QUATTROのボーカルとして2004年にデビューし、2014年には〈Littleize records〉を立ち上げた岩本岳士が、2016年に弁護士・馬場貞幸と共に設立した一般社団法人「Rights And Creation」。2018年から弁護士・藤森純も加わったこの団体は、ミュージシャンやアーティストが自由に創作・活動することのできる環境作りや問題解決のサポートを目的に、精力的な活動を続けている。
Qeticでは今回、Rights And Creation、Qeticのあいつ、そして、招くゲスト(Someone=あいつ)によるインタビュー企画「あいつアンドクリエイション」を始動。音楽にまつわるさまざまなテーマを議題にミュージシャンや音楽に関わる人々を中心に話を伺い、これからのシーンを担う若き人材にとって活動を継続していくためのヒントやロールモデルとなるべき生き方を探っていく。
第1回目に登場するのは、ドラマーからラッパーへ、そしてメジャーからインディー、現在は古巣であるソニー・ミュージックで再度メジャーデビューし、1stシングル『余裕』を配信リリースしたあっこゴリラ。表現方法や立ち位置、発表する舞台を変えながらもタフに未来を切り開いてきた“レペゼン地球”のラッパーは、どのようにして音楽業界の荒波を乗り越えてきたのか?
あっこゴリラ 『余裕』
Interview:あっこゴリラ
——音楽遍歴も含め順を追って聞いていきたいのですが、あっこゴリラさんは小学校から高校までピアノをやっていたと聞きました。
そうですね。小学1年生から高校3年生までピアノを習ってて、あと小学校の音楽室にドラムセットがあったので、歌集に載ってる曲にドラムを合わせたりしてました。
——ドラムは小学生の時に触れて以降はやってなかったんですか?
高校の時にバンド仲間から「ドラムいないからやって」と言われるまではやってなかったです。みんな就活とかがあってバンドを辞めちゃって。
——ロック・ミュージックとの出会いは?
NUMBER GIRLですね。当時、私の周りは銀杏BOYZ全盛期だったんですよ。銀杏ってけっこう女の子を神聖化している印象が当時の私にはあって。ただ私はそっち側だと思えないし、取り残された感があったんですよ。「なんか居場所ないな……」みたいな時にNUMBER GIRLに出会って「うわ〜」みたいな。
NUMBER GIRL – 透明少女
——この前、向井さんといっしょにライブやってましたよね?
そうなんですよ〜! 西永福JAMのこけら落としで2マン。(ZAZEN BOYSの)“KIMOCHI”と“SI・GE・KI”をセッションして……自分にとって一番大きな経験でしたね。
——小学校からずっとピアノをやってきて、ドラムをやる時に葛藤は無かったんですか?
誰もドラムをやりたがらなかったからで、頭では何も考えてなかったですね。でも考えてなかったからできたのかなと今は思います。
——HAPPY BIRTHDAYとしてMOVING ON(HAPPY BIRTHDAYが所属していたマネージメント会社)から音源を出すことになる経緯は?
それはけっこう特殊で、HAPPY BIRTHDAYを始める前からボーカルがシンガーソングライターとしてホントに光ってたんですよ。それで(高円寺の)無力無善寺でやったHAPPY BIRTHDAYの最初のライブに、前から目を付けていてくれたMOVING ONの社長が来てくれて。
——そこからすぐに契約して音源を作りましょうっていう流れだったんですか?
そうですね。だけど最初は「もうちょっとドラム頑張ろう」とか「ベースに合わせるの初めて!」みたいな感じで。何とかインディーズで出してもお客さんはなかなか増えなかったんですけど、社長がライブにいろいろな人を呼んだりしてくれてたこともあって、一年後にはメジャーデビューしました。
——メジャーに行った時、マネージメントとレーベルは別ですか?
マネージメントがMOVING ONさんで、レーベルはソニー・ミュージックさんでした。でも当時の私は“赤ちゃん”のようなもので、あまりわかってなかったですね。
——HAPPY BIRTHDAYの活動期間はどのくらいだったんですか?
実質5年です。2015年に解散ライブをしました。そこから本格的にラッパーとして活動をし始めて。カディオ(岩本岳士が所属するバンドQUATTROのドラマー)と“ゴリラ夫妻”をやったり。
——その時はもうバンドは解散していて、どこにも所属してない状態ですか?
はい。正確に言うと、2014年の夏に活動休止してから半年間は宙ぶらりんで、その期間に自分の中でいろいろ考えたんです。それが2015年の解散の時にはある程度もう固まった結果、できたのがラッパーのあっこゴリラ。そして……ゴリラ夫妻……。
——フフフ……。
フフフ……もっと正確に言うと、半年間いろいろやりながらいろんな人に会いまくって。そこからイベントやろう、グッズつくろう、モデル誰にしようってなり、「でもゴリラTシャツをアイドルが着るのか……?」って。Twitterで募集したけど集まらなくて、「ん? ドラマーでいるわ!」と思ってカディオに連絡を取ったんです。それで上野動物園に行きました。
——あのゴリラの銅像を挟んで撮った写真の?
はい。そこからお台場とか行って天気予報の後ろに写り込んだり。でも帰りのモノレールとかで会話全く無いんですよ、その頃は。まあゴリラ夫妻って活動はしてなくて、写り込みに行っただけなんですけどね。
あっこゴリラMV『ビューティフル・ウーマン(ゴリラ夫妻ver.)』
——インパクトは抜群でしたけどね。バンドをやってた時に、いずれはひとりでやることも考えてましたか?
まったく考えてなかったですね。2013年頃にボーカルが喉を壊して、活動ができなくなったんですよ。私はバンドのためなら何でもしたかったので、活動を途切れさせないためにソロでライブをした、って感じです。
——ソロになった時に自分の中で決めていたことはありますか?
「バイトしない」っていうのは決めてました。じゃあ物販で売る物を作ろう、CDは流通に乗せるお金がないのでCD-Rで500円にして売ろう、Tシャツを作ってパーティーしようみたいな。当時は月に20本以上ライブをやって、ある程度お金が貯まった段階でレコーディングして『TOKYO BANANA』っていう初めての流通版を作りました。MCバトルの影響で少し名前が売れてたことで思ったより反響があって、そこからいろいろお声掛けしてもらった感じですね。
あっこゴリラMV『TOKYO BANANA』
——その頃はそれまでと比べて自覚的に動いている印象を受けるのですが。
でもどちらかと言うと、自分がすっごく無知っていうのがわかってたからこそ、段階を踏んでいこう的な考え方でした。最初は自費で出して、その後はHIPHOPのことをオールドスクールから勉強して、次は同世代のHIPHOPカルチャーの文脈の人たちと曲を作ってみよう……みたいな。
——それはそれですごく自覚的だと思います。
メジャーにいた時は自分らしさを発揮できなかったし、ソロになった時にはすごく崖っぷち感が強かった。ただそこで逆に無敵になっちゃったんですよ。“元メジャーの〜”みたいに見られる感じも燃えましたね。でも誰よりも素人だったし、何も無かったからこそ強くなれたのかなって今は思う。でもキツかったですけどね、ムダなプライドを捨てるのが。
——最初から今のあっこゴリラというキャラクターで見ている人も多いと思うので、その部分は意外と知られてないのかなと思います。
いまだににょきにょき出てくるプライドに苦しんでますよ。「ああーいらない!」みたいな。
——でもそれがあっこゴリラさんのバランス感覚の源なのかなと。今ってマネージメントはTHINKRさん、レーベルは古巣のソニー・ミュージックさんに戻ったわけですが、それも自然の流れでしたか?
2015年の自主企画の時からみんな呼んでたのが大きかったのかも。業界人も知り合いなら全員友だちだと思ってたので、気軽にイベントがあるたびにお声がけしてました。「あっこちゃんが言うならしょうがない」みたいな感じでけっこうみんな来てくれたんです。あと、2018年はメジャーでやるって決めていく流れの中で、「ここで古巣って面白いでしょ」って思えた自分もいた。
——面白いって思えた決め手は何だったんですか?
単純にそう思える前はアーティストとしてひよっこ過ぎたから。何となくMCバトルで名前が売れて面白そうな感じにはなってるけど、“面白ネタ提供お姉さん”みたいな感じで消費されて終わっちゃうってわかってたので。あとそこにはバンドの経験も生きていて、メジャーにいけば売れるわけじゃないことも知っていたので。
——ようやくあっこゴリラさんの中でタイミングが訪れたんですね。
はい。まあでも、あっこゴリラを始めてから奇跡ばっか起こるんですよ。
——でも、着実に自分の立ち位置を固めてきたんだろうなと感じます。
体当たりでやってたし、結局は全部自分の身に降りかるじゃないですか? メールの返信とかもすごい丁寧にするようにしてましたし、そういうのをみんなしっかりやってくれてたんだろうなって、ひとりになった時にすごく感じました。
——レーベルとかマネージメントとの関係性において、一番大切にしてることって何ですか?
とりあえずプライドは捨てた方がいいよっていうことと、あとはみんなでやった方が楽しいよっていうことかな。
——でもそのプライドを捨てるのは、自分のやりたい音楽を曲げることではないですよね?
むしろそっちは絶対に曲げちゃダメ。そこ曲げちゃうんだったら辞めた方がいい。そこはプライドとかじゃなくて、合理的にダメだと思うことはしっかり言い合うことが大事。また同じこと言ってると思われても「聞いて聞いて!」みたいに何でも話す。あと「ダサイと思うことがあったら言って。キレるかもしれないけど」みたいな、ハハハ!
——今後の活動において、こうなりたいみたいなイメージはありますか?
100人とか1000人みんなで、デカイことしたいですね。私、宙づりでステージに登場したいんですよ。あと360度ドラム(モトリー・クルーのトミー・リーの360度回転するドラムセットのこと)とかもやりたい。ラップって一般の人との壁ってまだあると思う。言葉が多過ぎるとか、音量は出ててもライブで何を言ってるか聴き取れないとか、飽きちゃうとか。そのへんの壁を取っ払う仕掛けを作っていきたい。エンターテイメントとして、楽曲でもライブでも、やれることがまだまだたくさんあるなと思ってます。
インタビューを通じて、ミュージシャンとレーベルもしくはマネージメントの関係性は、“鉛筆”と“鉛筆削り”に例えられるのかもしれないと感じた。不格好な鉛筆でもどうにか形を整えてくれるが、削られ過ぎると折れてしまう。ただし、折れないために必要なのは鉛筆の太さではなく、芯の強さであり、濃さだ。そもそも太い鉛筆など誰も使いたがらない。その太さは、アーティストで言うところのプライドの強さに置き換えられる。その塩梅が、あっこゴリラは絶妙だ。
さらに、日本を代表するシンガーソングライター・山下達郎はかつて、音楽ビジネスを含めたすべての芸能の根幹は「心は売っても魂は売らない」ことと語った。それがただのスレーブ(奴隷)ではなく、音楽を作る上でのパッションや真実をキープする秘訣だと。あっこゴリラの縦横無尽な活躍の裏には、ミュージシャンとしての魂を売らないための慎重さと柔軟さが隠されている。
あっこゴリラは6月30日(土)に生誕祭イベント<ドンキーコングvol.4>を六本木VARIT.で開催する。イベントには、彼女と親交の深いTempalayとPARKGOLFの出演が決定。さらに、メインビジュアルは雑誌の対談で親交を深めたデザイナーの宮越里子氏が手掛け、super-KIKIによる展示とコラボレーショングッズの販売も予定されている。ここでも彼女の“みんなで楽しむエンターテイメント”の一端を体感できるだろう。
紆余曲折しながらも、さまざまな経験を積んできたあっこゴリラという名の“鉛筆”は今、自らが思い描く理想に限りなく近い円を描き始めている。
今週のゴリちゃんFINAL
EVENT INFORMATION
あっこゴリラ presents ドンキーコングvol.4
2018.06.30(土)
OPEN 18:00/START 19:00
六本木Varit.
ADV ¥2,500/DOOR ¥3,000(1ドリンク別)
LINE UP: あっこゴリラ&BNNZ / Tempalay / PARKGOLF
あっこゴリラオフィシャルサイトRights And Creation
interview&text by ラスカル(NaNo.works)