『ダークナイト』シリーズ(’05〜)、『インセプション』(’10)、『ダンケルク』(’17)などの作品で知られる人気映画監督、クリストファー・ノーランの最新作『TENET テネット』が9月18日に公開された。これまでも、ヒット作や話題作を連発してきたノーラン監督だが、今回も注目度はきわめて高い。テーマは「時間の逆行」。過去作でもたびたび題材として取り上げてきた「時間」をモチーフに、物理学者にアドバイスを受けながら練り上げられた脚本は、非常に魅惑的であると同時に、一度見ただけでは理解が困難な内容だ。こうした難解さが観客の興味をそそり、数多くのリピーターを呼び込んだ。主演に『ブラック・クランズマン』(’18)のジョン・デイヴィッド・ワシントンケネス・ブラナーマイケル・ケインといった、ノーラン作品の常連俳優も出演している。

クリストファー・ノーラン最新作『TENET テネット』の最大の魅力

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2020年、多くの大作、期待作が公開延期となり、話題性に乏しいままずいぶん時間が経ってしまっていたが、ようやく映画館に活気が戻ってきたと実感できる『TENET テネット』の公開だった。9月19日に政府の定める入場制限基準が緩和され、これまで定員の半分以下しか入場できなかった映画館が全席で着席可能となったことも大きい。ひさしぶりに経験する満員の映画館での超大作公開とあって、劇場内に熱気が満ちているのが嬉しかった。次々と入ってくる観客、ぎっしりと埋まった客席、上映後にパンフレットを購入するため並ぶ人たちの行列、かつての見慣れた光景が戻ってきたのは思いのほか楽しく、自分が映画ファンであることをあらためて体感させてくれるイベントとなった。本作はIMAXスクリーンとの相性もよく、視聴環境にこだわりを持って映画館を選んだ観客も多かっただろう。『TENET テネット』の盛り上がりは、映画業界全体にとって明るいニュースであった。

思うに、クリストファー・ノーラン監督には、映画ファンにとっての一大イベントとなる作品を撮り、人びとを劇場へ呼び込む稀有な能力がある。『ダークナイト』(’08)しかり、『インセプション』(’10)しかり、好き嫌いは別にして映画館へ足を運ばずにはいられず、見終えた後にはさっそく感想戦を始めてしまうような「必修映画」を撮る能力があるのだ。多くの観客を物語に没頭させ、熱狂を生み出すのがノーラン監督の最大の力だ。誰もが彼の作品を気にしていて、映画館へ行かなくてはと思わせてくれる。今回の『TENET テネット』も同様に、斬新なアイデアをヒット作に結びつける手腕はみごとであり、本当に感服するほかない。音楽にせよ、本にせよ、受け手の好みが限りなく細分化していくなか、映画ファンにはこうした全員参加型のイベントが残っており、共通言語としての作品が存在するというのは大切なことである。こうしたイベントに参加できるのは、映画ファンならではのよろこびではないだろうか。

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『TENET テネット』のあらすじは複雑で、説明が難しい。とはいえ、理解できなくてもさほど楽しみを阻害しないため、あまり深く気にしなくていいのではないかと思う。劇場用パンフレットに書かれた公式の説明を要約すれば、あらすじは以下である。CIAエージェントの主人公、名もなき男(ジョン・デイヴィッド・ワシントン)は、未来からやってきた敵と戦い、世界を救う任務を命じられている。どうやら、未来では時間の逆行を可能にする装置が開発され、人や物が過去へと移動できるようになっているのだ。果たして主人公は、迫りくる第三次世界大戦を防ぐことができるか──。

劇中に数多く散りばめられた謎がわからないままでも、作品は十分にスリリングだ。また、初見ではわからなかった物語の構造が、二度目の観賞で浮かび上がってくるしかけも実にいい。SNSで盛り上がる謎解きや科学的解釈も含め、さまざまな角度から何度も味わうことができ、多くの人がつい参加したくなるイベントという側面からも大いに楽しませてもらった。観客へのサービス精神の旺盛さも感じられ、ノーランが人気監督である理由がよくわかるフィルムである。

どの作品にもキービジュアルや見どころを律儀に準備するノーラン監督らしく、公開前から話題となっていた、空港でジャンボジェット機が暴走するシーンなど「これがうわさの場面か」と感心させられてしまった。こうした大がかりな場面はなにしろ景気がよいし、見ただけで料金の元を取ったような気分になれるのが嬉しい。予算をかけた超大作ならではの楽しみである。劇中、ジャンボジェット機の爆破前には、登場人物が“ここからは少しドラマティックにやるよ”と親切なせりふで見せ場を予告するため、観客も「いよいよ壊すんだな、例のあれを」と心の準備が整う。ノーランは基本的に、大事なことはせりふで説明してくれるタイプの監督である。

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『TENET テネット』に見るノーランの「ブリンブリン」な欠点とは?

しかし、ここまで映画を満喫しておいて不満を述べるのは図々しいのだが、ノーランの手法には多少言いたいこともあるのだ。CGを嫌い、実写にこだわる彼は、これまでも大がかりな実写撮影を行ってきた。『ダークナイト』の病院爆破シーンでは本当の建物を壊しているし、『ダンケルク』では70年以上前に製造された実際の戦闘機を2機飛ばして撮影し、さらには5億円かけてレプリカを1機作成したという。何しろとてつもない規模である。こうした、ノーランの撮影にまつわる豪快な逸話はエスカレートし、映画製作のたびに新たなエピソードが追加されていった。しかし、彼の手法はややもすると、実写へのこだわりという域を超え、莫大な予算をかけたムチャな撮影が許されるヒットメーカーとしてのノーラン自身を誇示しているように見えてしまう。

前述した空港のシーンでも、暴走するジャンボジェット機や、車輪に巻き込まれて引きずられる自動車を眺めながら、「どれだけの費用がかかったのだろう」「こんな途方もない撮影が許される監督はなかなかいないぞ」と、映画の本質とは異なる部分で感心してしまったのも事実である。決してジャンボジェット機の場面が嫌いなわけではないし、盛り上がったことは事実なのだが、映画に感心しているのか、ノーラン監督の豪快さに驚いているのか、自分でもいまひとつ判別がつかなくなってくる。アメリカのヒップホップ業界では、いかにも高価そうなゴールドのネックレスや高級車を見せつける態度を「ブリンブリン」と呼ぶが、ノーランはいわば映画業界きってのブリンブリンな監督であり、そこに若干のエゴや品のなさを感じてしまうことがあるのだ。とはいえ、選ばれし映画監督が常軌を逸したムチャをする様子は見ていて楽しいものであり、またノーランの作家性の一部であるとも思うのだが。

一方、実写への拘泥、徹底したフィルム撮影主義など、ノーランが示すこだわりは、彼が潜在的に抱いている「映画的瞬間をつかまえる能力への不安」の裏返しであるようにも思える。だからこそ、彼の底抜けな予算の浪費にも拍車がかかるのではないか。この点、筆者はノーランを支持しているにもかかわらず意地の悪い言い方になってしまったが、あえて指摘させてほしい。観客に「これが映画だ!」と確信させるワンシーン、力強いショットを撮れるかどうかは、予算や機材、規模とは無関係ではないか。彼はなぜ、映画を撮るのにそこまででたらめなお金の使い方をするのだろうか。このノーランの浪費傾向は監督としてのキャリアを重ねるごとに強くなっていったが、彼と同い年の映画作家、たとえばポール・トーマス・アンダーソンM・ナイト・シャマランニコラス・ウェンディング・レフンといった1970年組はみな、規模や予算は小さくとも、観客の魂をわしづかみにするような映画的瞬間をモノにしている。こうして比較すると、ノーランがこだわる実写やフィルム撮影といった要素も、どこか枝葉末節に思えることがある。

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ノーラン作品の根底に通ずるテーマ「喪失感」

ここまでの記述、『TENET テネット』とノーランを愛していながら、彼に欠けている資質についての説明が長くなってしまい、たいへん申し訳ない。実際のところ『TENET テネット』にも終始夢中になり、ついに主人公が逆行時間に突入するクライマックス場面などあれほどに胸が高鳴り、熱く興奮したにもかかわらず……。むろん完璧な作者などいないのであり、ノーランのたぐいまれなる才能を認めた上で言うのであれば、製作費の使い方が派手になることで本質を見失いがちな傾向はあると思う。それでもノーラン作品から目が離せないのは、彼が描きつづける「喪失」の物悲しさにどうしても惹かれるからである。彼の映画に通底するのは、決して取り戻せない何かについての耐えがたい喪失感だ。『TENET テネット』は親友の喪失がテーマとなる。内容に触れてしまうため詳細は省くが、本作における主人公とニールロバート・パティンソン)との関係は非常に切ないものだ。ノーランはつねに、失われたもの、もう取り戻せない何かについて描き続けている。

過去作も同様である。『メメント』は、記憶を失ってしまう症状に悩む主人公が「たとえ忘れても、やることに意味がある」と決意するまでを描く。また、家族との別離がテーマとなる『インセプション』、戦地より命からがら撤退する軍人を描いた『ダンケルク』など、ノーランの作品には大きな喪失の感覚が刻まれている。「もう戻ってこない、それでも生きていかなくてはならない」という切ないまでの諦念があるのだ。それこそがノーラン作品の本質であり、爆破や謎解き、物理学やエントロピー理論といったこだわりを取り除いた後にも残る核心部分であると信じている。

こうしたモチーフがもっとも強烈に描かれるのが『インターステラー』における惑星探索の場面だろう。人間が移住可能な星を探して宇宙船で移動する主人公(マシュー・マコノヒー)は、ある惑星に着陸するが、ひとつ大きな問題があった。重力がとても強いその惑星ですごす1時間は、地球の7年に相当するのだ。探索に手間取った主人公がその惑星ですごしたほんの数時間のあいだに、地球では23年4ヶ月の時間が経ってしまっていた。主人公の父親は亡くなり、小さかった子どもは大人になり、結婚して孫まで生まれていた。そうした貴重な瞬間に一切立ち会えず、すべてを逃してしまった主人公は、地球から送られた23年分のビデオレターを見ながらひとり涙する。

この場面は「感動的」という文脈で語られることが多いが、冷や汗が出るような取り返しのつかなさ、決して戻ってこない大切な時間を喪失してしまった感覚は、見ていて怖ろしくなるほどだ。ほんの小さなミスによって20年以上の時間が失われてしまう展開はとても不安になる。『インターステラー』は見返すのをためらう映画である。自分自身もいままでの人生において、この主人公のように時間を虚しく浪費してしまったのではないだろうか? と考えずにはいられないからだ。ノーラン監督は、このように深い孤独や空虚を抱えた人物なのだろうかと感じる場面である。

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あるいは、こうした深い喪失感にはむしろ派手な爆発こそが似合うのかもしれないと『TENET テネット』を見て感じた。ノーラン作品の登場人物が抱える虚しさや無力感はあまりに大きい。一見、スパイ映画仕立てのスリルと躍動に満ちたアクション映画、という『TENET テネット』の奥にも喪失の感覚がある。確かに、生きることは失うことの連続だ。それであれば、せめて空港や病院ぐらいは派手に爆発させたくなるのが人情ではないか。単に暗くて地味な映画など、本当に陰鬱なだけである。いずれにせよ大切な相手は去り、貴重な時間は失われてしまったのだから、どうせなら思いっきりお金を使って、アメフトの巨大スタジアムを本当に爆破したり、戦闘機をIMAXカメラごと海に落下させたりしようじゃないか。そうでもなければ、悲しくてやっていられない。

ノーランが時おり表現する、どう受け止めていいか困惑するほど大きな虚無感について考えた時、その陰鬱さと反比例するような破壊の壮大さ、途方もない予算の使い方は、どこか最終的にうまい具合に辻褄が合って、観客にとって受け入れやすいバランスになっているのかもしれない。『TENET テネット』の圧倒的なおもしろさに打ちのめされながら、そう感じた。ノーラン作品はどれも喪失感と孤独に満ちているだが、迫りくる悲しみは大量の爆薬で景気よくぶっとばしてくれる。そこにこそ、彼の人気の秘訣があるのかもしれない。

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映画『TENET テネット』スペシャル予告 2020年9月18日(金)公開

Text by 伊藤聡

INFORMATION

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TENET テネット

大ヒット上映中
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン 製作:エマ・トーマス 製作総指揮:トーマス・ヘイスリップ
出演:ジョン・デイビッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、アーロン・テイラー=ジョンソン、クレマンス・ポエジー、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画

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