでフェスもふくめてライヴが2、30本も飛んでしまって。

──ひえー、そんなに飛んだのか……

hokuto それで一気にやることがなくなってしまって。それで家に引き籠ってビートを作り始めたらわりと良い感じのビートができるようになっていった。そのときできたのが初めてPCのFL STUDIOというソフトを使って作った“Good Time”だった。ビートを作ると、TOCCHIくんに送って聴いてもらったりするんですけど、まあまあの出来のビートだと「まあ、良いね~」ぐらいの反応で、「この曲でやりたい!」って絶対言わないんです。唾奇くんもHANGさんもそこは当然シビア。そんなTOCCHIくんが「この曲はやりたい!」って言ってくれてさらにアルバム制作が前進しました。

hokuto – Good Time feat. TOCCHI & HANG

──今日の話を聞いて『plums』が、ここ数年hokutoくんと仲間たちが育ててきた関係やシーンが土壌にあるのがすごくよくわかりました。

hokuto ぶっちゃけすべて唾奇くんのおかげなんですよ。ひとりでイベントに出るとこなんてなかった僕が急に毎月7、8本もライヴすることになったのも唾奇くんのライヴDJをやることになってからですし、クラブの楽しさも教えてもらった。今回参加してもらった18scott、NF Zessho、MuKuRo、WILYWNKA、VIGORMANもそうしたライヴのときに紹介してもらっていますから。本当にこの人のおかげで音楽でメシが食えるようになったんですよ、だから人生を捧げようと思いましたね。まったく社交的ではなかったひねくれた性格を直してくれたのも沖縄勢です(笑)。性格まで変えられました。ずっとヒップホップのファンなんです。永遠のヘッズなので。別に不良だから憧れるとかじゃなくて、ヒップホップの身なりや佇まい、ファッションからも影響受けてきたんで、そういう“ヤンチャ”感は大事だし、それはこれからも大切にしてきたいですね。とにかく音楽が好きって気持ちだけでやってきたし、これからもそうだと思いますね。

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取材・文/二木信
写真/齊藤幸子
取材協力/萩原広輝ARENA下北沢

INFORMATION

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『plums』

hokuto
2021.09.29(水)
Label:SOUL BROTHA
CD/DIGITAL
Price:2,500YEN+TAX(CD)

Tracklist
1. plums
2. Kid’s Dream feat. WILYWNKA
3. Echo feat. peko & テークエム
4. Good Time feat. TOCCHI & HANG
5. 最新 feat. WATT a.k.a. ヨッテルブッテル
6. Babe feat. 18scott
7. Alright feat. 唾奇(New ver.)
8. FWC off -Interlude-
9. Imposter feat. 唾奇 & 仙人掌
10. I Think About Music feat. VIGORMAN & vividboooy
11. Shooting Star feat. CHICO CARLITO & R-指定
12. Last Song For… feat. SNEEEZE
13. Storybook feat. MUD & MuKuRo
14. Blue Note Step
15. UNDERRATED feat. NF Zessho

CD初回店頭購入特典
hokutoによる「SOUL BROTHA Remix EP」のCD(プレス盤)
※ご注意ください:特典付与店舗に関しましては各位店頭で事前に御確認ください、無くなり次第終了致します。

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