年は張り切って3回も来てくれちゃったし、たっぷり低音チャージもできましたけど、やっぱ8ヶ月は長いっスよ〜兄貴! というわけで、ケヴ兄とゆかいな仲間たち…もといロウ・エンド・クルーが久々に東京・大阪ツアーのため日本にカムバックします。題して、<ロウ・エンド・セオリー・ジャパン[Summer 2013 Edition]>。

なんといっても今回の最大のトピックは、ダディ・ケヴやザ・ガスランプ・キラーをはじめとするクルー全員が多大なリスペクトを寄せる、我らが日本の至宝DJ KRUSHがゲスト出演することでしょう(東京・代官山UNIT公演のみ)。これは本家L.A.の<ロウ・エンド・セオリー>でも実現していなかった組み合わせなだけに、俄然期待が高まります。D-Stylesとのスクラッチ・バトルなんかも拝めるかも…? そしてもうひとつのトピックは、ビート・メイカーの登竜門「Beat Invitational(ビート・インヴィテーショナル)」が満を持して関西初上陸を果たすこと。東京組とはまた違ったテンションと空気感が体験できそうで、LETファンとしては大阪まで追っかけてしまいたいぐらいです……。

ビート強化月間はこれだけに終わらず、LETの翌週にはOFWGKTAとして本家<ロウ・エンド・セオリー>にも出演経験のあるタイラー・ザ・クリエイター&アール・スウェットシャツの東京・単独公演が控えてますし、週末にはケヴ兄の最新ミックスCD『アンダー・ザ・ピラミッズ』にもピックアップされたXXYYXXや、LETの盟友プレフューズ73らが出演する<タイコクラブ’13>が開催。さ・ら・に、すでにお気づきの方々も多いでしょうが、今年の<フジロック・フェスティバル>にはDJシャドウ、フライング・ロータス、ガスランプ・キラー、ジュラシック5(カット・ケミストですよ!)といったLETゆかりのアーティストたちが揃い踏み。すべてステージを目撃してこそ、真のLETラヴァーと呼べるでしょう。

さて、この度Qeticでは<ロウ・エンド・セオリー>の頼れるボスでありマスターマインド、ケヴ兄a.k.a.ダディ・ケヴにインタビューを敢行しました。思えば09年に開催された2度目の<ロウ・エンド・セオリー・ジャパン>からずっと追っかけてきているのに、意外にもケヴ兄は本サイト初登場。その漢(おとこ)らしさ溢れる語り口で、イベント立ち上げの経緯から、脅威のサウンド・システムの秘密、そして日本愛などについても明かしてくれました。

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Interview:Kevin Marques Moo

フライング・ロータスが『Los Angeles』を作ったとき、
彼は<ロウ・エンド・セオリー>でプレイすることを意識して作ったんだ

【インタビュー】ロウ・エンド・セオリーの創始者=ダディ・ケヴがQetic初登場! イベント立ち上げの経緯や、脅威のサウンド・システムの秘密がいま解き明かされる―― music130513_lowendtheroy_6725-1

――<ロウ・エンド・セオリー>はビート・メイカーの現在進行形を体感できるクラブ・イベントとして、日本でもすっかり定着しました。今回は初インタビューとなりますので、あらためて<ロウ・エンド・セオリー>立ち上げの経緯、およびコンセプトを教えてもらえませんか?

2006年から<ロウ・エンド・セオリー>をやってるんだけど、もともとのコンセプトはビート・メイカーたちの音楽に焦点を当てることだった。デイデラスやフライング・ロータスなどのプロデューサーは早くからライヴをやっていたけど、彼らの本領を発揮できる空間がなかったんだよね。そういうビート・メイカーやプロデューサーたちは単純に「ヒップホップ」の枠に入れられることも多くて、とても完璧な組み合わせ方とは言えなかった…。<ロウ・エンド・セオリー>が生まれたことで、ビート・メイカー/プロデューサーに焦点を当て、ベース・ミュージックを意識したサウンド・システムを提供できるイベントが実現したんだ。皮肉なことに、L.A.のクラブのサウンド・システムは最悪でさ。特に小さいクラブの音響が良くないんだよ。500人キャパのクラブには、サブ・ウーファーの数が大抵の場合は足りてない。俺もL.A.のほとんどのクラブでDJをしてきたけど、いつもサウンド・システムには不満があったんだ。こういう音楽を最適の環境で披露するためには、それに特化したサウンド・システムを導入することも重要だった。

――なるほど。

<ロウ・エンド・セオリー>というのは、ビート・メイカー/プロデューサーをフィーチャーするイベントだけではなく、ラップトップ・パフォーマンスができる最高の環境でもあるんだ。ラップトップでパフォーマンスをするアーティストに自信を持たせて、成長できるチャンスを与えられる場所でもある。そうすることで、<ロウ・エンド・セオリー>でライヴをやりたがるアーティストが増えたんだ。で、最終的には周囲のビート・メイカーたちにもインスピレーションを与えるようなイベントになったんだよ。

――あなた自身がビート・メイカー/エンジニアということもあってか、ヴェニューの潜在能力を引き出す音圧・低音には毎回ビックリさせられます。PAやサウンド・システムにはどういったオーダーを出しているのでしょうか?

初期の頃は、ターボ・サウンドというシステムを扱っている連中に<Airliner(本家L.A.のロウ・エンド・セオリーが行われる会場)>まで来てもらっていた。そのサウンド自体は悪くなかったんだけど、いささか難のある連中でね…(苦笑)。そこで、自分たち独自のサウンド・システムを入手することを決意した。<Airliner>では、JBL Professional、ヤマハ、QSCの3種類のスピーカーを組み合わせてるんだ。<ロウ・エンド・セオリー>のレジデントDJはみんなオーディオ・フリークだから、特に音質にはこだわってるんだよ。日本でやるときはコレといったオーダーは出していないけど、 少しでも音質を良くするために、俺はMP3ではなくWAVファイルをラップトップからプレイしてるんだ。あと、RANEのDJミキサーの音質も関係していると思う。 RANEは俺たちの音楽にもっとも適しているね。

――<Airliner>には毎回長蛇の列が出来るそうですが、あえてV.I.P.エリアを設けず、トム・ヨークやエリカ・バドゥのような著名ゲストもオーディエンスと同じ目線でフロアに立つ…というアティチュードが<ロウ・エンド・セオリー>の素晴らしいところだと思っています。

<ロウ・エンド・セオリー>に行けば最新の音楽が聴けるし、バック・ステージが存在しないから、出演者はオーディエンスや同業のアーティストと必然的に会話をしなければならない。つまりアーティストは、オーディエンスから隠れることができないんだ(笑)。でも、それって素晴らしいことなんだよね。<ロウ・エンド・セオリー>に遊びに来るお客さんの半分は実際にサウンド・メイキングをしているか、少なくとも音楽テクノロジーに興味がある人たちなんだ。俺たちはこのイベントで、音楽テクノロジーの最前線を見せようとしている。<ロウ・エンド・セオリー>に来れば、もっとも高いレベルのラップトップ・パフォーマンスを見ることができるってわけさ。今はL.A.から幅を広げて、サンフランシスコでも定期的なイベントをやっているよ。

【インタビュー】ロウ・エンド・セオリーの創始者=ダディ・ケヴがQetic初登場! イベント立ち上げの経緯や、脅威のサウンド・システムの秘密がいま解き明かされる―― music130513_lowendtheroy_6709-1

――<ロウ・エンド・セオリー>やdublabの躍進で、L.A.のビート・シーンは世界中から熱い注目を浴びることになりました。ベックもL.A.を拠点としてますけど、彼がプロデュースしたシャルロット・ゲンズブールの楽曲(”Heaven Can Wait“)をノサッジ・シングがリミックスしていたり、L.A.ミュージック・シーンの幅広いネットワークってどのように形成されていったのだと考えますか?

2008年くらいから、<ロウ・エンド・セオリー>では徐々にL.A.のローカル・アーティスト中心の曲をプレイするようになってるんだ。もちろん、俺らは日本やヨーロッパなど世界中のアーティストの曲をプレイするのは好きだし、初期の頃はずっとJ・ディラの曲ばかりプレイしていたけど、そうしなくてもいい状況になったわけだね。地元のアーティストの曲を使ってDJセットを組めるようになったのは大きい。俺は1992年からインディペンデントなミュージック・シーンに関わるようになったけど、その10〜15年間のL.A.エレクトロニック・ミュージック・シーンは、他のシーンを模倣することが多かった。でも、独自のサウンドを生み出せたことで、L.A.のオーディエンスが確固たるものになったんだ。今までのL.A.には 独自のサウンドというものが皆無に等しかったから、地元の連中が熱狂的にサポートしてくれるようになったんだよ。 メディアの連中も含めてね。長年<ロウ・エンド・セオリー>をやっていく中で、オーディエンスは洗脳されてこのサウンドを好きになったとも思うんだ(笑)。立ち上げ当初は今ほどオーディエンスは盛り上がってなかったし、エネルギーもなかったからね。

――たしかに<ロウ・エンド・セオリー>に行けば新しい音楽との出会いが必ずあるし、すでに知っている曲も全然違って聞こえますよね。

ああ。<ロウ・エンド・セオリー>では強烈なベースを体感できる空間を作り上げたんだけど、もはやそれは自宅や車の中では再現できる空間ではないんだ。イベントに出演するビート・メイカー/プロデューサーたちは、<ロウ・エンド・セオリー>の会場にあるようなサウンド・システムを自宅には持ってないだろう。たとえば、フライング・ロータスが『Los Angeles』(08年)を作ったとき、彼は<ロウ・エンド・セオリー>でプレイすることを意識して作ったんだ。<ロウ・エンド・セオリー>でどうやってパフォーマンスをするのか想像しながら、トラックを作ったらしい。つまり、プロデューサーたちは<ロウ・エンド・セオリー>でライヴをやるのが楽しいから、あのサウンド・システムで曲をプレイしたいから、どんどん新曲を作るようになったんだ。

★インタビューまだまだ続く!
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