lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第7回「自分だけの」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
本当の自分の感覚とは何だろうか。
様々なカルチャーと出会って、影響を受けながら自分は構成されてきたし、これからもそれらが進むべき道を教えてくれることは分かっている。
しかし、日々ありとあらゆる物事に触れる中で、結局自分の目にとまり耳に届くものは誰もが良いと評価していたり、SNSなどで刹那的に脚光を浴びているものが多くを占めているのではないか。そんな中で、無意識に私自身の感覚が薄れてしまってきているような気がしている。
大学時代、学期末に提出するレポートの参考文献に自分の日記を使っていた友人がいた。
新潮文庫から出ている、全ページが真っ白で自分で自由に書き綴ることができる『マイブック』という文庫本がある。彼は日記として使っていたそれを参考文献にできると思ったらしい。レポートが受理されたかどうかまでは知らないが、「他者の意見を引用して自分の仮説を立証させる」というレポートのルールに物申しているみたいで痛快だった。
私にもその“文献”がある。
日記を書くこと自体はあまり好きではない。誰に見せる訳でもないし、わざわざ自分が何をしていたかなんて振り返る必要はないだろうと思うからだ。それでも去年の数ヶ月ほど、気持ちを心に留めておくのは勿体無いと思って日記を書いていた時期があった。
読み返してみると書かれてあったのは、当時あった悲しい事件で気分が落ち込んだこと、友人と2万3千歩歩いて疲れ果てたけど楽しかったこと、2年間働いていたアルバイトを辞めて寂しかったこと、LINEよりも文通の方が絶対良いと思ったこと……。他愛のないことばかりだけれど、今の私はハッとした。何も気にかけることなく書かれた、完全に自分の感覚による、まっさらで平熱な言葉たちが並んでいたからだ。あまりに真っ直ぐで、愛おしさまで感じた。
外の世界に向けてアンテナを張ることは大切だ。特に、私は自分の中からアイデアが湧いてくるというよりは周囲の環境やロールモデルから刺激を受ける方が多く、他者との比較によって自分を象ることからは逃れられない。
それでも日々過ごしていく中で私は何を思って、どんなことに惹かれるのか、些細なことでも見失わないようにしたい。
他者の価値基準によらずに自分の物差しで物事を測ることは、自分の軸になっている揺るぎない部分を守り続けるのと一緒で、いつだって忘れたくない感覚だ。
“スキ”について語る途中で一度立ち止まって考えてみたが、改めてこれから大切にしていきたいことを確かめられた気がした。