東京・神泉駅前にあるモーラム酒店を舞台にタイカルチャーに精通する様々なゲストとSETSUZOKUプロデューサー・西堀純市がイサーン料理とM-150のオリジナルカクテルに舌鼓を打ちながら、それぞれにとってのタイをキーワードにした雑談とちょっぴり真面目な対談を行う-Culture Party- SETSUZOKUの新企画「GOODでMOOD」。コロナ禍が落ち着き、またタイへ行けるようになった時、皆さんの新たな旅にプラスαとなる感性をお届けします。
今回のゲストは、2018年から名古屋でタイカレー屋「ヤンガオ」を営むDJ/デザイナーのMOOLA(ムラ)が登場。彼は2010年から6年半在住したバンコクでの経験を通し、現在は現地で習得した本場のカレーだけではなく、タイ語で自らデザインした「お土産」も販売。幅広い角度からタイ・カルチャーをアウトプットし続けている。
ローカルの食や音楽、ファッションカルチャーを吸収し、現在の活動へと昇華させるMOOLA。彼はタイのカルチャーへどのようにアクセスしていたのだろうか。
対談:
MOOLA × 西堀純市
転勤から始まった6年半のバンコク生活
──お二人は今日が初対面だと伺いました。
西堀純市(以下、西堀) YANGGAOは有名だし、クボタタケシさんからも「MOOLAっていう後輩が名古屋にいてさ」なんて聞いてたから、なんとなく知ってたんだけど、最初にMOOLA君の存在を知ったのは、現地のレコード屋とかを紹介したWebコラムだったかな。
タイで<SETSUZOKU>を開催していた時、出演者のトリップ映像を撮影したんだけど、全員から「タイのレコ屋へ行きたい!」というリクエストがあったので、それぞれに合うレコード屋に連れて行きたいと事前にリサーチするなかで、MOOLA君のコラムを見つけて参考にさせてもらった覚えがある。共通の友人にシンディ・スイ(CYNDI SEUI)というアーティストもいるし、蓋を開けてみたらずっと近いところにはいたんだけどね。
-Culture Party- SETSUZOKU 2019 in Thailand Vol. 5 クボタタケシ
MOOLA しかも、僕が西堀さんの奥さんとも知り合いなのと、10代後半から仲良くしている東京の友達も、昔に西堀さんのスタッフをしていたこともあって。ご縁を感じますね。
実は西堀さんがタイのスタジオ・ラムで<SETSUZOKU>を開催していた時、僕は遊びに行けなかったのですが、ラムの近くには住んでいたんです。タイだとクラブイベントは入場無料が主流なのに、しっかりと1,000バーツ(3,000円)近いエントランスフィーを設定していたのにびっくりしましたよ。「本当に来たい人たちが来れるような仕組みを作っているのと、分かってる人が作ってるね」なんて現地の友達と話していました。
西堀 タイだと欧米圏のセレブが集まるようなクラブですら、1000バーツもしないしね(笑)。トライアンドエラーを重ねたイベントだったね。今、開催しているアニバーサリーイベントは招待制 (無料) にしてるけど、フェスや大型のイベントではなく、自分にとっての所謂パーティーって規模感のイベントをどう成立させていくかは日本でも海外でも常に自分の課題なんだよね。MOOLA君は会社の転勤でタイに6年半住んでいたんだってね。何の会社に入っていたの?
MOOLA 当時はデザイン事務所で働いていました。たまたまその会社はタイに支社があって、日系企業が展開するレストランの内装などを手がけていたんですよね。正直、あんまりクリエイティブな仕事はできませんでしたが。
西堀 タイに会社があるってことは、結構、規模の大きな企業だったの?
MOOLA それが、そうでもないんですよ。当時はデザイナーも僕だけでした。タイはおろか、海外すら行ったことがなかったのに、突然「行ってこい」と(笑)。最初は出張ベースで訪れていて、タニヤ(バンコクの歓楽街)にしか案内されなかったので、第一印象はあんまり良くなかったです。
西堀 日本人=タニヤ、って感じか(笑)。それにしても、今まで海外に行ったことがないのに突然タイに転勤って、生活のギャップもあるし大変じゃなかった?
MOOLA もともと明確に期間も決まっていたわけじゃないのですが「仕事である以上は行かなきゃ」という覚悟はありました。それに現地でいざ暮らしてみると、最初のイメージからガラッと180度変わったんですよね。
──何かきっかけがあったんですか?
MOOLA 事務所自体がトンローにあったんです。ミュージシャンやDJ、ファッション関係者がたくさん住んでいる場所だからか、街を歩く人々の雰囲気も良くて。「ここだったら住めるぞ!」と1日目で思いました。何より、事務所の近くにもマックスバリューや大戸屋、リンガーハットがあったので。そういった日系企業のレストランに頼ることはあまり無かったけれど、ホームシックにもなりませんでした。もし他のエリアで暮らしていたら、話は変わっていたかもしれません。
道端で話しかけられたことを機に充実したカルチャーライフへ
西堀 当時、あまりクリエイティブな仕事が少なかったし、デザイナーもMOOLA君1人ってことは社内ではカルチャ―に詳しい人も居なかったんでしょ? どうやって現地のカルチャーに入り込んでいったの?
MOOLA トンローの事務所に向かって歩いていた時、ミュージシャンにいきなり「DJやってるでしょ。新しくバーをオープンするから、DJをやってみない?」って声をかけられたんですよね。多分この見た目だから話しかけてくれたのかなって……。
西堀 話しかけられ方が凄いけど、そもそも当時からそのヒゲの量なの!?(笑)
MOOLA はい(笑)。それで、その時に声をかけてくれたのが、バッドモーテル(バンコクのミュージックバー)の経営メンバーでした。もともとバンコクに行く時に「チャンスがあるかも」と1〜2時間プレイできる程度のレコードは持ち込んでいたので、カタコトの英語で「やるよ」って返したのが始まりですね。
バッドモーテルはいわゆる渋谷系が好きな人たちが経営する場所。実際にプレイしたら「お前みたいな感じのDJを求めていた」と、いろんな人を紹介してもらえるようになりました。自分1人じゃ辿り着けなかったようなローカルのレコ屋にも連れていってもらったり。
西堀 バッドモーテルは俺も打ち合わせとかお茶しによく行ったな。確か、THE PARADISE BANGKOK MOLAM INTERNATIONAL BANDのベーシスト・Piyanart Jotikasthira (パム) もオーナーの1人だったような気がするな。じゃあ、MOOLA君は出勤途中に声をかけられたことがきっかけで、現地のカルチャーに溶け込むようになったんだ。なんか凄いね、逆ナンじゃん(笑)
MOOLA 言葉は一切話せないものの、毎日が本当に刺激的で、「早く退勤時間にならないかな」って思っていましたね(笑)。仕事終わりに友達へ連絡し、そのままタクシーでどこかへ出かけるような生活になりました。転勤して1ヶ月くらい経ってからだと思います。
週末は郊外のフリマをタイ語で検索し、道端で売っているガラクタを朝からチェックしに行ったりもしましたね。金曜にはリゾートホテルのラウンジやセントラルワールド(バンコクのショッピングセンター)の催事でDJをして。シビライ(The Private Pool Villas at Civilai Hill/バンコクの有名なリゾートホテル)でも何度かプレイしましたよ。
言語が完璧じゃなくても、コミュニケーションは成り立つ
──めちゃくちゃ充実した生活を送っていらっしゃったんですね。現地で苦労することはありませんでしたか?
MOOLA 困ったことといえば、タクシー運転手がなかなか僕の行きたい場所へ連れていってくれない、程度でしたね(笑)。行き先は辺鄙なところばかりだったので嫌がられました。
西堀 言葉の壁はどうしてたの? 日本人って完璧に話せないといけないみたいな先入観がある人が多いから、言葉が通じないところは行きたがらないじゃん。俺も最初は「ちゃんと喋れないから、自分から話すのやめよう」とか思ってる典型的な日本人だったけど。
MOOLA 語学学校に通い、文字を習ったりはしていました。結果、やり取りは普通にできるようになりましたね。タイ語のグラフィックデザインを制作する時も、タイ人に「どっちの言い回しの方がスマートか」と相談できるので、習ってよかったです。
それに、たとえ喋れなくてもカルチャーなどの共通言語があれば、ある程度は平気でした。特に10代の頃に影響を受けた音楽などは、会話のきっかけになりましたし。何より、この見た目なので。自分から積極的に話しかけなくても、向こうから話しかけてくれるのはありがたかった(笑)。
西堀 MOOLA君は一度見たら忘れられないビジュアルだもんね(笑)。
それにしても、MOOLA君はカルチャーが交わった瞬間のバイタリティが凄いよね。レコードや洋服の話になると急に積極的になるというか。だからこそMOOLA君がタイに転勤する以前に海外を訪れたことがない、という事実にもびっくりしたよ。そもそも国外へ行くことに関心はなかったの?
MOOLA 行く機会がなかったんですよね。そもそも“旅行”と言えば、レコードを買いに行くだけ、みたいな感じ。国内でもレコ屋がある場所じゃなければあまり移動したくなくて。
西堀 自分の世代も含めて、MOOLA君の世代くらいまでって、結構モノへの執着が強い人多いよね。ただ、未だに「レコ屋がある場所じゃないと嫌だ」なんて言っている人は俺が知ってる中でも数人だから珍しいよね(笑)。
タイ生活の末にオープンしたタイカレーのお店
──ではタイに6年半住み、日本へ帰国したきっかけは何だったんですか? 先ほど「特に任期も決められていなかった」とおっしゃっていましたが。
MOOLA 妻の父親が脳梗塞になり、リハビリが必要になったんです。同時に、仕事としてデザインをするのではなく、もう少し自分らしいデザインに特化したくなったんですよね。帰国後、徐々にデザイン事務所からもフェードアウトしていきました。
西堀 なるほどね。なんで、タイカレー屋さんになったの? 例えば、デザイナーとして独立する、みたいな選択肢もあったと思うんだけど。
MOOLA DJやグラフィックデザイン、ファッションって、人と関われる間口が狭いんです。食はそれらのカルチャーに比べると間口が広く、自分のスタンスを保ちながら長くできると思いました。それにタイを訪れた当初はグリーンカレーやレッドカレー程度の知識しか無かったぶん、実際にいろんな種類のカレーがあることに衝撃を受けたんですよね。友達の親戚で食堂をやっているおばちゃんからもカレー作りを習っていたので、「これなら夫婦二人でも無理せず経営できるし、介護と両立できる」と思いました。今でも義父とは一緒に住んでいて、お店も自宅の近くで経営しています。
西堀 興味のあることへ素直に突き進めるフットワークの軽さには関心する、俺も見習いたい姿勢だよ。ヤンガオって4種類のカレー・メニューを展開してるんだっけ?
MOOLA メインはゲーンハンレーとマッサマン、パネンカレーと、クアカレー。日本のカレーライスのように、ご飯にかけて提供しています。
──もともと飲食業界の経験はあったんですか?
MOOLA 全くなかったので、本当に手探りでした(笑)。それこそ「2階以上のフロアに店を構えない」といった飲食店の鉄則すら知りませんでしたから。お店は雑居ビルの3階にありますし、友達にすらあまり告知せずに開業して。並行してデザインの仕事は入ってきていたのでお金はなんとかなっていたのですが、最初はお客さんも来ませんでしたよ。
西堀 そうだったんだね。軌道に乗ったのは何かきっかけとかあったの?
MOOLA 雑誌『POPEYE』の仕事特集号や、『BRUTUS』の名古屋特集で紹介してもらってから、おしゃれな子や若い子が訪れてくれるようになりましたね。買い物や用事ついでに来れるような立地でもなく、かつ大きいお店でもないのに、わざわざ訪れてくれる高校生や大学生がいて。ウェルカムに接するようにしています。開店したばかりの頃に来てくれていた子たちは、今でも可愛がってますね。
西堀 タイ語のグラフィックをあしらったオリジナルグッズとかも販売しているけれど、なぜ作ろうと思ったの? 「タイ文化を発信したいから」みたいな意図ではなさそうな気がして、気になったんだけど。
MOOLA モノ、特にお土産が単純に好きなんです。行ったことのないお店でも、何かお土産を販売していたらつい買っちゃいます。自分がグッズを作るときもキーワードとして“お土産”を意識しているんです。特にカレーをモチーフにすることはないのですが、タイ料理屋の自分がタイ語のグッズを出す、というのは文脈的にも理にかなっていると思っています。
──お店でそういった“お土産”を買うのはどういった人が多いですか?
MOOLA タイが好きだから、というより「なんかいい感じだね」と買ってくれる人の方が多いかもしれないです。イベントをお店で開催したこともありますが、訪れてくれる人も全員がタイ好きとは限らない。
お土産もイベントも「タイを好きになって欲しいから」という理由で始めたわけではありません。ただ、例えば「Tシャツの元ネタになっているのは何だろう?」と調べてくれる人もいるので、結果としてタイに興味を持ってもらえる入り口にはなっているかもしれません。
「日本人である僕を『面白い』と思ってもらおう」と意識したタイ生活
西堀 今は名古屋で活動しているけど、タイでの生活を改めて振り返った時、日本とタイで価値観の違いを感じる瞬間はあった?
MOOLA 現地の人だけではなく、観光に訪れた欧米人をはじめとした様々な国の出身者と交流をもつことで、確かに違いは見えてきました。たとえば、誰もが自分のようにモノや知識に対する執着を持っているわけではない、とはタイに行って気づいたことの1つ。レゲエやパンク、ヒップホップが好きな人でも王道の音楽を把握しているわけではない。むしろ「それでもいいんだ」と思うきっかけになりました。
──そういった違いに気づいたことで、ご自身の価値観や活動の在り方には何か変化がありましたか?
MOOLA 日本にいる時は「自分が日本人である」ということをあまり意識せずに生活していたのですが、タイでの生活を経て「日本人である僕を『面白い』と思ってもらおう」と意識するようになりました。
特にファッションは10代の頃から、欧米のファッションを独自解釈で取り入れる日本人の姿をずっと追ってきたんですよね。自分の中にある「日本人だからできる落とし込み方」を上手く活かしつつ、タイのファッション・カルチャーに溶け込んでいくのは面白かった。
西堀 なるほどねー。「日本人だからできる落とし込み方」ってのは自分も含め、皆んな考えて行動しないといけないね。逆に、タイで生活をして「一般的なタイへのイメージ」とのギャップって感じることあった?
MOOLA うーん、「タイの人たちのルーズさがいい」って話す人は多いですが、僕自身はその「ルーズさ」をあまり感じなかったです。確かにご飯を食べながら接客するショッピングモールのスタッフもよく見かけましたが、それは彼らがその程度の給料しか受け取ってないからだと思うんです。その一方で高級なホテルのスタッフは、流暢な英語で完璧な接客をしている。その人たちの報酬は高いんだと思います。
西堀 それ、凄くよくわかるな。基本的に日本は「お客様は神様です」ってスタンスだから格安飲食チェーン店の店員と高級ホテルの店員の接客を無意識に同じレベルを求めてしまったりするよね。日頃から考えて生活しなきゃいけないことが沢山あるなって思うね。
ところで、コロナの影響はどうだったの? 飲食店だから大変だったんじゃない?
MOOLA 店をスタートする時から“夫婦二人で今やれる事を無理せず楽しんでやる”ことをモットーに経営しているので、店が営業できないタイミングは自ら運転しお客さまの自宅までデリバリーしたり、営業スタイルを変えて対応していました。
西堀 そうだったんだ。でも、MOOLA君くらいの年代になると、事業の拡大に舵を切る人も多いと思うんだけど、それに比べると、MOOLA君はあんまりビジネスに興味なさそうだよね(笑)。
MOOLA お金儲けは向いていない気がします(笑)。それよりも、好きなことを今のスタンスで長く続けたいです。もしかしたらカレー屋以外の活動を始めるかもしれないですし。今月のレコードを買うために何かを我慢しなきゃ、という状況じゃなければ大丈夫です。
西堀 MOOLA君らしいね(笑)。お店をオープンしてからもタイには行ってたの?
MOOLA 帰国前に「タイの地方のカレーを出す音楽イベント」をタイの友達と企画・準備していたので、まずはそれをリベンジしに行きました。お店を半月くらい休んでタイに行くこともありましたよ。バッドモーテルでDJしていた頃に出会った人からブッキングを受けることもあったし。受け取った報酬を握りしめガラクタ市に行く、みたいな遊び方もしていました。
西堀 カルチャーに限らず、東南アジアの様々な国が急成長を遂げていく昨今で、日本はどんどん先進国とは言えなくなってきてしまった気がするんだけど、これから日本人はどういう視野を持つべきだと思う?
MOOLA 先ほど日本人である僕を「面白い」と思ってもらう、という話もしましたが、やっぱり「自分にしかやれないことがあるかどうか」が大事なんだなと、タイの生活を経験して思いました。
現地のオーガナイザーから「日本人であるお前(MOOLA)がレコードを並べDJするのがいい」と言われたことがあったのですが、おそらく僕がブッキングされる理由はDJの上手い・下手ではないと思うんです。それ以上に「代わりのいない存在になれた」から声をかけられたのかな、と。
それは音楽以外の活動にも言えることかもしれません。デザインでも、タイの言葉がわかるからこそグラフィックに落とし込めますし、自分らしいアウトプットにはなっていると思います。
──MOOLAさんの活動を通し、おそらくタイを拠点に活動することを魅力に感じる人もいるのでは、と思います。タイでビジネスするなかで、メリットに感じることはありますか?
MOOLA あくまで僕が見える範囲ではあるのですが、タイでは僕が共感できる少数派のカルチャーをベースとするビジネスにも、大きな資本がサポートする体制があると思います。ただ、単に「タイに住んで働く」だけなら、タイ語や英語ができなくても可能。どんな仕事をどんな仲間としたいかを明確に考え、挑戦すべきだと思います。
西堀 コロナが落ち着いたら、タイに行くの?
MOOLA 行きたいですね。イベントもやりたいです。あと地方にはあまり行ったことがないので、次は田舎に行きたい。僕が好きなSRIRAJHA ROCKERS(シラチャロッカーズ)というレゲエバンドがいるのですが、メンバーの故郷がタイとラオスの国境近くにあるらしくて。この前、彼と「その村に絶対行こう」とメッセンジャーで話したばかりです。
西堀 この対談でもチェンマイやイサーンにまた行きたい、って声が多いんだよね。俺も次はバンコク以外の場所へも行きたいなと思ってるよ。最後に、MOOLAくんにとっての「タイ」とは?
MOOLA 今となってはホームであり、第二の故郷です。また、新しい何かが見つかる刺激的な場所です。おそらく次にタイを訪れた時は「戻ってきた」と思うことになりそうです。
ここからは、タイに縁の深いゲストだからこそ知っている、タイについて紹介してもらった。いまは難しいかもしれないが、これから先、タイに行くことができるようになったら参考にしてみてはいかがだろうか。
バンコクの音楽事情
──シンディ・スイを起点にMOOLAさんが仲の良いバンコクのアーティストや注目しているアーティストなど、バンコクの音楽事情を教えてください。
タイのインディバンドではYONLAPA、temp.、 Rocketman 、レゲエだとSrirajah Rockers、SRISAWAARD BAND、ヒップホップだとSPRITEってゆー少年がクセになる感じで気になってます。
バンコクの遊び場
──住んでいた当時から帰国後まで、MOOLAさんお勧めの遊び場を教えてください。
チャイナタウンのワラチャック、パフラット周辺が好きなエリアです。働いていたトンローやエカマイ、サイアムとかはもちろん好きな雰囲気で遊び場がたくさんあるスポットですが、ワラチャック、パフラットは1人で気ままに散策し、ガラクタや中古レコードを探す場所として居心地が良いです。与えら過ぎていない自分から求めないと全然溶け込めない感じが逆にフィットします。
──フリーマーケットによく行っていたとおっしゃっていましたが、どんなモノを購入していたんですか?
タイの古い映画ポスターは100枚以上買いましたね。田舎へ行くと、綺麗なデザインのポスターが100バーツくらいで購入できるんです。あとは、食品系のブランドや薬局が昔出していたノベルティグラスとか。ぬいぐるみや洋服も買っていました。
──じゃあ、MOOLAさんがレコードを掘っていたのもフリマが中心?
チャイナタウンにレコ屋が結構あって、日本より安く買えるものをよく買っていました。ただ、試聴機が置いていないし商売っ気もあまりないんですよね。自分でポータブルプレイヤーを持ち込み、朝から晩まで聴いてました。いわゆる洋楽を売っている店もあれば、タイの演歌を売っている店もある。そこまで日本と変わらないと思います。
バンコクの若者の流行
──I WANNA BONGKOK とのコラボの経緯、今のバンコクの若者達はどのような事や物に興味があるのか。MOOLAさんが感じた範囲で教えてください。
I WANNA BANGKOKのデザイナーが僕のパーティーに遊びに来てくれた事がきっかけで仲良くなりました。タイの仲良い友達も30-40代になり10-20代の若者と呼べる友人は少ないですが、日本の若者と感覚が同じ“層”もいるのを実感しました。一般的にはタイで人気の日本の文化と言ったらアニメとかだと思いますが、僕が交流が合ったタイ人はJET SETやDisk Unionのレコード袋に反応したり、僕が着てるPHINGERINやTENBOXの洋服を欲しがったりする友人が多かったです。
現地オススメのタイ料理屋
■バミー コンセリー
ヌードル屋さんですが、蟹チャーハンがオススメ。
■Jeh Jong
激安でうまい。量もすごい。オーダーは難しいですが、列に並んでジェスチャーでなんとかなります。机に無造作に置いてある果物は自由に食べていいと隣に座ったおじさんに教えてもらいました。
Text:Nozomi Takagi
Photo:SETSUZOKUASIA
YANGGAO หยั่งเก่า ヤンガオ
夫婦ふたりで営む小さなタイカレー食堂“ヤンガオ”。2018年オープン。店主のMOOLAと妻のKAYOのふたりで、2010年から6年半在住したタイのフード/ミュージック/ファッションカルチャーをローカルでインディな視点で解釈をしデザインしたお土産も手掛けています。国内外様々なジャンルの友人たちと一緒にイベントを企画したり、お土産を作ったりしつつも、基本は名古屋・浄心のタイカレー食堂“ヤンガオ”でカレーを提供しています。
〒451-0062
名古屋市西区花の木3-13-23クレスト浄心3F
名古屋地下鉄浄心駅4番出口すぐ右。
電話: 070-4469-6412
定休日: 日・月曜日 臨時休業あり
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-Culture Party- SETSUZOKU
セツゾクは『新しい“Boom”の創造』を目的にミュージックを通じて、様々な分野へセツゾクする新たな表現の場、トレンドを発信するメディア・エージェンシーです。2011年の発足から年齢や性別を問わず感性を共有し合うことができる、独自の世界観を持つ人々に向けて発信してきました。今後も国内外を問わずストリートやライフスタイルの延長にあるエンターテイメントを目指していきます。それぞれにとって目には見えない何かを。そんなきっかけを提供する事がミッションです。