音楽ライターの二木信が、この困難な時代(Hard Times)をたくましく、しなやかに生きる人物や友人たち(Good Friends)を紹介していく連載「good friends, hard times」。国内のヒップホップに軸足を置きながら執筆活動を展開してきた二木が、主にその世界やその周辺の音楽文化、はたまたそれ以外の世界で活躍、躍動、奔走するプレイヤー(ラッパー/ビートメイカー/DJ)、A&Rやプロデューサーなど様々な人物を通じて音楽のいまと、いまの時代をサヴァイヴするヒントを探ります。

第3回目に登場するのは、昨年11月にオリジナル・ファースト・フル・アルバム『Re:BOOT』をリリースしたMEGA-G

「俺は『Re:BOOT』を置き土産にラップをやめるつもりで、すべての気持ちを注ぎ込んで作ったんです」。MEGA-Gは、インタヴュー開始から数分で驚くような発言をした。が、その発言の真意は、以下のインタヴューを読んでもらえれば、伝わるにちがいない。ヒップホップを深く愛し、ヒップホップ・カルチャーの現状に対して確固とした意見と優れた批判精神を持つ1981年生まれのラッパー、MEGA-Gに前々からじっくり話を聞きたいと考えていた。そして昨年取材を申し込んだタイミングで、ソロ・アルバム『Re:BOOT』のリリースを知らされた。

2019年は、USヒップホップにおいて、ベテランの充実した作品が出た年でもある。ギャング・スター(Gang Starr)『ワン・オブ・ザ・ベスト・イエット(One Of The Best Yet)』とブラック・ムーン(Black Moon)『ライズ・オブ・ダ・ムーン(RISE OF DA MOON)』がその代表例だろう。翻って国内をみると、そうした世代のUSヒップホップに影響を受けたラッパーの充実した作品が発表されている。たとえば、B.I.G.JOE『Tenderness』や田我流『Ride On Time』などが挙げられる。MEGA-Gがみずからプロデュースを務めた『Re:BOOT』も間違いなく、そうした素晴らしい作品のなかの1枚だ。DJ SCRATCH NICEやZKA、MASS-HOLEらの強靭かつソウルフルなブーム・バップを基調に、レゲエ/ラガがあり、MEGA-Gなりのトラップへのアンサーもある。エンジニアはI-DeAが務めた。

昨年11月30日から約1週間、東京・蒲田駅東口から歩いて数分ほどの、呑川沿いにあるマンション1階に設けられた特設会場でMEGA-Gのポップアップショップが開かれた。MEGA-Gが客演参加した作品のCDの視聴ができ、アルバム・ジャケットの原画なども飾られ、オリジナル・デザインのグッズやアパレルが販売された。地元の仲間たちも集まっていた。取材はそのタイミングで行っている。いろいろ訊きたいことがあった。『Re:BOOT』についてはもちろん、彼が愛する〈ダック・ダウン(Duck Down Records)〉への想い、これまでのキャリア、いまのヒップホップについて考えること、そして「ラップをやめるつもり」という発言の真意と“ラップする理由”について。

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MEGA-Gもまた、多くの表現者がそうであるように、満を持して発表した新しい作品を引っ提げてライヴを精力的にこなしていこうという矢先に新型コロナウイルスのパンデミックに襲われ、ライヴを思うようにできないでいる。しかし、MEGA-Gは不屈の魂で必ずや「再起動」するだろう。その根拠は、以下の1万2千字をこえるロング・インタヴューにある。

INTERVIEW:MEGA-G

──まず、『Re:BOOT』の制作をいつからはじめたのか聞かせてもらえますか?

4曲ぐらい入っている、いちばん最初のデモCDに2016年って書いてあったから作りはじめたのはそれぐらいの時期ですね。DJイヴィル・ディー(DJ Evil Dee)に直接会いに行ってビートの交渉をしたのもそのころ。VIKNが店長を務めるJUICE BAR WAVE(現:JUICE BAR ROCKET)でAKAIのMPC Renaissance(サンプラー)を使ったビート・メイキングのワークショップ(2016年12月22日)をやったんですよ。“病む街 3000”をいっしょに作ったOMEN 44がイヴィル・ディーとのあいだに入ってくれて、さらにそのワークショップがはじまる前にVIKNから交渉する時間をもらって。そこで挨拶をして自分のアルバムを渡して、「俺はあなたの大ファンだ。いっしょに1曲作ってもらえないか?」と伝えた。そしたらOKの返事もらえて、さらに何曲かやろうと言ってもらって、結果2曲作りましたね。

病む街 3000 – Omen44 feat. Mega-G, Shadow The Great Produced by Lord 8erz, Scratches by Dj YOHEI

──イヴィル・ディーは2019年に16年ぶりとなる最新アルバム『ライズ・オブ・ダ・ムーン』をリリースしたNYブルックリンのグループ、ブラック・ムーンのメンバーであり、数々のヒップホップ・クラシックを生み出してきたビートメイカー・デュオ、ダ・ビートマイナーズ(Da Beatminerz)の一員です。さらに、そのブラック・ムーンは、ブート・キャンプ・クリック(Boot Camp Clik)というコレクティヴに所属している。そのブート・キャンプ・クリックの作品を中心に、数多くの重要な作品をリリースしているレーベルが〈ダック・ダウン〉です。MONJUのMr. PUGはレーベル〈DOGEAR〉を設立するとき、〈ダック・ダウン〉をひとつのモデルとして考えていたと語ってくれたことがあります(『ele-king vol.18』特集「いまヒップホップに何が起きているのか?」2016年)。MEGA-Gくんは、ブート・キャンプ・クリックや〈ダック・ダウン〉の魅力をどこに感じていますか?

90年代にUSでもインディ・レーベルが乱立した時期はあったけれど、いま生き残っているレーベルがどれだけあるかと言えば、ほとんどないじゃないですか。そんななか、そういうインディ・レーベルの先駆的存在である〈ダック・ダウン〉はスタンスを変えず25年も活動をつづけている(〈ダック・ダウン〉の設立は1995年)。そのブレなさが彼らの素晴らしさです。自分たちの手の届く範囲に音楽や作品を届けた上でツアーもやり、応援してくれるファンや地元のために地域密着型のバーベキュー・パーティーやフリー・ライヴもやってみんなを喜ばせている。愛してくれる人たちやコミュニティにそういうかたちで愛を返しているのがすごくステキだし、見習いたいですね。音楽においてもちろんビジネスも大事だけど、音楽をライフとして楽しむことはもっと大事ですよね。そういうことを彼らから教わってきました。俺が最も憧れる人たちが変わっていないから、俺もブレずにやろうと思える。バックショット(Buckshot|ブラック・ムーンのラッパー/〈ダック・ダウン〉の設立者のひとり)はいつ聴いてもバックショットのカッコよさがあるし、ショーン・プライス(Sean Price|ヘルター・スケルター【Heltah Skeltah】のラッパー/2015年に亡くなる)は死んでからも何枚もアルバム出しているじゃないですか。そういうタフさも魅力ですね。

Black Moon – Creep Wit Me

──アルバム・タイトルの『Re:BOOT』、またMEGA-Gくんが主宰するレーベル〈BOOT BANG〉にも、ブート・キャンプ・クリックの「BOOT」が組み込まれている。タイトルやレーベル名にはどんな意味合いを込めているのでしょうか。

「REBOOT」には「再起動」という意味があるじゃないですか。当初の計画ではこのアルバムを平成のあいだに出して、そこから自分の人生をラッパーとしても社会人としても「再起動」するつもりだった。それでこのタイトルにした。ところが制作中に足を骨折して長期入院まですることになってしまった。退院はできたけど、こうして足を引きずっているし、いまも酒が飲めないぐらいの重傷だった。アルバムが9割ぐらいできていたのに考えていたプランが全部流れちゃったんですよ。もう本当に心が折れかかりました。そんななか、お見舞いに来てくれた人が励ましてくれたり、Twitterでファンの人からの応援の声に触れたりして、もうちょっとだけ頑張ろうって思えて作品をなんとか出すことができた。俺にとって『Re:BOOT』はジェイ・Z(Jay-Z)の『ブラック・アルバム(Black Album)』(2003年)のようなものです。ジェイ・Zはあの作品を最後にラッパーを引退するつもりだったじゃないですか。その後復活しましたけど、あの作品を聴けば、本当に引退するつもりですごい集中力を込めて1曲1曲作っているのがわかる。だから、聴き流さずちゃんと聴き込めば、いろいろ感じ、考えることができる。俺も今回のアルバムを、全体を通してメッセージのある作品にしたかった。そういう意識で、全曲全力でラップしていますね。しかも、いままでやってこなかった、パーソナルな部分や、ヒップホップを通して俺の考えている意見や主張をどれだけ発信できるかを重視したんです。

〈BOOT BANG〉というレーベル名には2つの意味があります。ダブル・ミーニングです。まず、〈BOOT BANG〉って日本語の発音に置き換えると、“ブート盤(海賊盤)”になるじゃないですか。これにはそもそものレーベルのはじまりが関係しています。2010年にMUTAと『WHITE BOX』、そしてその直後にMUTAとDJ 49とともに『BASIC TRAINING』という2枚のMIXCDをリリースした。当時はSEEDA & DJ ISSOの『CONCRETE GREEN』も勢いがあったし、俺もMIXCDでいろんなチャレンジをしてみたかったんです。前者は、その前年に発表したJUSWANNA『BLACK BOX』のラップを同年のUSのヒップホップのビートとブレントしたもの。後者では、90年代の日本語ラップ・クラシックのビートに、俺やMSC、いろんなラッパーの既存のラップと書き下ろしのヴァースをブレンドした。

両者とも既存のヒップホップのインストを使うビート・ジャックがコンセプトです。つまり、〈BOOT BANG〉は“ブート盤(海賊盤)”からスタートしている。そこに、ブート(BOOT)で撃ち抜く(BANG)という意味をかけている。そして、いつか俺なりの本物のヒップホップを詰め込んだファースト・アルバムを出す、そこまでのヴィジョンを意識して〈BOOT BANG〉というレーベルをはじめたんです。それから、〈CPF〉というレーベルのクラウドファンディングの会員限定で何枚かソロ・アルバムを出しましたけど、こうして誰もが聴ける一般流通でのオリジナル・フル・アルバムははじめてです。だから、俺にとってはレーベル設立以来、9年越しのオリジナル・ファースト・フル・アルバムになる。

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ラップする理由──MEGA-G、ロング・インタヴュー interview2005-mega-g-2-1

ここでMEGA-Gのディスコグラフィーを簡単に整理しておこう。2006年にラッパー、メシアTHEフライとDJ MUTAらとのグループ、JUSWANNAとしてEP『湾岸SEAWEED』(本作収録の“東京Discovery”と“ブストゲスノエズ”は16FLIPが最初に世に出したビート)を、2009年、同グループのファースト・フル・アルバム『BLACK BOX』を発表。2012年にクラウドファンディングの会員限定流通作品としてファースト・ソロ『JUSWANNA is dead』を、翌2013年に同じく会員限定でセカンド・アルバム『ORIGINAL SOUNDTRACK FROM THE M.E.T.S. LIFE』を発表している。ちなみにソロ作品の両者にはそれぞれ一般流通のリミックス盤が存在する。では、ここで、MEGA-Gのバイオグラフィーについてもたずねてみたい。取材は、東京都大田区西糀谷にあるカナエ産業の町工場で行われた。最寄り駅は浜急行電鉄空港線の糀谷駅。そこではスケボーの板を使用した椅子作りなどもしているという。目の前には、さまざまな金属の部品や機械が置かれている。ここがMEGA-Gの地元だ。『Re:BOOT』には、同じく城南出身のKM$とT2Kをフィーチャーした“Southern Hospitality”という城南をレペゼン(代表)する曲がある。地元はどんな土地なのだろうか。

大田区は見てのとおり、京浜工業地帯の一角で、工場が多い地域です。いまは元気がないけど、まだまだ町が活気のあった俺らの子供のころは、それこそメシアの「光化学スモッグどんづまる」(“大焚湾景”『湾岸SEAWEED』収録)っていうリリックにあるとおり空気も悪かった。俺にとってもここがスーパーネイバーフッドで、自転車で5分くらい行けば実家。うちも車の整備工場で、俺はそこの倅。ガッチャンガッチャンやっているところで育ちましたね。そういう町工場で、もう亡くなってしまったラジオ好きのおじさんが働きながらいつも音楽をかけていて。だからなんとなく小さいころから音楽っていいなあっていうのはあった。

俺が中学高校時代(1994年~2000年)はストリート・ダンサーとスケーターがとにかく多かった。このあたりはストリート・ダンサーとスケーターが支配していましたね。蒲田駅西口の東急ストアのガラス張りの壁の前で練習しているダンサーに憧れて観に行ったりしていたし、同級生や先輩にはスケーターがたくさんいましたね。そのなかのひとりがメシアだった。俺は蒲田で、メシアは隣町の大森が地元だった。ヤツは、俺が出会った16歳ぐらいのころにすでに地元の超有名人だったんですよ。ラップもしていたし、高校もすぐにフェイドアウトして腰ぐらいまであるドレッド姿でコンビニの深夜アルバイトしていましたから。まあ悪いコンビニだったんですよ(笑)。メシアとかスケーターの友だちに連れられてクラブに遊びに行くなかでヒップホップっていうカルチャーを少しずつ認識していった。

それ以前に、ラン・DMC(Run-D.M.C.)がラップしている『ゴーストバスターズ2(Ghost Busters II)』(1989年)のメインテーマを聴いたり、昔のアメリカ映画を観たりするなかでラップという音楽をなんとなく認識はしていたし、『浅草橋ヤング洋品店』(通称「浅ヤン」。テレビのバラエティ番組)に出演したダイアナ・キング(Diana King)がウーハーを積んだ車の上で“シャイ・ガイ(Shy Guy)”(1995年)を歌う企画に食らったりもしていた。“シャイ・ガイ”はブラック・ミュージックとの最初の出会いですね。また、「ギルガメッシュないと」っていうエロ番組でリセット・メレンデス(Lisette Melendez)の“グディ・グディ(Goody Goody)”(1994年)の超ダサい日本語カヴァーを聴いたあとにオリジナルを聴いてぶっ飛ばされて、そういう曲がのちに遊びに行ったパーティでかかってうれしくてどんどんハマっていった。

Diana King – Shy Guy

そういうクラブに連れて行ってくれるのがスケーターだったから、当時のスケーターのビデオとかも観るじゃないですか。そうすると、ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)といっしょにハード・ロックやパンクも使われている。そういう音楽にも関心があったし、日本のロックも聴いていました。イエモン(THE YELLOW MONKEY)なんて高校のころにバイトした金でチケット買って横浜アリーナにライヴを観に行くぐらい超大好きだった。同時に、TM NETWORKや初期から電気グルーヴを聴いているようなテクノ好きの姉ちゃんがいたから、“虹”(1995年)とか“Shangri-La”(1997年)も聴いていた。それでもやっぱりヒップホップが好きだったから、このカルチャーに携わるにはどうしたらいいんだろうって考えた。金もないガキだから機材を買うのに金がかかるDJはまず無理だと。そうなると、残された選択肢はダンスかラップなんです。でもダンスは体型的に絶対無理だから諦めようと(笑)。そうすると、ラップしかないわけです。そんなことを考えている矢先に、俺がヒップホップを聴いていると知った超やんちゃなDJの先輩に呼び出されるんです。それが15、6歳、中3の終わりぐらいのことです。

ほぼ知り合ったばかりのその人に『お前、ヒップホップが好きらしいな。だったらラップやれよ!』ってなかば強引にラップをやらされることになって。でも、ヒップホップを聴きはじめたばかりだからラップのやり方もわからないわけですよ。そしたら、その先輩のDJから「ビギーを聴け! 日本語ラップは聴くな」とひたすらビギー(The Notorious B.I.G.)を聴かされて洗脳されました。そんな“日本語ラップ否定派”のやんちゃな先輩が唯一俺に聴いていいと許可してくれたのがMICROPHONE PAGERだったんです。だから俺はMICROPHONE PAGER、特にTwiGyさんにめちゃくちゃ影響受けているんです。

MICROPHONE PAGER – 改正開始

──それからラッパーとしてどういう活動を展開していくんですか。

俺は最初、ラッパーとしてジャイアンって名乗っていました。藤子・F・不二雄先生を冒涜するかのように、ジャケットにドラえもんのジャイアンを使い、イントロでドラえもんの曲を丸々使う、というとんでもないデモテープを作りましてね。まだ18歳になる前でした。そのデモテープを渡すために、〈EL DORADO〉(DEV LARGEが1997年に立ち上げたレーベル)が渋谷のクラブ・FAMILYでやっていたイベントに行ったり、学校をサボってMASTERKEYさんとMAKI(THE MAGIC)さんがラジオの公開収録している現場に行ったりしていました。すげえ勢いで飛び込んでいくんであちこちでけっこう苦笑いされましたね(笑)。でもとにかく、自作のデモテープを聴いてほしくて渡り歩いていました。

──MEGA-Gくんは正式なメンバーではなかったそうですが、ZEEBRAが90年代後半に立ち上げたクルー、URBARIAN GYM (UBG)の準メンバー的存在で、DJ KEN-BOの運転手やレコード持ちをやっていた経歴もあるそうですね。

18、19歳ぐらいのころは、ZEEBRAの“真っ昼間”のMVとあの曲が収録された『THE RHYME ANIMAL』(ZEEBRAのファースト・アルバム/1998年)に刺激を受けまくっていた時期なんです。そのジブさんが「デモテープがあるヤツはガンガン持って来い」って<THE LIVE ANIMAL’98 JAPAN TOUR>のビデオで発言していたのを真に受けて突撃したんです。1999年のB-BOY PARKで当時、UBGに所属していたOJ & STのOJくんと出会い、その流れでSTさんやD-Originuさんともリンクした。そうして、1999年末に川崎のCLUB CITTA’であったイベントのときにバックヤード(楽屋)に入れてもらって、ジブさんにフリースタイルを仕掛けるという(笑)。そういう勢い突っ込んでいた時期ですね。まだ2ちゃんにもヒップホップのスレッドがないころに、「サグ(THUG)板」や「友情BBS」、「韻化帝国」というヒップホップの掲示板がネット上にあって、そこに書き込んで情報をゲットしたり、議論したりしていた名もなき戦士、名もなきB・ボーイでしたから。だから、クラブにももっと行きたいじゃないですか。でも金がない。じゃあ、どうするか。「クラブで働いている人かクラブでDJやっている人についていけばいいんだ」っていう発想になる。それでKEN-BOさんの運転手やることになった。だから、俺にとってヒップホップのDJの原点はKEN-BOさん。プレイを観てDJの勉強をしていました。でもいろいろきついこともありましたけどね。三宿のPARADISEってクラブで5時間のロング・セットをやるときに鬼のようにレコードバッグを持って行くんですよ。マジで肩がぶっ壊れるかと思った(笑)。

ZEEBRA – 真っ昼間

LICENSE TO ILL/MEGA-G feat. DJ MUTA(beat by NAGMATIC)

──2019年5月2日にこんなツイートをしていますね。「僕の中で業界の門を開けてくれたのはOJ&ST、初めてスタジオでマイクの前に立たせてくれたのはZEEBRA、そして業界の内側を教えてくれたのがD.Lなんです」と。そして、〈BOOT BANG〉のHPの「Feat. Works」の欄のいちばん古い楽曲が、2004年8月4日の“RICE/侍 Feat. L-VOKAL & MEGA-G”(RICE『Power Of Heat』収録)となっています。このあたりの時代の話を聞かせてもらえますか。

まずSPHERE(旧SPHERE of INFLUENCE)とL-VOKALも俺の初期の活動を支えてくれた重要人物です(SPHERE of INFLUENCE、L-VOKAL、DJ MAROKから成るクルーがCIG)。SPHEREから紹介されたL-VOKALが、当時レコーディングの経験もほとんどない俺にスタジオの現場を見せてくれたし、俺をフックアップして世に出してくれたのはCIGなんですよ。2002年ぐらいにL-VOKALのDJをやっていたT-TRO a.k.a TAKUYA TROPICANAのミックステープ(『BACK TO THE 95』)に入れるフリースタイルを録ろうって誘ってくれたのも彼らだった。そのラップが、デモテープ以外で俺がはじめて世に出したものです。D.O.くん、SPHERE、L-VOKAL、MCG名義の俺のフリースタイルが収録されている。

そして、その翌2003年にSPHEREがDEF JAMから出したセカンド・アルバム『ATLANTIS』収録の“FABULOUS 5”(feat. L-VOKAL、MEGA-G、KM-MARKIT、D.O)と“Dirty South”っていう2曲に参加して俺はデビューしたんですよ。Dirty Southっていうのは、SORA3000、 DOC D、SPHERE、俺の城南出身の4人で組んでいたグループで、ビートはWong Gun。Wong GunはいまのBACHLOGICですね。しかも、当時まだBEAT LEGENDという名義でやっていたと思うけど、D-ST.ENTの故・二木崇さんのレコードからサンプリングしてビートを作ったときは、Wong Gun名義だったんですよ。そういうルールがあった。これは余談ですけど、BLがラップやる時はSPYDERという名前でやっていて、超カッコよかった。5lackのフロウの原型のようにも聴ける。

──このときはMEGA-G名義になっていますよね。

そうですね。ある時、SPHEREとステーキを食いに行ったんです。ちょうど俺の誕生日が近かったから、ヤツが「500gのステーキを食ったら奢ってやるよ」って言ってきて。それでまんまと俺が完食したんです。で、そのステーキの名前がメガステーキだったから、メガ・ジャイアンでMEGA-Gになったわけです(笑)。その後、2004、5年くらいから〈Libra〉と合流して、DJ DOMMONのミックステープ(『GETTIN’ HOT』)で初めて〈Libra〉の仕事をすることになるんです。

──MEGA-Gくんと日本語ラップ、日本のヒップホップの歴史との深いつながり、またそういう歴史の継承ということで言えば、『Re:BOOT』の“Outta Here”というスキットは重要です。このスキットはYOU THE ROCK★の語りのみで構成されています。

その次の“RAP IS OUTTA CONTROL”という曲のなかに「今の現状からoutta hereさせられるのを考えた事あるかキッズ?」というリリックがありますよね。このラインにつながるイントロが欲しいとまず思い立った。そこで当然思い出したのが、YOUさんの大傑作『THE★GRAFFITI ROCK ’98』に収録されているスキット“OUTA HERE(REAL SHIT PT.1)”だった。YOUさんは、KRS・ワン(KRS-One)の“Outta Here”のファースト・ヴァースを日本語訳して自分なりの味付けをしてライヴで朗読したものをここに収録した。俺はその詩のあるいち部分を変えていただき、朗読してもらうつもりだったんです。そういうオファーをするためにYOUさんに会いに行った。

そしてその場でまず“RAP IS OUTTA CONTROL”を聴いてもらいました。すると、YOUさんが、その曲でスクラッチされているTwiGyさんの「ラップじゃねえか たかが」(“改正開始”)というリリックを聴いて、『俺もこのリリックを使おうと思っていたし、俺もこれがマジ言いたかったことなんだよ』と言ってくれた。「リンクした」と感激しましたね。さらに、YOUさんはその場でノートを開いて新しい詩を書いてワンテイクでバシッと録音をキメてくれたんですよ。それで完成したのがあのスキット。しかもYOUさんが“Outta Here”を当時作ったのは、ビギーが殺された直後の気持ちを残し、伝えておきたかったかららしいんです。その話を聞いてなおさら自分のアルバムに詩を朗読してもらって良かったと思いましたね。

KRS-One – Outta Here

──日本のヒップホップ、人生の浮き沈みを経験して見てきたYOU THE ROCK★だからこそ成立していますよね。また、KRS・ワンの“Outta Here”が収録されたアルバムのタイトルが『リターン・オブ・ザ・ブーム・バップ(Return of the Boom Bap)』(1993年)です。直訳すれば、「ブーム・バップの逆襲」となる。『Re:BOOT』もまさに「ブーム・バップの逆襲」というのがふさわしいヒップホップ・アルバムです。同時に、“808 is coming”でトラップにも挑戦している。この曲はMEGA-Gくんなりのトラップに対するアンサーですね。

トラップをディスりたいとか、そういうことではないんです。ただ、同じ打ち方のハイハットに同じようなスカスカのビート上で、みんなが同じようにフロウをしているのを聴くと、「なぜ、みずから個性を殺しているんだろうか?」「ヒップホップは個性が大事なんじゃないか?」と強く思う。そこから来た俺なりの問題提起です。そこで、トラップのビートで2、3曲ぐらいはやろうかと当初は考えていたけど、1曲入魂で作りました。

けれども、単なるトラップ・チューンをやるつもりはなかった。そこでI-DeAくんからまさにアイデアを授けられたわけです。それこそKRS・ワンの〈ブギ・ダウン・プロダクションズ〉(Boogie Down Productions)に所属するラッパー、D・ナイス(D-Nice)にその名も“TR 808 イズ・カミン(The TR 808 Is Coming)”(1991年)という曲がある。それが元ネタで、BPMもほぼほぼいっしょです。ただ、ドラムの打ち込みを今風に変えて、D・ナイスの曲を100回くらい聴いた上で、90年代からいまに至るまでのヒップホップを吸収した俺なりのアンサーや解釈をリリックとラップに込めた。ヒップホップには絶対に欠かすことのできないドラムマシーンであるTR-808にすべてを関連付けながら、だけど、ドラムマシーンの808なのか、“あっちの808”なのか、そのあたりも混ぜて考えさせるようにしている。「ダブル・ミーニングだぞ、わかるか?」と。トラップをやるにしても、フロウもリリックも内容も大人の余裕を見せた曲に仕上がっているはずですね。

D-Nice – The TR 808 Is Coming

MEGA-G “Stonedz iz the way feat. DOGMA/808 is coming”

──いま“あっちの808”という話が出ました。イヴィル・ディーがビートを作りラッパーのDOGMAが客演参加した“Stonedz iz the way”は単なるストーナー・ラップではなく、ウィードが法律で禁止されている日本の現状に対する異議申し立てになっています。

DOGMAとのSTONEDZのアルバム『STONEDZ PROJECT』(2016年)で俺たちなりのいわゆるストーナー・ラップの最高峰を作ったんです。だから、このトピックを扱うのであれば次のレベルに行かなければならないし、ラッパーとしていまの時代にこのことについて歌うのならば、メッセージが重要じゃないですか。「俺たちはぶっ飛んでるぜ、ウェーイ!」っていうのは若い人に任せておきたいです。

──近年、舐達麻やジャパニーズマゲニーズが活躍していますが、日本語ラップにおけるストーナー・ラップの重要作のひとつと言えば、2014年に公開されたSTONEDZの“HIGH BRAND”のMVですよね。日本語ラップにおけるこの領域の先例には、THINK TANK『BLACK SMOKER』(2002年)の当時としては衝撃的なジャケがありますが、このMVもすごい。アムステルダムで撮っていますね。

アムスには2012から2013年にかけて3回くらい行っています。2012年はカンナビス・カップの25周年で、その記念大会に行きました。それが初アムスです。カンナビス・カップ(The Cannabis Cup)にはアメリカからゴーストフェイス・キラー(Ghostface Killah)やスタイルズ・P(Styles P)、ノリエガ(N.O.R.E.)らも来ていてすごい盛り上がりで衝撃を受けて。それで翌2013年の4月20日に再訪するんです。そこで、“HIGH BRAND”のMVを撮るためにアムスでも5本の指に入るぐらいのGREY AREAという有名なコーヒーショップに通い詰めることになる。

だけど、そのお店のなかで撮影をしたいと、店主に頼むと最初は「バカヤロー!」って感じで門前払いをしばしば食いまして(笑)。それでもめげずに、このお店をロケで使いたいという情熱を伝えるために毎日オープン前から並んで、オープンと同時に入店して居座るというとんでもない荒技を駆使すると、だんだん店主も優しくなってきて。「お前らはファミリーだ」なんて認めてくれて、店のメニューにないものも売ってくれました。そして帰国が迫るなかで再び撮影のお願いをすると、「じゃあ、今晩撮ろう」ってボソッと言ってくれた。斜め前のお店で寿司の出前を取ってくれた上に、「撮影には太いジョイントが必要だろ?」と、お店からのご好意であのMVに登場するでっかいジョイントを提供してくれたんです。25グラムも詰まっていて顔面がめっちゃ熱かったです(笑)。

HIGH BRAND feat. DOGMA

──なるほど。また、先ほどからビギーの話がしばしば出てきていますが、“Stonedz iz the way”では、ビギーの“エブリデイ・ストラグル(Everyday Struggle)”(『レディ・トゥ・ダイ(Ready To Die)』1994年)のラップがスクラッチされています。

あのスクラッチはDJ DOMMONですね。実は“I LOVE YOU SON”の最初のヴァージョンは、ビギーがジェイ・Zといっしょにやっている“アイ・ラヴ・ザ・ドウ(I Love The Dough)”と同じネタでビートを組んでいたんです。アルバムやEPを出すときには必ず1曲はビギーへのオマージュを入れるようにしているんですが、なんとこのヴァージョンがいちどポシャッてしまった。それで気持ちが萎えているときにLIBROくんのアルバム『SOUND SPIRIT』のレコーディングに誘っていただいて“ライムファクター”を録音して。そこで、スキル・トレードというかたちで俺のアルバムのためにビートをもらえませんか? とお願いしてもらったのが完成した“I LOVE YOU SON”のビートだった。

ところが、この曲が完成する前に足を骨折して入院するんです。その入院中にT2KくんのEP『continue…』の“Fuck You to Money”の秋田犬どぶろくの声がすごく染みて。俺にはいま秋田犬どぶろくが必要だと思い、彼を誘わせてもらったんです。昔からOZROSAURUS“My Dear Son”がすごく好きで、自分もいつかそういう曲を作りたいと考えていたんです。2014年に子供が生まれているんですけど、実は俺、その直後にちょっとパクられてしまって。だから、子供に会いたいけど会えないつらさ、懺悔、そういった素直な気持ちを込めたファースト・ヴァースは留置所のなかで書いている。そしてセカンド・ヴァースで奥さんにたいする感謝を込めつつ、自分のいまの現状を伝える構成にした。そして、秋田犬どぶろくともうひとり、この曲をともに作るラッパーが必要だと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが、PRIMALだった。かつては共同生活をしていたし、PRIMALが奥さんと出会って、結婚して、子供を授かるまでの過程を見て知っている。子供のためにラップをちょっと休んで仕事を頑張っているのもカッコいいし、俺が思うカッコいい父親のひとりだから誘いましたね。

──この曲のセカンド・ヴァースで「大どんでん返しも多めだが舞い込んで来る大本命のMADONNAを手に入れるlike SEANPENN」というラインがありますよね。このあたりをみずからRAP GENIUSしてもらうとどう解説できますか?

マドンナ(Madonna)が結婚していたショーン・ペン(Sean Penn)との関係が破綻するなかで作っていた『ライク・ア・プレイヤー(Like a Prayer)』(1989年)というアルバムのなかに“キープ・イット・トゥゲザー(Keep It Together)”という曲が収録されているんですけど、この曲はスライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly & The Family Stone)“ファミリー・アフェア(Family Affair)”を冒頭で引用しているんです。それで、俺にもいろんな家庭事情があるけれど、それを乗り越えて一緒に歩んでいこうという意味を込めて「family affair超えてkeep it together」と続けている。さらに「21g新たに背負い」というのは、タイトルは魂の重さが21グラムであると唱えたある科学者の説に由来する、ショーン・ペン主演の映画『21グラム(21 Grams)』からの引用です。新しい魂は、つまり子供のことですよね。そうして、ここではマドンナとショーン・ペンを使ってラップを展開させているんですよね。全曲こうして解説しようとすれば、できますね。それぐらい、引用とライミングと意味なんかをかけた仕掛けをすべての楽曲にいろいろ張り巡らしています。

ラップする理由──MEGA-G、ロング・インタヴュー interview2005-mega-g-00

──MEGA-Gくんは元々ライミングをかなり徹底していましたが、この作品で意味の関連付けや論理展開も強化して、表現をより豊かにしています。

Genaktionさんのブログ「探求HIP HOP」と出会ったのがすごくデカいです。USのヒップホップの対訳を調べようとリサーチすると、ある時期から必ずGenさんのブログがヒットするようになったんです。で、そのGenさんのリリックの解説と対訳がものすごく面白くて。Genさんが自主で出したZINE『HIPHOP ANTI-GAG MAGAZINE』も買って読み込むなかで、あらためて、リリシズム、巧妙な韻の踏み方、比喩表現の方法を学んでいきましたね。先日、DARTHREIDERさんがWREPでやっている番組に呼んでもらった際に、荏開津(広)さんとGenさんもいらっしゃっていて、そこではじめてお会いしました。俺のアルバムをすごい褒めてくれて、めちゃくちゃうれしかったですね。ヒップホップについて深く学ぶ機会を与えてくれた方なので、アルバムのスペシャルサンクスにも名前を入れさせてもらっています。だから、このアルバムには俺がここ何年間でさらにヒップホップから学んだことが反映されていると思うんです。

ここ数年、ラップは大きなブームにもなったし、ヒップホップの認知度も上がったと思う。だけど、ラッパーやプレイヤーが年齢を重ねてもヒップホップを続けたいのであれば、常に知識や経験を増やす努力をすることが絶対大事だと思う。そういうラッパーが増えて、ヒップホップが文化としてしっかりこの国に根付いてほしいと思うし、このアルバムがそういう点で何かしら貢献できたら俺はうれしい。そのことを感じられたときに、はじめて作品を出したという達成感を得られるかもしれないですね。

同世代のサイプレス上野がよく「俺らは泥水の世代」みたいな言い方をするじゃないですか。たしかに、俺らはヒップホップがまったく流行っていなくて、テレビにも取り上げられない時代を経験している。でも、サイプレス上野はいま浮上している方ですからね。俺なんてもう泥水どころじゃなくて、下水だったぜと(笑)。そういった日本語ラップやヒップホップの歴史や良い面と悪い面のどちらにもちゃんと向き合ってヒップホップという文化を愛しているヤツが真のラッパーじゃないですか。

ラップする理由──MEGA-G、ロング・インタヴュー interview2005-mega-g-1-1

──そんなMEGA-Gくんだからこそ、ラップをやめるか、やめないかを真剣に悩み、悩みつづけているとも言えますね。“Rhyme and reason”の「もう月日や金これ以上費やしても無意味なだけ……既に限界さ稼ぎと才能このゲーム常にスピーディなんだぜ?」というラインにその気持ちが象徴的に表れています。

新しい才能を発掘するディレクターやプロデューサーの仕事もしたいと思っているんです。とにかくいまは、この作品にすべてを注ぎ込みましたから、しばらくは新しい作品を作らないです。残量がゼロなんです。いま振り返れば、JUSWANNAではメシア、STONEDZではDOGMAという相方がいて、俺より彼らのほうが人気があったと思うんですよ。俺は常にナンバー2だったし、そのポジションをキープしようとしてしまったところがあった。今回のソロ・アルバムではそこを払拭したかった。

それともうひとつ、実は半分ぐらい完成している段階であるレーベルに持ち込んだんです。そうしたら、ディレクターの方からすごく遠回しな表現で「あなたはいま自分たちのレーベルに必要ありません」って厳しい答えが返ってきた。それは本当に悲しかったし、なにより悔しかったんですよ。それで絶対世に出してやるって逆に燃えました。“Two Turntables and a Mic”の「売れないものには消極的なrecord deal/お前らの後悔マイクで総取り/忖度無くても良い音楽は支持される/それはきっとこんな歌」ってラップしたのはそういう経験があったからです。

だから、いろんな意味でどうしても出さなきゃいけない作品だったんです。だけど、3年の制作のあいだに何度も「この作品は本当にリリースできるのか?」っていう不安に襲われて。もしかしたら完成前にラップをやめざるを得なくなって、作品を完成させられないかもしれないという危機感もあった。そんなときに俺のなかで何かが変化したんです。それは、自分のことを応援してくれる人に会って話すときにすごく熱くなるものを感じていたんですよ。そして、俺にとっての“ラップする理由”はこれだったのかもしれないと、作品を出し終えたあとにはっきり気づいたんです。だから今後また、出会いがあったり、環境の変化があったり、海外に行ってみたり、そういう経験が積まれて新たな“Rhyme and reason”ができたときに、また新たな作品が生まれてくるはずだと思います。

ラップする理由──MEGA-G、ロング・インタヴュー interview2005-mega-g

取材・文/二木信(TwitterInstagram
写真/Yohji Uchida(Instagram
取材協力/蒲田YUGEN、(有)カナエ産業(Instagram

『Re:BOOT』

ラップする理由──MEGA-G、ロング・インタヴュー music200504-mega-g

2019.11.03
MEGA-G
〈Boot Bang Entertainment〉

01. I’m going thorough changes(beat by DJ SCRATCH NICE)
02. muddy waters(beat by VAL)
03. stonedz iz the way/feat. DOGMA(beat by DJ EVIL DEE)
04. southern hospitality/feat. KM$&T2K(beat by ZKA)
05. I love you son/feat. PRIMAL & 秋田犬どぶ六(beat by LIBRO)
06. 93interlude(beat by DJ CARREC)
07. two turntable & a mic(beat by DJ CARREC)
08. lowend theory(beat by DJ EVIL DEE)
09. champion sound/feat. N.E.N&BLAHRMY(beat by NAGMATIC)
10. license to ill/feat. DJ MUTA(beat by NAGMATIC)
11. 808 is coming (beat by I-DeA)
12. outta here/feat. YOU THE ROCK★(beat by I-DeA)
13. rap is outta control(beat by LIBRO)
14. rhyme and reason(beat by MASS-HOLE)

MEGA-G

TwitterInstagramBOOT BANG ENTERTAINMENT

『Re:BOOT』配信はこちらからgood friends, hard times