東京・神泉駅前にあるモーラム酒店を舞台にタイカルチャーに精通する様々なゲストとSETSUZOKUプロデューサー・西堀純市がイサーン料理とM-150のオリジナルカクテルに舌鼓を打ちながら、それぞれにとってのタイをキーワードにちょっぴり真面目な対談と雑談をおこなう-Culture Party- SETSUZOKUの新企画「GOODでMOOD」がスタート!

今回登場するのは、映画監督の富田克也━━映像集団「空族」の一員として、自らタイに移住しながら撮り上げた映画『バンコクナイツ』(2016年)で、国内外に衝撃を与えた気鋭の映画監督だ。さまざまなカルチャーを「接続」させることを目指す西堀と、自ら現地に足を運び、そこに生きる人々と「直結」することをモットーとする富田。二人はなぜ、タイを目指したのか。そして、いまだ終わりの見えない「コロナ禍」の中、彼らはどんなことを考え、実践していこうとしているのか。さまざまなトピックについて歯に衣着せず語り合ってもらった。

コロナ過が落ち着き、再びタイへ行けるようになった際、いつもの旅行にプラスαな感性をお届けします。

対談:富田克也 × 西堀純市

タイで出会う3つのワード

━━おふたりの共通項と言えば、やはりタイになると思いますが、おふたりはそれぞれ、いつ頃からどんなふうにタイに行かれるようになったのですか?

西堀 初めてタイに行ったのは現地のリサーチを兼ねた会社の仕事でしたね。その後、MAFT SAI(マフト・サイ)というタイのDJ兼プロデューサーを取材する為に再度バンコクにいったんですけど、彼と意気投合して、SETSUZOKUをバンコクで開催することが決定してからはタイに行く頻度が相当増えました。

富田 そういう流れだったんですね。タイの音楽を掘っていると、割と早い段階でマフト・サイに辿り着きますよね(笑)。

西堀 そうですね(笑)。彼はタイのミュージック・シーンでは重要人物ですから。富田さんは、どんな経緯でタイに辿り着いたんですか?

富田 僕らは「空族」っていうチームで映画を作っているんですけど、そのチームのひとりというか、僕の相棒である、相澤虎之助っていう男がいて。彼は、僕と出会う以前からバックパッカーをやっていたりして、タイとかアジア各国を結構回っていたんですよね。それで、彼が「タイに行くと、タクシーの運ちゃんとかガイドの人から、必ず3つのワードが出てくる」っていう話をしていて……「ドラッグガン・シューティング……その3つのうちのどれがお前は欲しいんだ?」っていう。

西堀 いわゆる東南アジアのイメージってやつですね(笑)。/p>

富田 で、その3つが、実は東南アジアの裏経済を回しているんじゃないかって、あるときから思うようになって。それが結局、空族としてのライフワークみたいな感じになっていったというか、3部作みたいな感じになっていったんです。

具体的に言うと、1本目が『花物語バビロン』(1997年)っていう虎ちゃんが監督した映画で、ここで言う「花」っていうのは、ドラッグというか、ケシの花ですよね。で、2本目が『バビロン2 THE OZAWA』(2012年)っていう僕が主演した映画なんですけど、これはベトナム戦争を扱った映画になっていて。要は、ガン・シューティングですよね。で、もうひとつ残っていた「女」……つまり「売春」のことですけど、それが『バンコクナイツ』(2016年)になっていったという。

西堀 それは、もともと東南アジアに、映画の題材を求めに行ったんですか? それとも旅行の延長で、たまたまそういう題材を見つけた?

富田 ええと、実は僕自身は、35歳になるまで、日本から一歩も出たことがなかったんです(笑)。

西堀 そうなんですか!? それは意外ですね!

富田 ただ、虎ちゃんの口から、ずっとそういう話はいろいろ聞いていて。で、「富田、あれは絶対、自分の目で見ておかないとダメだよ」って言われて、『国道20号線』(2006年)という映画を作り終わったあと、虎ちゃんに連れられて、東南アジアに行くことになって……それで、カンボジアに行ったんです。僕の人生初の海外旅行は、虎ちゃんと一緒に行ったカンボジアだったという(笑)。

西堀 いきなり、すごいところに行きましたね(笑)。

富田 そうなんですよ。当時のカンボジアっていうのは、まだまだ危険な場所で、『地球の歩き方』すら出てない場所だったんですけど、その頃は直行便もなかったから、途中でタイに寄って、バンコクで一泊したんですよね。で、その夜に、バンコクの街をフラフラ歩いていて……それで、タニヤ・ストリートに辿り着くわけです(笑)。

西堀 『バンコクナイツ』の舞台にもなった、あのタニヤ・ストリートですね。

富田 そう。西堀さんはご存知でしょうけど、タニヤ・ストリートっていうのは、もともと日本人専門の夜の歓楽街だったところで、看板とかも全部日本語で、銀座の裏通りみたいな感じなんですよね。それを見たときに、「うわっ、何だ、この場所」って興味を持ってしまったんです(笑)。そのあと、そこの歴史とかをいろいろ調べるようになって、最終的にそこを舞台にした『バンコクナイツ』っていう映画を撮ることを決めたんです。

西堀 なるほど。富田さんにとって最初の旅が、すごく大きかったわけですね。

富田 そうですね。あれがすべての始まりだったというか、そこから世界の見方みたいなものが、僕の中でガラッと変わったんですよね。35年のあいだ日本でのほほんと生きてきた、日本しか知らない人間の価値観が、その旅行で一気に瓦解していったところがあって。映画を作るんだったら、やっぱりもうちょっと、いろんな視点で物事を考えなきゃいけないなって思うようになったんです。

西堀 実際、そういった物事を目の当たりにすると、カルチャーショックを受けますよね。バンコクの歓楽街とか、すごく華やかではあるけど、格差も露骨に感じました。

富田 そうなんですよね。それまでは割と、自分の目の前で起こっていることを、そのまま映画の題材にしてきたんですけど、その次に行くためには、それを測る自分の物差し自体を広げていかないとダメだなって思うようになって。

まあ、全部の世界を見るのはなかなか難しいけど、それをアジアっていう域まで広げるきっかけになったのがその旅だったし、それは僕ら空族にとっても、すごい大きかったんですよね。そのあと、いよいよ『バンコクナイツ』を撮るぞってなって、そこから僕はタイに実際住み始めて、ひたすらタニヤ・ストリートに通い続けるようになるわけで(笑)。

西堀 それにしてもよくあの場所で撮影ができましたよね。撮影どころか、カメラを取り出しただけで、「NO!」って言いながら、怖い人たちが出てくるじゃないですか(笑)。

なぜ、タイを創造の拠点にしたのか|対談:富田克也(映画『バンコクナイツ』監督) × 西堀純市(「SETSUZOKU」プロデューサー) inteview210929_setsuzoku_12-1440x960
『バンコクナイツ』撮影中の模様
Photo by 山口貴裕

富田 結局、6年ぐらい掛かりましたから(笑)。もちろん、そんなにお金があるわけじゃないので、店に入るのはときどきで、あとは外に立っているお兄ちゃんお姉ちゃん、あとはおばちゃんたちと話をしながら、だんだん信用されるようになっていって。そう、その人たちに「どこの出身ですか?」って聞くと、みんなイサーンの人だったんですよね。

西堀 バンコクの歓楽街で働いている人達の大半はイサーンを中心とした地方出身の人たちですもんね。

富田 そう。で、今日のこのお店もイサーン料理の店ですけど、イサーンっていうのは、タイの東北地方で……そこからみんな、バンコクに出稼ぎにきているんですよね。それは、お店で働いている子たちもそうだし、タクシーの運転手の人とかもそうで。あるとき、彼らが聴いている音楽が気になって、「これ、何?」って聞いたら、イサーンの音楽だって言うわけです。そこからイサーンの音楽を掘り始めたというか、とにかく最初は、彼らが聴いている音楽を徹底的に掘るところから始めていって……。

西堀 それで、マフト・サイに辿り着いたわけですね(笑)。

富田 そうなんです。マフト・サイのミックスアルバムか何かを、向こうで手に入れて。で、その中の一曲がすごい気に入って、日本語に訳すると「田舎はいいね」っていうイサーンの曲なんですけど、当時はそればっかりをリピートで聴いていて。で、「この曲、最高だな」、「絶対、映画で使おう」ってそのときから決めていて、それがのちのち『バンコクナイツ』のホントに大事なシーンで流れることになるんですけど。

西堀 そんないきさつがあったんですね。僕はバンコクには何度も行ってますが、イサーンやチェンマイみたいな田舎には行ったことがないんですよね。タイの大都市と田舎を相対的に撮影して、改めて田舎に感じることってありますか?

富田 僕は山梨の田舎で生まれ育ったので、田舎の風景は自分にとって当たり前で何も感じないものでした。それが『バンコクナイツ』を作るにあたって、バンコクとイサーンという田舎の地方を改めて見つめ直しました。というのも、ラオスやイサーンといった田舎に行って発見したことって、そこまで来ないと見つからないものだと思ってたのが、「違う、これは自分の田舎にもあった」ともう一回そこで気づくことができるというプロセスでした。

だから、本当は自分の身近にあるものも、遠くまでいかないと見つからないような気がしていて。遠くに行かなくても気づくことはできるって今なら思える。だけど、それはその遠くに行くというプロセスを経たから思える。そういう意味でも、旅に出るって大事かなと思いました。

コロナ禍で感じた、自然に対する視点の変化

━━とはいえ、2020年の春先から、いわゆるコロナ禍に入ってしまい……なかなかタイに行くことも難しい状況になってしまいました。おふたりはこのコロナ禍を、どんなふうに捉えているのでしょう? また、おふたりはどんなことを考えながら、日々過ごされているのでしょう?

富田 まあ、このコロナ禍も、当初思っていたよりもはるかに長くなってしまったというか、まだまだいつ収束するのかわからない状況ではありますけど。最初の頃は、これをある種の世直しみたいなもんじゃないかなと思っていたところがあって。何か僕ら自身、思い知らされた部分っていうのが、すごい多かったじゃないですか。自分のまわりの人間とかも、最初の頃は、みんなそういうことを言っていたんですよね。もちろん、「仕事がなくなるんじゃないか?」とか、いろいろ怖がったり焦ったりはしていたんですけど、それが徐々に消えていったというか……要は、自分だけの話じゃないんですよね。みんなそうだっていう。

西堀 そうですね。

富田 そうすると途端に、「実はこれぐらいでいいんじゃないの?」みたいな感じになっていったというか、「俺たち、これまでいろいろやり過ぎてたんじゃないの?」っていう雰囲気が漂い始めて……何かみんな、いい顔になり始めたんですよ。いつもだったら忙しくて、あんまり遊べなかったやつと、ゆっくり話すことができたりして。

西堀 これまで以上に世の中の良い部分と悪い部分が、良く見えてきたんじゃないですかね。なんとなく成り立っていたものが、崩れていくというか、色々なモノが淘汰されていくことも悪くはないと思いますね。

富田 いずれにせよ、たくさんのことが変わるきっかけになったり、僕らの考え方自体が大きく変わるきっかけにはなりましたよね。だから、決して悪いことばかりではなかった。もちろん、ここまで長いと、こういう飲食店とかだって、そりゃ厳しいだろうし、あんまり能天気なことを言っている場合じゃないなっていうのはあるんですけど。ただ、そういうふうに考えないと、やっていけないところがあるじゃないですか。

西堀 そういう状況の中で、富田さん的には、今後の作品づくりについては、どういうふうに考えているんですか? そのあたりを今日は是非、聞いてみたいと思っていたんですけど。

富田 コロナ禍の話を交えながら言うと、僕は今、山梨に住んでいるんですけど、まあ田舎なんですよ。山梨でもすごい田舎のほうで。ただ、東京寄りのエリアではあるので、東京からすごい人が流れてくる。それで気づいたんですけど、今って、釣りとかアウトドアが、ちょっとブームになっているじゃないですか。コロナ禍の中で、人々の目が、ついにそういうところに行くようになったというか。

西堀 確かに、アウトドア、キャンプって今すごく流行ってますもんね。山梨とか人来そうですね。

富田 そうそう。で、僕らは『バンコクナイツ』のあと、『典座-TENZO-』(2019年)っていう仏教を扱った映画を作ったんですけど、その影響っていうのも自分の中では大きくて。コロナ禍になって、自然というものを、またさらに考え直すきっかけになったという。俺たちだけじゃなくて、キャンプとかやり始める人たちも、多分そういうことを感じ始めているんじゃないかと思うんですよね。今まで忘れていたものに、気持ちが戻り始めたっていう。で、実はちょうどまさに今、次回作の脚本に取り掛かり始めたところで……。

西堀 そうなんですか!? それは、どんな映画になりそうなんですか?

富田 それは、多分『サウダーヂ』(2011年)の続編になるだろうっていう感じで書いています、また山梨を舞台にしようと思っていて。『サウダーヂ』は、甲府市やその中心部を舞台にしているから、東京とかと同じように、割とコンクリートに囲まれた世界を描いているんだけど、そのまわりに目をやれば、そこにはもう大自然が広がっていたりするわけですよ。山梨には、富士山もあるので。

西堀 確かに。そうですよね。

富田 だけど、『サウダーヂ』には、そういう自然が出てこないんです。当時僕らの目が、そこに向いてなかったんですよね。だから、次の映画はそういう自然や、自然の中にいる我々っていう視点が出てくるというか、ついに僕らも、そういう視点を持ち得ることができたっていう。その視点で、自分たちが以前作った映画を観直してみたら、またちょっと違うふうに見えるんです。

『バンコクナイツ』はバンコクで始まって、途中から舞台がイサーン地方に移るじゃないですか。イサーン地方ならではの、バーンって開けた大自然が舞台になって。だから、あのときの僕らも、今ほどの確信はないけど、そこに何かを感じていたのかもしれないですよね。それが、『典座-TENZO-』とコロナ禍を経て、完全に僕らの中に入ってきたというか。そういう意味でも、『バンコクナイツ』は、僕らにとって非常に大きい作品なんですよね。

西堀 なるほど。あの映画の中に、実はその萌芽があったわけですね。

なぜ、タイを創造の拠点にしたのか|対談:富田克也(映画『バンコクナイツ』監督) × 西堀純市(「SETSUZOKU」プロデューサー) inteview210929_setsuzoku_13-1440x1080
イサーン地方
Photo by 山口貴裕

なぜ、タイを創造の拠点にしたのか|対談:富田克也(映画『バンコクナイツ』監督) × 西堀純市(「SETSUZOKU」プロデューサー) inteview210929_setsuzoku_14-1440x960
イサーン地方の自然
Photo by 山口貴裕

富田 そういう視点に、少しずつ気づき始めたのが、実はあの頃だったっていう。一回外の世界に出ないと、なかなか気づけなかったりするじゃないですか。外に出ることによって、初めて自分たちのことを客観視できるというか。その視点があったから、『典座-TENZO-』にも反映されたと思うし、今僕らが考えている『サウダーヂ』の続編的なものも、必ずそういうものになっていくだろうと思っているんですよね。西堀さんは、何か変わりましたか?

西堀 そうですね……勿論、色々な仕事が中止や延期になりましたね。コロナ禍になる前は仕事柄、人と会う機会が凄く多かったし、会食とかも凄く多くて、同じ窯の飯的な感覚で飲んで打ち解ける関係もあれば、実際仕事が生まれたりすることもありましたけど、今はなかなかそういうことができないじゃないですか。いろいろ考えざるを得ないですよね。

富田 まあ、考えますね。

西堀 以前は、「とりあえず会う」みたいなことができたけど、今はそれができない……というか、今は「とりあえず会おう」とか思わなくなりました。もっと、ひとつひとつのことに意味を考えるようになったし、自分のやる事をもっとシンプルにしてミニマムな感じにしようと思ってます。それが今後、どのように影響するかは、まだちょっとわからないですけど、あまり多くのことはやれないし、やる必要もないかなって思ってますね。

富田 そう、コロナ禍になってから、タイのアピチャッポン監督と話す機会があったんです。本当だったら実際に会って話すはずだったんですけど、日本に来れなかったので、リモートで対談して。やっぱり、「このコロナ禍について、どう思いますか」みたいな話になるわけですよ。で、彼がどう答えるのかなって思って聞いていたら、やっぱりさすがだなって思って……。

西堀 なんて答えたんですか?

富田 まあ、いろいろなことがあるだろうけど、人間っていうのは忘れっぽいから、すぐに忘れちゃうと思いますって(笑)。

西堀 なんか、タイの人らしいですね(笑)。でも、本当にそうだと思います……。

富田 で、「ああ、やっぱりクールだな、この人」って思ったというか、コロナ禍が終わったら終わったで、みんなどんどん忘れていっちゃうのかなって、僕もちょっと思っていて。ただ、少なくとも今、そういうものを僕たちは感知しているわけだから。日常の中で、これかもずっとそのことを考え続けるのは難しいかもしれないけど、今後作っていく作品の中に、そのことはちゃんと潜ませて出していこうっていうのは思っていて。そういうふうに、僕らはなりましたよね。

クリエイターとしての、ものづくりの線引き

━━まだまだ先行き不明の状況ではありますが、この機会にもうひとつ、西堀さんのほうから富田監督に聞いてみたいことがあるとか?

西堀 そう。この機会に是非聞きたいと思っていたことがあって。単刀直入に富田監督は、これまで作った作品(映画)に対して、どれぐらい満足しているものなんですか?

富田 いきなり、きましたね(笑)。まあ、それもね、結構段階があるんですよ。映画を作り終えたあとは、ある程度の満足というか達成感みたいなものはいつもあるんですけど。まあ、これは俺たちの映画の作り方がそうさせるんだろうと思うんですけど、プロの俳優さんとやって、「はい、終わり」じゃないというか、どの作品も、映画に出てくれた人たちと、深く関わりながら作っていくから、公開から時間が経つにつれて何か切なくなってきちゃうんですよね(笑)。それこそ今は、コロナ禍でタイに行くことができないから余計そうなんですけど、映画っていう熱狂が終わったあと、いろいろ切なくなってしまうところがあって。だから、僕は今、『バンコクナイツ』は、ちょっと観られないんですよ。

西堀 感傷的になってしまうってことですか?

富田 つまり、そういうことなんですけど、タイの音楽とかも、あんまり聴けなくなるんです。だけど、今日は本当久しぶりにイサーン地方の料理を食べることができて、すごい嬉しかったです(笑)。

西堀 ものづくりって期限もあるし、どこかで線を引かなきゃいけないじゃないですか。何故、僕がこれを聞いたかというと、いまはコロナの影響で延期になっているんですが、バンコクでイベントを開催する予定だったんです。すでに制作は終わっているんですけど、延期になって時間ができた分、欲が出てきてしまって、追加でもう少し制作をしたい訳なんですよ。でも、スタッフに言ったら「それを言い出したら、キリがないですよ」って怒られて(笑)。

富田 ああ、なるほど。そういうことですか。

西堀 それで、富田さんたちの映画制作って何年もかけて準備をして、『バンコクナイツ』に至っては、現地に住んで、タニヤに通い詰めたりしながら、制作していたわけですよね。そこまでして作っているモノって、どこで満足するというか、クリエイターとしての線の引き方みたいなところを、一回聞いてみたいなと。

富田 さっき言ったように、一回熱狂を共にした人たち、一緒にやった仲間たちっていうのは、映画が終わってからも、もうずっと仲間なんですよね。ひょっとしたら、また一緒に映画を作るかもしれない。それこそ『バンコクナイツ2』みたいな展開が生まれるかもしれないというか、俺たちの場合、そういうものが生まれ得るわけです。だから、たとえ次の作品に行ったとしても、ずっと継続している感じなんですよね。次のことをやりながらも、頭のどこかにふわーっと残っているというか、ふとした瞬間に「あ、あの続きをやってみたいな」って思ったり。

たとえば、『バンコクナイツ』では、タニヤの女の子たちに焦点を当てたけど、フアランポーンとかトンブリーとか、バンコクの下町のほうで暮らす男の子たちの物語も作ってみたいなとか。そういうのは常に頭のどこかにあるので、そしたらそれでまた行けばいいしっていう。そういうふうな気持ちで、考えているんですよね。

西堀 なるほど。一回完成したとしても、そこで終わりじゃないっていうことですね。

富田 そうですね。そういう意味では、どの作品も終わった感じはしてないです。

西堀 仮にやり残したものがあったとしても、その思いはそこにそのまま置いておけるというか、次のことに取り組みながらも、何かのスイッチが入ったら、いつでもまたそこに戻ってこれるっていう。

富田 まさにそうですね。映画っていうのは、ただ自分たちがやりたいと思っているだけでは、できなかったりするじゃないですか。スケジュールや資金的なこともそうだけど、いつも必ずサインみたいなものがある。「あ、きたな」とか「整ったな」みたいなタイミングが絶対あるんですよね。まがりなりにも20年ぐらい映画を作ってきて、どの映画も、必ずそういうものがあったというか、最初の頃は曖昧だったけど、それがちょっと確信に変わりつつある。

自分たちの気持ちも含めて、すべての条件が整う状態っていうのが、いつか必ずやってくるんですよね。だから、今、西堀さんが言ったように、その気持ちは一旦置いておいて……あるとき「あ、今、これをやるべきだな」みたいなときがきたら、「ヨーイドン!」で、そこ向かって行くっていう。さっき話した、今いろいろ準備し始めている映画もそういう感じで、「あ、今だな」と思ったからスタートさせたわけです。俺たちの映画作りは、いつもそういう感じなんですよね(笑)。

西堀 これからもずっと映画は撮り続けて、作品は作り続けていくんですよね?

富田 そうですね、それを想定していまの全ての動きがある。

西堀 やりたくないって思う時ないんですか?

富田 ないです。若い時は、例えば映画だったり小説だったり何かを作る時、自分の中から何かが出てきているものだと思っていた。だけど、そんなものには限界があって、自分の外を見ていればいくらでも何かが起こっていて、そこに自分たちが足を運んで、いかに発見できるかだという考え方に変化したんです。足を運び続けていると、映画にするしかないっていう面白いことが起こるんですよ。ある意味、映画のネタなんて、自分たちの中に一欠片もなくてもいくらでもそこらじゅうにある、残っているから尽きることはないと思ってます。

そうじゃなかったらプレッシャーで潰れると思います。「俺はもう何も出てこない」みたいに。ラッパーでもよくいるじゃないですか? 若い時に急速に伸びていって、才能を使い切っちゃったみたいに言われる人とか。それはそうなりますよ、と。自分たちはもうそんな気持ちはないんですよ。

西堀 だからアンテナを立てているってことかもしれないですね。

富田 そうですね、そのアンテナもあまり苦しそうな方に立てないじゃないですか? 楽しそうな方にばっかり立って、そこに自分たちで足を運んでいく。自分たちが楽しそうだと思って行った場所でも苦しいことはいっぱいある。当然そういう面には目を背けることはできないから、それを見ることになるし、その歴史を踏まえることになる。結局、それが一番面白いって思っているのが自分たちの映画作りのプロセスなんですよ。

だから『バンコクナイツ』を作る時も、音楽が好きだから、最初に音楽を掘るっていうところから始まって。イサーンミュージックに早々にたどり着いて、イサーンミュージックってなんだ? となって、調べていったらその背後にある歴史を知って「やべー」って話になってそれを映画にしたんですよ。

西堀 なるほど。そこから出てくる情景を描いたってことですよね。今日はいろいろお話が聞けて良かったです。

富田 いえいえ、こちらこそ。今日は、久しぶりにイサーン料理が食べることができて、すごい良かったです(笑)。

Text:麦倉正樹
Photo:SETSUZOKUASIA

ここからは、タイに縁の深いゲストだからこそ知っている、タイの食楽しみ方オススメのタイ旅行について紹介してもらった。いまは難しいかもしれないが、これから先、タイに行くことができるようになったら参考にしてみてはいかがだろうか。

タイの食について

西堀 現地にいる時の食事はやっぱりタイ料理が中心ですか?

富田 実は食べ物に関しては保守的なところがあって、タイ料理はもちろん好きなんだけど、やっぱり1日1食は日本食がないとダメだなんですよね。だから、自炊してましたね。あと、これを言うとそんなにタイに行ってるのに? ってみんなにバカにされるんだけど、パクチー食べられないんですよね(笑)。

西堀 意外! そうなんですか? そうすると富田さんが一番好きなタイ料理ってなんですか?

富田 タイを離れて一番恋しくなるのは「ソムタム・プー・パラー」っていう魚とカニを発酵させた独島な匂いの素材をパパイヤサラダに入れた料理と、豚の皮を脂で揚げた「ケップムー」ですかな。それをソムタムの汁につけながらビールを飲むのが大好きで、そのことを考えると口の中にぶあ〜ってよだれが出てくる(笑)。

タイも日本と同じように地方によって色々な料理があるんですけど、バンコクを中心としたタイ料理よりもイサーン地方の料理が好きなんです。いちいち酒に合うし、とにかく辛いから飲みながら食べるのにちょうど良くて。地方とかここでしか食べられないモノを探すのが好きですね。

西堀 バンコクにいる時もイサーン料理が中心だったんですか? お気に入りのお店とかは?

富田 バンコクでも下町に住んでいたんですけど、そこは地方から渡り住んだ人達とかイサーンから出稼ぎの人達が多いエリアだったというのもあって、近所の屋台とかお店も実はイサーン料理が中心だったんですよね。だから、バンコクにいる時も日常的にイサーン料理を食べてましたね。タイ料理って香草類がたくさん入ってて、パクチーもそのひとつじゃないですか。

西堀 でも、パクチー食べれないんですよね(笑)。

富田 そうそう(笑)。タイの人でもパクチー食べれない人いるからね(笑)。俺にはバンコクの香草類って葉っぱの緑色も濃いし味も強くて強烈すぎるんだけど、ラオスの山岳地帯の方とかに行くと同じパクチーでも日本で例えるならミツバみたいな瑞々しくて色も味も濃くなくて変化していくわけですよ。

やっぱり場所によって同じ植物でも味が変わったりとか、バンコクから徐々に北に登って旅をしながら気づきました。色々、チャレンジした結果、自分の好きなモノを見つけ出せるとさ、だんだん絞られていって自分の好きなタイ(イサーン)料理が揃っていくというか。だから、今日ここで久々にソムタムとか食べられて本当嬉しかった。完全に本場の本物のイサーン料理でめっちゃ美味しかったです。

バンコクでの楽しみ方

西堀 富田さんのバンコクの楽しみ方ってなんですか?

富田 一番ハマったのは確か「タワンデーン」っていう呼び方だったと思うんですけど、大きいホールの中にステージとフロアがあって、生バンドが演奏してて、そこで沢山のお客さんが飯食って、ビール飲んで、酔っ払って、踊りたくなった人は好き勝手その場で立って踊ちゃったり。バンドとバンドの転換時には繋ぎでDJが出てきて、EDMがかかったら、またそれはそれで踊っちゃうみたいな。要は歌もバンドもDJもあって、ご飯が食べられて酒も飲めて踊れる、その一ヶ所で全部あるんですよ。そう意味でも、タイって合理的だなって思ったんですよね。楽しいことを一ヶ所に集めちゃえば良いじゃんみたいなのが凄く印象的でした。

例えば、映画でもそうなんですよ。タイってホラー映画が有名でなんですけど、日本人の感覚でホラー映画を観ようと思ったら、笑いの要素なんか絶対タブーじゃないですか? でも、タイのホラー映画って、コメディみたいなお笑いの部分と怖い部分が一本の映画の中にごちゃ混ぜに入ってたりする。それが信じられなくて、それじゃ怖くねぇーじゃんって(笑)。全部の要素を一本の映画の中に入れちゃうのよね。あと、泣かそうと思ったら徹底的に泣かそうとするしね。

西堀 でもそれって泣けるんですか?(笑)

富田 CMなんか観てても泣けるCM多いですよ。

西堀 富田さん泣くんですか?(笑)

富田 うん、ちょっと泣きますね(笑)。職業柄な目線でも見ても勉強になる。タイ人にこういうの作らせたらすごいなみたいな(笑)。ホラー映画とコメディーが一緒になってるのは俺にとってのパクチーみたいでなかなか受け入れられないけど、この人達って凄いなって。

オススメのタイ旅行

西堀 富田さんがお勧めするタイ旅行ってどんな旅ですか?

富田 『バンコクナイツ』は最初バンコクからスタートするんだけど、ストーリーが徐々に進んでいくにつれて、イサーン地方っていうところに入っていくんですよ。イサーンっていうのはタイの東北地方の事を総称した呼び名なんですけど、是非、イサーン地方を目指してみるのが良いと思います。

バンコクとは歴史や文化が全然違うし、実はイサーンの人達ってバンコクがなんだ! って思っている土地柄なんです。歴史的にもかつて色んなことが起こっていて、バンコクの中央政府が独裁政権になった時に反抗勢力が全てイサーン地方に集まって、中央政府と戦ったっていう歴史なんかがあったりする。だから、音楽もプロテストソングみたいなものが多くある地域なんです。まぁ、イサーンと言っても広いので、ひとつお勧めの場所としては「ノンカーイ」というタイとラオスの国境の街ですかね

西堀 映画の舞台にもなった場所ですね。

なぜ、タイを創造の拠点にしたのか|対談:富田克也(映画『バンコクナイツ』監督) × 西堀純市(「SETSUZOKU」プロデューサー) inteview210929_setsuzoku_15-1440x1080
イサーンの自然と富田監督
Photo by 山口貴裕

富田 そう。メコン川沿いのタイとラオスの国境、川沿いの街。イサーンの文化も知れて美味しいイサーン料理が食べられるし、タイに何回か行っているけどいつも同じ様な場所じゃつまらないしなんて思っている人は、一歩踏み出してノンカーイを目指してみるってのは良いと思う。バンコクから夜行バスだったら8時間くらい走れば着くから。

西堀 そんなにかかるんですか!?

富田 ノンカーイの下に当たる場所にウドンターニって空港があるから国内線で近くまで行くこともできるけど、時間をかけて行ってみるのも旅の楽しみの1つじゃないですか。

西堀 その他、『バンコクナイツ』に出てくる場所で、「スマイルバー」って本当にある店なんですか?

富田 本当にあるバーなんだけど潰れちゃったんです。でも、もうひとつノンカーイのシーンで出てくる、生バンドが演奏してて、みんながご飯食べて飲んで踊れる「バーン・ノンカーイ」って店は移転しちゃったんだけどまだある。撮影当時とは場所が変わっちゃったんだけど、行けばまだあの雰囲気は味わえると思いますよ。

西堀 最後の質問ですが、富田さんにとってのタイってどんな国ですか?

富田 ありきたりな言い方をすると第二の故郷かな。みんなの旅行の中にも一ヶ所、現地の人達が生活している場所、地元で働いている人達が遊びに行く場所って必ずあるから、観光用に用意されたところばかりじゃなくて、地元の人達が遊んでるところを探して行っちゃうのが良いと思いますよ。

Text:Qetic編集部
Photo:SETSUZOKUASIA

PROFILE

富田克也

1972年山梨県生まれ。2003年に発表した処女作、『雲の上』が「映画美学校映画祭2004」にてスカラシップを獲得。これをもとに制作した『国道20号線』を2007年に発表。『サウダーヂ』(’11)ではナント三大陸映画祭グランプリ、ロカルノ国際映画祭独立批評家連盟特別賞を受賞。国内では、高崎映画祭最優秀作品賞、毎日映画コンクール優秀作品賞&監督賞をW受賞。その後、フランスでも全国公開された。2012年にはオムニバス作品、 『チェンライの娘 (『同じ星下、それぞれ夜より』)』、2016年には『バンコクナイツ』を公開。

InstagramTwitter

西堀純市

90年代後半から様々なイベントを手掛けると同時にアーティストやクリエイター達との親交を深める。2011年、自身を代表するイベントの一つ『-Culture Party- SETSUZOKU』を発足。イベント制作~企業PR~公共事業など、民官の橋渡しとなる事業への参画など活躍の場を多方面に広げる。平成29年株式会社HEGクリエイティブ・プロデューサーに就任。2018年からは国内業務の他、ASEAN諸国を含めた海外業務を中心に活動をおこなっている。

-Culture Party- SETSUZOKU

セツゾクは『新しい’’Boom’’の創造』を目的にミュージックを通じて、様々な分野へセツゾクする新たな表現の場、トレンドを発信するメディア・エージェンシーです。2011年の発足から年齢や性別を問わず感性を共有し合うことができる、独自の世界観を持つ人々に向けて発信してきました。今後も国内外を問わずストリートやライフスタイルの延長にあるエンターテイメントを目指していきます。それぞれにとって目には見えない何かを。そんなきっかけを提供する事がミッションです。

InstagramHP