北海道新幹線開業のニュースが記憶に新しい。その賑わいの中、テレビで見たある特集が心に残った。北海道新幹線開業に伴うダイヤ改正で、道内の8つの駅が廃駅となったというのだ。函館で育った僕にとっては比較的身近に感じられる話題なだけに、栄える駅と消える駅のコントラストを人々の営みの影に重ねてしまう。廃止となる駅にもドラマがあり、それを大切に日々を暮らしている人々がいることを知った。

【Lyric, Qetic, Music】第二回「8つの駅」 column160413_lqm_2

新函館北斗駅。地元の旧友から送ってもらいました。北海道新幹線が行き着く先と思うと、やっぱりワクワクしますね。

「新函館北斗駅」という名称には馴染みがない。函館で育った身ではあるのだが、上京して少し経ったタイミングで市町村合併があり「北斗市」ができた。そこにある駅だということは理解できるのだが、いったいどんな感じなのか、まったく想像がつかない。僕が函館にいたころは「函館駅」が街の中心であり、そこから青函トンネルを潜って盛岡にいる祖母の家に夏休みのたびに行ったものである。津軽海峡を縦断する青函トンネルは幼心にとても神秘的なものに映った。小学校の高学年になるかならないかのころに一度、何かのトラブルが発生し、青函トンネル内で運転見合わせ、立ち往生してしまったのだが、それはそれは心細く感じたのを今でも鮮明に覚えている。ようやく運転再開となり、久しぶりに陽の光を見たときの感覚は意外とぼんやりとしていて、どことない安堵感の中に消えてしまったような感じであった。

【Lyric, Qetic, Music】第二回「8つの駅」 column160413_lqm_3

函館駅。こちらも地元の旧友から送ってもらいました。懐かしい佇まい。新幹線の行き着く先ではないけれど、開業ムードですね。駅の近くに朝市があります。

今も函館には何人か旧友がいるのだが、彼らの地元を盛り上げようと奮闘する姿勢には頭の下がる思いがする。「新函館北斗駅」の登場で、都市としての機能の中心はそちらのほうに移っていってしまうことだろう。これはおそらく避けられないことなのだろうけど、それでも自分たちにとっての、少なくとも僕が函館にいたころにそこで暮らした人たちにとっての函館は「函館駅」周辺のあの感じなのではないかと思う。今度、北海道に行くときは空路ではなく陸路で、北海道新幹線で行ってみよう。僕が中学~高校のころはバンドブームと言えるくらいに函館の音楽シーンは盛り上がっていたのだが、当時お世話になったライブハウスは今はもうなくなってしまった。ライブハウスがなんだか駅のように思えてくる。軸というか、拠点というか、そこが心の拠り所になったりするのである。

【Lyric, Qetic, Music】第二回「8つの駅」 column160413_lqm_1

函館で青春時代を過ごした人ならば必ず一度は食べたことがあるのではないでしょうか。ラッキーピエロ、思い出の味です。

終電間際の改札で涙する歌、と聞いてあなたはどんな曲を思い浮かべますか?函館にいるころは終電の概念がなかったので、僕の場合、その切なさは今でも空想の域を出ないのです。