lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第14回「祖父母の家」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
お正月になって思い出すのは、静岡にあった祖父母の家だ。
慣れ親しんだ場所だが、部屋の中は散らかっていて、これといって目ぼしい物もない。何だか落ち着かないけれど、穏やかだったあの家。
毎年、年末年始には親戚が集まって賑やかに過ごしていた場所だが、今はなくなってしまった。
私にとって、祖父母の家に行くことはちょっとした試練だった。
というのも、私の祖母は度を超えたお喋りで、頑固な世話焼きだったからだ。いつも赤や紫の宝石が光る指輪を何個も指にはめていて、少し派手なメイクをしていた。
彼女は、思春期真っ只中で自分のことをあまり積極的に話したがらなかった当時の私にも、学校生活や好きなことについて絶え間なく質問をしてきた。そして、ご飯を食べ終えてもうお腹いっぱいだと何度も言っているのに次々と台所から手料理を持ってきたり、何故か大量にストックされているミカンを必要以上にくれた。
大好きな孫を可愛がってくれているのだろう。そう分かっていたけれど、祖母と一緒にいるといつの間にか彼女のペースに呑まれて、この人の前では絶対に敵わないな、と毎回圧倒されてしまった。
しかし、そんな祖母も数年後には思い通りに体を動かしたり、会話をすることができなくなった。祖父が介護をすることも難しいためデイサービスに入居し、車椅子生活を余儀なくされた。そして認知症を患い、いつしか自分の子供や孫たちの名前も分からなくなっていた。
誰よりもタフだった祖母が、ひと回り小さくなってしまったように見えた。
その後も年に数回は祖父と一緒に祖母のもとへお見舞いに行った。
祖父は痩せていて背が高く、真面目で寡黙な人だった。もしボケてしまった時のためにと、机の引き出しや台所の棚の中に入っているものを付箋にメモして貼りつけていた。常に先のことを考えて行動していて、多くは語らないけれど、静かに周りを見守ってくれているような存在だった。
そんな祖父だが、ある日施設を訪れた時、もう喋ることも難しくなってしまった祖母に「私にはあなたが必要です」と笑顔で言葉をかけたことがあった。
今まで聞いたことがない彼の一言に少し驚いたけれど、対照的な祖父母が人生を共にしてきた答え合わせができたようだった。会話を通して愛を伝えていた祖母が話すことができなくなった代わりに、一番大切なことをしっかりと言葉にして伝えたのだろう。
周囲を巻き込むパワフルな祖母。口数は少ないけれど誠実な祖父。お互いが持つ強さがパズルのピースのようにはまって、二人の心は繋がっていたのだと思う。
しばらく経って祖父も体調を崩し、祖母とわずか数ヶ月の差でこの世から去った。二人が暮らしていた家は売りに出されることになった。
母親と伯父さん、叔母さんたちが家の中の物を整理している時に、祖父母が若かった時に交わしていたラブレターが見つかった。祖父は便箋を一枚も欠かすことなくバインダーに挟んで保存していて、歴史の教科書ほどの厚さのものが二冊分も残っていた。
かつての年越し。
祖父母に会いに親戚が集まり、豪華なお寿司のパックを取り寄せて一緒に紅白歌合戦を観たり、正月特番をつけっぱなしにしておせちをつついていた。何となく、そんな年末年始が一生続く気がしていた。年が明けたばかりの時期、日付を書く時に間違えて去年の四桁の数字を記してしまうように。
今年は初めて東京で年末年始を過ごした。
大晦日に家の外に出るなんてあり得ないことだったが、友人に誘われてライブを観に行った。私も来年以降はライブをしながら年を越してみたいと思った。
帰宅後に両親と観た紅白歌合戦。 YOASOBIさんの「アイドル」は圧巻だった。年末の歌番組は、色んなアーティストのコラボレーションステージが増えるから大好きだ。
母が「おばあちゃんは芸能が大好きだったから、あなたが音楽を始めたことはきっと嬉しいと思うよ」と言った。
おじいちゃん、おばあちゃん、私は元気にしているよ。
新年の目標が、また一つ増えた。