285Kentはフロアに簡単なバーカウンターと木組みのステージがあるだけのシンプルなライブスペースだ。床にはビールの空き缶が散乱していて、洗面所は剥き出しの電気ケーブルにトイレットペーパーが通してあるだけ。さらにニューヨークの法律で禁止されている室内の喫煙は、客だけでなくバーテンダーでさえ守っていない。けして管理体制は万全とは言えないライブスペースだが、それでも(だからこそ!?)毎晩のように繰り広げられるジャンルにとらわれないショーはミュージック・ギーク達を夢中にさせ、10年代のニューヨークのインディーズシーンを盛り上げる礎となっていった。
しかし、そうした盛り上がりと平行して進められていたのがこの街の都市開発。2005年にブルームバーグ前NY市長によって行われたこの街のリゾーニングは、285Kentがスタートする頃にはすでに川沿いの倉庫街を高級マンションへと変え始めていた。さらにこうした法律の改正によって促進された街の都市開発は皮肉にもウィリアムズバーグに集まる若者達の盛り上がりと共に拡大を続ける事となり、古くから存在していたアパートの家賃も高騰の一途をたどる事となったのだ。
今や観光ガイドに載る”オシャレな街”となったこの街に住むことができるのはマンハッタンで稼ぐセレブやすでにサクセスしたアーティストが大半となっていった。「ウィリアムズバーグはもう若くない…」。誰もがそう感じ始めていた。そしてついに285Kentもこの街に別れを告げる時が来たのだ。
昨年1月に3夜連続で行われたクロージング・パーティーでは285Kentの最後を見届けようというファン達によってチケットは即完売。また多くのメディアや著名人達も、一つの歴史の終わりを目撃する為に集結した。
出演したミュージシャン達はメディアによる大量のカメラフラッシュを浴びながら口々に285Kentとこの街で経験した数々の思い出を語り、最後のステージに上がれた事への誇りをスピーチしていた。
変わり行くブルックリンを象徴する夜となった285Kentの閉店。これをきっかけに現在に至るまでにウィリアムズバーグでは、様々なDIY系ライブハウスが閉店へと追い込まれている。さらに地元紙では度々ブルックリンの家賃問題に言及し、シネコンや大手アパレルブランドが進出する度に「R.I.P ウィリアムズバーグ」の文字が紙面を飾っている。
しかし筆者が特筆したいのは、これで終わらないのがニューヨークの強さだと言う事だ。すでにウィリアムズバーグに別れを告げた若者達は、同じくブルックリン区のブッシュウィックや、クイーンズ区のリッジウッドなどの街へと移り、夜な夜なアパートの一室や倉庫などを利用して手作りのパーティーを続けている。ニューヨークの人々は、いつの時代も逆境に負けない強いコミュニティを保ち、その時代に合った街で新たな文化を築き続けているのだ。
RIP 285 Kent: A Documentary