戦後日本文学の最高峰とも称される遠藤周作の『沈黙』(新潮文庫刊)を、『タクシードライバー』、『ディパーテッド』のアカデミー賞®監督、マーティン・スコセッシ監督が完全映画化した『沈黙-サイレンス-』(原題:Silence)が、いよいよ2017年1月21日(土)より全国公開となる。
本作で、棄教した師フェレイラ(リーアム・ニーソン)の真実を確かめるために長崎に潜入したポルトガルの宣教師、ロドリコ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)が出会う敬虔な信者モキチを演じているのが、塚本晋也だ。自ら監督・主演した『野火』や大ヒット作『シン・ゴジラ』、『SCOOP!』などで個性的な演技を披露している。『沈黙-サイレンス-』への出演は、名匠とのオーディションから始まった。マーティン・スコセッシは、塚本晋也がオーディションに来ると聞いて驚いたことを覚えている。「なんだって?」と言ったよ。「何を言っている、偉大な監督がオーディションに来るだって?! とても驚いたし、信じられなかった。晋也は本物の映画監督で、彼の作品からは刺激を受けている」からだ。一方、塚本にとっては、映画の巨匠のオーディションを受けるだけで栄誉だった。「スコセッシさんのためだったらエキストラでもやります」と即答した。
監督にとって日本人キャストについての褒め言葉が尽きることがない。「日本人の役者はすばらしい。彼らと会い、一緒に協力することは思いがけない発見の連続だった。彼らの才能の幅の広さや奥深さは驚異的だ」と、家族的なつながりを感じながら現場を共にした。スコセッシは続ける。「塚本晋也はフィルムメイカーとして知っていた。すばらしい監督だ。彼はとても感情をあらわにした映画を作っている。『鉄男』、それに『六月の蛇』は前衛的で美しい。その『六月の蛇』に出演した女優、黒沢あすかは本作のラストでロドリゴの妻を演じている。塚本は独立系の映画作家で、自分独自の映画を作って編集もしている。最新作の『野火』は、ヴェネチア国際映画祭も上映された。彼は人としてもアーティストとしても素晴らしい」と讃える。
海、山、大自然がもたらす風など、撮影は過酷を極めた。「さまざまなロケ地を巡って、山の中にもいた。その過程が一種のキリスト教への巡礼のような体験になった」と監督。そして、恐ろしい苦しみのシーンを撮影した。前半のクライマックスとなるのは、信仰のために、そして残りの村人たちのために犠牲になる3人のトモギ村の村人イチゾウ(笈田ヨシ)、モキチらが水磔に遭う場面だ。磔はどのように行われようとも痛ましい。17世紀の日本では、役人たちが特に残酷なやり方を編み出した。十字架を岩だらけの海岸の海岸線に固定し、渦巻く潮流が押し寄せると、十字架にはりつけにされた犠牲者は潮の餌食となり、徐々に情け容赦なく溺れ死ぬ。
このシーンに驚嘆するのは、十字架の上で何時間も耐えた塚本晋也の熱意ある献身的な演技だった。彼は切りっぱなしの縄で木製の十字架に縛り付けられ、押し寄せる波にさらされ、すぐそばに控えているスタントマンの助けをほとんど必要としなかった。彼自身は、過酷なダイエットにより50キロまでやせ細っていた。
「マーティン・スコセッシの映画に出演すること、毎日、彼と仕事をすることがどれだけ名誉なことか言葉では言い表せません。」と、塚本晋也は熱を込める。「信仰の本質は映画の大きなテーマの一つですから、セットでは信仰について話をしています。私に信仰があるかと聞かれた時には、私の信仰はマーティン・スコセッシだと答えています」と言葉を重ねる。名匠との過酷な試撮影を乗り越えた。「口先だけの言葉ではありません。『沈黙-サイレンス-』の深刻さ、我々が経験している苦しさ、何よりもスコセッシ監督の“神聖”なオーラが、豊かな意義にあふれた美しさをこの作品にもたらしている」と結んだ。
塚本晋也が『タクシードライバー』を初めて観たのは17歳。その時から憧れ続けたスコセッシ監督との特別な映画は、言葉を超えた感動をもたらすに違いない。遠藤周作の『沈黙』を原作に、日本を舞台に描かれる壮大な歴史スペクタクル『沈黙-サイレンス-』は、1月21日(土)から全国ロードショーとなる。
沈黙-サイレンス-
2017年1月21日(土)全国ロードショー
原作:遠藤周作「沈黙」(潮文庫刊)
原題:Silence
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ
撮影:ロドリゴ・プリエト 美術:ダンテ・フェレッティ
編集:セルマ・スクーンメイカー
出演:アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライバー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシ
配給:KADOKAWA
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17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。次々と犠牲になる人々。守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは。