“この曲、なんですか?”

10年ほど前まで、クラブではもちろんレストランや洋服屋で、僕はことあるごとにこの質問をしていた。

いい音楽との出会いは突然やってくる。しかしその出会いは、ものの数分で過ぎ去ってしまう。そこで解決しておかないと頭から離れなくなったりしたときに非常に厄介だ。

DJ相手の場合は解決する事も多いが、アパレルやカフェの店員さんに聞くと、その人たちもわからなかったり、調べてもらっているうちに次の曲にいってしまったり。このもどかしさは、30代以上の人たちであれば誰しもが一度は経験したことがあるのではないだろうか。

しかし時は流れ、僕たち人間は文明の利器によりとんでもないものを発明する。

そう、“Shazam(シャザム)”だ。

今から10年前にShazamはリリースされ、僕たちのミュージックライフを大きく変えた。

気になる音楽がかかっているときにスマホをかざすとアプリが音楽を検知し、今そこでかかっている楽曲が何かを知らせてくれる。〜Remixまで出てくるし、年々精度は上がっていると感じる。

このアプリは全人類が一度は感じたことがあるであろう”もどかしさ”にスッと手が届く、まさに痒いところに手が届く大発明。自分の中では今までのスマホアプリの中でも時代に革命をもたらしたものトップ3のうちの1つだと思う。

カフェやショップで気になる曲があれば、スマホをかざす。クラブでも気になる曲があればかざしてみる。店員さんとのバタバタしたコミュニケーションもなく、DJに勇気を出して質問もしなくていい。正確に答えを導き出してくれる。

非常に楽。これが文明の利器。いまでは世界で実に1日20万回(!)もShazamがされているというのだから、いかに10年前までそのもどかしい感情が世界に渦巻いていたかは想像に容易い。

しかしながら、こんな時代だからこそあえて言わせて欲しい。

……なんか、寂しくない!? 

携帯をかざして曲名とアーティストが分かる。そうなってくると、僕が前述したような”店員さんとのコミュニケーション”は、一切生まれない。
”そんなコミュニケーション不要です”と言ってしまえばそれまでだが、どんどん便利になり人と人との触れ合いが減少していく現代には、いささか寂しさを憶えるのも事実。

自身の経験談として、こんな話がある。



8年ほど前、僕は世田谷区のアパートで独り暮らしをしていた。隣には大きな一軒家。上品なクリーム色で非常に立派な佇まいの二階建てのお宅で、さぞエリートな方が住んでいるのだろう、と思っていたが、特にお会いするタイミングも無く季節が過ぎて行った。

そしてある初夏の夕方。珍しく仕事が早く終わりその日は早めに帰宅をした。

ようやくTシャツで過ごせるようになった時期で、夕日が綺麗だったのを今でもハッキリと憶えている。自転車でいつもの家の前に停まると珍しく隣の家の窓が全開で、中から大音量で音楽が流れてきた。



「……~♪」



透き通るような女性の声、今の気候と完璧にマッチングした曲調。Jazzともボサノヴァとも言い難い絶妙な音色は非常に気持ちが良く、思わず家の前でついしばらくの間立ち聴きをしてしまった。
そして次の曲に変わると、次の曲も実に素晴らしい。



”このアーティストは聞いておかないと後悔する”

と、直感した。
Shazamを手に入れるまでの頃、僕は気になった音楽は必ず聞いて解決を試みていた。



しかし今回は見ず知らずのお宅から漏れているだけの音楽。質問するのはかなりの勇気がいるが……ここで諦めると家に帰ってもずっとその歌声が頭から離れないことは自分自身が良く知っていたので、意を決して開いている窓から大きな声で質問をしてみた。



「あの~……すみません。隣に住んでいる者なのですが、今流されている音楽が凄く素敵で気になって。よかったらアーティストを教えて頂けませんか?」と。


すると曇りガラスの窓の奥から黒い影がノソノソと動く。



どんな人だろう……。閉められる? 怒られる? 怒鳴られる? なんか投げられる?

 黒い影がノソノソしている間に様々な考えが交錯したが、姿を現したのは、人の良さそうなおじいさんだった。
そして、
「きみ…この曲が好きか。良かったら上がって聴いて行くかい?」
と言って下さったのである。
まさかのお誘いに一瞬躊躇したが、もっとゆっくり聴きたかったのもありお邪魔する事に。



上がると中も外見に恥じない素敵なお宅で、スリッパを履くと、ガレージに案内された。ピカピカに磨かれたBMW、観葉植物。コーヒーのいい匂いがする。


「わしはオーディオマニアでねえ。良い音楽を良い音で聴くのが大好きなんだよ」と嬉しそうなおじいさん。


たしかに音が良かった。四隅に配置された木目の立派なスピーカー。ガレージ全体の反響を計算したかのような包み込むあのサウンドは今もはっきりと憶えている。



「え、僕もDJで……」



という言葉を皮切りに、2人は音楽の話で大盛り上がり。世代的な接点は一切無い2人だったが、”音楽が好き”という事だけで十分、気づいたら暗くなっている程話をした。


それからと言うものそのおじいさんからオススメの音楽を教えて頂いたり、3.11震災のときはトイレットペーパーを頂いたり、いろんな部分でお世話になった。



この時Shazamが僕の手元にあったら、窓の外でスマホをかざしてハイおしまい、だ。このおじいさんと出会う事もなかったし、震災の時はトイレで大惨事が起きていたかもしれない。



DJをしているとき、お客さんから投げかけられる
“この曲なんですか?”。それはDJにとって、最高の賞賛である。

いい曲だから知りたい。ここで聞いておかないと、頭から離れなくなる。そんな心情がその人を突き動かし、DJに尋ねる。そこからDJとお客さんとのリアルな対話が始まるのもCLUBの一興だと僕は思う。

しかしここ最近、その質問はほとんど聞くことがなくなった。

もう一つShazamをするときに人間の心理で面白いのは、”背徳感”があること。これはDJ独特の心理かもしれないが、特にDJが、DJからそれをするときに感じるものだと思う。

人が奇跡的に出会えた楽曲をいとも簡単に自分のものに、しかも無断でしてしまうことに背徳感がある。僕は感じる。その証拠に、だいたいみんなCLUBでのShazamはこっそりやってるでしょ。笑


留まる事の無い人間の知識欲、そこからくる驚きの発明。どんどん便利になる世の中。
しかし利便性の一方で、なにか失われてしまうものがあるのでは、という寂しさを感じてしまう現代。



それをふと感じたので、記事にしてみました。

もちろんShazamに罪はありません。



しかし、もしアナタが気になった音楽を発信している人がすぐ目の前にいるならば、スマホをかざす前に、一言聞いてみたらいかがだろうか。



「この曲、なんですか?」



そこからは予想もしない発展、出会い、さらなる知識の引き出しなど、Shazamでは得られない”人と人”とのコミュニケーションによる嬉しい”オマケ”が、ついてくるかもしれません。

この曲、何ですか? eita_profile1

EITA

都内を拠点にDJとして活動しつつ、プロサウナーとして日々サウナにも熱を入れる31歳。表参道VENTでハウスミュージックパーティー「KEWL(クール)」を主催。オーガナイズおよびレジデントDJとして活動する傍、青山Tunnelでは第二土曜日のレギュラーをもつ。そのほかラグジュアリーホテルなどでも多数レギュラーを持ち、ダンスミュージックとラウンジミュージックのハイブリッドな選曲が武器。サウナーとしてはサウナブランド「TTNE」のブランドプランナーという肩書きをもつ。

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