気付いたらあっちゅーまに10月だっちゃ。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
アタシはミニアルバムのレコーディング(このコラムが更新される頃にはもう発表されてんじゃないの〜?)やアートワーク制作に追われてました。なんだかライヴをやる時とかフランクな感情でやれる人も居るみたいだけど人前に立つのが本当は怖いからいつもライヴ前に気持ちがヘロヘロになってしまうよ。
最近はいつでもどこでも元気にパワフルにがモットーだからどんな時もライヴでもラジオでもへっちゃらだけど。
アタシは10月がとっても嫌いなんだよね。
緊急下校を言い渡された10月。
帰り際に職員室を通ったから見たら担任の先生が頭を抱えている。
そういえば今日、学校を休んだクラスメイトから空メールが来ていた。
なんだか嫌な予感がする。彼の家に走った。
救急車や消防車、パトカーが集っていた。
ぁあ、大変なことが起きたんだ。と恐怖心に駆られそのまま友人の家に行った。
彼が自殺をしたという情報はすぐに学校中に回った。
友人に「空メールが来ていたと言ってたよね。あれ空メールじゃないかも」と言われそのまま下のボタンを押すとありがとうという文と共に遺書があった。
アタシがいつも学校に携帯を持ち込んでいるのを知っていた彼なりの最後の賭けだった。
彼はいじめられていて(いじめられている側も問題があるなんてたまに、世の中で言われるけど彼にはいじめられる原因なんて本来一つもなかった)黒板に悪口を書かれてたりしていた。
アタシと周りの女の子は「バカだよねえ子供だよねえ」なんて言いながら彼と一緒にいつも消していた。そんな時彼はいつも「悔しい。屈辱だよ。」とか「こういうこともあるんだねえ」なんて悲しい顔で笑っていた。今思うと女の子に庇われたこともかなり彼の自尊心を傷つけてしまっていたのかもしれない。もっと他の助け方もあったなぁ。と思う。
音楽と漫画とお笑いが好きで、そんな人は足立区にアタシの周りに兄とその男の子しかいなかった。あの狭い狭い学生生活でたくさんのものを教えてくれたし、きっとあの人がアタシのはじめての音楽や漫画を共有できる友達だった。
当然「お前がメール気付かなかったから死んだんだろうな〜」とか言ってくるやつもいたし、ただ「大丈夫だよ」とずっとずっと気にかけてくれてた友達もいた。
誰かにしてもらったこと、言ってもらえたことってずっとその時の場面はボヤッとしつつも残ってるもんですよね。
自分がメールに気付かずに亡くなってしまった友人への罪悪感や恐怖は当時のアタシは、とても耐えれずこの辺りから今も尚ずっと眠剤を飲んで寝ている。毎日毎日繰り上げ計算。無理矢理寝て朝を迎える。
自殺のニュースを見るたびに彼のご両親がまた悲しみの底に落ちてしまわないかすごく心配になるし、命日に仏壇に手を合わせる度に中学3年生のままの遺影の中の彼と大人になってしまった自分が向き合ってることに、とても違和感を感じるし、申し訳なさと悲しみでいっぱいになる。
ご両親はいつも行くたびに忘れないでいてくれてありがとうと言ってくれるけど大人になるアタシ達を見てどう思うのだろうかとなんだかザワザワする。
この10年ずっと答えを探しているけど、やっぱり人に無責任に生きてくださいなんて言えないし、生きることはつらいよ。やっぱり。
ずるい事をするのも何をするにも度胸とか根気とか体力とかここには書ききれない必要事項がたくさんあるし、まず夜に寝て朝を迎えるところから始めなくちゃなんだ。これも中々難しい。
自分の納得できる豊かな生活だったり、その生活を得るための自分の納得できる仕事や仕事量そのものも学生の時よりもずっとツラい。
だけれど好きな女友達が自分の話でいつもより少し多めに笑ってくれたり、なんだかいいライヴや曲ができたぞ、美味しいご飯を食べたよ、素敵な道を歩いたよ、知らない街やエピソードを知れたよなんて日常に助けられているんだ。
いつも嫌な事をされた時とか乗り越えたい場面がある時はいつも時間は絶対過ぎるから大丈夫って思ってる。アタシから人にできるアドバイスって本当このくらい。
後は音楽を聴く。財津和夫が言ってたんだけど、音楽って本当に天使だよね。
人と人を繋げたりツラい時にふと現れて自分はもう大丈夫だなぁ必要ないなあって思ったら何も言わずに自分に離れていくんだもん。
素敵だねえ。ってこの言葉大好き。
このコラムが更新されている頃にはきっとライヴ終わり帰り道、首都高から東京の景色が見えているだろうな。
早くお家に帰りたいね。
デッカいデッカい心と器の女になりたいね。
可愛くなりたいとかそんなのは、もうこの時代簡単なんだよ。
それよりもデッカいデッカい心と器の女になりたいね。
しーな
東京初期衝動歌手ギターしーなが、ゆるりとサイケな毎日をお送りいたします。