17世紀から19世紀あたりの西洋の芸術音楽、いわゆるクラシック音楽をDJミックスという手法を用い、新しい聴き方を提示。また、ベートーヴェンの交響曲にビートなど現代の音楽手法を導入してリメイクし、オーケストラ音楽のオルタナティヴなあり方を示してきた水野蒼生。
1994年生まれのミレニアルズである彼はクラシックのアカデミックな教育を受け、ザルツブルグ・モーツァルテウム大学オーケストラ指揮、及合唱の両専攻の学部相当を首席で卒業し、欧州各地のプロ・オーケストラも指揮するが「クラシック音楽という大雑把な呼称が嫌い」だという。その証左がDJミックスやリメイク作品でもある。
オリジナル3作目となる今回はオペラ、歌曲を再構築し、人の声の可能性を探る。フィーチャリング・アーティストの小田朋美(ソロ、DC/PRG、CRCK/LCKS、及びceroなどのライブサポート)、ROTH BART BARONの三船雅也、君島大空らが目をひく。オリジナリティに溢れ、次代を予見させるラインナップであり、ある種、読者に親しみのある“歌い手”の別の側面が垣間見られる楽しい作品でもある。
今回はシューマンの歌曲“ミルテの花〜献呈“を歌った君島大空との対談が実現。名前とジャンルだけを並列すると最も意外なコラボレーションに思えるこの二人がどのような回路で出会ったのか。互いの印象や楽曲のアプローチを通じて、その奇跡を探る。
INTERVIEW:
水野蒼生×君島大空
超訳を見た時、
『うわ、なんか俺じゃない?』と思った
━━君島さんは水野さんの音楽をご存知でしたか?
君島大空(以下、君島) 僕は少し前から認識をしていて。周りの人に「クラシカルDJがいる」と聞いたんです。それで前のアルバム(『Millennials -We Will Classic You-』)をちょっと聴いて「ああ、ヤバいヤツだから聴かないようにしよう」って。正直、「怖い、怖い、怖い」と思いました(笑)。
━━影響されるからですか?
君島 そうです。僕はすごい影響受けちゃうタイプで。しかも同世代になっちゃうと、さらに輪をかけて「こんなヤツがいるんだ……」ってなっちゃうタイプなんです。ほんと良くないところなんですけど。
━━よりにもよって距離を置いていた人からオファーがきたわけですね。
君島 すごい急接近。打ち合わせをした時に指揮者っていうのは初めて知ったんですよ。クラシックDJでピアノを弾いている動画をツイッターで見てたけど、「何の人なんだろう?」っていうのは僕もあまりはっきり調べていなかった。「指揮者なんですよ、本業は」って言われて、「こんな人いるんだ」ってすごく楽しくなっちゃって(笑)。
━━何をやるかはもちろん聞いているんですよね。
君島 「歌を歌ってください」と。友達のプロジェクトで歌うことはあったんですけど、「歌ってください」っていうのは初めての依頼だったので、声で呼んでくれたのは嬉しかったですね。水野さんを認知はしていたから、この機会に「友達になれるかな」と(笑)。気になってる人、遠ざけがちなんで。
━━君島さんはクラシックに関して一般教養的な部分は通ってきたんですか?
君島 クラシックギターをずっと弾いてたんですけど、別に習ってはいませんでした。クラシックギターの人を好きで、中学高校の頃は鈴木大介さんをよく聴いていました。それで鈴木さんがドビュッシーの楽曲を演奏しているアルバム(『月の光/愛の歌~フランセ&ドビュッシー作品集』)があって、そこから印象派(※)を聴くようになって。あと、ピアノ曲が好きで聴いてましたね。
(※印象派:20世紀初頭のフランスに興ったクラシック音楽の流派の一つ。ドビュッシーやラヴェルが代表的。)
━━打ち合わせではどんな話をしたんですか?
水野蒼生(以下、水野) 「どういう音楽を聴いてるんですか?」みたいなところから(笑)。今回、歌ってもらうっていう段階で、もともとドイツ語の歌を日本語に超訳してたんですよ。それを逆に超訳じゃない普通の翻訳を調べてくれていて。それで僕の詞を見て、「確かにこれ超訳ですね、いいですね」とかいろいろ言ってくれて、温度差を感じませんでした。
━━超訳をいいと思ったのは?
君島 訳された日本語をみると僕が絶対歌わない、選ばない言葉だったんです。以前からずっと、自分が歌を作る時に僕が選ばない言葉のことを考えていて。「なんでだろうな?」っていうのはなんとなく引っかかっていたタイミングで、「歌ってください」って依頼がきて、歌詞を見たら、絶対に自分で選ばない言葉だから、それですごい興奮しました。
でも、水野さんは「君島さんにこの曲を歌ってもらいたい」っていうのが伝わる訳だったんですよ。選ばない言葉なんだけど、ずっと歌ってきた言葉と重なる部分が日本語になったあの曲にあって、なんの心配もいらないなと思いました。
━━君島さんが意訳されたのかな? と思うほどでした。特に《この身を差し出す僕を許さないで》という部分。
君島 はい。そこがすごく「僕だ」と思ったんです。「許さないで」っていうことを僕もこれまでの歌の中で、自分自身にずっと言っている気がするんです。でも、僕は「許さないで」とは直接書かないんです。で、最後にその《許さないで》っていうのがきて、「うわ、なんか俺じゃない?」と思って。だから歌にスッと入れたんです。
━━ちょっと今、鳥肌が経ちました。水野さんは元の歌詞をどう消化してご自分の言葉にされたんですか?
水野 ドイツ語の発音ができそうな人に頼むっていう筋もあったのかもしれないんですけど、歌っている内容そのものが時代によって、価値観や表現の言い回しも変わるじゃないですか。日本語の何百年も昔の言葉は読むのだけで苦労する、みたいな。それがドイツ語の中でも起きていて。
直訳すると「あなたは私の心臓で、あなたは私の魂で」、ただひたすら「あなたは私の○○で」っていうのを連呼しまくって、最終的に病的な愛の伝え方をしていて。表現が全てあまりにも直接的なんですよ。このまま日本語に訳したところで原曲の持つ美しさであったり、メッセージ性っていうところから一歩引いてしまう感覚があって、現代の日本的な感覚に訳し直そうと思ったんです。
━━なるほど。
水野 それでタイトルである“献呈”っていうところから一行目の《ここに心を捧げよう》っていうのが出てきて。「あなたは私の心臓!」っていう風に断定させない、「こうであって欲しい」という風な言い回しをして。「許さないで」っていうのは僕のセンスなんですよね。
そこは僕もずっと君島さんの音楽を聴いてきて、歌詞に共感していたところもありました。「君島さんの歌の言い回しに自分につながるものがある」と思ったんです。それで自然とあの《許さないで》が出てきて、そこに共鳴してもらえたのだと思います。
━━他の楽曲では原詞や日本語でも直接的な歌詞で歌っている方もいるので、君島さんがこの超訳を歌っていることに納得しました。
水野 君島さんの音楽には日本語が持つリズム感が乗っかるからこその面白さを感じていました。そうなると無理やり違う言語で歌ってもらうよりも、やっぱり彼の声が一番いい形で、パフォーマンスが一番生きる形にしたいと思って。なので、日本語がスッときましたね。
自分が表現したいものが
全て音に表されている風に感じた
━━ところで君島さんはこれまで“献呈”を聴いたことは?
君島 なかったです。デモをいただいて、知らない曲だったので調べて、原曲、オペラ、楽譜通りに歌っているのを調べてYouTubeで聴いたり、そのままの訳を調べました。
━━それを水野さんが再構築されたものを聴いていかがでした?
君島 絶対に僕の考えない歌詞っていうのは先ほどお伝えしたんですけど、符割も自分では絶対に考えない(笑)。3拍子に対してこの曲のように僕は絶対歌わない。でも原曲を聴いたら歌詞のハメ方に納得がいったんですね。でも最初に聴いた時は、はすごく難解だなと思いましたね。
━━ところで水野さんが君島さんの音楽に最初に出会ったきっかけは?
水野 その時、僕はザルツブルグの留学先にいたんですけど、LINEで日本にいる友達と音楽の話をしていて。その中で君島さんの名前が挙がったんです。その時って確か『午後の反射光』を出したばっかの頃で、やられましたね、あれには。
━━全体的にですか?
水野 全体的にですね。まず多分いろんなところで言われていると思いますが、「女性シンガーと一緒にやってんのかな?」と。あまりにも性別を超越しすぎていて。自分自身の価値観の中で「両性具有」ってある意味完成された存在だなと考えることが前からあって。ある意味それを体現したような声で、ものすごくロマンチックなものを感じたんです。
そこから歌詞の内容や、インタビューも読ませてもらったりして。インタビューで語っておられた自分が表現したいものがちゃんと全て音に表されている風に感じました。インタビューの中で「光」を“遠視のコントラルト”で表したいと話されていて、「ああ、俺も聴いた時にそう感じた。」っていうぐらいめちゃめちゃ共感したんですよ。
君島 自分の中のクラシックみたいなものがないかなと思って作った曲でしたね。
水野 「午後の反射光」は間に謎のワルツみたいなのが入ったり、カオティックな状況っていうのが、それこそシューマンが生きたようなロマン派(※2)の音楽に近いものを感じました。まずシューマンっていうのはロマン派全盛期の人で、自身がすごく病んでて、入水自殺しても未遂におわり、最終的に精神病院で死ぬみたいな人だったんですね。彼は確かにすごいメンタルが弱くて繊細な分、文学的な部分やロマンチックな部分を語るのがすごく上手い人だったんですが、それと同時にストレートパンチのような表現も武器として持っていた人でした。
どことなく君島さんの音楽っていうのは繊細な面もありながら、ギターロックのような一発のストロークで人を感動させる力を持ち合わせているっていうところから、シューマンのようなロマン派のイメージが自分の中で共通するなと思っていたんです。その思いがずっとあったので、この曲を選んだ段階で、「これはもしかしたら……」と思って作っていく中で、本当にうまくハマって君島さんに歌ってもらおうとなったんです。
(※ロマン派:19世紀のヨーロッパを中心に古典派音楽をロマン主義の精神によって発展させた音楽。シューマンやショパン、リストが代表的。)
君島大空 MV「遠視のコントラルト」
━━この曲はアルバムの中でも原曲からの飛躍がすごいと思うんです。イントロや、途中でブレイクする展開、そしてエレクトロニックな音像も含めて、原曲をどう解釈して作っていったんですか?
水野 それこそ原曲もA-B-Aみたいな構成になってて、Bのところでいきなり調も変わるし、いきなりテンポもダウンするんですよ。この展開の表現方法を色々試した結果、もうブレイクして違う世界を作り上げる方法が一番しっくりきた。
そうやっていく中で自分の中でもアイデアが出てきて。この曲は歌だけじゃなくてフランツ・リストがピアノアレンジしたもの、むしろピアノ曲として有名だったりするんです。そのリストの存在って自分にはありがたかったんです。クラシックの音楽史の中にもそうやって他人の曲をリアレンジして、再解釈して拡張させる人がいるのは、今自分がやっていることもその文脈の流れの中の一員になれてる。
何も突飛なことはしていない、その流れの中のことをやっているだけなんだっていうのが、ちょっと安心感にもなっていて。そういう思いでアウトロにリスト版のピアノを入れました。そういう意味では自分のやっていることを再確認するトラックにもなったので、すごく自分にとってもアルバムの中で大切な曲ですね。
━━なるほど。当時も別の作曲家が解釈する別バージョンがあったということですね。
水野 そうです。特にリストの時代っていうのはそういうアレンジがどんどん生まれて行った時代で。だったら今、またその流れを起こしてもいいよねっていう意味合いも込めて、アウトロのピアノは突っ込みましたね。
人の声は文学的要素を
音楽の中に取り入れられる
━━歌モノである、声が入っているということもこれまでの作品とは大きく違う部分で。
水野 今回のアルバムのコンセプトにもつながるんですけど、人の声っていうのは世界最強の楽器だと思っていて。それは現行の音楽シーンが全てを表してると思うんです。もしピアノが世界で一番の楽器だとしたら、世の中の楽曲はほとんどがピアノ曲になってるかもしれない。でも、世の中に今ある音楽っていうのは大体ボーカルありきで、特にメインストリームは歌モノだけで成り立ってるところがあるじゃないですか。
音楽を聴いている人の割合でも歌を聴いてる人の割合が圧倒的に多いと思うんです。それはやっぱり人間にとって人間の声っていうものが最も心地よく響くものだからっていうところもあると思って、今回「声」をコンセプトに作りました。その中で僕が特に好きな声の人たちを集めて、その中に君島さんも入ったっていう感じですかね。
━━人間の声の情報量はすごく多いですもんね。
水野 うん。唯一無二だし、何より文学的要素を音楽の中に取り入れることができるという、他のどんな楽器にもないメリットというか。
君島 面白い捉え方ですね。
水野 例えば他のサックスとかフルートのような管楽器、息を使う楽器ってやっぱり歌うことを求めるというか。自分でオーケストラを指揮していても、「こういう風に歌ってください」とか、歌い方のことを例えにだしてどんどん方向性を詰めていくようなやり方をするんですね。
それはクラシックのピアノでもそうですし、「ここの歌い方は」というように詰めていく。結局、歌っていうものが基準になって音楽っていうのは生まれていってる。そう考えると歌が原点であるっていうのは間違いないんじゃないかなと思います。
━━君島さんはメロディに歌詞をつける時、すごく意識的だということが分かりましたが、歌についての考え方はいかがですか?
君島 歌が好きっていうよりかは音が好きなんですよ。だから声が好きなんです。歌って言われるとあまり得意ではないです。それこそメインストリームのメジャーな楽曲は言葉の意味が面できすぎて音楽を聴いている気がしないんです。僕はそもそも自分が歌う曲をずっと書いてきた人間ではなくて、もっとアンビエンスがドーン! としたものだったり、ノイズだったり即興演奏の方がが自分には近い。
その中で人の声の音がめちゃめちゃ好きで、家で自分で録れるようになったら「一番いいな」みたいなところがあるんですね(笑)。それで、声をいっぱい重ねる手法が今の作風の最初になってるんです。だから、歌詞はなんでもいいんです、自分が歌えば成立するので。それよりも音ですね。絶対、直接的には言わないで匂い立たせるみたいな。それで、声が志向性を作るみたいな風に作ってると思います。
『縫層』の仮タイトルは
“心臓”だったんです
━━「なんか言いたい」みたいな動機じゃないんですね。
君島 いや、なんか言いたいんですよ。言いたいことって一個しかなくて、それをいろんな角度から言ってるだけなんで(笑)。ほんとに「君は僕の心臓だ」みたいなことも僕は多分言いたくて(笑)。『縫層』っていう2ndアルバムの“縫層”って曲は“心臓”って仮タイトルだったんです。
水野 そうだったんだ。へー!
君島 去年、「体外の心臓」というものをずっと考えていて。自分の外側にある心臓っていうか、自分の精神を成り立たせている心臓っていうのは、多分ここ(臓器の心臓)のものではない、外にあるものが自分の心臓になってるっていうのをずっと考えて出てきたのが“縫層”っていう曲だったので、さっきの話を聞いていて「おおー」ってなりました。
水野 自分の場合は言いたいことの前に、膨大にある音楽史ってものが、まず立ちはだかってるんですよ。だからまずは、その中から自分の言いたいことに近いフィルターを探すみたいな作業から入る。逆に言いたいことだけで音楽を作るのはすごいことだと思います。
君島 すごいことですよね。
水野 自分の言葉、自分のメロディだけでそれを世に出すっていうのはすごく疲れると思う。俺はこういった取材でも、ある意味、他人の音楽のことを語ってるんですよ。「あいつはこう思ってて」みたいな、通訳者のような感じがすごく強い。だから自分だけの言葉で自分の思いみたいなものを語ってる人っていうのはみんなほんとすげえなって思ってます。
君島 でも、歴史を相手取っているイメージがあるんです。僕はそれがない。ルーツは全く違うけど、でも好きなものは多分似ているというところでつながってるんだと思います。
━━水野さんはご自身を形成されたクラシック音楽のどういう部分が今の作品の軸になってると思いますか?
水野 もう僕、「クラシック音楽」って言葉が大嫌いなんです。そもそも1600年代、1500年代の音楽もギリギリ、クラシックに入るんですけど、そこから20世紀の音楽まで何100年って存在している音楽の進化、ジャンルの分岐みたいなもの全てをまとめってクラシックってたった5文字にするなんてふざけんなって思ってるんです。
でも、やっぱり最初は西洋音楽が持つ壮大さにとてつもなく影響を受けました。オーケストラって、ある種100人で一つの音楽を演奏するという、狂ったことをやってるんですよ。そのような音楽が持つ表現力っていうのは一つの長編の小説であったり、映画を見ているかのようなもので。しかも器楽曲だったら歌詞とかないのに、それを全部想起させてしまう。あの熱量というか、ある種、異世界にトランスしてしまうような感覚みたいなのも、ライブだとあったりしますし。
━━確かに時々、フルオーケストラの空気に突入しに行きたくなることはあります(笑)。
水野 うんうん。今って世の中の音楽の99%がスピーカーから流れる音だと思うんですよ。それで電気を一切介さずに、あの壮大なサウンドを作り上げることができるのは人間の力がすげえなって改めて再認識するきっかけにもなると思います。改めて、スピーカーを通さない音楽を聴けるっていう贅沢さって、逆に今すごくあるんじゃないかなと。今回のアルバムはバッチバチにスピーカー用の音楽ですけど(笑)。
━━(笑)。君島さんはアルバムを通して聴かれましたか?
君島 今日も聴いてました。「うわ、これ真似しよう!」という発見はいっぱいあるんです。
まずは軽く聴きながら、「このスネアの位置、真似しよう」みたいな(笑)。一個一個、とても真摯にトラックが組まれていて、考えられているというのももちろんだし、僕はそもそもクラシックはそんなに詳しくないので、「あ、聴いたことあるな」くらいのものはあるけど、日本人ってクラシックというものに対してすごく壁を設けてるところがあると思うんですね。
ポピュラーではないものとしてしまっているみたいな部分があると思っていて。この作品にはそれがない。一切、邪魔なものが取り除かれて明け渡されたものだなと思いました。それとアルバムとしてすごくよくて、どの曲から聴いてもいいんですけど、「最初から最後まで聴くといいよ」っていろんな人に教えたくなる。すごくポップスだと思うんです。
━━意識しなくてもそう聴けますね。
君島 グッドポップスだと思って。一番最後はオリジナル曲(“VOICE Op.1 feat. 角野隼斗”)じゃないですか。それが生で録音されたもので、そこまで通して聴いて欲しいです。僕は最後の曲の感動がすごかったんですよ。
水野蒼生 feat. 角野隼斗「VOICE Op.1」Teaser
水野 そう、このアルバムを通して「クラシックってなんなんだろうね?」っていう疑問をリスナーに投げかけたいっていう風に思ったんです。100年とか200年とか昔の音楽は全て現代的に拡張するけど、2020年に自分がオリジナルで書いた、ある意味、最新の音楽は、クラシカルなスタイルで作る。それによって時代も頭の中もぐちゃぐちゃになってほしくて。それを思わせられたら成功だなって思ってますね(笑)。
君島 ぐちゃぐちゃだし、でも筋がめちゃくちゃ通ってる、すごくコンセプチュアルなものだと思うんで、聴いてて全くストレスがない。伝えたいことが汲み取れるような気がする。クラシック音楽に詳しくない僕でもそういう気持ちになれたので、いろんな人に聴かれたい。作品としてすごくそう思います。
Text by 石角友香
Photo by 大地
水野蒼生
指揮者/クラシカルDJ
1994年生まれ。
2018年にクラシカルDJとして名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからクラシック音楽界史上初のクラシック・ミックスアルバム「MILLENNIALS-We Will Classic You-」をリリースしてメジャーデビュー。同レーベルが主催するイベント「Yellow Lounge」の東京、そしてベルリン公演に出演。国内最大級のクラシック音楽フェス「La Folle Journe TOKYO 2019」に連日出演し好評を博す。またその様子がNHK教育テレビにてドキュメンタリーとして放送され大きな反響を得る。2019年11月横浜音祭りクロージングコンサートに指揮者として出演。May J.、葉加瀬太郎の両氏のバックで横浜シンフォニエッタを指揮。
ザルツブルク・モーツァルテウム大学 オーケストラ指揮及び合唱指揮の両専攻の第一ディプロム(学部相当)を首席で卒業。欧州では2015年夏にザルツブルク州立歌劇場の音楽監督エイドリアン・ケリーのアシスタントを務めるほか、バートライヒェンハル管弦楽団、南ボヘミア室内管弦楽団、ハンガリー国立ブダペスト歌劇場管弦楽団などのプロオーケストラを指揮する。これまでにオーケストラ指揮を井上道義(講習会)、ペーター・ギュルケ、ハンス・グラーフ、アレクサンダー・ドゥルチャー、ブルーノ・ヴァイル各氏に、また合唱指揮をカール・カンパー氏に、現代音楽指揮をヨハネス・カリツケ氏に師事。
君島大空
1995年生まれ 日本の音楽家。
2014年から活動を始める。同年からSoundCloudに自身で作詞/作曲/編曲/演奏/歌唱をし多重録音で制作した音源の公開を始める。
2019年 3月13日 1st EP 『午後の反射光』を発表。4月には初の合奏形態でのライブを敢行。
2019年 7月5日 1st Single 『散瞳/花曇』を発表。
2019年 7月27日 FUJI ROCK FESTIVAL “19 ROOKIE A GO-GOに合奏形態で出演。同年11月には合奏形態で初のツアーを敢行。
2020年1月EテレNHKドキュメンタリー「no art, no life」の主題曲に起用。2020年7月24日2nd single『火傷に雨』を発表。2020年11月11日2nd Ep『縫層』を発表。ギタリストとして高井息吹、坂口喜咲、婦人倶楽部、吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌)などのアーティストのライブや録音に参加する一方、劇伴、楽曲提供など様々な分野で活動中。
INFORMATION
VOICE - An Awakening At The Opera -
2021年3月31日(水)
水野蒼生
Universal Music
UCCG-1882
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