数年前からニューヨークの地下鉄車内でよく見かける光景と言えば、スピーカーを片手に車内を縦横無尽に動きまわるティーンエイジャーたちの姿がある。
数人のグループで行動する彼らは、電車の扉が閉まると大きな声で「さぁショータイムだ!」と叫び、大音量のビートに合わせて、飛び跳ねるようなステップで踊りだす。そんな彼らのダンスの最大の特徴は、車内の手すりを利用したアクロバティックな動きだ。手すりを使って宙返りをしたり、逆さまになったまま乗客にグータッチを求める。筆者もこのグータッチを度々求められた経験があるが、彼らの人懐っこい笑顔に断る理由は見つからない。
ティーンエイジャー達によるこのムーブメントはニューヨークの地下鉄の新しい光景として定着しつつあった。しかし、非合法で踊り続け、乗客からチップを貰う姿に不快感を示す者も少なくない。NY市警はこうした行為が増え続けることによる治安悪化を懸念し、地下鉄ダンサーたちの取り締まりを強化。今年に入り現在までに270人以上のダンサーたちが逮捕されている。
ブルックリン区・ブッシュウィック出身のエインズリー・ブランデイジ(19)も過去に14回、こうした行為によって逮捕されているティーンエイジャーの1人だ。
エインズリー・ブランデイジ
貧しい家庭で育ったエインズリーは、法律事務所の事務員として働く母親の影響もあり、幼少のころから法律関係の本を読み漁る議論好きで早熟な少年だった。どんな些細なことでも議論となれば母親を論破していたと言うエインズリーは成績も優秀で、その秀才ぶりは学年を飛び級する程のものだった。
しかし、中学校に進学するもエインズリーの悩みは家庭の貧困にあった。満足な食事を取ることもできない環境にもかかわらず、若すぎるエインズリーには合法的にアルバイトを探すことは許されていなかった。そんな時、エインズリーは偶然にもYoutubeを通して地下鉄ダンサー達の姿を目にしたのだ。そこには同年代の少年達が自らのダンスで乗客達からチップを貰う姿が映し出されていた。そして、この光景に可能性を感じたエインズリーは家族のために地下鉄に飛び乗った。
以来、学校が終わると毎日早朝まで地下鉄の中で踊り続けたというエインズリーの最初の逮捕は14歳の冬だった。極寒のニューヨークで警察に逮捕された際、一時的に監房に収監されたエインズリーは着ていたジャケット、そしてフーディーを没収され、窓の開いた監房の中で持病のぜん息に苦しんだという。
しかし、こうした逆境を経験しながらも家族の為にエインズリーは踊り続けた。
高校に進学すると新しい友人も増え、多くの誘惑を受けることとなった。
ドラッグの売人として生計を立てる同年代の友人には、一緒に売人をやろうと誘われた。1週間で30万円以上を稼ぐというその友人は、高級ブランドに身を包み、美人のガールフレンドを連れて歩いていたが、エインズリーはダンスを選んだ。エインズリーにとって地下鉄でのダンスは、ギャングやドラッグ等に浸った周囲の環境から抜け出すための一筋の光でもあったのだ。
そしてこの時、エインズリーにとって人生を左右するある出来事が立て続けに起きた。地元の公園で開かれたバーベキューパーティーに参加したエインズリーの目の前で発砲事件が発生したのだ。目の前で被弾した男性を背に必死に走って逃げ続けたエインズリーはこの日の出来事がトラウマのように今も脳裏に焼きついているという。さらに後日、友人と共にナイトクラブで遊んでいた際にギャング同士の抗争に巻き込まれてしまったのだ。こうしたトラブルを経験したエインズリーは悪環境から抜け出すためにある事を決意したという。それは負の連鎖を断ち切る為に通っている高校を退学し、地元から遠く離れた大学に通うことだった。
エインズリー・ブランデイジ
しかし、大学の学費は最初の1年間でおよそ40万円。さらにキャンパンス内の寮にかかる費用はおよそ30万円。エインズリーは最低でもおよそ70万円を短期間で稼がなければならなかった。さらにそうした中で、高校を中退したエインズリーが大学に行くためにはGED(一般教育修了検定)をパスする必要があったのだ。見かねた友人はドラッグの売人になる事を強く薦めたが、エインズリーは地下鉄で踊り続けた。1日7時間、目標額に達しないときは深夜までお踊り続けた。さらに少しでもお金を節約するために1日1食を徹底し、時には2日間何も食べない日もあったという。そんな状況下でありながらも、エインズリーは休憩時間に立ち寄る図書館で勉強を続けた。エインズリーを心配した両親は、地元の大学に通うことを薦めた。しかしエインズリーは悪環境から抜け出すために新天地での大学生活を送る必要があった。
そして去年11月、大学に行くために必要な検定を受けたエインズリーは合格基準から300ポイントも高い驚くべきハイスコアを叩き出したのだ。
こうしたエインズリーの情熱に親戚からの援助も加わり、今年9月より晴れて念願の大学生となったのだ。
エインズリー・ブランデイジ
現在、新天地で新しい友人たちとの学生生活を開始したエインズリー。
筆者はFacebookを通して新しい環境について幾つか質問を投げかけてみた。すると、すぐに返事が返ってきた。そこにはこう書かれていた。
「今は勉強している時が何よりも楽しいんです。将来は弁護士になりたいんです」
自らの手で新しい人生を切り開いたエインズリーのサクセスストーリーは、地元メディアによってヒップホップ・ホープとして伝えられた。