東京・神泉駅前にあるモーラム酒店を舞台にタイカルチャーに精通する様々なゲストとSETSUZOKUプロデューサー・西堀純市がイサーン料理とM-150のオリジナルカクテルに舌鼓を打ちながら、それぞれにとってのタイをキーワードにした雑談とちょっぴり真面目な対談をおこなう-Culture Party- SETSUZOKUの企画「GOODでMOOD」。コロナ禍が落ち着き、みなさんがまたタイへ行けるようになった時、いつもの旅、そして新たな旅にプラス α な感性をお送りします。
全編タイで撮影した異色の映画『バンコクナイツ』(2016年)で知られる映画監督・富田克也を招いた第1回に続く、第2回のゲストは、2019年に『ニュー・ニュー・タイランド 僕が好きなタイランド』(TWO VIRGINS)を上梓したライター/編集者・竹村卓だ。
2009年にアメリカのクリエイターを中心としたインタビュー集『ア・ウェイ・オブ・ライフ~28人のクリエイタージャーナル』(P-Vine BOOKS)を出版するなどアメリカ西海岸のスケートボード・カルチャーに精通している彼が、どのようにタイと出会い、タイの最新カルチャーを自らの手で紹介するに至ったのか。そして、いまだ終わりの見えない「コロナ禍」の中で改めて考える、タイと日本の「違い」について語り合ってもらった。
対談:竹村卓 × 西堀純市
━━まず、おふたりの関係性と、知り合ったきっかけ、今回の対談に招いた理由を教えていただけますか?
西堀 スケートボーダーでミュージシャンのトミー・ゲレロ(Tommy Guerrero)をエージェントしている日本の音楽レーベルの方に紹介してもらいました。竹村さんはアメリカンカルチャーや、スケートボードカルチャーに精通されている方ですけど、2019年に『ニュー・ニュー・タイランド 僕の好きなタイランド』という本を出されていることも知っていたので、是非一度会ってお話したいなと思っていたんですよね。
竹村 僕も『SETSUZOKU』っていう何かがあるのは、以前から知っていました。バンコクにStudio Lamっていうマフト・サイ(Maft Sai)がやっていて、僕もよく行くミュージックバーがあって、そこにSETSUZOKUのポスターが貼ってあったんです。「これは何だろう? 日本人のDJが出演するみたいだけど、“SETSUZOKU”っていうのは、日本語の“接続”のことかな?」って思っていて。その何年後かに、西堀さんと会って話したら、そのイベントをプロデュースしていたのが西堀さんだったという(笑)。
西堀 (笑)。2020年の春先から、いわゆる“コロナ禍”になって、タイに行けなくなってしまったじゃないですか。前回の富田(克也)監督を含め、こういう時に情報交換を兼ねて、タイに精通している人たちにお会いしたいなって思った訳です。それにアメリカのスケートボードカルチャーに精通されていた竹村さんが、なぜタイの本を出すことになったのかを聞いてみたかったんですよ。
竹村 そうですよね(笑)。順を追って話すと、僕はもともと、小さい頃からずっとアメリカが好きで、中学生ぐらいのときからスケートボードを始めて、学生時代はアメリカのスケートボードカルチャーにドップリハマっていたんです。そして、1995年にアメリカのロサンゼルスに渡って、本場のカルチャーに触れながら、現地コーディネーターの仕事をしていました。それから、2000年に日本に戻ってきてから、ライター/編集者になったんです。だから、もともとライターになろうと思っていたわけではなかったんですよね。
西堀 そうだったんですか。
竹村 ただ、アメリカにいるときから、日本の雑誌とか広告の仕事をしていたので、日本に戻ってきたタイミングで、「アメリカにいたなら、こういう記事書ける?」みたいな話をいただくようになって。その流れで、アメリカのスケーターたちのインタビューとかもやるようになって、2009年に『ア・ウェイ・オブ・ライフ 28人のクリエイタージャーナル』(P-Vine Books)という1冊目の本を出したんです。その本は、西海岸やニューヨークのスケーターやフォトグラファー、アーティストたちのインタビュー集だったんですが、そこからちょうど10年後に、この『ニュー・ニュー・タイランド』を出しました。
西堀 いつ頃からタイに通うようになったんですか?
竹村 いちばん最初にタイに行ったのは、2005年ぐらいですかね? たまには、アメリカじゃないところに行ってみたいなって思っていた矢先、たまたま友人がプーケットに行ってきたっていう話をしていて。その頃はプーケットという場所がタイにあることも知らなくて(笑)。ただ、その友人がすごく良かったと言っていたので、行ってみたのが最初ですね。
西堀 最初はプライベートな旅行だったわけですね?
竹村 そうですね。まったくのプライベートで。プーケットは割と普通のリゾート地だったので、そこまでピンとこなかったんですけど、プーケットへ行くときに、バンコクを経由するので、せっかくだからバンコクも見てみようと思って街をウロウロしてみたんです。バンコクって、すごい都会じゃないですか。「なんだか面白そう」と。そして、バンコクの街で、若者たちを見ていて、「なんか90年代の東京みたいだな」って思ったんですよね。
西堀 その印象よくわかります。と言っても、僕がバンコクに初めて行ったのは、竹村さんが最初に行かれてから、10年以上後なので、ちょっと不思議な感じがしますね。その感覚がいわゆる時代的なものではないということになりますね。
竹村 タイの人たちは、日本と同じで基本的に欧米文化も好きだから、すぐに最新のものを取り入れるじゃないですか。だけど、それを自分たちなりの解釈で、自国のテイストを交えながら作り直していくんです。その感じが、僕の知っている90年代の東京に似ていたので、同じような現象が起こっていた気がします。たとえば90年代当時、盛り上がっていた裏原宿にも似ているんです。アメリカのカルチャーを自分たちなりの解釈で作り直して、新しいものを作っていくという。外国文化の影響をすごい受けているんだけど、そこから自分たちのカルチャーを生み出していく。そういう勢いみたいなものを、僕はタイの若者たちから感じたんですよね。
タイのコーヒー事情を知って始まった『ニュー・ニュー・タイランド』
━━そうやってタイに通うようになった竹村さんが、この『ニュー・ニュー・タイランド』を作ろうと思った、直接のきっかけみたいなものって何かあったんですか?
西堀 そこはやっぱり気になりますよね。
竹村 僕がタイに通うようになって、最初に仲良くなったのは、バンコクのカフェの人たちで。この本にも出てくるCASA LAPINっていうカフェをやっているタンタっていう人なんですけど、知り合った頃は、お店もこんなに大きくなくて、すごくわかりにくい場所にあったんですよ。だけど、入ってみたら、すごく素敵なお店で、ちゃんとお客さんも入っていて「タイにはこういう感覚の人が結構いるんだ」って、まずは驚きました。
で、それからタンタといろいろ話すようになったんですけど、彼とは生まれた国も育った場所も全然違うのに、興味があるものが、すごく自分と似ていたんです。で、意気投合して、「だったら、ここに行ってみるといいよ」とか「この人に会ってみるといいよ」とか、タンタがいろいろ教えてくれるようになったんです。
西堀 竹村さんが「面白い」とか「興味がある」と思うのはどういう人ですか?
竹村 ザックリ言うと、好きなことをやっている人。しかも、それを長く続けている人ですかね。そうやって、ひとつのことを追求してやっている人が、僕にとって面白い人なのかもしれない。それは、どんなジャンルであっても、好きなことについて話し出したら、もう止まらないような人ですかね(笑)。
西堀 なるほど(笑)。そのあたりは、竹村さんがアメリカで触れてきた人たちとも共通しているんじゃないですか。スケートボードだったり、好きなものを通じて人と人が繋がっていく感じとか。
竹村 そうですね。僕がアメリカでやってきたことと、そこは多分共通していて。僕自身の物の見方、人の見方は、基本的に変わっていないんですよ。だから、タイに関しては、タンタと出会ったことが大きいです。最初、タイのコーヒーというものに、すごい興味を持ったんです。彼を通じて、タイのコーヒー事情を知るようになって。そもそも、タイでコーヒー豆が獲れるってことすら、僕は知りませんでした。
西堀 僕も、この本を読むまで知らなかったです。
竹村 ですよね。それと同じ頃に、日本でコーヒーの取材をすることがあって。コーヒーの焙煎所に行って、そこで働く人たちに話を聞いたりしたんですけど、彼らが口をそろえて言うのは、コーヒーを淹れることはできるし焙煎することもできる、それを提供する場所とか空間とか、その雰囲気作りもできるんだけど、いい豆を入手することがいちばん大変だっていうことなんです。日本では、沖縄の一部を除いてコーヒー豆を育てて収穫することができません。コーヒーに関わっていると、どうしても栽培からやりたくなっちゃうんだけど、日本では無理だから、自分が理想とする豆をどうやって入手するかっていうところに、みんな命を懸けている。でも、タイは自国で栽培して収穫することができる環境があるので、育てるところから関わることができるし、豆の加工の仕方についても、こだわることができるんです。それで、タイってすごい可能性のある国なんだなって思いました。
西堀 なるほど。まずは、そこに惹かれたわけですね。竹村さんが今話してくれたように、この本はタイコーヒーの話から始まって、次の章でタイのスケートボードに移りますが、それはどういう流れだったんですか?
竹村 さっき話したように、僕はもともとスケボーが好きだから、どこの国に行っても、スケーターを探すようになって、スケボーをやった跡を探したり、いろいろ気にして見てしまうところがあって(笑)。で、バンコクでは、すぐに1軒、Preduceっていうスケボーショップが見つかりました。
西堀 僕も彼ら(Preduce)の事はよく知っていますよ。バンコクのスケートボードシーンでは、いちばん古くからあるチームですよね。彼らのことは、どのように知ったんですか?
竹村 Preduceのことを最初に知ったのは、知り合いのFacebookですね。それでタイに行ったときに、ちょっとお店を覗きました。最初は店の人と話したりはしなかったんですけど、自分たちのオリジナルビデオを売っているのを見つけて。そもそもスケボーショップって、わりとどこの国にもあるんですけど、自分たちでビデオを作って、それを売るぐらいの人たちっていうのは、中々いないんですよ。「これはすごいな」と思って、そのビデオを買って見てみたら、トリックとかに新しさを感じたというより、楽しく滑っている姿や、その空気感にすごいタイっぽさがあって良かったんですよね。よくよく見てみたら、オーナーはタイ人じゃなかったんですけど(笑)。
西堀 そうそう(笑)。オーナーはサイモンっていうスイス人なんですよね。
竹村 そう。なので、最初は「ああ、タイ人じゃないのか」って、ちょっと複雑な気持ちだったんです(笑)。実際に彼と会って話してみたら、スイスからやってきたにもかかわらず、タイのスケートカルチャーにこれだけ貢献しているのは、逆にすごいことだなと。彼の立ち位置とか在り方にも、すごい共感を持って、タイのスケートボードショップとして、自信を持って紹介しようと思ったんです。それで改めて、ちゃんと取材をさせていただいたんですけど、そのサイモンから、今度はイラストレーターだったり、またいろんな人を紹介してもらって。
西堀 そうやって、繋がっていったんですね。この本って、タイコーヒーから始まって、スケートボード、ミュージック、アートっていうふうに章が分かれていて、その切り口が、すごく独特じゃないですか。それは、最初から意図していたことだったんですか?
竹村 それは多分、僕のタイデビューが遅かったからかもしれないですね(笑)。最初に話したように、僕はずっとアメリカが好きで、アメリカのカルチャーばっかり見ていたから、タイに行ってもそういうノリで物や人を見ちゃうんですよ。90年代の中ごろに「タイは若いうちに行け。」っていう広告があったけど、あの頃のタイって、ちょっとバックパッカー的なイメージがあったじゃないですか。もし、僕がその頃にタイに行っていたら、多分こういうタイの見方はしていなかったと思うんです。でも逆に、そこが良かったのかなと。今回の本でも取材させていただいたんですけど、タイでも活動しているSoi48っていう日本人のDJコンビがいるじゃないですか。
西堀 タイのモーラムやルクトゥンといった伝統音楽を中心に選曲するDJユニットですよね。
竹村 そうそう。彼らも、タイの音楽に出会うまでは、ずっとヨーロッパのクラブミュージックにドップリだったらしいんですよ。そのあとタイの音楽と出会い、改めてタイの音楽を掘っていくことによって、その良さを見つけられたって言っていて。その話を聞いて、とても共感したんです。別の国の文化を見てきたからこそ、他の人とは違う目線でタイのカルチャーの面白さを感じることができるんじゃないかって。なので、この本は、僕の私的な本というか、あくまでも、僕がタイで見て面白いと思ったもの、タイで出会って面白いと感じた人を扱った本です。
西堀 なるほど。この本がユニークな理由が、すごくよくわかりました。
情勢から紐解くタイの若者たち
━━本書を作るにあたって、竹村さんはタイのクリエイターたちといろいろ話をしたと思いますが、彼らと触れ合うことによって感じた、今の日本との違いと言ったら、どんなことになるでしょう?
竹村 ちょっと長い話になってしまうかもしれませんが、2018年にラッパーたちが当時の政府に対する不満の曲をYouTubeにアップして話題になったじゃないですか。それがひとつ、象徴的なことなんじゃないかと僕は思っています。
西堀 というと?
竹村 その前に、「世界幸福度ランキング」っていうのがあって。その最新版(2021年発表)で、タイは54位、日本は56位なんですよね。毎回、タイは基本的に、日本よりも上位にランキングされているんですけど、そもそもタイって、食料自給率がすごく高くて、150%とかなんですよね。もちろん、それがすべてではないと思うんですけど、タイは食べ物がたくさん獲れるから、お金が無くても食いっぱぐれることがあんまりないんです。ホームレスの人たちも、屋台の人が「これでも食べなよ」って、普通にご飯を渡してくれたりする。
西堀 仏教の国ならではの思想を感じますね。
竹村 それもあるし、そもそも食べ物が豊かじゃないと、そういうこともできないじゃないですか。あと、タイって、電車やバスに乗っていても、すごい勢いで席を譲り合うんですよね。老人だったり身体の不自由な人が乗ってきたら、みんな一斉に席を立つみたいな。もちろん、日本でもそういう光景はたまに見るけど、そこまでじゃないですよね。
西堀 日本はそういった行動ができる人が本当に少ないですね。教育と社会構造の問題だと思いますけど、むしろその逆の行動をしてしまっていることが多いですね……。
竹村 そう。目を背けて見ないようにしたり、スマホを見たり、寝たふりをしたりとか……。タイは、そういうのがまったくないんですよね。それが食料自給率とどこまで関係あるかはわからないけど、やっぱりお腹がいっぱいじゃないと、そういう心の余裕みたいなものって生まれないと思うんです。
西堀 なるほど。いわゆる国民総生産(GDP)的なところでは測れない、人々の心の余裕というか……。
竹村 そう。GDPで言うと、いまだに日本はアメリカ、中国に続いて、世界第3位なんですよね。タイは26位(2020年時点)。 そこには依然としてすごい差があるんだけど、そういう物差しでは、人々の幸福度は測れないし、GDPは必ずしも国の豊かさを表すものではないんですよね。っていうのを、タイに行くようになって、僕はすごく思うようになりました。
西堀 3位の日本と26位のタイ。僕も現地に行って数字では表せないものを感じましたよ。
竹村 タイは日本以上に貧富の差が激しくて、稼いでいる人は日本人の比じゃないぐらい稼いでいて、お金の無い人はビックリするぐらいお金が無かったりするんだけど、みんなそれなりに楽しく暮らしている感じがするじゃないですか。
西堀 身分階級と貧困の格差は日本とは比べ物にならないくらい感じるけど、他人と比べることではなく自分がどうかってことが重要だと思いますね。
竹村 っていうのが、僕がタイに行くようになって感じたことのひとつで。さっきのラッパーの話になるんですけど、さっきタイの幸福度は54位って言ったじゃないですか。だけど、2017年のランキングでは、32位だったんですよね(日本は51位)。それが、この4年のあいだに、ここまで下がっているっていう状況が、実はあって……。
西堀 時代は進んで便利に、そして豊かになっているはずなのに幸福度は下がっていく。そういったことを日々、自分の頭で考えていくってことが重要ですよね。
竹村 そうなんです。で、その原因は何だろうって考えて……タイって、2014年に軍事クーデターが起きたじゃないですか。それから軍事政権がずっと総選挙を先送りにしていたんですけど、やっと2019年に8年ぶりに総選挙が行われて。それで軍事政権ではなくなったんですけど、結局、軍事政権の流れを汲む政権が誕生してしまって、それが今も続いているんです。さらに、国民から愛されていた国王ラーマ9世が2016年に亡くなられて。若い人たちもそれまで溜まっていた不満の声を上げやすくなった。
西堀 そもそも昔と時代が違うから若い人たちは特に敏感でしょうね。
竹村 そう。今は、スマホもあるしSNSもあるので、自分たちの国の状況とすぐに比較できてしまうというか、今のタイがどんな状況かっていうのも、わかってしまうんですよね。で、そうなったときに、みんなの不満が爆発したのがあのラッパーたちだった。今年の8月にも、若者たちの大規模なデモがあったじゃないですか。政府のコロナ対応にも、若者たちはすごい不満を持っているので。
西堀 タイはデモが頻繁に起こったりしますけど、コロナという未曾有な事態がさまざまな問題を炙り出した感じですよね。
竹村 だから、幸福度ランキングで、タイの順位が下がったっていうのは、必ずしも悪いことではなく……むしろ逆に僕は、そこにすごく期待が持てたんですよね。今の彼らは、食べ物もあるし、なんとなく暮らせているっていうところから、「実は自分たちって、政府が作り出した檻の中にいるんじゃないか?」って気づき始めて。それで、若者たちが立ち上がって。もちろん、運動自体は大変だと思うし、全部が全部上手くいっているわけではないんですけど、僕はそこにすごく将来性を感じているんですよね。って考えると、逆に今の日本はどうなんだろうって思ってしまって……。
西堀 日本の若者たちには未来に対して期待感が持ちづらい社会だと思うし、僕達のような中年世代も世の中に期待することがどんどんなくなっている現状ですよね。自分の身は自分で守る国、日本ですからね。
竹村 そう。政治とか社会的なことも含めて、どんなにひどいことが起こっても、どこかであきらめてしまっているような気がするんです。「大変だよね」、「ひどいよね」って言いながら、なんとなく生活してしまっているというか。このコロナ禍を通じて、いろいろ変わってきているのかもしれないけど、僕はそこが今のタイと日本の1番の違いのような気がするし、僕がタイに惹かれている理由の1つはそこにあるんですよね。
Text:麦倉正樹
Photo:SETSUZOKUASIA
ここからは、タイに縁の深いゲストだからこそ知っている、タイの食、楽しみ方、オススメのタイ旅行について紹介してもらった。いまは難しいかもしれないが、これから先、タイに行くことができるようになったら参考にしてみてはいかがだろうか。
タイの食について
西堀 『ニュー・ニュー・タイランド』はバンコクとチェンマイで構成されていますが、バンコクとチェンマイで料理の味やスタイルなど違いはありますか?
竹村 タイの人に聞いたのですが、基本的に南に行くと辛くてココナッツやら味が濃いそうです。北に行くと、辛みがマイルドになって味もあっさりになると。すべてではないですが、その傾向はあると思います。お店の感じはチェンマイが好きで、生活の中にある食堂や屋台に行って、そこで出会った人たちと一緒に食事を取るのが好きなんです。
西堀 バンコクとチェンマイで好きなタイ料理店はありますか?
竹村 バンコクだと、1つ目はウー・アーバンラスティックタイですね。タイ料理屋でモダンなお店で。バンコクにあるから行きたい店なので、チェンマイだったらたぶん入らないと思います。値段も普通のお店と比べると外国人向けです。それでもすごく味が洗練されていて、とても美味しくて、卵焼きのサラダは必ず食べたいですね。
あと、ラーン・ガイトーン・プラトゥーナムという、ピンクのカオマンガイと言われて観光客にも人気のカオマンガイ屋。ここは美味しいのでついつい食べに行ってしまう。鶏の出汁が効いたご飯もスープも最高です。いつも泊まっているホテルからボートで行くのも好きですね。
他にも、バンコクには美味しいイサーン料理屋がたくさんあるのですが、イサーンロムイェンもその一つで。現地に行くとトムヤムクンはあまり頼まないんですが、ここのはとても美味しいです。あとステーキも好き。
最後にヘンディーという中華街にあるフカヒレ屋です。スープももちろんですが、ここの蟹チャーハンが最高で、気がついたらチャーハン目的で通ってます。
チェンマイだと、まずはクルア・ペット・ドイガーン。チェンマイ料理を堪能したい時は必ず行きたいです。ウコンのサラダ、ライムジュース(塩抜き)カオニャオが絶品。
次に、タイは屋台や食堂と言いたいお店が多いですが、レストランの雰囲気なホンテウインというお店。北タイ料理を優しく味わえるのが嬉しいです。
あとカオソーイ・ラム・ドゥアンとカオソーイ・サムージャイ。チェンマイで一食しか食べられないと言われたらカオソーイが食べたいかもしれません。ラム・ドゥアンとサムージャイはカオソーイ専門店でこの2店舗はすぐ近所にあるんです。一杯の量が少ないので、お代わりしたくなるのを我慢してこの二件をハシゴするのがベスト。
4つ目はラチャマンカホテルのレストラン。急に超高級ホテル内のレストランですが、ここのレモングラスのサラダは絶品なので、それだけ食べに行くこともあります。
最後にイサーン地方の焼き鳥屋のウィッチェンブリーガイヤーン。どこでも食べられますがチェンマイでガイヤーンを食べるならここかSPチキンという店が好きです。ぜひソムタム、カオニャオも一緒に。
西堀 では、ズバリ竹村さんが一番好きなタイ料理はなんですか?
竹村 難しい質問! タイラーメンのクイッティオかな。中華麺の汁なしのバーミーナームが好きです。好きな料理が多すぎるので一つだけに絞るのは難しいですが、どこでも食べられるし、安いし、タイ料理の主食みたいな物と考えるとクイッティオかなと。
バンコクでの楽しみ方
西堀 『ニュー・ニュー・タイランド』を読めば、タイコーヒー、音楽、アート、スケートボードといった竹村さんのバンコクの楽しみ方が垣間見れますが、それ以外でおすすめの楽しみ方があれば教えてください。
竹村 バンコクだとチャオプラヤ川が好きなので、ローカルの船に乗ります。川から街の風景を眺めるのが好きです。適当なところで降りて適当なバスに乗って、適当に降りて、知らない街を歩くということをたまにします。あと、イサーンからモーラム楽団がやってきて、街の空き地や広場を野外ステージにしてコンサートを開催するときがあるので、それを見にいくのはとても楽しいです。
オススメのタイ旅行
西堀 これまで竹村さんが体験したオススメのタイ旅行はどんな旅ですか?
竹村 チェンマイではソンテウ、トゥクトゥクでも移動しますが、スクーターをレンタルしてまわるのも楽しいです。基本的にのんびりで、街の人たちの暮らしを見たり、お寺で手を合わせたり、お寺内の青空マッサージでのんびり過ごしていました。バンコクだと、現地の友達がたくさんいるので、まずみんなに会いに行くことから始めますね。友達に面白そうなことを教えてもらってそこへ行くというパターンが多いです。レンタカーを借りてフアヒン、アユタヤなどの郊外へも行ったり、夜はコンサートやイベント、クラブやバーへも行ったりするので24時間では足りない! と思うこともあります。
西堀 この先、コロナ禍が落ち着いたとしても、今まで通りの旅はもうできないかもしれません。そのことも踏まえて、今後はタイへどんな旅をしたいと思っていますか?
竹村 コロナ禍が落ち着いたらチェンマイへ行きたいですね。コロナ禍になって暮らし方や仕事の仕方、本当に必要な物や大切なことについて考えたんですが、チェンマイでは今考える理想の暮らしに近い生活をしている人がたくさんいると思うので、街で暮らす人たちの生活を見に行きたいです。あと、イサーン地方へも行って、みなさんの生活を見てこれからの暮らし方を考えたいです。
西堀 最後に竹村さんにとってタイはどんな国ですか?
竹村 やっと出会えた魅力的な国です。これからもずっと通い続けたい国でもあります。どこに転がっているかわからない小さなストーリーを探して街を歩きたいです。
Text:Qetic編集部
Photo:SETSUZOKUASIA
PROFILE
竹村卓
編集者/ライター/コーディネーター。ロサンゼルスでカルチャー誌、ファッション誌、広告などのコーディネーターとして活動。帰国後ライター、編集者として、数々のカルチャー誌で執筆、広告制作に携わる。アート展などのキュレーターとしても活動。著書に『ア・ウェイ・オブ・ライフ~28人のクリエイタージャーナル(P-Vine BOOKS)』、『New New Thailand』(TWO VIRGINS)がある。今年立ち上がったウェブマガジンTaqueria Magazineと仲間とオープンしたTaqueria Souvenir Storeを運営する。
西堀純市
90年代後半から様々なイベントを手掛けると同時にアーティストやクリエイター達との親交を深める。2011年、自身を代表するイベントの一つ『-Culture Party- SETSUZOKU』を発足。イベント制作~企業PR~公共事業など、民官の橋渡しとなる事業への参画など活躍の場を多方面に広げる。平成29年株式会社HEGクリエイティブ・プロデューサーに就任。2018年からは国内業務の他、ASEAN諸国を含めた海外業務を中心に活動をおこなっている。
-Culture Party- SETSUZOKU
セツゾクは『新しい’’Boom’’の創造』を目的にミュージックを通じて、様々な分野へセツゾクする新たな表現の場、トレンドを発信するメディア・エージェンシーです。2011年の発足から年齢や性別を問わず感性を共有し合うことができる、独自の世界観を持つ人々に向けて発信してきました。今後も国内外を問わずストリートやライフスタイルの延長にあるエンターテイメントを目指していきます。それぞれにとって目には見えない何かを。そんなきっかけを提供する事がミッションです。