from
maco marets

夕飯の買い物をすませて帰宅するとちゅう、うす暗がりを裂くようにようにして、しゅ、しゅ、聞こえてきた異音に耳をそば立て歩いていると、通りすがった建物の陰でひとりの少年が野球のバットを一心不乱に振っており、その姿をだいぶ近くに寄るまで見出すことができなかったわたしは小さく「わ」と驚き声をこぼしてしまったけれども少年は気にもとめぬ風でしゅ、しゅ、壁に向かってひたすらに素振りを続けていて、しゅ、まぼろしのボールに向けて振りぬかれるバットの、しゅ、空を切る、しゅ、音、それを見つめるうち思い出されたフレーズがありました。

「それは打撃音とともに旅をもたらす魔法の杖である」
(平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』幻戯書房/2004年/P.55)

バットに対する偏愛が語られた随筆の、最後におかれた一文です。著者は詩人ウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』における「快活で可憐で懐かしさにみちた世界」、そしてそこに現れるバットの図像と、十七世紀イギリスのテキストにおいて野球のルールが「旅」の比喩を重ねた詩(出塁=大海原への航海とするような)で語られていたこととを接続し、無垢な打撃の道具たるバットこそが大海原への「旅をもたらす」とびきりマジカルな存在であると結んでいました(大雑把な説明でごめんなさい)。

そう、しかし「旅」のもたらされるきっかけは打撃、あるいは「打撃音」であるわけで、しゅ、しゅ、いつか来たるその瞬間までじっと唇を噛んでいるかのような、素振りの、少年のバット、そのかたくなな吐息とボールが出会うのはいつ? どんな音がするのかしらん? 聞いてみたいような、まぼろしに留めておきたいような、どのみち埒外な想像であったしなにより、少年の耳にはいまその音が聞こえているのかもしれなくて、しゅ、もう、それ以上は余計なお世話というものね……でもね、わたしも魔法の杖ってほしいなあ、バットじゃなくてもいいけれどもね。