薫風の砌、八十八夜も過ぎ春の終わりと夏の訪れを感じる候、みなさまに於かれましてはますますのご清祥のことお慶び申し上げます。
さて、今回は「母の日に捧げるレシピ」を紹介致します。
自分を育ててくれた母の食事
食を考える時に、母という存在はとても大きなものだと考えています。なぜなら、だれでも、10ヶ月あまりを母の胎内で育ち、その母が食したもので栄養を得て、産まれてからも離乳期までは母の乳を飲んで育ちます。また、離乳後も長い間、日々の食を担うのは、大抵は母です。つまり、良かれ悪かれ、みなさまの食の嗜好はみなさまのお母さまが骨組みを組んだと言っても過言ではありません。そんな、母に感謝する日にどの様な食をお贈りするべきでしょうか? こと、食事に焦点を絞ります。
私は、良く料理を作ります。それでも、多くて週に5日くらいです。しかし、母はほぼ毎日、家族の食事を作ります。献立を考えるという意味で知的にも、実際調理をするという意味で肉体的にも、毎日継続するという意味で精神的にも、様々な意味でこの家族の食を担うというのは恐ろしい労力を消費します。
ぬくもりを循環させる
普通のことをしているように見えますが、私には畏敬の念を抱かずにはいられません。そして、その累積は確実に家族の血肉となっています。この日々の累積に感謝を示し、労をねぎらう時にどうすれば良いでしょうか? 確かに、贅を凝らしたものや、母の好きなものを贈るのは、とても、素敵です。しかし、すごく抽象的で個人的で恐縮ですが、どこかぬくもりのようなものが足りない気がしてしまいました。このぬくもりを返すにはどうしたらいいのか? 単純にぬくもりを返せばいいと思いました。具体的には、母が作ってくれたものの中で、自分が好きなものを作ればいいのです。母が作ってくれたものに込められたぬくもりを返し、循環させる。
少し、ドメスティック過ぎてこそばゆい感じがしますが、1年に1度はそんな日があっても良いと思います。是非、みなさんも、母の作ってくれたものを作り贈り、ぬくもりを返してみて下さい。
本当は嫌いだった、ほうれん草のおひたし
さて、この連載はレシピを紹介するものですので、是非、みなさんも、母の作ってくれたものを作り贈り、ぬくもりを返してみて下さい、で終わるわけにはいきません。非常に、手間味噌で恐縮ですし、こそばゆい限りではありますが、ある種の例として、私の母が作ってくれたものレシピを紹介致します。
それは、ほうれん草のおひたしです。
私は、とにかくほうれん草のおひたしが嫌いでした。それなのに、母は、何かにつけて身体にいいからと、しつこくほうれん草のおひたしを作りました。子供心に、残したら母に悪いし、父にも怒られるので、我慢して噛まずに飲み込んで、なんとかやり過ごしていました。そんなこともあり、家を出るまではほうれん草のおひたしが嫌いでした。しかし、大学を卒業し家を出た時、なんとなしにほうれん草のおひたしが恋しくなり、外食の時にメニューにほうれん草のおひたしがあると、必ず注文する様になりました。
涙が出るほど、あったかい
そして、見聞を拡げるためにヨーロッパを周遊した際、まるで麻薬の禁断症状の様にほうれん草のおひたしが食べたくなり、Google検索で「マドリード 和食」(その時、マドリードに居ました)と検索し表示される番号に、ホテルの電話で片っ端から電話し、なんとか、ほうれん草のおひたしがあるお店を見つけ出しました。(プラド美術館の近くにありました)
27年間生きてきて、食事で泣いたのはこの時と、初めてフルコースを食べた時だけです。他にも、技巧的に優れたものや、私の一族を代表するような料理もあるのですが、「お母さんが作ってくれたもの」と言うと、一番に思い浮かぶのは、ほうれん草のおひたしです。日々の献立の中で栄養面を考え、スーパーで鮮度の良いもの選び、丹精込めて実際に調理してくれたほうれん草のおひたしは私の血肉となり、遠い異邦の地で母のぬくもりを伝えてくれました。
今年の母の日には、ほうれん草のおひたしを作り、母に多くのものを返したいと思います。繰り返しになりますが、みなさまも、それぞれに思い浮かぶ、お母さまが作ってくれたものを作り贈り、ぬくもりを返し、感謝し労を労ってみて下さい。
材料
ほうれん草…3〜4束
塩…適量
醤油…適量
かつお節…適量
作り方
①.ほうれん草をよく洗い、ほうれん草の発色を良くするために少量の塩を加え茹でる。
②.水を切り、醤油を加え、かつお節を添えて完成。
岡村飛龍