第80回ヴェネチア国際映画祭《金獅子賞》を受賞し、第96回アカデミー賞ではストーンが『ラ・ラ・ランド』(17)に続く2度目の主演女優賞を受賞のほか合計4部門受賞を果たした『哀れなるものたち』に続き、早くもヨルゴス・ランティモスとエマ・ストーンの映画界最高峰の最強タッグが送り出す衝撃の最新作『憐れみの3章』が9月27日(金)より全国公開となる。
映画界最強タッグのヨルゴス・ランティモス×エマ・ストーン再降臨!
ヨルゴス・ランティモス監督のもとには世界的大ヒットとなった前作『哀れなるものたち』で壮麗で芸術的な唯一無二の世界を監督と共に作り上げた、エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリーが再集結。さらに、ジェシー・プレモンス、ホン・チャウ、ジョー・アルウィン、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファーといった、折り紙つきの実力者が勢ぞろい。共同脚本に『籠の中の乙女』(09)、『ロブスター』(15)、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(17)のエフティミス・フィリップとの最強タッグが復活。ランティモス監督ならではのユーモラスでありながらも時に不穏で予想不可能な、独創的世界を描き出す。
選択肢を取り上げられた中、自分の人生を取り戻そうと格闘する男、海難事故から帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官、奇跡的な能力を持つ特別な人物を懸命に探す女……という3つの奇想天外な物語からなる、映画の可能性を更に押し広げる、ダークかつスタイリッシュでユーモラスな未だかつてない映像体験となった本作。
新たなるランティモスワールドの到来に熱い視線と期待を集めながら、ついに6月21日にニューヨーク/ロサンゼルスの5スクリーンで北米公開。週末3日間で興行収入35万ドルを集め(DEADLINE誌 調べ)、2024年度公開作品中、新記録となる館アベレージ7万ドルの特大ヒットスタートとなった。
そんな日本公開への期待をますます高めている本作で、前回に引き続き重要な役を演じた名優ウィレム・デフォーの独占インタビューをお届けする。
ウィレム・デフォー独占インタビュー
Q:ヨルゴスはどのようにこのプロジェクトにあなたを誘ったのですか?
ウィレム・デフォー(以下デフォー):ヨルゴスから初めての依頼があった時は、エマと彼が一緒に電話をかけてきてくれたました。その気遣いが嬉しかったし、ちょっと突然でもありました。2人の組み合わせから、それが何かは広い意味ですぐ分かりました。ヨルゴスは素晴らしくて、『哀れなるものたち』の仕事は私にとって素晴らしい時間でした。彼は俳優たちとの相性が抜群で、とてもリラックスしながらも生産的で楽しい撮影現場を仕切っています。彼は映画監督として真のアーティストであり、とても多才で彼独自の世界の美しい審美眼も持っています。だから、彼から次のプロジェクトで私に何かやってほしいと聞いた時は、脚本を読まずに飛びつきました。
読んでみると、ストーリーはとても複雑で、かつとても美しい。最初のうちは、頭を整理するのが少し難しいかもしれないけれど、撮影に入ると、ある種の論理とつながりが見えてくる。ストーリーはヨルゴスそのものだと思う。それはヨルゴスの独特な世界であり、彼には私たちが普段見ることのできないものを見ているように思わせる才能がある。そしてそこには魔法が存在する。
Q:ランティモス監督は物語だけでなく、構成にも遊びを取り入れて、同じキャストがそれぞれ異なるキャラクターを演じる3本の短編にしました。ウースター・グループ(デフォーが創設メンバーとなった劇団)で、同じ俳優陣でさまざまなストーリーを演じたことを思い出されましたか?
デフォー:そうですね、その指摘は面白いですね。なぜならヨルゴスと話し始めて、リハーサルを始めた時、最初に驚いたことのひとつは、この人は演劇を知っているということだったから。彼は建築も絵画も音楽も造詣が深いですし、彼は他の形式を知っていて、それらを映画という媒体に持ち込んでいます。
私たちは俳優としての一座になろうと努めました。ヨルゴスはシアターゲーム(※俳優たちがリハーサルや本番前に緊張をほぐすために行うゲーム)に長けていて、その場にいる全員がお互いを知ることができるようにしたんです。彼らは自由に自分をさらけ出すことができる。ひとたびそうなれば、信頼感とユーモアや遊び心のセンスが生まれるのです。
実際のシーンになると─私はリハーサルではそこまで集中しないのですが─自分をよく見せようとか、上手か下手かとか、そういう不安はなくなります。一緒になってこの作品を作り上げるのです。ちょっと甘く聞こえるかもしれませんが、実際そうなのです。彼には人々をまとめ、彼らの長所を生かし、弱みを守る才能がある。
Q:物語には共通のテーマがありましたね、あなたは包括的な構成について考えましたか?それともそれぞれのキャラクターを完全に個別に扱ったのですか? また、演じるために違いを求めていましたか?
デフォー:その違いは、目の前の課題から生まれるものだと思います。私にとっては、それぞれのキャラクターが、それぞれの物語の中でどのように動いているのかはとても違っていて、それが彼らのルーツになっているのです。彼らの行動や働きによって、その人物像が明らかになるんです。だから比較なんてできません。1話目に出てくる男と2話目の父親のキャラクター、3話目の教団のリーダーであるオミを比べる必要なんてない。それぞれのキャラクターを識別するのは馬鹿げています。その変化とはアクセントをつけたり、大きな変化をつけたりするものではなく、髪型とか、そういうちょっとしたことなのです。
俳優として、演じるのにすべてを理解する必要はないと思います。人生において、私たちは常に理解できないことをやっています。だから、この映画には謎めいたことがたくさんあるけれど、それは問題ではないのです。ジレンマや挑戦、登場人物たちに起こっていることは、十分に挑戦的で挑発的で、私の脳をくすぐるので、私にとってはそれで十分なのです。
Q:衣装は、キャラクターを見つける上で重要でしたか?
デフォー:そうですね、おかしなことに、特にオミの時ほど何度も試着をしたことはなかったと思います。というのも、衣装から多くの情報が得られるからで、それも準備の一部でした。それは、自分たちがどうあるべきかを明確にすることの一部で、それぞれの物語がどこから始まり、どこに配置されるのかということなのです。それは楽しかったし、心理的なものでもなく、議論を必要とするものでもなく、すべて直感的なものでした。衣装を着れば、分析することなく、「ああ、これだ」と思う。理解するためのひとつのきっかけなんです。文字通り、分析しない。「このオレンジの水着をはけば、あの男になった気がする」となるみたいにね(笑)。つけ加えると、ヨルゴスは本当に洋服が好きなんですね。いつも粋な服を着ているのでそれが作品にも表れていると思います(笑)。
Q:自分の作品を見ることに抵抗はないですか? この作品が完成した時はどう感じましたか?
デフォー:私は映画がとても好きですが、時には苦労することもあります。私にとって、映画を作ることはその映画そのものより重要なことなのです。公平とは言えないですね、2時間で終わるように作られたものを、自分の人生の何ケ月分も費やした実人生と比べるのですから。
私は、映画製作の経験が反映された映画が最も好きなのですが、この映画はまさにそうです。型にはまった撮影方法を使わないので、あなたが見たものは、撮影したものそのままなのです。従来の撮影方法の映画では、編集者が暴走して物事の筋を見失うことがありますが、この作品は、感じたままだったし、それが必要だった訳ではないけれど、心地よく、実際の経験と最終的な結果を結びつけてくれています。
『女王陛下のお気に入り』、『哀れなるものたち』に続き、予測不可能な独創的世界観を描き出すヨルゴス・ランティモス監督の最新作、『憐れみの3章』。豪華俳優陣が贈る未知の衝撃作をぜひ劇場でご覧いただきたい!