山内マリコが2012年に発表した処女小説『ここは退屈迎えに来て』がついに映画化される。主演は橋本愛。東京に出たが、夢を諦めて地元に戻った27歳のフリーライター「私」を演じる。共演には門脇麦、成田凌、渡辺大知、柳ゆり菜、村上淳など。

本作には、「何者かになりたい」と願う切実さと、何者にもなれなかった悲しさ、そして青春のあとに残る小さな希望が描かれている。鑑賞後には、独特の重さを持った痛みが残るだろう。しかしその痛みは、主役を演じた橋本愛が言う通り、「心地良い」ものでもある。

橋本愛はこうも語る。「何者でもないことを自覚することの方が大事」「何者かになりたいという欲望を引き剥がすことを心がけている」。また、渡辺大知は、「何者かになりたいと願うことが正しいとは思わない、でもその欲求はすごく純粋なもの」だという。橋本愛と渡辺大知のふたりに、この作品が持つ痛みや希望について語ってもらった。

10/19公開 映画『ここは退屈迎えに来て』予告

「どうしようもなく痛んでしまうが、心地良い痛み」(橋本愛)

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渡辺大知、橋本愛

——完成した映画を観て、率直にどう感じましたか?

橋本愛(以下、橋本) 安心した、という気持ちが大きいです。というのも、わたしはこの原作小説『ここは退屈迎えに来て』を読者として読んでいて好きだったので、作品を傷つけたくないという気持ちがいちばんにあったんです。だから、良い映画になっていて原作の核を守れたことにほっとしました。あとはフジファブリックさんの音楽ですよね。

渡辺大知(以下、渡辺) 音楽、本当に素晴らしかった。

——フジファブリックによる主題歌“Water Lily Flower”は本当に素晴らしいですよね。これだけ素晴らしい音楽を持ってこられると、渡辺さんはミュージシャンとして嫉妬するんじゃないですか? 

Water Lily Flower

渡辺 嫉妬? ……嫉妬は、してないですね……。なんでだろう。良いものにたくさん出会いたいし、才能ある人たちにいっぱい会えると嬉しいからかなあ。そもそも音楽が好きでやっているので、良い音楽があるのに「クソ!」みたいな気持ちにはあんまりならないですね。

橋本 わたしは、この映画を90分観たあとにこの主題歌が聴こえてくるという、その時間の体験がすごく尊いものに感じられました。あの頃に戻りたいと強く思ってるわけでもないし、いまがあの頃より輝いてないと思ってるわけでもないけど、この映画を観ると、どうしようもなく心が痛んでしまう。そしてその痛みは結構、心地良いものだったんです。不思議な感覚になりました。

渡辺 原作や脚本を読んだ時に僕が感じたのは、鬱屈とした生活のなかにあるきらめきのようなものでした。今回の映画では、それが見事に映像化されている。淡々とした映画ではあるし、特別な事件が起きるわけでもない。でも登場人物や街の景色がみずみずしく目に飛び込んでくる。なんでもないことのなかに潜んでいるきらめきみたいなものが、うらやましく思えてくるんです。だから心にモヤモヤを抱えた人の救いになるんじゃないか。この映画は、退屈であることが良いとも悪いとも言っていないと思います。でもそれは大事なことなんだと思える。

「等身大の寂しさが出せた」(渡辺大知)

——おふたりともアラサー(現在)と高校生(過去)という、10歳も差のある役を演じられました。難しかったことは?

橋本 「10年もいたしね」というセリフがあるんですけど、その10年は自分にない10年なので、難しかったです。わたしにとって10年前は小学校の高学年になってしまうので……。セリフとリンクできる経験が自分にないから、想像で補うしかなかった。

渡辺 でもあのセリフには橋本さんが演じる「私」の10年がたしかに見えましたよ。僕は、「自分が高校生に見えるのかな……」ということが心配でした。

橋本 (笑)。

渡辺 僕はいま28歳で、高校を卒業してから10年経つので、作品内の現在のパートの人物たちと同い年なんです。20歳くらいの頃は、高校生活ってまだ近い過去のものだったから、思い出したり懐かしんだりするような感覚はなかった。でも28歳になると、高校生活というものがすごく遠くにある感じがして、切なくなる。あんなに鮮明に頭に浮かんでいた高校生の頃の記憶をちょっと忘れ始めている。それが寂しい。そういう意味では、等身大の寂しさが出せたかなという気がしています。役柄として難しいという感覚はあまりなかったけど、だからこそ、この作品に合った自分の消化の仕方をすごく考えました。

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——舞台となるのはどこかの地方都市。撮影は富山県だそうですね。おふたりの地元の風景とはどれくらい似ていますか?

橋本 わたし、富山の景色がすごく好きなんです。地元の熊本と似ているんですけど、ひとつ明らかに違ったのは、夕日。熊本の夕日は、まぶしくて見ていられない。でも富山の夕日はきれいでずっと見ていれられる。どうしてなんだろうって原作者の山内マリコさんと話していたら、「富山の空はグレーがかってるからね」って言われて(笑)。気候のせいなのか、空気の違いでフィルターがかかるのかわからないけど、夕日が本当にきれいでした。本来は目にやさしいものが好きだし、太陽より月のほうが好きなので、これまで夕日を特に好きだと思ったことはなかったんですけど。

渡辺 たしかに、橋本さんは月が好きそうだし似合うよね。月が似合う女、橋本愛。その女が愛した太陽のある街、富山。

——東京の夕日はどうですか?

橋本 東京の夕日は、ビルに反射してまぶしいですよね。夕日というより「西陽」というイメージ。

渡辺 僕の地元は神戸の山奥なんですけど、この映画のようなまっすぐな道はなくて。神戸は坂が多い町なんです。

橋本 チャリ漕ぐの大変そう。

渡辺 そう、だからチャリは漕がない。それで地元にいた頃、夕日が真っ赤に染まる瞬間を見たことがなかったんです。山に囲まれていると、日が沈む頃にはもう太陽が山に隠れてしまっていて。空はオレンジがかってるけど、夕日自体が赤くなるところを見たことがなかった。初めて東京に出てきた時、夕日が赤くて、それを見て泣きました。

橋本 フジファブリックだ〜!

渡辺 あっ、ほんとだ“茜色の夕日”だ。……いや、これいま思い出したことなので仕込みじゃないですよ(笑)。だから初めて東京の丸くて赤い夕日を見た時は、すごくかっこいいと思いました。その光景はいまだに脳に焼き付いていますね。僕のなかでの東京は、あの丸い夕日と東京タワーのイメージ。

橋本 じゃあ東京は赤い街なんだ。面白いなあ。

「“何者でもない”ことを自覚することが大事」(橋本愛)

——おふたりは以前に映画『大人ドロップ』『渇き』(ともに’14)などで共演されていますが、当時は一緒に撮影するシーンは少なかったと思います。今回、本格的に共演してみて、お互いどのような印象を持ちましたか?

橋本 今回の役柄のせいもあるけど、中性的な印象がすごく強いです。ニュートラルという言葉の意味そのままの人だと思う。何を入れてもいろんな形や色にしてくれるから、他の作品を見てもまったく違うキャラクターになっているし、オーラも役によってまったく違う。ミュージシャンをやりながらここまで演じられるのはすごいなって、圧倒されます。

渡辺 ……やばいですね、ちょっといま、照れてしまって橋本さんの目を見られないです。橋本さんは、その佇まいというか、圧倒的な存在力。セリフを言う前からセリフが始まっているような感覚なんですよね。ミュージシャンでもたまにいるんです、歌う前からかっこいい人が。その人がステージに出てきただけで泣けちゃうという。たとえば、僕はハナレグミの永積タカシさんを初めて見た時にそう感じました。そういう力を橋本さんは映像で出せる人なんです。現場で、切り返したカメラに橋本さんが映った瞬間、もう何かが始まっている。そう思わせてくれる人は映画にとってすごく大事ですよね。いち映画ファンとしても、橋本さんが映画界にいてくれていることはありがたいと思います。お芝居がうまい方はたくさんいらっしゃいますけど、橋本さんにしかない魅力はそうした佇まい、存在力だと僕は思います。

——本作で描かれる人物は「何者かになりたくて、何者にもなれなかった人物」です。そういう悶々とした時期というのは、おふたりにはあったんでしょうか?

橋本 わたしは「何者かになりたい」と思ったことがないかもしれません。仕事を始めたのが早かったので、自分探しをする前にその船に乗っていたという感じ。だから「何者かになること」が正しいとも思っていないし、むしろ「何者でもない」ことを自覚することの方が大事だと思う。確かに、自分が弱っている時や、何かひとつのことに集中しすぎていると、そういう浅はかな欲望が出てくることもあります。だから逆に、それを打ち消す作業を頑張っている。たぶん、「大きくなりたい」と思うから「何者かになりたい」と願うんだと思うんです。でもそれに固執すると、自分がどんどん小さくなっていくという予感がする。そういう矛盾を引き剥がすことを心がけています。

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渡辺 僕もまったく同じ回答でお願いします(笑)。というのは冗談で、僕はこれまで「何者かになりたい」という感情が浮かんだことがなかったんです。音楽も役者も、「やりたいなあ」と思う前に、気付いたらもうやっていた。でも最近ふと「あれ? 自分はなんでこれをやってるんだっけ?」って初めて考えたんです。そうしたら、自分のなかに「何者かになりたい」という気持ちが実はあったんだと、ようやく28歳になったいま気付きました。「何者かになりたい」と願うことが正しいとはいまでも思っていないけど、その欲求はすごく純粋なものだから、そう思っちゃったということを大事にしたいです。

「退屈だということを忘れさせるのではなく、向き合わせてくれる」(渡辺大知)

——この映画に希望はあると思いますか?

橋本 あると思います。たしかに痛いまま終わる映画だけど、すごく何気ないもので持ち上げられる感じがしていて。出来事というよりも、何かを読んだり見たり、良い意味で自分にとって都合の良いものをピックアップして、そうしてなんとか前向きに生きていく。それがこの映画の本当に小さい、けれどもたしかな希望だと思いました。

——終盤で、東京に出たある人物が「超楽しい」と言うシーンがあります。あのシーンをどう解釈しましたか? 映画のテーマ的には、皮肉とも解釈できると思うのですが。

橋本 最初に脚本を読んだ時は、その人物が無理やり言っている感じがしました。でも映画を観たら、表情や東京の街並みの美しさから、人物の心が満たされている感じがして。それはいつか終わるものなのかもしれないけど、美しい瞬間だとは思います。

渡辺 僕は、先のある「超楽しい」だなという感じがして、それが切なく感じました。東京に行ったり、地元に戻ったり、残ったり、いろんな生き方があると思うけど、みんな不安や退屈を抱えて生きている。退屈だということを忘れさせるのではなくて、ちゃんと向き合わせてくれる。それがあのセリフだと思いました。

——「超楽しい」と言った人物は、あの数年後に「私」になるかもしれないわけですよね。

渡辺 構造的にはそうですよね。でも、そうならないかもしれない。

橋本 ならないでほしいですね(笑)。

渡辺 でも、東京にいようが地方にいようが、どこにいても変わらないんだと思います。みんなそこそこ楽しくて、そこそこ退屈で。それを悲観的に捉えてしまったら終わりという気がする。橋本さんが言った「何者にもなれない、ということを自覚する」という言葉に近いけど、「楽しくないとやばい」とは思わない方がいいと思う。そもそも「退屈だ」と思うことは生きている証だと思うし。そういうことも受け入れさせてくれる映画だと思います。

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映画『ここは退屈迎えに来て』

10月19日(金) 全国公開

出演:橋本愛 門脇麦 成田凌 / 渡辺大知 岸井ゆきの 内田理央 柳ゆり菜 亀田侑樹 瀧内公美 片山友希 木崎絹子 / マキタスポーツ 村上淳
原作:山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」幻冬舎文庫
監督:廣木隆一
脚本:櫻井 智也
制作プロダクション:ダブ
配給:KADOKAWA
©2018「ここは退屈迎えに来て」製作委員会
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text & interview by 山田宗太朗