lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第11回「高校時代」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
ライブのリハーサル終わりにマクドナルドで夕食を食べていると、隣の女子高生たちの会話がふと耳に入ってきた。
二人でユニバに行く計画を立てているらしい。「その日はテスト期間じゃね?」「金ないけど泊まりにしちゃう?」久々に聞く弾けるような会話に、胸がキュッとなるのを隠せない。しかも、スクバにオソロのキーホルダーを付けて行こうとのこと。制服ユニバか。いいなぁ。学校が休みの時期、友人とテーマパークに行く日のために勉強も部活も何だって頑張ることができた高校時代を思い出す。
私が通っていた高校は、ひとことで言えば、エネルギーに満ち溢れていた。
演劇、ダンス、アート、音楽、誰もが何かを披露できる機会が豊富にあった。行事が近づいてくると教室内の空気がピリつき始め、徐々に学校の隅々にまでその空気が広がり、準備に明け暮れる日々が始まる。
赤団、白団、青団、全てのチームに、有名な物語や神話などをオマージュした壮大なコンセプトが作られる。
種目の目玉は、有志で誰でも参加できるダンスパフォーマンスだ。授業の間の休み時間や休日までを返上して、リーダーを中心に80人ほどの団員が賞を目指して練習を重ねた。
時にはぶつかることもあったし、ハードなスケジュールには若い身体も悲鳴を上げた。行事がひと段落ついた直後は、もう当分はこんなことしなくていいや、と毎回心に決めるにもかかわらず、何かしらのイベントが近づけばまた動き始める。誰もが底知らずの不思議な活力を持ち合わせていた。
しかし、卒業が近づいてくると、漠然とした不安を感じるようになっていた。私はこれからどんな道を進んでいけばいいのだろう。何者になればいいのだろう。何にでも挑戦できて、それを受け入れ、見届けてくれる誰かがいる環境にすっかりと慣れてしまっていた。共に過ごしてきた仲間も、進学や留学など、安定した将来を見据えた道を選んでいく。当時の私もそうせざるを得なかったが、内から湧き上がる想いを表現して、誰かの心を動かすことができるような体験にまたいつか出会えることをずっと願っていた。
そんな多感な高校時代を振り返ると必ず思い出すのは、家族でニューヨークに旅行に行った時に観たブロードウェイの『Kinky Boots』。
イギリスの伝統的な靴工場の後継者である息子が父親の急逝により思いがけず社長へと就任するが、会社は倒産寸前。そんな中、偶然出会ったドラァグクイーンが履いているド派手な“キンキーブーツ”からヒントを得て、経営の立て直しを目指す物語だ。
その日、ストロベリーフィールズやニューヨーク近代美術館などの観光地をひとしきり巡った後、ブロードウェイを訪れた。当初観る予定だったアラジンはやはり人気で、チケットは売り切れていた。仕方なく、看板が派手で面白そうという理由だけで、あらすじを確認することもなくこの作品を観ることになった。
目当てではなかったとはいえ、初めてのミュージカル、初めてのブロードウェイ観劇。英語も完璧に理解できない女子高生の自分があまりにもこの場に適していないことを肌で感じながら、客席で萎縮していたのをよく覚えている。それでも劇が始まれば、そんなことも忘れてしまうくらいの高揚感が全身を駆け巡った。
大胆で、コミカルで、時には繊細な演技と、魂を揺さぶるような歌唱。たった数時間のうちに、こんなにも感情を解放して、身体全体が乗っ取られるように楽しめるものがあるのかと圧倒された。観劇後には、今までに味わったことがない多幸感で満たされていた。
帰国後、サウンドトラックをダウンロードして何度も聴き、ネット上で見られるだけの動画を全て漁った。そして、お風呂の中で劇中歌を大音量で流しながら、あの鮮やかな舞台を何度も心の中で再生した。
Just be who you wanna be
なりたい自分のままで
Never let ‘em tell you who you ought to be
他の誰かに決めさせないで
Just be with dignity
誇りを胸に
Celebrate yourself triumphantly
自信を持って自分を讃えよう
すっかりこの作品の虜になり、日本版の公演にも足を運んだ。主人公役の小池徹平さん、ドラァグクイーン役の三浦春馬さんの演技も素晴らしく、それでも本場のものとは一味違っていて、あのニューヨークでの忘れられない夜の続きを見ているような気分になった。
少し恥ずかしくなるくらいひたむきで未熟だった高校時代を振り返れば蘇ってくるこのミュージカルの記憶。あの時に膨らんだ気持ちと共に身体に染み込んで、知らぬ間に私が本当に進んでみたい道を明るく照らしていてくれたのだろう。