lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第10回「すてきなひとりぼっち」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
「分かりやすさ」を基準に物事を判断することが多い。
パッと見た時に目がいくもの、自分の気持ちを汲み取ってくれているもの、頭を使うことなく理解ができるもの。「よく分からない」「もっとハッキリして」と普段からよく言われる優柔不断な性格の私は、反動からか、依存するようにそれらを好んだ。もしくは、強く憧れていたのかもしれない。
小説や映画は、共感できて自分自身を投影しやすいものを無意識に選んでしまうし、結局主人公は生き残ったのか?二人は結ばれたのか?など、起承転結の「結」が分からない「ここから先はご想像にお任せします」系の作品にはいつもモヤモヤする。
人と話している時も、会話の中に「そうだね」「分かる」など、賛同の言葉をついつい探してしまうし、求めてしまう。相手が本当にそう思っているのか、何も考えずにただ受け流しているのかは分からないけれど、同意を示す言葉を聞くと、とりあえずその場では理解し合っていることが確認できるからホッとした。
同時に、そういった安心に対する危機感も感じていた。
目的や価値観の合うコミュニティに居場所があることに満足して思考が停止してしまったり、「分かる」範囲にあるもので勝手に自分を納得させて本質を見逃してしまっているのではないか。「分かる」心地良さを感じた時、何も疑わずに信じ切ってしまうことに不安を感じながらも、なかなかその癖は直らなかった。自分のことすらよく分からないのに、分からないことがこれ以上増えてしまう方が怖かった。
「分からなさ」にも魅力を感じ始めたのは、谷川俊太郎さんの詩集『すてきなひとりぼっち』を読んだ時からだ。
それまでは、詩の楽しみ方すらいまいち理解できていなかった。
情報量が少ないから自分の想像力で補わなければいけない、というプレッシャーがあったし、一行一行が飛んでいることがよくあるから、読んだ後に作品に対する自分なりの答えを出したいのに、頭の中で言葉たちがフワフワと宙に浮いて上手くまとまらない。
しかし谷川さんの言葉は全部を言い表さなくても自然と現れてくるようで、身体に馴染むように入ってきた。
この詩集には、家族、子ども、動物、自然など、私たちにとって切っても切れない身近な存在がよく登場する。それらに対して大きな愛情を抱いているけれど、ひとつひとつ全く違う存在であることに変わりはなく、完全に理解し合うことができない寂しさからは逃れられない。それでもこの現実を受け入れて、一緒に生きていこうと寄り添ってくれるような優しい詩ばかりだった。
きっと、谷川さん自身が最も孤独を感じていて、詩を書くことを通して分からないことと向き合おうとしているのだ。これは私の解釈に過ぎないけれど、そう感じ取ることができた瞬間に、詩に対する苦手意識も、「分からなさ」に対する考え方も180度変化した。自分とは全く違う世界にあると思っていたものにも触れてみたくなったし、分からないことを目の前にして身構えて、自分を取り繕うことはやめようと思えるようになった。
『朝』という詩の最後の連。
「今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい」
完全に分かり合えないからこそ、共感や理解とはまた違った繋がりが生まれる。
お互い孤独で、分からないまま分かち合って、面白がれるなら素晴らしい。すてきなひとりぼっちって、そういうことなんだと思う。