幼い頃、家族に連れられて来たつくば万博で、強烈な科学技術の全能感を意識に植え付けられてしまい、以来コンピューターや電子ガジェットの進化に人類の叡智や哲学が凝縮されているような気がして、テクノロジーに異常な愛情を抱き続けている。今のグラフィックデザイナーという職に就いたきっかけも、とにかくMacの設計思想やDTPの概念に触発されて何かを発信したかったというのが大きな動機だ。
はじめて自分のパソコンを手に入れたのは中学生だった90年代初頭、その頃のパソコンは非力な存在で仕事で使うにはまだまだ実用性に乏しく、高価なゲーム機として持て余している人が多かった。何かクリエイティブなことに使う為には、イチから自分でプログラムを組まなくてはならず、パソコン=プログラミングを意味していたような時代でもあった。元々DIYすることが美徳だと教育をされてきた僕は、狂ったように独学でプログラミングを覚え、自作のゲームをやグラフィックを作り続けていた。物質的な材料やコストといった制限もなく、知識と知恵を振り絞ることで様々なものを作り出せることが魔法のようでとても快感だった。
そんな時代に出版されていた雑誌「マイコンBASICマガジン」、通称「ベーマガ」と呼ばれていたこの雑誌は当時のパソコンオタク達のバイブルになっていたパソコンゲーム雑誌で、ゲームを作るためのプログラミング解説+新作コンシューマーゲームの紹介。そして目玉は、読者が制作した自作ゲームを実際に遊ぶことができる画期的な雑誌でもあった。
とはいえ、インターネットなんてまだ誰もアクセスできず、概念すら一部の研究者しか知らないような時代。電話回線を介したパソコン通信も存在はしていたがまだまだ敷居が高く、データ通信自体が特権的な時代だったから、ゲームはダウンロード配布のようなやり方ではなく、ゲームのプログラムリストがそのまま雑誌に掲載されており、暗号のような文字列のプログラムを何万文字も一言一句間違えず打ち込むと、やっとゲームが遊べるといった原始的でハードな方法だった。今思うと写経のような修業といったような行為で、写し終えるまで何日間もかかることもザラ。ただとにかくゲームがしたい!という欲動だけで無我夢中にタイピングしていく尊い行為だった。
この雑誌を今あらためて見返してもチープなマイコン時代を懐古するノスタルジックな面白さしか無いかもしれないが、自分にとってはプログラミングに夢中だったあの頃の初期衝動を蘇らせ、欲動を引きださせる大切な本である。
PROFILE
岩屋 民穂
GraphersRock(グラファーズロック)の名義でアートディレクター・グラフィックデザイナーとして、パッケージ、広告、装丁、ファッションなど多岐にわたる分野でアートワークを展開している。