lyrical school・hanaのコラム『“スキ”は細部に宿る』第17回「その繰り返し」。hanaが出会った古今東西の“スキ”を掘り下げていくとともに、撮り下ろし写真も掲載。出会った時、靄のかかった生活に光が刺すようなその一文、一瞬、一枚を紹介していきます。(Qetic編集部)
たまに「よし、今日もやったぞ」と思える日がある。そんな時は麺が食べたくなる。
そんな気分になった時は、とあるまぜそば屋に向かう。年が明けてからもう3回もお世話になっている。
美味しいのはもちろん、いつも夕方の食事時に訪れるにもかかわらず空いている、ということが私がこの店を選ぶ一番のポイントだ。食券を手に入れてから、一番隅にある席か、両隣ができれば二人分空いている席を瞬時に探し出し、自分の居場所を確保する。
さらにこの店を推すことができるポイントは、単なる偶然かもしれないが、入店時からずっとガラガラである訳ではなく、きまって私が注文したまぜそばが提供される時くらいに客がやってくるという点だ。
しかも人数や老若男女問わずやってくるため、私の店選びは間違っていないし、女子のぼっち飯も浮かずに済む、という安心感を得ることができ、落ち着いてまぜそばと向き合うことができる。
そして食べ終わった後の、塩分の強いものを摂取した時特有の舌が少し痺れるような感覚になりながら帰路につくことも楽しみのうちの一つで、食べ過ぎたなと感じた日には、一駅分歩いて帰るようにしている。
高カロリーのものを食べてしまった罪悪感と、店を選ぶ選択肢に「空いている」が入っていることにちょっと虚しさを感じながら。決して後悔はしていないけれど。
大したことはないのだが、そんな空っぽになるような気持ち。最近もこんなことがあった。
インスタグラムで見つけた、池袋に新しくオープンした洋服のセレクトショップで買い物をしようと、駅から10分ほど歩いたところにある雑居ビルを訪れた。ネットには確かにそのビルの一階に店があると書いてあったが、一歩足を踏み入れるとビルが工事中なのか、薄暗く廃材や瓦礫まみれの明らかに店があるとは思えない環境で、人がいる気配がないのに足音だけが聞こえてきて、急に不安に襲われた。
戸惑ってうろうろしていると、奥の方に扉を見つけた。その横に開店祝いの花が気持ち程度に飾ってあったため、それを開ければ店の中に入ることができるし、誰かがいるのだろう。しかし、購買意欲よりも恐怖が上回ってきて、本当に入っていいところなのだろうか?こんな雑居ビルの扉の中で、店員さんと二人きりになったら気まずくないか?そんな考えが頭の中を支配して、結局何もしないまま退散してしまった。
扉をとりあえず開けてみればよかった。中に入ってみて、もし誰もいなかったとしても別に何も問題はなかったのに。ほんの少しの勇気も出なくなってしまった数分間前の自分を責めながら、虚無感に包まれて重たくなった身体を無理やり引き連れるように、駅に向かって歩いて行った。これについては後悔している。
先日、「朝がくるとむなしくなる」という映画を観た。
ブラック企業の営業を辞めてコンビニでアルバイトを始めた24歳女性の日常を描いた作品。彼女は、両親に会社を辞めたことを伝えられず、実家から送られてきた野菜そっちのけで、自炊することなくカップラーメンで食事を済ませるような無気力な日々を送っていた。アルバイト先の店長にシフトを増やすように頼まれれば渋々承諾、壊れたカーテンレールを修理するために新しいレールを買ってきても、結局ドライバーがなく諦めてそのまま放置。積極的に人に絡みに行かず、どっちつかずではっきりしない彼女が、旧友との再会や衝動的にとった行動によって少しずつ変化し、傷ついた心を治癒していくような物語だった。その姿に自分を重ね合わせ、ちょっと切ない気持ちになった瞬間や、上手くいかなかった出来事を思い浮かべながら、最後まで純粋に彼女を応援するように、スクリーンを眺めていた。
昨日は「よし、やったぞ」と思える一日だった。
時刻は夜の23時。さすがにあのまぜそばを食べには行けないけれど、どうしても麺が食べたくなって、衝動的にコンビニでカップラーメンを買った。
帰宅後、すぐに電気ケトルに水を入れる。お湯が沸くまでの時間を使って、「こんな日があってもいいよね」と自分を納得させた。