サンフランシスコで生まれ育った二人の幼馴染が自分たちの経験をもとに作り上げた映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』が、いま話題になっている。
そこで描かれているのは、アメリカ社会の現実だ。サンフランシスコで生まれ育ったアフリカ系アメリカ人のジミーには、子供の頃から憧れている美しい家がある。そんなジミーを見守る幼馴染みのモント。一軒の家を巡る物語から、家や街、友人や家族の問題が浮かび上がり、貧富の差や人種座別で分断が進む世界で「人生にとって本当に大切なものは何か」と映画は問いかけてくる。
映画の主人公、ジミーとモントのモデルになったのが、ジミーを演じたジミー・フェイルズと監督のジョー・タルボットだ。一緒にサンフランシスコで生まれ育った二人は、街の変化や今のアメリカ社会をどんな風に見ているのか。そして、友人と一本の映画を作りあげることは、彼らにどんな意味があったのか。二人に話を訊いた。
Interview:Joe Talbot & Jimmie Fails
━━今回の映画の原案はジミーが考えていたものだそうですね。
ジョー・タルボット(以下、ジョー) ジミーとは10歳の頃から友達だよ。彼が経験した人生と僕が経験した人生を、自然に融合させたのがこの物語なんだ。
━━映画という枠を超えた、密度の濃いコラボレーションだったんですね。
ジョー この作品を作る前にもジミーと短編映画を作ったことがあって、いつもそれぞれの経験をもとに一緒にストーリーを築き上げてきた。今回の作品はこれまでで最も大きなプロジェクトではあるけど、その根底にあるのは今まで同じ関係性なんだ。
━━それにしても、幼馴染と一緒にこういう大きな規模の映画を作るというのは貴重な体験ですね。
ジミー・フェイルズ(以下、ジミー) これまでの作品の制作とそれほど変わりはなかったけど、お互いのコミニュケーションは取りやすくなった。どうやればうまくいくのか、これまで以上にわかったことが大きな違いだね。
━━自分自身を演じるというのは、役者としてはあまりないことでは?
ジミー ちょっとセラピー的なところはあったね。過去を振り返って、その時に起こったことを改めて理解する。そういう自分との戦いというのは、生きている間、ずっと続くものだと思うけど、それがこの映画の撮影を通じてよりよく出来たと思う。自分の内面を再び見つめ直して、なぜ自分がここでこういうことをしているのかというのを深く理解できたと思うよ。
━━演技を通じて実人生の記憶や感情が蘇ってくることもありました?
ジミー そういうことは多かったね。まず、思い浮かぶのが演劇のシーンだ。演じた後に本当に涙が流れてしまって、撮影を中断してしまった。実際の経験と重ねて込み上げてくるものがあったんだ。コフィーが亡くなるシーンも同じように自分の経験したことを思い出してテイクごとに泣いてしまった。母親と対面するシーンでは実の母が登場するんだけど、あそこも感極まってしまったよ。
ジョー この物語はジミーの経験をもとにしているけど、僕も自分の人生と重なって感情が高ぶってしまったシーンがあった。実は撮影の数ヶ月前に父親が病気になって視力を失ってしまったんだ。父はライターで僕は文化的な家庭で育った。その父親が視力を失ったことと、映画のダニー・グローヴァーが演じた役がリンクして、彼を演出する時は胸に迫るものがあったよ。時々、両親が撮影を見にきていたしね。だから、ジミーとだけではなく、家族とも一緒に作り上げたような作品なんだ。
━━お二人にとってはパーソナルな想いが強い作品なんですね。この作品は二人が生まれ育った町、サンフランシスコへのラヴレターでもあります。映画の中で黒人男性がスコット・マッケンジーが1967年に発表した名曲“花のサンフランシスコ”を歌うのが印象的ですが、あの曲にはどんな想いが込められているのでしょうか。
ジョー あの曲は<モントレー・ポップ・フェスティヴァル>が開催される時にPRソングとして作られたんだ。《街に若者たちが集まってくるけど害はないから心配ないよ》って地元の年配の人たちに伝えるためにね。だから当時は若者たちの間では人気がなかったけど、時が流れるなかで曲の良さが評価されるようになった。とくに曲の持つノスタルジックな雰囲気がね。サンフランシスコという街自体も同じで、今はノスタルジックな雰囲気を感じさせているけど昔は違ったかもしれない。そう思って使ったんだ
━━時の流れを感じさせる曲なんですね。
ジョー もうひとつ理由があって。映画ではマイク・マーシャルというアーティストが歌っているんだけど、この曲が生まれた時より、サンフランシスコのアーティストは大切にされていないと思うんだ。60年代、サンフランシスコのアーティストは、とてもグラマラスな存在だったのにね。そういう現状も伝えたかった。
━━映画の中では、現在のサンフランシスコが裕福な白人と貧しい有色人種に分断された街に描かれています。60年代の自由で文化的な空気はそこにはありませんね。
ジョー 今サンフランシスコに暮らしている人は裕福な人が多い。街はお金を持っている人々に競売のように売られ、有色人種の居場所がなくなってきているんだ。だからサンフランシスコの本来の良さが失われつつあるという不安はあるよ。でも街のために活動している人々もいる。政治の世界を目指している友人もいるし、ホームレスシェルターで働いている人や、BLM(ブラック・ライヴズ・マター)の活動を行っている人もいる。僕のように映画を作るよりも街のために頑張っている人がたくさんいる。だから希望は失っていないんだ。街を仕切っている人は力を持っているから、決して楽観的にはなれないけどね。
━━今、アメリカではBLM運動が高まっています。ジミーとモントのように、自分たちの手で社会を変えようとしている人々が増えているのは希望を感じさせますね。
ジョー BLM運動で最も感銘を受けたのは、若者たちがストリートに出ていることだ。僕たちより上の世代は〈若者は携帯ばかり見ていてコミュニケーションを取らないし、行動に移していない〉とよく言うけど、今回の運動を通してそれは違うということが証明できた。若者たちは運動を盛り上げ、知らないことは学び、知識が間違っている場合は改めて積極的に動いている。大都市はそういう動きを直に感じられる場所なんだ。サンフランシスコの歴史を振り返ってみても、反戦運動やゲイ解放運動、移民の権利擁護運動が活発に行われてきた。サンフランシスコの人々は、これまでにも文化や政治に関心を示して立ち上がってきたんだ。大都市に必要なのは、そういう動きじゃないかな。
『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』で描かれていることは、日本を含め世界中で起こっていることでもある。経済優先で分断化された社会で、貧しい者が夢を持つことがいかに難しいことなのか。その厳しい現実に向き合いながら、美しい映像や詩的な表現でドラマティックに物語を紡ぎ出した本作は、アートの持つ力を感じさせてくれる。そして、どんなに現実が厳しくても夢や理想を信じずにはいられないジミーとモントの戦いは、BLM運動を始め社会を変えていこうとする人々の想いとも繋がっているのだ。
Text by 村尾泰郎
STORY
古き良きアメリカの面影を残すサンフランシスコ。そこで生まれ育ったジミーは、街の一角に建つ古い家にいつか住みたいと思っていた。その家はジミーの祖父が建てたと言われていて、彼にとっては誇りでもあった。しかし、貧しいジミーにとって高嶺の花。そんなある日、家が売りに出されたことを知ったジミーと親友のモントは思い切った行動に出る。
10/9 公開『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』 本予告
INFORMATION
ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ
新宿シネマカリテ、渋谷シネマカリテほかにて全国公開中
監督・脚本:ジョー・タルボット
共同脚本:ロブ・リチャート
原案:ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ
音楽:エミール・モセリ
出演:ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ロブ・モーガン、ダニー・グローヴァー
配給:ファントム・フィルム
提供:ファントム・フィルム/TC エンタテインメント
©2019 A24 DISTRIBUTION LLC.ALL RIGHTS RESERVED. 【原題 The Last Black Man in San Francisco/2019 年/アメリカ/英語/ビスタサイズ/120 分/PG12】
字幕翻訳:稲田嵯裕里