東京・神泉駅前にあるモーラム酒店を舞台にタイカルチャーに精通する様々なゲストとSETSUZOKUプロデューサー・西堀純市がイサーン料理とM-150のオリジナルカクテルに舌鼓を打ちながら、それぞれにとってのタイをキーワードにした雑談とちょっぴり真面目な対談を行う-Culture Party- SETSUZOKUの企画「GOODでMOOD」。コロナ禍が落ち着き、またタイへ行けるようになった時、皆さんの新たな旅にプラスαとなる感性をお届けします。
今回のゲストは、述べ30,000人以上もの生徒をもつタイ料理研究家・長澤恵(May)が登場。レッスンだけではなく、商品開発や食文化セミナー、そしてタイの地方へ赴く食体験ツアーの企画など、彼女はあらゆる
アプローチをもって“タイの食文化”を発信し続けている。
会社員時代に口にしたパッタイに衝撃を受けて以降、タイ料理の虜になってしまった長澤。彼女の考えるタイ料理の魅力とは。タイとの出会いや自身の活動におけるモチベーション、そして“美味しいタイ料理屋”の見分け方など、“食”をテーマにさまざまな対話が繰り広げられた。
対談:
長澤恵 × 西堀純市
ストレスフリーで居心地のいい場所・タイ
━━西堀さんと長澤さんとの出会いって、実はこのモーラム酒店なんですよね。
西堀純市(以下、西堀) そうそう。まさにこの連載の第1回目で富田さんと対談した時に、ここの屋上で長澤さんがたまたまバーベキューをやってて。
長澤恵(以下、長澤) 本当に奇跡的な出会いでしたね(笑)。
西堀 今日はメイさん(長澤)のレシピブックを持ってきました。プロフィールとかを見たんですけど、OL時代にパッタイを食べた衝撃で、会社を辞めてタイ料理店で働き始めたって、ポテンシャルがすごいですよね!
長澤 シンプルに欲望のまま動いたんですよね。実は当時、会社の総務部で働いてたんです。仕事内容も郵便物の発送処理や電話応対、お茶汲みなどが中心で。
西堀 真面目な堅い部署じゃないですか!
長澤 そう。どこに幸せや楽しみを見つければよいかわからない時期でした。そうやって、生きがいを感じられなかったOL時代にパッタイを食べたからこそ、衝撃を受けましたね。うちの会社名である“ティッチャイ”はタイ語で“やみつきになる”という意味なのですが、私自身がやみつきになったからこそ、全てが始まったんです。
━━初めてパッタイを食べたのはどちらのお店だったんですか?
長澤 千葉県・船橋にある「アユタヤ」っていうお店です。
西堀 また、ネーミングがど直球で良いですね!(笑)
長澤 当時はタイ人の奥さんと日本人の旦那さんが切り盛りしているお店で。オーナーである奥さんに「ここで働かせてください!」って頭を下げたら驚かれましたね。
「あんたOLさんでしょ、考え直しなさい!」って(笑)。ただ懲りずに毎日通って頼み続けていたら、ある時「……いいの?」って口調が優しくなったんです。それから、「サワディカ(こんにちは)」と「コップンカ(ありがとうございます)」しか知らない状態でタイ料理の世界に飛び込みました。お店での主な仕事はホール担当だったのですが、だんだんエビの殻むきなどの仕込みを手伝わせてもらえるようになったんですよ。
西堀 当時から料理が好きだったんですか?
長澤 好きでしたね。飲茶を本場・香港で習ったりしていました。正直、タイにのめり込む前は香港が大好きで。20回以上は通っていたんです。ただ、お店で働き始めた後に、タイに旅行へ行ったら、もう浮気が本気になったというか(笑)。一切香港に行かなくなりました。
━━現地のどんなところが気に入ったんですか?
長澤 居心地が良いんですよね。日本で生活すると「こうしないといけない」「ああするべき」というプレッシャーにストレスを感じていた頃で、それが一切なくて。ストレスが無いことが心地よかったんです。
タイに初めて訪れた時、アユタヤ県出身のキッチンスタッフの実家にお世話になったのですが、「僕がいない代わりに家族が面倒見るよ」と。家族ぐるみで面倒を見てくれるなんて、何てタイ人は優しいのだろうと思いました。料理が好きと言ったら「何か食べに行こう」と食べに連れて行ってくれたり、家族全員がコックさんなのでタイ料理を教えてくれたり。家の目の前に大きなチャオプラヤー川があって、川を見ながらぼーっと2時間過ごすだけでも、ただ幸せでした。
西堀 僕は好き嫌いが多くて、最初はガパオくらいしか知らなかったです。マフト・サイ(MAFT SAI)と出会ってからイサーン料理とか色々なタイ料理を教えてもらって、気づいたらタイ料理が好きになってました。結構タイの人って、過剰なもてなし方してくれません? 中国っぽいというか。
長澤 そうそう。レストランでも食べきれないくらい注文してくれるし。あと、遠慮深い人柄で、礼儀はしっかりとしている印象です。
西堀 人柄はいいですよね。上下関係は日本より強いかもしれないけど。
長澤 確かに。マナー的な問題で、日本と感覚が近くてよかったなと思うシーンは何度かありました。
西堀 近いところはありそうですね。僕もそういう文化に気付いてから、タイへの興味が深まりましたよ。
長澤 実はタイにハマった理由がもうひとつあって。毎回、現地で教えてもらう美味しい料理って、日本で食べたことのない料理ばかりだったんですよね。日本に帰るとタイ料理をもっと知りたくなって、次の渡航に向けてお金を貯める。その繰り返しでした。
また、現地のレストランで美味しいと感じたら、オーナーさんに「研修させてください」って交渉していました。受け入れてくださったオーナーさんとは今でも付き合いがあります。
ある時、「自分でこれを教えたいな」と思い、調べるうちに横浜の料理サークルが各国の料理講師を募集している、という情報にたどり着きました。そこで料理を教えるようになったのが、料理研究家になるきっかけです。
タイ料理に対する自分の感動を伝えたい
西堀 僕の周りに“料理研究家”って職業の人がいないので教えてほしいんですけど、料理研究家って主にどういうことをするんですか?
長澤 レシピを考案するのが基本的なお仕事ですね。企業商品開発のお仕事を受けたり、レッスンをしたり。サークルで教え始めたのは2002年で、自分の教室を設立したのは2010年。活動を始めてからちょうど20年経ちましたね。
始めた当初は有元葉子さん、小林カツ代さんたちが第一線で活躍していた時代で。“料理研究家”という名前が普及し始めた頃だったので「じゃあ頭に“タイ”とつけようか」という経緯でこの肩書きになりました。
西堀 その頃は長澤さん以外に、いわゆる“タイ料理研究家”っていなかったんですか?
長澤 氏家アマラー昭子先生が活躍されていて、本を何冊も出されていました。当時、私はまだ日本では知られていないようなタイ料理を教えられればいいな、程度に考えていました。
西堀 なるほど。長澤さんは日本におけるタイ料理研究家の第一人者のひとりと言っても過言じゃないですね。ちなみに、レッスン以外に、タイ料理店を開くという発想には至らなかったんですか?
長澤 その頃は単純に資金の問題でした。もちろん料理研究家を始めてからは、お店を出すことも考えました。串焼きのお店を出す、というアイディアは、昔からずーっと企画を温めてます。でも、今の活動が楽しく幸せを感じているので、当分は、お店を出さなくてもいいかなって思ってます。
西堀 タイ料理の魅力を多くの人に伝えたい、という想いが長澤さんの活動に直結しているってことですかね。
長澤 厳密には「自分の感動を伝えたい」という感覚に近いかもしれません。実際、料理教室の生徒さんや、ツアーの参加者に何かを教えている時は、本当に活き活きした顔で解説しているらしいです(笑)。その感動が伝播し「タイ料理は楽しい、美味しい」と感じてもらえることで、また生徒さんも訪れてくれるようになるのかな、と。
あと私にとって重要なのは“現地の美味しさ”です。雰囲気やテーブルコーディネートを主体とすることは私の役目ではないと思っていて、現地の美味しさをしっかりと伝えられるようレシピ作りを努力しています。
西堀 食文化を教える過程での大義名分とかってあったりするんですか?
長澤 たとえば、私がツアーの開催で重きを置くのは、現地コミュニティで雇用を生んだり、村をアピールしたりすることです。
企画を作るとき、まずは目的地の県に入ってからTAT(タイ国政府観光庁)に、それぞれの市町村の特産品などの情報をヒアリングしに行くんです。情報をもとに各地の市町村長さんやコミュニティの責任者さんへツアーを打診するときは「食に特化したツアーをしたい。コミュニティを巻き込みたい」と相談するようにしています。すると、向こうからいくつかアイディアを提案してくれます。そこからツアーの過程で地域の人を巻き込めるようなプランを練り、参加者を募る。それが一連の流れになります。
例えばコロナ前の最後に開催したツアーは、カンボジアとの国境のトラート県という観光客のほとんどいない地域で開催しました。海に面した村で、葛粉の産地だったんです。2泊3日、食のアクティビティを盛り込んだツアーを行うために、下見では原材料であるクズイモの洗浄作業をさせてもらったりしました。そこで手間をかけながら作った葛粉のお菓子が本当に美味しかった! そうやって、地域にフォーカスしたツアーを開催することが目的のひとつになっています。
━━本当に目を輝かせながらお話しされますね(笑)。確かに、旅行では、なかなか現地の人とコミュニケーションをとる機会がないからこそ、新鮮さを感じそうです。
長澤 そうなんですよ! だからこそ、私のツアーは“現地の人と触れ合う旅行”になるよう意識しています。その方がタイの魅力に触れられるから。決して食べ歩きだけでは終わらせないです。
西堀 しかも、雇用機会も生まれ、社会貢献ができているなんて素晴らしい活動ですね。
長澤 私たちが得るモノの方が大きいですけどね。「地域の人が作った料理はこんなに美味しい、こんなに知らない食文化がある」って、普通の観光旅行であれば日本人が知る機会すらないじゃないですか。それを私が企画することで、味わってもらい感動してもらえる。それはツアーを開催するうえでの醍醐味です。
いつか旅行をしたい、の“いつか”はない
西堀 今ちょうど雇用など社会的な話題の話が出たのですが、僕の目標は「サブカルチャーを通して社会に貢献できるか」なんですが、コロナ禍を経て長澤さんはこれからどのように動いていきたいとかありますか?
長澤 私はバンコクを中心にというよりも、むしろ地方の“通常の生活”に入り込むような活動を行なっているんですよね。もちろん都市部には変化はあると思いながらも、人々の生活そのものは、あまり変化が無いのではと思っています。だから、もしそこに私たちが入れるなら、コロナ後も変わらずに同じことを続けたいです。
ただ、生徒さんが最近よく「いつか旅行をしたい、の“いつか”はないんだ。自分がやっと旅行に行けるタイミングが来ても、その時に行ける状況とは限らない。」とおっしゃる方が増えました。もし旅行がスムーズにできるようになったら、レッスンよりもツアーが増えるかもしれないと思っています。
西堀 たしかに「行ける時に行く」という価値観は増えてる気がします。ただコロナを通して、今まで通りの旅はもうできないんじゃないか、とも思うんですよね。だからこそ、長澤さんの“旅”に対する意識の変化についてお聞きしたいです。
長澤 今までのツアーでは朝から晩まで1日5食を店をはしごして食べ歩きます。例えば1日目の朝はパッタイを食べに行くと決めたら、下見の際、その町のパッタイ屋はすべて味見し、ツアーでは私が一番おいしいと思った店をご紹介するようなスタイルです。
今までは自分が好きなように自由にツアーの下見ができたけれど、これからは状況が変わり、同じような食ツアーができないかもしれない。そう考えると、より地域コミュニティとのふれあいがもっと濃くなるんじゃないかな、と思っています。
西堀 長澤さんにとってのタイが、人との関係を携え、探求していくような場所になるかもしれませんね。「人と人」というテーマが大きくなりそう。
長澤 実際に大きくなってます! ツアーを企画するためには、現地のコミュニティと築くべき絆があって、コロナ禍を経て、今まで以上に意識しなければならない事だと思っています。
西堀 ちなみにコロナ以前から政府の方針によってタイの屋台文化が無くなりつつある現状に対してどのように思いますか?
長澤 タイの大好きな風物詩のひとつ、屋台が作り出すバンコクらしい喧噪、活気が失われていくだけでなく、外食、中食文化が定着しているタイの台所のような存在である屋台がなくなることに、今後の食文化がどう変化していくのだろう……と懸念しています。
その一方で、コロナを経験したことで衛生面に対して意識の変化もあり、きっと変わっていかなければならない時代が強制的に来てしまったのかな、という思いもあります。
西堀 では、これから東南アジアのなかで、日本はどのような立ち位置になると思いますか? 我々のように何かを発信したいと思う人たちは、どういう視野を持つべきでしょう。
長澤 ツアーの話と関係するのですが、今までは私たちがタイ、東南アジアに旅行に行く側でしたが、最近は私の周りでも「物価の安い日本へ食旅行をする」というタイ人の方々が増えました。コロナが明けたら更にその需要が増える気がします。
私が研修したお店のオーナーさんがご家族で日本旅行に来てくれた際には地方にアテンドしたり。それとレストランへ行くために月一で日本に来るほどフーディーなタイ人の方がいらっしゃって、その方がタイ人富裕層向けに企画・主宰している、日本各地の食をめぐるマニアックなツアーがあるんです。私も一度参加したんですが、日本人でも予約が取れないようなレストランに連れて行ってくれるツアーなんです。毎回、タイから著名なシェフを招いていて、旅先のお店の方とのコラボディナーがあったりして面白いんですよね。
タイ人の方々と日本を巡ると、第三者の目線で日本が見えてきて、そこで自国の良さを再確認することも多かったです。食に関しては料理人の繊細な仕事や味付け、食材の扱い方、料理のバリエーションの豊かさ。タイ人シェフ達もやはりそこに着目していて、それを勉強することが彼らにとっての旅の一番の目的なんですね。私もそういった気づきは大事にしていきたいですし、日本の素晴らしい食文化を感じることによってタイ料理への理解を更に深められるな、と思いました。時には自分のルーツ、というか、育んでくれた文化に立ち返る事って必要なことだな、と改めて感じている最近ですね。
西堀 最後に、長澤さんにとってタイとは?
長澤 私の人生、生きがいであり、活力です。タイに触れていると「〜したい」という欲望がどんどん生まれます。タイに関わることならなんでもそう。まだまだ尽きないですね。
ここからは、タイに縁の深いゲストだからこそ知っている、タイについて紹介してもらった。いまは難しいかもしれないが、これから先、タイに行くことができるようになったら参考にしてみてはいかがだろうか。
日本の美味しいタイ料理屋の見分け方
━━日本で美味しいタイ料理屋を当てるコツのようなものってありますか?
長澤 本当にシンプルですよ。「コンセプトがはっきりしている」こと。
色んなメニューを網羅している店よりも、コンセプトがイサーン料理に特化していたりだとか、カオマンガイに特化していたりと、それ以外でも〇〇にこだわっているなど、自信が表れている店を私は選びます。
“パクチー大盛り”などをうたった、タイ料理店が増えた時期もありましたが、パクチーも、盛ってなんぼじゃないんです。パクチーが合う料理・合わない料理がありますし、そもそもパクチーは単体で食べるようなものでもない。そういったお店で苦い思いをして、パクチー、タイ料理が苦手になる人がいるのは残念に思います。
西堀 タイ料理の美味しさや素晴らしさを伝えたい長澤さんにとっては、美味しくないタイ料理店に出会ってしまって、タイ料理が嫌いになる人がひとりでも少なくなったら良いですよね。
タイでオススメのタイ料理屋
━━タイ現地でオススメのタイ料理屋はどこですか?
長澤 私が美味しくて研修に行ったお店をご紹介しますね。
■Hueang Jai Young フアンチャイヨーン / チェンマイ
おすすめメニュー
・北部のハーブソーセージ(サイウア)
・小松菜の和え物(サーパッカーノーイ)
・たけのこのスープ(ゲーンノーマーイソット)
■Samuay & Sons サームアイ&サンズ / ウドンタニー
※ 現在は新店舗「MAK KHANG THAI-ISSAN CUISINE」内の一部として営業
おすすめメニュー
・タロイモ揚げ団子(カーンカーオプアック)
・ガパオごはん(カーオガパオ)
・地鶏のマッサマンカレー(ゲーンマッサマンガイバーン)
・鶏卵そうめん(フォイトーン)
■100 Mahaseth ヌンローイマハーセース / バンコク
おすすめメニュー
・スペアリブの発酵グリル(ネームシークルーンムーヤーン)
・骨髄のグリル、エゴマの和え物乗せ(ボーンマロー)
・イサーン式牛肉とハーブの煮込み(オムヌア)
・手作りアイスのパンサンド(アイティムカノムパン)
タイで必ず購入するお土産やタイの調味料
━━長澤さんがタイで必ず購入するお土産や調味料ってありますか?
長澤 日本では手に入らないナムプラー、上質なカピ(海老味噌)や塩田で作られる塩をレッスン用に必ず買います。バンコクではオートーコー市場に行けば良い物が手に入りやすいかなと思います。それとパフラットと呼ばれる布市場でテーブルクロス用、洋服作り用の布を買って、その足で馴染みの仕立て屋さんに行って仕立ててもらっています。
Text:Nozomi Takagi
Photo:SETSUZOKUASIA
PROFILE
長澤恵(タイ料理研究家)
千葉県生まれ。
OL時代の旅行をきっかけにタイ料理に魅せられて転身 日本国内のタイレストランで基礎を学び、タイへ行く度にタイ料理学校、食堂、レストランと 北から南まで全国でタイ料理、タイ語を実践で習得。
Modern Woman Cook Schoolや、Wandee Culinary Schoolにてcertificateを取得。
2002年よりタイ料理研究家として活動を始める。 千葉県、都内のカルチャースクールやイベント会場で毎月タイ料理教室を開催。
2010年、錦糸町で株式会社TitCaiを設立、「TitCaiThaifoodスタジオ」を立ち上げる。 レッスンは月に30回開催。企業のメニュー開発・商品開発・食文化セミナー・ ウェブサイトや書籍等の執筆・タイツアー企画など“タイ”に関わるあらゆることに積極的に活動をしている。
西堀純市
90年代後半から様々なイベントを手掛けると同時にアーティストやクリエイター達との親交を深める。2011年、自身を代表するイベントの一つ『-Culture Party- SETSUZOKU』を発足。イベント制作~企業PR~公共事業など、民官の橋渡しとなる事業への参画など活躍の場を多方面に広げる。平成29年株式会社HEGクリエイティブ・プロデューサーに就任。2018年からは国内業務の他、ASEAN諸国を含めた海外業務を中心に活動をおこなっている。
-Culture Party- SETSUZOKU
セツゾクは『新しい’’Boom’’の創造』を目的にミュージックを通じて、様々な分野へセツゾクする新たな表現の場、トレンドを発信するメディア・エージェンシーです。2011年の発足から年齢や性別を問わず感性を共有し合うことができる、独自の世界観を持つ人々に向けて発信してきました。今後も国内外を問わずストリートやライフスタイルの延長にあるエンターテイメントを目指していきます。それぞれにとって目には見えない何かを。そんなきっかけを提供する事がミッションです。