lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第2回「そのままで」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
何かに憧れることは少し怖いと思う時がある。
憧れのミュージシャンがいた。
彼らの作る音楽が大好きだったけれど、いざライブに足を運ぶと毎回打ちのめされるような気分になった。フロアで演奏を聴いて、やっぱりこのバンドは良い!好きだ!これからもライブに通いたい!と感じるよりも、彼らのようになりたいという思いが先行してしまっていたからだ。
純粋に彼らの音楽を楽しみたいという気持ちを飛び越えて、ただただ受け取ることしかできない自分が悔しくて、惨めに思えてしまった。彼らの音楽に触れれば触れるほど自分を傷つけているような気がしたから、ここぞという時にしか曲は聴かなかったし、覚悟ができた時にしかライブに行かなかった。
あらゆるモノ・コト・人に向けられる「好き」の中でも、「憧れ」は自分から遠くにある存在に対する感情。近づきたい、欲しい、なりたい、と思う気持ちは、親しみのある存在であれば思い通りに行くこともあるが、憧れの対象だと叶わないことが大半だ。
憧れれば憧れるほど自分と比較して落ち込んでしまうし、完全に自分のものになんてできるはずがないのに、いつか手に入れたいと願って追い続けることが虚しく思えた。
本来「憧れ」はポジティブな感情であるはずなのに、巡り巡ってネガティブに変わってしまうことが怖くて、素直に何かに憧れることができなかった。
一方、OOHYO(ウヒョ)という韓国のシンガーソングライターの曲は、私にとって特別な存在だ。
韓国ドラマ『賢い医師生活』のサウンドトラックや、NewJeans“Ditto”の作詞にも参加している彼女はアメリカにルーツを持つ韓国人で、韓国語と英語の両方で書かれた歌詞の曲もいくつかある。
高校2年生の夏、友人に勧められて初めて聴いたのは“PIZZA”だった。蒸し暑くて何もかもが窮屈に感じる季節に爽やかな風が吹き込んでくるような曲で、すぐに聴き入ってしまった。音楽アプリで彼女をお気に入りのアーティストに設定し、片っ端から曲をダウンロードした。
気に入って繰り返し聴いている曲はいくつかあるが、韓国語バージョンと英語バージョンがある“Papercut”は、紙で指を切ってしまった時にできた、とても小さいけれどズキズキと痛む傷を対人関係に例えたような歌詞が象徴的だ。
あなたの心を読むのに全力を尽くした
To read between your pretty lies
あなたの可愛い嘘を見抜くために
But now I’m such a wreck, you see
だけどもう私はボロボロになってしまった
For me it’s already the end of time
私にとってはもうお終いなの
他者に寄せる密かな期待、そしてその反動からくる抵抗を幻想的なメロディーの上に乗せて歌う“VAMOS”は、自分の中にスーッと入ってくるような、新しい感覚になった曲だ。
目を見て言ってみて
나를 얼마나 아는지
私をどのくらい知ってるのか
용기 낸 적이 있나요
勇気を出したことはありますか
누군가를 위해
誰かのために
So good bye 날 떠나가줘요
だからさよなら 私の元から離れてください
잊지 못할 시간이란 없으니까요
忘れられない時間なんてありませんから
So 제발 날 지워주세요
だからお願い 私を消してください
나도 너를 사랑할 수 없으니까요
私もあなたを愛することができませんから
聴き手との間に一定の距離を置き、もはや「好きになるな」と突き放されているようにも感じられる歌詞。
誰にも干渉できない彼女だけのスペースがあることが分かっているから、彼女の曲を聴いている時間は、その曲を聴いていること以外に余計なことを考える必要がない。
シンセの響きが美しいトラックも、よく通るけれどすぐに消えてしまいそうな歌声も、どこか切ない歌詞も、聴き手に感情移入させる余地を与えない絶妙なバランスで成立している。
何かを好きになると、その対象になりたいと思うまでに気持ちが膨れ上がって疲れてしまっていた私は、「好き」の先にあるけれど「憧れ」でもない、素直に心引かれる存在を見つけられたことが嬉しかった。
丁度良い距離感で、心地良い音を鳴らしてくれる。
等身大の自分で好きでいられるものが本物の“スキ”なのかもしれないと、この時初めて感じた。