lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第8回「プロセス」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
成果物を表に出すまでのプロセスは、ただ泥臭くて、苦しいものだと思っていた。
lyrical schoolの新メンバーとしてデビューをしてから約半年が経ち、ライブを重ねていく中で、名高いアーティストはどのような想いで制作に打ち込み、ライブをしているのかについてもっと知りたくなった。そこで、クリープハイプの尾崎世界観さんと著名なアイドル・詩人・俳優などの対談をまとめた本を読んだ。
クリープハイプの曲は人間の全てが曝け出されていて無敵だという印象があったけれど、対談の内容から、尾崎さんが何かを作る際、土台にあるのは恐怖、羞恥心、聴き手に対する依存などの不安定な気持ちで、身を削るように制作やライブに取り組んでいることが分かった。何かを生み出すまでのプロセスは作品と同じように美しくはなく、それぞれの苦悩があるのだと思い知らされた。
約一年前、様々なジャンルのアーティストが出演するオーディション形式のライブを観に行った。オーディションに勝ち抜くととある音楽イベントへの出演権が与えられるというもので、各アーティストはたった15分の演奏で、審査員はお客さんとイベントの関係者だった。
私は別のバンド目当てで来ていたが、あるバンドが印象に残った。
メンバー全員が輪になるように座りながら、ギター、鈴、そして機械の音に、詩を朗読するような、そして時にラップ調にもなる歌声を乗せていく。様々なジャンルの音楽を切り取って貼り付けたコラージュのような音楽は、明らかに他のアーティストとは一線を画していた。演奏を観ていて混乱した、という表現が一番近かったのかもしれない。15分間では処理できない程の情報が私の脳に伝達されて、その結果、彼らの音楽は“神聖なもの”として認識された。私は圧倒的なものを目の前にすると、それが出来上がるまでに試行錯誤が絶対あるはずなのに、いつも誰かが呪文を唱えてポンッと目の前に出てきた魔法のように感じてしまう。それと同じで、私には理解しきれない何かを感じて近づききれなかった。それでもいつかはまたライブを観に行ってみようと思うほどに心に残る時間だった。
そして最近、そのアーティストも出演する対バンライブを久々に訪れた。他にも観たいアーティストはいたが、一度聴いたことがある彼らのことが一番気になっていたのは確かだった。
久々に訪れる渋谷WWWの階段を降りた。ライブハウスにお客さんとして来るのはいつも緊張するが、今日は特に気分が高揚していた。バーカウンターでドリンクを受け取って、会場に入って自分の居場所を探す。まだ開演時間まで余裕があるからか、300番台の整理番号の割にはステージの近くまで来てしまった。トップバッターのバンドのメンバーがステージに現れる。ひとりひとりの表情や弦の上を滑るように動く指がはっきり見える位置に来てしまったことに気づき、いたたまれない気持ちになった。そして一組目の演奏が終わって彼らが現れた時、少し懐かしさを感じた。
最初の数十分間は、以前と同じような気持ちで観ていた。しかししばらくしてフロアも盛り上がってくると、バンドのフロントマンが、マイクスタンドの下方に設置していたiPhoneの画面に触れた指先を動かして、オケや自分の声にエフェクトをかけ始めた。そして自分が作った音が空間に響いているのを心の底から喜ぶようにステージを歩き回り、手に持っている鈴を気持ちの高ぶるままに鳴らしたり、ギターを弾いているメンバーの足元まで移動して、エフェクターのつまみを思い通りに動かしていた。その様子は本当に楽しそうで、眩しかった。バントのライブは音楽が出来上がる“過程”を直接目の当たりにしているようで好きなのだが、彼らのライブでは、人間の身体が音を生み出しているということを強く感じさせてくれた。まるで劇場にいるような不思議な感覚になった。
この夜で、何かが生み出されるまでのプロセスの中にも美しさを見出すことが出来るのだ、という発見があった。その場で作られて生まれた言葉、空気、というものをもっと大切にしたいと思った。自分がライブをする時も心がけたいことだ。そしてジャンルを問わず、もっと色々な音楽を知りたいと思った。
手に握りしめていたドリンクは、氷が溶けてただの生温い水になっていた。