東京・神泉駅前にあるモーラム酒店を舞台にタイカルチャーに精通する様々なゲストとSETSUZOKUプロデューサー・西堀純市がイサーン料理とM-150のオリジナルカクテルに舌鼓を打ちながら、それぞれにとってのタイをキーワードにした雑談とちょっぴり真面目な対談を行う-Culture Party- SETSUZOKUの新企画「GOODでMOOD」。コロナ禍が落ち着き、またタイへ行けるようになった時、皆さんの新たな旅にプラスαとなる感性をお届けします。
今回のゲストは、DJ/音楽プロデューサーのTOMOTH(トモス)が登場。タイ・バンコクのヒップホップシーンを語る上では欠かせない最重要クルー・BANGKOK INVADERSのメンバーや様々なタイ人アーティスト達と交流をはかり、自身がディレクターを務めるファッションブランド・CHAOTICをバンコクで展開するなど、バンコクのサブカルチャーを語る上で外せない人物だ。
西堀と同い年、かつ同領域 (クラブシーン) で活動するTOMOTHは、バンコクと日本のクラブカルチャーをどう捉えているのだろうか?
対談:
TOMOTH × 西堀純市
タイに「何かができるかも」という空気を感じた
西堀純市(以下、西堀) 自分もTOMOTH君と同じ“クラブカルチャー”というフィールドでも活動しているんだけど、ジャンルなんかが違うこともあって、意外とタイで会うこともなかったよね。
TOMOTH ニアミスが多いよね。お互いのインスタをチェックして「ええっ! 入れ違いじゃん!」ってことが多かったね。
西堀 2017年頃、TOMOTH君に「タイの情報を教えてよ」って相談しに行ったことを思い出すな(笑)。すでにその時からタイに精通しているイメージがあったけど、初めてタイに行ったのはいつ頃なの?
TOMOTH 20年以上前に起きたバックパックブームの頃かな。当時はトランスのレイブパーティや、パンガン島のフルムーンパーティにハマってたんだよね。トラベラーズチェックと数万円の現金だけ握りしめて、宿はその場でカオサンの安いところを予約して……。自分探しの旅だったはずが、結局自分を見つけられずに帰るっていう王道パターンで(笑)。
西堀 そのパターンか(笑)。あの頃、俺も20代だったけど、タイには全く興味なかったな。でも、ある程度の年齢を重ねてから行った、バンコクの空気感に「なにか面白いことができるんじゃないか」って衝撃を受けたんだよね。
TOMOTH すごく分かる。バックパッカーブームの10年後に再び訪れた時、タイの空気が2000年頃の日本とすごく近かった。ちょうど俺がメジャーデビューした頃の雰囲気を「ビビッ」と感じちゃって、そこからずっとタイに呪われてる感じ。
ロンドンをはじめ、ヨーロッパのドラムンベースやテクノのパーティーなんかにもよく行ってたんだけど、そこで「自分がアジア人なんだ」と再認識するようになったのを機に、次は東南アジアに行こうと考えていたんだよね。ちょうどその時、知り合いのラッパーがタイに住んでいたから、とりあえずタイで1曲レコーディングとMV撮影をしたのがきっかけかな。
西堀 そこからタイでも音楽活動をするようになったわけね。同時にTOMOTHくんは自身のファッションブランド・CHAOTICの活動も積極的に展開していた印象だけど、ブランドをタイに持ち込むきっかけは?
TOMOTH 東京からタイに移住したパンクスの知り合いのツテが最初だったかな。ブランドを一緒にやっているメンバーに「タイにブランドを持っていかない?」って提案して、本当に体一つで乗り込んだ感じ。どんどん現地のパンクスの知り合いもできて、イベントも開催するようになったし、一時期はサイアムのデパートにも出店してたよ。
西堀 TOMOTH君のインスタで、80’sスタイルのパンクスが沢山写ってるのを見たけど、暑いのに鋲ジャン着てて気合い入ってるよね!最初にCHAOTICとして開催したイベントはどんな感じだったの?
TOMOTH パンクとテクノカルチャーがごちゃ混ぜになったパーティだったな。90年代のロンドンみたいなノリだった。バンコクって規制が厳しくなくてめちゃくちゃ自由なんだよね。東京みたいに野外で音を出すのに許可が必要だったりもしないし、何やっても怒られないくらいの自由さがあってすごくやりやすかった。だからこそアートや音楽の成長スピードが速いんじゃないかなとも思う。ざっくりしてるけど、タイの人たちってユルくてピースフルだからこそ強いよね。
タイは自国の文化を各々のフィルター越しに昇華できている
西堀 この対談シリーズで皆さんに話を聞いていると、イサーンやチェンマイを訪れている人が多いんだけど、TOMOTH君がバンコクを中心に活動しているのには何か理由があるの?
TOMOTH 単純にシティボーイだし一番でかい都市に行きたい、っていうのはある(笑)。ただそれ以上に「バンコクが20年前と比べて急激に発展しているから」っていうのが大きいね。最初はBTS Sky Trainも通っていなかったはずなのに、10年くらい前から急にメトロポリタンになってきて。
━━タイでも積極的にDJをされていたんですか?
TOMOTH 呼んでもらえるなら、って感じ。20年前ならドサ回りでディールして……なんてやっていただろうけど、10年前からは自分でパーティを開催する程度だったね。意外とホテルの屋上とかはドメスティックなラインナップが多くて、メインの時間だけ海外のゲストが登場する、っていうパターンがメジャーかも。あと、バンコクも日本と同じで、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドがバシッと分かれてるんだよね。
西堀 あっ、それよくわかるな。日本も海外も意外とそういうところは変わらないんだよね。クラブカルチャーと一言でいってもいろいろあって、自分達のようなフィールドは「海外だからいきなり500人はいります」なんてことはないし、ジャンルに対する大体のキャパシティ感はどこの国も一緒って感じがする。
TOMOTH それこそ昔はオーバーグラウンドしかなかったんだけど、ちょっと裕福な中流階級が増えたから、音楽もその影響を色濃く受けているかもしれない。BANGKOK INVADERSのメンバーもそれぞれ帰国子女だったりと、インターナショナル・マインドの人が多いんだよね。
西堀 BANGKOK INVADERSって今っぽい子たちの集団っていうイメージがあるんだけど、彼らはバンコクのヒップホップシーンではどんなポジションなの?
TOMOTH 実はそこまで今っぽくなくて、むしろ少し上の世代なんだよね。ローカルヒップホップのシーンがちゃんと育ってきた過程で、海外で活動していた彼らがアメリカのヒップホップ・ビジネスを持ち帰ったようなイメージ。
メンツ的には新しくないものの、パタヤのようなリゾートでのビジネスを仕切ったり、企業と組んでアカデミーを開催したりもしていて。Def Jam Recordings(ヒップホップ・R&B中心の世界的なレコードレーベル)の東南アジア支部を立ち上げたりもしているから、彼らの影響はバンコクだけじゃなくシンガポールやマレーシアにも広がってるよ。
さらにその影響を受けた下の若い世代が、今度はドメスティックなタイの音楽と海外の要素をミクスチャーするようになってる。ヒップホップに限らず海外の音楽がどんどん入ってきているから、どんどん音楽のグローバル化が進んでいるのが現状かな。
西堀 なるほど。俺の仲間のマフト・サイ(MAFT SAI)もイギリスへ渡って、他国から自国に足りないと感じるものや発信したいものに気づいたみたいだけど、TOMOTH君は色々と海外で活動してみて、「日本人にはこういうところがあるよね」って強く感じる瞬間とかってあった?
TOMOTH 日本独自のカルチャーに対するリスペクトが足りないな、とは思うね。海外から「結局日本って何がすごいの」と言われた時に、例えば日本酒のような“日本がルーツのモノ”をプレゼンできない印象はある。
タイってどのジャンルのパーティでもイサーンミュージックでガン踊りする時間帯があって。ちゃんと自国の文化を各々のフィルター越しに昇華できているのに、日本ではそれが無い。
日本古来のカルチャーを吸収して、音楽でもアートでもアウトプット出来たらいいことが起きるんじゃないかなって思う。もちろんクラブで演歌や盆踊りをかける、とまではいかないけれど、表現できることを胸張ってプレゼンしたいね。
20歳の時はタイに「導かれた」感じがあるように思う
西堀 コロナが訪れる前って、個人的にみんなひたすら走っていた印象があって、2020年から映画みたいな世界が現実になってしまったんだけど、立ち止まって考える良いきっかけにはなったかなと思ってる。タイや海外への渡航だけじゃなく、クラブという環境へのアクセスも閉ざされた状況下で、TOMOTH君はなにか影響はあった?
TOMOTH 少なくとも自分自身のフィジカル面を考えるきっかけにはなった。「あれ、夜寝たら朝気持ちいいな」とか。価値観は実はそこまで変わってない。ただ、日本は自由度が低すぎて、規制と偏見が多いな、って気づく瞬間は多くなったかな。単純に刺青が入ってるせいで行きたい場所に行けない、みたいな些細なことから、政治のことまで。
フラストレーションまではいかないけれど、矛盾が生じることにイラっとすることは増えたかもしれない。緊急事態宣言も「出るな!」ってバシッと言いきれなくて、オブラートに包みまくっていることが明るみに出たし。
西堀 TOMOTH君はコロナが開けたらどうしていきたいとかあるの?
TOMOTH やっぱりコロナの影響で止まっちゃった企画とかは進めたいね。でもタイ人は熱し易く冷め易いし、タイはスピードが速いから状況も変わっているはず。2年間のブランクを埋めるためにも、いっそ再構築してより大きなところを狙いたい。あとはもう少しタトゥーなどのファッションや音楽、アートを絡めながらバンコクを開拓していきたいかな。
西堀 ちなみに移住することはあまり考えてないの? 肌に合いそうだけど。
TOMOTH イメージできないんだよね。1〜2ヶ月程度ならいいけど、1年中暑い場所だと何かが崩れる気がする。制作にも影響が出そうだなって。
西堀 タイに限らず、コロナを経て海外渡航への意識が変わっていきそうな気もするけど、今後はTOMOTHくんにとって“タイへの旅”ってどう変化すると思う?
TOMOTH 今までは夜遊びに振り切ってたんだけど、それがタイ料理やマッサージ、寺院参拝に置き換わるかもね。生活リズムが変わって昼間に起きるようになったからこそ、本来の“タイの姿”に近い楽しみ方を経験したいとは思う。
西堀 食事や昼の遊び方にフォーカスした多様性のある旅になりそうだね。俺も仕事でしかタイに行ってないから、これからはイサーンやチェンマイのような行ったことのないエリアにも足を運んでみようと思ってるよ。最後に、TOMOTH君にとってタイってどんな国?
TOMOTH 実は、俺の親父も仕事の関係で、何年かタイに住んでたのよ。その影響があったかは置いておいて、20歳の時は「導かれた」感じがあるように思う。あれから20年経っても不思議と繋がりは残っているし、まだタイに深く関われている。やっぱり縁がある場所なんだろうね。
バンコクの人たちはDIYでなんでも作っちゃうし、アートも自由に楽しんでいて洒落てるよね。みんな不良で芯が太いから最高。コロナが明けたら西堀君ともいいかげん現地で会いたいし(笑)、何か一緒にやりたいね。
ここからは、タイに縁の深いゲストだからこそ知っている、タイについて紹介してもらった。いまは難しいかもしれないが、これから先、タイに行くことができるようになったら参考にしてみてはいかがだろうか。
オススメの遊び場
10〜20年前、そして現在のタイのクラブシステム
━━10年前・20年前のタイのクラブシーンってどんな感じだったんですか?
TOMOTH 20年前はカオサン通りに外国人観光客を相手にした、ストリップクラブの延長線みたいな感じの箱しかなかったんだよね。それこそパンガン島などの島はレイブパーティがメインだったし。
それが、10年前くらいからRCAのように大小さまざまなクラブの集まるエリアができたり、サムイ島に半オープンエアの箱ができるようになったりして、ホワイトなクラブがどんどん整備されていった感じ。
法改正があったことも影響してるけど、トンローやエカマイの洗練された小箱や、ホテルのワンフロアにナイトクラブが増えたのもその頃だと思う。短パンだと入れないような場所も多いよ。ただ、最近は俺らもRCAのハコにあんまり行ってないんだよなあ。
━━バンコクと日本のクラブを比較した時、何か違いはありますか?
TOMOTH まずエントランスは外国人観光客やいわゆるVIPから取って、基本的にローカルの一般客はナシ。たまにシングルのお客さんと団体客で料金に傾斜が発生することもあるけど、収益はお酒代や席代から取るかな。バンコクって日本の箱と違ってダンスフロアがメインじゃなくて、備えつけのテーブルをリザーブする仕組みなんだよね。
イマ、バンコクでオススメのクラブ
━━いまのバンコクでオススメのクラブがあれば知りたいです。
TOMOTH Sing Sing Theaterって箱が好きだね! 内装も中華系のデザイナーが関わってて、めちゃくちゃイケてる。外国人が経営しているハコだから、英語が飛び交うような場所だけど。1〜3階建てで吹き抜けになっていて、キャパシティは小さいけど面白いよ。
タイでオススメのイベント
━━おすすめのイベントはありますか?
TOMOTH 全然クラブじゃないけど、ソンクラン(世界最大級の水かけ祭り)には行くべきじゃない? 俺、毎回文句言いながら3〜4回は行ってると思う。最終地点のパタヤがマジで地獄。風船の中に人のおしっことかテキーラとかが入ってる。一回は洗礼を受けた方がいよ(笑)。
西堀 いやぁ〜それは嫌だな〜(笑)。でも、王道な遊びって意外とやってみると楽しかったりするんだよね〜、歳取ってくると特にさ(笑)。
TOMOTH なんやかんやお祭りごとが好きだからね(笑)。あと、王道ついでにチャトチャック(週末限定で開催されるバンコク最大の公設市場)も好きだね。
Text:Nozomi Takagi
Photo:SETSUZOKUASIA
TOMOTH
1978年生まれ。出身は川崎市。プロデューサー、DJ、ラップグループ「アルファ」ではヴォーカリストも担当。
2002年、DJ TASAKAとのコラボレーション「エクスタシー温泉」(EMI MUSIC JAPAN)でアルファ名義のメジャーデビューを果たす。その後、スチャダラパーやハナレグミといったマイルド系音楽人とのコラボレーションで世を沸かせ、5枚のアルバムを発表。サマーソニック、ライジング・サン、ROCK IN JAPAN FESTIVALにも出演を果たす。現在は、都内を中心にDJとして活躍しながら、プロデューサーとしてもCharisma.comを始め、様々な新進気鋭アーティストに楽曲を提供。
また、音楽以外にも今最も東京アンダーグラウンドシーンで注目を集めるストリートブランド「CHAOTIC」のディレクターを務めるなどマルチな才能を発揮。Skrillex率いる大人気レーベル「OWSLA」で輝きを放つmijaやWiwekを始め、世界の最先端で活躍するアーティストがこぞってCHAOTICを愛用するなど絶大な人気を博す。
この先、日本を超え海外アーティストへの楽曲プロデュースも数々予定されるなど、彼が放つ次の一手から目が離せない。
西堀純市
90年代後半から様々なイベントを手掛けると同時にアーティストやクリエイター達との親交を深める。2011年、自身を代表するイベントの一つ『-Culture Party- SETSUZOKU』を発足。イベント制作~企業PR~公共事業など、民官の橋渡しとなる事業への参画など活躍の場を多方面に広げる。平成29年株式会社HEGクリエイティブ・プロデューサーに就任。2018年からは国内業務の他、ASEAN諸国を含めた海外業務を中心に活動をおこなっている。
-Culture Party- SETSUZOKU
セツゾクは『新しい’’Boom’’の創造』を目的にミュージックを通じて、様々な分野へセツゾクする新たな表現の場、トレンドを発信するメディア・エージェンシーです。2011年の発足から年齢や性別を問わず感性を共有し合うことができる、独自の世界観を持つ人々に向けて発信してきました。今後も国内外を問わずストリートやライフスタイルの延長にあるエンターテイメントを目指していきます。それぞれにとって目には見えない何かを。そんなきっかけを提供する事がミッションです。